ヒガンの先に   作:霊界案内人

4 / 5
4

 ガンという荒々しい音の後、路上に設置されていたゴミ箱が横倒しに転がった。中からは缶がコロコロとこぼれ落ち、からんからんと空虚な音を奏でている。

 視線を向ければ若者らしき二人組が喧嘩をしている。相変わらず治安が悪いなと嘆息を一つ。

 こういう時に霊体というのは便利だなと、絡まれないよう、霊感能力の低い者から姿を見えないようにして歩みを進める。

 二回ほど角を曲がれば、目的の人物が見つかった。

 よれたコートに汚れの目立つズボン、そして目元を隠すように少し深めに被られたトレンチハット。けれども沸き立つ妖力を私は見逃さない。

 彼は道行く人に声をかけては、手に持った紙切れをひらひらと振っている。その姿は街中ではよく見かけるダフ屋と重なる。いや、重なるどうこうではなく、まるきりダフ屋なのであろう。

 霊体に霊力を通し、誰にでも視認できるように存在感を厚くする。背後から通行人を装って彼のそばを通過すれば。

 

「やぁ、そこのお嬢ちゃん」

 

 ほら、簡単に釣れる。

 

「お嬢ちゃんとは嬉しいですね。元気そうで安心しましたよ」

「げぇ、コエンマんとこの猟犬」

「猟犬らしく噛み付いてあげてもいいんですよ?」

 

 綺麗な笑顔を浮かべ、カチカチと冗談めかして歯を打ち鳴らしてみれば、たちまち人に擬態している彼の顔が青くなる。口元が引きつり、冷や汗が滲んでいた。

 怯えるくらいなら、口を滑らせるのをやめればいいのにと思わずにはいられなかった。

 

「いやいやコエンマの旦那のところの姉御って言ったんですよ、あっしは」

「姉御はやめなさいと前に言ったでしょう」

 

 へらへらとした笑みを浮かべながら揉み手をする彼に、ついため息を吐いてしまう。

 それでも姉御については改める気が無いのか変わらずにへらりと笑っていた。犬呼ばわりは流石に咎めはするが、姉御呼びの一つくらいで目くじらをたてるのも馬鹿らしく、結局許してしまうのだから改善することは永遠にないだろう。

 さて、無駄話を続けるつもりもあまり無いので、さっさと本題に入ってしまおう。長居してたちの悪いのに絡まれるのも相手に悪い。叩き伏せられれば誰だって痛いのだから。

 

「それで、ダフ屋さん。聞きたいことがあって顔を出したのだけれど構わないかしら」

 

 口では質問の形式を取っているが逃がすつもりはない。言外の気持ちを瞳に込めて、見つめてやれば伝わったらしい。

 ひくりと口端が引きつった。

 

「こ、困るって姉御。人間だろうと妖怪だろうとちくり屋は長生きできねぇんですよ」

「そう。ならチクったことがバレないようにしないといけないわね。だって貴方はそれを条件に、霊界側から減刑をされているのですから」

 

 こういう上から押さえつけるようなやり方は、本当は好きでは無い。それは力で無理矢理押さえつけられた経験があるからだろう。

 けれども今回はそれでも引くつもりはない。実行犯は全員返り討ちにしたが、依頼主への対処をしていない。

 そこに釘を刺さねば永遠と送られて来られかねない。幻海さんはいつか飽きるだろうといって、放任するつもりらしいが、それでは私が落ち着かない。

 だからこれは善意の押し売りのようなもので、それにかこつけた権威の振りかざしだ。褒められた行為ではないが、幻海さんは生きている最後の友人なのだ。

 

「霊光波動の幻海さんに刺客を送った人物の噂、何か知らないかしら?」

「げ、幻か!」

 

 ダフ屋は出てきた名前に声を裏返して叫びかけたが、とっさに自分の口を自分で塞いだ。小妖として、伊達に長生きをしていない。

 無闇に耳目を集めてしまうことの危険性を理解している。幻海さんの名前は妖怪たちにはあまりに有名だ。近くにはいないが、少し離れたところにも妖力を感じる。

 その程度にはこの荒れた街にも妖怪が隠れ棲んでいる。大半は霊界側が把握し、ダフ屋のように首輪をかけているが限界もある。

 それでも社会の裏に潜り、悪行を行う妖怪たちは後を絶たない。幻海さんを襲撃したものたちしかり、私が猟犬と呼ばれる程度には過去に鎮圧してきた妖怪しかり。

 

「そんなくっそ厄い話しをぽんと出してくれねぇでくれよ、姉御」

 

 声を潜めながらまくし立てるという、器用なことをしながらダフ屋が不平をたれてきた。

 

「それは無理な相談ね。私は生前から幻海さんとは仲良しでしたから。無論死後の今もね。私の言いたいことは分かるわよね」

 

 笑顔を浮かべているが、きっと目だけは全然笑えていないと自分でも理解している。あの襲撃は死んだ日のことを嫌でも思い出させた。頭にも血が登ろうというものだ。

 私の静かな怒気にも気がついたのだろう。ダフ屋の顔がますます青くなる。

 

「……確証のある話なんざねぇって前置きだけは耳に入れといてくれよ」

「構わないですよ」

 

 本心から嫌そうに(実際嫌なのだろうが)、ダフ屋は小耳に挟んだという噂を三つほど語ってくれた。

 本人は当たりがある自信なんてないと予防線を張っていたが、当たりはあるはずだ。弱い妖怪は耳がよくなければ、人間界でも魔界でも長生きはできない。

 ならば長生きしている目の前のダフ屋は、逆説的に耳目に優れていると結論できる。私にはその程度の可能性で十分だった。

 仮に違っても別の妖怪に尋ねればいいのだ。いつかはたどり着く。

 

「ありがとね。これ、お礼って訳じゃないけど好きにしていいわよ」

 

 そう言って紙ペラを二枚ダフ屋に渡す。タイトルマッチと書かれた格闘技の観戦チケットだ。売るもよし、自分で使うも良しだ。

 幻海さんがいらないからと何かしらの伝手で貰ったものを押し付けられたのを、自分も見ないからとまた別の人物へ流しただけという裏話もあるが今は関係ないだろう。

 それに鞭ばかりでは相手も辟易してしまう。ちょっとしたガス抜きにはちょうどいい代物だ。

 

「いいのかい、姉御」

「構いませんよ。でもあまりあこぎなことはやりすぎないようにね」

「ほどほどにしておきますよ。姉御に喝入れられんのはもうごめんですからね」

「そう?」

 

 これで用は済んだと、長居してもどちらにも得はないため、早々に立ち去ろうとして、もう一つだけ聞きたいことを思い出し、足を止める。

 

「そういえばダフ屋さん」

「まだなんかあるんですかい? 長居されっと、他の妖怪に見つからないかとあっしはヒヤヒヤしちまうんですが」

「大丈夫よ。一番近い妖気でもこちらを視認できるところにはいないから。それと聞きたいことはいつもの質問よ」

「あぁ、それですかい」

 

 私の言葉にダフ屋はほっとした様子を見せた。これ以上の厄ネタが出てこなかったことに安堵しているようだった。

 

「戸愚呂という名の人物について何かないかしら?」

「そっちに関しちゃ残念ながら何も。十年前の暗黒武術会以降、からっきしですね」

「そう……」

「都市伝説ばりの与太話ばっかですよ、相変わらず。妖怪になったのは弟子たちを殺された腹いせに長生きして妖怪達に復讐するためだとか。他には力に溺れて完全にやべぇ妖怪になっただとか。あとは妖怪への変化に耐えきれずにおっちんじまったなんてのも聞きゃしますが、どれも眉唾もんの話でさぁ。今の話したやつや他のどの話にだって本人の影が欠片もちらついちゃいねぇんですから、奥様方の噂話と変わりゃしねぇですよ」

「そうなのね。ありがとう、ダフ屋さん。また次までに何かあれば噂を集めておいてもらえると助かるわ」

「次がねぇことを祈りたいですがね、あっしは」

「あら残念。嫌われてしまったようね。いえ、それはもともとからでしたね」

 

 冗談めかして笑ってみれば、ダフ屋が変な顔をしていた。葛藤というか、歯に物が挟まってすっきりしないようなそんな不思議な表情だった。

 

「……別段あんたのこたぁ嫌いじゃねぇですよ。コエンマの旦那やあんたは霊界のやつにしちゃこっちを尊重してくれている。それだって今回みたいに、まぁ好き勝手やってくれるんで正直気に食わねぇ話じゃあるんですが、あんたはちゃんと個人として俺たちを見てくれている。そこら辺の汚いゴミを見るような目を向けちゃこない。俺たちみたいな雑魚にとっちゃ、そういうのはなんというか、こう……まぁ、あれっすよ……嬉しい話ってやつで……だからまぁ嫌いじゃねぇですよ」

 

 思いがけない言葉につい思考が止まってしまった。まさかこんな人間味あふれた言葉を、妖怪から聞くとは思っても見なかった。

 

「なにきょとんとしてんすか。何とか言ったらどうですかい、姉御」

「いやなんというか意外すぎまして……でもそうですか。私も貴方みたいな人間くさい妖怪は好感が持てますよ」

 

 それはきっと勝手に希望を見ているからだ。

 

「人間くさいだなんてやめてくれよ、姉御。褒め言葉として最低すぎますって」

「そう? 私にとっては最上の褒め言葉よ」

 

 妖怪になってしまった師匠の心にも、人の心が残っていると。そう私が信じたいから、彼のような人間くさい妖怪に好感が持てるのだ。

 死の間際に見た師匠の慟哭を、怨嗟の叫びを振り切りたい。師匠は妖怪になってしまったがきっと変わっていない。私は、そうであると信じたかった。

 

「それじゃあまたね、ダフ屋さん」

 

 背を向けてひらひらと手を振る。

 

「気をつけてくだせぇ、姉御。もっとやべぇ奴を雇おうとしてるって話も一度だけ耳にしてるんでさぁ!」

 

 ダフ屋の最後の情報を聞き届けると、私は身体を視認できない霊体に戻し、櫂を呼び出す。魔女の箒のように櫂へ腰掛け、私は空を飛ぶ。

 何故だか不思議な予感がした。心が弾むようでいて、恐怖も覚えるそんな不思議な予感がしていた。

 

 

 

 

 光にあふれた都心から離れ、木々の生い茂る昏い森の中に私はやってきていた。

 資産家の私有地らしく、管理の行き届いた整然とした森。最後に見た人家は随分と前のこと。

 自分だけの心休まる場所を欲してか、はたまた良からぬことを行うための人気のなさを欲したか。どちらであろうとどうでもいいことだ。私のやることに変わりはない。

 

「あぁ、でもこれは……」

 

 良くない気配だ。この先に豪邸があることは下調べをしたから知っている。けれどあまりに少ない。調べた館の大きさに対しての、人の気配が少なすぎる。

 そしてうっすらと、かすかにだが妖力を感じる。決して大きくない。ともすれば弱い小妖のような妖力。けれども不思議と小さい妖力からは、地に根ざしたような確かな芯を感じた。

 一つ、また人の気配が消えた。殺している。妖怪が人を殺している。

 

「あぁ、もう!!」

 

 目的地である建物に善人はいない。妖怪を使ってのヤクザ紛いの地上げ屋をやっていた連中だ。幻海さんに他者を追い詰める武器としていた妖怪を、退治された腹いせに殺そうと別の妖怪を送ってくるようなクズ達の根城だ。

 私も骨の幾本かをへし折ってお話をしようとしていた身だが、これは見過ごせない。妖怪による人間への害的行為は霊界の法律で禁じられている。

 ならば私は霊界の人間として取り締まらねばならない。霊界の者として、コエンマ様の部下として、私的な理由から見過ごすなどという上司の顔に泥を塗るような真似はできない。

 まぁ、暴力による脅迫も泥を塗る行いだと言われれば返す言葉もないのだけれど。

 全力で櫂による飛翔を行うが、相手の手際が良すぎる。最悪、誰一人間に合わない可能性がある。

 距離が近づき、視認できるようになったお屋敷はお世辞にも褒められた物ではなかった。幾枚もの窓が割れ、ろうそくでも倒れたのか火の手が屋敷の一角から上がり、屋敷前の庭では潰れた車が煙を上げている。

 

「間に合わないっ!」

 

 人の気配はあと一つ。けれども傍には妖力を感じる。少しでも妖怪の気を引くために、あえて霊力をわかりやすく誇示しながら、気配のする部屋の窓ガラスを割って侵入する。

 

「そこまでです! 霊界の者としてそれ以上の蛮行は見過ごせません!!」

 

 部屋の照明は破壊されていたのか、室内はやや薄暗かった。月明かりも今はちょうど雲が重なり、弱まっている。少しすれば雲は流れ去るだろう。

 

「霊界!? いやなんでもいい! わ、私を助けぇ」

「うるさいねぇ」

 

 細身の男がヒステリックな金切り声で私に助けを求めてきた。けれどもすぐさまその口を傍の大男が塞ぐ。その大きな手で男の口元を塞ぐとそのまま片手で高々と吊り上げた。

 

「やめなさい! 人間への害的行為は禁止されています!!」

「きゃんきゃんと騒がしいねぇ、アンタも。規則だ法だと、無意味なことで躍起になるなんて酔狂だと感じないか」

「ゔー! ゔぅ!!」

「それ以上続けるのであれば、力ずくでやめさせます!」

 

 霊気を両手に纏い、杖を生成する。私の戦意に反応したのか、相手の妖力がわずかに揺らいだ。動揺している。ならば仕掛けるか? 

 そう思案している最中に、月が雲から姿を現し、室内を月明かりが照らす。雲の流れに合わせ、少しずつ光量を増やす。

 私の足元から、部屋の中ば、大男の足元。そして、その顔を月光の下で暴き出す。

 

「し、しょう?」

 

 見覚えのある顔。まるであの時と変わらない顔貌。違うとすれば、瞳の光。私の知る師匠の瞳は、こんな底昏い光を湛えていない。でも、けど、紛うことなく目の前の妖怪は師匠だった。

 

「これは……驚いたねぇ。おっといけない、びっくりしてつい握りつぶしてしまった」

 

 どさりと肉が床を打つ音が続く。ピクリとも動かないそれは、どうしようもないほどに手遅れな死体だった。

 胸ポケットからハンカチを取り出し、なんでもないように手を拭いている師匠がひどく遠く感じられる。まるで現実味がない。いつか見た悪夢の方がまだ現実感を伴っていた気さえする。

 でも違う。これは拒絶だ。信じたくないと理解を拒んでいる。だから現実味を感じられないのだ。理解してしまうことを、解ってしまうことを、私は怖がっている。

 不安定な精神ゆえか、手の中の杖が形を保てず霧散した。

 

「懐かしい、まるで変わらない姿。……そうか。お前は、老いぬのだな」

 

 師匠の言葉は、どこか少しだけ気落ちしているように聞こえた。その声色でようやく、少しだけだけれども頭の中の霞が薄れる。

 

「師匠、どうして……」

 

 どうしてなんだ? 人を殺したのか? 妖怪になったのか? 幻海さんと袂を分かったのか? 私はなにを聞きたいんだ? 

 

「不快だねぇ。妖怪を師匠と呼ぶなど、ましてや霊界に属する者がそのざまとは実に不愉快だ」

 

 師匠が一歩、私との距離を詰めた。無意識に私は半歩下がり、ふるふると首を振っていた。

 

「それにお前の師匠であったのは、もはや遠い昔の話。今更そう呼ばれるのはことさらに不快だ」

 

 いやだ。その先を聞きたくない。そんな、そんな突き放すような拒絶を私は。

 

「師匠!!」

「オレを! 師匠とォ!! 呼ぶなァ!!!」

「くっ!!」

 

 車に跳ねられたような、凄まじい衝撃。気がついた時には、窓から空中へと身体が殴り飛ばされていた。じくじくと殴られた腹が痛む。

 けれどようやく霞がかった頭が目覚めたような気がした。まだ現実を受け入れきれていない。だが感じる痛みが危機を訴え、私の身体が勝手に最適な行動を行う。

 伊達に長い間、修行と実践に身を浸してはいないのだ。受け身を取り、地面を転がりながらもすぐさま態勢を整える。霊気を押し固め、武器を生成する。もっとも握り慣れた杖を自然と構えていた。

 師匠も窓から飛び降りてきたのか、屋敷を背に悠然と佇んでいた。

 

「師匠! 私は貴方と話が」

「くどい!! 貴様の師匠であった軟弱な人間はもう死んだ!!!」

「違う! 違います! 貴方は私の」

「くどいと言っている!!!」

 

 叫ぶ私めがけ、師匠が一足飛びで空いていた距離を消した。風を力ずくで押しつぶす轟音と共に、再び拳が振るわれた。

 とっさに杖を間に挟み盾とするが、あまりの膂力の違いに再び弾き飛ばされてしまう。

 

「だったら! だったら今いる貴方はなんだと言うんですか!!」

「分かっているはずだ」

 

 首を振る。違うと、嫌だと、幼子のようにただただ首を振る。

 だが師匠は止まってくれない。止めるつもりが毛頭ない。

 

「妖怪だよ。人を食い物にし、人を殺し、ただただ己の欲のままに生きる浅ましい妖怪、戸愚呂だ」

「違う……違います……師匠は、師匠は……」

「無様だねぇ。敵を前にして、癇癪を起こした子供みたいに泣き醜態を晒す。見るに耐えん惰弱さだ」

 

 昏い瞳が失望を宿している。 その瞳にいすくんでしまい、微動だにできなかった。

 

「弱い、弱すぎる。その程度の力でなにをしている。霊界の手先となってなんとする。ただ強者に奪われる程度でしかないその脆弱さで、戦いの場に立つな!!」

 

 大喝。怒号のような怒鳴り声が心の奥底まで届いてくる。情けなくて、不甲斐なくて、みっともなくて、両目がかぁっと熱くなる。

 

「泣くほどに恐ろしいのなら二度と戦いの場に立つな。闘争が汚れる。二度とその面を見せるな」

 

 違う。違うんです、師匠。

 興味を失ったと、背を向け去ろうとする師匠の背中に、私はぐいっと涙を乱暴に拭う。

 

「師匠!!」

「まだ分からないみたいだな。いい加減にその耳障りな呼称をやめろと言っているのだ」

 

 師匠の瞳が鋭さを増し、剣呑さを高めていく。だが気にしない。言い切れ。吐き出しきれ。でなければ一歩も進めないぞ。自分を叱咤し、私は吠える。

 

「師匠は悪くない! 悪かったのは弱かった私達だ! 全員で逃げれば何人かは逃げきれたかもしれない! もっと私達が強ければ、師匠が戻ってくるまで耐えられたかもしれない! 師匠はなにも悪くなかった!!」

 

 師匠の顔が大きく歪む。なにを思っているのかはわからない。でも、師匠の心に言葉は届いていた。どんな表情にせよ反応が現れたのだから。

 

「だから、ごめんなさい。弱くて、師匠の帰る場所を守れなくて、辛い思いをたくさんさせてしまい、ごめんなさい」

 

 頭を下げる。本心からの謝罪。死んだ時から、道場での師匠の慟哭を聞いた時から、ずっとずっと謝りたかったという私の未練。

 頭を下げたせいで私から師匠は見えない。でもそれでいい。死人からの言葉だ。一方的であるほうが、きっとそれらしい。

 

「これで私の未練は果たせました」

 

 顔を上げた私の顔は、どうしようもないほどに晴れやかなものだろう。

 

「あまりに女々しい未練だ」

「まぁ女の子ですからね」

「そうかい。ならもう用はないのだろう。霊界でも幻海のところでもどこにでも失せろ」

「いいえ、それはできません」

「何?」

 

 武装を構える。しっかりと師匠を見据える。

 

「貴方を止めます。どうして妖怪になったのか、どうしてそんなに変わってしまったのか。私にはわかりません。想像はできても所詮どこまで行っても想像です。でもそんな姿を私が見ていられない。だからこれは私の悲願。死してなお果たしたいと言う悲願の思い」

「このオレをお前が止めると? 幻海でさえ逃げ出したオレをお前ごときがか?」

「あの人は逃げてません。いつだって貴方が戻ってきてもいいように、何も変わらないだけです。きっと貴方が「悪かった、幻海」とでも言って、いつもみたいに不器用に頭を下げれば、あの人は馬鹿だなと一言言って受け入れてくれると思いますよ」

「…………」

「現実感のある想像でしたか?」

「馬鹿馬鹿しいね」

 

 ぶっきらぼうに吐き捨てる姿は、どこか懐かしい既視感を覚えた。それが少しだけ嬉しくて、くすりと小さく笑ってしまう。

 それが気に食わなかったのか、師匠が私を睨みつける。

 

「では師匠。いえ、戸愚呂さん。貴方が人を捨て、妖怪に成り果てたと言うのであれば、私もそれに倣い付き合いましょう」

 

 それは師匠の真似をし、習うような弟子の姿かもしれない。

 

「何を言っている」

「人であった私は死に、すでに亡い。ならば私も人であった頃の私と区切るために名を変えましょう。私は霊界の彼花(ひばな)。彼岸に咲く曼珠沙華。貴方を殺してでも止める彼岸花です」

 

 師匠の瞳がわずかに見開かれる。

 

「私は霊界案内人の彼花。以後お見知り置きを。何度も、何度でも私は貴方の前に立ちましょう。私の悲願が果たされるその時まで」

 

 私の言葉を飲み込めたのか、師匠が歯をむき出しにした笑みを浮かべた。肉食獣のように獰猛な笑みが、どことなく楽しげに見えるのは私の見間違いではないはずだ。

 

「面白い。面白いぞ、彼花!! ならば何度でも挑んでこい! 力をつけ、何度でも何度でも挫けぬ限り挑んでこい!! オレはその全てをねじ伏せ、オレの正しさの証明とする!!」

 

 

 もはやここに来ては言葉はいらない。意見が食い違い、どちらも引けない。ならばもう、ぶつかるだけだ。

 杖を、槍を、薙刀を、太刀を、数多の武器を振るい、私は師匠に挑み、全てをその豪腕でねじ伏せられた。

 空が白み出した頃、屋敷に生き物は一人たりとも存在していなかった。ただ一人の、悲願を果たせなかった亡霊が、大地に倒れ、悔し涙を流しながら空を見上げているだけだった。

 

「あぁ、くそぅ……遠いなぁ……ちくしょう……」

 

 女はようやく、止まっていた足を一歩踏み出した。

 




アニメでコエンマ様に絡んでいたダフ屋さんをイメージしてますね
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。