ライブラ秘書嬢の異世界渡航   作:一星

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にじむ透明をbleuと呼ぼうか

 

 

 日本に滞在して2週間ちょっと。仕事ばかりじゃなく、ヒロキ・サワダと浅井成実(セイジ)というクリスの協力者で知り合い(俺からしたらクリスの恩人仲間になる)にドライブがてら会いに行ったりという完全オフの日も挟みながら、そろそろHLに戻らないとヤバいと思い始めていた頃、ようやく俺たちが待っていた知らせが飛び込んできた。

 

「ヒロ」

 

 氷室が案内してくれた東都外れのホテルではなく、新東都内にある由緒正しい知る人ぞ知る老舗旅館。もちろん牙狩りの息が掛かっていて、由緒正しい日本建築だが、実はセキュリティは物理的にも魔術的にも万全、牙狩り関連の会合や密談、お偉いの迎合にも使用される場所なので、狙われる運命にあるクリスや俺としても安心安全の旅館の一室で朝食を取っていた中での知らせだった。

 仕事的に他の客となるべく顔を合わせないように、出張時は基本食事は部屋で取る。素朴だが丁寧な仕事が感じられる朝食は、旅館が提供するものにしては量が控え目で、丁度良い膳が運ばれてくる。正直腹いっぱいになりすぎるのも残すのも困るので、こういったささやかな気遣いは有難かった。

 

「君の幼馴染に、会いに行こうか」

 

 朝の光が差し込む窓辺を背にして、血の気の薄い白皙の整った容貌の中、切れ長の蘇芳が透明な光を放っている。まだ口紅も引かれていないが、素のままでも蠱惑的な唇がにんまりと笑った。

 

 

 

 

 霞が関、警察庁。半年ぶりの霞が関だ。あの時訪れたのは隣の警視庁だったが。……少し複雑な心境に、茶色に偽装した目を細める。クリス経由で聞いた話じゃ、俺を引き入れる際に渡した工作員リストによって警察内部に潜んでいた工作員は駆逐され、組織の妨害を受けつつも多少の情報を入手し、組織への反撃の一手になったと聞く。嬉しくもあり、複雑でもあった。

 外来からの訪問者用の許可証を受付で受け取り、ほどなくしてやってきた案内の職員と合流してあまり踏み入れたことの無い警察庁舎内に足を踏み入れた。

 

「例の件については、用意はいつでも整っております」

「分かった。誘導でき次第通信を入れてくれ」

「お心のままに」

 

 クリスと案内の職員──正真正銘警察庁職員なのだが、同時にクリス個人に従う日本版私設部隊の「(つばめ)」でもある男と小声で打ち合わせをしている内容を耳に入れながら、そのすぐ後ろをついて歩く俺は不審がられない程度に周囲を警戒、観察していた。もうこれは潜入捜査官としてのクセみたいなもんだ。セーフティハウスやライブラのオフィスなど、ごく一部の安心できる場所以外の……特に他の組織の中に入る場合は、特に。

 

 日本人ではあまり見かけないすらりとした長身美脚のクリスが、ヒール音をほとんどさせていないにも関わらず颯爽と廊下を歩くのをすれ違いざまに見惚れていく職員は多いが、それ以外の悪意の籠った視線は感じない。

 

「こちらになります」

 

 燕の男が指し示したのは、警察庁のかなり奥まった場所にある、何の変哲もないドアだった。何の部屋なのかを示す立て札も何もない、下手をしたら立地的に倉庫か資料室かとスルーしてしまいそうなドアを、男が独特なリズムで小さくノックをしてドアを開けた。ちらりと見えた感じだと、密談向けの小部屋らしかった。

 

「失礼します」

 

 先陣を切るクリスの後ろを、なるべく目立たないように一礼して入室する。チャラそうな見た目だが、クリスという印象強いラテン美女の隣に立つにはやや覇気も存在感もない男、それが檜山満だ。

 俺たちを見てさっとソファーから立ち上がったのは警察庁警備局警備企画課のお偉いさん、つまりゼロの上司と────

 

「ご足労感謝します、はじめまして……警察庁警備局警備企画課の降谷零です」

 

 きりりと表情を引き締めた、幼馴染だった。

 

「はじめまして。クリスティアナ・I・スターフェイズです。こちらは部下の檜山満といいます、どうぞお見知り置きを」

 

 一年ぶりにまともに顔を合わせる幼馴染の姿にうっかり涙が出そうになるが、早くも化けの皮が剥がれそうな俺を察知したクリスが釘を刺すように話を向けてきたおかげで、感傷とは裏腹に口から「よろしくお願い致します」と地声とは似ても似つかない声が返答した。

 ……それにしても、この前の隠密任務でスコープ越しに見た時も思ったが、スコッチとして最後にゼロを見た時より、随分痩せたように思う。ちゃんとメシは食えてるのか、身体を休められているのか甚だ不安になった。

 そんな思考を変装のマスクの下に潜めながら、軽く握手を交わし、席に着く。さあ、ここからが本番だ。

 

 

 

 ゼロに会いに来た俺たちだが、今回の警察庁訪問の用事はそれだけじゃない。俺の生存を隠匿するために上層部との繋がりに留まっていたのを、今回の訪問を機に、ライブラ、及び牙狩り日本支部は警備企画課(ゼロ)と正式に協力関係を結び、契約通り俺が収集した黒の組織に関する情報を公安に流し始めることになる。今の今まで情報提供が出来なかったのは、警察内部の工作員の影響を取り除いて、内部告発によるごたごたが収束するのに時間を要したことと、俺への情報網の使用許可が下りたのがごく最近だからだ。

 この取引は牙狩りの長い歴史の中でも異例も異例になる。血界の眷属(ブラッドブリード)の絡まない、牙狩りの視点から見れば世界にごまんとある、たかが犯罪組織の粛清に世界秩序の裏の番人である牙狩りが関わるなど、これまでの沈黙の掟を破る勢いだ。ライブラとしても、HL外で暗躍する組織など、本来歯牙にもかけない存在だろう。

 だが、ライブラが静観できない理由が出来てしまった。俺のNOCバレ時点では「保留」程度の評価だった組織が、まだ重要度はかなり低いものの、警戒観察対象に入った訳。

 

 

 ────―APTX(アポトキシン)4869、その識別番号から別名を「出来損ないの名探偵(シェリングフォード)」。服用したら体内で毒が検出されないという、科学技術で神秘の域に片足を突っ込みかけている毒薬の存在を、人狼がキャッチしたからだ。

 

 

 

 その毒薬の存在を突き止めたのは本当に偶然だった。

 ライブラ同様、黒の組織も正確な構成員の人数は掴めず、全世界の各界に構成員が入り込んでいるというあいまいな情報以外、長年潜入している捜査官でも掴み切れない規模をもつ。そして、ただの反社会勢力にしては、目的も行動原理もさっぱり分からない。自分が属する派閥の幹部から仕事の連絡が下りてくるか、派閥に属していない末端も末端な連中は派閥の構成員から使い捨てのような形で駆り出される。任務の真意を悟らせない、完全なトップダウンかつ個人主義的な命令系統だった。探り屋としてコードネーム持ちになるほどの評価を受けたバーボンですら、組織の目的には肉薄どころか推定できないほど情報が秘匿されていた。つまり、組織の生命線に繋がりかねない重要情報ということだ。

 組織を潰さんとする、俺たち潜入捜査官がこれまで辿り着けなかった目的。壊滅の大きな進歩になる鍵になるその情報。ようやく情報網の使用許可を貰ったはいいが、さあ調べるぞと意気込んでコンソールに座り、クリスに一通り操作を教わって数分で手を止めることになった。

 潜入捜査官としてのノウハウはあっても、俺にゼロのような、膨大な情報から絞り込んでいくためのスキルが無かったのに気付いてしまったのだ。潜入中は有力な幹部を確保する、あるいは壊滅に繋がる重要情報の入手という明確なオーダーがあったが、情報通でもない俺は、どういった方向で探っていけばいいのか、皆目見当がつかなくなってしまったのだ。

 

 世界中のその筋の人間や諜報機関が、喉から手が出るほど欲しがる宝の山を前にして撃沈したのだ。ゼロならこの世界に張られた網を最大限に有効活用できたんだろうが……俺のサイバー方面のスキルは3人組の中でも最低だった。……クリス、引き抜く人選間違えてないか? と遠い目をしたのはつい一か月前のことだ。

 前もって忠告されていた通り、制限されていてもあまりに莫大すぎる量・範囲の情報網を前にどこから手を付けていいか途方に暮れる俺に、クリスは裏社会の情報のエキスパートとして、そして組織について先入観がないからこその全く異なる視点からのアプローチを助言してくれた。

 

 

 俺が組織に潜入していなくても探れる、奴らの手がかり。それは、金の流れだ。

 組織の全体像がつかめず、末端を取り込んでもトカゲのしっぽ切り程度で組織に大したダメージにならないのなら、時折驚くほど大胆なくせに、慎重で狡猾な実働部隊から攻めるのではなく、組織運営に必要な資金の流れを掴めばいいと。

 俺がコードネームを得るまでに、下積み期間として実力を見るために色んな仕事をやらされた。敵対組織との抗争や口封じのための殺人や暗殺ばっかり注目されがちだが、その他にも恐喝、窃盗、違法薬物の取引、ハッキング、他の組織との交渉、情報を得るためのハニートラップ……その他エトセトラ。手広いが、そこらの反社会組織でもやってそうな事ばかりではある。

 

 その中でもクリスが注目したのは違法薬物の取引、あと武器の流通だった。恐喝や窃盗は件数が多すぎて絞り込みに時間がかかり、取りこぼしも多い。もししくじりがあれば組織が下手人の構成員を抹殺して情報源を絶たれかねない危険性も高い。その代わり、薬物取引や武器の流通ルートは、黒の組織外の裏社会の他の職種と必ず関わる。取引相手を殺してしまっては意味が無いからだ。秘密主義の組織でも、外部と少しでも繋がりがあるのなら、クリスの情報網ならそこから逆探知できる。

 武器の仕入れに関してはルートさえ構築してしまえば、ある程度自分の組織内で賄えるだろうが、銃刀法のある日本では製造は難しい。むしろ、海外で大戦以前から続けている信頼性のある武器商人から密輸するほうがよほど質がいいし、入手難度が下がる。幹部クラスのスペック持ちなら、スナイパーにしろガンナーにしろ、武器にもこだわりが出てくるものだ。

 

 

 となると、陸路で密輸できない島国の日本で武器類を持ち込もうとすれば、自然と手段は海路に絞られる。空路は海路に比べると制限も多いしセキュリティチェックが厳しい。ライブラの武器庫であり、武器商人としては裏社会でも指折りのパトリックとニーカにも知恵を借りた。対戦車用ともいえる威力を持つ戦術超小型核兵器であるナノニューク弾なんてバケモノ弾を仕入れられるほどの彼らのツテは世界中に広がっていて、裏社会で有名な武器商人に関してはクリスより詳しい。

 あと組織が関わっていた違法薬物に使われる植物の中に、日本の環境で生育が難しい植物を偶然、ラインヘルツの緑の指(グリーンフィンガー)であるクラウスが教えてくれたお陰で、植物・茶葉・薬品系の貨物を扱う輸入業者が怪しいと見た。そこまで絞り込んだ後は、牙狩り日本支部がきな臭い動きがあると睨んでいた海路での輸入履歴のある企業をリストアップして、情報網の中でも日本にいる情報屋や人狼たちに精査の依頼をした。

 

 

 もちろん無数にある日本の企業を大小問わず絞り込んでいく手間は半端じゃない。まともに着手したら1ヵ月無休で働いたとしても無理な情報量だったのだが……俺のあまりの拙さに、コンソールに棲んでいた電脳魔がある日、痺れを切らして声を掛けてきたのだ。

 

 

『手伝おっか? スコッチのおにいさん』

 

 

 そんなエラーメッセージと共に、開きまくったウィンドウが重なっている画面にひょこりと顔を出した幼女にビックリしすぎて、椅子から転げ落ちたのは笑い話だ。

 

 電脳演算人工知能・ムネーモシュネー。

 クリスが日本のギフテッド、ヒロキ・サワダと、彼が開発した人類最高の発明と云われる人工知能のノアズ・アーク、そしてライブラの魔術的なセキュリティを担う鍵屋のユリアンの助言を得て完成させた、自立思考を持つ弩級のAIだ。

 ライブラという世界の命運を握る秘密結社が抱えているあらゆる秘密や情報を蓄積・管理し、サイバー攻撃の最後の砦となるに十分なスペックを有しているとかで、どこかクリスに似た面差しの、桜色の目がくりくりとしてて可愛い黒髪幼女の見た目に反してハイスペックどころかチートスペックだった。

 

 

 そんなムネーモシュネーという管理人の手を借りて、どうにかこうにか絞り込んだ怪しい企業を調べてもらった結果……自動車製造で有名な大企業の一つと、名前は売れてないがそこそこの研究施設を持つとある製薬会社がビンゴした。しかも大企業の方は社長が黒の組織の幹部で、直接会ったことはないが名前はよくよく知っているピスコだった。政界にも顔の利く財界の大物が黒とか、調査結果を聞いて倒れかけた。アイリッシュとかテキーラとか、俺でも知っている幹部との接触記録が残っていたお陰で、桝山がピスコだと判明した。

 そして……もう一つ、黒の組織関連だと分かった製薬会社が一番資金を掛けている人里離れた研究所に潜入した人狼が特別厳重に監視された部屋に入って見つけたのが、くだんの毒薬だった。

 

 体内で毒反応が出ない毒薬なんてものは、完全にライブラ案件ものだ。しかも人狼が毒薬の効能を知るために丁度行われてた投薬実験を見てたらバタバタマウスが死ぬ中、一匹だけ苦しんだ後身体が縮んで子どもになってた? ハイ完全にアウトー。一緒に報告書を読んでいたクリスが、最後まで読み終る頃にはぐだぐだと机につっぷつしてやる気のない声を出していたのが印象的だった。あの日は他にも重要案件山積みでやる気がマイナスに振り切っていたらしい。確かに、異界の魔導科学でもないのに、人体のプログラム細胞死……アポトーシスを利用した、人間の技術で若返りの薬を作ろうものなら、間違いなく世界がひっくり返る。足のつかない毒薬の時点でかなりの被害が予想される上、若返りの妙薬となれば表世界の因果律が滅茶苦茶になる。人界に及ぼす影響は奴らが思うより甚大だ。

 

 ライブラが公安と手を結ぶのは、その毒薬が世界に流通するのを阻止するためだ。まだ研究段階で上層部に結果は伝わってないらしいが、その薬を研究してる若い天才研究者……コードネーム・シェリーはジンが時々監視しているらしい。いち研究者でありながらコードネームを持ち、あのジンが監視するほどの幹部となれば、彼女とその研究が組織にとってどれほど重要か、考えなくとも分かる。幹部の中でも冷酷で知られるジンがAPTX4869の効果を知ったら、間違いなく使おうとしかねない。

 

 世界を転覆させかねないその薬の使用を阻止するためにも、警戒レベルが上がったその日から、定期的にシェリーの元に諜報員が派遣されているらしかった。いざという時、APTXに関係するデータが組織に渡る前に消去するために。だが、シェリーの頭の中には設計図が保管されたままになる。諜報員が様子を見守っているのは、ジンがシェリーの身を脅かした際の彼女の保護、あるいは……彼女の行動如何によっては、これ以上の被害を押さえるために、彼女の暗殺も視野に入れて、だ。

 

 

 

 

「……以上が、我々が掴んだ組織の極秘情報です」

 

 時々クリスに補足してもらいつつ、この一ヵ月で突き止めた情報のプレゼンを終える。紙媒体で出力したその資料を必死に目で追っているゼロの表情は蒼褪めていて、眉間には深い深い皺が刻まれている。多分、こんな深い情報までどうやって探ったんだ、とか、こいつら本当にただの調査会社の人間か……? と疑っているところだろう。そりゃ、数年かけてコードネーム持ちになっても知り得なかった、日本に潜む闇のありかを此処まで探り出されたら、探り屋の名が泣くというか、捜査官としてのプライドがズタズタになるよなぁ。

 最近うっかりライブラの日常に慣れてきていたが、改めてクリスのを規格外ぶりを思い知る。

 

「短期間でこれほどとは……。貴方たちは……一体……」

 

 ゼロの真っ直ぐなブルーグレイの視線を受けた俺とクリスは、さっと目配せし合った。

 

「ミスタ・フルヤ。先ほどは調査会社の人間だと自己紹介をしましたが……あれは嘘です」

「……でしょうね。情報の真偽はこちらでももう一度確かめますが、これほどの情報を集められる人間がただの調査会社勤めとは思えない。奴らは組織外に自分の正体をそうそう悟らせるようなヘマはしないし……武器流通ルートと違法薬物ルートから逆算して組織に繋がる企業を割り出すなど、絞り込みにどれほど時間が掛かるか」

「ご理解が早くて助かります。……では、あの組織でバーボンのコードネームを持ち、探り屋として認められているあなたならご存知でしょう。我々は、秘密結社ライブラの一員です」

「な……っ!?」

 

 クリスのカミングアウトに、ゼロの表情が驚愕に彩られる。信じられないと表情にありありと出ている。……無理もない、俺がゼロの立場だったら、すぐには信じられん。

 

「あのライブラ、ですか」

 

 疑わしい、という棘の籠ったゼロの呟きに、場が膠着するかと思いきや。助け舟を出したのはゼロの上司だった。

 

「実はな降谷、我が公安とライブラ……スターフェイズ女史とは一年前から繋がりがあってな……。今回、お前が組織からの監視から逃れたのを機に、本格的に協力体制を結ぶこととなった」

「! ……なるほど、ライブラを騙る者ではないと。確かに、あの情報も、世界の均衡を保つべく暗躍しているというライブラなら納得いきます」

 

 硬い声に滲んだのは、探り屋としての矜持だろう。謎に包まれた境界都市の中でも更に実体のつかめない秘密結社。その構成員なら、己の知らない情報をここまで掴んでいても何ら不思議ではない──そう自分に納得させるように言い聞かせているのだろう。

 愛国心の人一倍強い、自分の優秀さを良く分かっているゼロからすれば、HLにいる人間に、自国の企業に扮する組織の情報を先に掴まれたというのは業腹だろうが。ライに向けていたようなクリスや俺への敵愾心が表面上に表れないのは流石と言うべきか。

 

 

「本来なら、我々の職務はHLから異界の技術・生物が流出し、世界に不可逆の混沌が侵食し、滅びかねない事象を回避すること。ただの犯罪組織というだけなら、その規模や被害に関わらず、我々が手を出す領域ではない……皆様、各国の治安組織にお任せする領分。そのため保留程度に留まっていましたが……そうも言ってはいられない事態になってしまった。未完成でありながら体内から検出されない毒となり、研究が進めば若返りの妙薬の再現となるAPTX4869は、この世界に存在してはならない毒薬だ」

「ええ……そうでしょうね。ですが、何故一年経った今、本気で公安と手を結ぼうと? ここまで独自に調べられる情報網と諜報員が居るのなら、今日までに奴らの一部でも潰す機会も力もあったはずだ」

 

 

 おっと、顔に出てないだけで敵意満々だったか。ライブラは既に官房長の許可も取ってる協力組織であって、FBIとはワケが違うってのに……溜息を全力で吐きたくなった。隣のクリスは刺々しい言葉にもどこ吹く風で泰然としているが。

 

 

「その疑問はごもっとも。だが、我々もHLの外の組織にかかずらっていられるほど暇ではありません。なにしろHLは毎日のように爆弾事件やらデモやらテロまがいの暴動・狂騒が起きる街。13王の数人が直接ちょっかいを出してくる。APTX4869の一件がなければ、ライブラとして手を出す理由は何もなかった」

 

 淡々と説得するクリスの声には、同情を誘うだとか敵愾心を突っぱねようだとかいうような、一切の情が含まれていない。事実そのままを冷静に述べているだけだ。

 

 彼女がライブラのために日本警察と手を結ぼうとし、その過程で俺を助けようとしなければ、ライブラが黒の組織を目に留めることなんて無かっただろう。異界武器を持ちだそうとすればそれ相応の報復をしただろうが、組織丸ごとを壊滅させるべく動こうとはしなかったに違いない。今こうやって、クリスの助力を得られているのも奇跡に等しいのだ。

 ライブラで黒の組織に関して動いているのは俺とクリスのみ。当然だ、ライブラの目的にあの組織は含まれない。血界の眷属がらみでもない。クラウスとスティーブンは役職上、俺がライブラに加入した目的が黒の組織を追い、情報を得るためだと知ってはいるが、手出しはしてこない。それでよかった。これは表……俺たち警察の領分だ。クリスだって、情報網の提供と助言のみに留めていて、きちんと契約通りに線引きしてくれている。

 思考の怪物と言われたって人間だ。クリスが捌く仕事量は、今まで過労死していないのが不思議なくらい膨大で、他人に任せることも手伝うことも出来ないほど複雑だ。それにプラスして黒の組織について調べてくれなんて、口が裂けても言えるはずがない。言いたくもない。そんな泣き言を言うのは、自分が許せなくなりそうだった。

 

 クリスが協力してくれている今この状態は、彼女の気まぐれと温情によって成り立っている。ゼロはそれが分かっていないからこそ、物怖じせず言えるのだ。ゼロの上司はヒヤヒヤものだろう、ここでクリスの機嫌を損ねれば、ようやく進み始めていた組織壊滅の道が途絶えかねないのだから。公安に協力する予定の「燕」だって、クリスの意向があるから手を貸そうとしてくれているのだ。今この会話を「燕」の誰かが聞けば、クリスが許そうともクリスへの侮辱に激昂するだろう。彼らの忠誠心は古い時代の主従関係に等しいものがある。

 

 

「そもそも、あの組織に目を付けたのは、彼をこちらに引き込むための条件として適切だったからにすぎません」

「……彼?」

 

 胡乱げに片目を眇めるゼロを前に、クリスが横目で俺を見た。それに、俺はしっかり頷いた。

 

「ミスタ・フルヤ。今日この日まで貴方に彼の存在を隠していたことを謝罪します。危険だからとはいえ、半年も貴方に要らない心労をかけてしまった」

「……いや、クリスが謝る必要はないぞ? 悪いのは俺のことをバラした工作員どもだろ」

「……は?」

 

 今までクリスの存在感にまぎれるように、意識的に抑えていた存在感を解き、口調も檜山から俺自身のものに変える。クリスばかりに刺すような視線を送っていたゼロの目が、ようやくこちらを向いた。

 檜山の時はこの存在感によるトリックを度々使っていた。ライブラとして人前に立つときのクリスのカリスマオーラは、リーダーとして振る舞っているクラウスに等しいものがある。それを利用すれば、同じ場に居ても俺の印象は限りなく薄くなる。マジシャンが使う視線誘導の応用だ。俺のことを誰かが聞き出そうとしても、クリスに視線が言ってしまって、俺に関しては外見特徴すらぼやけるぐらいの存在感の薄さになる。死人として扱われている俺が、檜山満として暗躍するには必須スキルだった。

 HLの外でこのスキルと認識阻害系の幻術諸々込みの変装の皮を、他人の前で解くのはこれが初めてだ。クリスがGOサインを出したのなら、ゼロの上司もシロ、この部屋にも隠しカメラ()盗聴器()は届かないのを確認済みということ。躊躇う要素は微塵もなかった。

 

 

「──今まで会いに行けなくてすまなかった」

 

 

 被っていた檜山のマスクに手を掛け、声を変えるために使っていた術を解除。高かった声が元の地声に変わる。

 鋭かったブルーグレイの瞳が、限りなく見開かれて冬の青空のようなアイスグレーに色を変えるのを見ながら、俺はニッ、と不敵に笑ってマスクを脱ぎ捨てた。

 

「元気そうで安心したよ…………ゼロ」

 

 

 あの忌まわしい日を覚えている。忘れるはずがなかった。

 身元が分からなくなるほどに燃やし尽くされた遺体はあいつと同じぐらいの体格。胸元には銃で心臓を撃ち抜いたような痕。近くには見間違えるはずもない、あいつが使っていた携帯が撃ち抜かれて壊されていた。同じフロアに運よく火の手から逃れたアイツの髪や血痕が残っていたことからも、スコッチは無事処分された────あの忌々しいライによって。間に合わなかった────その後悔が、この半年ずっと身の回りをついて回っていた。

 

 

 だから────目の前で起きているこれは、疲労が見せた幻覚じゃないかと、自分の脳味噌すら疑ってしまいそうになる。きっとスコッチが……諸伏景光が実は生きているという、自分にとって都合のいい現実を認めたいと思ってしまう自分の弱さと、夢から覚めた時の絶望感を認めたくなくて、拒絶してしまいたくなる。

 だが、死んだはずの男が俺の前で、見慣れた不敵な明るい笑顔から、拗ねたような、困ったような顔をして、そんな幽霊でも見たような顔をするなよ、と再び口を開いてしまったら……自分の頬をつねるより先に、勢いよく立ち上がって駆け寄ってしまうのは、きっと不可抗力だ。

 むんず、と掴んだ男の顔は人肌の暖かさがあった。青い釣り目に無精髭、一年前とほとんど変わらない諸伏景光がそこにいた。

 

「本当に、景光、なのか……?」

「おう。お前の幼馴染で元警視庁公安部所属、そんでスコッチだった諸伏景光だ」

「……!」

 

 伸ばされた手が、無造作に自分の金髪を撫で繰り回す。その温かさに、目の端がジワリと滲んだ。

 

 

 生きている。今ここに、確かに、生きているのだ。

 

 

「っ、この、大馬鹿野郎…………!!」

 

 

 一年前に大事なものを失ったあの日から、ずっと重石のように心の奥底で(こご)っていた行き場のない感情が、目から零れ落ちる雫となって融けていく。硬く結んだ口の端が、力を入れられずにへなへなと緩んだ。涙で滲んだ視界に映る友人が少し慌てたような表情になって、そうしてほどけるように苦笑した。あたたかな腕が肩に回る。額とこめかみから伝わる温度が、ただただ嬉しかった。微かに聞こえた心音に、夢ではないと目を瞑ると、まなじりから一粒涙が零れた。ああ、もはや感情の制御が効かない。

 この時、ようやくただの降谷零として、感情も表情も取り繕うことなく、本当の意味で泣くことが出来た。

 

 旧友たちの心温まる再会に、温かく見守っていたクリスと降谷の上司は、目配せをして、ただただ見守っていた。

 

 




無事再会。

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