体内の水が干上がるような感覚さえ覚えるほど、涙をこんなに流すのは久しぶりに思えた。
「落ち着いたか」
「……ん」
年甲斐もなくボロ泣きしてしまい、少しの気恥ずかしさもあるが、いつまでも俯いては居られない。ひとつ気分を入れ変えるために大きく深呼吸した私が顔を上げると、蒼く澄み切った双眸と至近距離で視線がかち合った。
2年の歳月を共にしても、たまにこの神造の美は正視に耐えがたい。いい意味で。顔が良すぎるのだ、彼は。若干心臓が跳ねあがったのを感じて即座に血流操作し、顔に朱が上るのは阻止した。
が、この朴念仁の相棒はするりと手を伸ばして、親指で瞼の下、涙袋のあたりを親指で撫ぜた。無表情のままだが、どこか愁いを帯びた眼差しが、労わるような手つきがカルナの心情を切実に訴えてくる。
「……腫れてしまったな」
「年甲斐もなく泣いたからね……」
「我慢の必要もあるまい、顔が台無しになるほど感情を爆発させるのも、時として必要だろう」
……ええと、恐らく時には大泣きして感情を発散させるのは人として当たり前で、そう年甲斐もないと恥じる必要はない、と励ましてくれたのだろう。相変わらず肝心な一言が足りない。
「台無し……そんなに酷いのか……ああ、化粧が落ちたのかな」
ぐい、とわずかに熱を持つ瞼を擦れば、滲んだアイシャドーやマスカラが手に付いた。ああ、これならメイクが溶けてパンダになっていても無理はない。カルナが酷いと言うのも無理はないだろう。熱を持ったせいか痒くなり始めた瞼を再度擦ろうとしたら、手首を掴まれ止められた。
「擦るな、傷めるぞ」
「痒いんだよ……もう一旦化粧落とそうかな」
「その方がいいだろうな」
カルナに手を離してもらい、バスルームに移動する。確かに目元中心にぼろぼろに剥げたメイクにうわぁと顔をしかめ、慣れた手つきで化粧を落とす。特異点の旅先ではおちおち化粧などできるはずもなく、サーヴァントの数も私達マスター側にも余裕が無かったオルレアンやローマを旅した頃はすっぴんなどいくらでも彼に見せてきたため今更だが、興味深げに背後から鏡越しに見られているのを感じると、どうも居心地が悪い。
「……見てて楽しいものじゃないと思うんだけれど」
「そうか? オレとしては興味深いが」
「ええ……?」
顔を洗い終えてタオルで拭きながら、鏡越しに胡乱な目を向けると、壁に寄りかかっていたカルナはふっとやわらかな笑みをこぼした。
「しばらく見ないうちにより綺麗になったと、感慨深く思っていただけだ」
「えっ」
思わず口説き文句のようなセリフにびしりと固まる。
彼とは2年間ずっと旅を共にしてきて、絆もマックスの10だ。マハーバーラタでもその義理高さが人気を呼ぶ彼だが、伝承にたがわず最初からマスターとして素人もいいところの私に正当な忠言はあっても、勝手に行動することはなかった。
絆を深めるごとに互いのことが理解できるようになり、次第にカルナの言動も真意を翻訳できるまでになったのだが……彼も「自分の中で完結してしまって肝心な伝えるべき一言を言わない」「一言多いせいで無自覚に相手を煽る」という矛盾にも思えるコミュニケーションにおいて致命的な口下手を直そうと努力する過程で、何故か口説き文句に近い甘い言葉が増えた。なんでさ。
そもそも嘘や虚飾と無縁の英雄である。言動は素直で的を射すぎているからこそ、忠言が刺さって相手を逆上させる。ゆえに、必要ないだろうと胸に秘めてしまう部分の言葉を言うようになれば、施しの英雄、聖人とも後生に謳われる徳と慈悲深さが顔を出す。
だから心臓に悪い。……嘘に塗れた人間の言葉に騙され続け、曲者揃いの政財界の人間と渡り合う過程で、自分のそれなりに恵まれた、利用価値のある見目を称えるお世辞など聞き飽きた私には、嘘などない、真っ直ぐな好意はより胸に刺さるのである。二人きりでも滅多に見せない穏やかな微笑みつきで言われようものなら、赤面しないではいられないほどに。
「特異点を巡る旅ではそれどころではなかったからな……魔力不足で憔悴しきったお前も見てきた身としては、元の世界に戻って不足なく、お前らしく生活している様子を見れるというのは喜ばしい。……どうした、何か気に障る事でも言っただろうか」
「イエ、離れてる間に免疫落ちたなと思ってるだけだから……気にしないで……」
タオルに赤くなった顔半分を埋めるように隠したまま、ふがふがと返事を返す。私の回りくどい返事にきょとんと目を丸くしていたカルナはふと視線を動かした後、途端に笑みを深くして、楽しげに喉を鳴らして笑うのだった。俯いて顔を洗っていたせいで、髪の間から覗いた耳まで真っ赤に染まっていたのを見止めたのだと私が気付くまで、あと数秒の事である。
その後、恥ずかしさが極まった私はバスルームからカルナを追いやりさっさと化粧を済ませ、紐なしバンジーで崩れた髪も整えたところで、霊体化したカルナを伴いライブラの事務所に向かった。
今日は珍しく非番の日だったのだが、英霊召喚が出来るようになったことはクラウスとスティーブンにはせめて説明しなければならない。なにしろ、失踪中に一番胃と心を痛めていたのがこの二人である。英霊の存在は大きい。力もそうだが……なにより個性が強い。古代王とか為政者系とか頼光さんとかキアラとか。今後は自宅に英霊が闊歩することだって考えられる。同居しているスティーブンの承諾は不可欠だし、もし支障が出るなら、複数所持しているセーフハウスに移動することも考えなければならないだろう。……ウェデッドという家政婦を雇っているとはいえ、スティーブンの健康と精神状態と私の心の安寧のために、出来る限り別居はしたくないのだが。
リトルチャイナタウンの細い路地を抜け、ところどころ塗装の禿げた色褪せた中華扉を開け、エレベーターに乗る。ライブラに繋がる幾つかの扉のうちのひとつである揺り籠は、外観の建物とはそぐわない動きをしながら数分横移動と縦移動を繰り返し、ようやく停止した。
「クラウス、スティーブン、居る?」
ドアを開けてひょっこりとライブラのオフィスを覗き込めば、デスクでコーヒーブレイクをしていたらしい義兄と視線が合った。驚いたのだろう、ぱち、と瞬きをして私の目より少し薄い蘇芳色の双眸を丸めた彼は、少し高い声で尋ねてきた。
「あれ、クリス。今日は非番だって言っただろう、どうした」
「ちょっと相談というか報告したいことがあって……」
「……緊急事態かね?」
スティーブンとはまた離れた個人のデスクに座っていたクラウスが顔を上げる。パソコンに前のめりで齧り付いていたところを見るに、オンラインで趣味のプロスフェアーに興じていたのだろう。それでもこちらを優先しようと、銀縁の眼鏡の奥できらめきを放つ明るいグリーンの目で射抜いてくるクラウスに、私は後ろ頭を掻いた。
「緊急性はないんだけど、今後に関わる重要なことなんだ。聞いてもらえる?」
「無論だ。ギルベルト、クリスにもお茶を」
「畏まりました、クリスさん、今日は紅茶とコーヒー、どちらになさいますか?」
「ありがとうございます、紅茶をお願いします」
すぐに重々しく頷いたクラウスと、デスクの上のラップトップを閉じてマグを手にソファーへ向かってくるスティーブンの向かいのソファーに腰を下ろす。丁度ふたりとギルベルトさん以外は出払っているらしく、事務所は心地よい静けさが満ちている。離れた場所でギルベルトさんが紅茶を淹れてくれるBGMに、居住まいを正して話を促してくれる二人に、私はためらいがちに口を遙々開いた。
「……私が堕落王の魔法陣事故に巻き込まれて失踪している間、私が
「ああ、過去にレイシフト……だったかな、タイムスリップ技術を使って過去のありえないはずの歪みを正すことが出来る研究機関に落とされた矢先に、そのタイムスリップが可能な素質を持った人間の大多数が内部犯の爆破テロで瀕死の傷を負い、何故か異世界から来たはずのお前がその素質を持っているという状態で、もう一人生き残った適性者と共に、なし崩しに最後のマスターとして英霊と呼ばれる使い魔と一緒にタイムスリップを重ねた、そうだったね」
「そして一年の歳月を懸けて人理焼却は阻止された。世界は救われた……。そして止まった人類の時間が動き出したもう一年の間にも、元凶だった魔神柱の生き残りが生んだ過去の歪み、特異点の修復にあたり……完全に歴史が修復された以上、もうレイシフト技術はいらないだろうと判断された2年間の最後に、クリス、君はこちらに還ってくることができた」
説明したのは随分前だというのに、大まかな流れを覚えているあたり流石としか言いようがない。
二人の言葉に頷いた私は、遠慮がちに、歯切れ悪く言葉を紡いだ。
「協力してくれた英霊たちは、こっちに還ってくる前に、彼らが還るべき英霊の座に還ってもらった。……そう思っていたんだけど」
「けど?」
「英霊たちが私に内緒で、もしこちらの世界で身の危険が迫った時、英霊を召喚できるように、還る手段にこっそり細工をされてたらしくて。英霊たちをこっちでも呼び出せるようになりました……」
「……なんだって?」
「それは……慕われていたのだな、流石と言うべきか」
ギルベルトさんが苦笑しながらも私の前に紅茶を置いてくれた。並大抵のことでは動じない二人でさえ言葉を失うレベルである。一応、二人に乞われて人理修復の旅はかなり端折ってはいるが全て語っている。口伝で想像するのは難しいだろうが、英霊の力がどれだけ強大かは何となく察しているだろうからこその反応だった。
「ちなみに、テロ直後に強制的にレイシフトさせられた冬木で最初に召喚して、ずっと私と戦ってくれた相棒のサーヴァントが今、見えないだろうけど護衛してくれてる」
「……すごいな、全然気配を感じないぞ」
「うむ」
きょろ、と辺りを油断なく見渡す武人の二人も霊体化したカルナの気配は捉えきれないのか、ソファーの背を挟んで私の斜め後ろに立っているカルナとは全く違う見当違いな方向を見ている。
そんな二人を見てか、ずっと黙って控えていたカルナが不意に口を開いた。
『……マスター、二人さえ良ければ少し話をしてみたいのだが』
「そう? クラウス、スティーブン。二人さえ良ければ話をしたいって言ってるんだけど、どうかな」
「こちらの方こそ、クリスティアナを支えてくれた英霊にはお礼を申し上げたいところだ」
「僕も構わないよ。お前が自慢げに話してくれた大英雄を拝んでみたいね」
一応異世界の存在であり、一騎で都市や国を滅ぼすのも魔力さえ許せば簡単にやってのける、いわば戦術級の兵力である。吸血鬼という不死を相手にしている以上、そう簡単に引け腰になることはないと分かっていても、遠慮はするものだ。
そんな私の憂慮を跳ね飛ばすように、二人はあっさり快諾してくれた。その様子に少し笑ったような気配がしたと思えば、ソファーの背を軽々飛び越え私の隣に降り立ちながら、カルナが霊体化を解いた。淡い粒子を纏っていきなり目の前に現れた黄金の英雄に、二人が揃って目を剥く。
「──お初にお目にかかる。サーヴァント、ランサー。真名をカルナと云う」
「これがマハーバーラタの大英雄か……! 神話通り聞きしに勝る威容だな……!」
即座に名前を聞いて原典を言い当てるあたり、スティーブンの知識量は相変わらず裾野が広い。そんな明後日の方向の感動をよそに、勢いよく立ち上がったのはクラウスだ。躊躇いなく一礼する動作には相手への敬意と育ちの良さが漂っている。
「こちらこそ、お会いできて光栄です、施しの英雄。私はクラウス・V・ラインヘルツと申します。この秘密結社ライブラのリーダーをしております。わが友、クリスティアナを支えて頂き、誠に感謝申し上げる」
「礼など不要。サーヴァントとして、英霊として当然のことをしたまでの事」
生真面目に礼を述べるクラウスに、カルナは淡々と返した。その冷酷なまでに変わらない無表情と温度のない突っぱねたような言葉に不安に思ったのだろう、クラウスはさらに感謝を重ねた。
「しかし、貴方がた英霊の支えあってこそ、クリスは無事に帰ってくることが出来た。このHLでも類を見ない人類の歴史そのものという困難が立ち塞がり、奇跡のような旅路を重ねてきたと聞いております。上司として、友として、感謝申し上げるのは当然です」
だが、とかカルナが言い返して、エンドレス一方通行に見えるお礼合戦が始まりそうな気配を察知した私は、ひらりと手を振った。
「クラウス、解りにくいけどちゃんとカルナはクラウスの感謝を受け取ってるよ、大丈夫」
そんな私の言葉に、
「む、そうなのかね」と眼鏡を光らせ口をつぐむクラウスと、
「また言葉が足りなかったか、クリス」と首を傾げるカルナ。
「足りないのもあるけど、君の言動に慣れてない二人にはそっけなく突っぱねてるようにしか聞こえないと思うよ」
私みたいに君の発言を噛み砕いて翻訳した副音声が聞こえてくるぐらい仲が深まってるわけでもあるまいし、と身体はクラウスへ向けて頷きを返しながら、心中でひとりごちる。初対面の絆0では意思疎通に大きな齟齬があるだろう。表情筋を動かさないまま冷ややかに言うものだから、相手はそのままの印象を受け取るに決まっている。
マスターに召喚されたサーヴァント、英霊として、マスターの身を守護し戦うのは彼にとって当然のことであり、マスターの為に二度目の生で槍を振るうことを召喚された報酬と捉えるような聖人の彼なりの謙遜だ。特別なことではないからこそ、そう仰々しく礼を述べずとも良い、という気遣いが通じないのは、見ている身としては歯がゆいものだ。
「私を護って戦うのが君にとって当たり前で、特別なことではないからそう畏まらなくてもいい、そういう意味だろう?」
「ああ。……流石、お前は丁寧にオレの足らない言葉を汲み取ってくれるな」
解釈はどうも間違っていなかったらしい。ふっと笑みをこぼしたカルナに、クラウスがふむと顎に手を当てた。
「なるほど、そういう意味でしたか。思慮が至らず申し訳ない、我が不徳の致す所」
「いや、今のはクリスの解説がないと分からないだろう……僕はスティーブン・A・スターフェイズ。クリスの兄弟子だ、どうぞよろしく」
律儀に謝るクラウスに呆れ顔で肩を竦めたスティーブンは、カルナへ手を差し出した。差し出された手とスティーブンの顔を見比べたカルナが、一拍置いてその手を握り返す。
「お前がマスターの
「そうなのか」
強張った表情をほどいて、きょとんと目を丸くするスティーブンと、とても嬉しそうに凶悪なまでの笑みを浮かべるクラウスに私は顔をそらした。いやその通りなんだけど面と向かってそんなこと言わなくても。座りが悪くなるじゃないか。私の挙動を見たカルナがそう恥じることでもあるまい、と言うけれど、生憎私は君ほどの素直さは持ち合わせてないんです!
「いいや、お前は言うべきことはたとえ耳に痛い忠言であっても、相手の為を思ってきちんと相手に伝えられる人間だろう。でなければ、オレのような口下手を補うなど出来はしまい」
「ぐっ」
まぶしい。
照れ隠しに卑屈なことを言ったら倍返しで褒め殺しに遭って、不利属性から不意打ちでクリティカルヒット食らった気持ちになった。私のカルナがぐう聖すぎる。……やめて、私のHPはもうゼロよ……とサブカル大国日本から来た立香がよく口にしていた言葉を借りながら手で顔を覆う。
「あー、うん」
ぐだぐだな空気を察知してか、ごほん、とわざとらしく咳払いをしたスティーブンは、打って変わって鋭い眼光をカルナへ差し向けた。剣呑に閃く蘇芳。空気が一瞬で張りつめたものへ変わり、気温も心なしか数度下がったような感覚を覚える。長い足を大仰に組み替えて、仮面の微笑みを着けた彼は私の兄ではなく、無法者たちを恐れ震え上がらせる氷の副官として言葉を紡ぐ。
「さて、施しの英雄。異世界の、とはいえ恐らくこちらに伝わっている英雄像とそう変わらないだろう。クリスティアナと最も長い時間を過ごした君を英霊たちの代表として問おう。これから君たちはどう行動するつもりだ?」
「どう、とは。抽象的過ぎて判断しかねるが」
「ああ、すまないね。基本的な行動指針を聞きたいんだ。クリスを気に入ってこっちまで来たぐらいだ、共にいることは決定事項としても、その大いなる兵力を解放する気はあるのか。それは何を指針として判断するのか。世界の均衡を保つライブラとしては、それをハッキリさせておきたい」
スティーブンの問いは至って当然で、今一番の問題でもあった。皆、私が望めば世界を救う手助けをしてくれるだろう。私の指示にも従ってくれるだろう。けれど、私の我儘やエゴで、心と行動が伴わないまま、仕方ないと妥協してくれている時もあるのだ。だからこそ、私も彼らが何を思ってどう動くことを望んでいるのかを聞きたかった。何より、
「クリスティアナによって使役される
イ・ブルーリパス・ウナムでのことを引き合いに出す義兄は真意を読ませない微笑みを湛える。
圧倒的スケールを誇る金字塔、三大叙事詩に語られる、今なお絶大な人気と知名度を誇る大英雄。インド三大神にして互いに不仲な雷神インドラと太陽神スーリヤの息子同士。英雄王より古い、まだ神々の影響が色濃く及ぶ神代に生きて覇を競い合った武芸の達人にして神の子の二人が、神代が終わり神々の恩恵が薄れた時代の、しかも神々の影響が最も遠かった未開地である北米大陸でぶつかりあったのだ。
神代の真エーテルが満ちる頑強で回復力に満ちた環境であればまだしも、神秘の守りが極めて薄かった大地に神代の破壊力を持ち込めば、生態系をぶち壊しにする破壊力を周囲に撒き散らすのは必至。カルナの奥義『
神々の茶々が入りすぎた生前と違って、なんの介入もないアルジュナとの一騎打ちという宿願叶ったカルナが若干ハイになって魔力配分を珍しく考慮せずにごっそり魔力持っていきながら、楽しそうに生き生きと戦ったあの戦いはまさに神話の再現といってよかった。エアーズロックなみの大岩を切断してその切断面から爆発とかインド怖い。
その時のうかれようを思い出したのか、口調は丁寧なのに圧を感じるスティーブンの言葉に、僅かにカルナは口端を曲げた。
「……耳に痛い話だな」
「強すぎる力は使い道を考えなければ、周囲に被害しか生まない暴威以外の何物でもない。それをわきまえているだけだよ、我々は」
「道理だな。……ふむ、オレをマスターが召喚した英霊全員の代表として、と言っていたが。英霊と一括りにしても我が宿阿のような英雄らしい英霊もいれば、反英雄と呼ばれる人間に反旗を翻したものまでと様々なのでな、確証はしかねるが……恐らく、貴殿が心配しているようなことは起こるまい。
我々英霊は本来、契約が終われば現世には留まらず、英霊の座にいる本霊にマスターとの記録を持って還るのみ。
だが、この世界には英霊の座はなく、本霊より完全に決別した我々は最早、その指輪以外に還る場所を持たない。その指輪が破壊されるようなことがあれば、二度とマスターの元に馳せ参じる奇跡は起こらないだろう。
……だが、オレたちも指輪を破壊されれば、本霊に還ってマスターとの記憶を本霊の記録に残すこともできないまま、主人を失った使い魔として行き場なく彷徨う、あるいは消えるのだとしても構わないと、そういう意味で、覚悟をもって『着いていく』と答えた。それほどまでに、我々はクリスティアナ・I・スターフェイズという人間を愛した。人理修復を成し遂げ続いていく世界を見届け、今を生きる人間の望みを叶えるべくサーヴァントとして召喚されるよりも、たとえ世界の異物として存在し、他の人間や世界そのものに存在を否定されようとも、クリスティアナという一人の人間の生命の終わりまで、彼女が我々を見限らない限りは、添い遂げ見届けたいと願ったのだ。……英霊一騎だけでもこのような考えに至るのは異なこと、それが召喚された全員というのだから、貴殿の妹は実に英霊たらしだぞ」
珍しく饒舌に語ったカルナの説明を受け、スティーブンは完全に頭を抱えていた。対する隣のクラウスは比較的凶悪ではない微笑ましいという類の笑顔を浮かべているのだから対照的な二人である。ちなみに私もできるなら頭を抱えるかここから逃げ出したい。しれっとした顔で褒め殺しにされて嬉しいやら恥ずかしいやら、うっすら察していた衝撃的な彼らの覚悟を改めて宣言されて身が引き締まるやら忙しい。
額に手を当てたまま、視線だけを持ち上げてカルナを見たスティーブンは、掠れた声で問うた。
「……つまり、完全に君たちはクリスの味方であり、クリスを絶対に裏切れない、裏切るはずがないと、そういうことだね? この子の意に沿わないことはしないと」
「英霊によっては、マスターの予想も超えた突飛なことを考える者もいるだろうが……行動、手段の善悪を問わず、その動機は最終的に“マスターのため”に至るだろう。少なくとも、マスターの不利益になることはしない。周囲に少々迷惑はかかるかもしれんが。戦闘においても同様だ、マスターの命に関わる案件でもなければ、指示に反する行いはするまい。それだけの絆を結んできた、マスターの指示の的確さは皆知っている」
「オーケー、分かった。それだけ分かれば十分だ。……本当に、仲が良いんだね」
降参だとハンズアップするスティーブンに、無論だとカルナは頷く。
「オレには勿体無いほどのマスターだ。幾度か聖杯戦争に参加し、マスター運には恵まれている方だと思っているが、彼女ほどオレを理解してくれる者は珍しい」
「カルナも口下手を克服しようとしてくれてるからだよ」
「そうか」
私達がのほほんと微笑み合っていると、スティーブンが疲れたようにがっくりと大げさな動きで肩を落とした。
「……まったく、結婚してもいないのに娘が彼氏を連れてきた気分を味わうことになるなんてね」
「しかしスティーブン、クリスに心からの理解者が増えることは喜ばしいことだ」
「いやまぁそうなんだけどね? 兄貴としては複雑なんだよなぁ」
軽口を叩くスティーブンからもうカルナを警戒するプレッシャーも緊張も感じられない。仲間内に見せる穏やかさだけが残っていた。それを見て、とりあえずは認められたのだとほっと胸をなでおろした。
カルナ
二人の話は前から聞いていたので会えて嬉しい。スティーブンから警戒されているのは気づいていたが、同じ兄の立場なので兄としてクリスを心配しているのだろうと解釈してあまり警戒を気に留めていなかった。言葉を交わすうちに貧者の見識でクリスと同じく、大事なもの、今回の場合は兄弟を守ろうと大衆に悪と呼ばれる行い、悪人のような振る舞いをしてでも護る覚悟のある人間だと見抜き、かつての主人の面影を見て、自分の中の悪の振る舞いと理想の乖離にもがき苦しむあり方に(無意識に)宿痾の影を見た。ひっそりとクリスの次に護る対象にしようと決めた。英霊たる彼にとって宝である、未来を生きる人間の一人。それも大事なマスターが愛する兄ならば護る理由には十分だろうと。そんな通常運転のマイペースさでスティーブンの調子を崩した人。クラウスに関しては時代が時代ならば英雄ともてはやされるだろう、最先端の英雄になれる男だと興味深く思っている。
スティーブン
唐突に妹が彼氏を連れてきた気分を味わった人。お兄ちゃんは許しませ……あっうん君ら仲良しだな……。
人間不信だったクリスがめちゃめちゃ信頼して、相手の言葉足らずすら読み取るほどに絆を深めたカルナに家族としてちょっとばかり嫉妬している。それ以上に話だけ聞いていても驚異的すぎる破壊力を有する英霊の中でも、トップクラスの性能を持つ大英雄を冷静に危険視していた。この2つが混じり合ってピリピリしていたのだが、カルナにはお見通しだった。マイペースすぎるカルナに話を持っていかれそうなのを頑張って主導権握り直して問い詰めた。実力を目の当たりにする機会があったら、こいつら絶対牙狩りに知られるのも野放しにするのもアウトだと悟る。特に新茶がやばい。無辜の吸血鬼と鬼ズもやばい。天草四郎と殺生院キアラはもっとやばい。
このあとサーヴァントたちとの奇妙な同居生活が始まることをまだ彼は知らない。幽霊がいっぱいやで。しばらく唯一の楽園だった自宅も気が休まらずに鬱々としながら事務所に泊まる日が増える日々を送る。仕事は優秀だがクリス同様自分の幸せと健康を犠牲にしているので、不摂生な生活を心配されて世話焼きサーヴァントに構われることになる。最終的に諦め……ほだされて慣れる。クリスほどではないが一度理不尽を諦めてしまえば適応能力は並以上にある男。