簡単に言うと幕間と言うには長く、亜種特異点と言うには微妙なとある夢の話。なんちゃってマハーバーラタ。書きたいところだけ。
「貴方だけいて下されば、私は──」
「■■■、お前は神の怒りに触れたぞ」
「知っていたって受け入れられるものか、こんな、こんな──!!」
だだっ広い荒野、つい先程まで操っていた、こんな結末になった全ての原因になった車輪の取られた戦車、そして青い矢の持ち主からも、遥か遠くまで落ち延びて。膝に抱え込んだ私の大事な英雄は、消えゆく命の灯火の最後を燃やして、満足に上がりもしないだろう片腕を持ち上げようとして、数センチも浮かせずに力を失くした。空よりも蒼い瞳がどんどん濁りを増していくのが、あまりに悔しくて、哀しくて、やりきれなくて。血にまみれた白皙の頬にぼろぼろと涙が滴り落ちながら、己の無力さに血が出るほど唇を強く噛み締めた。
そんな私を見た彼は、喉まで迫り上がってむせた、自分の血で溺れるような鈍い水音の混じった浅い呼吸の合間に、ふ、と薄い笑い声を混じらせた。
「泣いてくれるな、青蓮。この有様では、お前の頰すら拭ってやれないのだから……」
**
目を覚ましたら、見知らぬ森の中の、泉の中に立っていた。
もっと正しく言うのなら、薄紅色の蓮が咲き乱れる泉の中に、ひときわ大きく咲いた青蓮の花弁の中に居た。……花の中に人とは、グリム童話で似たような話を見たことがあるような。
萼から花弁の先にかけて、純白の白から夜明けの空のような、忘れな草色に移り変わるほっそりとした花弁は美しい。人一人をすっぽり覆えるほどの花の大きさは少々異常なまでの成長にも思えるが、ここが夢ならばしょうがない。
そう、きっとこれは夢だ。
明晰夢、という言葉をご存知だろうか。なんのことはない、自分が夢を見ていると認識して見る夢のことである。今の私がそれだった。
私は普段、あまり夢を見ない。睡眠時間が少ないというのもあるし、気絶するように深く眠り込んでいつの間にか朝が来ている、なんてことがざらだったことも関係しているだろう。見たとしても覚えているのは悪夢ばかりで、それに比べて穏やかに見れる夢が増えたのは、マスターとなってサーヴァントたちの生前を垣間見るようになってからだ。今回はそれに似ているから、きっと今回もそうなのだろう。根拠はないが、夢に整合性を求めても疲れるだけだから、それ以上考えずに私は花びらの外へと足を踏み出した。
ぱしゃん。
水面に踏み出せば、靴面から幾重にもさざなみが起こる。ふわりふわりと弾力のあるゼリーを踏むような、それでいて跳ね返されるクッションのような柔らかさを感じながら水の上を歩く私は、はたから見ればさぞ滑稽だろう。いや、天草だって水の上を歩いたという奇跡──実際は本人曰く、無意識に使っていた魔術らしいのだが──を生前成しているのだから、なんとも言い難いのだが。
水晶宮式血濤道、乙の舞”水蜘蛛”。水を凝集させ、表面張力を人体を支えられるレベルまで一時的に上げる技を用いながら、泉の中心から数メートルほどの距離にあるほとりまで歩き、ようやく靴底が地面を踏みしめた。
「これは驚いた」
枯れ木のようなしわがれた声が響いて、声の方に緩慢に振り返った。目を向けた先には、深くフードを被った老人が木製の身の丈ほどの杖を胸元に抱え込み、片膝を立てて大きな巌に座していた。全く気配一つさせなかったその老人に片眉を跳ね上げていると、唯一見える長く伸びた白髭が震えた。
「神の愛し子にお目にかかるとは」
「……貴方は」
「なに、儂はしがない世捨て人。リシ、と呼ばれるもの」
仙人のようなものだろうかと思って眺めていると、老人は節くれだった指先を持ち上げ、一つの方向を指さした。
「太陽と水、風の神々の気配をもつ愛し子よ、
「……運命?」
「然り。その気配を持つならば、かの者と出会うは必定。いずれ巡り合うとしても、神々の詩という定めがある以上、出会いは早いほうが宜しい」
「そう。ありがとうございます」
指し示した方角に足を向け、泉から離れる。足の進むまま、流れるままに歩を進めれば、いつしか周囲の景色は人里離れた深い山中から、むせ返るような熱気が吹く、人の街らしき場所に変わっていた。急な場面転換に意味は無いのだろう。不必要な時間経過を削ってくっつけたような乱雑さが許されるのも、曖昧な夢ならではとも言えた。
肌が焦げるような熱を感じる。むせ返るような風は砂つぶをはらんでいるようで、撫でるというより触られているようなざらりとした感触。
ぱっと目を見開いた途端に差し込む日差しの強さに、一度目をつぶった。
瞬きをする。もう一度開いた視界には、カルデアの雪と氷に閉ざされた岩山などではなく、それまで見ていた緑と水気に満ちた森でもなく、赤い砂と土の大地が広がっていた。
さっきまでのおとぎ話のような光景とはうってかわって、人の気配が身近な場所に変わったためか、ぼやけていた意識が徐々にはっきりとしてくる。
ふとずきりと頭に痛みを覚えてこめかみを押さえる。USAが誇る東海岸の一大都市、眠らぬ街、元NYとは真逆だった、コンクリートの気配もないだだっ広い赤茶の大地。世界各国の影響力から遠ざかるために地球の極点に所在を置くカルデアともまた違う。ただ眼前にあるのは土と、所々に点在する木々と川、石造りの建物ばかりである。
通りに面して建てられた屋台に積み上げられているのは、金銀の糸を縫い込み複雑な紋様を凝らした薄絹……インドで女性が纏うサリーのようなものだったり、水を汲むための甕や壺、細工品や木工品。賑やかしい屋台に目を奪われながらも、ぐいと引っ張られるような感覚を覚えて、私はとある場所に移動していた。
再び目を開くとそこは大観衆がひしめく闘技場だった。観衆の注目の先には二人の青年。その片方、原始的な造りながら一目で生半可な力では引けぬ豪弓だと見て取ったそれを簡単に引き絞ってみせた白髪の人物に、私はこの不可解な状況の全てを理解した。周囲の人間の文化レベルから中東かアジアまで絞っていたが、ようやくこの夢の主に思い至ったのだ。よくよく見れば己の身体は半透明で、観衆の身体が触れても感触は感じずただすり抜けるようになっていた。
ああ、これは。
「──君の
一応、カルナを召喚する前から、マハーバーラタは読んだことがあった。流石にサンスクリットの原文は読めないのでアルファベット表記に翻訳されたものだ。教養と暇つぶしにさらっと読んだ程度だが、勧善懲悪であり、終盤のクルクシェートラの戦いでアルジュナがカルナを討つまでの経緯に至っては明らかな神々のアルジュナへの身贔屓が過ぎて、出来レース……と苦々しく思いながら読んでいた。
確かにカルナはその不死たらしめる黄金の鎧を失った状態でも勝てないと神々を戦慄させた上、実力のほとんどを発揮できない状態にあって、相対したアルジュナやその従者クリシュナを何度も追い詰めるほどの武芸者だ。でもそこまでやるかこの野郎と思いながら読んでいた記憶がある。カルナが仕えたドゥルヨーダナは生まれたその時から呪いの子、不吉の子として周囲から奇異な目で見られる悪として描かれ、カルナも悲劇の英雄としての側面は強いが、その生い立ちなどには私も共感を覚えていた。だからこそアルジュナへの神々の施しが気に食わなかったとも言えるが。
そんな気持ちは彼を召喚して、改めて叙事詩を開くまで久しく忘れていたのだが──だからこそ、私は彼を召喚したのかもしれない。
イーリアス、オデュッセイアと並び世界三大叙事詩と呼ばれる大英雄譚。ラーマが活躍するラーマーヤナと並びインドが誇る金字塔、マハーバーラタ。偉大なるバーラタ族の物語という意味の聖典である。
その只中に傍観者としてでも自分がいるというのは、なんとも言い難い奇妙さがある。しかも善側のアルジュナに視点が多く置かれる叙事詩において、悪役であるカルナ側の視点から眺めることになるだろうと思うと、余計に。こちらの世界の神話は誰かの創作や語り物ではなく、遠い昔に「実際にあった」とされる伝記ものだからこそ、カルナやアルジュナ、その他の天属性のサーヴァントが召喚できるのだが……伝説、作り話としての先入観が強い私としては、奇妙な心地になるのは無理もなかった。
「……君が殺される場面を見た時、平静でいられる自信がないなあ」
これがカルナの夢であるなら、幕引きは必ずカルナの首がアルジュナの矢によって飛ぶシーンであろう。人理修復において最も頼りにしてきた相棒が実力を発揮できないまま卑怯な仕打ちで殺されるところを見て、夢から覚めた私はどんな顔をしてカルナやアルジュナに会えばいいというのか。たとえ戦士としてのしきたりを破ってでも宿敵が自分を殺そうとしたのが喜ばしいという、カルナにしてはえらく仄暗い喜びを知っていても、だ。結末を知っていても、心に小さくないダメージを食らいそうで恐々とする。
剛弓を引き絞り的に矢を当ててみせたカルナを、文化的に仕方のないこととはいえ、身分の貧しさを理由に約束のはずの婿取りを拒否する見る目のない
カルナはいつも目にしている身に沿うぴったりとした黒タイツ的な出で立ちではなく、古代インドらしい衣服を身にまとっていた。ただ肌面積が広いので、ゆったりしたつくりの服だというのにより細身に見える。ぴちぴちタイツより服を着ている方が目の置所に困るとは思いもしなかったが、よく似合っている。
その後颯爽と現れた布を頭に巻き付けた色黒の青年──神性の血でも引いていない限り、人の身ではとても引けそうにない剛弓を引き絞り矢を中ててみせた彼は、目深にかぶった布のせいで顔が見えないので確証はないが、恐らく伝説通りならばアルジュナだ。ドラウパディーや彼女の父であるドルパダ王が彼に駆け寄っていくのを傍目に、私は一人ごちた。
「他の誰が認めずとも、私は貴方を、貴方の武芸を称賛するわ。あの日私を、私の生き様を認めてくれたように」
無冠の武芸。そのスキルの名の通り、生前、様々な呪いや制限によってその真価を発揮すること無く終わった、誰にも認められることのなかった弓、戦車、そして槍の、比類ない究極の武芸をカルナは身につけている。このドラウパディーの婿取りでも分かる通り、作中でカルナは身分の貧しさを理由にその武芸を正当に評価されないことがほとんどだった。
きっと彼の性格ならば、袖にされたことも致し方無しとあまり気にしてはいないだろうが……それでも彼のマスターとしては、幾度も力を貸してくれた彼を、魅せてくれた槍の武芸をないがしろにされるのは我慢ならない。けれど実体を持たない、目の前の記録を眺める亡霊の声では誰にも届かないだろうから──せめて、この記録をもつ彼に伝わればいいと、つぶやいたのだ。
カルナ。そう声に乗せた呼びかけは、そう大きくは無かったはずだ。婿が決まり湧く武闘場、アルジュナとドラウパディーに観衆が注目し大歓声を上げる中に紛れてしまう程度の小さな声。
だが、闘技場の隅で行末を眺めていた背中が、勢いよくこちらを振り返った。
「──!!」
真実を見透かす蒼氷が、はっきりとこちらを捉えて驚愕に丸められる。かち合うはずのない双眸、だのにカルナは、一瞬虚を突かれた顔をした後、真っ直ぐにこちらに向かって駆け出してきた。触れられないとはいえすり抜けられる感覚は気分が良くなくて、人混みに紛れるのを嫌ってふよふよと虚空に浮いていた私めがけて、一目散に。嘘だろ。
夢のかたちでサーヴァントの生前の記録を見ることは初めてではなくて、そのどれもが干渉したくても声も手も届かなかったから、予想だにしない事態に私はカルナが私のすぐ傍に来るまで呆然としていた。少々遅れてカルナの後を追ってくる男は、カウラヴァ百王子の第一王子、ドゥルヨーダナだろうか、そんな明後日のことを頭の隅で考えながら。
「オレの名を呼んだのは、貴方か」
「え、ええ。……私が視えるのね」
私を見上げたカルナの呼びかけは、あの燃える地方都市で投げかけられた最初の言葉と似ていた。お前、ではなく貴方、という敬称に内心首を傾げながら、動揺を押し殺して言葉を返した。すると、何を当たり前のことを、と言いたげにカルナが首をちょんと傾げた。
「見えていなければこうして目を合わせて会話をすることも出来まいよ」
いやはいそうなんですけども。
私を見上げてあっけに取られていたドゥルヨーダナ(仮)も、全く同じツッコミをカルナに繰り出すのだった。うーん、この天然ぶりと勘違いされやすい竹を割った言葉選び、出会った頃のカルナを思い出すわ。ドゥルヨーダナがアイタタな感じで頭を押さえる気持ちがよく分かる。
**
(力尽きたので裏設定・解説をつらつらと。やや難解なので読まなくても大丈夫です)
クリスはふと気がつくと、とある聖仙に池の中の蓮から出てきたところを助けられる。戦車の奥義など色々学を授けられた後、下山した先にお前の運命がいると告げられ、忠告に従って下山。この時点では単なる夢と思っていたため、少々強引な話運び、急な場面転換も多かった。そのためあまり気に留めず、話に流され従うままだった。場面転換時に一応「目が覚めている」はずなのだが肉体と魂の分離が進んでおり、クリスにその自覚はなく一連の夢として認識されている。
下山した先にあった街では気づけば武芸大会を観戦しており、その中にカルナを見つけ納得。カルナの生前を夢に見ているのだと認識。流石に相手には見えるまいと思ってこっそり観察していたら気づかれて驚く。
この後なんやかやでドゥルヨーダナに気に入られて宮殿に招かれ、クリスの持ち前の見識の深さから交流を深める。その中で武芸師範ドローナの的場でアルジュナと知り合う。
あまりに長くリアル過ぎる夢に心配になりつつも流されるままになっていたが、途中で夢ではなく監獄島のように魂だけ連れてこられたパターンではないかと気づいたクリスは、特異点としてマハーバーラタが繰り広げられている世界を認識、聖杯を持つ誰かによってマハーバーラタが改変される危険性を考え、ドゥルヨーダナ率いるカウラヴァ側としてパーンダヴァ側との戦争に挑んでいく。この特異点の終末が、きっとアルジュナとカルナという大英雄が雌雄を決するクルクシェートラの戦いだと睨んで。
マスターとサーヴァントでない、友人として関係を築くカルナとクリスだが、カルナの言動から強い親しみを感じて? となる。カルナはクリスから父スーリヤの加護を感じ(実際は死後スーリヤと一体化した自分がサーヴァントとなってから与えたもの)、耳には自分の黄金の鎧と同じ波動を発する黄金にルビーで飾られたピアスを着けていたことから、もしかしたら家族あるいは血縁かもしれないとそわそわしていた。良き友人、同胞としてだけではなく、少しだけ家族愛のようなものが生まれていた。残念ながらどれも自分で与えたものなので見当違いなのだが。
これを見逃さなかったのは日天スーリヤで、カウラヴァとバーンドゥの対立が深まる中、与えた覚えのない加護を持ち、息子の近くに居るクリスを見定めんとカルナの肉体に憑依して接触してくる。サーヴァントのように使い魔にできるレベルにスケールダウンしている神性とはレベルが違う、神代の正真正銘の最高神の一柱とノーガード対面を果たす羽目になったため、流石のクリスもめちゃくちゃ冷汗かくレベルで威圧された。自動的に加護のバリアが強まったので、カルデアで目覚めないマスターを心配し肉体の維持に務めていた加護を与えているサーヴァントが危機だと察して暴れだしかけた。
また男装してカウラヴァの軍師兼戦士として戦場を駆け抜け、二つ名として呼ばれていたサラスヴァティが興味を示して会いに来たりと色んな意味でハードな出会いが待ち受けていた。
神が存在し地上に大きな影響を与える古代インド、神代であるため、神秘の薄れた現代ではあまりパワーのない加護も現実に変化を与えるレベルで大きく影響する。特に肉体の護りがないせいで無防備な魂を保護するため、余計に加護が強まっていた。太陽神ズだと、たとえ大雨が降っていてもクリスが建物から出てくるとそこだけさっと雲が晴れて太陽の光が差す。サラスヴァティの加護は水滴から白く透き通った蓮が咲くエフェクトがマーリンよろしく歩くたびに出たり胸辺りの高さで出てきたりする(クリス本人には見えていない)
スーリヤ、シヴァの配偶神パールヴァティ、エジプト神ラー、水天日光・天照大神の化身、アステカ文明に降臨したケツァルコアトル、バビロニア・ウルクの都市神イシュタル、ギリシャ神話のアルテミス、エウリュアレなどとかなり豪華な加護っぷりなので、加護の証が見えるとぎょっとされる。人によっては眩しすぎてクリス本体が見えないほど。クリシュナ(アルジュナにカルナ謀殺を囁いた親友、ヴィシュヌ神の
ちなみにアルジュナの父であるインドラも、息子が気に入った人の子を品定めするべく、スーリヤのようにアルジュナを介して面白半分にちょっかいをかけようと接触を図るが、それを察知したスーリヤパパによる妨害の数々により阻止される。おそらくエンカウントしていたら神話でよく語られる「神に気に入られた人間が辿るろくでもない末期」が待ち受けていたと思われるのでファインセーブ。
カルナが正史通りクルクシェートラで謀殺され、ドゥルヨーダナがアルジュナの兄のビーマによって倒され、カウラヴァ側の敗北で『マハーバーラタ』通りの筋書きで決戦が終局した後、アルジュナは友を保護するべく、捕虜という名目で男装していた(本名は呼びにくいのでティアと名乗っていた)彼女を手元に置こうとする。
しかし宮殿への護送中、厳重な警備と捕縛の中、アルジュナの目の前で哀しい微笑みを浮かべて天を仰いだ彼女の身体は、最初からまぼろしだったかのように消え失せた。
単なる特異点ではなく悪趣味な何者かによるマハーバーラタの再演。誰かの介入によって変えられることを危惧して参戦した自分こそが唯一の異物であり、正史と何も変わらないままのあまりに異様なひとつの編纂事象、人類記録。「存在しないもの」が物語に干渉しても、修正力によって何も変わりはしないのだと、暗躍した彼女の全ての努力を嘲笑い、厄介なマスターの心を静かに殺すために。
「光輝救済聖典クルクシェートラ~神の詩~」とは
タイトルの「光輝」とはアルジュナの異名「輝く
「
またマハーバーラタにおいてダルマの言葉が最初に出るのは、決戦の地であるクルクシェートラに言及する場面、神の詩が語られた場所もクルクシェートラであることから、「ダルマの地」「正義の地」「真実の地」とその場面が訳されている。勝者によって真実が明かされる正義の地、とも読み解かれる。勝利者の考え、意向こそ正義、真実として世に広まり認知される人類史の通例を考えると、クルクシェートラとは人間の内なる戦い、人の中で繰り広げられる悪徳と美徳の戦いの寓話と後世にて解釈されているのも納得できる。神々が定めた行く末しか辿れない、神性の庇護下にある人類が未成熟な時期において、ギルガメッシュによる神々との訣別以降の人類であるクリスにとっては、許しがたい現実だったとしても。
ハスは泥の中で根を張り、花を咲かせる属性から大地の力を秘め、豊穣、生命力を表す花として世界でも神聖視されている。綺麗な濁りのない水では上手く育たないことから、クリスティアナを表す花として選んだ。今回はアジア・古代インドでの話なので、極楽浄土がハスの形をしている思想から神々がよくハスを台座にしていること、アルジュナの矢筒にもハスが描かれていることからも。
実はハスは宗教でよく聞く「蓮華」のことを指し(レンゲソウの方ではなかった)、しばしば擬人化されているようで、日本での吉祥天女にあたるラクシュミーなど女神たちが挙げられる中に、アルジュナ・カルナの母であるクンティーも含まれる(エジプトの女神もほぼ全員ハスや睡蓮をシンボルとしているとのこと)。ブッダ(釈迦)は生まれたばかりながら歩き出し、最初に地面に足がついたところからハスが生まれ、北に向かって七歩歩んだ足跡の一つ一つから大輪のハスの花が咲いた、という逸話があることから最初のシーンに取り入れました。ある意味マーリンさん。
古代インドでは最高位の美女のことを
古代エジプトにおいてはハスは太陽が登る頃、早朝に花を開くため、太陽王ラーの化身、太陽の花として大切にされ、王家の紋章となるとともに永遠の命、新しい命の象徴とされた。ナイルの花嫁とも。ラムセス二世(オジマンディアス)の墓所からは白睡蓮と青睡蓮の花の残滓が発見され、クレオパトラが睡蓮の香水を愛用したという話が残っている。
またハスをロータス、睡蓮をウォーターリリーと呼ぶのに対し、インドではハスを色で呼び名を区別しているとか。青いものを「indivara」と呼ぶが、これはハスではなくて実は睡蓮。ややこしい。
西洋の聖なる花は白百合だが、ユリに関してトラウマを持つクリス(本編参照)にとっては、どちらかというとロータスの方が似合うのかもしれない。
ハスは7月8日、睡蓮は7月7日の誕生花(クリスは7/7生まれ)。夏の季語であり、7月頃の七十二候「蓮始開(はすはじめてひらく)」がある。花言葉は雄弁、遠くに去る愛、沈着、休養、優しさ、清純な心、など。
白、という意味のアルジュナと、聖なるもの、というクリスティアナを示唆するロータスに「遠くに去る愛」「清純な心」「神聖」とは中々皮肉な偶然である。クリスにはハスを添えたいと思って調べたらこんなにしんどい話が出てくるなんて想像するかよ。またアルジュナの異名に「星のもとに生まれたもの」があるのもまたしんどい。