ライブラ秘書嬢の異世界渡航   作:一星

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※オリジナルキャラクターあり


深淵蛍石

 

 

「はい、おーしまい」

 

 自分の足元から数メートル先、今この瞬間にヒトであったものがただの蛋白質の塊になったところで青年が声を上げれば、背後で抜き出した情報を上へ伝えている上司が「八つ当たりはやめなさい」と、通信中のスマホの画面から目を離さないまま呟いた。

 散々な言われように、表情はへらへらと笑ったまま、青年は内心憮然としながら振り返る。

 

「えー、どこがです? いつも通り、綺麗さっぱり血も体液も零さず、証拠になりそうなものの後始末が撤去作業以外ないスマートな掃除っぷりでしょ?」

「いえ、八つ当たりです。“彼女(ネーヴェ)”がいらっしゃらない時の貴方は、情報を絞り切ってから、何の感慨もなく、殺し方だけこだわって、ゴミ屑を丸めるように殺しますから」

「えー、ヒドーイ。俺のこと何だと思ってんですか」

「棒読みで言われても」

「アハハ」

 

 数秒、文字を打ち込んでいた指が止まって、意味ありげな視線を頂戴した。

 

「アストラ、“フロスト”が、彼女に関する情報収集も含め、しばらく諜報は控えろと」

「────」

 

 その言葉に、その場に数秒沈黙が下りた。青年は胸の内が急速に冷えるのを自覚して、笑みの形に固定していた表情筋をほどいて無に戻す。

 何度も狂騒の煽りを受け、ところどころ崩れた廃ビルに電気が通っているはずもなく、光源は持参した古めかしいランプ一つだけだ。闇と共存し、同化して生きている青年や上司には特に光源がなくとも夜目は十分に利くが、拷問(オハナシ)相手から効率よく必要な情報を聞き出すには、恐怖や自己保身の感情を適度に利用するのが一番だ。不安定な炎の揺らめきと、逆光に隠される表情。まれにいる、クラウスのような強靭な鋼鉄の信念を持つ人間には通用しない手だが、大体の人間は拷問に耐性など無い。敵対組織から送り込まれたスパイは少々手ごわいが、ここは百戦錬磨の軍人すらあっさり死ぬ魔境、ヘルサレムズ・ロット。「外」でのホラーやスプラッタのジャンルで語られるモノより、死よりもっとむごいことなど山ほどある。むしろ毎日がバーゲンセールだ。

 ガラスで覆われたランプの中の炎が、風もないのにジジジ、と音を立てて激しく揺らめく。オレンジの光を受けて、上司の長い前髪の間から覗いている切れ長の銀の眼が静かにこちらを見据えている。その中にいる青年は、能面のような無表情だった。

 

「……嬢さんに関しては、断るって返しといてくれます?」

「アストラ」

「……俺が動く理由は、全て嬢さんのため。私設部隊にいる以上、番頭の指示は聞きますけど命令は聞くつもりないんで。まーライブラや部隊に迷惑は掛けませんし? これでもキチンと休んでるんで無駄な心配ですよ」

 

 平坦な声が、軽薄な口調で紡がれる。口調だけはいつも通りに、しかし表情はその軽さに見合わないほど何も感情を映さない。……もとより、青年が笑みを向ける相手は限られている。機械のような青年にまっとうな心を注いで足したのは彼女だ。それが欠けている今、恐怖を煽る手段としても必要が無くなれば、たちまち鉄は温度を喪う。

 

「行方探しから手ェ引いた、多忙で薄情などっかの誰かさんと違って。こっちは行方の手がかりでも探してなきゃ、気ィ狂いそうなんで」

 

 物言いたげな視線から逃れるように、青年は背を向けたまま気だるげに手を一度ひらりと振る。そしてそのまま、窓ガラスの割れた廃ビルの窓辺から外へ飛び降りた。

 一瞬の浮遊感の後、重力に従って身体は落下する。随分な高度があったが、落下の勢いを殺して、青年は慌てずに猫のような身のこなしで着地した。

 

 今夜も霧が一段と濃い。

 光を透さない泥のような瞳で周囲を一瞥し、立ち上がった青年は迷うことなく大通りへ向かう道ではなく、暗闇と霧が濃い方へと擦り切れたスニーカーの爪先を向けた。屋根や電柱といった道なき道を足掛かりに、大きく跳躍する。

 

 

 

 堕落王のはた迷惑な騒動を終息させるため出動し、そのさなか、堕落王の魔導生物(ペット)に仕込まれていた魔術に巻き込まれ、魔法陣の強烈な光に呑み込まれた後、ライブラの欠かせない核の一つ、秘書・クリスティアナ・I・スターフェイズは行方不明となった。忽然と姿は消え、連絡はつかず、GPSはエラーばかりを示した。

 ライブラの人海戦術、情報網をもってしても、彼女の安否どころか生死すら分からないまま、半年が過ぎようとしている。「二段階属性変換」唯一の遣い手を失ってなるものかと、牙狩り本部までもが腰を上げ、すべての支部に発見次第すぐさま伝達せよと連絡を回し、世界中を捜しても、結果は芳しくなかった。

 

 女々しい未練だ。往生際の悪い願望だ。

 世界の均衡を保つライブラとそれを裏側から支えるスティーブンの私設部隊が持つ、ありとあらゆる情報網とツテを駆使しても行方が掴めないというのなら、「行方不明」は「死亡の確認は出来ないが生存は絶望的」に近いことを。私設部隊でも諜報を担う一人であり、情報屋の側面をもつ青年は、理性の内では重々承知していた。

 行方知れずになって半年。それだけの時間があれば、たとえ数千キロ離れた地球の裏側であろうと、どんなに劣悪な環境にいたとしても、連絡を取れる状況を整える、もしくは世界中に散らばる支部からライブラへと連絡をつけることだって出来るはずなのだ。どんな劣勢、不利な条件下であろうと、それを持ち前の頭脳と行動力でひっくり返すのがクリスティアナという女性だ。あの辣腕をもってして打つ手が無い状況下にいるとしたら───それこそ、人智の及ばない領域、堕落王の手許か、異界に繋がる「永遠の(ウロ)」の中か、だ。

 

 

 不意に視界が曇り、揺らいだ。身を切るような夜風に目を凝らしても滲んだ視界は明瞭さを失ったまま、にわかに熱を帯びる。息を吹き返した胸が軋みを上げている。唇をしっかりと結んでいなければ、喉奥の熱の塊が、たちまち水気を帯びた嗚咽に変わって空気を震わせてしまいそうだった。

 

 ───嗚呼、まだ自分は認められないでいる。億が一にも、かの人が生きている僅かな可能性だけを妄信している。

 

 だって仕方がない。

 彼女が居ない世界など耐えられない。

 彼女が消えた世界など意味がない。

 生きる意味が、見いだせない。

 

 ────アストラ。

 

 出来損ないだと、化け物だと、そんな風に蔑まれ見下され虐げられていた青年を、暗くてじめついた、黴臭い牢屋から連れ出してくれたのは彼女だった。識別のために機械的に割り当てられた無機質なナンバーしか持たなかった己に、温かい名をくれた。生きる意味をくれた。

 この命は貰いものだ。彼女が慈しんでくれたもの。たとえそれが、同族意識や憐憫をはらんだ感情だったとして、一体何の問題があるだろう。人でなしを人として扱ってくれた、名前を、温かい食事を、生きるための知恵を与えて世界を見せてくれた、たったそれだけの恩義があれば、自分はどんな汚れ仕事だって喜んで引き受けられる。あの日、この命は彼女の為に使うと決めた。

 

 

「……無事に帰ってきてくださいよ、嬢さん……」

 

 宙に身を躍らせながら青年はぼやく。

 

 ライブラは、クリスティアナ・I・スターフェイズを諦めていない。行方探しからは手を引いたが、それと諦めることはイコールでは結ばれない。

 世界を幾度となく救ってきたライブラの思考は非常に柔軟だ。そしてなにより、とても諦めが悪い。

 

 ライブラでもほんの一握りの人物にしか知らされていない、情報を得る最後の手段。そのカードを切ったリーダー・クラウスと付き人のK・Kが先日、とある異空間、時間すら操れる異界の顔役の元を訪れた。本来なら、神性存在にすら並び立つという影響力の大きさから、人間がおいそれと謁見できない存在。叶える願いに応じて、それに見合う時間の間、将棋とチェスが融合した異界でもっとも有名な盤上遊戯(ボードゲーム)・プロスフェアーで勝利するか逃げ切るかすれば、相応の望みが叶えられる。負ければ永劫にアルルエルの脳に取り込まれ、脳味噌だけの無残な姿で、ずっとプロスフェアーを差し続ける悲惨な運命を辿る。

 願いを賭けることによって緊張感を与え、奇跡の遊戯を実現するための崇高なる儀式。そのためのギブアンドテイクの契約。

 だが、顔役──ドン・アルルエルは願いを聞いたとたん、駒を並べ終えようとしていた遊戯盤を消した。それは、叶えられない願いだから、と。

 

 ───「クリスティアナ君の居場所が知りたい」という願いを、私は叶えることができない。なぜなら、彼女が消えたという情報を耳にした時点で私も探したが、全く足取りがつかめなかったからだ。魔法陣が発動した瞬間から後、彼女はこの人界のどこにも()()()()()()()。空間と時間を操れる私だが、この私でも認識できない次元────「人界」でも「異界」でも、その狭間に点在する小さな異空間、そのどれでもない場所。おそらく世界の層が違う場所に、彼女が居るからだろう。世界を跨ぐとなれば取り戻すのは難しいだろうけど、頑張ってくれよ。

 

 そう答えたドン・アルルエルに、二人は驚いたに違いない。次元を跨いだ場所にいるかもしれないという、やっと得られた手がかりそのものもそうだが、本来ならその情報すら対価になるべきものだろう、と。対価なしにヒントを与えてくれた彼が何か企んでいるのではと踏んで、剣呑に真意を問うたK・Kに、彼は笑って言ったという。

「クラウス君に匹敵するプロスフェアーの指し手だ、喪うのは世界的損失だからね」と。

 

 それでも、かの人の生存が確約されたわけではない。人界にも異界にも居ない、さらに遠い次元に居るかもしれない。広大だった捜索範囲が狭まった程度で、状況が好転したわけではない。そも、遥か人類史の始まりから現在に至るまでの織物の中で、人界と異界が寄り添っていることさえ、3年前に大崩落が起こって大穴が空いてようやく確定したほどだ。異界に自力で渡るすべさえ持たない今の人類に、世界の層を飛び越える技術力は未だない。

 けれど、あともう一つだけ。彼女の存在に到達できる方法があるとしたら。

 

 

 

「……絶対に見つけてやる」

 

 ────堕落王、フェムト。

 千年を生き、魔導を極めたと云われる稀代の怪人。これまで幾度となく、HL構築前から人界にしばしば危険極まりない魔獣を思い付きで放っては迷惑な大騒ぎを起こす、世界中の保険会社に超弩級の人災(……)指定された人物。今回の件を引き起こした張本人ならば、何かしら知っているのではないか。そんなほんのわずかな希望は、話だけならば、事件直後からずっと話題に上っていた。

 しかし、十三王にまつわる情報は極めて少なく、噂や都市伝説ならともかく、正確性を求めるとほぼ皆無に等しい。そも、ヘルサレムズ・ロットにすら滅多に実体を現さず、ライブラの面々でさえも直接顔を合わせた回数は少ない。ライブラの天井に設置した吊り下げ式の小型テレビや街中の巨大ディスプレイなどをハッキングし、突然画面越しに一方的に宣言してくるのが常だからだ。首根っこを掴んで問い質したくとも、十三王の居所が知れないのであれば、突撃することもできない。

 では向こうから接触してきた時に聞き出すしかない、という方針になるのは当然の節理だろう。しかし、そう決めたのと同時に、週に一度や二度、少なくとも一ヵ月に数回は起きていた堕落王の暇つぶしがぱったりと途絶えたのである。急に顔を見せなくなった堕落王に、一部界隈では堕落王は他の地域に移動したのでは、と憶測が飛び交ったほどに。時折偏執王アリギュラらしい人物の目撃情報もライブラに寄せられたが、ただの人間に神出鬼没な彼女の足取りを追えるわけもない。正直、八方塞がりの手詰まり状態に陥っていた。

 

 

 世界の均衡を護るべく、日夜暗躍する魔封街結社・ライブラに、秘書役一人を捜すためだけにすべてのリソースを割けるほど、この境界都市に蠢く欲は甘くない。どれだけ潰してもキリのないゴキブリの如く、野望のために「外」の均衡をひっくり返しかねない事をしでかそうとする連中はひっきりなしに現れる。けれども、その騒動に対処できる手練れの数は限られている。クリスティアナが担っていた仕事は、自分がいつ死んでも大丈夫なようにと、用意周到な彼女が書き残していた引き継ぎの手引きによってしかるべき人員に割り振られた。それでも赤毛のリーダーと人狼の諜報員、番頭役の疲労と胃痛(ストレス)が日ごとに増しているのを、不可視の人狼にも気付かれないほど磨き上げた諜報スキルで青年は知っていた。

 

 ならば、自由に動ける自分が手がかりを見つけ出す。そう青年が躍起になるのは無理もないことだったし、スティーブンもそれを黙認している。今日の忠告は、自棄になりはじめた青年への諫言だ。十三王相手にコソコソと嗅ぎ回り続け、下手に不興を買って破滅に追いやられないよう気をつけろという警告。……勿論、本当に言葉そのままの意味も含まれているかもしれないが、素直に従う気は毛頭なかった。

 これはただの、自分の意地なのだから。

 

 足がかりにした電柱を強く足裏で踏み切って、青年は道なき空の道を跳び跳ねた。

 

 

 




“アストラ”
 私設部隊の青年。本名は無く、かつては識別番号で呼ばれていた。とある人体実験の失敗作として地下深くの牢屋に収容され、迫害されていた。クリスティアナの役に立つことを至上の喜び、唯一の生きがいとしている。自らの執着心がヒナの刷り込み、吊り橋効果に近いことは自覚しているが、その上で変える気は全くない忠義者。今の名はクリスティアナにラテン語で星を意味する名前を付けてもらったもの。
 アジア系の顔立ちで、無造作に伸ばした髪をうなじのあたりで一つに結っている。アジア系年齢不詳の黒髪短髪猫目の飄々とした青年で、同族嫌悪からかスティーブンとは滅法折り合いが悪い(お互い利用価値があるのと殺しあうと嬢が悲しむので実行しないが)。変装潜入の達人で基本の仕事は諜報。たまに暗殺。
 チェインが人狼局を通じて世界の均衡を崩す輩の動きを集めるオモテなら、彼はクリスティアナのためだけに役立ちそうな情報を集めたり、ライブラ内の黒判定の裏切り者やクリスティアナに近づいてきたスパイを私設部隊(細身のリーダー格ぽい男性を通じてブンへ)に渡したり自ら手を汚したりするウラ。


私設部隊の青年モブ視点からのBBB側の状況の話。
ぶっちゃけ13王は雲隠れしたら人間に手出しなんてできないよねという話。
アストラくんは本編に登場させるつもりはないですが、まぁそんな子もいるんだよと。
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