ライブラ秘書嬢の異世界渡航   作:一星

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※リクボで度々頂いてた傷・刺青バレネタ。うっかりラッキースケベしてしまうパーさん。
※パーシヴァル×クリスっぽい表現あります。恋愛表現苦手な方はブラウザバックで。



肌になじむ懊悩

 

 我が相棒、パーシヴァルは王の気質を持つ男である。理想の国を作るためと、若い身空にこうして様々な島々を渡り歩き、難事を切り開いていくのを、旅路を共にする中で見てきた。絵空事と笑われそうで、とても尊い理想を実現するために、研鑽と行動を欠かさない男。いずれは、必ず国を率いる王となる人。だが、彼は王である前に騎士である。弱きを助け悪を挫き、正義と主君に忠義を捧げる騎士なのだ。

 

 

 

 自分にとあてがわれたグランサイファーの自室。多くの団員たちがやれ依頼だの買い物だのに(ふね)を空けている時を見計らってシャワーを浴びた私は、タオル一枚を身体に巻き付けただけの姿で脱衣所からぺたぺたと間抜けな足音を立てて、姿見の前に立つ。濡れてしんなりとしたブルネットの先から滴り落ちる水滴が、肌を滑り落ちて艶めくマガボニーの床に丸を描いていくのに構わず、鏡の中に映る傷だらけの身体を眺めた。

 タオルに覆われていない鎖骨まわりから伸びる赤い入れ墨が、白い肌と対比して鮮やかに紋を浮かび上がらせている。それよりももっと目を引くのはうっすらと筋が入って割れかけている腹筋と、すんなり伸びた長い脚、その胴、背中、つま先に至るまでのあちこちについた傷跡だ。切創、銃創、火傷の痕。引き攣れた皮膚はそこだけ色が違う。

 足裏は幾度も技を使うために針を踏み続けて内出血で青黒く滲み、足の指の皮膚は手のそれよりも少しばかり黒ずんでいる。氷のエスメラルダを修めた者が修行中に誰しも通る、凍傷で壊死一歩手前まで進行した名残だ。血流操作においては天賦の才があり、内出血だろうと循環不良だろうと血液を操って取り繕うことなど造作もない自分が、わざとそれらの名残を残しているのは、単なる戒めだった。己の力に溺れ、驕らないようにと。

 とてもルリアのような天真爛漫で感受性の強い少年少女には見せられないひどい代物ではあるが、背中の屈辱的な暴力の痕とは違って、足のそれは死に物狂いで磨いたエスメラルダ血凍道の修練の証であり、誇りを示す勲章だった。

 

 血は繋がっていないはずの義兄とよく似た、鮮紅色の垂れ目と濃く、きりりと釣り上がった眉。顔はハニートラップに使える程度には整っていると自負はしているが、服の下は自分でも女としてどうかと思うような傷だらけの身体。

 五歳のときに教会でエスメラルダの適性を見出されてから20年。そして諸々の異世界渡航含めてのプラスアルファの数年間。いつも異世界渡航が終われば飛ばされる前の時間軸の身体に戻されるため便宜的に25歳を名乗ってはいるが、体感時間としてはその年齢以上の年月のほとんどを、戦いに費やしてきた。傷の数だけ修羅場を潜り抜けてきたようなものだ。

 ……私という人間の醜悪さの証左でもあった。

 

 正義のためのはずなのに、正義を守るために取る手段は限りなく悪に近い。大義はあれど、どう取り繕ったって私はただの人殺しである。

 悪をもって善を守る。私にとってなによりもかけがえのない人を守るためだけに、さして執着もない世界を救うために手を血に染めた。裏切り者、スパイを直接手にかけはしなくとも、数多く居る構成員の中から限りなく黒に近い者をあぶり出し、粛清に加担している時点で同罪だ。

 汚れ仕事を請け負ったことを後悔したことはない。友と呼んだものを自分の手で氷漬けにして私設部隊に引き渡し、死ぬよりも辛い拷問にかけさせた罪から逃げる気も毛頭ない。私が生きるために、殺したのだ。彼らの命を背負って私は今ここに立っている。あの異界都市が消え、吸血鬼の脅威が減れば、すぐさま自らの罪を認めて自首しようかと考えるほどには、許しがたい蛮行でもってライブラを守り、世界を救ってきた。

 

 他の誰でもない、私自身に、私のすべて、なにもかもに、私は絶望している。

 

 パーシヴァルの家臣への誘いを有耶無耶にして保留にし続けているのもそのせいだ。

 

 戦闘能力だけでなく、並外れた頭脳、情報網を求められることは数多くあった。何も持たない私は、命の恩人であるクラウスとスティーブンを支えるために、組織の補佐を務めるために必要なあらゆるものを身に着けた。そうでもしないと自分に価値など無かったから。自分の身も守れないお荷物にはなりたくなかったし、世界の盾となる彼らの支えになればと思った。そのために怪物じみたものに変容してしまった頭脳を活かせるなら、実験動物扱いされた地獄の数年も無駄では無かったと認めることができた。

 でも、私の信念、私の覚悟を、認めてくれたのは。能力だけを見て欲するのではなく、私という人間が欲しいと言ってくれたのは、パーシヴァルが初めてだった。

 たとえ私の犯してきた罪を知らずとも、ある折に呟いた「正義も悪も大差ない。立場が違うだけだろう」という言葉が妙に心に刺さって、私が勝手に救われたのだ。不必要に自分を貶めなくてもいいのだと言われた気がして、嬉しかったのだ。

 ……それでも、パーシヴァルの理想の国に、彼の隣に家臣として立つ自分が想像できない。闇にどっぷりと浸かってしまった自分では、いつ元の世界に帰るともしれない自分では、やはりあの赤い王の信頼する家臣にはふさわしくなかろうと思ってしまうのだ。

 

 

「──い、おい、クリスティアナ。入る、ぞ……」

「──え?」

 

 苛立ったような声が不意に耳に入り、はたと我に返って振り向けば、ぎょっと朽葉色の目を見開いたパーシヴァルが自室のドアを開きかけた体勢のまま固まっていた。ぱちり、と瞬きをした拍子に、瞳から冷たい滴がこぼれ落ちて頬を濡らし、鎖骨にぶつかって弾けた。

 ノックの音も呼びかけも、あまつさえ近づく気配すら気付かなかった不覚を取った事にしまったと思うよりも、今のタオル一枚しか身に纏っていない己の姿を思い出して私は青ざめた。

 普段徹底して露出を控えている自分にとって、身に纏っているのがタオル一枚という裸にも近い姿を見られたことに対する羞恥ではない。そんな可愛げなどではない。常の堅物なパーシヴァルなら顔を真っ赤にして、即座に踵を返すところだが、それを忘れてじっと見つめている場所が、最も醜く残った火傷痕、爛れ引き攣った背中だと気づいたからだ。

 これまでこの傷を見て浴びた侮蔑、興味本位の探る目、遠慮のない気味悪がる声を思い出して顔から血の気が引いた。

 

「パ」

「……おい、クリス。その火傷痕はどうした、誰に付けられた、言え」

「え、あの、ちょ、パーシヴァル、落ち着いて」

 

 カツカツと鉄靴を鳴らして歩み寄ってきたパーシヴァルの声は聞いたこともない低さと鋭さだった。詰問されるようなおどろおどろしいトーンに面食らい、思わず胸の前で片手を掲げて制止しようとするが、構わず彼我の距離を詰められ、睨めつける視線の鋭さに押し黙った。頭の先から爪先まで、市場で目利きをするような、感情を挟まない確認のような目つきが肌の上を這う。常から刻まれている眉間のシワがさらに寄ったのを見て取って、気まずさに目を伏せた。

 居心地の悪い空気に肌を冷やすこと数呼吸分、パーシヴァルが静かに口を開いた。

 

「……かなりの古傷とはいえ、お前ほどの技量の女が背中に深い火傷を負うなど相当だろう。しかも燃え盛る火に灼かれたのではないな? 何度も焼きごてを押されたような痕だ」

 

 大きな手が頬を滑り、髪から滴ったものではない水気で濡れた目元を指の腹で拭われる。自然と見上げる形になった精悍な面差しは、憂慮で険しく顰められていた。

 

「お前を害したのはどこの下郎だ。消し炭にしてくれる」

 

 見上げた先の朽葉色の瞳に、怒りの炎が燃え上がっている。自分のことのように憤怒を示す姿に、本当に実行しそうな苛立ちの籠もった声に。私は瞬きを繰り返した後、湧き出る感情のまま、ふふ、と笑みを零した。笑うつもりはなかったのだが、心配されて嬉しくて、少しむず痒かったのだ。

 

「!? 何故笑う、俺は本気でだな……」

「いや、うん。流石はパーシヴァルだなと思って」

「は?」

「これを見て気持ち悪がるどころか、真っ先に心配してくれるところが君らしい」

「……」

 

 途端にスンッ、とチベットスナギツネのような(こっちであの動物のようななんとも言えない真顔の例えが思いつかなかった)真顔になったパーシヴァルに己の失言を悟ったが、どこが彼の癇に障ったのか分からずうろたえる。と、ばちっと目の前に火花が走った。無防備だった額を指で弾かれたのだと遅れて思考が追いつく間に、思わず軽くのけぞり、額を押さえた。

 

「!! っ、いった」

「お前というやつは、ほんとうに、……いや、何も言うまい」

「ええ? ……まぁいいか、とりあえず着替えたいから出てってほしいんだ、け、あ」

 

 手を離したり後ろにのけぞったりしたのが良くなかったのだろう、巻き付けていたタオルが不意に緩んだ。胸元でゆるく折り込んでいたタオルの端が、身じろぎのはずみで外れ、ぺろりと前に垂れ下がる。タオルの端をとっさに掴んで生まれたままの姿を晒すのは免れたものの、眼の前に立っていたせいで大きくはだけた胸元を、不可抗力で目の当たりにしてしまった戦友の白い肌がボッ、と火が吹き出そうな勢いで朱に染まった。生唾と声にならない悲鳴を飲み込んだらしい喉から、音になりそこねた声の残滓が尾を引く。

 

「~~~~~ッッ、早く服を着ろ馬鹿者!!!!!」

 

 バサーッ、とパーシヴァルが肩に掛けていた上着を顔めがけて投げつけられ、視界が塞がる。その間にドアがけたたましく閉まる音と荒々しい足音がものすごい早足で遠くに去っていくのを感じながら、私は大きな上着を顔から引っ剥がしてため息をついた。

 

「人を痴女みたいに言わないでほしいんだけどな」

 

 露出狂の趣味はない。

 そんな独り言を受け止めてくれる相手もいないので、手触りの良い布でつくられた上着を軽く畳んで、皺にならないよう椅子の背に掛け、また誰かに侵入される前に衣服を手早く身につける。そうして革のブーツに足を通すころ、不意にとあることに気づいた。

 

「……そういえば、何の用で来たんだ?」

 

 傷を見られた上にあのラッキースケベで顔を合わせるのは少々気まずいのだが、投げつけられた上着を返さなければならないし、私に用があるなら聞きに行ったほうが良いだろう。

 そう思い、上着を腕にかけた私は、パーシヴァルの気配が遠ざかっていった方向に向かって部屋を出た。

 

 

 

 その頃、色々悶々と考え込むパーシヴァルの赤らんだ頬を見咎めて、艇に戻ってきたヴェインやランスロットにからかわれているところに出くわし、パーシヴァルの反応から色々とフェードラッヘ組に邪推されてニヤニヤされることなど、つゆとも知らず。

 

 

 

 

 

 

 

「全く……危機感というものが無いのかあいつは」

 

 知らず口をついで出る悪態に覇気はない。顔の半分に当てた手から、覆った頬が熱を持っているのが伝わってくる。

 本来なら嫁入り前の同年代のうら若い女の着替え途中に、断りを入れたとはいえ踏み入った時点ですぐに踵を返すべきところを、背中の尋常ではない火傷の痕を、彼女の壮絶な人生が見て取れる傷だらけの四肢を見て、踏み込んだのは自分だ。タオルが外れかけ、きわどい場所ぎりぎりまでうっかり見てしまった胸元とて、自分の行動に大いに遠因があるから責められない。

 つまるところ、ずっと早鐘を打ちっぱなしの心臓をどうにか宥めすかし、目に焼き付いてしまった眼福からくる煩悩を払おうと、身体の内のエネルギーを八つ当たりじみた怒りに転換させているだけなのだ。思考を明後日に飛ばしていなければ、引き締まっていながら柔らかそうな印象を与える白肌がむわむわと頭に浮かび上がって、顔以外の場所に熱が集まりかねない。

 

 顔の熱を冷ますためにグランサイファーの甲板に足を向ける。団員の殆どが出払ったグランサイファーは、いつもの喧騒が嘘のように静まり返っている。廊下には窓から温かい陽光が差し込み、飴色の木床に光の波を描いていた。

 ふと、パーシヴァルは歩みを止めた。

 

「(だが、あれならば色々と納得がいく)」

 

 パーシヴァルやクリスティアナよりずっと年下の少年、グランが率いる騎空団は、星の島、空の果てにあるイスタルシアを目指し空の航海を続けている。道中、団長やルリア、カタリナといった古株の面々の気質からか、立ち寄った島の村人からの依頼や困りごとを解決するべく色々と依頼を受けることも多い。路銀や対価の釣り合いを目当てにせず、時には慈善で手を差し伸べる稀有な彼らの志に賛同するようにして、騎空団に所属を決めたものも多い。パーシヴァルやクリスもそういった経緯でこの艇に参加した。

 

 数多くこなしてきた依頼の中で、荷物運びは特に多い依頼だ。持ち逃げされる可能性は否定できないが、そういう場合は騎空団の信用に関わる上、違反を繰り返すようなら全空の秩序を維持する秩序の騎空団が黙っては居ない。魔物が多い島などでは陸路より遥かに安全で多くのものを運べるため、騎空団への依頼は絶えない。

 とはいえ、騎空艇が停泊できない山間だったり、開けた場所のない地では商隊を護衛したりというパターンも多く、そういった依頼では日数を跨ぐため、森のなかで野営することも多かった。

 

 となると、必然的に川などで水浴びをして身を清めることもある。老若男女入り交じる騎空団なので、そういう場合はいくつかのグループに分けて、水浴びをしない面々は水浴び場が直接見えない距離に離れつつ、覗きをしそうな不届き者は持ち場を抜け出していないか何人かで常にマークしながら、川の周辺を警戒するのを繰り返すのがルールだ。

 

 が、そのことに関してパーシヴァルはつい数日前、カタリナから相談を受けていた。

 同性であってもクリスティアナが誰かと共に水浴びをするのを頑なに(とはいえ角が立たないようのらりくらりと理由を並べ立ててだが)拒み、いつの間にか身奇麗にしているのだが、なにか事情を知らないか、と。

 まっとうに考えて、同性のカタリナですら聞けない理由を自分に訊くのはお門違いではとパーシヴァルは一瞬思ったものの、騎空団に所属してからの年月よりもずっと長い時間を共に旅していた身だからこそ、なにか知っているのではと望みを掛けたのだろうということに思い当たって、喉から出かけた苦言を飲み込んだ。そうしてそのまま首を横に振った自分にそうか、とカタリナが肩を落としたのは記憶に新しい。

 

「ま、まぁクリスのことだ。何か訳ありなのだろう……グランがあれだけ慕う人格者だ、我々を嫌って、という訳でもないだろうしな。すまない、妙なことを聞いてしまった」

 

 クリスを心配してのカタリナの言葉に気にするなと返したものの、そのことが心にずっと引っかかったままだった。

 

 

 何しろ、グランサイファーに乗るまでの数年間、共に旅をしていても、パーシヴァルがクリスの身の上について知っていることはごく僅かだ。殆ど知らないと言っても良いほどに。

 出会いこそ、諸国漫遊の途中で訪れた、のどかな村を襲った魔物のスタンピードに出くわし、まともに戦える者が居ない村人たちを守るため、お互いよそ者ながら奮戦した、というものだ。

 

 それだけならこのご時世では悲しいかなよくあることだが、魔物の大群に対してたった二人という圧倒的劣勢ながらも互いの機転と火力で戦況をひっくり返し、消耗を強いられながらもなんとか防衛を成し遂げ魔物を倒し終えた後、クリスティアナが戦いを終えて自分とパーシヴァルに必要な処置をした後、休まずにそのままの足で傷ついた村人たちを重症のもの、身体の弱い子ども、老人、妊婦を優先して治療して回ったのを見たからだ。

 大した傷でもないのに先に俺を治せとわめく男にも怯むどころか理路整然と論破し、暴言を浴びせられながらもその男もきちんと治療して回った胆力と正しさはもとより、治療すべき怪我人の見極め方、重症を負った者への手当の仕方を、自分が居なくなった後も怪我人の家族が行えるよう、理解し実践できるまで手ほどきに付き合う姿に、安い言い方をすれば感動したのだ。言動から滲み出る、自分にまだない知識を感じさせる知性と、それを行動に反映させている女の旅人は、理想の国を作るために様々な島、村を漫遊するパーシヴァルには、是が非でも家臣に迎えたい理想的な人間だった。

 

 家臣への勧誘は断られ続けているが、パーシヴァルの理想を聞いても一笑に伏すどころか「貴方なら出来そうね」と穏やかに肯定したクリスと縁あって、二人で歩んできた旅の日々は心地よかった。クリスティアナは互いのプライベートな事情は弁え、あれこれと深く立ち入ってくるような厚顔さは見せず、ウェールズの三男と知っても色目ひとつ使わなかった。パーシヴァルを一人の騎士として、一人の個人として、身分関係なく対等に接してきたのが気楽だったのかもしれない。

 戦術のことで意見を求めれば、自分では思いもつかなかった、はっとさせられるような案が出てくる頭の柔軟さ、見識の深さも興味深かった。自分のことを話すよりも相手の話を聞くほうが楽しそうにする聞き上手であったし、旅の途中で訪れた村の、戦争や魔物のせいで親をなくした子どもたちにピアノや琴などその場にある楽器を使って音楽を爪弾き、聞いたこともないおとぎ話や冒険譚、伝承を語るのが上手い語り上手でもあった。

 自分より2つ年下の、庶民とは思えない教養の高さ、立ちふるまいから、自分に似た上流階級特有の気品さを感じるのに、妙に世渡り上手で類まれな戦闘能力を持つアンバランスさから、よほど訳ありなのだろうと思って、旅立った理由も、旅をしている目的も深く訊くことは無かった。

 

 

 だが、あの火傷痕をみれば、大体の事情は察せてしまえた。

 背中に幾度も真っ赤に熱した焼きごてを押し付けられたような痕が重なってできた火傷痕の色濃さから、その皮膚の爛れた程度、深さ、それに伴った激痛を推し量れてしまった。パーシヴァルの愛剣のように炎を纏った武器で傷つけられたわけでもなく、土地を焼く炎に服ごと皮膚をあぶられたのでもなく、人為的な悪意に無理やり屈服させられた上で、人を人とも思わぬ行為を繰り返した下衆の仕業なのだと。傷跡の周囲に走る皮膚の引き攣れを加味すれば、成長期という一番回復力の高い時期に受けた傷にもかかわらずあれほど残るほど、惨憺たる目に遭ってきたのだろう、と。火傷以外にも体中に走る刀傷、銃創、それらの暴力に対抗するために酷使した足の損傷ぶりを見れば明らかだった。

 かつてフェードラッヘの黒竜騎士団に所属し、今も様々な国の姿を見てきたパーシヴァルでさえ一歩気圧されてしまうような、クリスティアナが文字通り血反吐を吐いて手にし、積み上げた人生の証。

 クリスの口ぶりからも、これまで何度も醜いだの何だのと、口さがないを言葉を囁かれ、白い目を向けられてきたのだろう。彼女の性格を考えれば、良好な関係を築いてきたグランたち騎空団の団員たちに知られた後の反応を恐れ、気遣ったに違いない。そんな輩は居ないとは思うが、想像するだけで胸を押しつぶしていても不思議ではない。傷を見てしまった自分を見返す鮮やかな紅色の目は、隠しきれない動揺と怯えでゆらぎ、常に大きく崩れない表情ははっきりと分かるほど青ざめていたのだから。

 

「……何度、泣いたのだろうな」

 

 彼女が自分の闖入に気づいて振り返る寸前、姿見越しに見たその表情は、驚くほど空洞だった。どこにも焦点の合わない、星の消えた蘇芳は暗く翳り、感情を映さない美貌は人形のように生気を感じさせなかった。人とはあんな顔も出来るのかと驚くほど、絶望という言葉が似合いすぎる姿だった。振り返りざまに生気を取り戻した彼女の頬を伝った涙が、泣いているというのに、確かに彼女は生きた人間だと、見ているこちらをほっとさせるくらいには。

 だから、彼女にあんな顔をさせた人間がどうしようもなく憎らしく、今すぐ消し炭にしてやりたいほどの怒りに震えた。あんな顔をしないで済むように、元気づけてやりたかったのだ。得意の話術で(といっても今回は無意識だろうが)上手いように斜め上に話をはぐらかされてしまったのには気づいたが、あまりに年相応の少女のように、可憐に笑うものだから、気勢を削がれて追求する気になれなくなってしまった。

 ……だからだろうか、妙に庇護欲が湧いてしまってむず痒い。

 

 

 そうやって甲板の縁に寄りかかって頬杖をついて悩みこんでいたのが良くなかった。

 

「泣いてたって、誰が?」

「!!!!???」

 

 にゅっと背後から湧いて出た気配と声に、ごまかしきれないほど派手に肩が跳ねた。即座に後ろを振り向けば、不思議そうな顔で首を傾げるランスロットとヴェインが立っていた。

 

「ききき貴様ら、いつの間に」

「いや、今さっき。珍しくパーさんが一人で黄昏れてるからどうかしたのかなって」

 

 そう語る二人は鎧姿ではなく平服で、手には中身がこぼれそうなほど詰め込まれた紙袋が抱えられている。気配を察知出来なかったことにもそうだが、声に出したつもりがなかった声が独り言として零れていたことに舌打つ。

 

「で、誰が泣いてたんだ?」

「……貴様らには関係のないことだ」

「いや、気になるって! 誰か落ち込んでるなら元気づけてやりたいしさ」

「そうだぞパーシヴァル、口ぶりからして騎空団の誰かだろう? ……というか、何か顔が赤くないか、お前」

「!」

「……え、まさかパーさん、パーさんに限って無いと思うけど、誰か泣かせた上で顔赤くしてんの?」

 

 どう曲解したらそんな発想に至るのか。駄犬ヴェインの当たっているようで全くの見当違いな、ともすれば変態扱いするような言い草にひくりと口元が引き攣った。ランスロットがあーあ、と苦笑するような、それでいて展開を少し楽しんでいるような質の悪い中途半端な笑みが余計に癇に障る。

 

「駄犬……貴様、よほど命が惜しくないと見えるな……」

「あっちょっとまってパーさん、俺が悪かった、悪かったから剣抜こうとするのやめよう!? 俺今丸腰だし折角の買い出ししてきた食材が駄目になっちゃうから!!」

「まあまあ、パーシヴァル落ち着けって」

「貴様も貴様だランスロット……!!」

 

 腰帯に提げていた愛剣の柄を掴み引き抜きかけたその時、甲板と船室を繋ぐドアが開いて、よく通る声が俺の名を呼んだ。

 

「パーシヴァル!」

 

 ぎっ、と反射的に身体の動きが止まる。

 ほんの小さなヒール音を鳴らしてこちらに駆け寄ってくるのは、先程上着を投げつけた相手だった。腕に畳んだ俺の上着を掛け、小走りで駆け寄ってくるクリスはきちんと身なりを整えてはいたものの、急いだのかしっとりと髪は濡れたままで、化粧こそ施していないが、湯上がりの上気した頬が妙に艶めかしい。ほぉ、と傍らの二人も意味深なため息を吐くほどだ。先程の失態も手伝って、ようやく引いていた頬の熱がぶり返しそうなのを、気力で抑える。

 

「さっきはわざわざ訪ねてきてくれたのに色々ごめん、何か用があったんじゃないかと思って」

「……気にするな、というかきちんと髪を乾かせ、風邪を引くぞ」

「あ、忘れてた。まぁ大丈夫だよ。上着もありがとう」

「ああ」

「それで、何か用だった?」

「……大した用じゃない。が、少し前にもう少し上等な魔石や布がほしいと零していただろう。良さそうな店を見かけたから行ってみてはどうだと伝える予定だっただけだ」

 

 ことりと首を傾げるクリスから視線を反らし、何気なさを装って嘯いた。

 魔石や布を欲しがっていたのも、店を見かけたのも本当だが、訪室したのは別の理由──カタリナからの相談事を、遠まわしに訊ねてみるつもりだった。

 だが、その理由も分かり、この場にランスロットやヴェインという第三者がいる以上、無闇矢鱈にトラウマを言いふらして引っ掻き回す真似をしたくないがゆえの、真実と嘘を織り交ぜた言い訳だったのだが──

 

「ほほぅ」

「へえ」

 

 視界の隅でニヤニヤと意味深な笑みを浮かべる二人に、パーシヴァルはこめかみが引き攣るのを感じた。絶対に良からぬ事を考えているとすぐわかる、生暖かい視線と表情に苦言を呈そうと口を開きかけたものの、ぱっと表情を明るくして腕を掴んできたクリスの声に邪魔をされた。

 

「本当? それなら今から都合が良かったら案内してくれないかな?」

「は、ああ、構わないが」

 

 クリスの勢いに押されて頷けば、小さくガッツポーズ、なんて彼女らしくない分かりやすい喜び方をした。

 

「上質なパワーストーンを手に入れたら、君やグラン、ルリアたちの護りになるようなルーン石を作ろうと思ってたんだ。このあたりの空域は鉱石が特産の島が多いと聞いていたから期待してたんだけど、パーシヴァルのお眼鏡に叶うとなれば確実だろうしね」

 

 急いで準備してくる! と子どものように浮ついた足取りで船内に戻ったクリスティアナを見送っていた俺は、後頭部に突き刺さる生ぬるい視線に後ろを振り返った。

 

 

「うん、クリスティアナってたまに何考えてるか分かんない、ジークフリートさんっぽいとこあるけど、いい子だもんな! 応援してるぜ!!」

「そうだな。彼女ならパーシヴァルともお似合いだろう。頑張れよ」

「貴様ら、言わせておけば好き勝手に…………っ!!」

 

 

 妙にいい笑顔でサムズアップした二人に掴みかかろうとするも避けられ、数分後、クリスが再び甲板に戻ってくるまでの間、いい年した男三人での追いかけっこは続くのだった。

 

 

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