早朝のウェールズ城は静かだった。
朝露をはらんだ涼しい風が、吹き抜けのバルコニーから流れ込んでは頬や髪を撫でていく。白と青のコントラストが美しい白の廊下を歩いていた私は、ふとある場所で足を止めた。見上げた先の壁に掛けられているのは、豪奢な額縁に入っている肖像画。柔らかな陽光の中にしとやかに座す、長い赤髪を肩に流した美しい妙齢の女性が、こちらに微笑みかけていた。
「……綺麗な方ですね」
「……気づいていたか」
ぽつりとつぶやけば、中庭と地続きになった側廊の柱の陰から、金髪の眼光鋭い美青年――このウェールズ城の主であるアグロヴァルが姿を現した。振り返りざまそれを見た私は、「気配には敏感なもので」と冗談めかして愛想笑いを浮かべた。ぴくり、とアグロヴァルの鉄面皮が僅かに歪むのが、朝の淡い陰りの中でもよく見えた。
先の事件で浅くない傷を負った彼は、初めて顔を合わせたときのような絢爛な蒼銀の鎧と鎖帷子を着込んではおらず、だらしなく見えないようデザインされたゆったりとしたシャツと羽織という簡素な、それでいて質の良さそうなラフな佇まいだった。シャツの襟や袖ぐりから覗いた包帯が痛々しくはあるが、初対面の相手を威圧するような王者の風格と得体の知れなさを何処かに捨ててきたように、紅蓮の瞳は理知的な光を宿して凪いでいた。それこそが、あの赤い王が愛し尊敬した、長兄の素顔なのだろう。
こつり、とゆっくりと歩を進めてきたアグロヴァルが隣に立つと同時に、漸う口を開いた。
「ヘルツェロイデ・ウェールズ。我らの母だ」
「ああ、やはり。パーシヴァルから、素晴らしい方だったと聞いています」
「そうか。……確かに、誰よりも優しく崇高であったが、ゆえに愚かでもあった」
悔恨のにじむ声。けれど氷のように凪いだ面差しは感情を伺わせないものだった。
パーシヴァルから聞いていた母との思い出、そしてその最期を知っていた私は沈黙を貫いた。隣国の戦火で溢れた難民を受け入れた彼女。ありふれた日常、平穏による幸せを愛した人。人を助けることに理由を定義することなく困窮した人々に手を差し伸べ続け、その善良さで人々に慕われ続けた姿は、我がリーダー……クラウスと重なる。
「母に会いたい一心でかような凶事を起こしたが……パーシヴァルやお前たちに止められて、目が覚めたようだ。世話をかけた」
「いいえ。貴方が無事でよかったです、アグロヴァル殿。……それに、会えない人に会いたくなる気持ちは、私にも痛いほど理解できますから」
「ほう。貴様にもそんな人間がいるのか」
「ええ、沢山います」
これまでの奇妙な旅路で、遥かな異世界で出会ってきた人々の顔が思い浮かぶ。
「……一番会いたい人は、ヘルツェロイデ様に似ている気がします」
「母上にか」
「ええ。お人好しで、人を疑うことを知らなくて。人を助けるのに理由などいらないと、躊躇いもなく手を差し伸べてしまうような、どうしようもなく眩しい人です」
まぶしいからあこがれた。
心の美しさに、ああなりたいと願った。
だから、彼の優しさにつけ込もうとする不届き者を退ける役目を、選び取った。
価値のない自分がようやく役に立てると、誇りと信念を抱いて、隣に立ったのだ。
たとえ、その手段が彼に誇れるものではなくとも。
「……ああ、確かに、似ているな」
瞑目したアグロヴァルが、ほのかな笑みを口端に浮かべた。
この後ヘルツェロイデ様のドレスに袖通したりする話を書きたかったけどまあ脱線した上に力尽きたよねという。アグロヴァルお兄ちゃん是非ウチにも来て欲しい……