その灰は勇者か? それとも…… 作:人間性の双子
火を生み出す魔法。小さな火の玉を出したり、あるいは掌から僅かな炎を生じさせる事が出来る。
魔法使いが最初に習得する呪文であり、ここから全ては始まると言っても過言ではない。
攻撃呪文の威力は使用者の魔力やかしこさに比例すると言われているが、この
それと、世の中には魔力を生まれつき持っている者といない者とに分かれているが、不思議な事に魔法使いや僧侶の適性にそれらは関わっていないのだとか。
火の呪文は、
これは実は珍しい事であり、
一説には、この二つの呪文は源を同じとしているからと言われているが……。
「ここがノアニールの村だ」
ドルバ殿がそう言ってこちらを振り向く。ロマリアを出発する事およそ三日。途中カザーブで宿に泊まってここまで来たが、ドルバ殿の言う通りカザーブの山を越えた辺りで魔物ががらりと変化したのは驚いた。
アニマルゾンビに似ているがより厄介さを増した”バリイドドッグ”はこちらの防御力を下げる呪文を使い、しかも集団で現れるため恐ろしい。
ステラの呪文で素早さを上げて先制するようにしなければ最悪なぶり殺しにされる事だろう。
おおがらすの亜種らしい色が異なる”デスフラッター”は空を飛ぶのが同じだが、その飛行する速度や高度が若干上がっていて、ドルバ殿がいなければ苦戦は必至だった。
私も呪文を使えるようになったため、空へ向かって炎を放射する事で以前よりも空への対処は楽になっていたのも大きいだろう。
ギズモやどくイモムシ、それにさまようよろいは以前戦っていた事もあってそこまで厄介とは感じなかったが、それらが群れとして現れた際は思わず逃げ出したくなる程の脅威となった。
それを切り抜けた際にドルバ殿が漏らした「魔法使いの代わりに呪文と同じ効果を持つ武器が必要かもしれん」との言葉は今後覚えておくべきだと思った。
「とりあえず、これで一息つけるわね」
「そうですね。やっと休む事が出来ます」
フォンとステラは疲労困憊と言ったところだろう。私もかなり疲れた。特に呪文を使うと魔法力を消費するからか脱力感がある。それが地味に堪えた。
ステラが言うにはその内慣れていくらしいが、考えて使わなければかつてのアンナ殿のように使いたい時に呪文が使えないとなってしまうので気を付けねば。
と、そこで気付いた。ドルバ殿が若干苦い顔をしているのを。
「ドルバ殿、どうかされたか?」
「ん? いや、休む事は可能だが宿は……なぁ」
「え? 何々? どういう事よ?」
我々の会話を聞いてフォンが小首を傾げながら近づいてきた。ステラも似たような行動をしながら歩いてくる。それを見てドルバ殿は困り顔をして村の方へ顔を向けた。
「まぁ、説明するより村の中へ入った方が早いだろう」
そうして我々は村の中へと入ったのだが、そこには信じられない光景が広がっていた。
「これって……寝てるのでしょうか?」
村の入口近くに立っている男性が眠っていたのだ。それも彼だけではない。ざっと見て回ったが、村の者達がその場で眠っているのだ。
「ちょ、ちょっとどういう事よ!? 一体何があったの!?」
「私も詳しくは知らぬ。ただ、いつ頃からかこの村はみな眠ってしまったのだ。それ以来、ここを眠り村と呼ぶ者も出てしまってな」
「宿屋の主人も眠っていたな。これでは食事も出来ない」
「いやいや、勇者、問題はそこじゃないから。いや、そこも問題なのかもしれないけど……」
私の言葉にフォンが呆れた表情を見せるが、重要な事だと思う。生きている以上食べる事は必須だ。それが出来ないとなれば、また悲しく携帯食料を食べるしかない。
あの塩辛いか何の味もないかのどちらかしかない、あれを。
「とにかく、もう少し村を調べてみませんか? いくら何でもこんな事はおかしいです」
「ドルバ殿、ロマリア王はこの村について何か調査を命じられたのだろうか?」
ステラの意見ももっともだが、私はまずドルバ殿から情報を得ようと思った。何せドルバ殿はこの地方に長く住んでいる者だ。
しかも王国の騎士団に所属していたのだから市井の者達よりも有している情報は多いはず。
「うむ、無論調査をなさった。だが、原因らしい原因はわからずじまい。しかもこうなったのにも関わらず、何故か魔物達は一向に攻め込まんらしくてな。結果、残念ながら……」
そこでドルバ殿は口を閉じた。つまり眠っているだけであり、しかも村が攻め滅ぼされる可能性もないために手を引いたと、そういう訳か。
「じゃ、もしかしてエルフが関係してるんじゃない?」
ドルバ殿が肩を落とした事を受け、私はどうしたものかと思案しようとした時、フォンがそんな事を言い出した。
「そういえば、アンナさんが言っていましたね。この辺りにはエルフが住んでいるって」
「そうそう。人が眠ったままで、しかも魔物が攻め込んでこない。こんなの人間業じゃないわ」
「ふむ、一理ある。エルフは人間嫌いなため、そもそも人を寄せ付けないようにしているとも聞く。この眠りも、自分達の棲み処を人間に荒らされたくないからかもしれんなぁ」
そうなるとたしかに筋は通る。だが、何故いきなり? 今は情報が少なすぎる。とりあえず寝床をどうするかだ。
宿屋は使えると言えば使えるが、主人が寝ている以上料金を支払わずに使う事となる。それは出来ない。そうなると村の中で野宿が一番か。
「とにかく、一旦村の中をくまなく調べてみよう。もしかすると何か手がかりがあるかもしれない」
私の意見に全員が賛同し、我々は村の中をしっかり調べる事にした。ただ、どの家も中にいる者達が眠っていて話を聞く事も出来ない。
と、そこでふと気付いた。ここはいつからこうなってしまったのだろうと。ドルバ殿へそれを尋ねてみると、十年以上前からこうらしい。
「……妙です。もしそうなら、この方達は歳を取っていない事になります」
「そうよね。だって、着てる服はみんな大きさあっているもの」
「つまり、ただの眠りではないと?」
「ううむ……そう言われてみれば、雨などが降る事もあるのに誰も風邪を引いたりせず無事なままというのも妙だなぁ」
「ええ。やはりこれはエルフの仕業でしょう。人間では眠らせる事は出来ても、時間を止めるような事は出来ません」
ステラの結論に誰も反論はなかった。こうして調査を続けていた時だ。ドルバ殿が時折首を傾げては下を見つめるを繰り返し始め、やがて何かを見つけたらしくその場へしゃがんで地面を見つめ始めたのだ。
そこは、村はずれと呼んでいいだろう場所。特に何かあるようには見えないのだが……?
「ドルバさん、どうかしたの?」
「……うむ、ここの道が少し荒れているのが分かるか?」
言われて私達もドルバ殿の横へ座って道を見つめてみた。よく見てみると、たしかに所々荒れているように見える。まるで誰かが通ったように。
「本当ですね。人が通っているように見えます」
「え? でも、おかしくない? さっきまではどの道にもそれらしい跡はなかったのに」
「いや、少しだが土汚れがあった。それも比較的新しいものがな。おそらくだが、最近誰かが村の中を歩いたのだろう」
「だが、起きている者は誰もいないのでは?」
「……あまり考えたくはないが、村の噂が出た時に魔王の呪いではないかとも言われたのだ。それを恐れた兵士たちが村の入口付近の様子だけ見て村中と判断したのかもしれん」
それを聞いたフォンが、有り得る話だとどこか呆れるように呟いた。ステラは何も言わなかったがきっと似た事を思ったに違いない。
いつでも逃げられるように入口近くで野営し、調査も真剣にはやらなかったのだろうな。
「では、進んでみよう。この先に何かあるのかもしれない」
私の言葉に全員が頷き、ドルバ殿を先頭に村はずれを歩く事少しで家らしき物が見えてきた。
「……あっ! 見て。入口にお爺さんが立ってる」
フォンが真っ先にそう告げて指をさすものの、私にははっきりとご老体らしきものは見えない。ドルバ殿もそうらしく、顎鬚を触ってふむと呟いていた。
「起きているのでしょうか?」
「……みたい。こっちに気付いてるわ。お~いっ!」
声をかけながらフォンが駆け出していく。それを追い駆けるように私も隊列を離れた。
「こんにちは、お爺さん。ちょっと聞きたいんだけど、この村、どうなっちゃったの?」
「それがの、わしも詳しい事は知らんのじゃ。ただ、ここから平原を西へ向かった森の先にあるエルフの隠れ里へ行ってくれ。そこにもう一人眠る事を免れた者がおるはずじゃ」
「西ね。分かったわ。勇者」
「ああ。ご老体、つかぬ事を伺いますがここの宿は四人で利用するといくらでしょうか?」
「ん? 宿?」
「はい。我々はカザーブからここまで来ました。そのため疲れを取るために宿で休みたいのですが……」
「おおっ、そういう事か。なら、気にせず宿を使ってくだされ。もしみなが戻ったら、わしから宿の主人には言っておこう」
思わぬ申し出だが、それでいいのだろうか?
「勇者様、ここはこの方のお言葉に甘えましょう。村の中で野宿でもいいですが、万が一疲れを残したままでは道中に不安が」
「そうだなぁ。アルス殿、ここはステラ殿の言う通り、宿へ戻ってベッドを使わせてもらおう。なぁに、この状況を元に戻せれば宿代の一度や二度、安いものだ。がははっ!」
迷う私に遅れて合流したステラとドルバ殿が背中を押してくれた。ご老体もその意見に笑みを浮かべて頷いている。ならば、良いか。それに、起きた後で代金を払えばいいだけだ。
「あっ、そうだ。ねぇお爺さん。もし良かったら何だけど、食べる物、少し分けてもらえない?」
「食べ物?」
「はい、その、携帯食料では……」
「そうじゃのぅ。あれではあまりにも味気ないか。よし、ならわしの家へ上がりなさい。あまり多くはないが、野兎や薬草がある。それを鍋にすればよい。それならばお前さん達の分も用意出来るじゃろうて」
ご老体のご厚意に甘え、私達は野兎鍋を御馳走になった。聞けば、こうなってから動物達が村を安全な場所として使っているらしく、それを利用し、昔猟師だったご老体は村のあちこちへ罠を仕掛けて食料を調達しているそうだ。
ドルバ殿が時折首を傾げていたのは、その罠の成果を確認して回った時のご老体の痕跡だったのだろうと言われて、私達は納得した。
ちなみにご老体は狩りに出ていたためか眠る事なく過ごせたらしいが、元々この村はずれで暮らしていた事もあり事態に気付くのが遅れたらしい。
城の兵士達が聞き付けた噂は商品を運んできた商人が出所で、ご老体はその時森へ狩りに出ていて気付かなかったそうだ。
そしてご老体は狩りをしてから村へと戻ってきたそうなのだが、その時にはもう調査の兵士達が帰った後だったとの事。
―――村の広場に野営した跡が残っておったから間違いないて。
そうご老体は寂しそうに笑い、話は終わった。もしその時に自分がいればもう少し何か変わったかもしれないと、小さく呟きながら。
その時、ドルバ殿が何とも言えない顔をしていたのが印象的だった。おそらくだが、きっとご老体がいても結果は大差なかったと察していたのだと思う。
そしてそれは、ご老体もだったはずだ。それでも言わずにはいられなかった。それが人間なのかもしれない。
それにしても野兎とはこんな味なのか。薬草が入っているからかもしれないが、何とも体に効きそうで力強い味だ。
この汁も美味い。ご老体に聞けば、滋養強壮に効果があり、軽い風邪などこれで治るそうだ。
鍋を御馳走になった後、私達はご老体に礼を述べ来た道を戻って宿屋へと向かった。
「アルス殿、少しいいだろうか?」
その途中、ドルバ殿がそう切り出して足を止めた。私だけでなくステラとフォンも足を止めてドルバ殿を見る。ドルバ殿は空を見上げていた。
「どうかされたか?」
「いや、エルフの事だ。彼らは人間を嫌っている。だからと言ってこんな事を理由なくするとは思えぬ。と言う事は、下手をすればこれは人間とエルフの衝突になりかねない」
「……そういう事ですか」
「どういう事よ?」
ステラだけが何かに気付いて重たい声を出すが、私とフォンは何がそういう事なのか今一つ理解出来ない。
なので私はステラを見つめる。すると彼女はそんな私へ小さく苦笑すると説明を始めてくれた。
長きに渡りエルフは人間へ不干渉の立場を取り続けていたらしい。それは魔王による侵攻が始まっても変わらず、自分達だけを守って過ごしていたそうだ。
なのに、急にノアニールの村全体を眠りの呪いで包んだ。そこには、もしかすると人間からの干渉があったからではないかと、そういう事だ。
つまり、この問題は人間側がエルフへ問題を起こしたのが根本にあると思われる。そうなれば、この村の呪いを解く事は難しいのだそうだ。
「何が原因かは分かりませんが、人間憎しだけでこんな事をする程エルフも非道ではありません。むしろ彼らは森の守護者を自称する程気高い種族です」
「じゃ、人間の方が何かエルフに対して大きな過ちをしちゃった?」
「可能性はそちらの方が高いと私は思うぞ。故にアルス殿、もし仮にその場合はいかがする?」
問いかけられたのは存外に重たいものだった。私の判断するべきは、この問題をどうするだけではない。この村をこうした原因が人間側にあるとした場合、このノアニールを放置して旅を続けるか否かだ。
「……だとしても、エルフ側がこうしていい理由にもならないと私は思う。それに、もしエルフが人より賢く誇り高い種族だと言うのなら、むしろ人の愚かさと至らなさを思い知らせるはずだ。このノアニールの村にした仕打ちの理由と背景。それを人へ知らせずにいる事自体、エルフ側にも何か事情があるのではないだろうか?」
「ふむ……エルフ側にも人だけを責められぬ理由がある、か。成程、たしかに一理ある。この村の状況は見れば見る程、聞けば聞く程エルフの業に違いない。だが、それをどこか隠したいように見えなくもない、か……」
「とりあえず、エルフの隠れ里に行ってみないと分からないって事でしょ? じゃ、今は早く宿へ行って休みましょ?」
「そうですね。まずはエルフ達の言い分を聞かせてもらいましょう。それで分かる事があるはずです」
こうして私達は宿へと向かった。二人一組に別れ、私はドルバ殿と部屋へ入って装備を外した。
すぐに寝ようと思ったが、ドルバ殿は私よりも先にベッドへ横になっており、しかも既に眠っていたのだ。
「ぐー……ぐー……」
まさしく早業だろう。私はドルバ殿が魔物や盗賊達がいるシャンパーニの塔で一人で眠っていた事を思い出し、その豪胆さと凄まじさに改めて感心するしかなかった。
翌朝、ノアニールを出発し西へ向かうと次第に森が見えてきた。その中にエルフの隠れ里があるらしいが詳しい場所は分かっていない。
一応出発前に再度ご老体から教えてもらったのは、平原が見えている間はそこを行き、森しか見えなくなったらまっすぐ西へ向かって進めばいいと言われた。
言われた通りに平原を歩き森だけになったところで中へ入って西へと向かう。心なしか魔物達の姿が平原よりも多く、道中は視界も普段より悪いために苦労させられた。
特に辛かったのは私の呪文が迂闊に使えなくなった事だ。
「……こうなるとやっぱり森の中って面倒ね」
何度目かの魔物達の群れを撃退した時、フォンが噛み締めるように呟いた一言に私だけでなく残りの二人も深く頷いた。
剣も考えて振るわないと木に当たり最悪刺さってしまうし、魔物の攻撃をかわしたはいいがそのせいで木が倒れてきたらと思うと恐ろしい。
「ええ、いつも以上に注意が必要ですし……」
「うむ、救いがあるとすれば魔物達も似たような状況故に迷いが見える事か」
ドルバ殿の言うように魔物達にある知恵がこちらに有利となる事もあった。考えてみれば、魔物達も呪文を使う際に他の魔物達を巻き込まないようにしていたし、こちらの動き方次第では不利を有利に出来るのではないだろうか?
あの世界では理性や知恵などないのが当然だったが、こちらではそうではない。それに苦しめられる事が多かったが、こうなるとそれを逆手に取る事も可能と、そういう訳か。
「そういえば、向こうも呪文を使う時に躊躇うみたいな事があったわ」
「なら、それを利用して一度確かめてみるのもいいかもしれない」
「あの、勇者様、確かめるとは何を?」
「呪文を使える魔物が出た時に、他の魔物を盾にするか巻き込むような位置取りをすると言う事だろうか?」
私が頷くとステラだけでなくフォンも納得するように頷いてくれた。ドルバ殿はやはり騎士団長をしていただけあって理解力や洞察力が高いな。私が説明するまでもなくこちらの考えを周囲へ伝えてくれる。これが、おそらく組織の長にいた者ならではの能力なのだろう。
そうして再び森の中を進む。周囲へ注意を払いながら奇襲に備えていると、ドルバ殿が足と止めると同時に片手で私達を制した。
「ギズモだ。こちらに気付いていないらしいな」
言われて先を見れば、木の陰に隠れるようにしてギズモが見える。フォンも気付いたらしく感心するように息を吐いていた。気持ちは分かる。私もまったく気付かなかった。ステラなど未だにどこか分からないらしく、フォンへどこかと尋ねている。
ドルバ殿だけが真っ先に気付いたのだ。私もあの世界で注意力を磨いたと思っていたが、どうやらまだまだらしい。いや、むしろそう思って慢心していたのかもしれない。
「アルス殿、どう動く?」
「……ドルバ殿はステラと共に正面から。フォンは左側から回り込んでくれ。私が右側から回り込む。そして私とフォンがある程度ギズモへ近付いたら、ドルバ殿達が気を引いて欲しい」
「了解した。ステラ殿、私に速度を合わせる必要はない。動く際は転ばぬよう足元に注意しながらついて来てくれ」
「はい。勇者様、フォンさん、お気を付けて」
「ええ」
「ああ」
無言でフォンへ頷くと向こうも頷き返した。身を潜めながら静かに接近する。周囲の警戒もしつつ、私はギズモへと近付いていく。出来るだけフォンの事も視界に入れながら慎重に進む。
すると、フォンの背後の方でチラリと何かが動いたような気がした。気のせいかとも思ったが、念のためと思ってその場に留まり目を凝らす。
「……っ」
草の色に紛れるようにどくイモムシが見えた。フォンに教えようにも声を出せばギズモにも気付かれてしまう。と、その時だった。フォンが私の方へ顔を向けて不思議そうな顔を見せたのだ。
なので即座に私は後ろを振り向くように手や指の動きで伝わるようにしたのだが、フォンはそんな私を見て怪訝そうな顔をした。が、そこで背後の気配に気付いたのだろう。慌てて後ろを振り返った。
その瞬間、私はある事を思い付いてフォンへ叫んだ。
「フォンっ! ギズモの前へ行けっ!」
「はぁ?! っ! そういう事、ねぇっ!」
叫びながらギズモへ向かって走り出す私の耳にフォンの声が聞こえてくる。どうやら思い出してくれたようだ。
何せギズモは私の声に反応して何か呪文を放とうとしている。それも、私ではなくフォンへ向かってだ。おそらく自分へ注意を向けていないフォンを狙っているのだろう。
私は回り込んでいたため、ギズモへ接近するには時間がかかる。ドルバ殿は私達の状況を理解してから動き出しているのでギリギリ間に合わないだろうし、ステラは言うまでもない。
と、そんな時フォンがギズモへ向かって跳びかかった。それを見てギズモが呪文を放とうとするが、その瞬間フォンが小さく笑ったかと思うと近くにあった木を蹴って体の位置を変えた。
「何とっ?!」
ドルバ殿が驚きの声を上げるが私も同じ気持ちだった。ギズモもそうだったらしく、思わず呪文を放つ事を止めていた。着地したフォンは一瞬だけ背後へ目をやるとどくイモムシの位置を確認したのだろう。表情を凛々しくするとギズモから距離を取るように後方へと下がった。
ギズモはそんなフォンへ攻撃しようとするが、フォンがどくイモムシを飛び越えて着地すると間違いなく戸惑いを見せた。
「読み通りみたいよっ!」
「そのようだっ!」
フォンがどくイモムシへ攻撃を始めるのと同時に、私はギズモの背後から斬りかかった。それで仕留める事は叶わなかったが、怯ませて呪文を中断させる事には成功した。
「もう一撃っ!」
手にした剣を突き出すも、刀身が短いせいで僅かに届かない。そこへ鋭い剣閃が走る。その鋼の輝きはギズモを一撃で貫いてGへと変えた。
「惜しかったなアルス殿」
「ドルバ殿、感謝を」
こちらへ小さく笑みを見せるドルバ殿に私は戦闘の終了を察した。視線を動かせばフォンの”てつのつめ”がどくイモムシの体を貫いていたのだ。
「っと、こんなもんね」
「お見事です、フォンさん」
地面に散らばったGを拾うフォンへ声をかけながらステラも手伝いを始めた。私もドルバ殿と共にGを拾い、今後は魔物同士を間に挟んでの回避法も考慮に入れて戦う事にした。
この森で出てくる魔物で呪文を使うのはギズモとアニマルゾンビ。ただし、攻撃呪文はギズモだけで他には使う魔物は今のところいない。
ただ、これはおそらく他の行動にも利用出来る可能性が高い。これは一つ有効な戦術を得た。
「やったわね。これなら少しは魔物の相手が楽になるわ」
「ですが、攻撃呪文は防げても補助呪文の類は無理でしょう。あれは効果の発現が異なります」
「うむ、ただ回復呪文は直接使う場合もある。その際は妨害が可能だろう」
「と言う事は、あまりこの戦法を過信しない方がいいと?」
「私はそう思うぞ。いや、どんな戦法手段もだろうが過信は禁物だ。この世に絶対はないと私は思っている。もし絶対があるとすればそれは……」
「「「それは?」」」
どこか遠い目をするドルバ殿へ私だけでなくステラやフォンも声を同じくした。
「……人間を人間らしくするのは、心があるからだと言う事だろうか。善くも悪くも、だ」
その一言は私には重く響いた。あのステラから言われた言葉に通じるモノがあったからだ。
その後、もう一度だけ魔物との戦闘を切り抜けて進んだところで急に空気が変わったような感じを受けた。
「これは……」
「邪悪な気配が消えたわね」
「うむ、それに心なしか空気が澄んだ気もするぞ」
「もしや、エルフの領域というか結界に入ったのでは?」
「結界?」
「ああ、聖水を周囲へ撒く事で弱い魔物が近寄らなくなるというあれか」
「それに近いものですが、この場合は大抵の魔物でしょう。高位の僧侶の中にはそういう呪文を使える方もいると聞きます」
そうやって会話しながら歩いていると視線の先に緑髪の少女の姿が見えてきた。
「あれって、エルフ?」
「……ですね」
「だが、こちらに対する警戒心がないぞ?」
「子供だからではないのか?」
思った事を告げるとステラが小さく苦笑する。見ればフォンも同じ顔だ。ドルバ殿は何故か微笑んでいる。
「勇者、エルフって見た目と実年齢が合わないらしいわ」
「そうなのか?」
「はい。なので、見た目が子供でも百年以上生きている事もあるとか」
「アルス殿はそういう知識は歳相応なのだな。いやぁ、かくいう私も騎士団に入るまでは似たようなものだったから気にする必要はないぞ」
「あれ? 人間がいる?」
聞こえてきた声に顔を動かせば、こちらを不思議そうに見つめる翡翠の瞳があった。
「ここはエルフのかくれ里よ。あっ、人間と話しちゃいけないんだった。ママにしかられちゃう」
少女はそう言って口を押さえた。だが、その目はまだこちらを興味深そうに見つめている。おそらくだが、人間が珍しいのだろう。どこか輝くその眼差しに私は言い様の無い居心地の悪さを覚えた。
「えっと、話しちゃいけないなら頷いてくれると助かるんだけど、ここにあたし達以外の人間はいる?」
目の高さまでしゃがんでのフォンの問いかけに少女は小さく頷いた。どうやらこの少女は見た目と思考が一致していると見て良さそうだ。
「ふふっ、ではそこまで案内してもらえないでしょうか? 私達が勝手に歩くのはエルフの方達も嫌かもしれませんし」
ステラが微笑みながらフォンと同じようにしゃがんでそう頼むと、エルフの少女は笑顔で頷き歩き出した。そしてある程度行くとこちらへ振り向いて手招きする。
「どうやら本当に案内してくれるようだな」
「そのようだ。おそらくだが、年若いエルフ故にこちらへの警戒心よりも興味の方が強いのだろう」
「可愛いわね、あの子」
「はい。見てください。こっちへ手を振ってます。急ぎましょう」
エルフの少女は、フォンの誘導で名を教えてくれた。話すというのは言葉を交わす事だから独り言なら話ではないと、そうフォンは言って私達の名を教えたのだ。
そうして少女が告げた名はリアラ。何でもエルフの女王から直々に付けてもらった名だそうで、リアラもそれが自慢だと言った。
リアラが先導しているからか、里のエルフ達もこちらを訝しげに見てくるものの、明らかな敵意は向けてこなかった。そして、私達は里の中心であろう池の近くへ連れてこられた。
「あそこにいる人がお姉ちゃん達と同じ人間だよ」
「そう。案内してくれてありがとう、リアラ」
「この事は貴女のお母さんには黙っておきますね」
「感謝するぞ少女よ」
「私からもエルフの少女に感謝を」
リアラが指さしたのは一人の老人だった。リアラは私達の感謝に微笑み、小さな手を振ってまた来た道を戻っていく。おそらくだが、彼女はこの里に来る者を待っているのだろう。
もしエルフが彼女のように接してくれれば、そして人間もフォンやステラのように接していけば、両者の対立や衝突はなくなるのではないだろうか?
だが、それは人間同士でも中々難しい事だ。故に争いは起こり、血は流れてしまうのだから。
「お爺さん、ちょっといい?」
「ん? お前さん達は……」
「私達はノアニールの村から来ました。その、狩人をしていた方からお話を聞いて」
「おおっ、そうですか。実は、村の異変はわしの息子が原因なのです」
ご老体はそう言って一つの昔話をしてくれた。
ご老体の一人息子がエルフの娘と恋に落ちた。だが、エルフの掟のせいでエルフの娘は結婚を認めてもらえなかった。そのため、二人は行くあてもなくそのまま行方知れずとなったのだと言う。
ご老体は、息子と娘が本当に好き合っているなら村で暮らせばいいと言うために彼らを探してここまで辿り着いたのだそうだ。
そこで結婚を許さないエルフの女王に結婚を認めてやって欲しいと、それを直訴し続けているらしい。
だがしかし、そのエルフの娘は女王の娘でもあったらしく、エルフ達の掟に背いたために未だに認める訳にはいかないと女王はご老体の言葉を退けていると、そうご老体は話しを締め括った。
「……では、村の現状はご存じなのですか?」
「聞いておるよ。女王から言われたのだ。わしの息子が娘を誑かした、その報いだと」
「何と……」
予想通りと言っていいのか分からないが、やはり村の異変の切っ掛けは人間側か。
「だが、これだけは信じて欲しい。あの二人は本当にお互いを好き合っていた。息子が誑かした訳でも、アンが押し掛けたのでもない。二人はただ一緒に居たかっただけなんじゃ」
「だけど、そんな二人の居場所がどこにもなかったのね……」
「わしらがもっと早く受け入れてやれば良かった。エルフが人間の世界で上手くやっていけるか。息子が騙されてはおらんかと、要らぬ気を回した結果がこれじゃよ」
がっくりと肩を落とすご老体を見て、私達はかける言葉が見つからなかった。後悔とは先にこないからこそ後悔なのだと、そこで私は改めて感じた。
「勇者様、次はエルフの女王様の意見を聞きましょう。片方だけの意見では考えや見方も偏ります」
「ステラ殿の言う通りだ。アルス殿、行きましょう」
「分かった。ご老体、女王はどちらに?」
「近くまで案内しよう。エルフ達もわしへ話しかける事などはないが追い出す事もしないので、おそらく人間へ干渉するなと言われているのだと思う。それと、ドワーフを通じてわしへ食べ物などを少しではあるが与えてもくれる。思っていた以上にエルフは人間を嫌ってはいないのかもしれん」
「もしくは、お爺さんだからかもしれないわね。何年もここで息子さんやエルフの娘さんの事を認めてやって欲しいって、そう訴え続けているんだもの。その誠意と熱意だけはエルフも認めてくれてるのかもしれないわよ?」
「……そうだといいのだがなぁ……」
どこか遠い目でご老体がそう呟いたのが、私には印象的だった……。
「娘のアンは人間に誑かされたのです。それでなければゆめみるルビーを持ち出す事もないはず」
意外にもエルフの女王への謁見は許された。ただ、とてもではないがこちらの話を聞くつもりはないように思えた。その最たるものが今の言葉にある。女王の中では悪いのは人間と確定されていたのだ。
おそらくだが、あのご老体が追い返されないのは同じ親故の温情なのだろう。そういう意味ではこの女王も器の大きい者と言えるかもしれない。だが、これではノアニールの村の呪いを解いてもらう事は出来ないだろう。
私達は女王の説得を諦め、これからどうするべきかを相談し合った。一番は行方知れずの二人を見つけ出す事だろう。女王の言った”ゆめみるルビー”とやらを返せばまだ話を聞いてくれるかもしれないと。
問題は二人がどこへ行ったかだ。ノアニールの村の次にある人の暮らす場所はカザーブであり、いくらエルフとは言え女性と二人連れで越えるにはあの山道は険しい。更に、もし二人が訪れていれば噂にならぬはずはないとフォンが言った。
となると、後はこの辺りで二人が行きそうな、あるいは行ける場所を探すだけだ。
「ならば行きそうな場所ではなく行ける場所を当たる方が良かろう。きっと前者は既に捜索されているはずだ」
「そうよねぇ。じゃ、聞き込み?」
「とはいえノアニールの村では出来ませんから、必然的にここでとなりますが……」
ステラの表情が曇る。リアラはともかく他のエルフ達はきっと話をしてくれないだろう。そういえば、先程ご老体がドワーフから食べ物を得ていたと言っていたな。
「ならば、ドワーフとやらを探してみよう。ご老体へ食べ物を渡していたらしいし、話をしてくれる可能性は高いはずだ」
「おおっ、それがいい。ならばあの老人へ居場所を聞こう」
そうしてご老体にドワーフのいる場所を教えてもらい、私達は池の周辺を歩いていた。
「それにしても、綺麗な水ね」
「そうですね。普通の川の水ではないのかもしれません」
「ステラ殿、何故そう思われる?」
「えっと、微かに魔法力を感じるのです」
言われて私も池の水を見つめてみるが、ステラと違いそんなものは感じられなかった。ただ、池の中を泳ぐ魚は中々立派な大きさをしていて、その姿も美しく思えた。
やがて池の近くで座って里の中を眺めている子供程の大きさの男性を見つけた。あれがドワーフなのだろう。向こうもこちらに気付いたらしく、少しだけ驚いた表情を浮かべていた。
「おや、こんなところに人間とは珍しい。悪い事は言わないから早くお帰り。間違ってもエルフと恋に落ちたら不幸になるからね」
「私達はその事で聞きたい事があるのだ。ドワーフ殿、駆け落ちした二人がこの辺りで行ける場所にどこか心当たりはないだろうか?」
ドルバ殿が単刀直入に話を切り出すと、ドワーフ殿はやや悲しげな顔をして首を横に振った。
「ないよ。あるとしたらとうにエルフ達が探しているさ」
「では、やはり捜索を?」
「ああ。アン様は女王様にとって後継者であり大事な一人娘だったからねぇ。だからこそ、そんな娘を人間の男に盗られたと思って怒り狂ったのさ。ゆめみるルビーまで持ち出したのが不味かったんだろうなぁ」
「すまないがそのゆめみるルビーについて教えてもらえないだろうか? 一体何故それをアン殿は持ち出したのかも」
「さて、さすがにそれはわしも知らんよ。ただ、持ち出した理由は分からないでもない。人間と暮らすとなれば金がいる。宝石は人間達の間では高価だとアン様も知っていた。だから、だろうね」
「要するに先立つ物として持ち出した?」
「そんなとこだろうさ。ただ、女王様はそれを人間が唆してやらせたと思っているみたいだ」
そう言うとドワーフ殿は悲しそうにため息を吐いた。おそらくだがドワーフ殿はあのご老体の息子がそうさせたとは思っていないのだろう。私もそう思う。もしそうだとすれば、何故駆け落ちなどしたのか。
最初からルビーが目的であれば、それを奪い逃げているはずだ。もしかすると、女王もどこかでそう思いながら目を背けているのかもしれない。
愛する娘を悪いと思いたくない一心で、相手の男をひたすらに悪者と決めつけているのだ。
「あのさ、あのお爺さんに食事を与えてるって聞いたんだけど」
「ん? ああ、その事か。もう何年も女王様へ訴えてるんだよ、あの人間は。それも、二人の事を認めてやって欲しいの一点だ。一度として村の呪いを解いてくれとは言わないんだ。自分の事ではなく、あの人間は息子とアン様の事を思っている。我々ドワーフもそしてエルフも、何よりも価値があり尊ぶのは心だ。綺麗な心に勝るものはない。だからエルフ達でさえ、あの人間には若干の同情を抱いているんだよ。わしもその一人だ。だから、あんなにも綺麗な心を持つ人間がいるのかと、そしてそんな人間の息子ならばもしかしてと、皆思い始めているんだよ」
ドワーフ殿の語ってくれた言葉は私の胸を打った。種族の違いを超えて、その手を差し出させたのは、心を動かしたのは、誠実で強い心なのかと。
「ドワーフ殿、貴重な話を聞かせてもらい感謝を」
「いや、あんた達も人間にしては良い心を持っているようだ。まぁ、そもそも邪な心を持つ者はここには入れないんだがね」
「そうなの?」
「ああ。エルフの結界は邪心に反応するんだ。そうでなければ、あんな小さな子を里の入口近くで遊ばせないよ」
リアラの事を言っているのだと思い、私は納得するしかなかった。そして、だからこそ里のエルフ達も私達を怪訝な目で見るだけで済ませていたのか。
「あの、もう一つお聞きしても良いでしょうか?」
「何だい?」
「この池の水はどこから来ているのですか? 魔法力を帯びているようなので気になって」
「これは里から南に行った場所にある洞窟からだよ。この池の底からその洞窟の水が湧き出しているんだ」
「南にある洞窟? そこに二人が行ったって可能性はないの?」
「ないと思うぞ。二人がいなくなった頃はまだ魔物も今ほど凶暴ではなかったとはいえ、あの洞窟は元々魔物達の棲み処だ。しかもあるのは大きな地底湖ぐらいで、他には何もない場所なんだよ? 二人で幸せになろうとしていた者達が行く場所じゃない」
ドワーフ殿はそう言ってから小さく笑う。まるでその幸せを祝ってやれなかった事を悔やむように。
私達はドワーフ殿に礼を述べ、その場を後にした。しばらく歩いたところで休憩がてら相談しようと腰を下ろしたのだが、ステラが暗い顔をしていたのが気になった。
「ステラ、どうかしたのか?」
「……さっき、ドワーフさんはこう言っていました。二人で幸せになろうとしていた者達が行く場所じゃないと」
「そうだな」
「では、もし二人が幸せになれないと思っていたら、どうでしょうか?」
告げられた仮定に私だけでなくフォンとドルバ殿まで息を呑んだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ。じゃあ、何? 二人は駆け落ちしたけど、それはどこかで幸せになろうとしたんじゃなくて……」
「もうどこにも自分達の居場所はないと悲観しての、逃避行だったと」
「有り得ないとは言えません。もしアンさんがノアニールの村で起きた事を聞いたとすれば、どう思うでしょうか?」
自分が人間と恋に落ちたせいでその最愛の人の故郷が眠り続ける事となった。それも、やったのは自分の母親だ。たしかに、これをどうにかしても自分の故郷と相手の故郷が仲良く友好的にとはなれないだろう。
「……アルス殿、これは確かめてみるべきかもしれん。そもそもゆめみるルビーが未だに行方知れずなのも気になる」
「そうね。もし売ってたらとっくに噂になってるだろうし」
「今も二人が所持しているかその洞窟に隠してある可能性が高いか。だが、もしその洞窟に行ったとすれば……」
おそらく生きている可能性は無に等しいはずだ。何せ、そこに行ったのはただの男性とエルフの娘なのだから。
私の言いたい事を察して誰もが悲痛な表情を見せた。きっとステラ達も悟っているのだ。二人はもうこの世にいないのだろうと。
それでもそれを口にする事無く私達は里を後にした。里を出る際、リアラに見つかりどこへ行くのかと尋ねられたので、南にある洞窟と告げると気を付けてねと笑顔で送り出された。
あの笑顔に少しだけ私達の雰囲気は軽くなった気がする。人間と話してはいけないと言われているエルフの少女が笑顔で私達を見送ってくれた事。その事が持つ意味と温かさを胸に私は森の中を南へと進んだ。
そうして歩いていると程なくして洞窟は見つかった。中へ入ると淡い光が壁などから出ている。おそらくだが、この洞窟の岩などに発光する物が含まれているのだろうとステラが教えてくれた。
ドルバ殿は魔法力を秘めた鉱石であるミスリルと呼ばれる物かもしれないと補足してくれ、その金属で作られた防具は呪文に対しての抵抗力を持つそうだ。
「まほうのよろいと呼ばれるらしいが、私も見た事はない」
「高いの?」
「かなりの値が張るそうだ。まほうのたてと言うのもあるが、そちらも中々高いらしい」
「しっ! ……何か来るわ」
洞窟は一本道故に最後列にステラを配置し、先頭をドルバ殿に歩いてもらっていたのだが私の後ろのフォンが何かに気付いたらしく、鋭い視線で前方を見つめていた。
すると、向こうの方から何か近付いてくる。それはキノコの魔物だった。確実におばけキノコの亜種だ。となるとブレス攻撃に注意するべきか。
「ドルバさん、ここはあたしに任せてくれる?」
「……気を付けるのだぞ」
そう言ってドルバ殿は体を横へ移動させる。私もフォンが通れるように体を壁際へと寄せた。その瞬間、フォンが身を低くしながら駆け出して魔物へと向かって行った。
しかも、フォンはその速度を途中で更に上げたのだ。だからだろう。魔物の方もそれに意表を突かれて驚いている。そこでフォンは跳び上がって魔物へ”てつのつめ”を突き出した。
「シッ!」
その一撃に魔物は為す術なく貫かれて消えた。
「……見事なものだ」
「うむ、相手の意識を乱しながら攻撃するとは見事。それに、あの速度は中々のものだ」
「まっ、こんなもんよ。正直空へ逃げられないなら魔物があたしに勝てるはずはないわ」
胸を張って笑うフォンにドルバ殿が笑みを見せステラも微笑む。その後、Gを拾って先へ進んだ。
洞窟の中は思っていた以上に魔物達が巣食っていて、ドワーフ殿が言う通りここへ来る事は危険しかないだろう。かつてはそうではなかったのかもしれないが、それでもだ。
しばらく進み下への階段を見つけたのだが、何と二つもあった。とりあえず向かって左側を下ると、また下への階段があったので下る。その先には宝箱が一つあるだけでその先には上への階段。階段を上って進んだ先にも上への階段。結局最初の階層まで戻ってくる事になった。
「で、またここへ戻ってきた訳ね」
「次は右側でしょうか」
「そちらが当たりだろう」
「だといいんだがなぁ。それにしても、ここの魔物はちと厄介だ。あのこうもりおとこの強化体は呪文を使ってくるわ、おばけキノコの強化体はあまいいきで眠らせてくるわと」
「そうですね。勇者様がご自分で回復出来るから良かったですけど、そうでなかったら……」
ステラがそこで口を閉じた。実は一度魔物の攻撃でステラが眠ってしまったのである。幸い大事はなかったが、いざと言う時の回復役がいなくなると苦しくなったのだ。分かっていた事ではあるしこれまでもそうだったが、やはりステラの存在は大きいのだと改めて実感したものだ。
「本当にこうなるとステラの眠り易さは問題ねぇ。いつもちゃんと寝てる?」
「ね、寝てますっ! それにこれはそういう問題じゃないと思いますからぁ!」
「うむ、私もそれには同意見だ。人間、寝たくないのに寝てしまう事はある。私など気が付いたら眠っていた事が多々あるぞ。がははっ!」
「ドルバさんは簡単に寝過ぎなのよっ!」
豪快に笑うドルバ殿へやや怒り気味にフォンが指摘した言葉にステラが苦笑する。私もフォンに同意見ではあるが、そこまで言う事だろうか? あのカタリナの騎士など見かける度に寝ていたような気さえするのだが……。
そこまで考え、私は彼とドルバ殿の違いを思い出して言うべきだと考え直す。彼は不死だった。だから寝ている間に殺されても心が折れてさえいなければ何度も立ち上がる事が出来たのだ。
「ドルバ殿、分かっていると思うが眠っていい時といけない時がある。フォンは貴公の事を心配しているのだ」
「うむ、分かっておるよアルス殿。なぁに、私とてフォン殿を義娘として迎えるまでは死ぬ訳にはいかぬ」
「な、何言ってるのよ。べ、別にあたしはマイヤーのお嫁さんになるって決まった訳じゃ」
「マイヤー殿を呼び捨てているのか?」
「っ?!」
「勇者様……」
「ふむ……アルス殿は女子の相手をある意味不得手としているようだな」
私の疑問に真っ赤となってフォンが黙るのを見て、ステラとドルバ殿が似たような表情で私を見つめてきた。
何か問題があったのだろうか? 私には特に分からないのだが、二人の反応を見るに今のは口にしてはいけないものだったのだろうな。
こうして私達は先程と逆の階段を下った先で奇妙な場所を目にした。明らかに何者かの手で整備されたと思われる柱を四本と、その中心に微かな光が帯のように生じている場所があったのだ。
「あれは……?」
「分かりませんが、強い魔法力を感じます」
「行ってみる?」
「そうだな。確かめておいた方がいいだろう。アルス殿、構わないか?」
ドルバ殿の確認に頷き、私達は柱の中心を目指して歩き出す。と、そこでステラが何かに気付いて足を止めた。その視線はその場所の周囲を流れる水へと向けられている。
「分かりました。この水があの里の池へ沸き出しているんです。この水がこの場所の魔法力を含んで流れているから、あの池の水は魔法力を宿していたんでしょう」
「では、この場所はエルフ達が?」
「かもしれません。もしかすると何百年も前にこの場所を作ったのかも」
「それが魔物が蔓延るようになって忘れられたか、あるいは放置されたってとこか」
フォンの言葉には微かな悲しみが宿っていた。おそらくだがシャンパーニの塔を思い出しているのだろう。あそこも似た理由でカザーブの民からは放置されたのだ。
「それにしても、この場所は一体何のために?」
「分かりませんが、きっとここにある地底湖への休憩地だったのでしょう。あの中心は結界が張られているようです。そこで体を休めるためかと」
「では、我らもそうさせてもらおうか。実はあのあまいいきのせいで眠くて仕方ないのだ」
「ホントドルバさんって……」
「フォン、もしかするとそうやって眠れる時に寝ているからドルバ殿は眠りに強いのかもしれない」
「…………否定出来ない」
がっくりと肩を落としてフォンはそう呟いた。それを見てステラが小さく笑い、それに気付かずドルバ殿は意気揚々と歩き出していた。
中心部はステラの言った通り静かであり、不思議と体の疲れなども消えていった。ステラ曰く、強い魔法力で回復魔法に近い効果が出ているのだろうとの事。
なのでドルバ殿ではないが私達も仮眠を取る事にし、少しの間そこで休息を取った。目を覚ました後、そこの水を少しだけ飲み、私達は先を進む事にした。
洞窟の中はそこまで入り組んでおらず、何度か道を間違える事はあったものの苦戦せず進んでいく事が出来た。やがて、広い湖が見える場所まで辿り着くと、複数の柱の中心にそれまで見てきた宝箱と少しだけ異なる宝箱が置いてあるのが見えた。
「……ドルバ殿、あれをどう見る?」
「そうさなぁ……明らかに今まで見てきた物よりも新しい。それに、置かれている場所も妙だ」
「そうね。あそこってもしかして重要な場所なんじゃない?」
「だと思います。弱いですがあの休憩を取った場所と似た空気を感じますし、もしかしたらここは元々エルフにとっての聖域だったのかもしれません」
言われて見ればここも水に囲まれている場所だ。成程、確かにここはエルフにとって何らかの意味を持っているのかもしれない。
魔物に注意しつつ進んで宝箱の前まで到着するも、何故かいつも真っ先に開けるだろうフォンが大人しい。
「フォン、どうした? 開けないのか?」
「え? あ、うん。何て言うか、これだけはいつもみたいな感じで開けられないのよね。何て言うの? 勘かな。これ、絶対気楽な気持ちで開けていい物じゃないって思うんだ」
「ふむ、ではこの中身がもしゆめみるルビーであったら、フォン殿の勘は当たると言えるな」
「勇者様、開けてみてください」
ステラに促され、私は宝箱を静かに開ける。鍵などかかっておらず、あっさりと箱は開いた。中からは真っ赤な宝石が現れる。覗き込むと吸い込まれそうな、不思議な力を感じる宝石だ。
「……見事なルビーですね」
「うむ、どうやらフォン殿の読みは当たったようだ」
「うわぁ、立派なルビーね、これ。ん? まって。箱の裏側に何か書いてあるわ」
フォンの言葉で皆の視線が箱の裏側へと集中する。そこには、たしかに文字が書かれていた。
まだ読み書きが完全ではない私のためか、ステラが書かれていた内容を読み上げてくれた。
その内容をまとめると、まずアン殿達はここへやってきたらしい。それは、この世で添い遂げる事が出来ないのならせめて死後の世界で結ばれたいというものだった。
「……つまり、二人はここで身を投げた訳か」
ドルバ殿がそう言って地底湖を見つめた。静かなその水面の底には、悲しいエルフと人間の遺体が眠っているのだろうか。
「悲しすぎるわよ、こんなの。何で、何で二人が死なないといけないの? 二人はただ、好き合って一緒に居たかっただけじゃないっ!」
「フォンさん……」
「どうするのよ、これ……。あたし達、どう伝えればいいの? あのお爺さんにも、女王様にも、辛い結果しか、話せないじゃない……」
「フォン……」
膝から崩れ落ちるフォンを、私は支えてやる事が出来なかった。どう言葉をかければいいのか。何を彼女が泣いているのか。それが私には正しく理解出来なかったからだ。
「アルス殿、今は泣かせてやろう。あの優しい少女は、死した者達の分まで泣いているのだ。本当に、良い娘だ。リンデがマイヤーの事を抜きにしても気に入るはずだ。私も、改めて我が家に欲しくなった」
「ドルバ殿……」
「人は、大抵は自分のために涙を流す。だから人のために泣き、笑い、怒る事が出来る人間は強く優しい。フォン殿は正しく強く優しい心を持っている。私も、ああでありたいものだ」
「……私も、そうなれるでしょうか?」
ドルバ殿の言葉は私には重く響いた。他者のために泣き、笑い、怒る事。私には、ほど遠い感覚だ。そもそも自分のためにさえ涙など出せるのだろうか?
不死であったからこそ、私は未だ感情というものが希薄だと思う。それ故にステラやフォンに呆れられる事もあるのだろう。
そんな私が、果たして強く優しい心など持てるのだろうかと、そう思ったのだ。
「なれるかは分からぬが、なろうと思い続けていれば近付く事は出来ると私は思うぞ。アルス殿、決して勘違いしてはならぬが、人のために泣き、笑い、怒る事は何も顔や声に出す事だけではない。時には胸の内にそれを秘める事もある。特にそなたは勇者だ。皆が涙し、あるいは激怒していても、それらをまとめ上げ先へ進ませなければならぬ時もあるだろう」
「……心を強く持てと、そういう事だろうか?」
「今はそれでいい。忘れてはならんぞアルス殿。勇者とはどういう意味か。その呼び名に託されたものや込められたものは、いかなるものか。私はそなたならばそれを決して間違わないでくれると信じている」
私の目を真っ直ぐ見据えて告げられた言葉には、思いの外重たいものが込められていた。私がドルバ殿と話している間にステラがフォンに寄り添っていたらしく、振り向いた時にはフォンが目元を拭って立ち上がっていた。
「フォン、もう大丈夫なのか?」
「すんっ……うん、大丈夫。ごめんなさい、心配かけて」
「フォン殿、気にする必要はないぞ。女子は少し涙もろいぐらいが丁度いいのだ。がははっ!」
「はいはい、どうせあたしは涙もろいですよ~っだ。勇者もありがとね。そっとしておいてくれて」
「いや、私はドルバ殿に言われた通りにしただけで」
「それでもよ。ステラもありがとね。あのままだったらずっと引きずってたもの」
「いえ、私も同じ気持ちでしたから。女としては、アンさんの嘆きと想いは胸に迫るものがありましたし」
言われて見ればステラの目も少し赤い。おそらくだが二人で涙を見せ合ったのだろう。涙、か。今の私は体がアルス故に涙も流せるだろうが、本来の私では無理だったろうな。
そんな事を思いながら来た道を戻る。心なしかフォンの動きが行きよりも鋭い。それとステラの行動も幾分早い気がする。
「ドルバ殿、フォンとステラの様子が行きと違うような気がするのだが……」
「おそらくだが、アンというエルフの娘に想いを重ねているのだろう。だからこそ、その無念を確実に女王へ伝えなければと、そう思っているからこその現状だ」
「成程」
「ん? 不思議に思わないのか?」
「何をだろう?」
「ステラ殿は何故エルフの娘に感情移入しているのか、だ」
ドルバ殿はどこか楽しそうにそう告げて歩みを早めた。私はそれに置いて行かれぬように足を進める。
それにしても、ドルバ殿にしては珍しく声が抑えめだ。何かフォンやステラに聞かれて不味い事でもあるのだろうか?
「フォンと同じではないのか?」
「がははっ。アルス殿は女心が分からぬようだ。私でも分かるというのにそれが見えぬか。どうやらアルス殿の恋愛方面はかつての私よりも情けないと見える」
「恋愛……」
アルスならともかく私にはたしかに縁のないものだ。色恋、というものはそれだけあの世界では珍しいものであった。
「エルフと人間。今回は種族違いの恋だったが、ある意味で身分違いの恋とも言える。エルフの姫と平民の男だからな」
「そうだな」
「ステラ殿は、おそらくそこに気付いて二人へ気持ちを重ねたのだろうなぁ。もしかすると、自分も似た立場になるかもしれないと」
「似た立場?」
「好きな男が最終的には各国の姫をあてがわれるような存在になるやもしれん。そうなれば自分など相手にならないと、そういう事だ」
そこまで言うとドルバ殿は私へ振り向いてこう締め括った。後は私が自分で考えなければいけないと。よく分からなかったが、ドルバ殿の言う事だそうしよう。そう思って頷いておいた。
そこで隊列を少し乱していると気付いて私は少しだけ後ろへ下がった。すると、フォンが近付いてきたらしく背後に気配を感じた。
「勇者、一体何をドルバさんと話していたの?」
「それは……男同士の話だ」
一瞬正直に答えるべきだと思ったのだが、ドルバ殿が声を抑えた事を思い出して誤魔化す事にした。フォンはその答えに少しだけ驚いたが、すぐに苦笑して納得するように頷いてくれた。
何となくだが、その表情は私が隠し事をした事を察した上での笑みだと分かった。これも、きっと成長なのだろうな。そんな事を思いながら私は歩く。背中から小さく聞こえるフォンの抑えたような笑い声を聞きながら……。
「……そうですか。アンがそんな事を……」
洞窟から戻ると既に日が暮れていて、エルフのかくれ里に辿り着いた時にはやや夜になろうとしていた。それでも女王に急ぎで伝える事があると告げ”ゆめみるルビー”を見せたところ、傍付きのエルフ達が慌てて謁見の許可を取りに行き、女王はこちらの渡した”ゆめみるルビー”とステラの伝えたアン殿の遺言を聞いて涙を流した。
「女王よ、全ては些細な事で上手く収まったのだと思います。掟は大事でしょうし、守っていかねばならぬ事もあるかと思います。人間の中には確かに邪悪な心を持つ者もいるでしょう。ただ、これだけは言えます。アン殿の相手を見る目は正しかったのだと」
「そう、かもしれません。人間だからと偏見の目で見るのは愚かな事でした。あの子、アンは私よりも王に相応しい器だったのかもしれません」
「あの、女王様。あたし達が言える事じゃないけど、もう少し人間をちゃんと見てください。アンさんが選んだ相手のように、種族に囚われず思い合う事が出来る人もいるんだって。そして、もうこんな悲しい事が起きないようにしてください」
「……約束は出来ません。ですが、今後もしこの里へ人間が来る事があれば、その者を邪険にはしないと約束しましょう。ただ、人間が私達へ危害を加えなければです」
「それで構いません。むしろ、そういう人間がここへ近付かないよう、私達もここの事は口外しないようにします」
「そうしてくれると助かります。では、ノアニールの村へかけた呪いを解きましょう」
「待って欲しい。エルフの女王よ、呪いを解くのは明朝にしてくれまいか? おそらくだが呪いをかけたのは日が昇っている頃だったはず。今解いては村の者達が何かあったと察してしまう。そうすれば、今回の悲劇を話さねばならん。それは、あまりお互いによくない結果へ結びつかないとも言えないのではなかろうか?」
ドルバ殿の言は一理あった。いくら眠らされていただけとはいえ、長い年月を無為に過ごされた事に変わりはないのだ。エルフへの要らぬ悪感情を抱かぬとも言えない。
女王もそれを察したのか、小さく息を吐いて頷いてくれた。その後、女王は”ゆめみるルビー”を私達へ返そうとしたのだが……
―――それはアンさんの遺品って面もあると思うの。だから、お母さんが持っててあげて。
そうフォンが悲しげな笑みで告げると、女王は無言でルビーを抱えて頷いたのだ。こうして女王の前から失礼した私達はあのご老体へと二人の事を話し、呪いを朝に解いてもらう事を告げた。
ご老体はしばらく黙っていたが、静かに涙を流すと私達へ感謝を告げてきた。その背中が急に小さくなったような気がして、私は思わず明日の朝になったら村まで護衛すると申し出た。
「それは助かるのぅ。すまないが、よろしく頼みます」
そう言って頭を下げる姿が、私にはやけに寂しそうに見えた。
翌朝、女王は約束通り呪いを解いてくれ、私達はエルフのかくれ里を後にした。リアラが次はいつ来てくれるのかと聞いてきたので、いつかは分からないとだけ返すとその笑顔が曇った。
ただ、その後ステラがまた必ず来ると言うと輝くばかりの笑顔へと戻った。里を出て行く私達へいつまでもリアラは手を振ってくれた。振り返すフォンとステラはどこか寂しそうに見える。
「ドルバ殿、リアラとの約束は……」
「アルス殿、世の中には誰かのためにつく嘘も必要な時がある。だが、間違えてはいかん。最初から嘘にしようと思う嘘と、結果的に嘘になってしまう嘘がある。ステラ殿のは後者になるかもしれないな」
「……では、私がそれを真とすればいいだけか」
「ほう、アルス殿も少しは女心が、いや人の心が分かるようだ。そう、それでいい。女子の嘘を嘘にしないために男は汗を流すのだ。そして、自分の告げた言葉も嘘にしないようにも、な」
ドルバ殿の言葉は私には難しい事が多い。だが、それを理解しようとすればきっと私も人間らしくなっていけるのだろう。そう思って私は頷いた。
チラリと振り返ればリアラの姿が小さく見える。なので私も一度だけ手を上げ振り返した。気のせいか、リアラがその瞬間嬉しそうに飛び跳ねてくれた気がする。
「勇者、良かったわね。リアラ、凄く嬉しそうにしてたわ」
「そうか」
「ふふっ、もしかしたらあの子、勇者様を好きなのかもしれませんね」
「だとすれば嬉しい事だ。あの子には、人間を嫌いにならないでもらいたい。そして、あの子を人間が傷付けないようにも」
「そうね。とりあえず、今はノアニールの村へ戻りましょ」
「お爺さん、奥様へ今回の事はどうお伝えするのですか?」
「……黙っていようと思う。わしがこうして老いてしまった事で、あいつもどこか悟るかもしれんがの」
ご老体の声には小さな諦めが宿っていた。私も内心で同意したのだ。女性は他者の心を読む事や察する力に長けていると。
ステラやフォンが何も言わない事がそれを裏付けているように思える。ドルバ殿も無言で頷いていた。どうやら私の感じた事は間違っていないらしい。
森を進み、途中で出現する魔物達を撃退しながら歩いているとやがて森を抜けた。久しぶりの平原はとても解放感があり、そして同時に警戒心を持たねばならないと思い出させてくれる。
森の中では木の葉や樹木などが音を鳴らして魔物達の接近などを教えてくれていたのだ。だが、平原にはそれがない。そう思うと、見通しがよく障害物がないのも考え物かもしれない。
ただ、森の中での戦いや洞窟での戦いなどを経験したからか、ドルバ殿以外の強さが上がっているように感じられた。レベルアップをしたのだろう。
と、そこで思い出した。あの村には教会がなかった事を。もしかして、それもエルフのかくれ里が近くにある影響なのだろうか。あの村では、教会が必要とされない理由があるのかもしれない。
「ご老体、少しいいだろうか?」
「何かな?」
「その、村には教会がなかったが、それには理由があるのだろうか?」
「ああ、その事か……ふむ」
何故かご老体は私達を見つめ、やがて目を一瞬閉じたかと思うと息を吐いてこう告げた。
「息子の事もある。あんた達は信じるに値すると思って話そう。実はの、昔から村にはエルフの里の事が知られておった」
「そっか。考えてみれば、あの狩人のお爺さんも知ってたもんね。それに、あまり驚いてもいなかったし」
「では、村では神を信じる事はなかった?」
「少し違うの。村では教会を必要とする事がなかったんじゃ。神を信じていないのではなく、十字架に祈る事を必要としなかった。わしらの村では神とは女神であり、それも森の中にいると言われていての。おそらく、古にわしらの先祖が森の中でエルフを見たのじゃろう。それを神と勘違いしたんじゃろうて」
ご老体の話は納得出来るものだった。確かにあの成人したエルフの姿は、何も知らずに見たら女神と思ってもおかしくない。
彼らの中では祈るべき神は森の中に住まうエルフであり、教会にある十字架ではなかった。だから教会が根付かなかった。彼らにとって教会はむしろ異端であり、自分達と他の者達が祈るべきものが明確に異なるという証明でしかなかったのだろう。
ただ、ご老体曰く教会の関係者達へは正直に話すのではなく、教会建設のための土地がない事やそのための人手も割けないという理由で断ったと教えてくれた。
教会を敵に回すのは色々な意味で禍根を残すと思ったのだろう。ステラは複雑な表情をしていたが、教会の元々の意義は人々の心の安寧を保つ事だと言って村の人々の考えを受け入れていた。
「土着の信仰と言う訳だな。ふむ、話に聞いた事はあったが本当にあるのだなぁ」
「あたしはそういうのあまり詳しくないけど、ステラは何か知ってる?」
「私もそこまでは。ただ、世界には独特の信仰を持つ場所があるとは聞いた事が」
「僧侶のお嬢さんや。あんたに言っても仕方ないとは思う。ただな、教会だけが神の教えとは思わんでくれ。みな、それぞれの中に信じる神がある。古くには邪神を崇めた者達もいたと言うし、異形の者を神とした者達もいたと聞く。だが、それもその者達には神の教えだったのじゃ」
「……間違っていると、そう正すだけではダメ。そう言いたいのですね?」
「そうしてくれると助かると言う事じゃ。その者達が何故その教えに走ったか。どうしてそんな教えが根付いたか。それを知った上で間違っているのなら正してやればいい。お嬢さんなら、それが出来るとわしは思うよ」
「そう、ですか。ありがとうございます」
どこか嬉しそうな顔でステラは微笑む。私はそれを見て視線を前へ戻した。もう村は目の前に迫って来ていた……。
村へ到着した私達はご老体を家まで送り届けた。するとこれまでの疲れからかご老体はすぐにベッドへと入って眠ってしまったのだ。
ただ、奥方には感謝を告げられた。だがそこで、また胸の苦しくなる言葉を聞く事になった。
―――あたしの息子はエルフの娘と駆け落ちしちゃったんだよ。二人が愛し合ってるなら認めてあげようと、うちの人が探しに行ったけどみつからなくて。おかげでうちの人も随分フケちゃったよ。
あのご老体がエルフのかくれ里へ向かった最初の理由が分かったのだ。そして、もっとも私達の心に残る言葉はこの後だった。
奥方はご老体をチラリと見やってどこか苦笑すると、こちらへ向き直って困ったような笑顔でこう締め括ったのだ。
―――あんた、どこかでうちの息子に会ったら伝えておくれ。二人一緒に帰っておいでって。
その言葉を聞いた瞬間、私は即座に頷いて奥方へ背を向けてその場を後にした。
家を出るとフォンがステラへ抱き着いた。その肩が震えていたのできっと泣いているのだろう。ドルバ殿も空を見上げて動かなくなっていた。私でさえも、何とも言えぬ気持ちで言葉がない。
あったのだ。あの二人が幸せに暮らせる場所が、迎え入れてくれる場所が。ああ、あのご老体の言った通りだ。
もっと早く二人を受け入れてやれば、少なくても誰も訪れる事のない地底湖に若い男女が身を投げる必要などなくなったのに、と。
そう思った瞬間、私の頬を何かが伝った。触ってみれば、それは熱く指を濡らした。
「……これが、涙か」
小さく呟く。私は、今、何に泣いているのだろうか? 死した二人にだろうか。それとも何も知らず二人の帰りを待ち続ける事になる奥方にだろうか。あるいは、全てを知った上でそれを胸に秘め続けるご老体にだろうか。
いや、きっと私が涙しているのはこの世の不条理にだろう。ほんの些細な事で得られたかもしれない幸福があったのだ。もしかすれば、アン殿がエルフと人間の新しい時代を切り開いたかもしれない。
人とエルフ。異なる種族がその手を取り合って微笑み合うような、そんな時代を……。
きっとノアニールのイベントにこんな背景はないと思います。ただ、色々と考えた結果自分はこうだったんじゃないかと思いました。