七月一九日
第一学期が終業を迎え、明日から夏季休暇に突入する。世間一般の学生であれば、気分が高揚して然るべき事態であることは間違いない。
記録対象である上条当麻もその例に洩れず、中々に浮かれ気分であるようだった。
挙句に絡まれていた学園都市第三位の『
その戦闘自体は防御に徹してどうにかやり過ごしたものの、周辺一帯への落雷により電化製品壊滅の憂き目に遭う。無惨である。
七月二〇日
上条当麻と禁書目録が邂逅を果たす。一〇万三〇〇〇冊の魔道書を記憶した魔道図書館、正しく扱えば『魔神』にさえ手が届くとされるイギリス清教の秘奥たる少女との出会いは、それはもう劇的なものであった。
具体的には、上条当麻が朝起きてベランダを開けると
魔術結社に追われているのだ、と端的に身の上を明かす禁書目録。
一緒に地獄の底までついてきてくれるか、と少女は問うた。少年は答えを返せなかった。
些細な回り道だ。
彼が上条当麻である以上、最終的に至る結論はわかりきっている。
忙しなく立ち去る禁書目録を見送った後、補修のために学校へ。ぬか喜びで散々浮かれていた昨日の面影はとうに消え失せている。
補修の受講者は他にもちらほらと見受けられ、上条当麻の隣には青髪ピアスの学級委員が腰掛けている。こちらは成績というよりも性癖に問題があるため、授業ではなく担任目当てで参加しているだけだろう。案の定、開始早々に上条当麻と馬鹿話を繰り広げていた。
担任の月詠小萌から一頻り注意を受けた後も、上条当麻はどこか身が入らない様子で窓の外へ目を向けている。元々の学習意欲の低さもあるにせよ、朝の出来事が少なからず尾を引いているのは明白だった。
下校の折、今日も今日とて第三位と出くわした際もその様子は相変わらず。好戦的な態度を取る第三位をあしらうのはもはや日常と化しているが、普段の五割増しで投げやりな対応になっていた。
後悔、あるいは未練。上条当麻とは一見対極にあるようで、しかし両者を切り離すことは叶わない。
誰かを救えなかった時の衝撃は、誰かを救える人間にこそ大きいものなのだ。
学生寮の自室の前で、血溜まりの中に転がる少女。それを回収しにきたという魔術師との交戦を経て、上条当麻の意識が切り替わる。
自分に正直になった。より正確には、
呆然と立ち尽くすでもなく、恐怖に竦むでもなく、この悲劇を許せないと吼えるのならば。
今度こそ、何一つ迷う余地はない。
早急に必要とされる禁書目録の手当のため、月詠小萌の自宅を目指す。学園都市のIDを発行されていない彼女は公的機関にかかることができず、回復魔術に頼ろうにも能力者には魔術が使えない。その条件を潜り抜けられるのが教師陣であり、その中で上条当麻が最も信頼を置いているのが月詠小萌だった。
無事に目的地へ辿り着き、家主の協力を取り付けることにも成功。
上条当麻は、その中に入らない。
……私としても、少しばかり歯痒く思う。
七月二一日
禁書目録の体調はひとまずの落ち着きを見せ、後には風邪に似た症状を残すのみ。月詠小萌が家を空け、二人で話し合う環境が整えられたところで、上条当麻はようやく彼女の抱えた事情を知ることとなった。
そこには葛藤も躊躇もあったのだろうが、一〇万三〇〇〇冊の由来がいかなるものであれ、上条当麻が一度差し伸べた手を振り解くことはない。当然のように受け入れられたことへの驚愕と困惑、そして安堵の色が順に浮かび、とうとう決壊して涙を零す禁書目録。
ああ、うん。
堕ちたな。
七月二二日
昨日の対話の甲斐あってと言うべきか、二人の距離感は着実に縮んでいる。スキンシップも増えてきており、上条当麻の頭部には二対の歯型が残される結果となった。
七月二三日
禁書目録の体調は順調に回復している。大事を取ってベッドから起き上がらないようにはしているものの、既に軽い運動ならば問題なくはなっているようだ。その証拠に、上条当麻の頭部が三度ほど噛み砕かれた。
七月二四日
ようやく完癒した禁書目録と銭湯へ向かう上条当麻。記憶喪失という新たな爆弾を投下され、動揺からか失言を零し敢えなく噛みつきを頂戴する。
一人先に行ってしまった禁書目録を追いかける道中、
禁書目録の過去を聞き、記憶消去の真実を知って上条当麻が猛る。その言い分に神裂火織が激昂してからは、ひたすら両者の感情のぶつけ合いが続いた。形勢は何ら揺るがず、実力では終始圧倒されながらも、気迫ではむしろ上条当麻が押していたといえよう。
最後まで反抗の意志を絶やすことなく、前のめりに上条当麻は崩れ落ちた。
七月二五日
再び月詠小萌のアパートに運び込まれた上条当麻だが、ここで施せる治療は応急手当くらいのものだろう。後は自然治癒力に任せるほかない。
七月二六日
上条当麻が目覚める気配はない。禁書目録が看病に当たっている。
七月二七日
早くも容態が落ち着いてきた。負傷の程度は数週間の入院は免れないようなものだったはずなのだが、人体の神秘を感じる。
七月二八日
正午前に目を覚ました上条当麻の元に、二人の魔術師が姿を見せた。禁書目録から向けられる敵意をどうにか堪えつつ、ただ事務的に伝達事項のみを伝えてその場を去っていく。
体調は未だ本調子には程遠く、夜までの時間は再び訪れた睡魔に食い潰され。残された僅かな時間で手立てを探すも──―刻限は、あっさりと訪れた。
七月二九日
日付が変わった。禁書目録の記憶を消去すべく、再度魔術師が現れる。
抵抗は無意味。徒らに禁書目録の命を危険に晒すだけだとわかっているから、上条当麻は右拳を握れない。
儀式までの一〇分間、それが与えられた最期の猶予。一度目を覚ました禁書目録と言葉を交わし、再び意識を手放す彼女を見届け、誰にとっても救いのない結末が迫るのを成す術もなく待つことしかできなくて──―
けれど、気付いた。
極小の光明に。たった一つの抜け道に。
それが偶然であれ必然であれ、事実は一つ。上条当麻は
主人公は、笑って壇上へと足を踏み入れた。
たとえ独善と謗られようと、たとえ偽善と蔑まれようと。
その『実感』こそを、上条当麻は心底欲していたのだから。
その右手が、全ての始まりを告げて。
その右手が、全てに決着をつけた。
上条当麻の
ならばこれは、彼らが掴むべくして掴んだ結末に違いなかった。
(数行に渡って震えた文字が並んでおり、上から二重線で消されている)
上条当麻の記憶は破壊された。その事実を、色の抜け落ちた少年はそれでも隠し通すと決めたようだ。
少年は語った。あの子には泣いてほしくないと思ったのだと。
少年は笑った。案外、まだ思い出というものが残っているのかもしれないと。
どこに、と医者は問うた。
心に、と少年は答えた。
この答えに、私は敢えて異を唱えよう。『上条当麻』の在処は、決してそこだけではないのだと。
何故ならば、私がいる。
世界に貴方が遺した軌跡は、余さずこの私が書き留めているのだから。
上条当麻が、その道を真っ直ぐに突き進む限り。
この街が、この世界が、そのちっぽけな背中を押している。道を照らし、足場を整え、階段を駆け上がらせている。それこそが、上条当麻が背負う何よりの『不幸』に他ならない。
ここから先、更なる敵を前にしても、その在り方が折れないことを切に願う。
お疲れ様。次の偉業まで、今少しばかりの休息を。
カチリ、と小さな音が鳴った。
ボールペンの芯をしまうようなその響きは、しかし誰の耳にも届くことはない。その後に続いたペン同士がぶつかる音も、閉じられた手帳のページが擦れ合う音も、確かに空気を震わせたにも拘らず反応を示す者はどこにもいなかった。
近くに人がいないという訳でもない。少なくとも一人、数メートルほど離れた位置には間違いなくそれを聴き取れるはずの人間が存在している。
上条当麻。
病院のベッドにぼんやりと寝転ぶ彼のごく間近に、一人の少女の姿があった。
「……」
茶髪のショートヘアにカチューシャ。さほど珍しくもない容姿に学生服を纏った出で立ちは平凡そのもので、一度街並みに紛れてしまえば見つけ出すのは容易ではなさそうだ。
故に、その少女の特徴を端的に表すのならば『影が薄い』となるのだろう。
しかしその一言で全てを片付けてしまうには、彼女にはあまりに不可解な点が多すぎた。
面会時間をとうに過ぎた夜の病室に、当然のように入り込んでいること。
未だ眠りについていない上条当麻が、至近の少女に対して一切の反応を見せないこと。
誰一人として彼女を認識していないはずなのに、いつの間にか
明らかに人の成せる業ではなく、しかし誰の目から見ても彼女は
それは常に世界のうねりを観測し、その源となる人物の傍らに佇み一挙一動を記録する。
それは人々の意識の隙間に潜り込み、無意識の中に存在だけを残していく。
それは備え持った読心能力により膨大な情報を集積し、ただ個人の主観のみで世界を編纂する。
そんな
いつか誰かに『記録員』と呼ばれた少女は、今日も静かに
『記録員』
新約一三巻にて『魔神』僧正が言及した存在。本作では割とただの上条さんのファンみたいなところはある。
なお正体についてはあらすじを参照のこと。