蹉跌/通りすぎた女たち   作:紫 李鳥

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 その週の土曜、閉店間際にその女が来店した。途端、俺のテンションが上がった。

 

 ラストソングを急遽、『青い影』に変えた俺に、ベースのジローが不平を込めて、ひょっとこみたいな顔をした。

 

 イントロが流れた途端、女はカウンターから俺を見て微笑んだ。俺も笑顔を女に向けた。

 

 

 今回は泣いてなかった。

 

「いらっしゃいませ」

 

 前回と同じシチュエーションだった。

 

「あ、こんばんは。『青い影』をありがとう」

 

 女はカクテルグラスを手にしながら、虚ろな目を向けていた。酔ってるようだった。

 

「ああ、いいえ」

 

「覚えてくれてて、ありがとう」

 

 女は、鶯色のセーターだった。柔らかそうな毛先が肩の辺りでカールしていた。

 

「……俺、ユキオって言います。良かったら名前を教えてください」

 

「……ナミ」

 

 偽名かも知れないと思ったが、俺は頭の中で、“奈美”という漢字を当てはめていた。

 

「奈美さんか……。明日は休みですか?仕事」

 

「ええ。だから遅くまで飲んでるの。あ、良かったら、何か飲んで」

 

 奈美は思い付いたように、酒を勧めた。

 

「あ、頂きます。ビールを」

 

 カウンターで飲んでいる俺の知り合いの女性客を相手に、ジョークで笑わせていた相楽に注文した。

 

「はいよ」

 

 相楽は返事をすると、冷蔵庫からビールを出した。

 

「ね、ユキオ。カッコが電話頂戴って」

 

 女性客の一方、ナオミが声をかけてきた。

 

 カッコは、この二人の友達だった。

 

「……ああ。するって伝えといて」

 

「分かった」

 

 ナオミは返事をすると、もう一方と話を始めた。

 

「はい、お待ち」

 

 相楽がビールの小瓶とタンブラーを置いた。

 

「あ、注いであげるわ」

 

 手酌しようとした俺に奈美が言った。

 

「あ、どうも」

 

 俺は瓶とタンブラーを手にすると、奈美の傍に行った。

 

 丸椅子一つ間隔を置いて座ると、瓶を持った手を伸ばした。

 

「届かないわ。横に座ったら?」

 

 奈美が潤んだ目で見た。俺は言われるがままに奈美の傍らに行った。仄かな甘い香りがした。

 

 瓶を持った奈美の指は細く、エナメルのマニキュアをした楕円の爪は、背中に食い込む程よい痛みを想像させた。

 

「モテるのね?」

 

「えっ?」

 

「電話してって、さっきの話。女の人でしょ?カッコって」

 

 確かに、カッコは克子という女のニックネームで、一度だけ関係があった。

 

「モテないですよ。じゃ、頂きます」

 

 その件に触れたくないと言わんばかりに、俺は奈美の持ったグラスにタンブラーを近づけた。

 

「ええ。どうぞ」

 

 奈美もグラスを傾けた。

 

「カクテルが好きなんですか?」

 

「ええ。カクテルには色んな色があるでしょ?ブルーだったり、グリーンだったり、ピンクだったり。その色を見ていると、その瞬間だけでも別世界に行ける。夢心地になれるの」

 

 奈美は現実から逃れるかのように、その翠色のカクテルを見つめると、自分の世界に陶酔していた。

 

 エメラルドのプチネックレスが鶯色のセーターとマッチしていた。

 

 色々と聞きたかったが、余計な詮索をして嫌われたくなかった俺は、共通点を見出だし、サンタナやプロコル・ハルムの話をしながら、閉店までを無難にこなした。

 

 帰る頃には、奈美は足をふらつかせていた。

 

「外まで送ります」

 

 階段を上がる奈美をエスコートした。俺の腕に身を預けた奈美の髪から、高級シャンプーの香りがした。

 

 人通りのない店の裏に奈美を連れていくと、不意に唇を奪った。

 

「うっ……」

 

 奈美はもがくように、俺のジャケットを引っ張って抵抗していたが、やがてその指先は俺の背中で翻弄し始めた。

 

 全身の力を抜いた奈美の、釦をしていないコートの中から手を入れると、その引き締まったヒップを触った。

 

「あ~、ダメ……」

 

 べとついた口でそう呟きながらも、奈美の腰は、俺の太股に擦り寄ってきた。

 

「……ホテルに行こ」

 

 奈美の耳元に囁いた。

 

「……今日はダメ」

 

「いつならいい?」

 

「……来週の、……土曜」

 

「ホントだな?嘘つくなよ」

 

「……ええ」

 

 奈美は小さく返事をすると、背を向けた。

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