星に墜ちた隕石がもたらした治療法のない猛毒は青い霧として星全体を覆い、文明を崩壊させた。
 青い霧の形をした猛毒「星毒」が満ちるこの星で一人の少女が目覚める。記憶のない彼女は一体のロボットと出会い、自らに星毒を浄化する能力があることを知る。
 こうして、衰退した人類の思惑が渦巻く、浄化の旅が始まる。

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トゥルー・ブルー

 開けろ! 

 お前は完全に包囲されている! 

 いますぐ隔壁を開放しろ! おとなしくすれば命だけは助けてやる! 

 

 何重にも用意した防壁越しの不鮮明な声は、しかし外側に取り付けていたマイクロフォンのおかげで不自由なく聞こえている。

 奴らの言うことは嘘が混じっている。包囲されているのも防壁を開けることを要求していることも本当だが、私がやろうとしていることを顧みれば殺さないというのはどう考えても嘘だ。

 防壁をこじ開けられるのは時間の問題だろう。だが彼らがすぐに開けられるものでもない。強引に開けようとすれば牙を剥く罠を幾重にも仕掛けてある。

 頑丈な防壁と、これらに仕込んだ罠。逃げ道を自ら塞いでまで守りを固めた私にはどうしても成さねばならぬことがある。私は壁沿いに設置した巨大な操作盤とモニターに取り掛かり、計画を実行に移す。

 ここまでたどり着くのにどれだけの覚悟とコストを積み重ねたと思っている。例え私が死んだとしても──この計画は成功させなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 遠い地響き。全身で感じた刺激は、深く暗い眠りから手を伸ばすのに十分だった。

 どれだけの時間を眠っていたのだろう。目を開けてからしばらく体が動かなかったが、少しずつ身動きがとれるようになってくる。

 ごつごつした石の台座。そんな感じのものに私は横たわっているのだと思う。確かにそう言いきれないのは、あたりが真っ暗でなにも見えないからだ。光の一筋すら差し込まないこの空間は闇に包まれ、私は手触りと音と古めかしい匂いしかわからない。

 まばらに起きる地響きは少しずつ大きく聞こえている。音を立てている何かが私のいるどこかに近づいている。

 真の暗闇の中で目覚め、これからどうなるのだろう。わくわくした期待は、もしかすると光の中で目覚めたのなら抱けたのかもしれない。でも現実に私は不安と恐怖を溢れさせて体が震えている。

 

 ぴ、ぴ、ぴ。透き通るような高い音がみっつ響くと、ガゴとなにかがきしむ音がした。同時に光が後ろから差し込む。縦に大きく、見上げるのに首が痛くなるほどに背の高い光だ。

 光の幅は少しずつ広がっていき、重い音がこれまでないくらいに大きくなった。地響きの正体はきっとこれなのだ。まだ光に目が慣れないながら私は直感する。

「こんにちは! そこにいるよね、聞こえますか?」

 壁を感じさせないような話し方と声色。だが声を出しているのは生き物ではない。無機物だ。有機物じゃない。先の尖ったような形をした鋼鉄の箱に一対の脚が備わっている青黒い機械。どこにも口にあたる部分はない。

「聞こえているならなんでもいいから返事して!」

「あ、あの!」

 私が声を上げると機械は箱の部分をこちらに向けてきた。ぎゅい、と回る音にびくりと肩を震わせてしまう。

「怖がらないで、君を迎えに来たんだ。私はモナ。この機体に搭載されている人工知能……生き物じゃないけど、君の友人になれると思う。さあ乗って」

 名乗った声はどちらかといえば女の子のようだった。モナというらしい機械はしゃがみこむように脚を曲げる。箱の上に乗れということだろうか。私はよじ登ってモナの言うとおりにする。

「しっかりつかまってて!」

「あの、これはいったいどういうこと? なにをしようとしているの?」

「急いでここを出ないと。追手が迫っているの」

「追手って?」

「君の命を狙っている人たちがいる。そいつらから君を守らなきゃならないんだ。私についてくればきっと大丈夫。それに博士もついているから」

 モナが言っていることが本当かどうか考える材料はない。だがどこか焦っている──機械相手にそんな表現するのもおかしいと思うが──のは誠実さの証拠のように思えた。

「わかったよモナ。よろしく頼むよ」

「任せて!」

 モナはゆっくり立ち上がると光差し込む扉に向き直り、少しずつ早く駆け出していく。強まっていく光に目を細め、モナのボディに伏せるようにうつむく。眩しい。眩しすぎるんだ。

「どうしたの?」

「眩しすぎる。目が開けられない」

「わかった。ちょっと待てば大丈夫のはずだよ」

「ねえモナ」

「ん?」

「さっき追手がどうとかって言っていたでしょう。あれってどういうこと?」

「説明が難しいな。ちょっと待ってて、博士につなぐよ」

 走りながらモナは言い、あたりに雑音を短く走らせる。そうしている頃には少しだけ目を開けられるようになった。

 異様に青みがかった荒野。そこが、モナが駆け抜けている場所だ。振り返ると洞窟のようなものが見える。あそこに私は寝ていたんだ。

 

〈聞こえるか、返事をしてくれ〉

「あなたが博士?」

〈ああ。よかった、無事につながったんだな。計画のことは覚えているか〉

「計画?」

 博士を名乗る男の声は思っていたより低く、不機嫌そうに聞こえた。

彼の声は問いかけではなく確認のように響く。だが私は計画なんて知らない。

「知らないっていうか、わからないっていうか。そもそも私……いったい誰なの? どうしてあの洞窟のような場所で寝ていたのか思い出せない。自分が誰なのか、名前もなんだったのか!」

〈記憶の欠如か? 想定していたなかで最悪のケースを引き当てたらしい。だが大丈夫だ。説明する時間はまだある。結論から言おう。君は我々の世界救済計画の切り札で、実験が成功したのを確認した。だから回収作業に取り掛かっている〉

 切り札? 問いかけようとしてそれは出来なかった。やや遠いところで重い爆発が響いたからだ。そちらを見れば黒煙があがっていて、パパパと小気味良い音も聞こえてくる。

「もう始まったみたい。博士、プランBへの移行を提案します」

〈もちろんだ。移動はモナに任せて私は説明の続きをしよう。あれは君を狙っての襲撃だ。殺す気なんだよ、君を。世界を救う切り札の君が狙われる理由を話す前に、この世界に起きたことを話そう。なぜ救済が必要なのか、これを先に話すべきだ〉

「移動ルート決定。想定必要時間は20分です、博士」

〈……いまから30年前のことだ。この星に隕石が落ちて来ることが分かった。隕石には未知の物質が大量に含まれていることが前もって分かっていたんだ〉

 爆発音は絶え間ない。恐らく私を狙う誰かが別の何者かと戦っている。命がけの戦いが起きている。

〈人類は星の危機に混乱した。なにせ隕石が落ちれば、今の文明はほとんど全滅する。生き残ったとしても絶望的な状況が予想できた。未知の物質はとても有用なエネルギー資源になりえたが、生物にとって致命的な毒になる。しかも毒はどう見積もっても星全体に広がってしまうんだ〉

「それでどうなったんですか」

〈いま地上は青い霧に包まれているだろう。それが、隕石が運んできた毒だ。星毒と呼ばれている。人間もそうじゃないものも、生物を皆殺しにする力を持っている。少しでも吸えばすぐに死んでしまう……だが人類は滅んではいない。地下に都市を作って逃げた人々もいる。体を作り変えて地上に暮らす人もいる。そして私は、私たちは空にいる〉

「空?」

 見上げてみる。博士の言うようにあたりには青い霧が立ちこめている。そのせいで遠くがよく見えない。

 そこではっとした。すべての生物を殺す毒が満ちているのなら、どうして私はまだ生きているんだろう。苦しみもない、咳き込むとかもない。今はまだ。

〈前時代の富裕層や権力者は空に逃げ込んだ。ほとんど永久的に飛び続ける大きな飛行機を作ってね。そして私は地上に満ちた星毒を除去しようとする派閥に関わることになった。その過程で人間に星毒を除去する能力を付与する、という計画が立ち上がった。私はそれの責任者となり、富裕層の子供だった君は被検体に立候補した……まだ思い出せないか?〉

「まるで他人事のようにしか聞こえない」

〈そうか……君は、本当に忘れたんだな。まあいい、君は計画に立候補し、命を狙われている。その話をしよう。空の人間たちは大きくふたつの派閥にわかれている。星毒を消して地上に降りたい者たち。もうひとつは星毒を資源として使い続け死ぬまで空に住み続けたい者たちだ〉

「じゃあ博士は星毒を消そうとしているってこと?」

〈そうだ。言い忘れていたがこの計画はもう一つの派閥……保守派には一切知らせていない極秘計画だった。だったというのは、我々回帰派に裏切り者が現れて計画がバレたんだ〉

「一枚岩じゃなかったってことね」

〈ああ。さっきも言ったように、この星に満ちる毒は同時に未知のエネルギー資源としての一面も持ち合わせていた。空を飛ぶ巨大な飛行機の燃料は星毒なんだよ。隕石が落ちる前に毒の有用性を見出した人々は末永く飛び続ける飛行機を作ることを決めたんだ〉

「だから博士たち……回帰派って人たち? と実際に星毒を消せる私が邪魔だってこと? でも私、そんなこと出来るの?」

〈出来るはずだ。それが出来るように我々は努力を尽くした。出来なければ困るんだ……あとはモナの指示に従い星毒を消していってくれ。そして地上を再び、生命の満ちる場所にするんだ〉

 博士は切実そうに言い切ると、それから何も喋らなくなった。通信が切れたのだろう。私は試しに右手を空に掲げ、あたりに満ちる青い霧を吸い込む想像をしてみる。

「なにをしているの?」

「私は本当に星毒ってやつを消せるのか、試そうと思って」

 強くイメージする。私は全身から青い霧を吸収する──するとどうだ、あたりの視界が少しずつ良くなってくる。私が毒を処理できているということだ。たぶん。

「すごい! 視界が良くなってきている。何をやったの?」

「想像したの。息をするように当たり前に、この霧を吸い込むんだって」

「それで出来るなら大丈夫そッ!?」

 モナが驚いた声を上げて急停止する。何があったのだと目を凝らして前を見ると、モナの近くの地面に斧が刺さっている。すぐに別の斧がふたつも飛んできて、今度はよりモナに近いところに刺さった。

「攻撃されてる! ねえ、前の方の星毒を消して!」

「分かった!」

 両手を前にかざしてイメージ。今度はさっきよりも早く霧が晴れ、影すら見えなかった襲撃者の姿が見えるようになった。

 

 人間の形をした鉄の塊。だが頭部は緑色をしている。よく見れば透明なガラス瓶のような容器で、緑色は容器に入った水の色。そこにはシワがたくさん刻まれた生物的な何かが収まっている。記憶は失ってはいるが、あの形には見覚えがあった。

「あれ……頭のところに脳みそいれてるの? って、脳は頭にあるもんだけど、あれってなによ、どうなってるの」

「攻撃してくる鉄人間ってことはバーサーカーか」

「鉄人間? バーサーカー?」

「博士が言ってた、体を作り変えて地上に住み続けている人類が鉄人間といって、バーサーカーはその一部族だよ。空を飛ぶ人類は『ノーブル』っていうけど、バーサーカーはノーブルを強く恨んでるの」

 バーサーカーたちは4人。投げた斧の他に鉄を磨いた槍や脇に大砲を抱えている奴もいる。私の知っている人間の形をしていないことに恐怖しながら、同時に奴らがこちらに敵意を向けているのを強烈に感じる。

「この機械はノーブルの連中だろ!」

「ぶち壊してやる!」

「乗ってる女もぶっ殺せ!」

 一番近いバーサーカーが槍を構えて突撃する。その見た目に私は恐怖し、叫び、すぐに腹に響くけたたましい発射音。思わず私は両手で耳をふさいでいた。

 発射音はモナが立てたものだ。胴体といえる箱の部分から砲を出して射撃したのだ。

 撃たれたバーサーカーは腹のあたりで真っ二つになり、頭が地面に強烈にぶつかって脳と緑の液体をぶちまける。むごい死に方だがバーサーカーたちは怯んでなどいなかった。

「やりやがったぞ、おい!」

「死にやがれ!」

 大砲を抱えた奴がぶっ放すが、モナが跳躍して射線から逃れる。見た目以上に高く飛び上がり、落下する勢いで大砲のバーサーカーを踏みつけて破壊する。

 私はなにも出来ないでいる。どこか近くで起きていた戦闘にとうとう巻き込まれてしまった恐怖に震えるだけだ。これまでよりずっと激しく動くモナにしがみつくことで精一杯だ。こんなところで死ねというのか。死ねるか。

「大丈夫?」

「なんとかね、でもモナ、どんどん囲まれているみたい!」

 そうだねとモナは言う。どこから湧いて出たのかバーサーカーという鉄人間は10を超えている。モナが思っていた以上に強いとはいえ無事に抜け出せそうにない。

星毒というものを消せるのだと伝えられればバーサーカーとの戦いを避けられるかもしれないが、彼らの怒りや迫力はそんなもので鎮められそうに見えない。。

「ノーブルの機械だ!」

「上の奴もノーブルに違いねえ!」

「ぶっ殺せ!」

 どんどんと大砲や銃をぶっ放してくるバーサーカーたち。

 モナは横に跳んだり縦に跳んだりしてダメージを抑えつつ砲を撃つが、そうしていてもバーサーカーの仲間が増えるペースの方が上だ。このままではどう考えてもマズい。

「モナ! ここから逃げよう!」

「そうだね。この状況なら――」

 だがモナは最後まで言えなかった。モナのものでも、バーサーカーのものでもない攻撃が近くに着弾したのだ。

 

 空を飛ぶ小さな柵のついている円盤に白い服を着た人間がいる。

 彼らは白いガスマスクで顔を隠し、武装していて、円盤にも武器がくくりつけられている。そんな連中があたりの空を囲んでいる。

 助けに来たのだと思えれば良かった。そうじゃないのは博士からこの世界のことを教えてもらっていて、直感してしまった。空の奴らは私を殺しに来ている!

「目標発見だ!」

「バーサーカーもろとも始末しろ!」

 空飛ぶ円盤に備えられている機関銃が火を噴く。それと同時にモナが動じないように踏ん張り、直後に濁った白い煙があたりを包む。モナが胴体の下の部分からものすごい勢いで噴射していた。

「煙幕でなんとかなるわけない!」

「ならないから、こうするのよ!」

 私の後ろの方でカシャシャとなにかが飛び出た。すると煙の中でモナの姿が増えていく。

 2、3、4……それぞれが別の動きをして、バーサーカーたちも円盤の兵士たちもどれが本物のモナか分からなくなったらしく、こちらに向けられる攻撃の密度が少なくなってきた。

「いまのうち。しっかりつかまってて」

 ささやくようなモナの声。直後あたりを包む濃い煙からモナは大ジャンプし、一気に包囲から抜け出て走り出す。同時に胴体の下から黒いボールを落とし、着地と同時に大爆発を引き起こした。

「わっ! いまのなに!?」

「煙幕とデコイと爆弾。これで大丈夫! 急いで離れましょう」

 悲鳴や銃声を後ろに残してモナは全速力で走っていく。私はしがみついて、この恐ろしい場所から少しでも早く立ち去れることを震えながら願った。

 

 

 

 

 

 

 あと少しだよとモナが言うのを聞いて頭を上げる。さっきまで起きていたことに震えが止まらず、一言も話すことが出来ないでいた。

 激しい戦闘からしばらく経ち、どうにか落ち着けている。目覚めたら真っ暗な場所で、星を汚染する毒を消せるなんて記憶にない話を突きつけられ、そのせいで殺されそうになっている。

 なにがどうしてこんなことになってしまったんだ。毒を消せる体にしてほしいと過去の私は言ったらしいが、こうなることを予想できていただろうか。ノーブル保守派の連中にとって都合が悪いので殺されそうになりますってこと、覚悟できていたんだろうか。

 

 どこまでも広がる荒野は私が想像するような「家」とか「集落」がどこにもないことを言葉なしに伝えていた。だからモナがあと少しと言い出したことに納得がいかない。

「モナ、どこに用事があるの?」

「ルーインドっていう鉄人間の部族の人たち……彼らに君を会わせることが、まずはなによりも優先しなきゃならないことなんだ」

「星毒を消すのが私の役目なんでしょう?」

「それよりも優先しなきゃダメなんだ……ここでの目的は2つ。星毒の分布状況のアップデートと、人に会ってもらいたいってこと」

「さっき言った、ルーインドっていう部族の人と話せってこと?」

 モナは肯定するように言葉を返すと、突然グラリとバランスが崩れた。モナはすぐに踏ん張り、しかしまわりの景色がなめらかにスライドしていく。

 よく見ればスライドしているのは私たちの方だった。モナが立っている場所がスライドし、近くに暗く深い穴が見え始めた。

「わ、こっちだったか」

「えっなになにちょっと」

「ここ危ないから横によけるね」

 モナは小さく跳んでスライドする地面から離れる。私はしがみついて広がり続ける穴にじっと視線を向けた。

 穴からは床がせり上がっている。エレベーター。荒野の味気ない色をした土に似た鋼鉄の床の上に鉄人間が立っている。見た目はバーサーカーとほとんど変わらないがなにも武器を持っていない。敵対の意思は感じられなかった。

「ルーインドのアマダです。地下集落の代表をしています」

「あなたがアマダさん? 私はモナ、救世主の保護運搬役を担っています。私に乗っているのが救世主です」

 そう紹介されて私はあることに気づいた。私には名前がない。本当はあるのだろうけど、自分が覚えていないんだから分からない。

「ねえモナ」

「え?」

「救世主って呼ぶの、やめない?」

「どうして」

「だって私は救世主なんかじゃない。確かに星毒は消せるけど、さっきだって怖くてなにも出来なかったのに救世主だなんて冗談きつくない? それよりは名前で呼ばれたほうが良いと思って」

「名前……確かに考えてもいなかった。私にはモナという名前があるけど、なかったら不便ね」

 そういうことなら、とアマダと名乗ったルーインドが一歩前に出た。

「星毒に染まったこの星を救う救世主に似つかわしい名となれば……クリア。清浄の力をその身に宿したのであれば、これでどうです」

 クリア。悪くはない名前だ。呼びやすいし、呼ばれやすい。救世主と呼ばれるよりも遥かに良い。

「その名前、とても良いと思う。ありがとう」

「礼を言われることの程では……そういえばきゅ、いや、クリア。時にお召し物はその、黒いワンピースだけで?」

「お召し物って服のことよね」

 目覚めたときから着替えていない。ぼろぼろになったワンピースは服としての機能を果たしていない。

「下に降りたら新しい服を渡しますよ」

「いいの? ありがとう」

「救世主が半裸みたいな格好をしていても……ですし。落ち着かないでしょう」

 思いやりに満ちた優しくゆっくりとした声。アマダはきっといい人なのだと私は思う。機械の体に頭は脳みそケースになった鉄人間。

バーサーカーが怒りに満ちた部族なら、ルーインドはアマダのように落ち着いた部族なのだろうか。そうであってほしいと願う。

 

 そんなやりとりをして私たちは地下へと向かう。

 下降するエレベーターと閉じていく天井。太陽の光は失われていくが、地下空間の照明は思っていたよりも充実している。かがり火があちこちに用意されていて、暗くはあるが不自由を感じさせない。

 だが星毒は少ないながら地下にもあるのが見える。地上ほどはっきり見えないが、薄い青色の霧のようなものが浅く広がっている。手をかざせば星毒らしい霧はしっかりと吸い込めた。間違いない。地下も汚染されている。

 

 エレベーターから見る地下の集落はとても雰囲気のある場所だった。砂を固めた床が広がり、そこに石やレンガで作られた家や倉庫が見える。鉄人間たちがあたりを歩いていたが、エレベーターが降りてくるのを見るとみんなこちらに手を降ってきた。

「救世主・クリアさまが来てくださったぞ! 星に満ちる星毒を滅する行いは、今日、この日より始まるのだ!」

 アマダが高らかに宣言すると下の鉄人間たちは一気に沸き立つ。この瞬間を待っていたかのように小躍りしたり叫んだりして、私たちを迎え入れた。

「おお! やったぞ!」

「ということは、ドクター・スカイはやってのけたのだな!」

「これで世界は元通りになる……」

 ドクター・スカイとはあの博士のことだろう。彼も保守派の人間から命を狙われているはずだが、危険が差し迫れば逃げ出せるのだろうか?

 エレベーターが一番下まで降りると鉄人間たちがわっと近づいてくる。モナの上で私は驚くが、すぐにアマダが手を振って静止を呼びかけた。

「皆のもの。これから私は救世主に大切な話をしなければならない。下がり、いつもどおり暮らしていなさい」

「ちょっと待ってくれ! ホントにその子が救世主なのか? そうだとしたらここの空気をキレイにできるのか? うっすらと見えるだろ、ほら!」

「え? うん、やってみる」

 黄色い布を体に巻きつけた鉄人間が私に強く呼びかける。その迫力に一歩下がってしまうが、私はゆっくり頷き返して両手をあげてイメージする。この集落にある星毒をさっぱりと吸い込む――

「うおお! マジだよすげえ! 青い霧が吸い込まれてく!」

「これで世界は平和になるぞ! 機械の体ともおさらばだ!」

「死んだ世界が蘇るぞ! ひゃあ~!」

 ――喜ぶ鉄人間たち。私に話しかけてきた黄色い布の鉄人間は「ありがとう」と大声で呼びかけてくれる。だが先に進みたいのに鉄人間たちが邪魔で進めない。

「皆のもの。道を開けてくれるか」

 アマダが先導すると鉄人間たちは喜びつつもさっと身を引いて道をあける。

そうして導かれた先は一際大きな家だった。まだきれいなレンガを使った3階建ての家。ドアはなくモナが通れるような大きさでもない。

「じゃあ私はここで待ってるね。いってらっしゃい」

「ええ、うん」

 少し不安だが私は先に進むことにした。救世主がきたからどうのこうのと熱く語る鉄人間たちを後ろに、モナに手を振って家にあがる。

 

 

 

 最初にアマダに通された部屋で着替えを渡された。

 全身真っ黒のぴちぴちした分厚い素材の服で、着替えると自分の体の線が――あまり女性的な体つきではないが――くっきり浮き出るのが分かる。部屋にある縦長の鏡を見て、先の黒ワンピースとの印象の違いに自分で驚いた。

 この体を分厚く包む真っ黒の服は強い衝撃を吸収する防護服なのだと、部屋を出るときにアマダは教えてくれた。服を着てしばらくすると胸のあたりが緑に光り、まるで血管のように服に張り巡らされた管の中を緑色の光が流れていく。

 真っ黒な防護服は特に息苦しさを感じさせることはない。全裸で歩き回っているような開放感すらあるが、適度な締めつけもあって着心地がバツグンに良い。

「アマダさん? 着替え終わりました」

「それではこちらにどうぞ」

 ドアを開けたアマダが案内してくれたのは広い部屋だった。簡素な木製の丸いテーブルを鉄でできた椅子で囲い、食卓のような雰囲気があった。

 

 だがそれ以上に驚きのほうが印象強かった。なぜならこの部屋には人間の女の子が座っているからだ。白衣とジーンズといった出で立ちの少女は私を見て目を丸くしている。そうしてるのは私も同じだ。

「アマダ……さん。ここには普通の人間もいるんですか?」

「ノーブルの追放者のようでして。申し訳程度の生命維持装置を持たされただけで地上に飛ばされていたところを私たちが保護したのです」

「ノーブルの追放者、か」

 白衣の少女、空に住まう人類。保守派と回帰派とが争っているという話だが、なにをして追放されたのだろう?

「クリア。ここに来てもらった理由はふたつあります。ひとつは星毒を消していく計画の打ち合わせと、もうひとつは追放者の彼女――エコの話を聞いてもらうためです」

「……あなたが救世主? こっちじゃあなたのことを天敵とか反逆者だとか言ってたわ」

 ひどく暗い、落ち込んだ調子でエコと紹介された女の子が語りかける。

「天敵ですって?」

「あの飛行機――『ヘイヴン』の動力源を知ってるでしょ」

「確か星毒を使っているって。記憶がないから、ついさっき聞いたばかりだけど。あ、だから天敵ってことか」

「ええ。でもまあ、ものは使いようよ。ヘイヴンを動かすのに必要な星毒を汲み上げて燃料になるように処理をして、消費する。その時にね、出るのよ。星毒以上にもっとタチの悪い毒が」

「それがあなたのお話?」

「一部よ。私が話したいこと、伝えなければならないことの一部。……あなたは私を覚えていないのね?」

 どうやらエコと私は知り合いか友人関係か、少なくとも顔見知りではあったらしい。しかし私の記憶にはどこにもエコの顔も何の話をしたのかも思い出せないでいる。

「残念だけど。目が覚めたら洞窟にいて、モナっていうロボットに助けられて、なにも覚えちゃいなかったわ」

「そう……先にアマダさんの話を聞いて。私の話は後でじっくりさせて欲しいわ」

 頷くとアマダがゆっくり椅子に座って小さな黒い板をテーブルに乗せる。板についているボタンを押すと黒い面がぼうっと光り、地図のようなものが表示され始めた。

「これは?」

「あなたに持っていて欲しい機械です。この話が終わったら差し上げます。クリア、これはこの星の地図情報で、星毒濃度やノーブルが投棄した星毒廃棄物の廃棄場、それに星毒汲上所の場所が記されています」

「星の地図? まさかそんな広すぎるところをモナと一緒に回って毒を吸ってこいってこと?」

「確かに広すぎて全てを回るのは難しいでしょう。ですが……ドクター・スカイとの計画においては目指すべき施設は一つだけです」

「それはどこ?」

「星毒汲上所です。これらは特に星毒濃度が高い場所に設置され、星全体で見てもこの近辺にしかありません。ノーブルは権力も財力もありますが、それらは有限です。片手で数えられるくらいしかありません。無限にあちこち行動を起こせるものではないということです」

 星毒汲上所……私は口の中で繰り返してみた。汲上所というくらいだから相当に星毒が溜まっているのだろう。それも濃度が高いという。それを燃料として汲み上げて消費し、さらに危険な毒が廃棄場に捨てられる――

「汲上所の星毒が消えればヘイヴンの燃料も大半が消える。そうすればノーブルたちはヘイヴンを着陸せざるをえなくなるのです」

「なるほどね。星毒を消しつつノーブルを引きずり下ろすってわけ」

「私たちとは違い、ノーブルはみな普通の人間です。星毒を吸い込めば死んでしまう。ですが汲上所を消毒処理できればこの一帯は星毒濃度がかなり低下して、生身の人間でも生存出来るはずです。もちろん汲上所以外の場所もまわって消毒していただかねばならないのですが」

 ヘイヴンというノーブルが住む飛行機の燃料は星毒で、博士やモナは星毒を消すために計画を進めている。星を救えたとしてもヘイヴンの機能停止は免れない――博士の説明は本当のことのようだ。

「アマダさんの言いたいことってもう終わった?」

「まあ……そうです。これからの計画の行動指針の説明ですね。次はエコさんの話を聞いてください」

 私は頷き、しかし疑問が芽生える。

 地下空間は微弱とはいえ星毒が入り込んでいる。なのにエコという白衣の女性はどうして生きているのだろう。生命維持装置がどうのとは言っていたが、いまはそんなものを身につけていない。

 

 エコが疲れた顔をしているのは、ヘイヴンから追放されて放浪していたことの名残だろう。たぶん星毒を吸って具合が悪いということではないはずだ。博士は少しでも吸えば死ぬと言っていた。

「あなたは……私を覚えていないのよね」

「さっきも聞いたよね。残念だけど覚えてない」

「いろいろ話したいことがある。でもちょっと混乱してて、まだまとまりきってない。それでもいい?」

「ええ」

「まず……まず、私とあなたは友達だった。ヘイヴンで有力な学者どうしでね。あなたはクリアって呼ばれているみたいだけど、記憶がないというなら本当の名前は言わないほうがいいのかな」

 懐かしむようにこちらを見てくるが記憶を掘り起こす助けにはならない。ただ、これを演技でやるというのならかなりの訓練を積んでいるはず。

 だからエコは嘘をついていない、はずだ。学者が演技の練習なんてする時間があるとは考えにくい。学者という話が本当ならば。

 横を見ればアマダもエコの話にしっかり耳を傾けていた。耳というか顔がないし、緑の液体につけた脳だけが頭部にあるが、それでも所作は人間のそれと大差ない。

「それで……あなたが救世主となったことを知ったのは、回帰派の計画がだいぶ進行してからだった」

「回帰派の計画って星毒を消すって話よね」

「そう。計画はこう。星毒を消せる方法や手段を模索し、地上に派遣する。その中には機械で星毒を消すものもあった。あなたに比べれば効率はだいぶ落ちるみたいだったけど」

「星毒用の機械があったって、それは量産されてたの?」

「出来たらあなたが救世主になることはなかった。出来なかったのは、星毒清浄装置がヘイヴンでしか作れなかったことと、ヘイヴンが閉鎖環境にあることね。回帰派の人間だって活動を続けるためには死ぬわけにいかないから、表向きは保守派のフリをしていたから……それに資源だって限られている。元から回帰派はとても不利だったのよ」

 なるほど。エコの話のおかげでヘイヴンでの出来事が想像しやすくなった。星毒を消すことが目的の回帰派の戦いは目立ってはいけなかったし、保守派と同じ飛行機に乗っている以上、行動の制約が厳しかったのだろう。

 アマダは黙って話を聞いているが、所々で頷いたり

「協力者がいないわけじゃなかった。ここの鉄人間、ルーインドたちは回帰派の協力者なのよ。だから星毒清浄装置のテストも快く引き受けてくれた。この地下集落にもいくつか置いてあるのよ」

「でも完全に星毒を消せるわけじゃないんだね。ここだって少しだけど星毒が残ってた。私が吸ったからもうないし、元からこの家は安全みたいだけど」

「生物がギリギリ生存できる星毒濃度だったわ。これもそれも星毒清浄装置のおかげだし限界でもあった。だから回帰派は賛否両論あった最終手段に出たの。星毒を完全に消せる切り札を創り上げるってね」

「それが私?」

「あなたには素質があったの。同じ検査を私たちが受けてそれが分かった。誰にも知られないように……あなたは私にも教えてくれなかったから、本当に裏で動いていたのね。ついこの間だったのよ、秘密裏に地上での実験をしていたって知ったのは」

「地上での実験? 私が目覚めたのは洞窟だった。そこでなにかをやっていたの?」

「洞窟という閉鎖空間を使って、被検体が星毒を除去できるかを確かめたかったの。元から被検体は星毒で死なないことは分かっていた。それだけでは素質のある人間のみが新しい人類になるだけだから、回帰派の目的達成にはならない。知りたかったのは『そこにいるだけで星毒が除去できるか』なの」

 思い返せば。あの洞窟は青い霧なんてちっとも見えなかった。真っ暗な時も、モナが来て明るくなった時も、そこらに青色を認めたことなんてない。

「こうして計画が進んでいるということは実験が成功してたってこと。だけど……あなたは記憶を失ってしまった。私を知らないって言うしね」

「それは……申し訳ないとは思ってるよ。ごめん。説得力ないけど」

「責めてるわけじゃない。ホントだよ」

 

 ここまでエコの話を聞いてきて疑問に思ったことがある。ねえ、と前置きして私はエコに小さく手を上げてみせた。

「質問していい? エコはどうして追放されたの? なにかやらかしちゃったの」

 アマダも「それをまだ聞いていませんでしたね」と興味深そうに呼びかけている。

「ノーブルの奴らに現実を突きつけた。結構イヤな現実をね。それが奴らを不機嫌にさせて、嘘つき呼ばわりされて……追放されてしまった」

「どういうこと?」

「表向きは保守派の人間を装っていたと言ったでしょう、そして私は学者。ヘイヴンが長く飛べるようにあれこれ調査や検証する学者よ。それで私はある危険がヘイヴンに迫っていることを知った。ヘイヴンが星毒を使って飛んでいることは知っているよね」

「うん」

「その際にヘイヴンが星毒よりも危険な毒を出してしまうことも、その毒を捨てていることも話したわね。廃棄された星毒は……あと一ヶ月も経てばヘイヴンの高度まで届く見積もりなのよ」

 確かあの地図によればこの地下集落の近くには廃棄場はないはずだ。しかし一ヶ月後にそんなことになってしまうなら、それこそ星の終わりのような気がした。

「どうしてそこまで積み上がるのです? この調子だとまだ20年は安泰だったはず」

「アマダさんっていったよね。あの毒は同じところに貯めておくと二次関数的に量や密度が上がっていくことが分かった。多角的に調査観察をしてそれが間違いないことを突き止めたのよ。保守派が長生きするためにはヘイヴンの稼働を停止して回帰派への鞍変えが絶対に必要だった」

「しかしノーブルたちはエコさんの発言を否定し、追放した、と」

「ヘイヴン会議に資料を提出してきっちり納得のいく説明をした。このままヘイヴンを稼働して廃棄星毒を増やしていけば私たちはお先真っ暗なのだと。でも……やつらは狂ってる。そんなはずはないの一点張り。カネと権力はあってもあいつらバカなんだ。バカのくせに力があるから余計にたちが悪い。仮に壊滅的被害にあったとしても脳スキャンがあるから大丈夫だとか言って、マジでバカなんだ」

 忌々しそうに吐き捨てるエコを見て確信した。たぶん嘘はついていない。忘れてしまったが彼女は私の友人で、正義感のある、未来のために前を向ける人間だ。

 アマダは体をエコに向けてじっと頭を下げる。表情はないからまったく読み取れないが思いやりのある動作だというのはわかった。

「……そうだったのね。わかった、エコ、話をしてくれてありがとう」

「礼なんていいのよ。私はあなたの旅に一緒に行けないから、ここで応援してる」

 がんばって、と手を差し伸べたエコ。私はそれを握る。服のせいで温かみは感じにくかったが、私はすぐに身をかがめた。エコもアマダもそうしていた。

 

 穏やかな雰囲気をぶち破ったのは体に響く爆音だった。地下で花火を上げるはずもない。もしそうだとしてもまわりが悲鳴を上げるはずがない。

「ねえ、大丈夫!?」

 外からモナの呼び声がする。私は急いで外へ飛び出し、モナがしゃがんで乗る準備をしてくれたのを見た。

「大丈夫、平気よ。なにがあったの?」

「わからない。上の方が爆発して――まただ! 偶然に起きたなんかとかじゃないみたいだね」

 モナの上によじ登り、エレベータがある場所を見上げるとそこには大穴があいている。乱暴な形をした穴を見れば爆発でこじ開けられたものだとすぐに理解できた。

「もしかしてノーブルがここを見つけたの?」

「かもしれない。ノーブルの技術力はこの星で一番高いんだ。何が起きても不思議ではないって十分に注意は払っていたのに」

 皆のもの! と外に出てきたアマダが集落全体に大声で呼びかけた。彼の手には長い銃が握られ、拡声器なんてないが、機械の体ならばよく通る声を出すのは簡単なのかもしれない。

「ノーブルが攻めてきた! 奴らの狙いは我らの絶滅と救世主の命だ。我らの命にかえても救世主を守るのだ!」

「ちょっとアマダさん! なにを言って――」

 私の言葉は集落中にいるルーインドたちの雄叫びに消えた。彼らのなかに異議を唱えるものはいない。誰もが救世主を守るのだとか、家族を守るのだとか、口々に叫んでいる。

「クリア。あなたは私たちの希望なのです。全てはこの星のために起こす行動なのです。我らが恐れる理由も、あなたが躊躇ったり苦しんだりする理由はありません」

「でもあなたも、他のルーインドも死んじゃうかもしれないのよ」

「一度は死んだのです。三度目の生がなくとも、とうに失った命などなにが惜しく思いましょうか」

 表情はなく、あるのは脳だけでも、アマダの気迫に私は動きを止めてしまった。もっとなにか人生の経験があれば――記憶を失っていなければアマダを説得できていたかもしれない。でも現実はそうじゃない。

「あなたは希望の星。この星を救える希望なのです。ここで死なせるわけにはいかないのです。記憶を失いその意思もないかもしれません。しかし……ノーブルという正しくない人類の手から星を守ってくださらぬか」

 エレベータのところに空いた大穴から空飛ぶ船が2隻3隻と続々やってくる。それらに搭載されている機銃が火を噴き、目覚めた時に見た白い兵士たちも降下している。

 まだ船は降りてくる。兵士も降りてくる。ルーインドたちは集落に隠していた武器をとってノーブルの戦力を攻撃するが、多勢に無勢。私たちが圧倒的に不利だってことは誰が見ても明らかだ。

「……約束する。この星から星毒を取り除く。モナと一緒にね」

 心が動くというのはこういうことなんだ。自分が死ぬと分かっているのに逃げるどころか立ち向かう人を前に逃げ出すなんてできない。

「でもこのままじゃみんなやられてしまうわ」

「大丈夫、あの黄色い布がかかっている壁が見えますね? あそこに秘密の抜け道があります。出口は星毒汲上所の近くです。いいですか、いまから3分だけ抜け道の入り口を開けます。無事に抜け出たのを確認したら、モナと協力して、この星を救う計画を進めてください」

「アマダさんは? それにエコはどうするの?」

「あなたを逃がすために全力で時間稼ぎをします。エコさんは――」

 私も戦わせて。アマダの家にあったのであろう長い銃を手にエコが家から出てきていた。多勢に無勢のこの状況、戦えば死を免れないはずだ。

「――だそうです」

「そんな無茶な、一緒に行こう!」

「いくら救世主と一緒とはいえ星毒まみれの場所はちょっとね。それに見たとこ人が足りないみたいだし? 手伝うんだったらこっちの方がいいでしょ。最後くらいカッコつけさせてよ」

 なに言ってるのと言おうとしたが出来なかった。エコはふざけてこんな選択をしているわけじゃない。むしろ大真面目に判断してくれたのは分かっている。だけどこれじゃあアマダもエコも死んでしまう。

「さあ行こう。もういかないと秘密の抜け穴が閉まってしまう」

「モナ……分かった! 私たち、行ってくるわ!」

 だから私のなすべきことは星毒の除去だ。この星を救うことだ。集落の道を駆けるモナにしがみつきながら私は涙を浮かべ、拭い、未だに攻撃を続けるノーブルたちをにらみつける。

 集落のあちこちから炎や煙があがり、ルーインドたちの鬨の声も小さくなっていく。この光景は心を締め付けてくる。

 私は、私たちは、星毒を消す。先のことも見えないノーブルたちにこれ以上好き勝手させない。

 

 

 

 

 

 

 秘密の抜け穴はくり抜いた洞窟という感じの場所だ。明かりなんてどこにも用意されていないがモナは目が見えているようにどんどん前に進んでいく。

私の目は暗がりで見えなくても星毒の濃さは肌で感じられるようになった。間違いなくこれは外につながっている。

「ここ暗いね、いまライトつけるから」

「ありがとうモナ。でも……明かりなしでもさっきまで動けてたじゃない。どうやってるの?」

「いろんな方法で視界を得ているの。超音波とか、赤外線とか。だって私は正真正銘の機械だからね」

 その割には妙に人間のようなというか、親しみがあるというか。これから先、計画を進めていく途中で消えてほしくないと思う。

 

 遠い背後、ルーインドの集落に生き残りはいるのだろうか。彼らはみんな私に期待を寄せていた。正直言えば記憶のない私に星を救う能力はあっても動機などあるわけがない。ここを逃げるまである種の申し訳なさが心のどこかにあった。だがいまはもうない。

 動機をくれたのは彼らの姿勢だ。彼らは、特にアマダは親切で、どこまでも私を守ろうとしてくれた。ヘイヴンから追放された私の友人だというエコも私を助けようとしてくれた。

 私に良くしてくれた彼らの恩に報いる。これは記憶を無くす前の私が持っていた動機ではないが、いまの私が心から前向きに納得できる動機だ。心の芯からそうしたい。

「ねえモナ」

「どうしたの?」

「私……この星から星毒を消すよ。そしてノーブルとヘイヴンを地上に降ろして、時間はかかるだろうけどくだらない争いをなくさせる。いま必要なのは人間同士の戦いなんかじゃない。お先真っ暗なこの星は私たちがどうにかして……どうにかしたあとは人間同士が協力しあわなきゃ、でしょ」

「そのとおりだね」

「星に生きる人たちが手を取り合えるように。私を生かしてくれた人たちにちゃんと報いたいんだ。恩返しがしたい。そのために計画を進めるよ。モナ、最後までよろしく」

「うん。こっちこそよろしくね……ノーブルを地上に降ろしたとしてもうまくいくかは疑問だけどね。彼らはあまり目も頭も良くないみたいだから」

「えっと、ヘイヴンにいた時の経験で喋っている? エコもそんな話をしていたんだ」

「ヘイヴンなんて足元のおぼつかない揺りかごなのに、カネと権力がある……いや、あったってだけでどこまでも偉そうにしているんだよ。バカじゃん。でも待って。エコがそんな話をしていたって?」

「会議で星毒がヘイヴンの高度まで達してみんな死ぬだろうって喋ったんだって。しっかり資料を作ったのに誰にも信じてもらえなくて、それで追放されたって」

「バカだね、マジモンのバカだね。いよいよもって奴らが更生するとは思えないかな」

 機械なのにため息までついてみせるモナ。彼女にしがみついて前を見ると、出口らしい場所から青い光が差し込むのが見えた。

 

 

 

 洞窟をくり抜いた抜け穴から抜け出ると、そこはこれまでないほどに青い霧がたちこめ視界が悪い。それでも分かるほどに大きな白い塔がそびえ立っていた。

 鉄の板で円柱型の壁が作られていて、そのなかに星毒の汲み上げをしているらしい大型の機械が長く上下にピストン運動をしている。見上げてみればひどく濃い濃度の星毒が機械の先端から噴出している。どこまでも高く伸びる噴出だ。

 

 これだけ勢いのある噴出なのだからルーインドの集落に降りる前に見えても良かったはずだ。そうじゃないのはきっとここが特別にくり抜かれた山だからだろう。元からあたりが青い霧に包まれていて分かりにくいのもあるかもしれない。

 星毒汲上所を囲うように山があるが、これは隕石が落ちる前のノーブルが加工したのかもしれない。抜け穴の出口が近くにあるのはルーインドや回帰派たちが星毒が星に満ちる前に密かに作業していたからだと思う。

「モナ、ここが星毒汲上所だよね?」

「現在地も博士から送られてきたデータとも一致している。間違いなく目的地その1ってとこだね。他にもあるけど……まずこの機械を止めよう。それから星毒を吸って――」

 モナは言葉をつまらせた。その理由は私にも分かる。遠くに人影が見えたからだ。ルーインドというか鉄人間のシルエットではない。普通の人間。こんなとこに来るのは星毒対策をしっかり決めたノーブルの整備士くらいだろう。普通の時であれば。

「ねえ、あそこに武装している人がいるよ。3人。どうやらノーブルの手先みたい。いま私たちがいる場所は見えてないみたいだけど。このままだと計画は進められないね」

「どうしたらいい?」

「いま盗聴してる……やつら、私たちを探しに来ているみたい。ルーインドの村を襲った奴らの別働隊でここに来ると予想していたのよ。奴らをやり過ごせればいいんだけど、私の体は大きすぎる」

「敵は3人か。モナ、持っている武器を使えば一瞬でカタをつけられそう?」

「やってみる」

 言うなり頭の部分が穴があき、そこから筒状のパーツがぬるっと現れる。筒は敵がいるところに傾き、ぽんと控えめな音をたててボールのようなものを飛ばしていった。

 きっかり3秒後に大爆発を起こし奴らはぎゃあと悲鳴を上げる。あの爆発の大きさから見て人体が無事のはずがない。

「やった。全員排除できてる」

「でもすごい音が出たよ。他にノーブルの奴がいたら危なくない?」

「だろうね。私がここを見張っているから、汲上所を止めてから星毒を吸ってきて」

 わかったと残して私はモナから降り塔に向かう。機械の止め方はよくわからないが探索すれば操作盤のようなものはあるはずだ。

 

 思ったとおり操作盤が近くにあった。汲み上げの機械の動作をレバーやボタンで制御しているらしい。塔の形をした機械のすぐ横に雨よけらしい小さな小屋に収まっている。

 操作盤にはマニュアルらしい資料が近くにあり、どこのなにを操作すればいいかすぐに理解した。非常停止ボタンは一見しただけでは分からなかったがもう秒で押せる。

 上下にピストン運動していた機械は動きを止めた。私は全身であたりの星毒を吸収するイメージを働かせ、実際にそうなっていくのを見る。みるみるうちにあたりの青色の霧は晴れていった。

「モナ! もうこっちは大丈夫。あとは星毒を――」

 遠くで爆音がした。またモナが爆弾を投げたんだろうか。急いで外に出ると、モナがどこかを向いて姿勢を少し低くしている。臨戦態勢。もう一度爆弾を投げた。

 爆炎からひとつの影が飛び出すのが見える。人間。少なくとも鉄人間のように人ではない形じゃあない。私は物陰に隠れて様子をうかがうことにした。

「こいつ、強い!」

「俺はサイボーグだ。人間相手に通用する爆弾じゃ殺せねえよ」

「くっ……」

「さあ観念して救世主を出せ。救世主か、いや、大罪人だよ。最悪の反逆者、モナ・クラウデアをなァ!」

 黒い鎧を着込んだ男がごちゃごちゃした意匠の槍を振り回しながらモナに襲いかかる。その身のこなし、速さ、どれをとっても人間離れしている。槍の威力も尋常ではなく鉄の床が弾け飛んだ。

 だが私はそれを見ながら別のことに気を取られていた。男は救世主の名をなんと言ったろうか。聞いたばかりで忘れるわけもない。モナ・クラウデアと呼んでいた。モナって、それは仲間の名前だ。救世主の名前じゃない。

 私は自分の名前を知らない。モナは知っていたかもしれないが教えなかった。アマダがクリアという名をつけてくれた。エコは絶対に知っていたが気を遣って伝えなかった。だから知る由がない。

もし私がモナという名前なら何故モナは同じ名前をつけたのだろう。そうする理由は考えつかない。だがあのサイボーグの男はモナに槍を振るいながらモナを出せと怒鳴っている。意味が分からなくなってきた。

「モナなんて子はここにいないわ」

「いや、間違いなくここだ。回帰派の連中の計画は掌握している、とても優秀な情報部のおかげでな。それにここの星毒が急に晴れるなんて、もう答えは出てるだろ!」

「いいえ、いいえ! ノーブルの情報部が優秀? 笑わせないでくれるかな」

 モナの胴体の下のところから機関砲が覗いて火を噴く。だがノーブルのサイボーグは槍を高速回転させて射撃を防ぎ、モナになにか投げつけた。

 バチィと静電気が弾けるような音がした後でモナの様子がおかしい。機械なのにしびれている。物陰越しに私も巻き込まれたがなにも異常がない。機械だけをしびれさせる爆弾なのか。

「くっ!」

「ぶっ壊して探させてもらうぜ。家族のためにな!」

 槍を構えて突っ込もうとするサイボーグ。思わず私は飛び出して奴に体当たりをぶちかました。

 よろめかせてからモナにまたがって逃げればいいと思っていた。だが私の攻撃は予想以上に威力があったらしくサイボーグは転げ回っている。

「モナ! 逃げるよ、はやく!」

「クソッ! モナはお前だろうが!!」

 槍が飛んでくる! 体を反らして避け、だが避けた先で槍がブーメランみたいにこちらに飛んでくる。

 転がって避けた先でサイボーグが槍で追撃をかけるが、モナが機関砲をバリバリ撃って守ってくれた。サイボーグは突き出そうとした槍を引っ込め回転させて距離をとる。

「クリア! あなた……もしかして戦えるようになってる、の?」

「情報部の言っていたとおりだ。反逆者は星毒を吸うことで戦闘力を上げるとな。モナ・クラウデア、お前には死んでもらう」

「私がモナですって? モナは私の仲間で、私はクリア。救世主だか反逆者だかってのはあたっているけどね」

「意味わかんねえことぬかすな! 人相が嘘ついてねえぜ、お前がモナだろうが!」

 繰り出される突き。尋常ではない速さの攻撃は、しかしどうにか捉えることが出来ている。きっちり避けて後退、繰り返し。

 自分が戦えるだなんて思ってもいなかった。星毒を吸えば強くなるとか言っていたのが関係しているのか。でもそんなこと博士もモナも教えてくれていない。

「どんだけ星毒を吸ってきたんだコイツは!」

「私はノーブルとヘイヴンを止めたいだけ。これ以上邪魔しないで」

「ハイそうですかって引き下がるわけねえだろ! こっちは家族が……家族の命がかかってんだ。お前らが星毒を処理するとヘイヴンは墜落する。すると家族はどうなる? 俺の家族は? 俺だけじゃない、お前らは俺たちを殺そうとしているんだぞ!」

「後先考えずに星毒つかって空を飛び続けてるのが悪いのよ!」

 まるで自分たちは悪くないみたいな言い分だ。頭に血がのぼったのを自覚しながら、自分でも驚くほど重く速い踏み込みをして掌底を叩き込む。槍で受けられたが少し吹き飛ばすことが出来た。

「ふざけるな! 持続可能な星毒採掘と消費をしているんだぞ」

「ヘイヴンはもって一ヶ月。後先考えない廃棄物処理のせいで一ヶ月ももたない。あなた騙されてるのよ!」

「指導者が嘘つくはずがない! うまくいけば家族の脳スキャンも約束してくれたんだ、そんなくだらない嘘つきやがって、お前ぶち殺す!」

 言っても無駄のようだった。一人だけサイボーグになっているということはそれなりに認められているのだろう、でもそのぶんだけノーブルの指導者とやらを盲信してしまっている。

「そこの機械は邪魔だなッ」

 またも爆弾を投げた。機械だけをしびれさせるやつ。モナの援護はしばらく期待できない。だが私は前に出るのを臆しない。

「来いよ殺してやる」

「殺してやる? あなたにはできない」

 繰り出される超速の槍。身を反らして避け、4回めの攻撃をがっつり掴んでサイボーグごと振り回す。そのまま床に叩きつけようとして出来なかった。どこかに隠し持っていた銃で私は胴を撃たれ、痛みと衝撃でたたらを踏んでしまう。

 放り投げてしまった敵は体制を整えながらこちらを撃ってくる。撃たれても痛いが死なない。だが頭はマズいだろう。私は左腕で顔を防御しながら手近な鉄パイプを右手で取り、姿勢を低くしながら敵に全速力で突っ込む。

「だりゃあっ!」

 振り上げた鉄パイプは槍とぶつかって切断された。だが勢いのままに踏み込み二撃目をやつの体にぶち当てる。私の武器は粉々に砕け散り、敵も吹き飛ぶ。飛んだ先には復帰したモナがいて、転がった敵の体を思い切り踏みつけた。

「グアアッ!!」

「いくらサイボーグとはいえロボットの重さに耐えられるわけ無いわね?」

「ここで終わりか……俺はなにも守れないってのか」

 それが敵の辞世の句になった。モナがもう一息踏みつけを強くして、もう一度踏みつけなおすと、もう原型はとどめてないし喋ることもない。

 

 モナが殺した。いや、私たちが殺した。私は言葉なしにモナにまたがり、しっかりしがみつく。

「トドメは私がさしてる。あなたが殺したんじゃない」

「私も殺してる。モナ、次の汲上所に行こう……あのさ。少し聞かせてくれる?」

 なにを? その声はどこか人間じみて震えていた。

 星毒汲上所を出てモナは次にどこに向かうかをしっかり理解しているように走り出し、その足取りに迷いは見られない。そんなモナに私は意を決して口を開く。

「モナ。私の本当の名前は、モナ・クラウデアなのね?」

「……そうよ」

 モナは口にするまで迷ったように思えた。モナが荒野を踏みしめ走る音だけが聞こえる中、私は目を瞑ってモナの言葉の続きを待つ。

「本当のこと、話さなきゃいけないみたい」

「話してくれるのね?」

「この計画は星毒を消して星を救うことが目的よ。でも……計画が確実に成功するとは判断できなかった」

「どんな計画だって絶対に成功しない」

「そうだね。結論から言えば、私は、このボディには、モナ・クラウデアのデジタルコピーがされたデータが収まっている。歪な形だけど、私はモナのコピー。そしてあなたが本当のモナ・クラウデアなの」

「……整理させて? 私の名前がモナで、モナは、いいえ、私がまたがっている機械には私のコピーが入り込んでいる?」

「ええ。でも肉体はないわ。実体のないコピーよ」

 頭が痛くなってきた。つまり私は、私のコピーが搭載された機械とともに計画を遂行している。姿形は違っても自分との二人三脚を繰り広げているってことか。

「でもどうやって人間の意識みたいな、そういうのをデジタルコピーなんてできるの」

「脳スキャンという技術があるの。ノーブルの保守派が編んでいた技術だけど、回帰派のスパイが盗み出した。簡単にいえば……人の脳をコピーしてその人の意識存在を複製する技術ね」

「どうしてそれを使おうとしたの。回帰派の人は、というか私は、か」

「成功するかどうかわからないけど、成功させなければならない計画。ノーブルの邪魔は絶対はいるだろうし、私の人体改造が終わったあとでトラブルが起きないとも限らない。だから私は提言したの。ふたりのモナ・クラウデアがこの計画に携わるのはどうかとね」

「モナは……過去の私はそれなりに信用されていた?」

「まあね。コピーされた私はこの機械にインストールされて自分をアシスタントするよう調整された。そして計画は始動し、記憶のない私が目覚めた――」

 ようやく全体が見えてきた。とんでもない技術を私はある種のフェイルセーフとして使うことを決断し、それはおそらく成功した。元に私はモナを信用しているし、頼っている。

「――でもひとつ、妙なことがある」

「なに?」

「博士は言ってなかったの。星毒を吸えば吸うだけ戦闘力が上がるだなんて」

「副作用とかじゃない? 言ってなかったんじゃなくて、知らなかったんじゃないかな」

「そうなのかな……分からないこと考えても仕方ないね。まだまだ汲上所はあるんだ、頑張ろう、一緒に」

 モナは。もうひとりの私は努めて明るい声を出した。

 正直いって記憶がないのだから私とモナがある意味で同一人物だというのは衝撃的な話ではない。だがこうまでして星を救い未来を創ろうとするモナを私は尊敬する。もうひとりの自分と行動を共にするのは決して楽ではないし気分がいいものでもないだろう。

 自分を尊敬するというのはなんだか恥ずかしいが、記憶がない以上私はモナ・クラウデアではない。恩に報いようとする、星毒を消せる女――クリアだ。だからモナをすごいなって思ってもいいはずだ。

 

 すごいといえばあのサイボーグの男もすさまじい執念だった。家族のためと言っていた。ヘイヴンにいるのだろう。破滅に突き進むノーブルが保護してくれるとは思えないが、それでも彼は人体改造を受けてまで反逆者たる私たちを殺しに来て、死んだ。

 あの男も、エコも、脳スキャンがどうのと言っていた。ヘイヴンではそれなりに知られた言葉なのか、技術なのか、それはわからない……もしかすると脳スキャンはノーブルたちの最後の手段なのかもしれない。

 星毒がヘイヴンの高度まで立ち上っても脳スキャンでコピーを作り、星毒に耐えられる体に移すみたいな処置を施せば永い時を生きられるはずだ。ヘイヴンを動かす燃料である星毒が汲上所を使わずとも近い高度で採れるのであれば、もしかすると永久的にヘイヴンは稼働するかもしれない。

 それこそがノーブルの、保守派の狙いなのかもしれないと思った。半永久的に飛び続ける巨大な飛行機。外も中も毒まみれだが住人たちは涼しい顔をして青い世界に暮らしていく。

 

 そうだとしても。脳スキャンは救いをもたらす技術と言えるのだろうか。私は考える。それは違う。

保守派の思惑がうまくいったとしてもコピー元の人間が星毒による死を免れるわけではない。複製された意識は無事だとしても。仮になんらかの措置でコピー元の人間が延命できたとしても保守派の人間なら助け出そうとはしないだろう。

 だから脳スキャンはヘイヴンに、ノーブルたちに救いをもたらす技術なんかじゃない。断言できる。記憶のない人間がここまで断言できるのだ、保守派の人間が気づいていない、なんてことはないはずだ。知っていてやっている。

「なにがノーブルだ」

 知らず、思わず、低く呟いていた。

「いまなんて?」

「なにがノーブルだって。こんな時代なら、高貴というなら努めを果たしてみせろって」

「……そうだね。私もそう思う」

 前を見ないフリなんかしているな。全部終わったら、後ろ向きに突っ走る高貴な者どもにガツンと一発お見舞いしてやる。

 

 

 

 

 

 

 防壁をこじ開けられるのは時間の問題だろう。だが彼らがすぐに開けられるものでもない。強引に開けようとすれば牙を剥く罠を幾重にも仕掛けてある。

 頑丈な防壁と、これらに仕込んだ罠。逃げ道を自ら塞いでまで守りを固めた私にはどうしても成さねばならぬことがある。私は壁沿いに設置した巨大な操作盤とモニターに取り掛かり、計画を実行に移す。

 ここまでたどり着くのにどれだけの覚悟とコストを積み重ねたと思っている。例え私が死んだとしても──この計画は成功させなければならない。

 

 ここ数日は計画の実働部隊と連絡をとっていない。つまりモナ・クラウデアと彼女を脳スキャンして複製した意識をインストールした機械の二人組だ。

 秘匿回線は保守派の連中によってその意味を失い、連絡をとれば奴らに私が回帰派だということがバレてしまう。岩のようにじっとして行動を起こさないでいたが、保守派の人間はここを嗅ぎつけてしまったらしい。

 それでも私が仕込んでいた準備のおかげで黙っていても情報が入ってくる。嬉しいことに計画は着々と進んでいる。星毒汲上所は次々に機能を停止し、ヘイヴンの航行持続性は落ちている。最後の星毒汲上所を無力化し星毒が消されれば墜落は待ったなしだ。

 

 だが計画には誤算があった。ひとつは、救世主として人体改造したモナ・クラウデアが記憶を失ってしまったことだ。モナのアシスタントとして用意した機械にコピーされたモナの意識をインストールしていたおかげで、おそらく問題にはなっていない。

 次は回帰派と協力関係を結んでいた鉄人間の部族「ルーインド」が全滅したことだ。保守派の軍隊が優秀だったのか、モナの追跡が功を奏してルーインドの居住地を発見し攻撃した。ルーインドにはモナの補助を依頼していたが想定の半分も達成してもらえなかっただろう。

 それでも悲観するばかりではない。ルーインドは回帰派の軍隊を引き込んで居住地もろとも自爆したのだという。結果として軍隊には結構な損失が出ている。おかげでモナの追跡は思うようにいかないだろう。最後の最後にこれだけのことをしてくれたが失ったものは大きい。その知らせを聞いた私はつらさと感謝の気持ちで涙していた。

 最後の誤算はモナが「星毒を吸えば吸うだけ強くなる」ということだった。私の設計に組み込まれていないその現象は盗聴によって知るところとなったが、人体改造や星毒を吸収したことによる副作用と断ずるにはあまりにも不可解だった。何者かの介入があったに違いない。

 

 私たちの計画は星毒をこの星から消し、かつてあった世界を取り戻すことだ。生命の風に満ちる、かつての星を取り戻す――それは歪んだ空飛ぶ揺り籠を否定し、地に堕とすことを意味する。

 計画が上手く進めば、星毒汲上所を潰せばその近辺の土地は星毒濃度がかなり低下しなんとか人間が生きていける環境になる。故にヘイヴンはそこへ不時着するはずだ。そしてあの土地に滑走路になる場所なんて無い。巨大な航空機の不時着。あまりにも強烈な衝撃。死人が大量に出るのは断言できる。

 

「ドクター・スカイ! お前は完全に包囲されているぞ!」

「クソッこの壁まだ破れないのか」

「あと少しのはずだ」

「いますぐ投降しろ! 命だけは助けてやる」

「この壁を爆破する――グワッ!!」

「おい、おい! クソがッ、投降しても殺してやるからなァ!!」

 隔壁に仕込んでいた罠が動作したようだ。セキュリティコードを壁のパネルから入力すればこうも危険な突入をしなくても良いのだが、彼ら保守派の軍隊は隠されたパネルを探し出せなかったらしい。

 もってあと30分。だがこちらの勝ちだ。私は彼女たちに無線連絡を飛ばす。機械の方のモナへの回線をあける。

「聞こえるか、こちらドクター・スカイだ」

〈博士? バレるとマズいから連絡しないって話じゃ?〉

「もうバレているから連絡している。私はもうじきダメだろう。ノーブルの軍隊がこちらに向かってきている、防いではいるがね。そちらの状況を教えてくれ」

〈たったいま最後の星毒汲上所を無力化したところです。軍隊が防衛していましたが、私とクリアで蹴散らしました〉

「クリア? 誰だ、協力者か?」

〈救世主の名です。記憶が戻らないのでルーインドのアマダさんが名付けていました。それにお互いモナでも呼びづらいので〉

 なるほど。私は頷き、操作盤を使ってあるものを稼働させる。ピザほどの大きさの、円盤状の偵察ドローンだ。それなりにいいカメラを積む、飛行能力を持つ偵察ドローンはヘイヴンの外にある。私がいる区画に近いところの外壁に忍ばせていた。

 偵察ドローンを保持していたアームを操作して手放させ、私はドローンを操作する。

「最後の綱が切れた橋は完全にその機能を失う。ヘイヴンもまさにそうだ。いま内側を覗いているが……どこも絶望に狂っている」

 仕込んでいた監視カメラから得られる映像はどれもこれもノーブルたちが狂乱している様を映している。

〈奴らはこれまで前を見ていなかった。当然の報いですよ。でもこのままだと博士が死んでしまう〉

「ヘイヴンだなんて空飛ぶ巨大な汚物だ。そしてノーブルも大抵が汚物だ。私も汚れている。死ぬべきだ……だが生きねばならない。星毒が消えたあとのこの星をどうにかしていくには、汚れていたって人手が必要だ」

〈どうにか着陸させることは出来ないのですか〉

「ダメだ。ヘイヴンはあまりに巨大すぎる。整備された滑走路は、君たちが用意してくれた生存圏に存在しない。状態が悪い荒れ地しかない」

〈ある程度の犠牲を承知で不時着しかないっていうの……だめよ、そんなの危険すぎる〉

「どうした?」

〈クリアがヘイヴンを受け止めると。いまの彼女は空も飛べるし地面もひびが入るくらいに殴りつけられるんです。確かに試算したところ、ヘイヴンを受け止めて不時着よりは安全に着陸させられるはず。でもそんなことをしたら――〉

 間違いない。救世主は死ぬ。良くて取り返しのつかない大怪我を負う。

 彼女には星が元通りになったあとの象徴になってもらわねばならない。そういう話をモナとしていた。だがそうも言っていられない。私は決断し、ドローンをヘイヴンのコクピットルーム近くに移動させオートパイロットに移行させた。これでドローンはコクピットルームあたりにくっついて飛んでいく。

「私がヘイヴンの操舵班と交渉する」

〈どうやって?〉

「手段ならある。それに操舵班には仕込みがあるのだ。任せてくれ」

 ドローンからある信号を送る。ある種の船橋のようなコクピットルームには、回帰派が仕込んでいたボール型ロボットがある。それを起動させる信号だ。

 

 モニターにボール型ロボットに搭載されたカメラアイからの映像が映る。このロボットはスピーカーもマイクも搭載されている。他人の声を聞くことも私の声を伝えることも可能だ。

〈おい、どこからこんなの落ちてきた?〉

〈天井からですよ。でもそんなことよりどうするんです班長! 反逆者のせいでヘイヴンに蓄えてた星毒は枯渇して、最後の汲上所も抑えられてしまった! もうおしまいだ!〉

〈うるせえ! 俺ぁ必死に考えてんだよ邪魔すんな!〉

「……君たち。生き残る方法を教えよう。私はドクター・スカイ。回帰派の人間だ」

 言い争いをしていた男たちが動きを止めて同時にこちらに振り返る。

「この飛行機は墜落寸前だ、だが君たちが私の言うとおりに最後まで操舵してくれれば、おそらくヘイヴンは無事に着陸できる」

〈回帰派の人間だぁ? 助かる方法だと、信用できるかそんなもん! ですよね班長!〉

〈いや……ドクター・スカイっていやぁ反逆者の仲間だ。そんな奴がわざわざ助けようだなんて持ちかけてくるの、一周回って興味がわくな。話だけなら聞いてやる〉

「君たちが反逆者と呼んでいるモナ・クラウデアは星毒を吸収してまわっている。その過程で彼女は人間を超えた力を手に入れた。でなければ機械との二人三脚で星毒汲上所を破壊して回るなど不可能だ。そうだろう?」

〈確かに言われてみれば……だな。それがどうした〉

「いま私はモナと連絡を取れる。こちらからの指示で操舵してもらえれば、あとはモナがヘイヴンを不時着よりはマシに着地させられるはずだ。全く死人が出ないってわけにはいかないだろうが、まあ、選ぶのは君たちだ。私ではない」

 部下の男が班長に「奴の言うこと聞かなくてもいい」と熱弁を振るうのが聞こえる。私も彼の立場ならそうするだろう。だが彼よりは優れている知性があれば、ああまで過激な態度に出ない。

 人を動かすための方法は明快だ。動かさないといけない状況に叩き込めばいい。簡単なことではないが、この星毒とヘイヴンの状況はまさにそれだ。そして班長はこれが理解できるだけの頭の良さがある。

〈……乗ろうじゃないか。最悪の結末を自分で選ぶよりは少しでもマシなのを掴み取るぜ〉

〈バカ言ってないでやめてください! 俺たちは奴にハメられてるんですよ〉

〈おめえがバカなんだよ。呉越同舟という言葉を知っているか? 敵同士でも同じ利害が一致すれば手を取り合うって意味だ〉

〈講義の時間じゃないんですぜ!〉

〈焦ってバカが加速しているみたいだが、落ち着け! 確かにスカイ博士は敵だ。星毒を潰してヘイヴンを堕とそうとして、成功している。だが奴だって目的を果たして死にたいと思うか? まだ生きていたいって思うだろ。お前考えてみろ。だからここに話を持ちかけてきているんだ〉

 班長が部下の体をがっしりと掴んで言い聞かせる。しばらくそうして、やっと部下も頷いた。全部理解して納得したのではないだろうが、前を向いて判断することを選んだようだ。

〈話は決まったぜ。あんたの言うことを信じてみよう〉

「ありがとう。ところでそちらに軍隊へ口を出す権利はあるか? いま私は自分の部屋にいるが軍隊がもうすぐそこまで迫っている。防御は固めているが踏み込まれるのは時間の問題だ」

〈いや、残念だがそれは出来ねえ。軍のえらいさんじゃあないんでな〉

「分かってる。確認しただけだ。それでは座標を確認する。確認が取れ次第すぐに連絡する」

 私はボール型ロボットへのマイクから口を遠ざけ、今度はモナとの通信に移る。

「モナ。君たちはどこにいる?」

〈最後の星毒汲上所から離れているところです。座標を送りますか?〉

「そうしてくれ。そして朗報だ。コクピットルームとの交渉は成功した。座標を伝えればそこにヘイヴンを導いてくれる」

〈わかりました……座標送信完了です。届いていますか?〉

「届いている――班長? 聞こえるか、座標が届いた。読み上げるぞ」

 防壁を破り部屋に入ろうとする軍隊の声は、仕込んでいたマイクを使わなくても聞こえるようになっていた。いよいよ私に残された時間は少ない。一秒も無駄にできない。

〈座標を確認したぜ。軌道計算は大丈夫だ、なんとか間に合う〉

「そうか……私の最後の仕事は終わったようだな」

〈なあ、軍隊はどのくらいまで迫っているんだ〉

「もうすぐそこだ。罠をたっぷり仕込んだ防壁を作っていたんだがな」

〈俺たちが掛け合えばあんたは助かるのか〉

「やめたほうがいい。下手に首を突っ込んで切り落とされでもすれば、誰がヘイヴンを動かす? 座標ではないところに落とされれば全部おじゃんだ」

〈じゃあ博士は殺されるのを待つってのか〉

「まだ死ぬわけじゃない。目前に迫ってはいるが」

〈怖くねえのか〉

「いや、怖いね。だが覚悟ができている。反逆者と呼ばれるくらいのことはやっているんだ、覚悟がなければ……こんなことはできない」

 ひときわ大きな音が部屋の外から聞こえる。もうじき時間だ。彼らは迷うことなく私を殺すだろう。

「班長、それに優秀な部下よ。私の話を聞いてくれてありがとう」

〈最悪よりはマシなものを選んだだけだ……ありがとうな、博士〉

 コクピットルームとの通信を切る。次はモナたち実働部隊への最後の話をするだけだ。

「モナ、聞こえるか? 私はもうじき殺されるだろう」

〈……博士のおかげで星毒が消えるようになったんです。感謝してもしきれない。ありがとうございます〉

「それはこちらのセリフだな」

〈最後に聞きたいことがあったんです。どうして星毒を消そうと思ったんですか。回帰派の初期メンバーになった理由って?〉

 私は支度をしながら「そうだな」と答える。部屋の奥に収納しているある装備を身につけるのだ。

 パワードスーツ。強化外骨格。暗い白色の機械鎧を装着する。

 軍隊の一部の人間が用いるものと比べて出力などはかなり劣るが、小口径の銃弾のダメージを抑えるくらいならできるだろう。そしてゴム弾を使った小銃も3丁ある。最後の防壁が破られても死ぬまで抵抗は出来る。

「私には家族がいた。隕石が落ちる前の話だ。私の財力で全員がノーブルとなってヘイヴンに逃げることは出来たんだ。だが娘だけはヘイヴンに移れなかった。隕石が落ちる前に死んでしまったんだ」

〈初耳です。博士、子供がいたんですね〉

「ああ……娘は晴れの青空が好きだった。どこまでも突き抜けるような青が見ていて好きだったというんだ。美術や芸術には疎いのでね、私にはよく分からなかったが……青い霧に覆われたこの星では雨だろうが曇りだろうが晴れだろうが青空を拝むなんて出来ないだろ。そんなのは娘が悲しむ」

〈だからこの計画に乗ったんですね〉

「もちろんヘイヴンの将来を危うんだことも動機のひとつだ。だが、やはり根底にあるのは『本物の青空』を取り戻すことなんだ。雲の上を飛ぶヘイヴンなんかから見る青空になんの価値もない。だが……死んだ娘と同じくらいの君を人体改造や脳スキャンにかけるのは心が痛んだ。今となっては遅いが、すまなかった」

〈謝らないでください博士。大丈夫。私もクリアも後悔なんてしていません〉

 ドォンと爆発が起きた。防壁はあと一枚。爆発は何度も続いている。

「本当にもう時間だ。さよならだモナ。ありがとう」

〈ありがとう、博士〉

 モナの方から通信が切れた。いつの間にか私は泣いていたらしい。久しぶりのことだ。覚悟を決めて計画に参加した日から泣いたことなんて一度もないのに。

 

 涙を拭って壁のボタンを叩き、床から黒い防弾シールドがいくつか展開させた。そのうちのひとつに身を隠し、長く息を吐く。体は十分に隠せている。

「よくも手間取らせてくれたな! 反逆者め、死ぬがいい!」

 メガホンかなにかで響いた大声は大爆発でかき消えた。直後に弾幕が展開、一歩も動けない状態になった。けたたましい銃声に負けないように私は声をはる。

「君たちは本当に暇なんだな! こんなことしている場合じゃないだろ!」

「ヘイヴンを墜落させようとした口でなにを言うか!」

「共同戦線って言葉を知らないらしいな! おぼつかない足元をどうにかしようって発想がないのはどうかと思うぞ」

「黙れ! 我らが死ぬ前に貴様ら反逆者を殺す!」

 ここの隊長らしい男が誰よりも聞こえる大声で殺害予告をしてくる。保守派に洗脳されたのか分からないが、彼らは自分で考える力を失っているらしい。

 じりじりと軍隊がこちらに向かっていくのを感じながら、私は部屋に仕込んだ最後の罠を発動させる。部屋の明かりを落とし、強烈な閃光を叩き込むのだ。

「うおっ? おおッ!」

「目がッ!」

 弾幕が少し緩んだ。防弾シールドから覗き込んだ私はゴム弾を連中に叩き込む。あまり効いていないみたいだが、何人かの急所にあたって気絶はさせたようだ。

「小賢しい真似を!」

 部屋の照明が戻ると同時に弾幕の濃度が増していく。また一歩も動けない状況、同じ手は通用しないだろう。だが私はまだ諦めない。ヘイヴンに随伴するよう設定した調査ドローンを操作し、リモコンでモニターにつなげる。

「隊長あれは?」

「ヘイヴンのコクピットルームか? わざわざ墜落するところを見せて動揺させようってハラか」

「でも隊長! あれはなんなんです!」

「そんな場合か――あ?」

 直後、部屋に大きな揺れが走った。おそらくこの揺れはヘイヴン全体に広がっている。なぜなら、あのモニターに写っていたのはモナ・クラウデアだったからだ。

 黒い防護服のようなものを着ていたが、彼女は確かに浮いていた。そして勢いのままに落ちるヘイヴンを受け止めている。その衝撃たるや人間が受け止めれば砕け散ること間違いない。だが彼女は星毒を吸って人を超えている。

「まさに救世主だな」

「なにッ」

「いまのを見ただろう! 君たちが反逆者と呼ぶモナ・クラウデアは身を挺してヘイヴンを受け止めている! まともな滑走路がどこにもないから彼女は安全な不時着を試みようとしているのだ! それに見たか? この近辺は星毒濃度が極端に低い! 忌々しい青い霧が見えたか!? これでも彼女が反逆者だと!?」

 そんなバカな……気の抜けた声で隊長はモニターに近づく。

 揺れるモニターは勢いがとまらない墜落の様子を映している。だがカメラの向きが変わった。ヘイヴンの進入角度が緩やかになるのが見える。

「着陸まで秒読み段階だな、殺す殺さないの話をしている場合じゃないぞ、死にたくなければ何かに掴まれ!!」

 私の叫びで隊長以下襲撃者たちははっと気づいたように動き出した。私が出した防弾シールドに掴まる者もいれば、通路に戻って壁の手すりにすがる者もいた。

 そして、床が突き上がるかのような強い衝撃。掴まっていた体は飛び上がり、天井が近づいて

 

 

 

 

 

 

 視界センサは墜落したヘイヴンを捉えている。

モナ・クラウデア――いや、クリアの身を挺した行動でヘイヴンの進入角度は緩やかになり、理想的な不時着が出来ていた。

 スカイ博士との連絡は取れない。マシな不時着が出来たとはいえ衝撃は相当のものだっただろう。着地の時にあたりが弾け飛ぶような爆音がしていた。中の機械とかはあまり使えなくなったのかもしれない。

「クリア、クリア?」

 墜落現場に近づきながら声をかける。ヘイヴンの軌道を考えれば下敷きになったというのは考えにくいが、あれだけの質量を受け止めて無事のはずがない。

 

 いまは夜明けだ。最後の星毒汲上所を攻撃するために闇に紛れる必要があり、夜間行動で動いていたから不思議ではない。ただクリアは黒い服を着ている。薄暗い中では目立ちにくいかもしれない。

 複数のセンサを稼働させながらクリアを探す。もうひとりの私、いや、記憶を失ったオリジナル。生きていても死んでいても確かめなくてはならない。

「――い、おーい」

 声が聞こえた。方角はわかる。踏みつけないよう慎重に近づき、無事にクリアを見つけた。

黒い防護服と星毒で強化された彼女の身体は、視界いっぱいを覆い尽くすほどの巨大航空機の激突から守るだけの強度があるらしい。特に目立った外傷はなかったが、衝撃が強すぎたのか歩く足元もおぼつかない。

「やっと見つけた。大丈夫?」

「ちょっとしんどい。ねえモナ、私、きちんと出来たの?」

「大丈夫。着陸自体は思っていたよりマトモに出来ていたよ」

 クリアが私に乗りやすいようにしゃがむと、いつもよりかなり遅くクリアは私によじ登ってしがみついてくれた。ゆっくり向きを直してヘイヴンに向き直る。

 横視界の一杯を埋め尽くすほどの幅、空が半分埋まるような全高。だが真上を見上げればどこまでも晴れ渡る青空が見える。この青空は私たちが掴み取った勝利の証だ。

「空、キレイだね」

「近辺の汲上所も全部止めて、クリアが全部キレイにしてくれたおかげよ。私たち、やり遂げんたんだ」

「……ノーブルはどうなったんだろう。ここ危ないんじゃない?」

「まだ油断はできない。ノーブルは私たちを逆恨みしているかもしれない。きっとそうだよ」

 いつでも武器を出せるようにする。いざとなればクリアにも動いてもらうだろう。大仕事をさせたあとで悪いと思うが、命に背はかえられない。

 

 ノーブルの機首のあたり、コクピットルームの近くまで移動してきた。そうした理由は博士の無事を確かめるためだ。クリアも安否は気になっている。いざとなればすぐ逃げ出せるように警戒は解かない。

 コクピットルームの近くが主な出入り口だったはずだ。大きい口を開けて物資輸送に使っていた輸送機や軍用機が出たり入ったりしているのを私は覚えている。だからこういう時に外へ出ようとするならここを使うに違いない。

 

 がごごごご、と大きな音がした。私の予想通りの場所がゆっくり開いていく。物々しい雰囲気は感じられないがなにか大量のものがそこにいるのが分かった。

「用心しておいてね、誰か知らないけどめちゃくちゃいるみたい」

「誰かってノーブルしかいないじゃない」

「そうなんだけどさ――あれは博士だ!」

 短い白髪をした、世の中に疲れたような顔をしたおじさん。彼こそがドクター・スカイだ。遠くに血を流した彼が白いパワードスーツを着込んで立っているのが見える。そんな彼を支えているのは保守派の軍隊の服を着た男たちだ。

 結局現れたのは博士と軍隊だけだ。だが敵対しているように見えない。これはどういうことだろう。

「モナ! クリア! よくやってくれた。計画は無事に成功した!」

 支えられながら博士は荒野へと歩いていく。他の兵士たちは生命維持装置なしに外で生きていられることに興奮していた。

「すげえ! 俺たち外で息できるんだぜ!」

「こうして外に降り立つなんて考えたこともなかったな」

「地上から空を見上げるのも悪くないじゃないか!」

 だが喜んでいる人ばかりではない。不安そうに銃を抱えて荒野を歩く人もいる。忌々しそうに私たちを見る人もいる。

 当然だ。理由はどうあれ彼らの仲間を殺している。星毒が消えたからといって彼らは私たちを許しはしないだろう。

 それでも現実を見て、顔を上げて生きる選択をしている。だから怖いとかそういう気持ちはない。

「博士! 無事だったんですね」

「天井に背中を思いっきり打ちつけてしまったがね。だが我々の勝ちだよ。保守派の人間もこの現状を直視せざるを得ない。もう現実逃避は出来ない。だから――一緒に来てくれ。話し合いの場を設けている。急ぎだからあまり準備は出来ていないがね」

「話し合いって?」

「これからどうやって生きていくかを考えるんだ。確かにここ一帯の星毒は消えた。人が住めるようになった。人だけじゃない、色んなものが居場所を取り戻した。土地も、空も、なにもかも」

 素敵なことだよね、とクリアが嬉しそうに呟いたのが聞こえる。私もそうだと思う。

 ある種の負けを認めた保守派との対話はなめらかに進まないだろう。星毒の消えた土地は、しかしいつまでも安全とは限らない。だがおぼつかない足元よりも現状の方が全然いい。

 

 救世主の適正があると言われたあの日からずっと戦いが始まっていた。身体が変わっても戦い続け、そして戦いはまだ終わっていない。星毒はまだ残っている。

「がつんと一発お見舞いできてよかった」

〈なんの話?〉

 クリアがしみじみと言うので聞いてみる。

「ノーブルはずっと後ろ向きに頑張っていた。でもやっと、前向きになってみようかなってなったんでしょ。そうしなきゃならないって状況だけど、一歩前進に変わりないから。頑張って本当に良かったって思うの」

〈あはは! だね、言えてる〉

 笑う私の隣に博士が近づく。そして彼は青空を見てゆっくりと呟いた。

 

 本当の青空。お父さんは成し遂げたよ。仲間と一緒にね……



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