貌無し騎士は日本を守りたい!   作:幕霧 映(マクギリス・バエル)

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15.空っぽの魂が優しさで満たされる頃に

駐屯地から出た俺達は、車で夜の公道を走っていた。

車内は沈黙に満たされており、走行音だけが淡々と響いている。

 

「……お母さんは、娼婦でした」

 

感情を無理やり殺しているのか、機械のように硬質な声でアセビはポツリと言った。

運転席の背中が、やけに小さく見える。

 

「父は私が物心つく前に失踪して、貧しい家庭でした。でも、私たちを大学まで行かしてあげたい。って。絶え間無くパートを入れながら、夜のおしごとを、していました。……それでーー」

 

『三年前のある日、倒れてしまいました』

 

ーーしめやかに目を閉じ、そう言葉を紡いだ。

 

「頭がぐちゃぐちゃになってしまって、お医者さんの話は良く分かりませんでした。ただ、過労が原因というのは覚えてます」

 

車がカーブし、交差点を曲がった。

遠くに、『総合病院』と書かれた大きい看板が見えてくる。

ポツポツと降ってきた雨水がフロントガラスに張り付き、信号機の青い光をぐちゃぐちゃに屈折させた。

それに照らされたアセビの横顔が、まるで泣いているかのように見え俺は目をそらす。

 

「……着きました」

 

駐車場に車を停め、先に外へ出たアセビは傘を指しながらドアを開けた。

身長が縮んだせいで車から降りるのも一苦労な俺は、覚悟を決めて飛び降りる。

パシャリと水溜まりが弾けて、靴の中に入ってきた水が不快だった。

アセビにも若干かかってしまって、苦笑いされた。

俺は恥ずかしくなってそっぽを向く

 

「……ドミネーターさん、可愛いです」

「があっ……!?」

 

ーーぎゅっ、と。

唐突に優しく抱き締められ、体が温かかく柔らかい感覚に包まれて俺は混乱する。

安心するような良い香りがした。

 

……いくら妹とそっくりだからって、こんな怪物にそんな事をするな。

そう伝えたかったが、俺の着ている軍服に雨以外の液体ーーアセビの涙が染みだしている事に気がつき、上げ掛けた手を下ろしてしまう。

 

「お母さんは、サツキの事を本当に愛してて……今だって、私じゃなくてサツキが来るべきなのに……」

 

目を伏せるアセビに、俺はなにも言えなくて。

脳に浮かんでは消える、陳腐な慰め。

心から優しい言の葉を紡げない自分へ『所詮は人を装う怪物か』と冷ややかな罵倒を浴びせた。

 

病院の自動ドアをくぐれば、清潔感あふれるエントランスが迎えてくれる。夜だからか人は多くない。

エスカレーターに乗り込むと、アセビが『6』と書かれた四角いボタンを押した。

独特な重力に、膝が軋む。

間の抜けたチャイムが鳴って開いた扉の向こうには、長い廊下が聳えていた。

手を引かれるまま進むと、【613】と書かれた扉の前で立ち止まる。

 

「……お母さん」

 

ーーガラガラと開いた扉の向こう側には、無数のチューブに繋がれ、ベッドに横たわる老女がいた。

皺が多く刻まれているが目鼻立ちが整っていて、昔は美人だったんだろう。と思った。

アセビの声に反応したのか瞼が痙攣し、ゆっくりと目が開く。

 

「あっ、あのねっ。サツキ、連れてきたよ! 分からないと思うけど、あなたの娘でーー」

「ーーアセ、ビ?」

「……え?」

 

老女は、しゃがれた声でなんども『あせび、あせび、あせび』と繰り返す。

ーー本物のアセビではなく、俺に向かって。

 

「やっと……来て、くれた、のね……」

 

涙を流しながら、老女は俺の小さい手を握った。

……認知症という病を、俺は知識として知っている。

その症状として、精神の過去への退行、または回帰があったはずだ。

 

ーー成長したアセビは、この老女の中では『あせび』じゃないのだ。

だから、アセビを幼くしたような外観である俺を自分の娘だと誤認した。

……立ち尽くす、"本物"を差し置いて。

 

「あせび、学校は、どう……?」

 

すがるように、老女は俺へ問いかける。

……俺は、答える事が出来なかったーー

 

「……楽しいそうですよ! "結城さん"!」

 

ーー震え声で、後ろのアセビが言った。

老女はその時はじめてアセビの存在に気が付いたようで、不思議そうな顔をしている。

 

「あら……あなたは。いつも来てくれてる女の子ね。ごめんねぇ……普段は、頭がぼんやりしちゃって……言葉が出てこないのよ。アセビのお友達?」

「っ……!、ぅ、え、は、はい! アセビさんとは、いつも仲良く、して、ますっ! 」

 

俺はぎょっとした。

ーーお前は、それで良いのか?

愛する人に自分を認識して貰えないまま永遠に別れるなんて。

あまりに、残酷だろう。

 

……こいつは自分の気持ちより、死にゆく母に『娘に看どられる』記憶を残す事を優先するって云うのか?

俺には理解できなかった。どうせもうすぐ死ぬんだから、無理にでも分からせた方がこいつは幸せだろうに

振り向くと、アセビはこちらに優しく笑いかけた。

 

「良かったわ……あの子、友達いなかったから。顔は悪くないと思うんだけどねぇ。性格かしら……」

「うぐっ」

「どうしたの?」

「……いえ!なんでも!ない、です!」

 

それからしばらく、老女から俺に関しての問答が続いた。

『生活は苦しくないか』『青目の事で苛められていないか』『山吹は元気か』『おねしょは治ったか』『勉強には着いていけているか』『髪は自分で結べるようになったか』

 

言葉を話せない俺の代わりに、全てアセビが答えた。

老女は度々思い出話をし、毎回アセビは泣きそうになっていた。

多分、三十分程続いたと思う。

結局俺は一言も声を発さなかった。

……だけど、この会話の仲介役をして、一つだけ分かった事がある。

 

ーーこの老女は、アセビをとても愛している。

 

深く、とても深く。

質問に対しアセビが『大丈夫ですよ』と答える度に、老女は花の咲いたような笑顔になるからだ。

 

「ちょっと……眠たく、なってきたわねぇ……」

 

そう言って、老女がうつらうつらとしだした。

しかし数十病後、何かを思い出したように、はっ。とする。

 

「あぁ、そうだ……大事なこと、聞き忘れてたわ……」

 

枯れ木より細く、生命力を感じさせない手が俺の頭を撫でた。

そして、乾ききった唇が言葉を紡ぐ。

 

「ーー夢は、叶いそうなの?」

「……ゆめ?」

 

まるで初めてその言葉を知ったみたいに、アセビは歪な声で『ゆめ?』と聞き返した。

 

「そう、自衛隊に入りたかったんでしょ? でもアセビったら弱虫だから、難しいかもね……でも、もし叶うならーー」

 

老女は、目を閉じる。

それから、どこか遠くを見るような目で、こう言った。

 

ーー夢を叶えたあなたを、一目見たかった。と。

 

「っ……」

 

アセビは、嗚咽を噛み殺しながら必死に涙を堪えようとしている。

内側からの強い力を抑えつけるみたいに薄い唇がワナワナと揺れた。

実際、溢れ出そうになる言葉と気持ちを閉じ込めているのだろう。

しかし、それはすぐに限界を迎える。

 

「あなたの娘は! 夢を叶えます! ぜったいぜったい! 凄くて優しい自衛官になってっ……! お母さんに心配をかけない、強い子になります! 山吹さんも、びっくりするぐらいの……!」

 

ーーだから、安心して。

ーーそして望むことが許されるのなら、私を見てよ。

噛み殺し損ねたアセビの本音が、唇の端から漏れ出て俺の耳に届いた。

老女は表情を変えずに動きを止めている。

 

「……あぁ、そう、なのね。大河も、びっくりする……強くて優しい、自衛官」

 

窓の外を見ながら、うわ言のように呟く老女。

その後アセビへと振り向く。その表情はたおやかな笑顔だった。

そして同じくたおやかな声色で、言う。

 

ーーそれはきっと、あなたみたいな人なんでしょうね。と。

 

「ぅ、あ、ぁぁぁ……」

 

抑えきれず、ついにアセビは泣き出してしまった。

泣き顔を見られたくないのか、俺に断りを入れて病室の外へ出ていく。

ポツンと、漂白された部屋に俺と老女だけが取り残された。

 

「……ねぇ、あなた?」

 

天井を見たまま、老女が俺に声をかけた。

 

「あなた、アセビじゃないでしょう」

「が、ぁっ……!?」

 

心臓が、早鐘の如く脈打つのを感じる。

ーーなぜ、バレた?

擬態は完璧な筈だ。目立ったボロも出しちゃいない。

俺は、この上なく狼狽した。

それは老女にも分かったようで、『責めてるわけじゃないわ』と困った顔で言う。

 

「……あなたの、本当の姿を見せてくれないかしら」

 

ほんとうの、すがた。

それが『ノンシェイプ・ナイト』としての形態を指すのかは分からなかったが、俺にはそうとしか受け取れなかった。

……見破られた、のか? この母親に特殊な能力があるとは思えないが……

 

「はやく、して」

 

……そう急かされ、俺は観念した。

サイズが元に戻れば破けてしまうため、まずは服を脱ぐ。

おおかた裸になったあと、変形を解いた。

 

「っ……!」

 

色白な柔肌は冷たい鉄に塗り変わり、小さかった手は大きく鋭い形状へ。

一瞬にして、愛らしい少女の姿から化物の騎士に変貌する。

老女の息を呑む音が聞こえた。

 

「……やっぱり、あなたなのねーー」

「……がぁ?」

 

なぜか懐かしむような目を向けてくる老女に、俺は困惑する。

普通、娘の姿をした人物が騎士に変わったら驚きでは済まないだろう。

 

「アザレア。元気にしてた? 」

「がぁぁぁ……?」

 

恐らくは人名であろうソレーー『アザレア』。

この老女は、俺をその人物と勘違いしている。そう確信した。

認知症のせいか、あるいは似ているのか。

俺の姿ゆえに後者はあり得ないと思ったが、親しげに語りかけてくる老女の手前、否定は出来なかった。

 

「……多分、私はもうすぐ死ぬわ」

 

達観した表情で老女はため息混じりに言った。

『よいしょ……』と上体を起こし、ベッドの背もたれに寄り掛かる。

 

「だから……私が死んだ日。泣いてるあの子にね、一言だけ言ってあげて欲しい事があるの。じゃなきゃ。あの子はきっと耐えられないから」

 

胸に手を当てながら老女は、俺に懇願してきた。

それに対して首を横に振る。言葉を話せない自分を、心から恨んだ。

 

「あはは……いじわるしないで頂戴……なら、お手紙にしようかしら。……それだったら、渡してくれる?」

 

両方使っても俺の手を包み込めない程の小さな手のひらで、合掌を作る老女。

その頼みに俺はコクリと頷く。手紙なら渡すことは可能だ。

渡す際に気の効いた文句など言える筈も無いが、そう云った事は期待していないのだろう。

老女はベッドの脇に置いてあった木の小棚から紙とペン、下敷きを取り出した。

中に閉じ込めてあった古い匂いに鼻腔をくすぐられる。

 

「……よし、書き終わったわ。」

 

執筆は、二分程で終わった。

……娘へのメッセージにしては、あまりに短すぎる。

折り畳まれた紙を受け取り『これで良いのか』と老女を見返すと、微笑みながら頷いた。

 

「それで、良いのよ。それが私の抱いている感情の全てだから」

 

その言葉のあと、老女はすぐに眠ってしまった。

胸が小さく上下している。数分後に目を腫らしたアセビが病室に戻ってきたが、安らかな寝息を立てている母を見て『……そろそろ、帰りましょうか』と言う。

……確かに山吹に迷惑を掛けてはいけないし。早く戻った方が良いだろう。

俺は人間の形態に変化し、服を着直した。

 

「お母、さん」

 

アセビは、老女の頬を優しく撫でる。

 

「……愛して、います」

 

そう言い残して、アセビと俺は病室から出た。

アセビは、もう泣いていなかった。

 

「……私は、強い子になります。だってお母さんに言われちゃいましたから」

 

病院の外に出て、二人で冷たい空気を吸い込む。

雨は、止んでいた。

 

◆◇◆

 

二日後の、晴れた日。

アセビの母が死んだと山吹から聞かされた。

忌引きなのか、それとも自衛隊を辞めてしまったのか、アセビは駐屯地に姿を現さなかった。

だがその次の日の夜、喪服のアセビが俺の収容施設にやって来た。

やはり、泣いていた。

 

「……ぐおっ」

「え……?」

 

手紙を、渡す。

折り畳まれたそれを開き、アセビは絶句する。

 

【ずっと側にいてくれて、ありがとう】

 

ーーあなたの、母より

 

「ぅ、ぁぁああ……っ!」

 

ーーその時、俺は人として大切な事を思い出した気がした。

短くても、飾らなくても。誰かが紡いだ心からの言葉と云うものは、どうしようも無いほどに伝わってしまうのだ。

そしてそれにより流れる涙も、美しいのだと。

 

「……がぁっ」

「ぇ……」

 

アセビを、抱き締めた。

ーーならば、言葉を話せない俺でも。きっと誰かを心から救える。

自惚れなのかもしれない。……だけど今は、それが正解だろうから。

 

「側にいてくれて、ありがと、は、わたしのほう、なのに……!」

 

泣きじゃくるアセビの言葉に、何度も相づちを打つ。

そうしている内に、自分の体が震えている事に気が付く。

 

ーーありがとうね。アザレア。

 

風に乗って、どこからか老女の声が聞こえた。




戦闘シーンが無くて申し訳無い……ヴァイオレット・エヴァーガーデンの副作用なんだ……本当にすまない……
作者、こういうの書くの初めてなので、良かったら感想ください。自信が出ます。

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