・7月10日 金曜日 0:31鹿児島県霧島市溝辺町 鹿児島空港
海上保安庁 第十管区海上保安本部 鹿児島航空基地
本日の日報を書き上げると、鹿児島航空基地うみつばめ機長・照屋幸三はふうっと大きく息を吐いた。パソコンの電源を落とし、事務所の電気も節電状態にする。
「あー」と1人言葉を発し、背伸びをする。仮眠の前に一服すべく、照屋は外に出た。夜半まで降り続いた雨も上がり、蒸された空気が照屋を包む。雲の切れ目から星が顔を覗かせた。この分なら、明日は久しぶりに晴れ間を拝むことができるだろう。
観測史上初の「梅雨入りなし」が宣言され、3ヶ月近くまともに雨が降らなかった昨年から一転、今年は早々に九州の梅雨入りが宣言された。それから2カ月近くになるが、太陽が顔を出すことのない、しとしとと霧のような雨が降る毎日だった。
そして今朝から、鹿児島県一帯に大雨警報が発令され、1時間に50ミリを上回る激しい雨が続いた。豪雨のため基地に併設される鹿児島空港は午前中から離発着便すべてが欠航となり、振り替え手続きのため日付が変わる頃まで乗り損ねた乗客たちと、対応に追われる係員の姿があった。
だが振り替え手続きも終わり、JAL・ANA、並びに両社から委託を受けている南国交通のスタッフたちがクタクタの様子で帰路に着く頃には、雨も上がってきた。
明日も豪雨だった場合を懸念する地上係員の声もあったが、この様子なら明日はまともに旅客便も運航されることだろう。
湿気った空気のためか、なかなかタバコに火がつかない。ようやくタバコの先端が熱せられ、五臓いっぱいに主流煙を満たしたとき、警報が鳴った。照屋の注意は一気にそちらに向けられた。
チッ、と舌打ちして、忌々しげに吸い始めたばかりのタバコを揉み消す。事務所に入ると、管区保安本部からのアナウンスが流れた。
『救難信号。北緯29度35分東経127度22分。奄美大島より北北西215キロ地点。当該船舶、大和客船所属大型旅客船「あかつき号」。鹿児島航空基地所属うみつばめ隊に出動命令』
貴重な一服を邪魔された気分は一気に吹き飛んだ。照屋は宿舎に待機する隊員に召集を告げ、自身も航空救難用のフライトジャケットに身を包んだ。
それから10分と経たぬうち、照屋を機長とする海上保安庁鹿児島航空基地所属・うみつばめ1号と2号が慌ただしく鹿児島空港を離陸した。雨が上がってくれたのはありがたかったが、いまだ雨雲が低空に浮かび、操縦士は緊張した面持ちで操縦桿を握っている。
飛行中、管区海上保安部より続報が入った。
「応答が途絶えた、ですか?」
副機長であり通信手の濵田が怪訝な顔をした。
「おい、どういうことだ?」
照屋が訊くと、濵田は自身も納得していない様子で応える。
「救難信号を発したあかつき号からの通信が途絶えたそうです」
「あかつき号のスペックを」
濵田からあかつき号に関する資料を渡されると、照屋は目を細めた。
「NK,JG・・・ぱしふぃっくびいなすと同タイプか。乗客573名、乗員194名。これほどの大型船が、通信に応じない。濵田、お前どう考える?」
そう問われたが、濵田は押し黙った。ややあって「通信機器の故障、か何かでは?」と自信なさげに答えた。
「これだけの情報化社会だ。仮に船の通信機器が壊れたとして、乗客たちがSNSで発信するだろが。その兆候は?」
濵田は額に汗を浮かべ、照屋の言うことを管区海上保安部に問い合わせた。照屋はしかめ面で黙り込んだ。
「本庁でもインターネットなどの確認を行なってるそうですが、まだなんとも・・・。また、海自の鹿屋航空基地からも、災派として救難機と、P3Cが離陸、当方と並行して調査・救助任務に当たるとのことです」
「なんでP3Cが来るんですか?あれは対潜哨戒機じゃないですか」
任官して2年目の特殊救命士、庭瀬が声をあげた。新人が仕事を覚え、生意気の盛りである頃だ。最近は上司にも臆せず質問や提言をするようになった。
「バカたれが」
照屋の一喝にも、庭瀬は承服しかねる様子で顔を俯けた。だが庭瀬以外の人員は、全員が今までにない緊張感を覚えた。
「間もなく現場海域です」
副操縦士の松田が声を出した。うみつばめ二機は高度をやや下げ、黒くうごめく海面により接近する。
「レーダー、船体を捕捉できず。救助灯や発煙も確認できません」
「注意しろ」
松田に短く言うと、照屋は庭瀬に顔を向けた。
「いいか坊主、NK級の大型客船が、これほどの短時間で沈没するなんて、普通は考えられねえ。だがな、それをいとも簡単にやってのけちまう奴がいるんだ。お前だって、去年イヤってほど目にしたはずだぞ」
最初は意味がわからない様子だった庭瀬も、得心したように顔面が青くなった。
「救難信号を発信した海域です」
うみつばめからサーチライトが海面に向けられた。船体こそないが、大小さまざまな漂流物が目視できた。
「こりゃあ、ホントに一気呵成に沈んだんだな」
照屋の声が強張った。操縦士の加藤は、顔中に油を塗ったように肌が濡れていた。
「漂流者、生存者は?」
松田が海面とモニタ両方に目を配らせた。
「確認できません。とにかく撮影を続行します」
松田も汗で顔がびっしょりだ。加藤に至っては、必死に吐き気を我慢している。
照屋自身、胃がこみ上げてきそうな不快感を押して、海面を注視する。船体から流出したと思われる重油が海面に浮かび上がっていた。とにかくいまは、生存者の探索と、現場状況確認しかできることがない。いずれにせよ、夜が明けて本部から巡視船おおすみ、さつまの到着を待たねばなるまい。
「海上保安部より。こちらでも映像を確認。いま5分捜索の後、一旦基地へ帰投せよとのことです」
やはりそうなったか、もう少し早く帰してほしいー照屋は心の中でつぶやいた。
ちょうど、レーダーに別の機影が映った。海自の対潜哨戒機P3Cだった。沈没したとされる海域をやや避け、海中探査用のソノブイをいくつか投下したようだった。
「機長、人です!」
松田が怒鳴った。全員が松田の視線を追った。
海面に漂うコンテナの上に、たしかに人の姿があった。それも2人。
「至急、至急!乗客と思われる人2人を確認!回転翼機まなづるを繰り上げ要請!」
濵田が興奮気味に無線機に言った。加藤は機体を旋回させた。固定翼機であるうみつばめでは救助は不可能なため、鹿児島からヘリコプターを寄越す必要がある。
帰投はお預け、救助機到着まで現場を旋回しながら待機となった。
「生死は不明。当方への反応なし」
松田の報告を、濵田はそのまま伝令する。
「女性か・・・女性2名と思われます。横たわったままです」
海上自衛隊機からも、サーチライトによる照明が加わった。照明弾でも上げればより確認が容易だが、船舶からの重油が流出していて引火の危険性がある。
2:04、管区海上保安部所属の回転翼機まなづるによって女性2名が引き揚げられた。
意識は失っていたが生命に別状はなく、ただちに鹿児島市の日赤中央病院へ搬送された。
所持品から身許が判明し、東京都渋谷区在住の大学生で、伊藤まさみ・ちひろという双子の姉妹であることがわかった。