・7月10日 20:42 東京都千代田区永田町2丁目3ー1 首相官邸5階 総理大臣執務室
「富山県警からの報告では、高岡市から黒部市までの富山湾沿岸にて、同様の通報が複数発生、110番通報の受理処理が追いつかず、回線がパンク状態とのことです」
権田行政改革担当兼国会公安委員長がメモを読み上げた。
「富山県消防本部からです。20:30時点で、富山県内にて確認された死者は59名、重軽傷者394名、富山県ほぼ全域で救急車の回線がパンク状態となり、死傷者は今後も増大するものと思われます」
北島が淀みなくメモを読み上げた。
「また二宮富山県知事を本部長とする緊急災害対策本部が富山県庁に設置、石川、新潟など隣県への県警へ応援を要請すると共に、自衛隊に対し災害派遣要請が為されました」
続けて飛び込んできたメモにも、北島は慌てることなく対応した。
デリンジャー駐日米国大使と会談中、中国海軍東洋艦隊所属の原子力潜水艦『武侯』が日本の排他的経済水域を領海侵犯し、九州南西海域へ進行中との報せが入り、瀬戸を始めとする閣僚は会談を切り上げて官邸対策室を設置、外交ルートで中国への確認をするも応答がなかったため、瀬戸は海上警備行動を発令、海上自衛隊による中国原潜の追跡を行った。
17時過ぎ、中国原潜は針路を南西へ向けて公海へ逃れたが、日本政府は嶺駐日中国大使を召集、領海侵犯を抗議するも、「原因がわからないため抗議は受け入れられない」とにべもなく突っ撥ねられた。
その後の閣議で中国への対応と今後の措置を検討する中、瀬戸は限られた閣僚にしか提示していなかったメタンハイドレート採取法を発見した矢野教授の理論、通称矢野論文の存在を閣僚全員に提示(ただしメーサー兵器に関しては軍事機密のため非公開)、あかつき号沈没に関しては中国の関与が疑われるという外務省の報告も同時に伝えられた。
中国からの返答は「原因調査中」ながら、デリンジャー大使と会談のタイミングであかつき号沈没海域に領海侵犯(こともあろうに原子力潜水艦)を行うなど、もはや何をか言わんや、領海侵犯は確信犯と見做されてもまったく不思議ではなかった。
中国への抗議方法で閣議が紛糾する中、富山県沿岸に発生した異変が報じられ、内閣はそのまま富山湾での災害対応を執ることとなり、官邸内には領海侵犯と富山湾事変ふたつの対策室が設けられていた。
現状、中国への抗議以上に、現在進行系で発生している富山での異変の確認作業が最優先で行われていた。
「フナムシ?」
岡本文科大臣からもたらされた情報に、少なくない閣僚が疑問を呈した。
「ロシア科学アカデミーからの情報です。本日、日本時間で15時過ぎに行われたボーフジェーディ島の調査で、昆虫とも甲殻類ともつかない生物の死骸がいくつか発見されたのですが、遺伝子配列を検査した結果、フナムシが異常進化したものと判明しました。今回富山湾一帯に現れたのは、確認された形状から、異常進化したフナムシとほぼ一致すると思われるとのことです」
一気に喋り、岡本は水を口に含んだ。緊張で口の中がカラカラだった。
「しかし、なんだってフナムシが?」
「まさか、去年カマキラスになった宇宙由来のアメーバが原因じゃないのか?」
閣僚が口々に質問し始めた。
「異常進化の原因こそ不明ですが、その後もたらされた情報では、ロシア側が採取したフナムシの死骸からは通常では考えられないほどの放射線が検出されたそうです」
岡本の言葉は、場を凍りつかせた。
「放射能で進化したと?それじゃ、まさか」
閣僚一のうるさ方である柳農水大臣が口を尖らせた。
「フナムシはゴジラと同じく放射能によって進化した、と仮定して、ゴジラが眠っていた場所で発見されたものと同じ生物が、富山湾に現れた。これが意味することとは」
佐間野が閣僚ひとりひとりに視線を這わせて、言った。
「左間野さん、確証のない発言はやめていただきたいですね」
皆が佐間野から目をそらすが、隣に座る北島だけは冷静だった。
「それに、フナムシが進化した理由よりも、現状をどうするか、議論すべきでは」
口調こそキツイが、北島の意見は正しかった。佐間野は首を傾げて淡い苦笑いを浮かべ、柳は咳払いした。
「総理、警察力だけでは、現状への適切な対処は不十分だと考えられます。ここはやはり、自衛隊による避難支援、併せて駆除を目的とした出動を命じる必要があると考えますが」
望月は瀬戸に顔を向けた。
「総理、二宮富山県知事から災害派遣要請は出ています。現況では、災害派遣で充分対処が可能です」
高橋が後押しすると、瀬戸は縦に頷いた。
「総理、別件ですが、中国外交部のスポークスマンが中央電視台で記者会見を行なっています」
氷堂が手を挙げた。一度に2つも爆弾を抱え気が滅入りそうだが、官邸の職員が中国の国営放送にチャンネルを合わせた。
・同日 19:52 中華人民共和国北京市西城区新興華大街 国家外交部分室公館
※日本より1時間遅れていることに留意
『我が原子力潜水艦「武侯」は公海上より日本及び米国海軍の監視及び威嚇を受けたため、通常の軍事行動として相手艦船、航空機への警戒行動を取ったがため、結果的に追跡のため日本領海へ進行した。領海侵犯とは謂れなき濡れ衣であり、誤解を招きかねない行動を起こした日本にこそ原因があり、すべての責任は日本側に帰する』
中国中央電視台にて、外交部のスポークスマンが原稿を手に語気を強めた。
実際のところ、強気の会見は日本への牽制以上に中国国内向けのパフォーマンスとして機能しているに過ぎない。
中華人民共和国外交部の氐外交部長は中継されている威圧的な会見を観ながら、弱り顔で腕を組んでいた。
「失礼します」と外交部の職員がドアを開け、軍服姿の2名が入室した。中国人民解放軍海軍の田海軍司令員、趙海軍政治員だった。
2人に座るよう促すと、岩のような表情のまま腰を下ろした。
「田同志、趙同志、前置きはなしに、なぜこのようなことになったのか、ご説明願おう」
氐は負けじと威厳にあふれた表情を作った。
「原潜「武侯」所属の東海艦隊司令によれば、詳細を確認中。ただし、軍の独断ではないことは確かだと、報告を受けている」
趙が硬い顔を崩さず、言った。
「氐同志、どこの軍隊も、外国との交戦を望むことはない。いつの世も交戦を命じるのは軍人ではなく、政治だ」
傍から田が口を挟んだ。
「田同志、責任転嫁をするのか。実際に軍を動員するのは誰か。貴殿の命令なしに艦隊が動くのだとすれば、指揮系統が形骸化しているということですぞ。一軍の長として、それはまずかろう」
田はムッとした様子で、眉を吊り上げた。
「良いですか、我が国は明日、他国に先駆けて北海とカムチャッカ半島にて、メタンハイドレートの大規模な抽出実験を行う。これは党指導部肝煎りの国家的事業で、世界中から注目を集めている。その時節に、いたずらに国際問題を引き起こすのは党指導部の本意ではない。外交部として、厳正なる調査と反省を海軍に要求する」
とどのつまり、氐が言いたい部分はそこだったが、一筋縄ではいかないことも、氐は理解していた。そこまで物分かりと聞き分けが良いのなら、この国で出世はできない。
「氐同志、あなたも党政治局員ならご理解いただけるだろう。上海閥、福建閥の政治闘争、そして東海・南海海軍の不仲と競争を。そこまで責任の所在と対処を要求するということは、あなたは党の左半分を完全に敵に回すこととなる。わたしなら、落とし所を探り、落ち着くところへ落ち着かせるのが賢明と考えますぞ」
趙は口調熱く反論してきた。趙の言うことももっともだったし、氐にもわかりきった話だ。現指導部と対立する政治勢力が、他艦隊との抜け駆けに躍起になる艦隊に日本への領海侵犯を命じたのだろう。
政治の中枢に籍を置けば誰もがわかりきったことだったが、外交部にも面子がある。抗議のひとつでもしなければ、外交部の権威に関わる。
さらなる調査を要求するとして、もうひとつ、重大な懸案があった。
「ではもうひとつ。「武侯」帰還中、何と接触事故を起こしたのか」
むしろ、こちらが本題だった。田と趙はこの1時間で同じ説明を何度もした。
さすがに2名の海軍首脳は気まずそうに目を閉じた。
「幸いにして放射能漏れはなく損害も軽微とのことだが、「武侯」は対象を事前に探知できなかったのか。また対象は何であったのか。言っておくが、外交部としても自国の恥を隠すべく、事情に通じておらねばならない」
「氐同志、弁解ではないが、「武侯」は接近する対象を探知できていた。だが適切な対処ができる前に、相手が艦に迫ってきていたのだ。驚くべき速さだった」
田は苦々しそうな顔で説明した。原潜の能力を上回る相手では当方に瑕疵はないが、それでも忸怩たるものがあった。
「では、接近してきた相手とは何か。また相手はどこへ行ったのか」
氐はさらに訊いた。
「対象は現段階で不明。ただし、潜水艦等他国勢力ではないことはたしかだ。また、相手は東シナ海を東に向かったところまでは確認している」
趙が答えた。少なくとも、対象が中国海域から離れたことはたしかのようだ。
「さらに尋ねるが、対象とは、ゴジラではあるまいね」
氐は田の目を覗き込んだ。ゴジラ、という単語に、鉄のような表情だった海軍司令は明らかに動揺した。
「それも不明だが、「武侯」艦長から報告が上がっている。一瞬だが、艦外カメラに対象が映り込んでいたのだ。詳細は解析中だが、分析を担当した東海艦隊の電子分室担当官がこうつぶやいたそうだ、『龍だ、赤い龍だ』と」