・7月10日 17:04 アメリカ合衆国アラスカ州アンカレッジ イースト6thアベニュー
シェラトンアンカレッジホテル ボールルーム
※日本より17時間遅れていることに留意
乾杯前の挨拶を終えると、会場に集まった人々から大きく拍手が上がった。
思わず一礼すると、尾形はステージを降り、最前列のテーブルに戻った。
ボーフジェーディ島の調査を終え、ロシアのウルップ島を出発してアラスカ時間の今朝早く、アンカレッジに到着した尾形と文科省、外務省、内閣官房の職員はシェラトンホテルに入った。ここで1泊の後、明日朝アンカレッジからカナダのバンクーバーへ飛び、当地で開催される『巨大生物に対する国連会議』、通称『怪獣コンベンション』へ出席するのだ。
いささか強行軍であったが、日本からはどう飛んでも北極圏周りで北米へ向かうことになる。今回の調査と合わせ、行程としては合理的といえた。
だがアンカレッジ在住の日本人会が「あの尾形教授がいらっしゃるなら」と、地元政財界を巻き込んで歓迎会を開催してくれたのだ。
アンカレッジ副市長、アラスカ州産業局長の挨拶が終わり、アンディ・澤部アラスカ日本人会会長の音頭で乾杯が行われると、立食パーティが始まった。この手のパーティの常で、主賓である尾形はなかなか料理と酒に在り付くことができない。
続々と挨拶に訪れる地元政財界の重鎮たちの対応にいささか恐縮しつつ、やんごとのない雑談を交わす。あまりこういうことは得意ではないのだが、失礼のないよう、尾形は努めようとしていた。
「失礼します。ハードコアアラスカ支局のユアン・ホルムズですが」
石油精製大手のケイン社部長と雑談を交わしていたとき、割り込むように白髪を短く刈りそろえた痩せ気味の男性がマイクを向けてきた。会話中に失礼なものだが、尾形は愛想笑いで応えた。
尾形自身は詳しくなかったが、ハードコアとはアメリカとカナダで放映されているケーブルテレビ局で、しょうもないスキャンダルや噂レベルの話を大袈裟に報じることで、刺激を求める視聴者にはウケるが、社会的な評判はあまり良くない。
とんでもない奴らが取材に来たものだ、と、日本人会の面々は気が気ではなかった。
「尾形先生、明後日の‘怪獣コンベンション’ではどんなことをお話になるんですか?やっぱりゴジラに関する内容ですか?」
「いやいや、会議の中で明らかにすることですから、今は明かせませんよ」
ズケズケと入り混んでくるホルムズ記者にも、尾形は苦笑いしつつ穏やかに答えた。
「ではですね、昨日ロシアの片田舎にある、ゴジラが眠っていた島を調査した手ごたえはどうです?」
「調査は、さらに長い時間を必要とすることが判明しました。これからも粛々と行って参りますよ」
「しかしねえ、ロシア側は必ずしも調査に協力的ではないみたいですよ?次、調査の許可が下りるのはいつなんですか?」
「それは、日本の外務省とロシア国務省との話し合いで決められるものですから、私の一存では何とも」
尾形は片手を挙げ、もうこれで、と取材を打ち切ろうとしたが、ホルムズはなおも食い下がってきた。
「教授ねえ、ミスターゴジラとしてお答えくださいませんか。ゴジラはいま、どこに居て何をしてるんですか?」
澤部会長がホテルのセキュリティを呼んだ。この連中、この場には相応しくない。そんなことを訊いて、尾形がしゃべったことを、後で面白おかしくスタジオでネタにするに決まってる。
「詳しくは正確な調査が完了してからですが、ゴジラは間違いなく、日本近海に存在していると確信しています」
その答えにはホルムズだけでなく、周囲の人々もどよめいた。随行の外務省職員は目を丸くし、内閣官房の職員は慌てふためいた。
「こりゃ驚いた!ミスターゴジラは日本にゴジラが居るって話したぞぉ。ミスター、その根拠はやっぱり、日本の北部に現れたフナムシの化け物と関連してるんですかい?」
「フナムシについては、ロシアと共同調査中ですから、ノーコメントです。ですが、ホルムズさん。敢えてあなたにこのようなことを話したのは、私なりの警告です」
今までの柔和で穏やかな雰囲気が変わった。尾形の口調が強くなり、さすがのホルムズもすぐには反応できなかった。
「ゴジラに関しては、日本だけでなくあなた方アメリカ、引いては全世界で相手をしなくてはならない。いいですか、たとえ面白半分でも興味本位でもいい。1人でも多く、ゴジラに関して考える人が増えてくれれば良いのです。どうか、自分たちの価値観に合わないからと笑うばかりでなく、将来のことも考えていただきたい」
尾形にそのような意図はまったくなかったが、ホルムズも含めてその場は凍りついた。ミスターゴジラは頭のネジがいくつか抜けてるのか、などと、あちこちでヒソヒソ声が囁かれた。
ホルムズはしばし呆気に取られていたが、ミスターゴジラが想像以上にエキセントリックなことがわかり、笑みを浮かべた。
「ほほ。では最後にひとつ。先ほど、なぜゴジラは北方海域という、自らの弱点である気温の低い地域を目指したか、その答えに近づいた、と話してましたねえ?」
この男、さり気なく盗み聞きしていたのか・・・周囲の面々は敵意溢れる視線をホルムズに送った。
「まあこれは私の仮説ですから、お話ししても支障はないでしょう」
尾形はスーツから一枚の写真を取り出した。
「ボーフジェーディ島の、ゴジラが眠っていた地点近くを収めました。この大規模な土砂崩れ、あなたはどう考えますか?」
「どう、って・・・・・」
「降雨が少ないボーフジェーディ島では、このように尾根の内側から土砂が崩れ落ちるような現象は起こり得ません。もしここに、ゴジラとは別の怪獣が眠っていて、65年前、ゴジラはここを目指したとすれば、どうでしょうか?そして崩れた箇所の具合から、比較的最近、眠っていた怪獣が目を覚ました、とすれば?」
「そ、それは・・・・・」
飛躍し過ぎ、と言いかけたところで、ホテルのセキュリティがやってきた。
「許可のない取材はお断りする。どうか、お引き取りを」
いかつい男3名に囲まれ、ホルムズは舌打ちをすると、「放送をお楽しみに」と不敵に笑い、会場を後にした。
「尾形先生、誠に申し訳ない」
澤部は土下座せんばかりに頭を勢い良く垂れた。
「いえ、気にしないでください」
尾形は笑顔で応えた。だが、澤部を始め臨席の誰もが、尾形の仮説にはとても賛同しかねた。可能性のひとつとしてはあり得るし、ゴジラは自分以外の怪獣には激しい対抗意識を持つ習性は、かつてのアンギラスやガイガンと争った際に証明されている。
だがいくら怪獣学の権威とはいえ、あまりに斜め上の推論を披露されても・・・と、会場は微妙な空気になった。
改めて三々五々、雑談が始まったとき、1人の老人が尾形に近寄った。
「眠っている怪獣へ、ゴジラは向かったとおっしゃったな」
声を掛けられた尾形が振り向くと、黒のタキシードに身を包んだアジア系と思われる老人が佇んでいた。
「尾形先生、こちらはエスキモーのシナモ族の指導者で、コトラン氏です」
澤部に紹介され、尾形は握手を求めた。コトランは笑顔で握手を交わしてきた。
「尾形先生、かつてのゴジラは別な怪獣を屠りに日本から北を目指した、というあなたの説通りだとして、我がシナモ族にはこんな伝説がある。エスキモーの大地からはるか北西に、魔神が眠っている、とね」
そういうと、コトランはスマホを取り出し、古い本に描かれたと思われる絵を尾形に見せてきた。
「これは・・・・?」
尾形は一気に写真に引き込まれた。まるで犬と爬虫類を掛け合わせたような、四足の怪物の絵だった。
「アンギラス、とも違う。背中の棘がないですね」
「我が部族には、こう伝わっている。はるか昔に、この世を荒らした魔神がいた。山を砕き、海を破り、空を切る、恐ろしい魔神」
コトランはまるで子どもに昔話を聴かせるような喋り方をした。
「何より恐ろしいのは、魔神から発するこの紅き風。この風に包まれ、大勢の人々が倒れたそうな。善の神は、この魔神と、大地をいくつも沈めるほどの激しい争いを繰り広げた末、氷結の闇に封じ込めた、と。そして魔神が眠る大氷結が、いまのアラスカから西にあり、決してこの大氷結を荒らしてはならない、とな」
その語り口に、興味深く聴き入る尾形に対し、「いやなあに、ワシが子どもの頃から伝わる昔話だがの」と言った。
尾形はいま一度、コトランのスマホを注視した。
「この四足の怪物が、その魔神ですか?」
「左様。ここよりさらに北方に棲むベチバ族には、さらに詳しく伝わっているそうだ。ダガーラ。この魔神の名だ。そしてダガーラが吐き出すこの紅き霧、ベーレムの霧こそ、古代の人間を滅ぼした、と」
「ダガーラ・・・」
尾形は魔神の名を反芻した。強力な言霊を帯びているような気がした。