・7月11日 14:05 鹿児島県鹿児島市平川町 鹿児島日赤病院
午後の昼下がり、鹿児島市内の暑さもピークに達する中、檜山は三島の運転する車で難しい顔をしたまま目をつむっていた。
事故調査が進まないことについて、国交省から尻を叩かれたのだが、沈没原因は目下不明な上に、唯一の生存者である双子の姉妹からは何の証言も得られていない。報告としては調査中以外、何も上げられる文言がないのだ。
後続のタクシーに乗る東野も同じだった。どこからも何も情報が上がらず、遺族や関係者への説明も限界があった。昼過ぎの暑さで訪れる関係者もくたびれたため、少しでも情報が入れられることを期待しつつ、檜山と共に日赤病院を訪れることにしたのだ。
『次のニュースです』
NHKラジオではちょうどニュースの時間らしく、堅い口調のアナウンサーが原稿をめくる音がする。
『ロシアの赤十字に相当する機関によれば、ロシア連邦極東部、カムチャッカ半島南端の都市サボロジエにて、住民が突然昏倒する原因不明の健康被害が続出しているとの報告が入っているそうです。またこれに関連し、ロシア極東軍はカムチャッカ州全域に非常事態を宣言、伝染病・生物化学兵器に対応できる部隊をユジノサハリンスクから現地へ派遣したとのことです。次のニュースです。アメリカ地質監査局によれば、ワイオミング州に広がるイエローストーン国立公園にて、小規模な噴火と見られる熱水に噴出が複数確認されたと発表しました』
どこもかしこも、不穏なニュースばかりだ。檜山は目を開くと、いやな空気を吐き出すようにため息をついた。
「豪華客船の沈没に、富山ではフナムシの化け物、世界では奇病に噴火。なんだか、世界のタガが外れてしまったようだな」
運転する三島はルームミラー越しに檜山を見た。
「でも、ロシアじゃ氷漬けのマンモスが発見されたそうですよ。地球の歴史を紐解くチャンスです。決して悪いことばかりでは・・・」
三島は気を遣ってくれているのだろう、意気揚々と話してくる。
「そう信じたいが・・・。ま、まずは双子ちゃんの回復を願うばかりだな」
「そうそう、さきほど管区本部に連絡がありました。生存者の伊藤姉妹に対し、DPAT(災害派遣精神医療チーム)の派遣が決定したそうです」
「なるほどな。現在の症状は、事故のトラウマによるものだと考えられるしな」
病院の精神科医もお手上げなのだろうが、それにしても、と檜山は違和感をぬぐえなかった。
あの2人、ただ事故のショックでああなったというより、何かの拍子にまったく別の誰かが憑依した、と表現するのが正しいようにも思えるのだ。
やがて続く二台は日赤病院に到着し、檜山は東野を案内するように病棟へ向かった。伊藤姉妹の病室がやけに騒がしく、檜山は足を止めた。ちょうど、スーツ姿の男女が慌て気味にどこかへ電話をすべく病室から出てきたところだった。さっき面会に立ち会った、KGI損保の社員だったはずだ。
「あ、檜山さん」
病室から緑川が顔を出した。
「たったいま、2人とも言葉を発したんです」
興奮気味に話す緑川に追い立てられるように、檜山は急ぎ病室に入った。
ベッドから身を起こしている双子の姉妹は、険しい顔をしている。
傍らでは、主治医の松田と看護師がカルテに書き込みをしていたところだった。
「先生、言葉を発したそうですね?」
檜山が訊くと、松田は頷いたが、まだどこか腑に落ちない表情だった。
「そうなんですがね、言葉を発せるだけです。単語をいくつか並べるばかりで、まるで正しい日本語教室の初心者コースだ」
「30分ほど前なんですが、ちょうど清掃係が病室に入ったとき、お二人が大声を出したんです。午前中描いたこの絵、ですか。ここを指差して、もうすごい形相で声を出すものですから、清掃の人もビックリしてしまって」
看護師が脇から説明してきた。午前中描いた絵、ひどく下手だが、世界地図のような絵だったものだ。
檜山はそのことを思い出し、自身のスマホを出すとグーグルアースを開き、画面を大きくしてカムチャッカ半島を指差し、姉妹に見せた。
2人の反応はまったく同じだった。我が意を得たり、とばかりに頷き、「ダメ」と口にした。
「これは、いったい・・・・?」
不思議そうにスマホを覗いてくる緑川に、檜山はスマホを渡した。緑川は目を細め、やがて目頭を押さえると、バッグからハズキルーペを出した。
「ごめんなさい、あたしもいい加減年で」
そう苦笑いすると、改めてスマホを見る。だが檜山は、スマホを持つ緑川の手が震えているのを見逃さなかった。午前中も気になったのだが、この女性、妙に酒の臭いがするのだ。
「ロシアのカムチャッカ半島、ですか。ここが何したのかな」
檜山の視線に気がつき、緑川はそそくさとスマホをまさみの方に向けた。
「ダガーラ」
まさみ・・・ミラと名乗った彼女は、強張った表情でカムチャッカ半島を指差した。困惑する緑川だったが、檜山は先程ラジオでやっていたニュースを連想した。
「ダガーラ?ダガーラって、何?」
そう訊く緑川に、まさみは「目覚めた あぶない 」とたどたどしい答え方をする。
「別の 神 目覚める」
初めて様子を見た東野は首をかしげるばかりだったが、真剣そのものな表情のまさみに、気圧されたように動きを止めた。
ちひろ・・・リラと名乗った彼女は、手描きの地図の別な箇所を気にしているようだった。檜山はスマホを手繰り、今度はイングランド沖合の北海をグーグルアースに表示させた。
「ここ」
ちひろはブリテン島沖、まさしく北海を指差した。
「バトラ」
檜山と緑川、そして松田は互いを見やるしかなかった。
「何か、固有名詞でしょうか」
松田は困惑しきりだが、檜山も緑川もそうとしか思えなかった。
「バトラって、何?」
動揺と困惑を悟られぬよう、努めてにこやかに緑川は訊いた。
「バトラ 我らが 神」
「バトラ だけ あぶない 」
「神・・・」
檜山はつぶやいた。
「どちらも、メタンハイドレート抽出作業が行われている場所なんだが・・・」
独り言とも、誰かに問いかけたともつかぬぼやきをすると、檜山は頭を掻いた。
「あら?」
看護師が声を上げた。ちひろは檜山のスマホをいじり、九州南西海域、ちょうどあかつき号が沈没した辺りを表示した。
「守護者 目覚めた あとは 神」
すると隣からまさみが身を乗り出し、奄美大島を探った。
「ここ」
「奄美大島?ここが、どうしたんだ?」
檜山は湧き上がる興奮が抑えきれず、訊いた。
「モスラ」
「我らが神」
・同時刻 東京都新宿区市ヶ谷本村町 防衛省本庁舎
統合幕僚長、並びに陸海空の各幕僚長との懇談を早めに切り上げ、高橋は秘書と側近を伴い、公用車に乗り込んだ。後続車には統合幕僚長を始め、制服組首脳が並ぶ。
数分前、防衛省の情報本部より報告が為された。それと同時に、官邸からも「安全保障会議召集」が告げられ、慌てて車両を手配した。
高橋は同乗する蓮城防衛審議官に、具体的な報告を求めた。
「30分前です。ロシア連邦軍が同盟国及び近隣諸国の軍へ向けて警告を発しました。外務省にも、外交ルートを通じて通告がありました」
「日本時間本日9時、カムチャッカ半島南部、ザボロジエ市との連絡が途絶え、ロシア極東軍による現地調査が行われました」
隣に座る渡部防衛大臣秘書官からも説明があった。
「ロシア空軍所属観測機による先遣調査の結果、ザボロジエ市複数箇所にて市民が倒れ込んでおり、ただちに陸軍生物化学兵器対応部隊がウラジオストクを出発。日本時間13時前、未知の大気組成による窒息死が市外域まで及んでおり、この報告を受けたロシアは国家安全保障会議を緊急開催したとのことです」
「また同時間帯、千島列島・セベロクリリスク空軍基地にて、カムチャッカ半島南端沖合から空へ向けて飛び立つ未確認飛行物体を観測しました」
黙って報告を受けていた高橋は眉を顰めた。
「大きさは?」
「正確な観測は困難とのことですが、物体は少なくとも直径50メートル前後、海面より浮上の後、ベーリング海を東へ向けて飛び去るのが確認されました」
再び高橋は押し黙った。未確認飛行物体、と聴いて、去年東海地方を壊滅させた黄金の怪獣を想定したが、どうもそうではなさそうだ。黄金の怪獣は、体高だけで150メートルとされている。それよりは小さいが、海面から空へ舞い上がることができる兵器や航空機など、聞いたことがない。
「ロシアの見解は?」
高橋は渡部に訊いた。
「断言こそできないが、怪獣の可能性が大、とのことです」
高橋は頷き、目を閉じた。場合によっては、再びこの日本で、対怪獣戦闘が行われる可能性を大いに想定しなくてはいけない状況だ。
ちょうど渡部の電話が鳴り、短い応対を終えると、「情報本部からです」と耳打ちしてきた。
「ノルウェー空軍が、北海上空で未知の飛行体を確認。未確認情報ですが、交戦状態に入ったとの報告です」