・7月11日 9:21 英国 シティ・オブ・ロンドン コプトホール・アベニュー
クラブハウスタワー27階 KGI損害保険欧州支社
※日本より8時間遅れていることに留意
「ほうか。いろいろ大変やなあ」
KGI損保欧州支社長の進藤英作は、出勤するなりかかってきた国際電話に相槌を打っていた。
昨年、所謂ガイガンショックによる為替相場での日本円暴騰の恩恵を受けたKGI損保は、莫大な為替差益を使って英国の大手保険会社・ランスロット生命を買収して傘下に収め、旧ランスロット生命本社を欧州における拠点として機能させることとした。
以来、ガイガンショックとその後発生した黄金の三つ首龍襲来による日本経済沈降を尻目に、KGI損保の影響力が及んでいなかった欧州・中東地域へ進出することに成功し、株価はうなぎ上り、危機的状況にある日本企業の中でも突出した成長を叶えたとして国内外から熱視線を向けられていた。
今年4月、人事異動により大阪の本社海損部長だった進藤が欧州支社長に就任。本人が信条としているガンガンいきまっせ、というスローガンを掲げ、ブレクジットによるロンドンの経済的地位低下などどこ吹く風、急成長を遂げる格安航空会社向けの保険商品を製造、契約締結を破竹の勢いでこなしていた。
今日もデンマークを拠点に新規就航を目指す新興航空会社との打ち合わせがあり、朝から資料に目を通しながら準備をしていたところ、同期であり自身の前職を引き継いだ緑川から電話があったのだ。
日本の九州南西海域で、豪華客船が沈没したニュースは英国でも大きく報じられていた。しかも、当該船舶の各種保険はほとんどがKGI損保が受け持っている。進藤自身も大阪時代、船舶を運用している大和客船と保険契約締結の場に幾度か立ち会ったこともある。
「まあ生存者おったのはホンマ良かったが、記憶障害は参るわなあ。聴き取り調査もでけへんしなあ」
『んー、記憶障害っていうか・・・なんか、変なんだ』
「変、て、どないな?」
『おかしな話だと思うでしょうけど、まったく別人が乗り移ったみたいな、そんな感じなの』
「なんやそれ。ほな何か、幽霊か何かが取り憑いたみたいなモンかいな」
進藤は冗談めかして笑ったが、向こうの緑川はつられることはなかった。冗談では説明できないほどの真剣味が伝わってきた。
「まあ、きいた話やけど、人間死ぬ思いするほどの出来事に直面すると、人格やら思考やら変わってまうってこともあるらしいで。あるいは、ホレ、臨死体験で人が変わってもうたー、的な感じかいな?」
『うーん、うまく説明できないんだけど・・・。そういう類でもなさそう。とにかく、災害精神医療専門のチームによる診察が決まったんだ』
「ふうむ。しかし、アレやなあ。沈没の原因もわからんでは、何ともしゃあないわなあ。アレやないか?ゴジラとか、黄金の怪獣の線を考えたらどーやろか」
『説明はつけやすいけれど、それだと思考停止になっちゃうでしょ。もう、今回ほど頭抱えた案件は初めて』
ちょうど、秘書のジェニファーが会議の時刻が迫っている旨を伝えに来た。
「緑川すまんのう。いまから会議や。くれぐれも無理せんで、原因と対処案突き詰めてや」
だが、電話口から返事がこない。なにやら騒がしく、驚嘆気味な声色の緑川が何かを話している。
『進ちゃんごめん、またかける』
慌てた様子で、電話が切れた。お互い忙しない身であるとはいえ、なんとも尻切れとんぼな通話に後味の悪さを感じた。
「なんや、ゴジラでも現れててんやわんやになっとるんちゃうやろな」
冗談ぽく独り言をつぶやいた。北陸地方にて、小型の怪獣が群れをなして沿岸部を襲撃したというニュースも、こちらで報じられた。いまのところ、世界で一番怪獣の脅威に肉薄しているのは日本だ。自分で叩いた軽口が、真にならぬことを進藤は願った。
「ミスター進藤、ロイズ(ロンドンに本拠がある、世界最大級の保険請負組合)から緊急の通知です」
ジェニファーがタブレットを見せてきた。
北海にてメタンハイドレートを採取し、成功を報告後ノルウェーへ向かっていた中国の船団が、ノルウェー沖で謎の遭難を遂げたという内容だった。ジェニファーからタブレットを手に取り、詳細を読み込む。ロシア東北部と違い、北海では成功したときいていたが、どういうことなのか。
「当該事業の保険請負を担っていたリバプールのハードキャッスル卿が、破産確実とのことです」
ジェニファーが隣で補足した。
「だろうな。無限責任ではそうなってしまうだろうな」
同業者として暗澹たる気分になってきた。
「では、会議室へ」
ジェニファーに促されて立ち上がったとき、けたたましくサイレンが鳴った。
「なんやこの音、エライやかましいな」
思わず日本語で口にしたが、ジェニファーも、オフィスのスタッフも顔が真っ青になっている。
「空襲警報だ!」
データ処理室から、初老の社員が血相を変えて飛び出してきた。
「空襲警報とは、何が飛んできたんだ?急に戦争でも始まったのか?」
進藤は訊いたが、誰も答えなかった。否、答えられなかった。
東側に位置している、ロンドン五輪スタジアム付近から轟音が鳴り響き、全員がそちらに注意を傾けたのだ。
スタジアム近くから、黒い筋がいくつか天を目指している。
「火事だ!」
「まさか、爆撃か?」
社員が口々に思ったことをしゃべるが、進藤はひときわ大きな声を上げた。
「そんなバカなことがあるか。ロンドンに来る前に、とっくに空軍が対応してなきゃおかしいじゃないか・・・・・・!」
自分で口にして、進藤は恐ろしい想像に行き着いた。空軍の対応が追いつかないほどの相手を、去年日本で目撃したことがあったのだ。
「これを見ろ!」
若い男性社員がiPhoneを差した。BBC放送は黒煙が複数立ち昇る都市の様子を放映していた。
『ご覧いただいているのは、いまから20分前のアムステルダムの様子です。街のあちこちで火の手が確認できます。新たな情報です。オランダ上空に現れた未知の飛翔体が、高速で英国へ向かっていると・・・え、ただいまロンドンで爆発がありました。いまここ、ロンドンで爆発が確認できました。英国国防省によれば、オランダから英国へ向かう飛翔体をドーバー海峡上空で迎撃すべく、空軍機編隊を出動させましたが、飛翔体は防衛網を突破、ロンドン上空への侵入が確実となったため、国防省はグレーターロンドン全域に空襲警報を発令しました・・・・・いまここ、BBCのスタジオからも火の手と爆発音が!』
ちょうど上空から空を切り裂く音がして、タワーの真上をトーネード戦闘機が編隊を組んで飛んで行った。
「なんやあれ!?」
日本語が飛び出した進藤だったが、言語でなく感覚で全員が進藤の指先を追った。
灰色と所々覗く青い晴れ間を縫うように、黒い物体が悠然と現れた。まるで鋭利なナイフのように尖った羽根はテムズ川を覆うほどに大きく、見る者が萎縮するほど凶暴な顔つき。蝶、あるいは蛾のようなその飛翔体はしかし、不可思議なことに紫色の電気を帯電するように纏っていた。
数秒でタワー上空を飛び去り、ロンドンブリッジ付近に達したとき、黒い蛾にいくつかの白い筋が走った。トーネードが対空誘導弾を放ったのだ。直撃したらしく、一気に黒煙が膨れ上がり、進藤たちは耳を塞いだ。爆発の衝撃波はタワーのガラスを揺らし、全員がガラスから距離を取った。
恐る恐る目を開けると、反転した黒い蛾は羽根を羽撃かせていた。一層紫色の帯電が強くなった。パッ!と紫色の筋が二本空に伸びたかと思うと、テムズ川の真上で花火が上がったように何かが砕け散った。
紫の筋がさらに放たれた。角度が斜め下を向いており、川の対岸、聖トーマス教会付近に突き刺さった。
土砂と瓦礫がまくれ上がり、爆発の衝撃波と轟音がタワーを揺らした。紫の筋はそのまま途切れることなく、第二次攻撃に移ろうとしたトーネード戦闘機を粉砕、そのまま地に突き刺さったまま、大英帝国戦争博物館から対岸のコヴェントガーデン、オペラハウス付近までなぞった。
線で引いたように瓦礫と煙が天を突き、続くように炎が上がった。
「アカン!地下や!」
進藤は興奮のあまり日本語で怒鳴ったが、その気迫は言語を超えた。皆がエレベーターを目指したが、どこかで停止したのか停電したのか、ボタンを押しても作動しない。
「階段だ!地下なら安全だ!」
やや落ち着きを取り戻した進藤は英語で叫び、全員がそれに倣った。上階から逃れてくる人々に混じり、非常階段を駆け下り出したが、下るに従い次第に人が増えていってしまう。
タワー全体が揺れ、ガラスが派手に割れる音がした。幾人かが悲鳴を上げて階段にしゃがみ込んでしまったことで、流れが完全に狂ってしまった。
「落ち着けー!落ち着けー!伏せろ、エエから伏せろ!」
英語と日本語入り乱れて怒鳴る進藤は、粉々になったガラスの向こうに見える光景を見て慄然とした。
ウエストミンスターからヴォクソール辺りが燃え上がっていた。片翼を失ったトーネードが燃えながら落ちていき、ウエストミンスター寺院に直撃する様子も目に入った。
シュルシュルと妙な音が聞こえた。軌道を失った対空誘導弾が、タワーに迫ってきたのだ。
「アカン!みんなジッとせい・・・・!」
自分の声すら聞こえないほどの音が、鼓膜を叩いた。