・7月11日 18:41 東京都千代田区永田町2丁目3ー1 首相官邸5階 首相執務室
岩手県に出現した未知の怪獣に関する安全保障会議はひと段落した。三沢基地をスクランブル発進した航空自衛隊のF35は下北半島上空で怪獣を見失い、えりも岬の防空レーダーからも外れたことから、公海上へ飛び去ったと見られた。一時は再度の怪獣襲撃なるかと緊張の高まった会議であったが、ひとまずはその懸念も薄まった。
とはいえいつ、岩手の怪獣がいつまた飛来するかは不明。目下英国が未知の怪獣と交戦中である上、ロシア北東から現出したとされる怪獣に至っては存在の真偽すら問われる状況ではあったが、日本を取り巻く環境は予断を許さぬままだ。
随行の国交相担当課長からJRおよびいわて銀河鉄道、三陸鉄道が運行の再開を19時頃と定めたと報告を受け、国交相の佐間野はひと息ついた。他の閣僚も同じで、それぞれの役所から怪獣出現に関する対応の報告、連絡を受けている。瀬戸総理は5分間の総理レクを防衛省から受けるとあって、執務室の奥へ引っ込んだ。
秘書の尾関がスマホを持ち、「どうしても話をしたいとおっしゃってます」と差し出してきた。表示される相手先を見て、佐間野は席を立ち、執務室を出た。
「オレに直接連絡するとは、どういった風の吹きまわしだ?」
挨拶もなしに、佐間野は相手先である檜山に訊いた。
『もうしわけありません。緊急の要件なんです』
「執務室を出たから、タメ口で良い。閣議はまたすぐ始まるから、3分以内で頼む」
『・・・そちらでは、桜島が噴火したことはつかんでいるか?』
「桜島が?いや、オレは耳にしてないが。だが、あそこの噴火はしょっちゅうだろう?」
訊きながら、佐間野は檜山があかつき号調査のため鹿児島にいることを思い出した。
『信じられないかもしれないが、これから大噴火が起きるそうだ。従来ならルールに反するが、時間がないからお前に直接電話したんだ』
「ちょっと待て、何を根拠に大噴火などと?お前、いま測候所かどこかにでもいるのか?」
しばし沈黙があったが、意を決したような口調で檜山は喋り出した。
『先入観なく聴いてほしい。いまヨーロッパに怪獣がいるよな。その怪獣・・・バトラとかいうらしんだが、その出現を予言した人物がいる。その人物が、桜島の大噴火と・・・そこからの新たな怪獣出現を予言したんだ』
佐間野は思わず電話を切ってやりたくなった。そんな話につきあってる暇はないのだ。
「檜山、自分の状況はわきまえているはずだ。お前が去年、怪獣という言葉のためにどんな目に遭ったか。お前は怪獣の出現、存在に関して、他の誰よりも慎重であるべきなんだぞ。それともオレをからかってるのか?お前の怨みは買うが、後にしてもらいたい」
『なら、防衛大臣にでも訊いてみろ。報道によれば、ヨーロッパの怪獣はイギリス海軍の対空ミサイルによる多重攻撃で大西洋に落下したそうだな。実際は違うはず、だそうだ。いまでも大西洋上に存在していて、北米を目指している。報道と異なる理由は不明だが、とにかく黒い蛾は健在』
「ハッ、それもその予言とやらか。いい加減にしてもらおう。檜山、時間だ、切るぞ」
『待ってくれ、いずれにせよ、大噴火まで時間はなさそうだが、内閣が情報を把握してるかどうかで初動は違うはずだ。どうか』
佐間野は黙って、スマホの赤いボタンをタップした。檜山め、貴様まで頭がおかしくなったのか?
佐間野は執務室に入った。米沢総理秘書官から、総理レクがあと1分で終わる旨、説明があったところだ。
ちょうど隣が北島総務相だった。さきほど檜山からもたらされた件を、訝りながらも佐間野は声をかけてみることにした。
「北島さん、桜島が噴火したという情報は聞いてるか?」
すると北島は目をパチクリさせ、こちらを向いた。
「情報早いわねぇ。いま、鹿児島の消防本部から連絡を受けたとこよ。あ、そっか、そっちは気象庁も管轄してるもんね」
ふと、佐間野は傍らの存在に気がついた。島崎気象庁予報課長が驚きの表情を浮かべていたのだ。
「大臣、いま私も報告差し上げようとしてました。2分前、桜島複数箇所から噴煙が昇ったそうです」
「そうか。で、噴火の規模は?大噴火の予兆は?」
「は、はあ。噴煙はいずれも2000メートル上空に達しました。これだけなら通常の噴火ですが、今回は複数の地点で噴火があったものですから、火山灰降下による鹿児島市内の混乱は予想されます。しかし、大噴火の予兆とは・・・・・」
ふむ、と佐間野は顎に手を当てた。
「何か、情報でも?」
北島が訊いてきた。
「ああ。しかし、鹿児島市内に降灰となれば・・・・」
「これくらいなら大丈夫よ。鹿児島の人たちも慣れっこだろうし。まあ、最悪去年みたいに、鹿児島空港は封鎖されちゃうかもだけどね。そうなったら、お仕事増えて大変ね、佐間野さん」
いたずらっぽく、北島は笑った。そうなのだ、たしかに、規模の多少はあれど桜島が噴火することは、鹿児島の人々にとっては日常茶飯事なのだ。昨年5月、桜島で観測史上最大規模の噴火があった際も、わずか4日で復旧したほどだ。東京で同規模の降灰があった場合、復旧まで少なくとも2週間は要すると言われている。
だが、佐間野は言いようのない不安が、それこそ噴火のように湧き上がってくるのを感じた。檜山とは海上保安大学校の同期で、佐間野が親の地盤を継ぐべく海上保安官を退官して政治家の道を歩むまで、しょっちゅう酒を酌み交わした仲だ。多少堅物なところはあるが、常識外れなことはしない男だと、去年の件を踏まえたいまでも思っている。
ちょうど総理レクが終了し、高橋防衛相が出てきたところだった。佐間野は席を立ち、高橋に歩み寄った。
「高橋さん、ロンドンを襲った黒い蛾の怪獣ですが、報道とは異なり、現在も大西洋上を飛んでいて、北米を目指しているのですか?」
佐間野は小声で訊いた。すると高橋は顔面が蒼白になり、佐間野を見る目が鋭くなった。
「佐間野さん、何故それを?」
高橋は必要以上の小声で訊いてきた。どうやら檜山の話していたことは正解らしい。
「私の情報網に、チラッと」
すると高橋はグッと佐間野に詰め寄った。
「現在、大西洋を西に向かう黒い蛾の怪獣を迎撃すべく、フィラデルフィア郊外に設置された米軍の多重対空迎撃システムを準備中です。ですがこれは、同盟国軍にしか明かしていない米国の国家機密です。そのため報道による情報操作を行なったのです。ただいまの総理レクはまさしくその件でした。佐間野さん、素晴らしい情報網をお持ちのようだが、他言は無用ですぞ?」
佐間野は神妙な顔で頷いた。檜山の話したことが事実とわかったが、ここで必要以上に喋ると自身の政治生命にも関わる。思わぬところで他国の機密に抵触してしまったからだ。
奥から瀬戸と望月が出てきた。閣議が始まるようだ。佐間野は席に戻ったが、なおも高橋は睨むようにこちらを見てくる。
そのとき、北島に総務省の役人が駆け寄った。併せて佐間野にも、気象庁の島崎が耳打ちしてきた。
「桜島で再び噴火を確認しました。かなり大きいようです」
・同時刻 鹿児島県鹿児島市平川町 錦江湾公園展望台
「じゃあ、いくよー」
セルフィーでスマホをかざすと、優里はシャッターを押した。ちょうど3人の背後には、夕焼けと藍色の空に、雄大な桜島が写っている。
「やったあ、良く撮れたじゃん!」
万理華がはしゃいだ。
「飛行機遅れなきゃ、こんな写真撮れなかったねー」
玲香が売店で購入したマンゴージュースを飲みながら、早速写真をインスタグラムに上げた。
東京で看護師を勤める3人は、4日間の休暇を利用して鹿児島旅行を計画していた。本来なら16時過ぎには鹿児島空港に到着していたが、羽田空港を出発する際、積乱雲発生に伴い1時間ほど遅延したのだ。
今日、宿をとった指宿温泉へは到着後まっすぐ向かおうとしたが、ちょうど夕刻で桜島が美しく見えたため、砂蒸し風呂は明日に回し、夕焼けの桜島を収めることにしたのだ。
「ここからだと、指宿は7時まわっちゃうねー」
「いいじゃん。着いたらすぐ夕食にしてさ、それからお風呂にしよ」
「でもさあ、夕食の後お風呂入れるかなあ?たっぷりいも焼酎呑んじゃう予定でしょ?」
「明日は二日酔いかなあー?」
3人ではしゃぐ様を、売店の老婆は微笑ましげに見ている。
日頃、日勤と夜勤の連続な上、ストレスを溜めやすい職業であるため、3人はここぞとばかりに遊び、食べ、呑むつもりでいた。
そのとき、ポン、ぽん、と泡が弾けるような音がした。
「あれ?何あれ」
玲香が指差す先では、桜島のあちらこちらから丸い煙が飛び出していた。
「やだ、噴火じゃない?」
「ウソ、もうあんな高く煙上がってるよ」
すると売店から老婆が出てきた。
「おはんら、たまげっな。あげなこといっものことだあ、だいじょ」
3人は老婆の言葉がわからずキョトンとしたが、笑顔で寄ってくるところを見ると、大したことはないらしい。
「きゅは店閉じる、今日はつけて」
老婆はガラガラとシャッターを下ろし始めた。
最初は驚いたが、噴煙は澄んだ空の先で横に広がり始めた。
「なあんだ、桜島っていっつも噴火するらしいよ」
万理華がスマホで調べたことを話した。
「なんかみんな慣れっこっぽいね」
そう言うと、優里はマンゴージュースを飲み干した。他の2人も倣い、売店のゴミ入れに捨てた。
「おばあちゃん、ご馳走様」
そう言うと老婆はニコニコ笑い、手を振った。レンタカーに向かったが、噴煙を上げる桜島をバックにもう一度、3人は写真を撮った。
展望台を下り始め、坂道を進む中、後部座席の優里が声を上げた。
「すごーい!もうインスタにいいねついてる!」
先ほど撮影した、噴煙をバックにした写真だ。
「病院戻ってみんなに自慢しよー!」
車は数分かけて展望台からの道を下ると、国道226号線に当たった。ここを右折して1時間弱で、指宿温泉に通じるはずだ。
「これ旅館着くの8時くらいになるね」
「旅館に電話しとくね。夕飯待たせちゃう」
助手席の万里華がスマホを出し、予約サイトから今日宿泊する旅館の電話番号を引っ張り出した。
「あ、すみません。今日宿泊するんですけどー」
一瞬、通話に『ザッ』というノイズが走った。ドン!という地響きがして、車が上下に揺れた。後部座席で悲鳴が上がり、玲香はハンドルに頭をぶつけた。
「いったーい」
「ちょ、大丈夫?」
万里華が玲香を見ると、おでこが赤くなっていた。後部座席の優里も顔を上げ、辺りに目を配ると、フロントガラスが黒く染まるのがわかった。
眼前に広がる景色に、3人は息を飲んだ。桜島の山頂から、空いっぱいに噴煙が上がっていた。先ほど見た噴煙より、はるかに大きかった。
再びドン!という音がした。今度はフロントガラスが紅く染まった。
噴煙の左脇から、真っ赤な柱が昇り出した。
・同時刻 鹿児島県鹿児島市城南町45ー1 鹿児島新港フェリーターミナル
ドン、という激しい音とともに、三田園脩三は椅子から転げ落ちた。ようやくありつけた今日の夕食であるアジフライ定食が、無残にも床に散らばった。
今日は苦情電話の応対で昼飯を食べ損ね、夕方の奄美行きフェリーの手続きを素早く終わらせて食事にしたかったのだが、お金が足りないのにフェリーに乗ろうとする双子姉妹の応対に時間を食ってしまった。今日は乗客が少ない上、彼女たち以外はとっくに乗船手続きを終わらせていたので、鳴り続ける腹を少しでも早く癒してやりたかったのだが。
食事の直前、食堂から桜島がポコポコと噴火するのが見えた。あちこちで噴煙をあげるのは珍しいが、あれくらいの噴火ならいつものことだ。明日は出勤時、いつもより10分早く起きて、フロントガラスの灰を拭いてやるくらいで済む、そう思っていた。
外の船員たちが騒がしくなった。三田園は裏口を開けた。着岸したばかりの貨物船の向こうに、黒く、灰色混じりの煙が見えた。
思わず口を開け、上を仰いだ。去年5月、桜島は大きく噴火したが、今回はそれよりも規模が大きい。パラパラと小石が降ってきた。
外の連中に中へ入れと声をかけて、三田園は自身も中に引っ込んだ。じきに火山灰が降ってくる。あれほどの噴火なら、量も相当なはずだ。去年の噴火では丸2日、奄美行きと那覇行きのフェリーが欠航したが、今回はもっと長くなるかもしれない。
欠航処理に思わず頭を悩ませたそのとき、強い縦揺れがターミナルを襲った。噴火している脇から、火柱が上がった。
「あっ!!」
三田園は悲鳴のように甲高い声を上げた。火柱ではなく、噴き上がった溶岩だった。
赤い筋が伸びてきたかと思うと、いくつかが市内に落ちたのが見えた。火山弾だ。
しかも火山弾は、一気にその量が増えた。大小様々な赤い筋が四方に飛び、ビルの向こうが赤い空気に包まれるのが見えた。
再度、破裂するような音がした。地響きは小さかった。まるで山の蓋が外れたように、巨大な噴煙が上がった。
遠くでサイレンの音がした。山は黒く、そして山頂からじわじわと赤くなっていった。溶岩が溢れてきたのだ。
船から乗組員が走ってきた。彼らを出迎えるべく三田園が外へ出たとき、噴き上がった煙は重さに耐えきれなくなったように崩れ落ちた。そのまま桜島全体を包み、斜面を降り始めた。
三田園は呆気に取られた。顔と腕に熱気を感じた頃には、崩れた噴煙は猛烈な火砕流となって島伝いに錦江湾になだれ込み、地を這いながら一気に迫ってきた。
慌てて背を向けたとき、背中が焼けるように熱くなり、吸った空気が三田園の気道を焼き尽くした。