・7月11日 22:18 鹿児島県屋久島沖 マルエーフェリー『あけぼの』
夜も更けたが、船内では眠る乗客は数少なかった。
ほとんどの乗客はロビー、広間にしつけられたテレビにて、桜島噴火のニュースに見入っていた。
航路の特性上、ほとんどが鹿児島県民ということもあり、不安に顔を曇らせつつ、繋がらない電話に気を揉む状況が続いていた。
あるいは、噴火の影響が及んでいない地域では連絡が取れても、鹿児島市や垂水市の具体的な被害状況は報道以上のことはわからなかったり、ツイッターでも現地の状況はなかなか上がってこない。
火山灰は現代のような情報化社会では、停電や通信の遮断によって被害が顕著になると、テレビに映る防災学の専門家が話している。
しばらく檜山もテレビを注視していたが、一等の和室にいる伊藤姉妹が気になった。9時前に床についたようだが、よく眠っているだろうか。あるいは・・・。
そっと戸を開けると、布団の中ですやすやと寝息をたてている。ホッとして戸を閉め、檜山は思い出していた。そういえば、仕事で遅くに帰ってきたとき、娘たちがよく眠っているかを見るため、同じことをやったものだ。
そこで気がついた。部屋に緑川の姿がなかった。
トイレだろうか。いや、電気はついていなかった。
嫌な予感、というか、妙な予感がして、檜山は辺りを見回した。少なくともロビーには、緑川の姿は見当たらない。
今日会ったばかりだが、どことなく彼女には気になる部分があった。テキパキとしていていかにもなキャリアウーマンだが、去年、檜山が見てきたとある人物に通じるような感じもしていたのだ。
ロビーでないなら・・・檜山はロビーから廊下を通り、船内前方へ向かった。職業柄、こうした船舶の構造は頭に入っている。
二段ベッドになっている船室が並ぶ先に行くと、椅子が10脚程度しつけられたスペースがある。あまり知られてないが、この手の客船はかつて懇談室があった名残で、こうして船室の先に不可解な休憩スペースがあることが多い。
薄暗い照明の下、ポツンとスーツ姿の女性が座っていた。傍らには、どこかで購入したのか芋焼酎の瓶が置かれている。
入ってきた檜山に気づき、緑川はバツが悪そうに顔を背けた。
「酒、うまいか?」
檜山は柔らかい口調で訊いた。叱責も覚悟していた緑川は、意外そうに顔を上げた。顔はだいぶ赤いが、意識はハッキリしているようだ。
「酒に頼るのは間違ってない。しかし人間、何か悲しいことや苦しいことがあると、なかなか酔えないものだ」
気まずそうに顔を俯かせる緑川。少し前に檜山が佐間野に電話していたとき、桜島噴火の報せを聞いた緑川は、鹿児島に残してきた部下たちに連絡が取れない、と話していた。その上、ロンドンにいる同期も、やはり消息不明だということもわかった。
その頃から気落ちしていた様子をうかがわせていたことが、檜山に懸念を持たせていた。そもそも、最初に顔を合わせたときから、緑川は酒の臭いを漂わせていた。
「ごめんなさい・・・どうしても、お酒が毎日手放せないんです」
昼間の気丈な口調はナリを潜めていた。
「わかるよ。オレの部下にも、そういう男がいてね」
言いながら、檜山は隣に腰を下ろした。
「まあ、その男は仕事上のストレスによるものだったんだけど、やっぱり酒がないとダメになってしまってね。職務中にも酒臭いことが多かったから、処分の対象にもなりかけた。オレはどうにか粘って、処分より本人の治療を進める方向に持って行ったんだが」
そこで言い淀んだ。緑川は檜山の顔を覗き込んだ。
「私は・・・なんていうか、これ以上、近しい人がいなくなることが怖くて」
自分で口にしたことが辛くなり、緑川は焼酎の瓶に口をつけ、グイッと呑んだ。何も割らず、ストレートなのはさぞかし効くだろうが、そこまでしても心は満足しないのだ。
「去年、部下を喪ったんです。名古屋で」
酒の作用ではなく、話すことで精神を落ち着けようとした。檜山には、話しても大丈夫そうな感じがした。
「私が転勤したてで、たまたま出張で名古屋に来てくれて、一緒にまた呑みましょうって誘ってくれたんです。ちょうど、私もロンドン出張から戻って、空港を出て市内に向かう途中、あの黄金の怪獣が現れて」
緑川は左手で頭をかきあげた。
「私はどうにか助かったんですけど、乗っていた電車が横転して、血まみれのまま亡くなる人、助けてって、叫ぶ声が弱々しくなっていく人・・・。それから、名古屋の支店にやっとたどり着いたんですが、支店のあったビルは完全に吹き飛ばされてて・・・。私を訪ねてくれた部下は、1ヶ月後に発見されました。ビルから、3キロも離れたところで」
たまらず、もう一度瓶ごと焼酎を飲み込んだ。
「なんだか、あれからおかしくなっちゃったの、自分でもわかるんです。悲しいのに涙は出ないし、そんな自分が情けないし。仕事に打ち込んで忘れようとすればするほど、お酒の量も増えちゃって。ロンドンの同僚と、鹿児島にいる部下たちを考えたら、もう止まらなくって・・・」
こんな自分、おかしいでしょ、と言いたげに、自嘲気味に笑った。
「よくわかるよ。オレも酒に逃げたことがある。どうしようもないんだ、そうわかっていてもね」
そう言うが、檜山は緑川の持つ瓶を取ると、キャップを閉めた。
「でも今日はこのくらいにしておいた方が良い。明日、身が持たなくなる」
残念そうな、悔しそうな表情の緑川だが、檜山の表情を察したのか、訊いてきた。
「檜山さんて、お酒に逃げたことあるって、いま話しましたね?」
そう言われて逡巡したが、檜山は頷いた。
「 オレも去年、部下を亡くしたんだ。ただし、それは部下の自殺でね」
押し黙る緑川。彼女は身の丈を話した、自分も話さねば、何となくそう思い、檜山はかまわず話すことにした。
「去年、ゴジラとガイガン、そしてあの黄金の怪獣によって日本がひどい目に遭わされた後のことだ。海保は海自と協力して、日本近海の警戒に当たった。そうなったことで、各所で極度の人手不足になってね、当時本庁の国際刑事課長補佐だったオレは、8月になって臨時に小樽の第一管区保安本部付首席管理官に任命された。そこで後輩だった屋代という男に再会できたんだが・・・奴は、心を病んでしまっていてね」
話すことでホッとできるかと思ったがとんでもなかった。檜山は緑川が呑んでいた焼酎を呷りたくなった。
「激務もあったが、当時の異様な緊張感に、彼だけじゃなく他の連中もおかしくなっていた。真っ先に弱った彼に対する、いじめもあったようだ。上司として、オレは彼をかばい、休職も提案した。責任感の強いあいつは、耳を貸さなかったけどな」
緑川は神妙な顔をしていた。檜山にも、その部下であった屋代という男にも、興味がわいてきたようだった。
「そんなとき、去年の9月はじめだ。奥尻島沖合で北朝鮮と国内の反社会的勢力による、覚醒剤取引が行われるとの情報が入った。人手不足の折、オレが船長代行になり巡視船で現場へ急行し、現場を押さえようとした矢先、屋代が叫んだんだ。怪獣を見た、と」
緑川は全身を檜山に向けた。
「無論、レーダーや観測機器には何も反映されなかった。だが屋代は間違いなく、トカゲのような怪獣が海に沈み込んでいったと話した。本来、薬物取引捜査を目的としていた本船だったが、怪獣の探索に当たるか、捜査を優先させるか。オレに判断が委ねられた。オレは前者を選んだよ。精神を病んでいたとはいえ、屋代は嘘をつくような男じゃない。それに怪獣が近くにいるのなら、なおさら報告と探索を行わなければ、また日本は怪獣の奇禍に巻き込まれる恐れがある。だが、ついぞ怪獣は発見されなかった」
「そんな話、初めて聞きました。北海道沖に怪獣が?」
「理由がある。人手と船が不足していたこともあり、管区保安部だけでは探索に充分な力を注げなかったことは事実だ。だが・・・上まで報告が行ったところで、報告は握りつぶされた」
檜山は瓶を握る手に力がこもった。
「たしかに、観測機器には反応がなかったことは間違いない。だがそれでも、せめて海自も探索に加わってくれればと思ったが、確たる証拠もなく怪獣出現を発表することによる人心の動揺、パニックを回避することにしたらしい。無理もないとは思う。その2ヶ月前には、ゴジラと黄金の怪獣によって東海地方が壊滅していたからな。まあ、そのためにオレたちは怪獣の証拠を特定できないばかりか、本来の任務だった覚醒剤取引捜査すら果たせず、陸に戻ったんだ」
少しもらっていいか、と檜山は緑川に訊いた。頷いた緑川を合図に、檜山は焼酎を呷った。数ヶ月ぶりの酒の味だった。
「早速聴聞会が行われ、屋代は徹底的に糾弾された。精神状態が不安定な中、幻覚を見たんじゃないのか、はたまたサボタージュのつもりで、アリもしないことを話したのではないか、とね。オレはそんな屋代を見ていられなくて、すべてオレの責任ということで結論を出してもらった。だが、屋代はそこに強く、責任を感じてしまったのかもしれない。オレに無期限休職処分が決まったその夜、屋代は、宿舎で首をくくってしまった」
たまらず、檜山はさらに焼酎を含んだ。
「東京に戻ったが、オレは後悔やら何やらで、酒に沈んでな。元々小樽へ単身赴任した頃から、妻とケンカが続いていた。彼女もそれまでの怪獣騒動もあり、不安だったんだろうが・・・」
檜山はスマホを操作して、写真を出した。
「オレの元の妻と、娘たちだよ。よく似てるだろ。双子でね、2人で同じこと言ってくるんだ」
檜山は笑ったが、どこか寂しそうな、乾いた笑いだった。同時に、なぜ檜山が伊藤姉妹の言うことを聞いたのか、緑川は理解できた。
「酒に溺れる姿をこれ以上見せたくなくてな、情けなくなって、去年の秋、離婚したんだ。でも今でも思う。こんな夫でも、あるいはこんなパパでも、一緒にいてくれって、素直に話していれば良かったってね。その後、海保から国交省の運輸安全委員会へ出向が決まり、閑職とはいえ仕事は安定してきたのだから、なおさらそう思うよ」
もう一杯呑んだところで、「すまない、オレの話が長くて」と、檜山は頭を下げた。
「ううん、ありがとうございます。話してくれて」
緑川は微笑んだ。
「だから、伊藤姉妹の頼みに弱かったんですね」
敢えて、緑川は訊いた。恥ずかしそうに、檜山ははにかんだ。
「ああ。年頃もちょうど、娘たちと同じくらいだし。変に聞こえるかもしれないが、彼女たちはこれから眠る怪獣を起こしに行くだろ。まあ、それを守ってあげたい、というか、な」
「いいえ、よくわかります。よし、私も今夜はお酒、これっきりにします。明日、着いてから大変そうだし」
檜山は笑顔で頷いた。
「彼女たち、ちょっと様子を見に行こう。そうしたら、今夜はもう休もう」
よく寝てると良いんだが、と、檜山は立ち上がった。緑川も続いた。
伊藤姉妹の寝室を覗くと、2人とも身を起こしていた。目が完全に覚めている。
「あら、どうしたの?」
酒の臭いを気にしつつも、緑川は2人に寄った。
「「ダガーラ」」
「え?」
2人の目は、はるか遠くを見るように強張っていた。
・同日 7:30 アメリカ合衆国コロラド州コロラドスプリングズ 北米防空司令部(NORAD)
※日本より15時間遅れていることに留意
ロンドンを襲撃し、アメリカ東部へ向かっている黒い怪獣を掃討すべく、NORADでは最新の対空ミサイルによる迎撃を指揮していた。
フィラデルフィア郊外の空軍戦略防空師団による地対空ミサイル群の攻撃は20分前に行われ、多重攻撃によって怪獣はレーダーに反映されなくなった。だが着弾直後、大西洋上空の成層圏に大気の乱れが観測され、怪獣はミサイルの届かないはるか高空へ逃れたことが予想された。
NORAD戦略作戦部隊の責任者であるギャリスン大佐は、ただちに合衆国東部の全空軍基地に出動待機を発令。大統領並びに国防長官への報告を行うと共に、再度怪獣が大気圏内のレーダーに捕捉された場合、東部諸州への警告と報道規制の解禁を決定した。
だが1分ほど前より、大西洋とは正反対の北太平洋に全員の注目が集まっていた。
「現在高度5000。徐々に降下中」
「アラスカ・ヘンダーソン基地よりF22中隊離陸。迎撃に当たります」
オペレーターが矢継ぎ早に報告する中、洋上はるか上空の未確認飛行物体は、猛烈な速さで北米大陸に迫っていた。
「速度・・・ウソでしょう、マッハ9を上回っています!」
オペレーターの女性がヒステリックな声を上げた。ギャリスン大佐は受話器を上げ、国防長官への緊急回線につないだ。
「長官、NORAD・ギャリスンです。緊急の報告です。合衆国西部及びカナダ西部に、非常事態を宣言してください。北極海より重大な脅威が迫っている上、相手は当軍の迎撃能力をはるかに上回っております。はい・・・そうです、遺憾ながら、合衆国が保有する如何なる攻撃能力も追尾できぬ速度です。ただちに、非常事態の宣言をなさってください!」