7月12日 9:46 鹿児島県奄美大島名音
モスラが眠るとされる『癒し岩』は、想像以上に山深くの場所に位置していた。所在を尋ねたレンタカー屋の店員が「あそこまで行くんですか?」と目を丸くしていたのも納得できた。しかも港のある名瀬から2時間かかると言われたが、本格的に降り始めた雨は次第に強さを増し、ワイパーを最大にしても視界不良の状態で山道を上がったため、出発から3時間近くかかってしまった。
降りしきる雨の中、檜山は目を凝らした。亜熱帯の深い原生林の谷間に、言われてみれば気がつく程度に落花生の形をした岩はあった。だが緑の森の一部となっており、岩場は地面近くにうっすらと確認できるだけだ。
「本当にアレが、モスラなのか?」
檜山は助手席の緑川に訊いたが、二日酔いによる悪心がピークを迎えていることに加え、山道を走行してきたことで車にも酔ったらしく、ダッシュボードに突っ伏している。
仕方なく後部座席を振り返ると、伊藤姉妹、もといミラとリラは目を瞑り、窓に手を当てている。
「おい?」
檜山が声をかけるより早く、2人はカッと目を開けた。勢い良くスライドドアを開け放ち、土砂降りの中もかまわず駆け出した。
「おい、2人とも!」
途中のファミリーマートで買っておいた傘を持ち、檜山も後を追った。フラフラになりながら、緑川も続く。
「コラ!風邪引くだろう」
追いついた檜山も気にならないほど、ミラとリラは岩肌に手を当てて、涙を流して感激した様子だった。
「「モスラ・・・」」
2人とも頰を岩肌に当てる。まるで、長い時間を経て親しい人と再会したようだ。
なおも傘をさすように2人に寄る檜山だったが、あまりの2人の感激ぶりに歩みを止めた。もし何のわだかまりもなく娘たちに会えたなら、きっと自分もそうしていただろう。
「これが、モスラ?」
檜山は眼前の岩塊を見上げた。こうして見ると、森に包まれた巨大な落花生のようだ。
「モスラは、傷ついた自身を癒すべく繭で身を包み、悠久の時を眠り続けてきたのです」
穏やかな顔をしたリラが口を開いた。
「でも、この波動・・・もう大丈夫です。モスラは元気です」
そういうミラも、元気に晴れやかな顔をしていた。
「繭・・・蛹みたいなものかな」
緑川が背後から言った。
「おい、具合は?」
心配そうに檜山が訊くと、緑川はキョトンとした顔になった。
「それが、この岩に近づいたら、二日酔い治っちゃったみたい。今何ともないの」
「ええ?」
怪訝な顔をする檜山だったが、言われてみれば、檜山も長い運転で痛み出した腰が違和感なくなっていることに気がついた。
「たしか癒し岩、だったっけ?噂は本当だったみたいね」
緑川もすっかり顔が晴れやかだ。相変わらず雨は強いが、熱帯の雨は不快感なく、むしろ心地よさすら感じる。これも癒し岩の効果だろうか。
雑誌『UTOPIA 』が記事にしたことはあっても、良い意味で騒がれず、落ち着いた環境になっているのも良かった。
「「檜山さん、緑川さん」」
ミラとリラが呼びかけてきた。
「「本当に、ありがとうございます。いまからモスラが目覚めます」」
「なあ、確かめておきたいんだが、モスラは本当にオレたちに味方してくれるのか?曲がりなりにも、これから怪獣を呼び覚ますんだろ?」
ずっと話は聞いていても不安だったことを、檜山は吐露した。ミラとリラは安らかな笑顔で、首を縦に振った。
「「大丈夫です。モスラは私たちの神であり、友です」」
そうは言っても、となおも不安げな檜山の肩を、緑川は叩いた。
「確証はないんだけど、なんだかわかる気がする。きっと、大丈夫だと思うの」
「本当か?もしコイツも手がつけられない暴れ方したら・・・」
だが、とにかく成り行きを見守るしかない。
ミラとリラは岩肌に手を当てた。2人とも目を瞑り、安らかな寝顔のような表情になった。
「ねえ、聴こえない?」
緑川がふいに、耳に手を当てた。
「何がだ?」
「何か、歌?みたいな・・・」
檜山は耳を澄ましたが、何も聞こえない。雨が地面や森に叩きつける音くらいだ。
「まさか、彼女たちが話してた、精神への呼びかけ、てことか?」
そう訊いたが、緑川は岩に手を当てたままのミラとリラを向いたままだ。
「何だろう・・・よくわからないけど、心の底がふうっと沸き上がるみたいな、優しい歌・・・」
緑川は目を閉じた。まるで揺り籠の中の赤ん坊のような、優しい顔だった。
檜山は思わず目を凝らした。ミラとリラが輝き始めた。というよりも、キラキラとしたラメのようなものが2人の周りに降り始めたのだ。
「おい、危なくないか?」
思わず2人に寄った檜山にも、ラメのように金と銀に輝くものが降りかかった。慌てて仰け反ったが、不思議とイヤな感じはしなかった。むしろ、身体の力がうまい具合に抜けたような、奇妙な感覚になった。
視界いっぱいにキラキラが舞い始めた。まぶしさはまったくないが、輝きは強さを増している。ぼうっ、と何かが目の前に浮かんできた。
それは懐かしい様子だった。深夜の病院だった。息を切らせて廊下を駆け抜け、新生児室へと向かう。
妻の美佐枝がベッドに横たわっていた。
「もう、遅いんだから」
口をついた悪態は、涙ぐむ声だった。妻の頰に手を当てた。全速力で走ってきたためにかいた汗が、すべて両目から溢れてきたようだった。
ボロボロに泣きながら、ガラスの向こうにスヤスヤと眠る2人の赤ん坊。産まれる前から決めていた、真希と真子、という名前。
どちらがどちらなんだ?いや、そんなことはいい。ガラス越しに、父として初めて顔を見せた。声にならない声が、口から溢れた。嬉しさがそのまま出てきたような。
「檜山、さん?」
ふいに呼びかけられ、ハッとして緑川を見た。気がつくと、目から涙が滝のように溢れていた。
「ああ、いや、その」
慌てて照れ隠しの笑いを浮かべ、涙を拭った。不思議そうな顔こそしているが、緑川の視線は奇異なものを見た目ではなかった。
「なんか・・・白昼夢ってやつかな。ちょっと、な」
檜山は顔を背けた。また涙が出てきた。
気がつくと、あれほど降っていた雨はいつのまにか上がっていた。空を見上げると、この岩塊の周りだけ、灰色の厚い雲が切れ始めていた。
岩塊は淡く金色に輝いている。このキラキラはどこから出ているのだろうか。
ふいに、輝きが失われた。ミラとリラは目を開け、手を離した。聖母のように優しい表情は、一気に凍りついていた。
「どうしたの?」
異変を感じた緑川が訊いた。
「「メガニューラ・・・・」」
2人が口にしたとき、檜山と緑川のスマホに告知が入った。
【速報 中国吉林省丹東市に運ばれた化石が動き出す】
【CCTV、丹東市街地粉砕さると報じる】