・7月12日 11:12 鹿児島県奄美大島名音
ミラとリラの姉妹は、険しい顔をしたまま手のひらを岩に当て、押し黙っていた。繭の中に眠る怪獣モスラと交信しているのだろうか。
一度上がった雨もまたぽつぽつと降り始め、亜熱帯の山々にもやがかかりつつあった。視界が悪くなる中、どんな怪獣か知らないが現れた場合のことを考えると、檜山は気が気でなくなってきた。
「なあ、いい加減声をかけてみるか」
そう訊くが、緑川はかぶりを振る。
「きっと、大事なことを通じ合っているんだと思うの。そっとしておいてあげよう」
「しかしだな」
そのとき、次第に粒が大きくなる雨音に混じり、車のエンジン音が聞こえた。深緑のジープが停車し、作業着姿の男性が2人、降りてきた。
「あのー営林署の者ですがね、どうかしましたか?」
助手席から降りてきた年配の男性が訊いてきた。だいぶ意識してるようだが、言葉尻にかなり訛りが混ざっている。
「ああと、東京から来たんですが」
どう説明して良いかわからないまま、檜山は答えた。営林署の2人は顔こそ穏やかだが、訝しげな視線を寄越してくる。
「癒し岩観光ですか?来てもらって嬉しいが、この雨です。ほどほどにしてもらいたいんですけどねえ」
運転していた若い方の男性が、笑顔の中に迷惑さも滲ませて言う。
「「檜山さん、緑川さん」」
背後から声をかけられた。ミラとリラが岩から離れ、近くまで来ていた。
「2人とも、モスラと話していたのね?」
緑川が訊くと、2人は頷いた。後ろでは営林署の職員が目を潜めている。この雨の中、若い娘が傘も差さず何をしているのか、そう訊きたい顔をしていた。
「「そうです」」
2人は答えると、リラが話し出した。
「メガニューラが目覚めました。しかも、かつてよりはるかに大きな身体になって」
続けて、ミラが言う。
「1体だけですが、モスラによればより危険な存在になったそうです。そして、たとえダガーラを止めても、キングギドラの復活は免れそうにない、とも言いました」
キングギドラ、彼女たちの話によれば、去年東海地方を滅ぼし、ゴジラと相打ちのように海へ消えたあの大怪獣のことのようだ。
「ダガーラ、メガニューラに加えて、キングギドラまで現れてしまえば、たとえ完全に力を蓄えたモスラとバトラでもすべてを止められるかどうか、わかりません」
リラはいまにも泣き出しそうに項垂れた。そんなリラを励ますように、ミラは肩に手を置いた。
「それでも、モスラは戦うそうです。勝てそうにないのならやめて、私たちはそう言いました。でも、モスラはあきらめない、身体が滅ぶまで戦う。そう言っています」
ミラは顔を上げたリラの目から流れる涙を指でぬぐった。
「「モスラが目覚めます」」
すると2人は岩に近寄り、再び手を当てた。また、先ほどの優しい波動と、金銀輝く大きな粉が舞い始めた。
営林署の2人は驚いて後ずさったが、動きを止めた。次第に恐怖が消え去っていくのだ。
「また、歌が聴こえる」
緑川がつぶやいた。
「モスラヤ モスラ ドンガンカサクヤ インドゥンム」
意味がわからないが、聴こえたままを口ずさむ。すると営林署の2人が顔色を変えた。
「ちょっと、さっきからモスラって聞こえますが」
「ああ。モスラって、知ってるんですか?」
檜山が訊くと、2人は大きく何度も頷いた。
「この島に古くから伝わる民謡にねえ、モスラって言葉が出てくるんですよ。意味はよくわからないのだが、平和と希望を与えてくれる神様だって、じいさんが話してくれたことがあって」
「オレも、ばあちゃんから聞いたことあります。こないだの地区の祭りでも、いまじゃすっかりわからない歌詞を唄ってみんなで踊るんだけど、やっぱりモスラって言葉があったな」
檜山は感心したように聞いていると、「見て」と、緑川が空を指さした。
厚い灰色の雲が、岩の上空だけ晴れ出し、黄金の日差しが降り注いできた。強い日差しのはずなのに不思議とまぶしさは感じない。
金銀の粉がたくさん舞ってきた。ミラとリラの顔は安らかなまま、心なしか身体が淡く輝いているようにも見える。
ふわあっとした光が差してきた。空からではなく、岩から発せられている。岩のてっぺんが割れた。
半透明に透き通った大きな羽が頭上を覆った。やがて透き通った羽根は色彩を増していき、極彩色の鮮やかな羽根になった。
聞いたことのない啼き声がした。甲高く、それでいて優しく、やがて声の主が顔を覗かせた。大きな青い目、そして羽毛に覆われたようなふわふわした巨大な身体が岩から現れると、ひときわ大きく啼いた。
「「モスラ」」
ミラとリラは満面の笑顔でひざまづいた。完全に姿を現したモスラは触覚をふわふわさせ、2人の祈りに応えるかのようなしぐさを見せた。
檜山と緑川はもちろん、営林署の職員も目の前に巨大な怪獣が現れたというのに、少しの恐怖も感じなかった。むしろ、自然と笑顔すら浮かんでくるのだ。
周囲一帯が完全に晴れ上がり、モスラの頭上に虹がかかった。羽根をなびかせると、ゆっくりと浮き上がるように岩から飛び上がった。
羽根の動きによって周囲に強い風が巻き起こったが、それすらも心地よさを感じる。大きく羽根を羽ばたかせると、キラキラと輝く粉を舞い散らせながら北の方角を目指して動き始めた。
檜山は呆然と、一連の様子を眺めていた。あんな怪獣もいるのか、と妙に感心したところ、ふんわりとした淡い光の余韻が消え去りそうで、雑感を持ちたくなかった。
祈りを終えたミラとリラが寄ってきた。勝てないかもしれないけれど、戦いに向かったモスラの如く、険しくも凛々しい表情だった。
「モスラはどこへ向かっているの?」
緑川が訊いた。
「まずは、ダガーラを倒すそうです」
リラが答えた。
「ダガーラは、バトラだけでは勝てそうにない、自分の助けが必要だと、話してました」
ミラも言った。
檜山はスマホを開いた。ちょうどYahoo!ニュースに最新記事が上がり、モンタナ州に落下したダガーラとバトラが再び飛び上がり、サウスダゴダ州に達したため、アメリカ中東部の空軍機が迎撃に発進、中西部で食い止めるべく波状攻撃を仕掛けること、もう一体のバランと呼ばれるムササビ型の怪獣はダガーラの発するガスを浴びてワイオミング州に墜落したが、こちらも2匹の後を追うように飛び上がったと書いてある。
「じゃあ、メガニューラだったか?そっちはどうするんだ?」
その下には、瀬戸総理大臣が防衛出動を発令したこと、日本海に迫るメガニューラ・・・この頃にはメガギラスと政府が呼称し始めていた・・・に対し、航空自衛隊の対空高射砲隊、そして海上自衛隊舞鶴基地所属のイージス艦みょうこう、あたごによる艦対空誘導弾を用いた同時多重攻撃が準備されている、という記事もあった。
「現時点では、ダガーラの方が脅威だということと・・・」
リラが説明の途中で言い淀んだ。
「バトラを助けるのが目的、なのですが・・・」
ミラも同様だった。これまではっきりとした口調だった2人だったが、様子がおかしい。
「メガニューラは、バトラと合流してダガーラを退治してからでも大丈夫、というワケなのか?」
檜山が訊くと、2人は肯定とも否定ともつかぬ表情を浮かべた。
「実は、モスラもはっきりとわからないそうなのですが」
リラが口を開いた。
「ダガーラでもメガニューラでもない、別の脅威を感じる、そう話したんです」
ミラが続いた。
「別の脅威?」
オウム返しに檜山が訊いた。
「そうです。そして脅威となるその存在は、避けられないキングギドラの復活に関係があるようだ、とも話し、いずれ、これとも戦うことになる、とも・・・」
檜山は緑川の顔を見た。何だかわからないが、緑川も不安そうに檜山に目を合わせる。
「とにかく、これからどうする?モスラは目覚めたんだが」
そう言うと、ミラとリラは昨日フェリーに乗る前にしたような、懇願する視線を檜山と緑川に向けてきた。
「「また、お2人に力を貸してほしいのです」」
「お、おう。だが、どんなことだ?」
檜山が訊いた。ミラは檜山のスマホを指さした。
「これが、どうかしたか?」
「昨日、病院で見せてくれたように、大陸の地形を見たいのです」
なんだそんなことか、と、檜山はグーグルアースを起動させた。
「モスラは、こうも言いました。モスラはバトラと共に、キングギドラと激しい戦いに身を投じることになるでしょう、そして、脅威的な力を持つ何かがやってきて、邂逅を果たす地にて待っていてほしい、と」
リラが言った。檜山は適当にグーグルマップをいじくると、ミラが「この辺りのようです」と指を差した。
「ここって・・・」
緑川がつぶやいた。
「東京、なのか?」
ミラはまさしく、東京、広くいえば南関東に指を置いていた。
「ここへ向かって、戦いが始まったとき、祈りを捧げてほしい、モスラの言葉です」
檜山は緑川と顔を見合わせた。モスラの言葉通りだとすれば、あの黄金の怪獣キングギドラが復活し、モスラ・バトラと首都圏で争い始める、ということになる。檜山は脂汗が浮かび、緑川は動悸が激しくなるのがわかった。
「しかし、だ。モスラのいう、脅威的な力を持つ何か、とは何だ?」
檜山が訊くと、ミラとリラは視線を合わせ、首を横に振った。