・7月11日 23:57 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ E26ストリート
※日本より14時間遅れていることに留意
『市警本部より各位、シカゴ市内全域に緊急の避難警備体制を発令。市民をただちに最寄りの建物内へ退避させること。走行中の車両はすべて停止させ・・・』
「簡単に言ってくれるよ」
同僚のアダムス巡査長のぼやきを聞きながら、シカゴ市警察第17分署のマーヴィン・スタントン巡査長はパトカーを降り、交差点で車両走行の停止を誘導し始めた。
「おい、なんだってんだポリ公」
脳味噌のほとんどがマリファナに侵されていそうな顔色の悪い白人男性が、運転席から顔を覗かせた。
「怪獣が飛来する可能性がある。ただちに車を捨てて屋内へ退避するんだ」
スタントンは毅然と言い放ったが、運転席の男はけたたましくクラクションを鳴らした。
「ふざけんじゃねえ、怪獣がなんだっていうんだ。空軍が掃討作戦を実施してんだろう?」
実際のところ、争い合う怪獣たち・・・ダガーラとバトラはミネソタ州からウィスコンシン州上空に達していた。空軍東部編成部隊がウィスコンシン州を防衛線と定め、戦闘機編隊による多重攻撃で怪獣たちの掃討を果たすべく、中西部の空を賑わせていた。
「いいから降りるんだ。指示に従いなさい」
スタントンは語調を強めた。後ろの車列からもブーイングが上がるが、男は臭い息でなおもまくし立ててきた。
「おいポリ野郎、こちとら仕事上がりで早いとこ家帰って一杯やりてぇんだよ!邪魔するとタダじゃおかねえぞ!だいたいな、オレも空軍にいたがあんな化け物共はミサイル目一杯尻にブチ込んでやればくたばるんだよ。いままでの連中が下手クソだから攻撃が効かねえんだ」
「御託はそこまでだ。車を降りろ」
放送禁止用語をまくし立ててやりたいのを堪え、スタントンは顔を近づけた。そこへ男は手を伸ばし、スタントンのネクタイを思い切り引っ張った。
「だから家に帰るっつってんだろが!」
そのとき、男の顔色が変わった。背後から近寄ったアダムスがグロック拳銃を男に向けたのだ。
「車を降りろ。公務執行妨害で逮捕する」
男は舌打ちすると、ドアを開けた。すかさず地面に膝立たせると、アダムスは手錠をかけた。
「おいスタントン、かまわねえからこんな野郎、しょっぴいてやれ」
「ああ、すまない」
アダムスは男をパトカーに連行していった。警官に逆らうとどうなるのか理解した後列の市民たちは、車を降りて近くの建物へと歩き出した。
スタントンは車を降りた人々を誘導しつつ、目の前にそびえるシカゴ市民総合病院に目をやった。
元々今日は非番だったのだが、怪獣の接近によりシカゴ都市圏に警戒体制が出されたことで、市警全警察官に出動が言い渡された。職務に忠実なスタントンが出勤しようとしたまさのそのとき、妻のシンディが産気づいた。
今日で妊娠9ヶ月、大きくなった妻のお腹を撫でていたところ、急に痛み出したのだ。
かかりつけである市民病院へと搬送されるべく救急車に乗せられる妻を見送った後、後ろ髪引かれる思いで出勤した。温情をかけられたのか、シンディが搬送された市民病院前のストリートを警備するよう言い渡されたが、正直なところ、いますぐにでも職務を放り投げて妻の元へ駆けつけたかった。
シンディは心臓が産まれつき弱く、出産時には相当のリスクを伴うと医師から説明があり、母子の予後を考えた場合、堕胎も選択肢に上がった。
だがシンディが頑なに反対した。絶対にあなたとの子を産んでみせる、そう強く語るシンディの顔は、そのころから母親になっていた。
僕の仕事は市民を守ることだ、君も市民の1人だ、絶対に守ってやる・・・我ながらクサイ台詞を吐いてシンディを送り出したが、苦笑いしながらもシンディは泣いていた。
これから自分の血を引いた子がこの世に誕生するのだ、いまこうして街にいる人々も、そうして産まれてきたのだ。たとえ犯罪者だろうと、誰一人死なせるものか・・・スタントンはそう思いながら制服を着て、街頭の警備に当たることにしたのだ。
さきほど連行された男のように、避難の呼びかけに悪態をつく市民もいたが、概ねスタントンたちの指示に従って屋内へと逃れる市民が多かった。やはり、午前中にバンクーバーとシアトルの惨状が報じられたことが大きかった。しかも、度重なる空軍の掃討作戦はすべて失敗に終わり、いよいよ以ってウィスコンシン州で防衛できなかった場合、東部諸州を守るためとしてホワイトハウスでは戦術核兵器の使用を本気で検討しているようだった。
願わくは、そんなものを使用する前に退治してほしい、中西部諸州には悪いが、怪獣たちがここまで達することがないようにしてほしい。
スタントンはそう願っていた。ただでさえ持病を抱えた妻に、これ以上の負担や不安を与えたくなかった。
ふいに、聞き慣れないサイレンが市内全域に鳴り響いた。市警のヘリが上空を飛び回り、市警本部の発する音声をそのまま流し始めた。
『こちらはシカゴ市警本部です。ただいま、ダガーラと黒い蛾の怪獣がウィスコンシン州の防衛網を突破し、イリノイ州への侵入が確実となりました。市民のみなさんは、ただちに最寄りの建物内へ退避してください。警察が誘導します、いますぐ、行動してください』
同様の内容が警察無線を通じて各所の警官へ通達された。
「みんな、いますぐ建物内へ!」
ヘリの音に負けじと、スタントンは声を張り上げた。シンディが搬送された市民病院を始めとして、周辺のオフィスビル、倉庫、アパートメントへと人々は歩き始めた。
轟音が上空から聞こえてきた。戦闘機が4機、隊列を崩してミシガン湖方面へと空をかすめていったのだ。続いて、低いうなり声のような音がした。
ビル街の真上を戦闘機よりもはるかに大きい物体が通り過ぎた。思わず視線を向けていると、火を噴いた戦闘機が回転しながらミシガン湖に落下していった。
非常事態とはいえそれまで歩いて退避していた市民たちは、きりもみ状態で湖面に激突する戦闘機と、真上に大きく浮かぶ巨体、そして市街地西側から紫色の雷撃を放ちながら接近する巨大な黒い蛾のような生物を見て、絶叫しながら通りを逃げ惑い始めた。
「みんな逃げろ、急いでー!」
スタントンはひときわ大きく声を上げた。ストリート上には人が溢れかえり、一気にパニック状態へと陥った。
夜に包まれていたシカゴ市街地が一瞬真昼のように明るくなった。蛾の怪獣が目から続けざまに紫色のレーザー光を放射したのだ。だがダウンタウン上空に居座る生物・・・テレビで幾度も連呼された、ダガーラと呼ばれる怪獣は、肩口と翼から何かを噴き出した。まるで煙のように広がる噴出物は、紫色のレーザーを包み込んだ。
たしか、ダガーラが発するガスは致死性のもので、殺傷力は極めて高いと耳にしていた。
「みんな口を覆うんだー!とにかく急げー!」
スタントンの怒声も、人々の絶叫や悲鳴、混乱でかき消されてしまう。
怪獣たちの咆哮が市街地をつんざき、続けて攻撃しようとした戦闘機隊がいくつか弾き飛ばされ、ダウンタウンに落下した。轟音、爆発音がしてビル群の向こうが明るくなった。ものすごい勢いで蛾の怪獣はダガーラに突進するが、ダガーラは後ろ向きに翼を羽ばたかせ、突進を回避すると一気に上昇、上空から突撃した。体格ではダガーラに劣る蛾の怪獣は為す術もなく吹き飛ばされ、ダウンタウンのウィリスタワーに激突した。その衝撃でタワーの真ん中から砕け折れ、地面に落下した蛾の怪獣を瓦礫と粉塵が押し潰した。
膨れ上がる粉塵はダウンタウン一帯に広がり、逃げ惑う人々のパニックは度合いを増した。
勝利に悦ぶように大きく吠えると、ダガーラはチャイナタウンに着地、高層アパートメントを崩壊させながらウィリスタワーの残骸に進み始めた。ストリートの向こうが一気に停電するが、暗い中でもダガーラがあの赤い霧を噴出させるのがわかった。
大勢の市民がダウンタウン方面から走ってくる背後から、赤い霧がじわじわと広がっていく。
「ちくしょうめ!」
アダムスが市民に混じり走り出した。
「おい、何をしてる!」
スタントンはアダムスを腕づくで止めた。
「ふざけんなよ、もうオレたちの仕事じゃねえ!週給850ドルで命張れるかってんだ!」
地響きがして足元がグラつき、ハイウェイの高架橋が崩れ、540市民公園にダガーラが達した。アダムスは悲鳴を上げてスタントンの腕を振り払い、全速力で走り去った。
スタントンもそうしたかった。だが彼の信念と仕事への誇り、何よりダガーラから数ブロックしか離れていない病院にいる妻を想うと、逃げてしまうことはしなかった。
「ひえぇぇ!助けてくれぇー!」
先ほどスタントンに食って掛かった男がパトカーを飛び出してきたが、慌てるあまり足元がもつれて前のめりに転んだ。
「しっかりしろ、さあ!」
強かに顔面を打ち付けて鼻血を流す男を助け起こしたスタントンは、市民公園から病院に迫るダガーラを目にした。ダガーラが移動する振動に振り回されながらも、数名の市民がこちらへ走ってきている。ダガーラの肩口から赤い霧が昇り始めた。
強く歯噛みすると、スタントンはグロック拳銃を引き抜き、病院に接近するダガーラに銃口を向けた。こんなものが通用などするはずがないことはわかっているが、せめて、せめてこちらに注意を向けられることでもできれば、あるいはほんのわずかな時間でも、足止めできれば・・・・!
だがそんな少しばかりの希望は呆気なく潰えた。ダガーラの肩口から勢い良く赤い霧が放出されたのだ。
「みんな伏せろっ、伏せろ!」
周囲の市民へ向かって叫んだ。自身も、病院のシンディも、赤い霧に包まれた。
だが、伝え聞くような苦しみはなかった。いつのまにか周囲は赤い霧ではなく、キラキラとした金粉のようなものが漂っていた。
顔を上げたスタントンは絶句した。ちょうど病院の真上に、これまでとは別の怪獣が浮遊していた。ダウンタウンに墜落した黒い蛾の怪獣とは異なる、ふわふわした厚い産毛に覆われた蝶のような怪獣だった。
まるで病院、そして真下の人々を守るように羽根を広げて、そこからキラキラとした金粉が放たれている。いつのまにか、赤い霧は消え去っていた。
ダガーラは大きく吼えた。蝶の怪獣に憎悪を投げかけるような、おぞましい咆哮だった。再び飛び上がると、猛然と蝶の怪獣に向かった。突進するダガーラをまるで市街地から引き離すように、蝶の怪獣も急上昇し、ミシガン湖へ反転した。