・7月13日 8:47 群馬県高崎市榛名湖830 レイクサイドペンション『Tamaki』
『はい、こちらは群馬県水上町上空です!ご覧いただけますでしょうか、現在町内複数箇所
から黒煙が立ち込めています!町内全域が新たに警戒区域に指定され・・・あっ!ゴジラです!ゴジラが見えます!・・・ただいま報道のヘリも退避が命じられました。安全空域までこのまま退避をします』
ロビーのテレビに映るNHKを、ペンション『tamaki』オーナーの調部真作は腕組みをしたまま、固唾を呑んで見入っていた。
昨年のゴジラ、カマキラス、ガイガンを皮切りに続々出現した怪獣騒動の影響で客足が落ちる一方だったが、今月に入りようやく平年並みにお客が来てくれるようになっていた。だが一昨日辺りからアメリカや韓国、ヨーロッパで怪獣が現れ出してから、去年の動揺が戻ったように宿泊キャンセルが相次いだ。
トドメを刺すかの如く、昨夜ゴジラが新潟に出現したことで、宿泊していた客のほとんどが夜を明かさぬうちに逃げ帰ってしまった。
逃げ帰った客のほぼすべてが東京や神奈川なのは解せなかった。ゴジラの進路は予想困難らしいが、このまま行くと首都圏、それも東京への侵攻が充分予想されるとテレビでやっていいた。
バカなことをしたものだ、とばかりに調部は鼻を鳴らした。今朝から主要高速道路は大渋滞、鉄道各線も始発から尋常ではない混雑が発生し、その上首相が怪獣災害緊急事態を宣言したことで、混乱に拍車がかかり始めていた。
群馬県も全域に避難勧告こそ発令されたものの、まさかゴジラがこの榛名山を登ってくるとは思えなかった。昨日テレビの解説でもやっていたが、ゴジラは大きな川に沿って侵攻するとやっていたではないか。近くを侵攻こそするものの、かえって麓へ下りるよりも安全なはずだ。
『以上、現場からの中継でした。現在首相官邸では、ゴジラ要撃の新たな作戦展開実施に伴う閣議が催されており、午前9時の定例記者会見において、望月官房長官より発表があるものと思われます。スタジオには、野党、国民行動党の山岡蓮子衆議院議員にお越しいただいております。山岡議員、このタイミングで首都圏全域に非常事態を宣言した瀬戸内閣には、批判の声も多いとのことですが、いかがでしょうか?』
『はい。はっきり申し上げますが、緊急事態の宣言が遅すぎます。本来であれば、昨日ゴジラが新潟に出現した時点で発令すべきだったのです。新潟県を防衛線としてゴジラ討伐を図るとはいえ、ゴジラが警戒網を突破して首都圏へ達することは充分予想できましたし、そもそも最初にゴジラが蹂躙した新潟県を犠牲にすべきだったのでしょうか?あまりにも危機管理がおざなりになっていたと考えております』
「おじさーん」と、2階から声がした。昨日から宿泊している大学サークルの連中だった。
聞いたこともない大学のボート部らしいのだが、部活など名ばかり、昨日昼過ぎに到着してからほんの少し湖の遊覧ボートを乗り回したのみで、あとは明るいうちから部屋で飲み惚けるだけだった。
ゴジラ出現で東京へ逃げ帰った客ばかりだったのは幸いだった。平時なら、彼ら以外すべての宿泊客から苦情が殺到していたことだろう。
「ちょっといまからボート乗ってくるんでー、昼前に帰ってくるんでー、部屋にビール一箱用意しててもらえますー?」
いかにも偏差値が低そうな男子学生が間延びした口調でやってきた。がやがやと騒ぎながらフラフラの男女が階段から降りてくる。
「おい大丈夫かね?だいぶ酒の臭いするけれど」
「えっぐぇー、大丈夫ですよ〜」
彼だけでなく、ほぼ全員がゲラゲラ笑いながら玄関を出て行く。二日酔い、というより、朝まで飲み続けていたようだ。
観光用ボートとはいえ、これほど酔っていては転覆の危険があるが、調部はあきれ返って黙って見送った。以前、似たような学生グループに注意したことがあったが、まるで聞く耳を持たず、それどころか逆恨みした学生全員がネットの予約サイトに星ひとつ評価の酷評を書き込まれたことがあったのだ。
以降、こうした連中にまともに注意することはしなかった。自分は曲がりなりにも大丈夫かと訊き、彼らは実態はともかく「大丈夫」と答えたのだ。少なくとも、自分は最低限の注意喚起は行った。あとは野となれ山となれ、だ。
外が騒がしくなった。学生らとボート乗り場の管理人が言い争いをしていた。管理人の老人は、脱サラしてペンションを始めた調部とは違ってずっとここに住む地元の人間らしいが、いつも古くからの伝承やら言い伝えやらを語りたがる。
「おじいちゃ〜ん、良いでしょ〜」とバカ丸出しの口調でのたまう女子に「ダメだ!そんな酒飲んでボートに乗ったら、お前ら海羅(ガイラ)に喰い殺されるぞ!」と一喝していた。そんな子供騙しが通じるはずもなく、学生らは爆笑している。
何がガイラだ、と調部も鼻で笑った。ガイラとは古くから榛名湖に住む魔神らしいのだが、いまどきそんな迷信を真に受ける者がいるはずもない。学生らは老人の制止も聞かず、男女ペアになって湖に漕ぎ出し始めた。
「罰当たり!行ってはなんねぇぞー!ガイラが出るぞー!」
老人の怒鳴り声がここまで聞こえてくる。いい加減にしろよ、心の中でつぶやいた。そういえば数日前、ガイラ伝説を調べているという女性記者がここに宿泊し、ロビーで老人と酒を酌み交わしながら深夜まで語り合っていた。その記者がだいぶ酒を飲んだので儲けはしたが、最後は追い出すように無理矢理消灯したのだ。昔話に花を咲かせるのは良いが、ロビーに客がいる限り眠気を噛み殺して帳場に立つ身にもなってほしいものだ。
『いま入りました情報です、群馬県警によりますと、ゴジラは水上町から沼田市に侵入した模様です。ゴジラが群馬県沼田市に侵入したもようです。沼田市では住民の避難活動が完了しておらず、ゴジラの侵攻に伴い、多大な混乱が予想されます。避難される方は、自治体からの情報に従い・・・。新たなニュースです。アメリカ合衆国ユタ州のイエローストーン国立公園の噴火警戒レベルが、最大値を示す7と発表され、イエローストーン国立公園を擁するユタ州、モンタナ州各州知事は、州全土に避難を命じました。これに伴い・・・』
テレビがカタカタと揺れだした。フロントのキャンドルも揺れ始め、やがて建物全体が小刻みに震えた。
地震、それともまさか、ゴジラがここまで登ってきたとでもいうのか・・・。そんな疑念は、湖から木霊する悲鳴に打ち砕かれた。
岸から20メートルほど沖合で、ボートが二艘ひっくり返っていた。乗っていた男女4人がバタつきながら泳ぐが、他のボートはそんな彼らを助けようともせず必死に岸へとオールを漕いでいる。
「早く上がれー!!」
管理人の老人が怒鳴っている。湖の中央部が泡立ち、白波が溢れている。その中から、緑色の頭がヌウっと現れた。
呆気に取られて湖を凝視すると、醜悪、そして凶悪そうな顔をした巨大な化け物が全身を現し、岸へ向かってきた。おぞましい雄叫びを上げ、まるで腐食した海藻のような全身を乗り出してやってくる。
学生たちの絶叫もおかまいなしに岸へ上がると、再び雄叫びを上げて両手拳を振り上げた。深緑の顔面の中、異様にギラつく白と黒の目が東を向いた。さらに雄叫びを上げると、激しい地響きを立てながら麓へ向かい出した。
地響きが落ち着くと、ペンションすべてのガラスが砕けていた。あぜんとする調部の耳に、管理人の声が聞こえてきた。
「ガイラだ、ガイラが出たぞー!」
割れたガラスに注意しながら、調部は玄関からガイラと呼ばれた怪物が走り去った先に目を這わせた。榛名山の麓、沼田の市街地がここから仰ぐことができる。その市街地北側には、白と茶色が混じったような煙が確認できる。怪物・・・ガイラはまるで、麓を荒らし回る存在へ向かっていったように思えた。
・同時刻 群馬県利根郡昭和村糸井 特別養護老人ホーム『昭和の郷』
「所長、大丈夫ですか!?」
職員の大竹好子に声をかけられ、特別養護老人ホーム『昭和の郷』所長の岩井國春は頭を振って意識を覚醒させた。
群馬県全域に緊急事態が宣言され、昭和村もゴジラの予想進路とされてから、昭和の郷でも避難が始まろうとしていた。
災害発生時相互に受け入れ協定を結んでいる片品村の特養ホーム『水芭蕉園』への避難を開始していたのだが、ゴジラ接近に伴う渋滞で大型車を運転出来る職員が出勤できず、比較的身体の利く利用者から小型ワゴンで避難を始めつつ、残った職員総出で寝たきりの利用者たちを玄関ホールに集め、すぐにでも避難できる態勢を整えていた。
しかしゴジラが沼田市に侵攻したと防災無線で流れてからは、時間の読めない避難を断念、ゴジラがこちらへ向かってこないことを祈りつつ、施設でもっとも堅牢な中央の食堂へ利用者や職員を集め、籠城する道を選んだ。
残された利用者はほぼ全員が寝たきり、あるいは重度の認知症を患っていたが、ありがたいことに混乱も少なく、落ち着いた様子で食堂に会していた。
怯えた表情の職員に「豊子、母ちゃんがついてるきゃ」と娘の名前を出して励ます利用者もいれば、かつて大阪でゴジラに砲撃したことを誇りにしている利用者は、今度こそゴジラなんぞに負けんと息巻いている。
もし不幸にもゴジラがこちらへ向かってきた場合、利用者の家族になんとお詫びしようか・・・否、残った利用者を無理に避難させることもできない。安全の確保ができないからだ。
岩井がそんなことを考えていたとき、施設の背後にそびえる赤城山から大きな音がして、建物全体が大きく揺れた。
足がもつれて額をしたたかに机にぶつけ、大きな瘤ができている。
額をさすりながら岩井が立ち上がると、まるで大きな人間が歩くような、ドスドスという音がする。いよいよゴジラが迫ってきたのか、そう覚悟を決めた。音は次第に大きくなり、その度に施設が揺れる。
「所長、外に、怪獣が!」
大竹が叫んだ。いよいよかと岩井が外を仰いだが、そこから見えたのはゴジラなどではなかった。
黄土色の体毛に包まれた、柔和な、しかし怒りを湛えたような顔をした巨人が、施設外の県道に立ちすくんでいた。大きく息を吸い、ここから北西の沼田市に顔を向ける。
「ダイダラボッチだ・・・」
「山娜(サンダ)様」
利用者たちが異なる名称を口にしたが、全員が巨人を見て両手を合わせた。人によっては念仏のような言葉を唱えている。
岩井は地元の出身ではないが、昔話好きな利用者の1人から聞いたことがある。
赤城の山には昔からダイダラボッチという山をもまたぐ大きさの神がいて、土地に危機が訪れたときに現れる。はたまた、赤城に黄金の毛を持つ山娜、榛名に緑の毛を持つ海羅という巨人の兄弟が住み、ある嵐の年に、水に沈もうとする里を守るため、兄弟は山を下りてきて洪水を押し返してしまった・・・。
細部は異なるが、いずれも土地の守り神だと伝わっているようだった。そういえば何日か前、村の公民館長の紹介で東京から記者がやってきて、利用者数人から昔話を取材していたことを思い出した。
サンダと呼ばれた巨人は利用者たちの祈りに応えるように大きく吼えると、沼田の方角を目指して進み始めた。