・7月13日 14:07 埼玉県熊谷市妻沼 国道407号線刀水橋
『刀水橋は閉鎖されています!危険ですから、いますぐ離れてください!』
埼玉県警のパトカーが橋のたもとから、橋の上にいる人々に拡声器を用いて呼びかけるも、素直に従う者は誰もいなかった。皆一様にスマホ、あるいはタブレットをかまえ、地響きと土煙が昇る利根川上流にカメラのレンズを向けている。各々、その様子を実況する者もいた。
浜野江麗(エレン)もその1人だった。都内の大学に通いながら、チャレンジ動画や友人たちとのイタズラを動画サイトに投稿する、いわゆるYouTuberであった。
元来の顔の良さと学内外の交友関係の広さから、チャンネル登録者数10万人に到達するのにさほどの苦労はなかった。だが視聴回数を常に追求しなくてはならないYouTuberのジレンマは彼とて例外ではなく、投稿する動画が次第に過激化していくのは宿命ともいえた。
イタズラをする相手も友人や知り合い程度だったところ、他人を巻き込む形になっていくのだった。
1週間前には、都内のデパートでエレベーターに乗り込もうとするお客を、乗る手前で閉まるボタンを押す、あるいは最上階から下る際、すべての階数ボタンを押して翌階で下り、乗り合わせたお客の反応を見る、という動画を上げてみた。かなりの低評価、非難が集まったが、視聴回数は50万回に達する勢いで広告料をそこそこ稼ぎ出すこともできた。とにもかくにも、法律違反ギリギリの際どく面白い動画を撮影することに躍起になるのはYouTuberの常とも言えた。
そこへ昨夜のゴジラ上陸である。昨年、ゴジラとガイガンが汐留で争い合う様子を至近距離で撮影し動画に配信したジャーナリストがいた。彼が撮影した動画はその後数億回再生され、年収も数億だったという話を聞き、浜野も含めたYouTuberの間では『次回ゴジラが出現した場合、より近距離で撮影したい』という声が高まっていたのだ。
避難者でごった返す高崎線上りを尻目に、高崎線が全線運行停止となる前に東京から熊谷までやってきて駅前に乗り捨てられた自転車で利根川河畔を目指した。日本一暑いと揶揄される熊谷は駅前の気温が39℃に達する中、ゴジラ接近で避難する市民の中には熱中症で倒れる者も多く、市にとって前例のない避難行動も相俟って渋滞で身動きできない救急車のサイレンが鳴り響くのみ。救助態勢は完全に破綻していた。
浜野も気温と人々の熱気で汗だくになったが、混乱で半ば暴徒と化した市民が殺到するコンビニからミネラルウォーターをくすねた。混乱でそれどころではないのか、はたまた店員も避難したためか、咎められることはなかった。
ゴジラが侵攻するとされる利根川河畔に来る頃には、自分と同じことを考えたであろうYouTuberが何人も河川敷、あるいは利根川にかかる橋にたむろしていた。避難誘導をしていた埼玉県警、対岸の群馬県警の警官たちは必死にYouTuberや野次馬を押しとどめてたが多勢に無勢、本部に応援を要請するもどこも手一杯の状態らしく、取り締まることは困難だった。
人と車で溢れ返る国道407号線を北上し、利根川の手前で警察が規制線を張っていたが、避難の混乱に紛れてすり抜けた。反対方向へ逃れる人々を強引にかきわけ、利根川河川敷に達した。
「邪魔だオラ!」
背後で乱暴に人を押し退ける若い男性がいた。いつだかのオフ会で見かけたことのある、やはりYouTuberだった。
人より少しでも刺激の強い映像を、と浜野はその様子を動画に収めた。すぐさまライブ配信にし、「こいつ後で逮捕!」と怒鳴った。
「ナニ撮ってんだ、オラ!」
男性が殴りかかってきた。浜野は河川敷に並行する道を遡上するように走り出した。その先には警官がいて、追いかけてきたYouTuberはそれ以上の追跡をためらった。
「何してるんだ、早く避難しなさい!」
警官はそんな浜野らに気づき、誘導棒を大きく振った。ちょうどそのとき、上流で大きな音がした。一気に土煙と水柱が天を突く。どうやらゴジラはすぐ近くまで迫っているようだった。
国道の橋から何人か走ってきて、その様子をスマホに収め出した。浜野は絶妙なタイミングでその場面を捉えており、後の再生数に大きく期待した。
地響きと土煙が激しくなってきた。足元がカタカタ刻むように揺れ出したと思ったら、大きく黒いものが利根川、そして川沿いの住宅街向こうに見えた。
「来たぞ!」
「ゴジラだー!」
十数人が一斉に走り出した。警戒に当たっていた2名の警官が慌てて押しとどめるも、勢いと人数に押されて倒れ込んでしまう。
負けてなるものかと浜野も上流へ向かって走り出す。倒れた警官に「邪魔だ!」と蹴りを入れると、スマホを眼前に構えたまま走る。
しばらく走ることに夢中だったが、ふいに気がついた。地響きが収まったのだ。足元の揺れも、不思議と消えていた。
前の方でどよめきが聞こえた。黒い巨体・・・ネットやテレビで何度も目にしてきた、恐るべきゴジラの全容が見えてきたのだ。
だがどよめきの理由はそればかりでもなかった。ゴジラが利根川上で歩みを止めていた。目と口を閉じ、背鰭だけが静かに、それでいて細かく青く放電している。
たしか、白熱光だか放射能熱線だかを吐き出す予兆に見えた。ゴジラはただ利根川を進むだけだと耳にしていたが、急にどうしたというのか・・・。
その姿を唖然と見る者、配信そっちのけでそんなゴジラをバックに自撮りを行い、Instagramに載せようとする者、ここに集った者たちの行為はスマホという機械を介して恐怖を捉えているせいか、切迫感、現実感に乏しかった。
いや、と浜野は考えた。昨年ゴジラの様子を配信した近藤とかいうジャーナリストの映像からは、もっと恐怖、スリルを感じた。ガイガンとの生死を賭けた争い、あるいはいつ自分の命も奪われるか、といった極限の緊張感が伝わってきたからだ。
様子からゴジラは熱線を吐き出そうとしているようだが、吐き出した現場を配信できれば、あのような過激な映像を収めることができるかもしれない。悪くすれば命を失うが、成功すれば自分も億万長者になれるし、大きく話題も集められる・・・浜野を始めとした、いまここにいる十数名の男女は、そのような思考だった。
ならばもっと接近しようとしたとき、河川敷の下が騒がしくなった。迷彩色のジープがやってきて、やはり迷彩色の戦闘服に身を包んだ自衛隊員が数名、降りてきたのだ。
「何をしているー!」
「避難しなさい!」
そう怒鳴りながら、さすがにゴジラ相手には心許ないながらも3名がゴジラに小銃を向け、他の隊員はYouTuberらを確保にまわった。
ここへ向かう高崎線の車中で見たネットニュースを思い出した。自衛隊に治安出動が発令され、国民の避難誘導、並びに治安維持に当たる、そんな記事だった。ということは、自衛隊員は警察官と同様の権限を持っている、ということになる。
さすがに小銃を携えた屈強な自衛隊員にはかなわず、YouTuberたちは大声で喚きながら抵抗するも、身を拘束されていった。浜野は後退し、巻き込まれまいとする。浜野に気づいた隊員がこちらに気づき、怒鳴りながら近づいてきたときだった。
空気が揺れ始めた。これまで体感したことのない奇妙な感覚だったが、ブルブルと大気が浜野の身体を揺らしているのだ。
およそ1キロ先のゴジラは全身に青い放電をまとわり始めた。大きく唸り声を上げると、空気振動はより強さを増した。
手前のYouTuberらと自衛隊員、そして河川敷のたもと、避難しようとする市民や誘導の警官たちも足を止めて、その様子を注視していた。
ゴジラの周囲、利根川の水が瞬時に沸騰した。猛烈な水蒸気が昇り、やがてそれすらも強さを増した放電現象に霧散してしまった。
ゴジラの全身を青い放電が駆け上がり、それはすべて口に集中しているようだった。
恐怖が一帯を包んだ。浜野も配信より、本能的な恐怖とその場からの脱却を感じ、踵を返したとき、土手から足を踏み外した。土手を転げ回り、住宅のブロック塀に激突する。
足と肘に強い痛みが走った。どうにか起き上がろうとし、放り出されたスマホを握って立ち上がろうとした刹那、周囲が青く光り、膨張した空気が身体を押すのを感じた。
次第に避難範囲が拡大する中、自主的に避難を始めたことで同じように混乱する埼玉県東部から茨城県南部、そして千葉県の人々は、空を割るような青い光の筋が、凄まじい勢いで東へ伸びていくのを目撃していた。千葉県九十九里では多くの町民が、渦巻く青い光が太平洋をはるか先に向かっていく様子を目にした。
ゴジラはこれまでにない壮絶な威力の放射能熱線を放ったのだが、その瞬間を目撃した者は誰もいなかった。
暴走するように伸びる渾身の熱線はしかし、正確に標的を捉えていた。日本列島から500キロ南東の太平洋上空では、暴風圏を増しながら近づくギドラと、必死に阻止すべくあらゆる攻撃を仕掛けるモスラとバトラがいた。
だがモスラとバトラは異様な空振を察知した。一瞬で危機を悟りギドラの眼前から離脱する。
ギドラは6つの眼で、見たこともない青い光の渦が自分に飛び込んでくるのを目撃した。
太平洋上で青い爆発が起こった。円形の青い衝撃波が一瞬で暴風圏を発生させる黒雲を薙ぎ払い、炸裂した青い光は爆炎となって空を赤く染め上げた。
全身から白煙を上げ、ところどころ黄金の皮膚を焦がし、翼のあちこちに穴が空いたギドラがその大爆発から姿を見せた。身を包んでいた猛烈な台風は消え去り、ボロボロになった翼のため飛行速度は大幅に落ちている。幾度か血反吐を吐きつつ、3つの首は目指す先に存在する相手に強い憎悪の咆哮を上げていた。
ひんやりとした空気が頰に触れ、浜野は意識を取り戻した。どのくらい時間が経ったのかわからない。
身を起こすと、全身すり傷だらけだった。あちこちが痛むが、立てないほどではない。
傍らにスマホが転がっていたが、画面は大きくヒビ割れて起動してくれない。
舌打ちしたところで気がついた。不思議なことに、さきほど激突した民家のブロック塀がなくなっている。いや土台はあるのだが、そこから上の塀、それどころか民家もなくなっている。
わけがわからず、河川敷の土手を登ってみた。東の方に、ゆさゆさとゴジラが背びれを揺らしながら進んでいる。
それ以外、何もなかった。
さっきまで存在していた利根川にかかる橋、それから対岸の群馬県側はもちろん、土手からしばらく先まで、あったはずの住宅やビルが消え失せていた。
さっき自衛隊員とYouTuberが押し問答していた辺りには、誰もいなかった。よくよく近づくと、アスファルトに影のみ残っていた。
こういうのを、浜野はどこかで見たことがあった。
あれは高校のとき、修学旅行で訪れた広島だった。核爆発によって人は跡形もなく吹き飛び、影のみ道路や残った建物に焼き付けられている、という説明だったはずだ。
後頭部が寒くなった。どこか頭を打ったのか、さきほどから鼻血が止まらない。
大きな咆哮が聞こえた。橋がなくなった利根川を闊歩するゴジラの後ろ姿を、浜野は誰もいなくなった河川敷でしばらく呆然と見つめていた。