・7月10日 18:18 東京都文京区小石川5丁目 ツインセゾンビル5階 『UTOPIA』編集部
陽が落ちても汗ばむ空気の中、秋元は水道橋から春日通りを歩いて会社まで戻ることにした。
通常なら最寄りの茗荷谷駅まで地下鉄で向かうが、汗をかかないと、電車の中(あるいは乗る前)にたらふくビールを飲んだことがバレてしまう。
少しでも酔いを醒ます必要があったのだ。
歩きながら、スマホの通知を確認する。九州南西海域、ちょうど豪華客船が沈没した辺りに中国海軍の潜水艦が現れたことで、内閣官房長官が緊急の記者会見を行なっているらしい。
秋元はそれより、あかつき号が沈んだ海域に、古代文明の建造物と見られる地形が発見されたというニュースが気になっていた。
ちょうど去年の6月、沖縄・奄美群島付近にかつて存在したとされる古代文明、ニライカナイの取材をするために、沖縄北部に1週間滞在したのだった(しかもガイガン、カマキラス出現の混乱で東京へ戻れず、仲良くなった現地の老人たちと毎日酒盛りできた)。
これはひょっとすれば、取材で再度沖縄へいけるかもしれない。また、沖縄北部の民宿で泡盛が飲めるかもしれない。
淡い期待を抱きながら、秋元は編集部に戻った。相変わらず編集長の藤田は電話越しに誰かとケンカをしている。
「だーかーら!部数部数ってそれしか言うことねーのかよ!そんな部数気にすんなら、お前らでもっと書店組合にでもコンビニへでも営業かければ良いだろ!」
言うだけ言って、電話を切った。相手はおそらく営業部か販売部だろう。マイペースでいい加減な藤田とは、折り合いが良くないのだ。
「まったく、部数って単語しかしゃべらんからブスなんだよアイツは」
独りで毒づきつつも、「おう、秋元っちゃん」と、威勢良く手を挙げた。この機嫌がコロコロ変わるところが、良くも悪くも彼の特徴だった。
「お疲れ様です。仰せの通り、新幹線は使いませんでした」
ツカツカと編集長デスクに歩み寄ると、秋元は恨み節を隠すことなくぶつけた。
「おう、ご苦労さん。でさあ、ちょっと、急な取材なんだけどさ」
不貞腐れた顔をしていた秋元は、ほのかな期待が芽生えた。もしかして、例の海底遺跡取材で沖縄出張だろうか。
「明日、岩手へ行ってほしいんだよ」
「岩手、ですか」
アテが外れた。露骨に顔に出たのが藤田にもバレ、不思議そうな顔をする藤田。
「そう。三上先生からもらった話なんだけどね」
今度は秋元の顔が晴れやかになった。三上紀明、東海大学や千葉大学で講師をしつつ、趣味の民俗、民話を研究している学者。『UTOPIA 』にも度々寄稿、またはネタを提供してくれるお得意様であり、何より酒好きだ。秋元とは気が合い、時折取材に随行してくれたりもするのだ。
「秋元っちゃん、天気みたいに表情変わるよな」
藤田に突っ込まれ、秋元は破顔した。
「でね、三上先生、花園学園大学のミステリーサークルがクラウドファンディング使って主催する昔話研究ツアーに出資したみたいでさ、明日から岩手行くから、ぜひウチからも誰か来て欲しいって話なんだよ。秋元っちゃん、行ってくれるよな?」
「はい、行きたいです!それで、何時にどこへ行けば良いですか?」
「明日10時、先生のお宅へ。出発前にレクチャーしたいって。そこから、2時の新幹線で盛岡へ」
既に用意された切符を、藤田は手渡してきた。どうやら旅費も、三上が持つらしい。今度は新幹線利用できる。前に青森へ取材の際ですら、藤田は夜行バス利用しか認めてくれなかったが、今回は大手を振って新幹線に乗れる。
それに三上のレクチャーも楽しみだった。レクチャーとは名ばかり、要するに呑みながら話をしたいということだ。勤務中の飲酒はあまり褒められたものではないが、取材対象が勧めてくるのなら話は違ってくる。
「わかりました。じゃあ、今日はこれで上がって、明日の支度を・・・」
そこまで言いかけたところで、「ダメだよ。明日朝までにダイダラボッチの原稿仕上げなさい」と釘を刺されてしまった。向かいに座る事務の蜂谷がクスクス笑っている。
「編集長、営業の井上さんから。電話じゃラチ開かないって長文きましたよ」
蜂谷は笑いながら、パソコンを藤田に向けた。藤田はキーボードひとつ叩くことすら苦手な極度の機械オンチで、パソコンが必要な仕事はすべて蜂谷に振っているのだ。
「いい、いい。無視だ無視」
大袈裟に手を振り、藤田は顔をしかめた。
「部数は売り込みや宣伝も大事だけどな、一番は面白い記事が載るかどうかだよ。そしてオレたち編集部の仕事は?」
藤田はデスクでパソコンを起動させた秋元に訊いた。
「面白い記事を書く、ですよね」
もう何千回と行ったやり取りだ。
「そう。とんでもなく面白い記事書けば、部数なんて後からついてくるんだ。さ、頑張るぞ、今夜も」
秋元と蜂谷は顔を見合わせ、クスクス笑った。毎度のことだが、徹夜仕事を乗り切るための奮起剤になっている。
「こんばんはー」
原稿の整理に取り掛かったところで、編集部に誰か入ってきた。
「稲村さん!」
秋元は黄色い声を上げた。フリーライターの稲村友紀だった。『UTOPIA 』の社員ではないが、よく記事を寄越してくれたり、はたまた人手が必要な取材にはよく手伝ってくれる。
「やあ、まーちゃん」
よく日焼けした顔を満開に明るくして、稲村は挨拶した。藤田へも挨拶して2、3言会話すると、藤田はどこかへ電話をかけ始めた。
「まーちゃん、どうだった、ダイダラボッチの取材は?」
「上々です。良い記事書けそうです。特に、榛名山に伝わるダイダラボッチが興味深くて」
「へえ、どんな?」
稲村は好奇心そのものといった性格で、どんな話にも乗ってきてくれる。
「実は地元の郷土研究家が言うには、榛名山にはダイダラボッチが2人いるって新説が出てきたんだそうです。民話によれば、山に隠れたダイダラボッチと、榛名湖に棲むダイダラボッチは兄弟かもしれない、とか」
「面白そうじゃん。これ、まーちゃんの腕の見せ所だね」
「面白い記事、徹夜で仕上げますよ」
「そっか。がんばって」
稲村はバッグからオロナミンCを出すと、秋元と蜂谷のデスクに置いた。取材から戻らない他の部員のデスクにも、置いて歩く。
「ありがとうございます!あの、稲村さんはどこかへ取材ですか?」
「うん。富士山麓の『黄金の救い』本部にね」
「黄金の救いって、あの?」
蜂谷が傍から口を出してきた。ここ半年ほどで急に勢力を伸ばしてきた新興宗教団体で、噂によれば、去年名古屋を滅ぼした黄金の怪獣を神と崇め奉っているそうなのだ。
「そう。どうも、例の団体はあの黄金の怪獣について情報持ってるらしくてさ。まあ、伝説にこじつけただけかもしれないけど。ただ、巷であの怪獣が呼ばれてる『ギドラ』て名前を広めたって話も聞くからさ」
秋元は神妙に頷いた。黄金の怪獣、正式な呼称はなくいまだそう呼ばれているが、誰が言い出したか、twitterなどでは『ギドラ』だとか『オロチ』などと呼ばれている。オロチはともかく、ギドラとはどこに出自があるのか、秋元も気になっていた。
「でも大丈夫ですかあ?捕まって洗脳されたり生贄とかにされませんかあ?」
蜂谷がからかうように言った。
「ははは、ま、大丈夫でしょ。お、そろそろ行かないと。ああ、そうそう。まーちゃんに蜂ちゃん、近いうちにさ、アッと驚くスクープ記事書くよ」
「ええ?どんな内容ですか?」
秋元は食い気味に訊いた。
「いま話したらスクープにならないだろ。ま、そのうちわかるよ」
じゃ、と手を挙げ、稲村は踵を返した。ちょうどどこかから電話がかかってきたらしく、スマホをタップした。
「もしもしー、ああ近藤さん、ご無沙汰してます。はい、その件でこれから、是非」
話しながら、稲村は部屋を後にした。
秋元は早速差し入れのオロナミンCを一気飲みすると、気合いを入れて原稿作成にかかった。