・7月29日 14:24 ロシア連邦 クリル列島 ボーフジェーディ島
(日本名:千島列島 神子島)
※日本より2時間進んでいることに留意
よく晴れた空の先に、ボーフジェーディ島が見えてきた。尾形は供されたコーヒーがすっかり冷めたのもかまわず、まるで長らく会っていない恋人に焦がれるような表情で強い風が吹き荒ぶ海の先にそびえる島を眺めていた。
夏とはいえ千島列島に漂う海風は身を切るほど冷たく、ロシア科学アカデミーの職員や船員たちは外に佇む尾形におかしな視線を向けていた。
「尾形博士、もったいないですぞ、せっかく温かく淹れたコーヒーが」
ロシア科学アカデミーのアガフォノブナ・グラーニン博士が声をかけてきた。
「ああ、これは失敬」
返事をしつつ、尾形は振り向くこともせずコーヒーに口をつけた。すっかりアイスコーヒーになってしまっていた。
「いま日本のテレビを観てましたが、博士はテレビの取材におっしゃったそうじゃありませんか。ゴジラが死んだとは考えていないと」
相変わらず島へ目を向けたままの尾形に、グラーニンは覗き込むように詰め寄った。
「博士がそう答えたせいで、ようやく回復基調にあった東京の日経平均株価が急落。円安もわずか1日で6円も進行してしまった。いけませんなあ、科学者といえど、ある程度世の中を見渡した上での発言をしませんと」
「あらゆることに忖度して自説を曲げた結果、心無い経験をしたものですから」
ようやく尾形はグラーニンに視線を向けた。
「第一、本当にゴジラが生命活動を停止したという確証がないのです。軽々しく答えを出せるものではない」
「それはそうだが、怪獣によって日本は息の根を止められる寸前まできている。いま少し答えようがあったとも思いますがなぁ」
「我々科学者は、検証の結果導き出された事実のみに目を向けて言葉を発するものです。ロシアという国家になっても、あらゆることに忖度しなくてはならないあなた方との違いです」
痛いところを突かれたのか、グラーニンは仏頂面になった。
「そして、現在においても未だに謎が多いゴジラの生態を解き明かすべきなのは、日本もロシアも同じなのです」
「愚直ですな、探究心に。お祖父様そっくりだ」
グラーニンは頰をかいた。船は島の近くまで寄ると停泊し、そこから小型船に分乗し島へ上陸する。およそ3週間ぶりの上陸だが、夏でも冷涼とはいえ見るからに植物が成長している。かつての氷河跡も、より探索がしやすくなっていることだろう。
随行するロシア軍の兵士がAKー74自動小銃を片手に島へ渡り、船から即席の橋を組み立てて船への架け橋を作る。
放射能探知機を片手に先導する兵士に続き、グラーニンらロシア研究チームと尾形、そして官邸と文科省の職員が島に上陸する。
「撤収はいまから2時間と30分後。それまで各自調査と収集作業に務めるように」
細かい内容を話した後、最後にグラーニンが告げた。延べ40名ほどの調査隊は早速それぞれの班ごとに仕事へかかった。
だが、先日の調査で大方のことはつかんでいる。
地面の陥没状況などから、ゴジラは60年かけて氷の中でも成長したこと、摂氏0℃未満の環境下ではゴジラの活動が停止すること、周辺の残留放射能を検出の結果、休眠の間はどういうわけかその身体から放射能を発しないこと。ただひとつ、ここで発見された死骸が、日本の富山県に出現したフナムシの怪物とまったくの同種で、それはゴジラに寄生していたことで成長した結果ということは成果と言えるが、それ以外はゴジラの生態を解き明かすには程遠い物証ばかりだった。
そのため日本政府からいま一度の調査を依頼されたときは、ボーフジェーディ島の上陸許可を下す権限を持つ海軍はかなりの難色を示した。
「オガタの物見雄山ばかりに付き合ってられない」
そう声を上げる軍管理局をなんとか説得した。昨年日本政府と交わした忌々しい密約もあり、最終的に軍が折れた形となった。
だが科学アカデミーも再調査に乗り気ではなく、グラーニン自身、モスクワを出発前に本調査は日本への借りを返す、いわば消化試合だとスタッフに説明していた。
案の定、最初の調査以上のものを発見できる気配はなかった。放射線量もかなり低下しており、土壌発掘を行なっても氷河の名残や、65年前のゴジラ空爆戦で撃墜されたと思しき戦闘機の破片ばかり。150分の調査時間をあと6割残し、グラーニンは早くも引き揚げの段取りを軍当局と打ち合わせていた。
険しい断崖がそびえる島中央部とは対照的に、オホーツク海沿岸は稜線がなだらかで短い夏にはアツモリ草も花を咲かせる。不思議なことに尾形を始めとする日本の調査団はその辺りをくまなく調査していた。
それからしばらくして、コーヒーを沸かす間うすらあくびをしていた頃に尾形ら一行が降りてきた。
「尾形博士、アツモリ草ならあなたの国北東部にも咲いているでしょうに」
皮肉のひとつでもぶつけてやらねば、とグラーニンは口を尖らせた。
「いや、実はゴジラ調査もですが・・・」
尾形はそう言うと、デジカメの画像を展開させた。
「この斜面・・・そういえば、比較的最近崩れたようだと前回の調査で話してましたな」
「はい。私はこの崩れ方が気になってやまないのです。まるで、内側から大きな圧力で破裂したように崩れている」
「・・・そう見えないこともないが・・・。自然現象とも考えられる。して、これが何か?」
「かねてから疑問だったのです。65年前、アンギラスを倒し大阪を焼き尽くしたゴジラが、自身の活動が大きく鈍るであろうこの島を目指したのはなぜか」
尾形の目は真剣だった。だがなおのこと真意を測りかねたグラーニンは困惑した。
「ゴジラは他の種族に激しい闘争心を持ちます。アンギラスを屠った後・・・いやそもそも、現在のゴジラが北方諸島で発見されたのも、アンギラスではなく別な存在を強く意識した帰結だったとするならば・・・」
尾形は考え込むと独り言のように、思考したことを口に出す。
「すると博士は、この島にゴジラが強力な敵愾心を持つほどの何かが存在しているとおっしゃるのですかな?」
言葉と共に笑い声が出そうなのをグラーニンは堪えた。ちょうどひときわ冷たい風が吹き、外周の兵士たちはAKー74を強く握った。
「グラーニン博士!」
尾形らと行動していたロシア科学アカデミーの職員たちが山を降りてきた。
「崩落した斜面を調べていたのですが、このようなものがいくつか発見できました」
グラーニンは手に取ると、ルーペで覗いた。
「石なのだろうが・・・。自然にできたにしては形が整っているな」
「私も発見しました」
「私も・・・」
続々と手渡され、グラーニンは首を傾げた。
「尾形先生、これは・・・」
日本から随行している京都大学の職員が、そのうちひとつを尾形に渡した。
「これが何かわかるのですか?」
グラーニンが訊いた。
「そうか。みなさんはピンときませんね。これは日本の・・・・・・」
そのときだった。さきほどから電話を受けていた内閣府の職員が電話を切り、顔面蒼白で尾形に近寄った。
・同日 12:31 東京都文京区小石川5丁目 ツインセゾンビル5階 『UTOPIA』編集部
「秋元っちゃん、LINEも良いが早いとこ原稿上げてくれよな」
いつの間にか背後にいた編集長の藤田に声をかけられ、秋元は一瞬固まった後スマホを置いた。
「稼ぎどきなんだからさあ、頼むぜー」
そういう藤田だが、どこか楽しそうだ。
「稼いだ分お給料に跳ね返るようにがんばりまーす」
秋元は減らず口を叩き、パソコンのマウスを動かした。暗転した画面に書きかけの原稿が浮かび上がる。
LINEの相手は、KGI損保の緑川だった。来週、東京へ出張するというので飲みに行く約束をしたのだ。聞けば緑川も相当な酒好きらしく、美味しいお店を紹介してくれるとのことでテンションが上がってる後ろ姿を藤田に見られたのだろう。
一連の怪獣騒動ののち、『UTOPIA』がこれまで取材してきた伝承、とりわけ群馬のダイダラボッチ=サンダ・ガイラと、奄美大島の癒し岩=モスラだったことで過去の記事を再編集して臨時版を含め総力特集を組んだのだ。結果、創刊以来最高の売り上げに重版が追いつかず、また岩手のバランについても記事をせっつかれているのだった。
おかげで徹夜続きの毎日だが、かつてない活気と徹夜明けのビールで充分乗り切れていた。今日の午後にはバランの伝承もまとめられる。そうしたら、今夜と明日は会社を離れなくてはならない。怪獣騒動もあり、遅れていた稲村の通夜と葬儀が執り行われ、秋元も出席することになっているのだ。
「お待たせー」
買い出しに出ていた蜂谷が戻ってきた。
「はい秋元っちゃん。ごめんね、やっぱり今日もツナおにぎりなかったわー」
「しょうがないです、蜂谷さんが謝ることじゃないですよ」
秋元はおかかと納豆のおにぎりを取った。今日は2種類あるだけでも幸せだ。
「それにしても今日も暑いわー」
蜂谷はぽっちゃりした皮膚にシートを当てた。
「大学の友達ニュージーランドにいるんですけど、あっちは雪模様らしいですよー」
おにぎりを頬張りながら、秋元が言った。
「おい最近地震多いじゃないか。大丈夫なのか」
言いながら藤田はパソコンでネットニュースを見ているらしく、「なになに、オーストラリア沖に爆弾低気圧」などと独り言を口にしている。
「編集長、お仕事中ですよ〜」
いたずらっぽく言う秋元に「オレのは大事なネタ探しだ」と反論してきてあきれ笑ったところに、来客のベルが鳴った。
「三上先生!」
麻のスーツを着た三上は勝手知ったる他人の家、とばかりに応接間に向かう。秋元はガラスの器に麦茶を淹れると、お盆へ載せて応接間に入った。
「忙しそうだね」
額の汗をハンカチで拭い、三上は声をかけてきた。
「おかげさまで。いまも麦茶じゃなくて、アルコールと炭酸入ったヤツ飲みたい気分です」
「そうだね、スカッとしたい気分だ」
それから、互いの近況、稲村の葬儀について話した後、三上が「さて、本題に入ろう」と告げてきた。
「実はね、秋元くん。あれからずっと気になっていることがあってね」
拳を手にあて、三上は言った。この仕草をするとき、決まって話が長くなる。冗談ではなく、麦茶じゃなくて冷酒を出したい気分だった。
「モスラとバトラ、そしてミラとリラだが・・・。今回、ダガーラとメガギラス、ギドラ復活を察知して眠りから覚めたのだったよね」
「はい、たしか・・・。車の中で斉田さん・・・あ、あと羽田のホテルで緑川さんもそう話してましたよね」
「ふむ、そうだったよね。そこで思ったのだが、去年ギドラが現れたね。そのとき彼女たちが目覚めなかったのはなぜだろう。いやギドラだけじゃないよね。ゴジラにカマキラス、ガイガンだって出現していた。そもそも、65年前にだってゴジラやアンギラスが現れているのだ」
三上はバッグから大学ノートを取り出した。丸々1冊、何かを調べまとめたものらしい。
「昔、アメリカを旅したときに少し聞きかじったことがあってね。ユタ州の先住民族にフピ族という人たちがいて、そこに伝わる話なんだが」
大学ノートにはいくつか付箋がしてあり、そのうちひとつを開いた。
「本来なら現地へ赴くべきなんだが、ユタ州も東半分が壊滅的被害を受けていて入国が困難だ。仕方なく国会図書館やアメリカ先住民の民俗に詳しい研究者に取材した内容なんだが」
三上の説明を聞きながら、秋元はページにびっしり書かれたメモを読んだ。
フピ族の伝承によると、かつて世界を滅ぼしかけた黄金の悪魔がいた。フピの先人たちは神に祈りを捧げると、神が遣わした神獣が舞い降りた。黄金の悪魔と神獣の争いは月が3度変わるまで続き、ついには黄金の悪魔が倒れた。黄金の悪魔は争いによって生まれた炎の沼に封じられ、役目を終えた神獣は海へと去っていった・・・。
「ここにある、黄金の悪魔というものはギドラで疑いあるまい。そしてギドラは、神が遣わした獣に敗れ封じられたとあるね。炎の沼、すなわち現在のイエローストーン国立公園と見ることができる。何より注目すべきなのは、神が遣わした獣、というくだりだ」
「・・・まさか、モスラ?」
「とも思えるんだが、たしか緑川さんはこう話していなかったかな。かつてモスラは、ギドラに力及ばず倒されてしまい、ミラとリラの文明ごと海に沈んだ、と」
そういえば、と秋元は頭に手を当てた。
「となると、モスラやバトラとはまた異なる怪獣が存在したことになる。それもギドラを倒してしまうほどの力の持ち主だ。この世界には、まだ姿を見せていない怪獣が存在したとしても、もはや何も不思議ではない。昨日、能登半島に亡骸が打ち上げられた怪獣のようにね。また調べる対象ができて、まあ喜ばしい限りだが、それはそれとして・・・」
三上は顎に手を当て、憂うような表情になった。
「この伝承通りだと仮定すると、ギドラはイエローストーンにずっと封じられていたことになる。そこのところについて、少し考えてみたのだ。あまり良い話では・・・」
三上が話す途中から、秋元のスマホ通知が鳴り止まなくなった。そこへ、しばらくネットサーフィンしていたらしき藤田が駆け込んできた。
「先生、ごめんください。おい秋元っちゃん、オーストラリアが大変なことになってるらしいぞ」
秋元がスマホを開くと、【オーストラリア政府、国家全土に非常事態を宣言】【シドニー〜ニューカッスル、過去類を見ない火災発生との情報】と通知されている。
藤田がデスクのテレビをつけるも、同じような情報を繰り返すばかりだ。
秋元はtwitterを開いた。オーストラリア、シドニーといった単語がトレンド入りしている。その中でも【話題の投稿】で特にバズりつつあるアカウントを開いた。オーストラリア・ゴールドコーストに住む日系人らしく、日本語での投稿だった。
『私の街が、吹き飛ばされています』
その言葉の上、投稿された動画には、高台から映されたであろう海岸線とビーチ、そして高層マンションやビーチが並ぶ景色が表示されていた。だが空は黒雲渦巻き、雹混じりの豪雨が降りしきる。やがて風が強まり、空から黄金の稲妻がマンション群を舐め尽し、すべてを砕きながら天へ巻き上げていく様子がわかる。
同じアカウントが別な投稿をしたようだ。
『信じられない』
動画いっぱい金色に光った。大轟音を鳴らしながら、3本の首と巨大な羽根を大きく煽らせる存在が映し出された。
「・・・ギドラ?」
言葉に出すのも憚られた。黄金の悪魔の名を言葉にするだけで、目眩がするほどの気色悪さを覚えた。
「うそ・・・コラでしょ?」
空疎なつぶやきと願望だった。悪夢としか、言いようがなかった。
「まさか?いや、やはりそうだったのか・・・」
三上は頭を抱えていた。当たってほしくない推理だったらしく、冷や汗を浮かべている。
「モスラは、ゴジラを知らなかった。過去相見えた相手の存在を察知することは可能だったが、そうでない対象は認識できなかった。だとすれば、去年なぜギドラが襲来したのに覚醒しなかったのか、説明がついてしまう」
三上が言わんとすることは、おぼろげながら理解できた。それでも、現実として捉えたくなどなかった。
「かつて世界を崩壊させたギドラは、ずっとイエローストーンのマグマの下で眠りについていたんだ。去年現れたギドラは・・・それとはまったく別の存在だったのだ。だからモスラも、他の怪獣たちも目覚めなかったのだとすれば・・・!そして、封じられていたギドラは倒された。だが去年日本を襲った別のギドラが、いまこうして・・・」
三上は思いついたようにスマホを拾い上げ、グーグルマップを開いた。シドニー〜ゴールドコースト。ギドラはオーストラリア東海岸を北上している。そのまま北上した場合・・・地図をなぞった三上の指は日本、それも関東地方で止まった。
「先生・・・」
秋元の呼びかけに、脂汗を浮かべるばかりの三上。ギドラが何を目指しているのか、明白だった。
「だとすれば・・・ギドラを封じることができた怪獣というのは?ゴジラ?いや・・・それはいったい、どこに」
突然轟音が一帯を揺らし、ビルが大きく揺れた。テーブル上の麦茶が入ったガラス容器が砕け散り、編集部では卓上の書類が床に散らばった。突然の激しい揺れに秋元は倒れ、ふらつきながらも三上が助け起こした。
地震にしては奇妙だった。強い揺れは一瞬で終わり、その後は不気味な鳴動を上げる地面が縦に揺れるばかりだった。
「はっちゃん!おい、はっちゃん!」
編集部で藤田の声がした。秋元と三上が駆け寄ると、蜂谷が床に倒れ、頭から血を流して唸っている。
「蜂谷さん!」
声をかける秋元に、「救急車!」と藤田が叫ぶ。秋元がデスクの上でひっくり返っている電話で119を押したとき、外が少し暗くなった。
割れてしまった窓から、ドス黒いきのこ雲のようなものが東の方から上がっているのが見えた。
「あれは・・・浦安の方角、だな」
三上がつぶやいた。地上から伸びる黒い雲は上空で横に広がりつつある。不気味な大気の対流音と、外の喧騒に紛れ、おぞましい音が響いた。2度、3度と大気を通して秋元や三上、藤田の鼓膜を侵食する。
「ゴジラ・・・・?」
秋元がその名を口にしたとき、よりはっきり聞こえた。それはひときわ大きく、はるか遠くから自分を目掛けて襲い来る相手に向けられているように思えた。