真姫と穂乃果の恋愛ごっこ   作:水原渉

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(後)

 

  5

 

 お昼は水族館から少し歩いた、アンティークなカフェに入った。

 テラス席をチョイスして、向かい合ってパスタを食べる。アラビアータとボロネーゼ。

 値段は少し張って穂乃果が恐縮したが、真姫は全然気にする必要はないと手を振った。

「そんなことより、穂乃果がちゃんと調べてきてくれたのが嬉しいわ」

「そりゃ、真姫と久しぶりのデートだからね」

「どういう設定なの?」

「わかんないけど」

 食後のレモンティーを優雅に飲みながら、外の景色に目を向ける。

 ぼんやりと、通り過ぎる本物のカップルを眺めていると、穂乃果が口を開いた。

「大丈夫。私たちも、負けないくらいラブラブだよ」

「本当? ちゃんと私の気持ち、伝わってる?」

「えっ? あ、うん」

 思わず素に戻って頷いた穂乃果に、真姫は小さく笑った。

「でも、思ったより楽しいわ。ありがとう」

「どういたしまして。でも、デートはまだまだこれからだからね!」

「本当にちゃんとプランを考えてきてくれたのね」

 呆れたように、感心したようにそう言うと、穂乃果はそれには答えず、ただ真姫の目を見つめて上品に笑った。

 今日の穂乃果は、こういう大人っぽい表情をする。

 真姫はどぎまぎして俯いた。穂乃果が笑う。

「今日は、珍しい真姫ちゃんがたくさん見れて、私も楽しいよ」

 ああ、同じなんだ。

 同じであることが妙に嬉しくて、真姫は胸の鼓動が速くなるのを感じた。

 これが恋だろうか。

「穂乃果は、私といてドキドキしてる?」

 俯いたまま聞いてみた。

 目だけで穂乃果を見ると、穂乃果は驚いた顔で真姫を見つめていた。

 目が合って、穂乃果がわざとらしく、折り曲げた指を口元に寄せた。

「すごく楽しいけど、ドキドキはしてないかな。真姫ちゃん、ドキドキしてるの?」

「し、知らないわよ!」

「だとしたら、私のせいじゃなくて、真姫ちゃんが彼女役になりきれてないんだよ。もっと頑張って」

 はっとなった。

 穂乃果は彼氏役に徹して、真姫をたくさんドキドキさせている。

 自分も穂乃果にそうしなければいけない。

 ……そうしなければいけない、のだろうか。穂乃果もそれを望んでいる?

 わけがわからなくなってきた。

「わかったわ。午後のデートを見てなさい」

「うん。楽しみ!」

 穂乃果はいつものように笑った。

 

  6

 

 真姫は事前に読んできた、デートのいろはを思い出す。

 彼氏をドキドキさせる小悪魔テクニックとは。

 あまり体に触りすぎない方がいいという記事もあれば、いやいや積極的に触った方が男は喜ぶという本もあった。

 動物好きをアピール。

 髪をかき上げる仕種。伏し目がちなポーズ。

「うーん」

「どうしたの?」

「別に」

 うっすらと雲が出てきたが、それでも日差しの穏やかな昼下がり。

 繋いだ手が汗ばんでいる。少し厚着だったかもしれない。

 紅葉にはまだ早いが、秋めいてきた公園を並んで歩きながら、真姫は考える。

 そもそも穂乃果は女の子だから、男に対して効果的なことをしても、ドキドキしない気がする。

 とは言え、男女を入れ換えたところで、果たして穂乃果はドキドキするだろうか。自分の魅力の問題か、穂乃果の感性の問題か。

 いや、穂乃果のせいにしてはいけない。ロールプレイに徹しよう。

「穂乃果は、私のこと、好き?」

「好きだよ」

 即答。

「どの辺が?」

 重ねて問いかけると、初めて穂乃果が言葉に詰まった。

 照れる台詞を言わせるのは、良い戦法かもしれない。

「可愛いところとか。頭がいいところとか。しっかりしてるところとか」

「それだけ?」

「他には……体?」

「体!?」

 思わず素っ頓狂な声を上げる。穂乃果は悪びれずに言った。

「うん。真姫はいい匂いがする」

 穂乃果がくんくん嗅いできて、真姫はぞくっとして身を震わせた。

 演技なのか本心なのかわからない。

「真姫は穂乃果のどこが好き?」

「元気なとこ」

「それだけ?」

「それだけ」

 穂乃果が絶望的な顔をする。

 公園の広場で、大学のサークルっぽい集団が奇妙な踊りを踊っている。

 向こうの周回コースでは、喋りながらランニングをするおばさんたち。家族連れもちらほらいて、一人で散歩をしているおじさんとすれ違った。

「行動力には感心してるわ。それから、今日みたいに、私の我が儘にちゃんと付き合ってくれるところとか」

「真姫は私の大切な人だから、できるだけ頑張るよ」

 その言葉に、真姫は違和感を覚えた。けれど、あまり気にせずに流した。考えるのは一人になってからにしよう。

 公園を抜けると街に戻り、ウィンドウショッピングを楽しむ。

 洋風の雑貨屋で見つけた鍵の形のペアキーホルダーが可愛かったので、記念に買った。

「鍵の形のキーホルダーって、考えてみればシュールよね」

 真姫が何気なく言ったが、穂乃果は首を傾げただけだった。

 説明しようと思ったが、つまらないのでやめた。恐らく穂乃果は、キーホルダーを鍵にはつけないのだ。

 ずっと手を繋いでいたが、それにもいつの間にか慣れてきた。いつもの二人に戻ったわけではないが、緊張感の減衰を感じる。

「このままだと、ただ二人で遊んだだけで終わっちゃうわね」

「そう? でも、ペアのキーホルダーも買ったし」

「普通のカップルって、最後はどうするのかしら」

 真姫がそう言いながら首をひねると、穂乃果が妙に真剣な目で真姫を見つめた。

「何?」

「ううん」

 穂乃果は首を横に振る。それ以上何も言わなかったが、確かに何かを思ったようで、少ししてからこう言った。

「夕方でおしまいの予定だったけど、ちょっと港の方まで行こうか。電車で」

「えっ? ええ、いいけど」

 急な提案だったが、別に反対する理由もないので、素直に頷く。

 元々今日は、穂乃果のプランにすべて従うつもりだ。

「じゃあ、行こう」

 穂乃果が背を向けたまま、ぐいっと真姫の手を引いた。

 

  7

 

 すっかり暗くなったベイエリアのプロムナード。対岸のイルミネーションと、停泊する帆船のライトアップ。

 デートコースの定番だと雑誌にも書いてあった場所で、実際にいるのはカップルばかり。

 一定間隔で設置されたベンチで静かに抱き合っていたり、海を見ながら口づけしたり、人は多いのにまるで二人しかいないたくさんの世界が混在している。

「ここは、確かに、デート向けね」

 声のトーンを落として、真姫が口を開く。挙動不審になってしまうのは許してほしい。こんな光景はテレビの中でしか見たことがないのだ。緊張して、落ち着かない。

「なんか、みんなすごいね」

 楽しそうに笑う穂乃果の頬を、街灯の柔らかなオレンジ色が照らし出す。

 偶然空いていたベンチに腰かけると、間隔0センチでくっついた。

 昼は暖かかったが、夜は少し冷える。日中の温度差のある季節だ。

「穂乃果、寒くない?」

 真姫はクリスマス編の格好だから、それなりに厚着だが、穂乃果は2枚しか着ていない。

 体ごと横を向き、穂乃果が抱き寄せるように真姫の肩に手を乗せた。

「ちょっと寒いかな。真姫が温めて」

「!!」

 真姫は焦った。穂乃果は一体、今日という日をどこに着地させる気なのだろう。

 くっついている方の腕を穂乃果の腰に回し、もう片方の手でぎこちなく背中を引き寄せる。

 穂乃果も真姫の体を両腕で抱きしめて、そっと頬を寄せた。

「あったかい……」

「そうね……」

 この暗い場所で、キャップをかぶった穂乃果は、ちょっと背の低い男の子に見えるかもしれない。

 風が冷たく肌を撫でるたびに、穂乃果の体温が真姫の心を温める。

 トクン、トクンと、自分の胸の鼓動がする。明らかに普通より速くて、穂乃果に知られそうで恥ずかしい。

 それとは別に、違うテンポで響く小さな鼓動。それが、自分より速く打っていたから、真姫は驚いた。

 真姫が口を開くより先に、穂乃果が耳元で囁いた。

「真姫、今、ちゃんと一緒にいるのを彼氏だと思ってる?」

「えっ? あ、そうね……」

 すぐそこに人が歩いている場所で、男の人と二人で抱きしめ合っている。そう思うと、確かに顔が熱くなった。

 穂乃果はドキドキしていないと言っていたが、あれは本当だったのだろうか。今は、穂乃果も緊張して見える。

 元々0センチだった距離が、マイナスになるくらい強く抱きしめる。柔らかな肌が溶け合う。

 男の子だといっても、やはり穂乃果からは女の子の匂いがする。そういえば、穂乃果が真姫の匂いが好きだと言っていたが、結局あれは「彼氏」の台詞だったのだろうか。

 頬をすり寄せたり、背中に軽く爪を立てたり、押し付けられる胸の感触を意識したりしていると、真姫は一瞬、自分は何をしているのだろうと冷静になった。

 すぐにそれを放り投げる。もっと集中しよう。

「穂乃果。好きよ……」

 精一杯色っぽく囁く。

「うん……。私も、真姫ちゃんのこと、好きだよ……」

「……」

 今、何かが変だった。

 その違和感を吟味する間もなく、穂乃果の手の平が真姫の頬を包み込んで、唇が触れ合った。

「ほ、ほの……」

 言いかけた真姫の口を、さらに強く、穂乃果の唇が塞ぐ。

 とろけるように柔らかくて、少し湿っぽくて、触れる鼻がくすぐったくて、鼻息が近くて、真姫はくらくらした。

 あまりにも穂乃果の顔が近すぎて、恥ずかしくて目を閉じた。真っ暗な世界が、穂乃果の匂いで充たされる。

 息苦しくて口を開くと、穂乃果が熱っぽく息を吐いて、さらに顔を押し付けてきた。

 カチッと歯が当たる。舌先が絡み合う。ねっとりしていて、硬くて柔らかくて、温度があって、ひどく生々しい。

「穂乃果……」

 無意識に呟くと、穂乃果も真姫の舌を吸うように舐めながら、うわ言のように呟く。

「真姫ちゃん……」

 体が熱い。

 こんな他の人もいるところで、本当に自分は、何をしているのだろう。

 怖くて目を開けられない。10人くらいが足を止めて、笑いながら指差していたらどうしよう。知り合いに見られたらどうしよう。

 思考を追いやる。

(穂乃果、穂乃果、穂乃果……)

 ただひたすら、穂乃果の体温と感触だけに集中する。もう誰のものかわからない唾液を一度飲み込んで、飴を舐めるように舌を絡める。

 どれくらいそうしていたのか、全然わからない。

 穂乃果が静かに唇を離したとき、真姫は高熱にうなされるように、ぼーっとして遠ざかる穂乃果の顔を見つめていた。

 穂乃果は何も言わず正面を向くと、真姫の肩を抱き寄せる。真姫はされるがまま穂乃果の肩に頭を乗せて、まだ口の中に残る穂乃果の味に酔っていた。

 ぼんやりと、緩やかに時間が流れる。

 やがて、真姫の髪を撫でていた穂乃果が口を開いた。

「帰ろうか」

 真姫は喋るのも億劫で、黙って頷いた。

 どちらからともなく立ち上がり、少し気まずそうに見つめ合う。照れたように穂乃果が笑って、真姫の手を握った。

 

  エピローグ

 

 あの日のことは、結局のところよくわからない。

 月曜日、穂乃果は極めていつも通りだったし、土曜日の話もしなかった。

 真姫にも普通に話しかけてきたし、真姫も戸惑いつつも、同じように振る舞った。

 曲の方は、翌日一気に完成させたものの、スローテンポの3拍子で、踊りをつけたらワルツのようになってしまった。

 それはそれで滑稽だと、歌も踊りも完成させて学校で披露したら、みんなに大笑いされて、そのまま封印した。

 ある日の校舎裏、穂乃果と二人きりになった時に、真姫は意を決して聞いてみた。

「ねえ、穂乃果」

「何?」

「あの日のあれ、一体なんだったの?」

 真っ直ぐ見つめると、穂乃果はうーんと大袈裟に腕を組んでから、明るい瞳で笑った。

「一夜の過ち的な?」

「後悔してる?」

「全然! 全部楽しかったよ?」

 そう言って微笑んでから、穂乃果はふっと真顔で空を仰いだ。

「すごくいきなりだったし、滅茶苦茶だったから、曲作りのことは言い訳で、真姫ちゃんは本気で穂乃果とデートしたいんだって思ったの」

「……滅茶苦茶だったのは認めるわ」

「真姫ちゃんこそ、後悔してる? 嫌だった?」

 心配そうに穂乃果。

 要するに、穂乃果は、真姫が穂乃果のことを好きなのだと勘違いしたのだ。けれど実際には、穂乃果が思うような裏はまったくなく、真姫は本当に曲作りのためにデートをしただけだった。

「私も、後悔なんてしてないわ。楽しかったし」

「本当? でも真姫ちゃん、穂乃果のこと、別に好きでもなんでもないんでしょ?」

「そ、そんなことはないわよ!」

 慌てて手を振ったが、穂乃果は納得のいかない表情で真姫を見上げている。

 瞬間的に、真姫は理解した。

 勘違いした上でデートをOKした穂乃果が、あの日一日、どういう気持ちでいたのかを。

 それに対して自分は、「それは穂乃果の勘違いだ」と言い渡した。ひょっとしてそれは、ものすごく傷付くことではなかろうか。たとえ相手が、鈍感そうな穂乃果だったとしても。

 急いで取り繕おうとしたが、言葉が何一つ出て来なかったから、真姫は咄嗟に穂乃果の肩をつかんで、驚く穂乃果に口づけをした。

「真姫ちゃん?」

「とにかく、私は何も後悔してないし! すごく楽しかったし! だ、だから……」

 真姫が顔を真っ赤にして、しどろもどろになっていると、穂乃果が安心したように息を吐き、あの日のように大人びた微笑みを浮かべた。

「大丈夫だよ、真姫ちゃん」

「もうっ!」

 どちらからともなく、ぎゅっと抱きしめ合う。

 きっかけはどうでもいい。何が本当かもよくわからない。

 ただ、こうしている時間が幸せで、穂乃果の温もりが愛おしいこと、それだけが答えだ。

 もう一度唇を合わせる。鼻息がくすぐったい。穂乃果が小さく笑った。

 人の気配がして目を開けると、すぐそこに驚いた表情のことりと、絶望的な顔をした海未が立っていた。

 真姫はそっと穂乃果の体を離して、くるりと背を向ける。

「後は任せたから」

「えっ……?」

 秋の空は高く、風は穏やかに吹き抜ける。

 自分の中に芽生えた新しい気持ちが、果たして恋愛感情なのかはわからない。けれど、もうしばらく、この想いに身を委ねたい。

「延長戦、ね」

 一夜の過ちでは終わらせない。

 両腕を一度空に伸ばして、真姫はくすっと笑ってその場を後にした。

 

 ─ 完 ─

 

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