Scene 4   作:水原渉

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Scene 4 -Rin-

 

 この世界はわかりやすい。

 人々は皆、利害と打算で動いている。概ねすべての行動は、それによって得られる利益を考えればわかるし、逆に相手の望みがわかれば、その後の言動も簡単に推測できる。

 愛の無い世界。

 凛はこの世界をそう呼んでいる。

 この世に生を受けた以上、凛にも両親がいるのだが、二人が結婚したのは目的が一致したからであり、凛の教育方針もまた、すべてが二人の利益に繋がっている。

 今のところ、二人の手段は凛の満足のいくものなので、問題なく過ごしているが、凛の欲するものが二人のそれと異なった時、渋谷家がどうなるかはわからない。

 もっとも、家族と欲求を天秤にかけるなら、よほどのものでもない限り、凛は後者を諦めて家族を選ぶだろう。

 関係を維持するには我慢が必要だ。それはどの家族でも同じで、渋谷家に限った話ではない。

 では、家族ではなかったら?

 ある時凛は、この世界をおかしいと思った。そして、その理由は愛がないからだと考えた。

 平和や安定はモラルによって成り立つ。法律が有名無実と化した今、世界の平和を維持するには、人々のモラルに頼るしかない。

 モラルとは、信頼と思いやりのことだ。しかし、信頼はこの世界では望めない。根拠もなく人を信じることは、この世界ではタブーとされているし、凛もそう思う。

 信じた結果、裏切られた時の被害の大きさを考えれば、安易に人を信じるべきではない。相手を信用できるかどうかは、利害を冷静に考えるべきである。

 凛の望む世界──それが正常かはわからないが──は、思いやりによって形成される。相手に譲ること、誰かを助けること、それらに感謝すること。この好循環が、愛に満ちた平和な世界へと繋がっていく。

 凛はそう思っている。もちろん、そんなことは誰にも話したことがないし、どうすればいいのかもわからないけれど。

 

 凛の実家は花屋を営んでいる。正確には、営んでいた。

 こんな世界でも花の需要はあるもので、冠婚葬祭、お見舞い、プレゼント、季節の行事と、色々な客がぽつぽつ訪れては買っていく。

 両親の話では、収益の多くは来店する個人客ではなく、取引のある業界へのスタンド花や、通販型のアレンジフラワーによるものらしい。その辺りのことは、若年の凛にはよくわからないが、儲かっているのならそれでいい。

 花は儀礼的なものだという人もいるが、凛は優しさの象徴だと考えている。

 確かに、「年配の人には会釈をする」と同じように、「こういう場面では花を贈る」のような形式的なところがあることは否定できない。

 ただ、花自身はその目的のために咲いているわけではないし、そういう形をしているわけでもない。

 ヒマワリやダリアのような一輪で力強く咲く花も、ラベンダーやコスモスのように、たくさん集まって大地を絨毯のように彩る花も、みんな綺麗で愛らしい。

 花を見ていると心が和む。形式的な風習も、元をただせばきっと、そんな優しい気持ちから始まったのだと思う。

 この小さな花屋から、世界の何かを変えられないだろうか。

 凛がいつも通り、そんなことを考えながらぼんやりと店番をしていた時のことだった。

 にわかに外がざわめいて、凛は店の外に出た。

 先日舗装されて、ようやく車が通れるようになった家の前の道を北に数十メートル。そこに車種はわからないが、いかつい形の黒い車が数台駐まっており、いかにもガラの悪そうな男たちが何やら揉めていた。

 近所の人たちは、巻き込まれないように家の中で息を潜め、中には電気を消したりカーテンを閉めたりする人もある。

 凛は仁王立ちしたまま、顔をしかめた。

「まずいな……」

 小さく声が漏れる。

 凛の家の向かいに、瓦礫の山がある。先月までそこには、食べ物屋やクリーニング屋、コンビニやゲームセンターといったショップが並んでいたのだが、一瞬にして破壊されてしまった。その時に道路もめちゃくちゃになったのだが、こちらは先日舗装された。

 ようやく平穏が戻ってきたと思ったら、再び抗争である。迷惑だからやめてほしいと思うが、こればかりはどうしようもない。

 パンッと大きな高い音を合図に、銃撃戦が始まった。流れ弾が飛んできて、凛の近くの壁に銃痕を残す。怒号が響き渡る。叫び声を上げて男たちが倒れ、動かなくなる。

 やにわに、鼓膜が破れるのではないかと思うほどの大きな破裂音がして、地面が震動した。すでに瓦礫の山と化していた場所を何かが直撃し、砂塵が雲のように空を覆う。

 衝撃で大きな破片が無数に飛んできた。凛はそのいくつかを受け止めたが、一人ですべては無理だった。背後でガラスの割れる大きな音がして、振り向くと店のウィンドウが粉々になっていた。

 凛は唇を噛んだ。今すぐにでも飛び出してやめさせたいが、自分にはその力はない。凛の持つ能力は、自分にしか及ばない。

 黒い車の男たちの目当てが、道路のこちら側にあることだけがせめてもの救いだったが、今回は前回のようにはいかなかった。黒い車の中から、大砲のような筒が顔を出したのだ。

 両親が留守で、自分が店番をしていたことだけでも幸運だった。店はやり直せるが、生命は戻らない。

 大砲が唸る。攻撃側と、応戦する側と、弾と、瓦礫と、力。

 台風のような強い風に煽られ、赤茶色の土煙が路地という路地を覆う。ゼロの視界に、建物の崩れ落ちる音と人々の叫びだけが聴こえる。

 数メートルはある巨大なコンクリートの塊が凛の頭の上に落ちてきて、粉々に砕け散った。

 何も見えない。

「ちくしょう!」

 凛は思わず叫んだ。何もできない。この滅茶苦茶な世界に対して、自分はあまりにも無力だ。

 やがて、音が止み、凛は目をこらした。

 足元にポインセチア。そして、かつて凛の実家だった瓦礫の山がそこにはあった。

 凛はがくりと膝を折り、小さな鉢植えを抱きしめて、少しだけ泣いた。

 

 この世界はおかしい。

 凛はずっとそう思っているが、それは世間の共通の認識ではない。むしろ、そんなふうに考えているのはごく一部である。

 自分たちにはどうすることもできない、受け入れなければならない現実は、正常なものと認識した方が楽だ。その上でどう生きていくかを考える方がより建設的である。

 彼らの言い分もわかる。自分の力では変えられないものに対して、おかしいと連呼していてもしょうがない。凛とて、地球を反対向きに回そうと思っているわけではない。

 きっと変えられる。でも、どうしたらいいのかわからない。

 凛は途方に暮れていた。

 親戚の家で正月を過ごし、店は再建に向けて少しずつ作業が進んでいる。お金は色々な補償があるらしく、心配しなくていいらしい。凛としては私物の大半を失い、やるせない気持ちでいっぱいだったが、両親が前向きに頑張っている手前、我が儘はすべて飲み込んだ。

 黄土色の川が流れている。Mの字に折れ曲がった橋の向こうに、澄んだ青空が広がっている。橋げたの下に浮浪者のものと思われる「家」があった。それを横目に遊歩道をぶらぶらと歩く。

 堤防の上を車が走っていく。少し先に大きくブロックの崩れた場所があり、その破片が歩道にまで散らばっていた。

 近付くと焼け焦げた跡がある。その傍らに、小さな黄色の花が咲いていた。福寿草だ。

「もう春か……」

 凛は花の前にしゃがんで、指先でそっと花びらに触れた。自然と笑みが零れる。

 こんな世界でも花は綺麗に咲いている。励まされた気がした。

 なんとなくスマホで写真を撮った時、凛は閃いた。一度顔を上げて、崩れたブロックを見る。もう一枚、今度はそのブロックが入るように写真を撮った。

 平和を脅かす戦いの痕跡と、平和の象徴との対比。これは一つのメッセージにならないだろうか。

 その日から凛は、街中の廃墟を巡って、花の写真を撮り始めた。いつか写真展を開き、自分の思いを人々に伝えたい。

 それは子供じみた小さな考えかもしれない。それでも、何かをせずにはいられなかった。

 暖かくなり、桜の開花宣言がされた頃、凛は一人の女の子と出会った。背は凛より低いが一つ年上で、近くに住んでいるらしい。島村卯月という名のその女の子は、キラキラした笑顔でアイドルになりたいと語った。

「アイドル?」

 凛が怪訝な顔で聞き返すと、卯月は大きく頷いて、恥ずかしそうに目を伏せた。

「アイドルって、みんなに元気をあげられると思うんです。こういう世界だから、私の笑顔でみんなも笑顔になれたら、それは幸せだなって」

 卯月は人が人を信じられる世界にしたいと言った。

 凛は頭のおめでたい子だと思った。けれどきっと、卯月の「笑顔で人を信頼できる世界にする」という夢は、凛の持つ「花で愛の溢れる平和な世界にする」という夢と同じなのだ。

 凛は初めて、他人に夢を語った。卯月はバカにすることなく、小さく手を打って明るい声で笑った。

「それはすごくいいことだと思います! 私、応援します!」

 凛は恥ずかしくなって俯いた。いつもならその言葉を、無責任な一言と感じただろう。利害の発生しない応援は、自分に何も影響がないから出来るのだ。凛はそういうのが嫌いだった。

 しかし、この女の子はただ純粋に、凛の夢が叶うことを願っている。人々が過去に忘れた信頼という名の眼差し。

 あるいは本当に、ただバカで天然で能天気なだけなのかもしれない。それでも凛は嬉しかった。

「卯月も頑張って」

「はい。もしアイドルになれたら、きっとライブを見に来て下さいね!」

 卯月は嬉しそうに笑った。きっと卯月も自分と同じように、大きな夢を誰にも話せず、誰にも理解してもらえず、一人で悶々と過ごしていたのだろう。

 スマホを取り出して、連絡先を交換した。

 元気に走って、一度振り返って大きく手を振る、キラキラした女の子。方向性が同じなら、一緒に何かすることで相乗効果を生み出せないだろうか。

 そう考えた瞬間、やはり利害しか考えていない自分にため息が出た。

 幼少教育とは恐ろしい。きっとあの女の子のように、真っ直ぐ人を信じることは難しいだろう。

 自分には自分にできることをする。

 凛は足もとに咲くスイセンの写真を撮って、小さく微笑んだ。

 

 桜もすっかり散り果て、新緑が眩しく輝き始めた。

 店はいよいよ再建が完了し、今週末にオープンする。向かいの店やアパートもすっかり元通りになり、駅から延びる通りにも活気が戻ってきた。

 もちろん、抗争に巻き込まれて亡くなった人たちは帰ってこない。生命だけは大切にしなくてはと思う。

 凛の写真も枚数が集まり、冬から春にかけての花しかないが、そろそろ展示が可能な数になっていた。

 今日はバリケードの向こうへ行ってみよう。凛は気を引き締めて家を出た。

 バリケードとは、区の境にあるフェンスや柵のことである。向こう側にはかつて、凛の姓と同じ渋谷の中心街が存在したが、数年前にとある勢力の無差別攻撃によって崩壊し、今では廃墟になっている。

 入ったところで不法侵入になるわけでもなければ、地雷が埋まっているわけでもない。何者かがアジトにしているわけでもないし、危険といえば建物の崩落くらいだったが、区が生活圏と明確に区別するためにバリケードを設置した。

 実際、中には普通に人がいるし、バリケードの破壊された場所から車で通行する人たちもいる。ここを通り抜けた方が便利な地域もたくさんあるのだ。

 凛も同じように中に入って、花を探し始めた。

 かつてはアスファルトとコンクリートに覆われ、花壇に植えられた花しか咲いていないような街だった。それがボロボロになり、剥き出しになった土から花が咲くというのは、皮肉な話だと思う。そして、それこそが凛が訴えたいメッセージだった。

 今でも車の走る大通りの歩道を歩く。有志による整備の跡も見受けられ、歩きやすい。

 ノースポール、ネモフィラ、ヤグルマソウ。

 探せば出てくる花々を撮りながら、なるべく荒廃したビルの隙間へ歩を進める。危険が崩落しかないのであれば何も問題はない。

 人気のない場所をうろうろしながら、夢中で撮っていると、いつの間にか日は西の空にあった。

 最後に何か珍しい花は咲いていないか、わくわくしながら暗い路地を歩いていた時──。

 トンと背中に棒のようなものを当てられ、次に頭上から低い男の声がした。

「止まれ」

 凛は大人しく従い、目だけで周囲を見回した。

 幅は2メートルもない狭い路地。両側のビルはまだ原形を留めているが、足元には剥がれた壁が、歩きにくい程度に散乱している。

 西側は壁で日は差し込まない。大通りまでは距離がある。もっとも、大通りまで逃げおおせたところで、助けてくれる人などいるはずもないが。

「何ですか?」

 動揺を押し隠すような声で尋ねる。少しだけ肩を震わせてみたが、果たして怯えているように見えただろうか。

「写真を撮っているのを見た。何を撮っていた?」

「花です。カメラを見てもらえればわかります」

「随分落ち着いているな」

 ドンと背中を強く押され、凛は前のめりに倒れ込んだ。ちょうど尖った石に手をついて、痛みに涙が滲む。尻もちをついたまま見上げると、サングラスをかけた短い髪の男が、拳銃を持って見下ろしていた。

 凛はしかめっ面で傷口を舐めた。そんな凛の細い足首を、男が容赦なく踏みつける。

「うぐああぁぁっ!」

 凛は体を仰け反らせて絶叫した。男が銃のハンマーを引き起こしながら、再び問いかける。

「お前はどっちの人間だ? γか?」

「ガ、ガンマ? 本当にわからない」

 凛が荒い息遣いで答えると、男が思い切り凛の腹を踏みつけた。

 凛は苦痛に顔を歪め、お腹を押さえて悶えた。

「本当に知らない……。助けて……」

「お前を助けて俺が得をすることは何もない。何も知らないのであれば、逆に生かしておく意味はない」

 それが最後の言葉だった。

 一切の躊躇もなく、男が引き金を引く。音が小さかったのは、何か力を使ったのだろうか。それはもうわからないし、凛にはどうでもいいことだった。

 頭から大量の血を噴きながら倒れる男の手から拳銃を引き剥がすと、服をまさぐって弾薬を頂戴した。それらをカバンに入れて立ち上がる。

 もう一度ずきずき痛む手を舐めた。凛が負った傷はこれだけである。自分に向かってくる力はすべて無効化できるし、今のように反射させることもできる。

 ただ、凛には自分から攻撃する力はない。だから、能力のことを知られるわけにはいかず、背中を押されるのには抵抗しなかった。手を怪我するくらいは仕方ない。バリケードを越えた罰だろう。

 慎重に路地を抜け出す。どうやら仲間はいないようだった。

 もっとも、相手も凛が直前まで気付かなかった手練れだし、話しぶりからしてなんらかの組織の人間だろう。油断はできない。武器は手に入れたが、本気で殺し合ったら、勝てる自信はない。

 まずはこのまま気付かれないことを祈り、もし知られてしまうのなら、いっそ相手が優秀であることを願った。調べれば、凛が一介の花屋の娘でしかないことはすぐにわかるはずだ。

 凛は荒廃した渋谷の地を後にして、夕陽に向かって歩き出した。

 幸いにもその日もその後も、凛や家族に危害が及ぶことはなかった。

 

 それから数日が過ぎた。

 凛の写真展は両親の協力もあり、店のオープンに併せて無事に開催することができた。

 しかし、来てくれたのはクラスメイトや店の常連といった顔見知りだけで、写真は誉めてもらえたが、メッセージが伝わった手応えはなかった。

 この方法ではダメだ。こんな地道な活動では、近所の一人の常識すら変えられない。

 凛はため息混じりに壁にもたれて、ポケットからスマホを取り出した。

 少し前に届いた最新のメッセージ。

 春先に知り合った女の子が、綺麗な衣装を着てにっこり笑う写真とともに、「ライブをするから良かったら来てください」と書かれている。

「アイドルか……」

 凛は呟いた。

 この世界はおかしい。簡単に人が死んだり、住まいが破壊されるのは、正常なことではない。

 異常は正さなければならない。それは、政治が機能しなくなった今、力ある人間の使命ではないだろうか。

 愛に満ちた優しい世界。

 そんな理想の世界を目指して、凛は歩き続けていく。

 

 ─ 完 ─

 

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