懐かしい音がした。
未央は思わず足を止めて、音のする空を見上げた。
古びたアパートの隙間から見える狭い夜空に、白い月が浮かんでいる。
そこからだいぶ離れた場所から、楽器の演奏と一緒に、女の子の歌声が聴こえてくる。屋外ライブといえば聞こえがいいが、広場のステージかそういった場所だろう。
耳を澄ますと、お客さんの声援。目を閉じると、脳裏にペンライトを振る若者たちの姿が浮かんだ。
小さなハコいっぱいに、オレンジ色の光が海のように波打ちながら、ステージの上の女の子を照らし出す。
そこで可愛い衣装を身にまとい、元気に飛んだり跳ねたりする自分。
未央は目を開けて薄く笑った。
一度視線を落とすと、綺麗なステージ衣装とは対照的な、ぴっちりとした黒装束。3つしている指輪は装飾品ではなく、打撃力を高めるためのものであり、小さな刃物が出る構造になっている。
服の下には特殊な繊維で作られた防弾チョッキをつけている。弾丸を完全に防げるほどのものではないが、あくまで護身用であり、貫通さえしなければ問題ない。
未央は黒のマスクを鼻まで上げて、視線を戻した。
明かりのついた小屋があり、中から人の話し声がする。内容まではわからない。そもそもその話し声も、未央だから聞き取れる程度の大きさである。
裏口のドアから聞き耳を立てる。3人の声が確認できたが、他にも人がいるかはわからない。事前の情報では5人ほどだと聞いているが、正確な数は不明である。
平屋建てのコンクリート造り。カメラやセンサーの類は、裏にはついていない。
明かりの漏れる窓は、すぐに塀があって、遠くから中の様子を確認することはできない。逆に言えば、中からも塀しか見えないので、随分つまらない景色だが、居住用の建物ではないので構わないのだろう。
未央は窓から侵入するのはやめ、裏口から忍び込むことにした。慣れた手つきで鍵を開けて、足音を立てずに中に入る。
暗い廊下。部屋の中からの声は内容までわかる大きさになったが、ただの世間話だった。
未央は他に人の気配がないことを確認すると、部屋の前まで足を運んだ。いきなりドアを開けられたら面倒だと思ったが、幸いにもその事態は避けられた。
ポケットからナイフを取り出すと、静かにドアを開けた。
「なんだ!?」
男たちが振り向くのとほとんど同時に、未央は部屋の電気を消した。それまで明かりに慣れていた男たちには、完全な暗闇になったことだろう。
暗がりに男が4人。未央は入口に近い男に忍び寄ると、背中から心臓にナイフを突き立てた。
ズブリと肉を裂く感触。昔はこの感触だけで嘔吐していたが、今では血を浴びようが飛び散る内臓を見ようが、何とも思わない。
「電気をつけろ!」
男の怒鳴り声。駆けてきた男の腹にナイフを突き立てると、すぐに奥の二人との距離を詰め、あっという間に4人の息の根を止めた。
しんと静まり返る室内。自分の小さな呼吸の他に音が聴こえないのを確認してから、未央は電気をつけた。
凄惨な光景だった。白目を剥いて倒れる男たち。床も壁も赤黒い血で染まり、未央の手も真っ赤に染まっている。
未央は大きく一つため息をつくと、部屋の中を漁り始めた。目的のものはすぐに見つかった。小さな黒い箱に入ったそれをポケットに仕舞うと、他に金目のものと武器の類を詰め込んで小屋を出た。
外は先ほどまでと何も変わらず、いくつかの生活音に混ざって、ライブ演奏が聴こえてくる。
未央は音のする方へ歩き、少し離れたアパートの屋根に上った。
ライトアップされた多目的広場のステージで、二人の女の子が歌っている。ピンクの衣装をつけた明るい笑顔の女の子と、青い衣装をつけた背の高い女の子。ポップでありがちなアイドル曲に合わせて、観客が二色のライトを振っている。
「私もね、ずっとそこにいたかったんだよ……」
小さな吐露が風に溶ける。
未央はキラキラ輝く二人の姿をしばらく眺めてから、やがて音もなくその場を後にした。
未央は正義の側にいる。
正義とは、この世界に秩序を取り戻そうとすることである。
未央が物心ついた時、すでにこの世界はおかしくなっていた。親の話では、昔はいくつかの政党があり、政治が機能していたらしい。
ところが、いつの間にか野党は無能になり、政治家は私利私欲と保身のことで頭がいっぱいになった。国民の我慢は限界に達し、いくつもの組織や団体が反社会的な活動を始め、警察が倒れ、法律が死に、政治は形骸化した。
腕力と金を持つ者が権力者となり、そこかしこで抗争が起こるようになった。もちろん、一般市民は普通に勤め、学生は学校に通っている。文化も生きているし、表面上は平穏が保たれているが、銃声を聞かない日はなく、大規模な爆撃により家や生命を失う者が後を絶たない。
未央はそんな世界を正そうとしている。もちろん、昔からそんな正義感を振りかざしていたわけではなく、そうせざるを得ない状況に立たされた上での決断だったが、後悔はしていない。生まれ持った能力で、世界の役に立てるのなら、有り難い天命だとさえ感じている。
未央は個人的にも、秩序を乱す組織を憎んでいる。そういった組織を一つずつ潰していけば、やがて世界から争いがなくなるだろう。大半の市民は、大きな力の前に無力である。分散している力を集め、正しい人がそれを用いることで、この世界は秩序を取り戻す。
未央はそう信じて戦い続けている。具体的にその「正しい人」がいるわけではないけれども。
自宅とは別の場所。窓のない部屋の中で、未央は2枚の写真を前にして腕を組んでいた。写真にはそれぞれ一人ずつ、見覚えのある女の子が写っている。
一人は島村卯月。未央より1学年上で、キラキラした笑顔をしている。もう一人は渋谷凛。未央と同い年だが、物静かな雰囲気で大人びて見える。先日広場でライブをしていたアイドルの二人だ。
今度この二人がそこそこ大きなライブハウスでライブをするのだが、それを邪魔しようという者たちがいるらしい。
未央はそいつらのことをよく知っている。人々を熱狂的にさせるアイドル活動を一つの権力と捉え、危険視し、それを潰そうとしている組織。
実際、調べたところによると、卯月と凛は単に綺麗な衣装を着て歌うのが好きなだけのアイドルではなく、MCなどでこの世界に対する持論を展開しているらしい。
もちろん、一介の女の子が大きな声で平和を叫んだところで、世界は何も変わらないだろう。ただ、彼女たちが自分と同じような能力を持った人間だとしたらどうか。そういう力ある者が絶大な信を集め、集団を形成したら、それは一つの勢力となる。連中はそれを危惧しているのだ。
情報によれば、島村卯月は確実に特別な人間であることが確認されている。渋谷凛は不明だが、そんな卯月と一緒にいるのだから、同類と考えるのが妥当だろう。
彼女たちの主張を未央は知らない。それが秩序を乱そうとするものであれば、将来的には敵対する可能性はあるが、今は二人と敵対する組織──未央はIDと呼んでいる──の目論見を阻止する方が先だ。
頼まれたことではあるが、そうでなくても未央にはそうする理由がある。見ず知らずのアイドルグループだが、彼女たちに、自分と同じ思いはさせたくない。
未央は写真に視線を落とし、きゅっと唇を引き結んだ。
ライブ当日は快晴だった。日は長く、夕方でもまだ明るい。とても大きな事件が起きそうな日ではないが、未央は連中にとってそんなことは関係ないことを知っている。
開場時間はまだ先で、会場付近には二人のファンがたむろしている。一部列になっているが、会場の大きさに比べて多くはなく、混乱するほどではない。彼女たちはまだ、このハコをいっぱいにできるほどの人気はないようだ。
入口の隣では物販が行われており、タオルとTシャツ、ペンライトが売られていた。未央はスタッフの隙をついて搬入口から侵入した。
情報では、当日の今日、IDが会場で何かをするらしい。詳細はわからないが、過去の彼らの活動を見ると、観客に対する爆弾テロのようなものだろう。
問題は、いつ、何人で、どこに仕掛けてくるかである。一番効果的なのは客席だが、開場前でも人が引っ切りなしに出入りしている客席に爆弾を仕掛けるのは、いかに組織の人間でも難しいだろう。
もちろん、特殊な能力を持った人間が自爆テロまがいのことをすれば容易なので、可能性は排除しないが、いずれにせよそういう人間が相手であれば、未央一人ではどうにもできない可能性が高く、ひとまず脇に置いておく。
舞台裏やスタッフルーム、控室と言った場所であれば、今の自分のように潜入して仕掛けるのは容易い。しかし、恐らく彼らの狙いはアイドル本人ではない。卯月が能力の持ち主であることを考えると、やはり狙いは観客と考えた方がいい。多数の死者を出せば、アイドル活動も休止に追いやられる。
入場開始直後の入口を、外から爆撃するという可能性もある。あるいは、忍び込みやすいトイレに、威力の強い爆弾を設置するかもしれない。
未央がそう考え、念のため女子トイレの中を調べている時だった。
外から微かな足音が近付いてきて、未央は個室の中に入った。ドアは敢えて閉めず、息を殺して耳を澄ませる。
足音の主は女子トイレの中に入ってくると、そこで足を止めた。
「話をしよう」
女の子の声。観念して個室から出ると、そこにはまるで感情のこもらない目で、渋谷凛が立っていた。
未央は今日は黒ずくめではなく、普通の女の子の格好をしている。パッと見た時印象に残らないような変装だ。
「えっと、何?」
未央は何も知らないそぶりを装って、ぎこちなく笑って首を傾げた。そんな未央を真っ直ぐ見据えたまま、凛は後ろ手にトイレのドアを閉めると、バッグから拳銃を取り出した。
また物騒なものが出てきたと、未央は一度唇を舐めて上目づかいに凛を見た。
「冗談はやめて」
「それはこっちの台詞。ここで何をしていたの?」
肘を伸ばし、両手でしっかりと構えだ銃の先端は、真っ直ぐ未央の腹部を狙っている。構えでわかる。渋谷凛は銃の扱いに長けている上、今までに何人も殺してきている。能力の有無はわからないが、一般市民ではないのは確実だ。
逆に言えば、IDの話をすれば事件を未然に防ぐ手伝いをしてもらえるのではないだろうか。未央はそう閃いて、その提案を口にした。
「今日ここを襲撃しようとしているやつらがいるんだ」
「知ってる」
未央が言い終えるより先に、凛が答えた。未央は一瞬ぽかんと口を開け、それから先ほどより熱を込めて言った。
「だったら、手伝って。一緒に戦おう!」
瞳を輝かせてそう言ったが、凛は冷酷な目で未央を見つめるだけで、何も答えなかった。
未央はようやく気が付いた。
「ま、待って! もしかして、私を疑ってるの!?」
「今日、手練れの女の子が私たちのライブで事件を起こそうとしている。半信半疑だったけど、本当だったみたいだね」
「違う! 騙されてる! その情報を凛に教えたのが、今回の黒幕だよ!」
必死に訴えたが、凛は眉一つ動かさなかった。
未央はたじろいだ。IDが未央を陥れようとしているのは確実だったが、自分の行動が筒抜けになっていたのはどうしてだろう。仲間が裏切ったのか、IDの情報網が未央の想像の上を行ったのか。
それはわからないが、今はまず、目の前のアイドルの子の誤解を解くのが先だ。
「私には、二人のライブを邪魔する理由がない。止めに来たの。信じて」
「信じる根拠がない。未央が私たちを助ける理由より、邪魔をする理由の方がしっくり来る」
「えっ……?」
さらっと、凛は未央を名前で呼んだ。無表情のまま凛が言った。
「本田未央。私たちの邪魔をするのは嫉妬なの? 恨む相手が違うんじゃない?」
ああ……。
未央は小さく頭を振った。
未央は元々凛や卯月と同じアイドルだった。今の彼女たちよりずっと人気があり、今いるライブハウスもいっぱいにしたことがあった。
活動は順調だったし、未央には彼女たちのような政治的な意図もなかった。
それにも関わらず、未央はIDの目に留まり、ライブ中に襲撃を受けて多数の死傷者を出す事件が起きた。恐らく未央が能力の持ち主だったからだろう。
結局それっきり、未央はアイドル活動をやめ、こうしてIDや他の過激勢力と戦う道を選んだ。
今目の前にいる渋谷凛は、未央のそんな過去を知った上でここにいる。先ほど嫉妬という言葉を使ったから、アイドルの道を断たれた未央が、同じアイドルを潰そうとしていると吹き込まれたのだろう。
「狙っているのが私じゃなくて、ID──私のライブを叩き壊した組織だって、そうは考えないの? だから私がそれを止めようとしてここにいる。そう考えるのが自然じゃない?」
未央はもう一度訴えたが、やはり凛は顔色一つ変えなかった。
「それでもし今日何も起きなかったら、未央はどうやって言い訳するの?」
「そ、それは……。私がはめられたってことで……」
「軽いね」
「でも、本当なの! 信じて!」
「この世界で人を信じろって?」
凛の声音に嘲笑が混ざる。
──人を信じてはいけない。
幼い頃から誰もがずっと聞かされてきた言葉。未央自身もそう思っているのに、そんなことを口走るとは。自分がどれほど追いつめられていたのかを知って、内心で苦笑した。
今、渋谷凛を納得させられるだけのものを、未央は提示できない。情報網の開示も出来ない。すなわち、戦うしかない。
未央はキッと凛を睨み付けた。一瞬の後、素早く踏み込む。
凛が引き金を引くが、未央は人間離れした動きでそれをかわすと、一気に凛の懐に潜り込んだ。
どこをどうすれば人間が動けなくなるかはわかっている。凛に痛い思いをさせるのは忍びないが、今は仕方がない。引き金を引いた以上、殺される覚悟もあるのだろう。
右腕を引く。そしてそれを繰り出そうとした瞬間、未央は背筋に冷たいものを感じて大きく飛び退いた。
元の位置に戻り、大きく肩で息をする。凛は先ほどまでと同じ格好で、銃を構えて立っていた。
未央は一度汗を拭った。何かわからないが、もしあのまま拳を出していたら、自分がやられていた。渋谷凛が無防備なのは、銃のせいではない。そうできる能力があるのだ。
未央がそれに気が付いたことを、凛も察したのだろう。初めて口元を歪めて小さく笑った。
「未央は、身体能力を高める力があるんだね。でも、それでは私には勝てない。未央は私よりずっと強いけど、私には勝てない。能力の相性の問題だよ」
勝者の余裕だろうか。自分から手の内を見せたということは、やはりここで未央を殺すつもりなのか。
「勝てないとしたら、私をどうする気なの? まさか捕まえて警察に突き出す気? そんなの、意味がないこと、わかってるよね?」
「そうだね。じゃあ、殺そうか」
凛が薄く笑って、銃口を未央の頭に向けた。
もしそれを撃たれても、未央はかわすことができる。五感を含むあらゆる身体能力を、極限まで高めることができる能力。
それを使えば、どんな相手でも倒せるし、どんな相手からも逃げられる。
ただ、この出口が一箇所しかない場所で、自分の攻撃が効かない相手だったらどうか。どんな能力も万能ではない。未央とて無敵ではなく、銃弾をまともに受けたら生命は無い。
弾が無くなるまで避け続けて、後は肉弾戦に持ち込むしかない。未央は凛のわずかな動きも見逃さないように身構えた。
しかし、凛はまるで動こうとしなかった。外から開場のアナウンスが聴こえてくる。ひょっとしたら、女性ファンがこのトイレに来るかもしれない。
凛が何を考えているのか、まったくわからない。未央が言い知れぬプレッシャーに胸の痛みを覚えたその時だった。
外で大きな爆発音がした。建物が土台から揺れ、凛が思わずよろめいて壁に手をつく。
未央は青ざめて立ち尽くした。IDの目的は未央を陥れることではなく、渋谷凛の足止めだったのだ。やはり狙いは観客だった。
「どいて!」
未央は凛を押し退けて外に飛び出した。凛はすんなりと未央を通して、無言で未央の後を追ってくる。ようやく未央が犯人ではないとわかったのだろうか。だが、今さら遅い。外はもう……。
スタッフが右往左往する脇から、外に飛び出した。砂埃が舞い、たくさんのファンが呆然と立ち尽くしている。
そして、彼らの視線の先に──島村卯月が笑顔で立っていた。
つまりこういうことだった。
凛の言った通り、二人は今日、本田未央が忍び込んでライブの邪魔をするという情報を入手していた。
未央が言うまでもなく、二人は情報を鵜呑みにはせず、未央がIDと呼ぶ組織が黒幕だろうと考えていた。
「私は最初から、未央ちゃんと協力しようって言ったんですけど、凛ちゃんが……」
冷たいお茶をこくりと飲んで、卯月が笑う。
未央が凛を見ると、凛はぽりぽりと頭を掻いて顔を背けた。
「卯月は人を信じすぎるんだ。悪いけど、私はよく知らない未央を信じるわけにはいかなかった。でも、同じ立場なら、未央だってそうするだろ?」
そう言われて、未央は小さく頷いた。よほど利害が一致する相手でもない限り、むやみに人を信じるべきではない。
「だから、騙された振りをして、敵をあぶり出そうって話になったの」
「私、撃たれたんだけど」
未央が不服を申し立てる。演技というには命懸けだった。もし避けられなかったら、未央はあの場で撃ち殺されていたかもしれない。
凛は開き直ったように言った。
「絶対に避けるって信じてた」
「嘘だ! あの時まだ、私の能力を知らなかったでしょ?」
「冗談冗談。怪我なら卯月が治せるから、まあいいかって。向かってきたら攻撃しようって決めてたんだ」
物騒なことを言いながら、凛が笑顔を見せる。笑うところを初めて見たが、普段とギャップがあって思わず未央はドキッとした。
「凛はどういう能力を持ってるの? あそこで私が殴ってたら、私はどうなってたの?」
未央が聞くと、凛はそれをしれっとかわした。
「秘密」
「そんな!」
「凛ちゃん、私にも教えてくれないんですよ。全然信じてくれないんです。私は悲しいよ」
横から卯月が口を挟んで、大袈裟に泣き真似をする。本当か嘘かはわからない。ただ、本当に教えていないとしても、ある程度何ができて、何ができないかはわかっているのだろう。そうでなければ、卯月が「本当に敵かもしれない本田未央」の前に、凛を一人で放り出すはずがない。
それとも、卯月は会ったこともない未央のことを、そこまで信頼したのだろうか。だとしたら、それはそれでこの世界では問題だ。安易に人を信じてはいけない。
敢えてそう進言すると、卯月はやはり明るく笑った。
「ちゃんと信じる相手は選んでます。未央ちゃんは信じれるって、私わかってたから」
「どうして?」
首を傾げると、卯月はほんの少しだけ愁いを帯びた目で、真っ直ぐ未央の目を覗き込んだ。
「私、未央ちゃんのライブに行ったことがあるんです。元々好きだったし、私は未央ちゃんみたいな、元気で笑顔の素敵なアイドルになりたいって思ってました」
「えっ!?」
思わず驚きの声が漏れる。
卯月は大きく頷いてからため息をついた。
「だから、あんなことになっちゃって、本当に悲しかった。でも──」
顔を上げて、卯月が太陽のような笑顔を見せた。
「またやりませんか? 私たちと一緒に、アイドル」
その言葉が未央の胸に浸透するのに、少し時間がかかった。呆けたように隣を見ると、凛も反対する様子はなく、優しい眼差しで未央を見つめていた。
「私がアイドルを……もう一度?」
考えたこともない提案だった。
ファンあってのアイドル。そのファンを事件に巻き込んでしまったことで、未央はもうアイドルになるつもりはなかった。
ただもし、今日の卯月のように、ファンを守ることができるのなら。危険があっても応援してもらえるのなら、未央はまたあの舞台に立ちたい。血に染まった黒装束ではなく、綺麗な衣装を着て、ナイフではなくマイクを持って歌いたい。
「私たちが、IDだっけ? その組織に狙われてることはわかりました。だから、私たちも仲間がほしい。未央ちゃんが、騙した私や、銃を向けた凛ちゃんを許してくれるなら、是非一緒にアイドルをやりましょう!」
身を乗り出して、卯月が未央の手を握る。
「あっ……」
その手の温かさに、未央は思わずたじろいだ。忘れていた人の温もり。
昔はファンとたくさん握手をした手だったのに、いつの間にか人を殺すだけの道具になっていた。
未央は申し訳なくなって、すっと手を引いて視線を落とした。
「ダメだよ。私もう、戻れない。たくさん人を殺したから」
「私も今日、二人殺しました」
あっけらかんと卯月が言う。思わず顔を上げると、卯月はどこか寂しそうに、それでもやっぱり明るく笑っていた。
隣で凛も大きく頷く。二人とも、ただちやほやされるだけのアイドルではなく、覚悟を決めた人間の顔をしていた。
「夢を叶えるには……大切な人やファンの人たちを守るには、犠牲も必要なんです。だから、未央ちゃんにもその覚悟があるのなら、一緒にアイドルをやりませんか?」
もう二度と、日の当たる場所には戻れないと思っていた。
戻れば非難されるかもしれない。また犠牲を出すかもしれない。
それでも、仲間がいたら乗り越えられる。守ることができる。そして、もう一度キラキラ輝くことができる。
いつの間にか未央は泣いていた。その涙を拭いもせず、卯月の手を両手で包んで何度も頷く。
「やる。私、もう一度アイドルをやりたい!」
「うん。一緒に頑張ろっ」
「よろしくね、未央」
凛がそっと手を重ねて、三人で強く握り合った。
人の信じ合える世界を。
平和で争いのない世界を。
秩序のある正しい世界を。
三人がそれぞれの希望を抱いて、ここから始まる新しいジェネレーション。
─ 完 ─