夜の帳が降り、多くの人々が眠りにつく住宅街。
その中で、唯一つ、眩いばかりに光を照らす箱。有名チェーンの、どこにでもあるようなコンビニエンスストアがある。
ろくに整備をされていない看板灯は所々消え、それでも街灯の少ない闇の中では目立っている。
自動ドアの近くに自転車が一台止まっている他には、車も何も無い。
「いらっしゃいませー……」
そこまで元気には見えない店員が、客の来店を迎えた。
彼はそれなりに昔からこの店の夜番として働いていて、近所の人々には顔が知られている。
その名札から、“四ッ谷”という名字だけはわかる。
入店してきたのは、黒い服で全身を覆った、長身の男だ。この辺りでは見ない格好だが、閑静な住宅街である場所では誰が住んでいるかなど把握していない。良くあることだ。
黒い鞄を手に下げた姿からは、会社帰りだということがよく分かる。
男は迷わずに弁当のコーナーに向かい、冷蔵設備のついた棚の前で、弁当を吟味するように立ち止まった。
その時、弁当コーナーとは対角にある雑誌コーナーから、煩い笑い声が聞こえてくる。そこにいるのは、高校生くらいの男が二人。どちらも学校であれば生徒指導の教師に引き摺られて行かれそうな制服の着方で、髪の毛は不自然に飛び跳ねている。
鞄を足元に散らかし、雑誌を雑に読んでは何が可笑しいのかゲラゲラと二人して笑う。そんな事をここ数分間続けている。だが、店内には店員と男しかいないので、そこまでの迷惑にはなっていない。
店員は相変わらず気だるそうにレジに立っている。男は棚からヘルシー志向の弁当を手に持ち、レジへと向かった。
「450円になります……」
態度とは裏腹に意外と手早くレジ打ちを済ませると、店員は温めの質問を無視して男に弁当を手渡した。男も元よりその気は無いようで、無言で商品を受けとると、自動ドアをくぐり、闇に消えた。
店内は数分前と同じ、店員と学生だけになる。
レジ打ちを終えた店員――四ッ谷は、壁に貼り付いているシフト表を見て、ため息をついた。
現在の時刻は、午前零時を回った所だ。あと三時間は働かなくてはならない。
とはいえ、この辺りの住宅街に住んでいるのは、その大多数が家族連れだ。深夜にコンビニに来る客は少ない。雑誌コーナーに居座る学生位のものだ。
欠伸を噛み殺しながら、四ッ谷は少なくなったコールドドリンクコーナーの商品を前出しする。売れ残っているのは、“イチゴミルフィーユ味”だとか“焼き芋味”だとかという、誰が買うのか分からないものばかりだ。
そりゃ売れ残りもする、と四ッ谷は小さく呟く。
と、その時。学生の一人が声を上げた。思わず振り返ると、学生二人は何とかして18禁コーナーの雑誌を読もうと奮闘している。
「本を乱暴に扱わないで下さぁい……」
特に興味の無い四ッ谷は、どこかずれた注意をすると、レジに戻った。
暫くして、諦めた学生は帰っていった。雑誌コーナーは凄惨たる有り様だったが、幸いにも売れなくなるほど傷ついたものは無いようだ。
四ッ谷はちらりと時計を見た。もう少しで午前一時だ。交代まではまだ遠い。それならば仕方がない、と雑誌コーナーの復元を始めた。
数分で、今までと大体同じに見える程度には元に戻った雑誌コーナーを見て、四ッ谷は軽くため息をついた。
と、安心して目線を下げた先に、見逃していた雑誌が床に落ちていた。背を向けたそれは、“月刊 ゲームライト”と銘打たれている。
どうやらコンピュータゲームの雑誌らしい。普段コンピュータを使わない四ッ谷からしてみれば、何が
背を屈めて拾う。どうやらそれなりに長い間特定のページを下にして置かれていたらしく、開き癖がついてしまっている。
なんとなしに、そのページを開いてみる。
“東方風神録――弾幕シューティングの最新作”
見たことの無い題名だった。
ゲームというものに興味がない四ッ谷は、無言で雑誌を閉じ、少しきつめに詰めた棚に押し込んだ。
不意に自動ドアの開放音を聞いた四ッ谷は、目線をドアに移した。
入ってきたのは、女性だ。金の髪をしている。
その女は入るなり、視線を回して辺りを見渡す。何かを探しているような、そんな態度だ。
四ッ谷は特に何を言うでもなく、レジに向かって歩き出した。この時、挨拶を忘れていることに彼は気付いてはいない。
カウンターの中に入ろうとした四ッ谷が、自動ドアの少し前で立ち止まっている女性とすれ違う。
女性の顔を、初めて見た。綺麗な顔をしている、と四ッ谷は考えた。おかしな喩えだが、“まるで人では無いようだ”と。
そして、その女性も四ッ谷を見て、聞こえるか聞こえないかという小さな声で、呟いた。
「――見つけた」
レジの前に四ッ谷が立ったとき、コンビニの中に一人でいることに気がついた。
誰かいたような気もしたが、四ッ谷は考えるのを止めた。彼は怪談話が嫌いなのだ。
翌日の昼。彼――四ッ谷は、駅前のファミリーレストランにいた。祝日の昼間とあってか、店内は大混雑していた。
「二名様ご来店でーす……」
「ご注文をお伺いしまぁす……」
相変わらずやる気の無さそうに、かといって業務態度が怠慢な訳でもなく。表面の雰囲気は嫌そうに、体はやる気に満ち溢れているように。
そうして動き、実際は誰よりも働いている。それが彼、四ッ谷だ。
今日も一番忙しい時間帯に動き回り、客を捌いていく。
「ありがとうございまぁす……」
「あちらのテーブルでお願いしまぁす……」
真昼の大混雑から少し。ちょうど客が少なくなってきた昼下がり。
四ッ谷は時計を見る。午後二時過ぎだ。交代まであと一時間。
ぼうっと立っていた時、また扉が開き、客が入ってくる。
「いらっしゃいませー……」
それなりに背の高い、金髪の女性だ。
四ッ谷は彼女を一目見て、外国人と言うより、人間なのか聞きたくなった。
綺麗だったのだ。人間離れした美貌とはこういうものだ、と語っているような。
不思議な違和感を感じながら、四ッ谷は
「こちらになります……」
何も喋らず、ただ黙ってこちらを見てくる女性に薄気味悪さを感じながら、四ッ谷は席を離れた。
段々と、人が少なくなる。時刻は午後二時半。いつもならそろそろ交代の同僚が入店し、スイーツ目当ての少女が来店する頃。
不思議な事に、あれから――あの女性が入店してから、
段々と、人がいなくなる。
後輩も、何か焦ったように電話と話すと、慌てて帰った。従業員は四ッ谷に表番を任せて、調理場に引っ込んだ。
人が、いない。
時計を見れば、午後二時半。あれから結構な時間が経った気がしたが、進んでいない。
四ッ谷は、目を泳がせた。ふと、女性と目が合った。女性は微笑んだ。
「――初めまして、四ッ谷さん。御機嫌よう?」
まるで何事も起こってないように、明るい口調で女性は言った。
四ッ谷は、女性に恐ろしさを感じた。
「――どうしました?そんなに緊張した顔つきで。よろしければ、お向かいにどうぞ」
一昔前の、どこか仰々しい程の態度で、女性は四人席の向かいを手で示した。
四ッ谷は何かに導かれるように、どこか夢見心地で、ふらふらと、示された席に座った。
「改めまして、こんにちは。私は、八雲 紫と申します。以後、お見知りおきを」
常に笑顔を崩さず、しかしどこか冷淡に、女性――八雲は礼をした。
四ッ谷は、思い出した。彼女が、深夜のコンビニに来たことを。自分を見て、何かを口走った事を。
意識がはっきりしてきた四ッ谷は、口を開く。
「……あなたは、僕に、一体何の用ですか?」
頭に浮かんだ言葉を、特に考えもせずに口走る。その目はどこか虚ろで、揺れる体も正常には見えない。
「貴方に、警告と、勧誘です」
――警告。最近は特に危ないこともしていない四ッ谷は、冴えない頭で意味を咀嚼する。
「先ずは、勧誘です。応じる必要も、答えを出す必要もありません。気楽に聞いてくださって結構です」
語りかけるように、ゆっくりと。
蝕むようなその声は、思考を鈍らせる。
「簡潔に言いましょう。私は、貴方に“楽園”に来てほしい」
「“楽園”……?」
四ッ谷の脳裏に浮かぶのは、だだっ広い草原。優しい太陽。幸せな生命。果樹園――禁忌の知恵の実。死に塗れる失楽園。
そこまで想像して、かくんっと、四ッ谷は頭を落とした。
顔を上げた彼の目は、何時もの気だるげなたれ目、しかし眼光は鋭い。
「……あんた、何者だ?」
先程までとは明らかに違う、妙にドスの効いた声で、彼は言った。
それを見ていた八雲は、やはり薄ら笑いを浮かべながら、しかし目は笑っていない。
「――そんなに簡単には、解けない術のはずだったんだけど……。予想以上ね」
素直に感心したようにそう言うと、立ち上がった。
「勧誘は受け入れて貰えなさそうだし、警告だけはしておくわ」
出口に向かって歩みながら、顔すら四ッ谷に向けずに、八雲は言った。
「楽園に来ないのならば、貴方の力は強すぎる。使いすぎれば、自然と楽園に連れ込まれる。注意しなさい」
四ッ谷が振り返ったときには、既に八雲はいなかった。
テーブルには、唯一頼んだドリンクバーの代金と、名刺のような紙が一枚、置いてあるだけであった。
「気が向いたら、この住所に来なさい」
たったそれだけの文言を残して、八雲は消えた。
深夜のコンビニに、店番が一人。名札には、四ッ谷、の文字が印刷されている。
いつものように立ち尽くしながら、頭の中ではいつもとは違うことを考えていた。
八雲、紫。その名乗りに、どこかで見たような既視感を感じた。
もちろん、知り合いに同姓同名の人間がいるわけではないし、今まで見たどんな映画やドラマでも聞いたことの無い名前だ。
そう考える四ッ谷の耳に、どこか聞きなれた笑い声が聞こえた、気がした。
目を向けたのは、雑誌コーナー。何か引っ掛かりを見つけたように、客のいないコンビニを歩き出した。
手に取ったのは、一冊の雑誌。“月刊 ゲームライト”。
ページを探すまでもなく、開き癖のついたページを開く。
“東方project最新作――東方風神録”
でかでかとした見出しではなく、導かれるように見たのは、ページの隅。設定の解説。
“幻想郷――東方projectの舞台となる、架空の場所。博麗大結界と虚実の境界によって外の世界とは隔絶されている。“境界を操る程度の能力”を持つ、妖怪の賢者・「八雲 紫」によって――”
翌日。四ッ谷は、繁華街のパソコンショップにいた。手には、それなりに厚く膨らんだ紙袋。外側にはかなり痛々しい絵が書いてあり、流れていく幾人かは僅かに顔を歪ませた。
彼は気にもせず、いくつかコンピュータを物色すると、店員を呼びつけた。
「このコンピュータで、このゲーム、起動できますか?」
紙袋から取り出したのは、ゲームソフト。“東方紅魔郷”。
店員は暫く箱を見た後、可能であるという判断を下した。
「はい、できますよ」
その返答を待っていた四ッ谷は、コンピュータを指差し言った。
「これください。いくらですか?」
十万円以上するノートパソコンを現金一括で支払った、学生らしき身なりの男を唖然と見る店員を尻目に、四ッ谷は悠々と帰宅した。
彼の自宅は、バイトをしているコンビニの近所にある、マンションの一室だ。
親は遠くで仕事をしており、親類縁者もいないので、実質独り暮らしだ。マンションは親が買ったものなので家賃はかからず、バイトだけでも十分に生活できている。
コンピュータをコンセントに繋ぎ、初期設定などを終わらせた頃には、空は赤くなり始めていた。
機械音痴ではないが得意ではない彼にとって、コンピュータの初期設定は中々に難しいものだったのだ。
東方projectのディスクを挿入し、インストールをする。最近は中学校でもコンピュータの授業を取り入れているため、簡単な操作程度なら何の問題もなくできるのだ。
起動して、操作して……、彼は、絶望した。
難しすぎる。
東方projectは、いわゆる“縦スクロールシューティング”ゲームだ。その特徴として、敵が物凄く多く攻撃を飛ばしてくる。それ故、ジャンルは“弾幕シューティング”。
シューティング初心者どころかゲーム初心者な四ッ谷にとって、ゲーム内のいわゆる“自機”を思い通りに動かせるわけがない。東方projectのストーリーを読むためには、ゲームをクリアしなければならない訳で、必然的に上手くならなければいけないわけで……。
つまり、今現在の四ッ谷は、目の前にある情報をお預けされている状態にある。
「これ、クリアできるの……?」
ちなみに、件の八雲が登場するのは、今四ッ谷が攻略している“東方紅魔郷”の次の作品である“東方妖々夢”のPantasmルート(最大難易度面)であり、一面を攻略するのに手間取っている彼は当分たどり着けないことをまだ知らない。
それから数日後。
なんとかイージーをクリアできる程度の腕前が身に付いた四ッ谷は、いつも通りにファミリーレストランで働いていた。
他の従業員に話を聞いた結果、誰一人として数日前の出来事――八雲 紫の来店について、知らなかった。あの時表にいたのは四ッ谷だけで、珍しくおやつ時に閑古鳥が鳴いた、位の印象があるだけだ。
焦っていた後輩は、丁度そのときに父親が交通事故に遭った、という連絡を聞いたらしい。
つまり、偶然。たまたま客が来る気が無く、たまたま従業員が減り、たまたま四ッ谷が表に立った。
四ッ谷にとっては、それは偶然ではない。
彼の推理は突拍子のないものだが、自分の事を考えれば全く不思議はない、というのが結論だ。
丁度空いてきたころ。時刻で言えば、二時頃。
入店してきた客を対応しているはずの後輩が、四ッ谷のいる休憩室に飛び込んできた。何でも、自分を指名しているらしい。
「……ここはホストクラブじゃないと思ってたんだけど……」
うんざりした顔で、四ッ谷は腰を上げた。何でも相当の美人らしい。四ッ谷に嫌な予感が駆け巡った。
休憩室から出ると、後輩に手を引かれ、窓際の席まで連行されていく。
両隣の席には誰もいない、窓際の席には、案の定というべきか、金髪の女性が座っていた。
「貴方、私の警告を忘れたのかしら?」
そこにいた八雲は、誰が見ても分かるほどに
「……八雲、いったい何に怒ってるんだ?俺は何もしてないぞ」
本当に心当たりのない四ッ谷は、困惑の目で八雲を見る。
「巫山戯ないで!惚けるなら、もっと上手く言い訳なさい!」
八雲は柄になく冷静ではなく、テーブルに身を乗り出して問い詰めている。
「待て、落ち着け。話は聞くから、取り敢えず落ち着け」
どうどう、と八雲を落ち着ける。水を置きに来た後輩も、あまりの剣幕に怯えている。
八雲は軽く深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
「――分かったわ。じゃあ、一から話してあげる。いい?」
八雲は四ッ谷と同時に水を一口飲むと、話始めた。
「先ず、貴方には幻想郷のことから話さなければならないかしら」
幻想郷。その単語に反応した四ッ谷は、首を振って否定する。
「その必要はないぞ。幻想郷のことも、東方projectのことも、知ってる」
そう。八雲は一瞬だけ眉を顰め、すぐに元の真剣な顔に戻った。
「なら、話は早いわね。それじゃあ、紅魔館のことも、知ってるわよね?」
紅魔館。ちょうど四ッ谷が攻略したゲーム、東方紅魔郷に登場する施設だ。
「ああ、知ってるぞ」
四ッ谷が首肯したのを見て、八雲は話始めた。
八雲の話を要約すると、こうなる。
幻想郷では、霧の湖の畔にある、吸血鬼の館、紅魔館が、消えた。
そこに建物があった形跡も、何もかもが一瞬にして、正しく“跡形もなく”無くなった。
その瞬間を目撃していたとある氷精の話によると、
“いきなり歪んだ感じがしたら、紅魔館が吸い込まれるみたいに消えた”(要約)
らしい。
「――こんな所よ。氷精の話にはあまり信憑性がないけれど、まあ事実消えているから、大した違いはないわ」
四ッ谷は、黙って聞いている。話が終わったようには見えないからだ。
「それで。私は、貴方が犯人だと思ってる」
――四ッ谷の眉が、ぴくりと動いた。
「貴方は、何か――具体的には、私たち幻想郷の住民がもつ、“能力”に近いものがある。それは、貴方も分かっているでしょう?」
静かに首肯する四ッ谷。だが、その目は困っている。
「まだ確証はないわ。でも、よかったら、貴方の能力を見せてくれないかしら。それが判断基準になるわ」
四ッ谷は、困ったように唸った。
「別にいいが……、そんな、建物ひとつを消せるほど、すごい能力じゃないぞ?」
そういうと、四ッ谷は目線を八雲から、八雲の手元にある、飲み終わった空のコップに向けた。
八雲は黙って見ている。
四ッ谷が軽く集中して、右手の指を軽く曲げる。すると、種も仕掛けもない空のコップが、引き寄せられるように飛び、彼の右手に収まった。
「――これが、俺の能力。東方project風に言うなら、《引力を操る程度の能力》……って感じだな」
どこか自慢げな四ッ谷に対して、八雲は呆気に取られた顔から、呆れたような顔に変わる。
「……もしかして、それだけ?」
ため息までついた。
「うるさいな。今はまだこれくらいしかできないんだよ。
一応分かってるのは、出来るのは引き寄せだけ。対象との距離と質量に反比例して、運動量と思いの強さに比例して、力がかかる、ってこと」
八雲は、あ、そう、と興味なさげに言うと、立ち上がった。
「――不思議ね。初めて会ったときには、飛び抜けて強力な力を感じたのに、出来ることがこれだけなんて」
うるさいな。
四ッ谷はそう言って、追い出すように八雲を店の外に追い出した。
外は、既に赤く染まり、月が顔を出そうとしていた。
翌日。
バイトが入っていない日、今の四ッ谷がやるのは、パソコンゲームである。
何だかんだといって、結局彼は、東方projectのゲームが好きになってしまった。
今やっているのは、東方妖々夢。昨日までやっていた東方紅魔郷の続編である。
「んー、強いなー……ボム使お」
昼間から、家のなかでゲームをしている学生風の少年は、傍から見れば、かなり残念な人だが、本人は大して気にしていない。
「あー……」
独特の音と共に、画面の中のプレイヤーが消える。ゲームオーバーだ。
それを見届けると、四ッ谷はパソコンをシャットダウンする。朝からやっていて疲れたのだ。
「少し休憩するかー」
適当にテレビをつけると、昼のワイドショーが流れていた。
世間の、割りとどうでもいいニュースを選りすぐって放送するこの番組は、普段の四ッ谷なら見ない。
しかし、今日は気分転換として、何も考えずにテレビを眺めている。
と、突然テレビが切り替わる。映し出されたのは、一人の中年キャスターだ。
“臨時ニュースをお伝えします”
その文句で語り出されたのは、驚きのニュースだった。
“先日、突如出現しました、赤い館についての続報です。未だに居住者は発見されておりませんが、人が住んでいた形跡が発見されました。現在も自衛隊が捜索活動を続けており、居住者が発見される可能性が高そうです”
映し出されたのは、真っ赤な建物。
「紅魔館……?」
四ッ谷の口から、幻想郷において消えた、といわれている、赤い建築物の名前だった。
数日後。幻想郷にて――
先日の、“紅魔館消失事件”の後、幻想郷は一先ず平和だった。
それから連鎖的に消えていく訳でもない。
幻想郷の平和を守る“博麗の巫女”は、いつもの未来予知的な勘が働かないらしく、犯人探しで妖怪を手当たり次第に叩き潰しているらしい。
その親友の白黒の魔法使いも、紅魔館と共に消えた同胞を探して、巫女紛いのことをやっているらしい。
八雲は、この事件に、違和感を覚えていた。
これまで幻想郷に起きた異変は、どれも大きな予兆があった。
紅い吸血鬼は、太陽を隠したくて霧を出した。
華胥の亡霊は、桜を咲かすために春を集めた。
月の賢者は、追手から逃げるために月をすり替えた。
どれも、行動原理がはっきりしていて、そのための副産物として迷惑が現れた。
だが、今回は違う。
何処かの誰かは、紅魔館を消した。
思惑や思考や過程や――物事を構成するあらゆるものを無視して、結果だけを手に入れた。
今回の異変は、八雲にとってはそんな印象だ。
犯人の人物像も、目的も、結果も副産物も、なにも見えない。
考えが煮詰まってきた八雲は、気分転換に出掛けることとした。
目的地は、白玉楼。八雲の唯一無二の親友が住む、冥界の待ち合い室とでも言うべき場所だ。
いつもはその能力――境界を操る程度の能力――を使い、空間の境界を繋げることで、
しかし、気分転換であるので、今回は飛んでいくことにした。
空を飛ぶ。人ではない八雲にとって、それは別段珍しいことではない。
空を抜け、玄関代わりの結界を越えると、そこから先は冥界だ。
果てしなく続く石段を、歩くこと無く飛んでいく。
変わらない景色に、石段の中腹で早くも能力の使用を検討し始めた八雲は、ふと、違和感に気づいた。
白玉楼の門は大きい。それこそ、石段を半分も登れば見えてくるほどに。
だが、今は。
上を見上げても、八雲の目にはなにも映らない。石段の頂上には、何もない。
嫌な予感に突き動かされて、八雲は瞬間的に能力の使用を決断する。
合図をするように右腕を上げる。それまで何もなかった虚空に、突如歪みが生じる。
それは裂け目の形を作る。両端は赤いリボンで結ばれ、裂け目の内部には、無数の蠢く目玉があった。
八雲はそこに、躊躇なく飛び込む。
裂け目は、意思を持っているように消え、虚空には何も残らなかった。
次に裂け目が現れたのは、石段の頂上だ。
中腹の時と同じように、空間が歪み、その裂け目から八雲が飛び出した。
春には綺麗な桜が咲き誇る、幻想郷きっての幻想的な屋敷があった場所。
いまは、困ったような顔をした、屋敷の主が立ち尽くしているだけだった。
――そのころ。
東方妖々夢のノーマルがクリアできるようになった四ッ谷は、コンビニでバイトをしていた。
「ありがとうございますー」
いつもより三割増し位の元気で、四ッ谷は客を見送った。
住宅街の中のコンビニは、それこそ劇的に混む時間があるわけではないが、どんな時間帯もコンスタントに客が来店する。そのため普段なら、いつも何人かは客がいるはずだが……、いまは、四ッ谷一人だけだ。
最近の四ッ谷は、不自然に人が払われると、大体
そして今回も、その学習は無駄にはならなかった。
丁寧に自動ドアをくぐって入店してきたのは、見覚えのある金髪の女性。しかし、今回は格好が違っていた。
これまでは、街中を歩いていても、不自然ではないくらいのおめかしをしていたのだが、今の彼女の格好は、一言で表すなら、奇抜だった。
紫を基調とした、何処かのドレスのような服。所々に、中国の陰陽道のような紋様があしらわれた。
四ッ谷は、そんな八雲を一目見て、言った。
「あー……八雲。その格好で出歩くのは……ちょっと、控えた方がいいぞ?」
少し焦ったような八雲は、四ッ谷の方を向いて言った。
「今はそんなことを言っている場合ではないわ。また、消えたのよ」
そんなことって……という、四ッ谷の態度を完全に無視して、八雲は続ける。
「白玉楼って、知ってるかしら?」
その言葉に、四ッ谷は反応した。
「ああ……。まさか、次は……」
その言葉を聞いて、八雲は首肯した。
「そのまさかよ」
このとき、四ッ谷は全く別の、しかし事件の核心に辿り着けるかもしれないことを考えていた。
この異変の発端は、紅魔館の消失。
そのころの四ッ谷は、東方projectの存在を知り、初めて東方紅魔郷をクリアした。
次の異変は、白玉楼の消失。
そのころ四ッ谷は、苦労して東方妖々夢をクリアした。
どちらも、消えた建物が舞台の作品だ。
こんな偶然が、あるのだろうか。
「……なあ、八雲。ちょっといいか?」
何かを話そうとした八雲を制し、四ッ谷は言った。
「すごく気になることがあるんだ。いいか?」
夜。
夜の帳が降りた、静まり返った住宅街。
とあるマンションの一室で、二人は会っていた。
「――あら、男の一人暮らしにしては、随分と綺麗ね」
何故か興味深そうに部屋を物色する八雲を、四ッ谷はリビングに押し込む。
「お茶でも入れるから、そこで待っててくれ」
四ッ谷は心なしか、緊張した顔だ。
八雲は人外といえど、見た目は絶世の美女だ。緊張するのは、男として仕方ないのかもしれない。
「――で、このパソコンで、いつも東方projectをプレイしてるのね?……特別な力は感じないけど……」
テレビでは、誰も見る気がない夜のニュースが、BGM代わりに流れている。
その前にある、部屋唯一のテーブルは、今はパソコンに占拠されている。
「毎回、幻想郷の建物が消えるのは、俺がその建物が登場する東方projectの作品をクリアした後。二回もそれがあると、どうも偶然とは思えないんだ」
八雲は適当に頷きつつ、パソコンを観察する。
「なるほど……なかなかいいやつね。高かったでしょう?」
そんなことはどうでもいいだろ。
四ッ谷がそう言いかけたとき、ニュース画面が突然変わった。
現れたのは、一人の中年キャスター。
八雲は気をとられたが、四ッ谷はその画面に見覚えがあった。
“臨時ニュースをお伝えします。”
同じ口調。同じ光景。
“数日前、突如出現した赤い建築物について、続報です。”
映し出されたのは、視聴者の皆さんにはもう見飽きたかもしれない、赤い建物。
「――紅魔館!」
大声は出さずとも、驚いていることは分かる鋭い声で、八雲はその建物の名前を口にした。
“先日、さらに新たな建造物が出現しました。こちらは日本風で、一体何が――”
映し出されたのは――
「白玉楼……!」
大きな、平屋の木造建築。
白玉楼が、確かにそこにあった。
八雲は驚きながら、自分のなかで、推理が完成したことを感じた。
「――ねえ、四ッ谷くん」
改まって問いかける八雲に、四ッ谷はまた改まって聞いた。
「分かったわ。異変の原因が。ようやくね」
四ッ谷の目が、僅かに開かれた。
「今から、時間はあるかしら?」
四ッ谷は時計を見る。午後十時。
問題ない、と首肯するのを見て、八雲は語り始めた。
「まず結論から。この異変、その犯人は――貴方よ、四ッ谷くん」
びしりっと人差し指を向けた。
「正確には、貴方の能力。それが、紅魔館を、白玉楼を消し、この世界に出現させた」
自分の力をよく知っている四ッ谷は、とうてい受け入れられない。
「何を、言っているんだ?俺の能力は、せいぜい物体を引き寄せるだけ。石ころ程度のモノを五十mくらいの距離から動かせるだけ。無理だよ」
その答えに、八雲は不満足そうに首を振った。
「それができるのよ。なぜなら――貴方が動かしたのは、物体じゃなく、概念なのだから」
四ッ谷は目を見開く。
「貴方は、自分の能力が嫌いなのでしょう。気味が悪い。とか、そんな意識なんでしょうけど。
とにかく、そんな貴方
自分の一面である能力が、なんの疑問もなく受け入れらる世界。今まで拒絶されてきた貴方にとって、そんな世界はまさに、理想郷」
淡々と語る八雲と、段々と暗くなっていく四ッ谷。対照的な二人。
「貴方は言ったわ。“能力は、心の強さに比例する”と。それは正解よ。能力は心の力。より強い精神力の方が、力も強くなる。
貴方は願ったの。無意識の内に。
“この世界が、幻想郷になればいい”って。
積年の願いに、貴方の能力は答えた」
八雲は、起動したまま放置されたパソコンを、静かに閉じた。
「
貴方が東方projectをクリアする度、その知識は広がる。貴方の中の幻想郷も、また広がる」
ゲームのクリアと異変の進行が関連していたのは、偶然ではない。
ただ単純に、ゲームのクリアが知識の獲得と同義だった。それだけのことだった。
「――犯人は、貴方よ。力を使ったら、それ相応の責任が発生する。貴方にはその責任をもって、幻想郷を元に戻してもらうわ。いいわね?」
それから、数日後――。
とある屋敷で、平凡な身なりの男は、目の前に座る金髪の女性に話しかけた。
「なあ、どうして、俺の能力が関係してるって分かったんだ?」
女性は書類に走らせていた手を止めて、前を向いた。
「そうね……。白玉楼が消えたときのことよ。紅魔館の時は住人ごと消えたのに、白玉楼は住人が消えなかったの。何故だか分かる?」
さあ、と男は首を捻った。
「あのとき、私の親友は消えなかったわ。理由は、彼女が亡霊だったから。亡霊は外の世界じゃ存在できないもの。引き寄せられる訳がなかったのよ」
なるほど、と男は頷いた。
「それだけでも、質量を持ったものしか消えない、と分かったわ。でもそのとき、親友はこう言ったの。“誰かが、呼んでた”って」
男は黙っている。女は続ける。
「寂しそうな声だったらしいわよ。貴方も存外、寂しがりやなのね」
うるさいな。
男はそう言って、立ち上がった。
「あら、何処か行くの?」
男は、振り返って言った。
「旅でも。どうせもう帰れないんだ。何でも受け入れられる世界を、巡ってみようと思ってな」
読んでくれて、ありがとうございます。
感想・批判等、お待ちしております。