凪の風邪も完治し、ようやく念願の一人暮らしに戻った。いや、こうして静かになると寂しく感じない事もないが、こうしてとっ散らかった部屋を見ると一人最高だわって思う。あいつら荒らすだけ荒らして帰っていったな……。
とりあえず部屋の片付けを終えて、久々の一人の休日である。昨日の夜は急遽、合コンに行けなくなってしまったため、俺の奢りで同期飲みした。死ぬかと思った。ちなみに合コンにはあいつらの片割れの友達を呼んだらしい。
……さて、そうなるとこの前買った私服は完全に無駄になってしまったわけだが……まぁ、いつか使うか。
とりあえず、今日はのんびりしよう。と思った直後に電話が来た。
「もしもし?」
『こんにちは、楓です』
知ってる。名前、表示されてるし。
「どしたん?」
『今日はお暇ですか?』
「暇だよ」
のんびりする予定ではあったが、楓に誘われたら行くしかない。
『では、デートしましょう』
「はいはい、デートね……」
なんか合コンに行かないと決まってから、楓はやたらと元気が良いんだよな……。そんな俺に彼女出来て欲しくないんか……。
『どこに行きます?』
「決めてないんか。どっか行きたい場所があるんじゃないんか」
『良いじゃないですか。二人ならどこに行ったって』
「……はい?」
え、今なんて?
『ふふふ……
「……」
ああ……ギャグが言いたかったのね……。
「奈良は無理だろ……。都内でのチョイスをよろしくどうぞ」
『うーん……そうですね。では、とりあえず街をぶらぶらしましょうか』
「ノープランかよ」
『嫌ですか?』
「……」
‥‥俺は基本的には計画性のない外出はしたくないんだが……それは楓も分かってるはずだ。つまり、こういうことなんだろう。
「わーったよ……じゃあ、映画でも良いか?」
『ふふ、楽しみにしてますね?』
「とりあえず20分後、スタバに集合で」
『はーい』
俺に予定を決めさせるつもり、ということなんだろう。まぁ良いさ。元々、デートは男がエスコートするもんだしな。
×××
スタバに集まったのは、今日の予定を決めるためだ。いや、前々から約束していたものなら決めておくが、今日は突発的なものだし、何より二人きりで出掛けるのは久々だ。一緒に決めた方が楽しめる。
服装は、一応この前購入した服だ。楓が川島さん経由で選んでくれたもの。いや、ほら。一応、勝負服だし。
お店に入ったときには楓はすでに到着していた。一人でコーヒーをすすっている。
「よう」
「遅いですよ?」
「え、五分前なんだけど」
「女の子より遅く来たら、それはもう遅刻です」
「女の子?」
「は?」
「いや、何でもない」
マジで睨まれたので、とりあえず黙っておいた。……いや、でも「子」ではないでしょ。別に女性でも悪くないと思うんだけどな……。
とりあえず席に座り、しばらく黙った。や、別に全然、私服を褒められることなんて期待してないけど。
……うん、期待してないし。別にいいし。
用件に入ろうと声を掛けた。
「で、今日は急にどうしたの」
「だから、デートですよ。デート」
「そんだけ?」
「
「喧しいわ」
なんか機嫌良いなこいつ。まぁ良いや、とにかく先に今日の計画を‥……と、思ったのだが、楓が俺の手元からコーヒーを取った。
「ふふ、樹くんのコーヒーはどんなのですか?」
「普通のだよ、飲むまでも……」
「いただきます」
あ、飲まれた……。飲みながらチラっと俺の方を見上げるが、すぐにつまらなさそうな顔をする。何その顔。
「何?」
「……なんで照れたりしないんですか? 間接キスですよ?」
「そんな事で一々、照れたりするかよ。子供じゃないし」
「ぶー、つまんないです」
子供みたいに唇を尖らせてそっぽを向く楓。ああ、その顔が見れただけでも実は少し恥ずかしかったのを無理矢理、隠し倒した甲斐があった。
「……ふふ?」
……バレてないよね? 大丈夫だよね? その顔?
「
バレてねーわ。アホで良かった、こいつが。
「で、映画だけど……なんか見たいのあるか? 今の時間で間に合うのは4作品あるけど」
「そう慌てないで下さい。せっかくのデートなんですから、ゆっくり楽しみましょうよ」
「……まぁ良いけど」
そうなる予想はしていたので、ざっくりと予定は考えておいたし何とかなる。
「……へいへい」
「それで、どんな映画があるんですか?」
「ああ、これ」
スマホの画面を見せる。恋愛、実写化したアニメ、アクション、ホラーと都合良く別々のジャンルが並んでいる。
「どれも面白そ……あ、いえ、このアニメの実写化の奴以外ですね」
「俺もそれの原作見てないし、それ以外だと助かる」
「そうですね……この恋愛なんてどうです?」
「楓がそれが良いならそれでも良いけど……」
寝ない自信がない。映画だったら非日常感が欲しいし、高校生の恋愛なんかに興味は湧かない。ま、楓と一緒なら退屈では無いが。
「……ではこのアクションは?」
「アクションねぇ……」
完成度が高ければ面白いけど、モノによっては主人公陣営の頭の悪さにイライラする事もあるんだよな……。俺がよくバトロワ系のゲームやるからかもしれないけど「それそこに行ったら絶対無理でしょ」って思う事は少なくない。ま、楓と一緒なら退屈では無いが。
「……あの、樹くん?」
「何?」
「分かりやす過ぎるんですけど……もう少し顔に出ないようにできません?」
「え? いや、俺は楓と一緒なら何でも良いよ」
「っ……い、いえ、そんな風に言われても誤魔化されませんから」
「はぁ? ……あ、や、悪い」
……やばい、なんか口から漏れてた。や、でも本当のことだし……。しかし、そんなに顔に出てたか? 周りからは「お前の表情読めない」ってよく言われるんだけど……。
「では、ホラーは?」
「ホラーねぇ……」
まぁ、他の三つよりは楽しめそうだが、俺はあんま怖がらないからなぁ。楓とホラー映画は見たことないが、お化け屋敷とか入った時は怖がっている様子はなかったし。
「良いけど……お前ホラーで良いの?」
「良いですよ?」
じゃ、ホラーだな。
「怖いですかね?」
「さぁ。まぁお前も俺も怖がるタイプじゃないし、大丈夫だろ」
「怖かったら、手を握っても良いですか?」
「お前、そう言って握った事ないだろ。学祭のお化け屋敷でもなんかよう分からんダジャレ考えてたし」
「
「過去一番の駄作だからなそれ」
正直、よく分からんし。なんだよ「You ray!」って。「!」が腹立つわ。
「今はもうレベルが違いますから」
「言わなくて良いぞ」
「
「言わなくて良いっったろ……つーか、レベルも上がってねーよ……」
ゲンナリするわ、本当に……。ため息をつきながらコーヒーを口に含むと、楓がそんな俺を楽しげな笑みを浮かべて言った。
「ふふ、なんだかんだ言って樹くんは反応してくれるんですよね」
「あ?」
「バラエティとかですと、私にツッコミを入れてくれるのはお笑い芸人の方達だけですから」
「それ、俺のことお笑い芸人って言ってる?」
「似た雰囲気はありますね」
「まぁ、お笑い芸人は割と高学歴な奴も多いからな。頭の良さという意味では似てるかもな」
「いえ、そういうことではなく。樹くん頭悪いですし」
‥……お前に言われたくねーんだよ、なんて言ったらまた喧嘩になるから黙っていよう。
俺とお笑い芸人に似た所を探しているのか、楓は人差し指を頬に当てて「んー……」と小声で唸る。
しかし、すぐに飽きたのか微笑みながら誤魔化した。
「何となくです?」
「テキトーな誤魔化し方だな……」
こいつ、OLにならなくてある意味正解かもしれない。可愛い社員は男性から優遇される、なんてのは妄想で、なんだかんだ言って人間は中身なのは本当だ。
仕事できない奴は顔が良くても叩かれるし、顔が贔屓されるほど良過ぎたとしても同性の社員に潰されるだけだ。
……まぁ、要するに自由過ぎる上に仕事出来なさそうな楓に、少なくともうちの会社は無理だ。三船さんみたく潰されそう。
すると、ズコーっと楓が飲んでる飲み物から空しい音が聞こえる。飲み終えたようだ。
「じゃ、行きましょうか」
「あいよ」
「樹くん」
「あん?」
俺も合わせて飲み終えようとコーヒーをすすっていると、楓が急に声をかけて来た。
「その洋服、やはりとても似合っていますよ?」
「……はやくいくぞ」
まだ飲み終わってないけど、熱くなった頬を隠すために立ち上がった。本当、こいつのそういうところはズルい。
映画館に向かった。
×××
上映まであと5〜6分。俺が来る前に二杯飲んでいた楓は、無事にお腹が緩くなりトイレへ。
その間に俺は発券と買い物を終えた。バカでかいサイズのポップコーンと俺の分だけの飲み物。楓の分は迷ったが、お腹を緩くしてるのでやめておいた。欲しけりゃ、俺のを勝手に飲むだろう。
「……お、お待たせしました……」
「大丈夫か? 正露丸飲むか?」
「痛くなってから飲んでも……いえ、気休めにはなるかもしれませんし、もらいます」
一応、この手の薬は常備してる。主に、あの従姉妹達が何かあった時のために色んなもんを買い込んでおいた。
薬を飲ませてやると、いよいよ劇場へ。二人で席に座り、とりあえず俺と楓の間にポップコーンを挿した。最近の映画館は便利なもんだなぁ、ポップコーンを手に持つ必要はなく、ジュースを置くところに固定できる机が配られるんだから。
「食う?」
「いえ……その、もう少し後で……」
「だよね。……つか、お前何時間前からいたの?」
「……1」
「え、じゃあ俺に電話した頃にはいたの? バカなの?」
「ふふ、面白いでしょう?」
「何がだろうか」
‥……赤くなってんのがバレてんぞ。まぁ、紳士な俺は何も言わんが。
ちょうどその時、予告が始まった。
×××
結論から言って、怖くなかった。なんていうか……しょっ中、ゲームをやる俺にとっては見慣れた世界というか……や、まぁ少し驚いたりはしたが。
さて、楓はというと。なんか恥ずかしそうにしていた。というのも、別に大袈裟に怖がっていたわけではない。ただ、まぁ普通にホラー映画が得意でも苦手でもない人のように驚くべき所では驚いていたし、スルー出来る所はスルーしていた。
では、何故、照れているのか? それは……俺の飲み物を勝手に飲もうとした挙句、そのシーンで幽霊が出て来て驚き吹き出し、服にスプライトがかかったからだ。
それにより、服が透けてブラが見えてしまっている。今は俺のシャツを着ている始末だ。
「……うう、樹くんくさい……」
「え、臭う?」
「いえ、なんでもありません……」
おかしいな。未だに風呂だけは一時間くらいかけて入ってるんだけど……。帰ったら一応、服をリセッシュだな。
「とにかく、上着買いに行くぞ。そのままってわけにもいかないでしょ」
「いえ、このままで良いですよ?」
「いやいや、風邪引くからダメだろ」
「……でも、上着は借りていたいです」
「えー……や、まぁ良いけど」
俺もその上着洗濯する必要無くなるし。部屋に飾っておこう。
「わかったから……とにかく、下に着てるもんは着替えろよ」
「ふふ♪ せっかくですから、樹くんが選んで下さいね?」
「……へいへい」
楽しげな楓と、疲れている俺。でも何でだろうな。その疲労感も俺の中では楽しさに変換されつつあるんだよな……。良い感じに調教されている。
いつの間にか手を繋いでいることに気付かないまま、俺と楓はデートを続けた。