昨日は最悪の日だったな……。家に帰れば、ドッとフラれた直後の胸の痛みが再発し、それが目を覚ました翌日の朝、すなわち今でも続いている。
まぁ、そういう時でも仕事は容赦なくあるわけだし、今日も今日とて出勤だ。家を早めに出て、電車に乗って会社へ来た。
こうして朝の間だけでも、楓が出演している広告やCMが多く流れていて、中々気が休まらない。少し346事務所の場所を押さえておくか。その付近の居酒屋やバーには寄らないようにするために。
とりあえず、のんびりと仕事を始めた。パソコンを前にキーボードを叩いていると、お昼頃になっていた。集中すると過ぎ去る時間は早いよね。
さて、お昼はどうしようかな。今朝は寄り道したくないあまり、昼飯を買うのを忘れてしまった。食べに行くしかないわけだが……今の俺には、一緒に飯を食べに行く友達はいない。前は一人いたんだけどな。
とりあえず、飯は食いたいので買いに行くことにした。近くのコンビニに足を運ぶ。
自動ドアを潜ると、また見知った顔が苦笑いを浮かべていた。
「よろしければ、ご一緒にこちら、からあげ○ンは如何ですか?」
「え? あ、あー……じゃあ……」
「相変わらずっすね」
声を掛けると、こちらを見たのはやはり三船さんだった。
「あ……加賀山さん。お久しぶりです」
「どうも。偶然すね」
元同じ会社にいた三船美優さんだ。同期で、流されやすい三船さんは色んな人に仕事を押し付けられていたが、同期のよしみで手伝ってやった事もあった。まぁ、俺が言い出したんじゃなくて、同じく同期の奴が「手伝ってやろうぜ」と誘って来たからだけど。
本当は押し付けて来るやつをなんとかしないと根本的な解決にはならないはずだが、まぁそういう連中ほど怒られたら逆ギレするものだ。
ちょうど俺も、楓にフラれたりだなんだと色々あって傷心気味な日々だったから、そういう打ち込めるものがあったのはありがたかったし。
「良いんですか? 買っちゃって」
「え? え、ええ、はい。良いんです、食べたいですし」
……まぁ、本人がそう言うなら良いか。俺が口を出すところじゃない。
三船さんが買い物を済ませるのをのんびり眺めていると、どういうわけかこっちに目を向けた。
「あの、よかったら外でご一緒にいかがですか?」
「良いんですか?」
「はい。せっかく久しぶりに再会できたんですし」
まぁ、一人で食うよりは良いか。普段、飯中はゲームをするのがデフォなんだが、たまにはそんなのも良い。
俺も適当におにぎり二つとフライヤーフードのチキンを購入し、三船さんと一緒に店を出た。
「どこで食べます?」
「近くに公園があるんですよ。今日は天気が良いので気持ち良いですよ?」
「へー、そんなとこあるんすか」
「もう……会社の近くの施設のことも知らないなんて。……さては、ずっと家から出ないでゲームばかりしてますね?」
バレたか。当時から、三船さんには注意されてたけど、結局治らなかった。
呑気にそんな話をしながら、三船さんの言う公園に向かい、ベンチに座った。
確かに三船さんの言う通り、この公園は自然が多く、日差しも木に隠れて良い感じなライティングになるため、昼飯を食う場所としては心地良い。
近くではドラマの撮影をやっていたのか、それっぽいスタッフや機材が置いてあった。
「……もしかして、三船さんあれに出るんですか?」
「は、はい……。まぁ、主演ではないんですけどね」
「すごいですね。なんか、一気に住む世界が違う人になったみたいっす」
「そんな事ないですよ。私は結局、当時から何も変わっていませんよ?」
本人はそう言うが、俺から見たら変わったように見える。前はこんな雑談でも、ここまでハキハキ話す人ではなかった。
やっぱり、アイドルとかそういう職につくと変わるんだろうな。自覚がないうちに。
「……ま、確かに流されやすさは変わってないっすね」
「も、もう……さっきの話は忘れて下さいよ……」
恥ずかしそうに頬を染めて俯く三船さん。こんな風にアイドルと気安く話せるのは、割と得な立ち位置だよな。まぁ、俺はアイドルに興味ないから、感覚としては元同期と飯食ってるだけなのだが。
チキンを食べ終え、ゴミを丸めた俺は、とりあえず聞いてみた。
「で、どうすか? そっちの仕事」
「楽しくやらせていただいていますよ。踏み出してみて正解でした。……こうして、ドラマやバラエティ番組とかCMみたいにテレビ出演までさせていただいて、とても楽しいです」
ああ、CMっていうとアレか。
「あれ見ましたよ。シャンプーのCM。泡でおっぱい隠してる奴」
「も、もう……! あのCMについてはあまり言わないで下さいよ……! プロデューサーが『もっとえっちに!』なんて言うから……」
流されているのは相変わらずのようだが。まぁ、性分なんだろうな。優しさと甘さは違うんだが、そろそろ理解した方が良い気もする。
「ああいうのって本当に裸でやってるんですか?」
「そんな訳ないです! ちゃんと下に水着を着てて、その水着が見えないように泡で隠してるんです」
なるほど……って、考えてみりゃそらそうか。裸なんて簡単に見せて良いもんじゃないし。
「……そういう話を異性とか関係なく突っ込める辺り、加賀山さんも変わってませんね」
「そうっすか」
「はい、そうっす」
何それかわいい。本当、明るくなったなこの人。こっちの職場にいた時は、こんな風に人の口調を真似するような同意はしなかった。
とはいえ、あんまこういう三船さんが出てるシャンプーのCMやボディソープのCMや日焼け止めのCMや口紅のCMの話してると通報されそうだし、話題を変えるか。
「ちなみに、アイドルって他の方達はどんな感じなんですか?」
「他の方?」
「三船さんの同期とかいませんか?」
「ああ、そういうことですか。……そうですね、基本的には皆さん、良い人達なんですけど、少し変わった人が多いですね」
この時、三船さんがどこの事務所に所属しているのか聞いてもないのに「変わった人」のワードで楓の事を思い出してしまった俺を誰が責められよう。楓のことを聞こうとしたわけではなく、昨日その時の飲みで一緒だった川島瑞樹さんのことを聞こうとしていた。
「川島瑞樹さんとかとお知り合いなんですか?」
「あ、はい。瑞樹さんとは同じ事務所ですよ」
その返事を聞いて、思わず凍り付いた。てことは、目の前の女性は楓とも同じ事務所であるわけで。
話題をミスった、と今更になって冷や汗を掻く。しかし、目の前の三船さんは似合わないニヤケ面を浮かべた。
「もしかして、加賀山さん……」
「なんすか?」
「瑞樹さんのファンなんですか⁉︎」
「……」
見当違いも良い所だ……。まぁ、今の流れならそういう勘違いをするのも分からなくはないが。
さて、どうしたものか。アイドルと付き合ってました、なんて自慢をするのも嫌だし、いっその事、そういうことにしておくか。
「まぁ、そうすね。綺麗な方だと思ってますよ」
「ふふ、そうですか♪」
楽しそうだなオイ。川島さんのことは名前と性別と職業しか知らないんだが……まぁ良いか。
「綺麗な方ですよね、瑞樹さん。それに、趣味は掃除と洗濯で家庭的な方なんですよ」
家庭的と呼ぶには料理が抜け落ちてるな……。まぁ、できないってことはないんだろうし、俺は料理出来ないから人のこと言えないが。
「はぁ……まぁ、そうっすね」
「それに、私が楓さんに……あ、事務所のアイドルの方なんですが、その人に潰されそうになると途中まで庇ってくれますし」
あいつ、やっぱ潰すまで飲ませてんのか……。あと、結局三船さんは飲まされてそう。途中までって言っちゃってるし。
「良い人なんすね」
「はい。瑞樹さん以外にも、良い人はたくさんいますよ?」
「そうすか」
おにぎりを食べながら、適当に相槌を返す。本当に楽しんでいるんだろうな。前の環境を知る数少ない人物にそういうのを話せるのが楽しいのか、とても明るく語ってくれた。
「‥……楽しそうで良かったっす」
「はい。……加賀山さんはどうなんですか?」
「何が?」
「いえ、入社して二ヶ月くらい経過した時の同期飲みに行った時、珍しく悪酔した時に仰ってたじゃないですか。彼女にフラれたとかなんとか」
……あー、俺がまだ同期会に誘われてた頃か……。そんなこともあったっけ……。ちなみにその飲み会を最後に俺は誘われなくなりました。
「あー……もしかして、変な噂とか立ってました?」
「あ、あはは……まぁ、そうですね……」
……まぁ、今にして思えばそうかもしれない。外見は歳相応だろうが、明るいタイプには見えない自覚はあるし、そんな奴に一個下の大学生の彼女がいる時点で悪目立ちするだろうし、普段の同期会でもあまり彼女の話は出さなかった。
そんな奴が、フラれた直後に悪酔すれば変な噂が立つのは当然だ。
「……すみませんね」
「い、いえいえ! 私は別にそういうの気にしていませんでしたから」
話題をミスった、と今更思ったのか、三船さんは黙り込んでしまう。別に気にしちゃいないんだが……まぁ、時間的にはちょうど良い頃合いだな。
昼飯も全て食べ終わり、ビニールゴミを袋の中に入れると、三船さんの隣に置いてあるゴミに手を伸ばした。
「それも捨てときますよ」
「あ、ありがとうございます……」
一つのビニールにまとめて縛ると、立ち上がって小さく伸びをする。その俺に、三船さんは意外そうな顔で聞いてきた。
「煙草、やめられたんですか?」
「え?」
「いえ、以前は割と吸っていたような気がしたので」
「あー……まぁ、はい」
楓が嫌がってたからな。ま、別れてからやめても仕方ないんだけど。
そんな俺を見て、三船さんはクスッと微笑むと、立ち上がってから声を掛けてきた。
「今日は無理ですけど……よろしければ、今度、飲みに行きませんか?」
「え?」
「こうして会えたのも、何かの縁ですから」
……縁とか言われてもな。流される性分は昔と何一つ変わっていないのを確認した、そっちにとってはわりと恥ずかしい縁だと思うんだが……‥まぁ良いか。
「良いですよ」
「ふふ、ありがとうございます。連絡先はー……変わってます?」
「変わってないですよ」
「そうですか。では、その時はご連絡しますね」
「ほい」
そんな適当な約束をして、俺は会社に戻った。そろそろ昼休みも終わりだ。