翌日、楓が目を覚ますと自宅だった。最後の記憶は居酒屋で飲んでいた時、どうやらまた潰れてしまったようだ。罪悪感はないが。
しかし、自分がどうやって帰ってきたのか全く思い出せない。確か、美優は自分より早く潰れていたはずだし……となると、思い当たる人物は一人しかいない。
鞄に繋がっているはずのチェーンを見ると、鍵が無くなっていた。送ってくれた人物が予想通りなら、ポストの中に入っている事だろう。ポストの中を覗き込むと、やはり鍵が入っていた。間違いなく樹の仕業だろう。
……そうなると、美優はちゃんと家に帰れたのだろうか? 樹の家に泊まっている可能性も捨てきれない。
少し心配になったので、スマホを取り出して電話を掛けた。
『……もしもし……』
二日酔いのようで声が死んでいる。よく二日酔いになる楓には一発で分かった。
「美優さんですか? 大丈夫ですか?」
『……はい。瑞樹さんが、うちまで送ってくれたので……』
なるほど、と一発で理解した。それなら確かに平気かもしれない。……しかし、誰が瑞樹に連絡したのだろうか? やはり、思い当たる節は一つしかない。
耳からスマホを話すと、覚えのない発信履歴が残っていた。
「……樹くんの仕業ですね……」
『あの……楓さん』
「なんですか?」
どうにも二日酔い以外の原因で苦しそうな声を出している気がしてならなかった。案の定、電話の向こうの美優は暗い声のまま謝り始めた。
『‥……すみません、でした』
「何がですか?」
『いえ……その、今更、謝られても困ると思いますけど……』
言いにくい事なのか、歯切れが悪い。楓としても謝られるような事をされた覚えはないが‥……強いて言うなら、昨日の飲みで元カレと引き合わされた事だろうか?
しかし、それこそ気にする事はないし、昨日、一応人付き合いが苦手なバカが下手なフォローをしていたはずなのだが……と、思っていると、全く別のことを話し始めた。
考え事をしながら、とりあえず手元の鍵を鞄のチェーンに繋ぐため、寝室に戻る。
『私が‥……もっと、仕事が出来れば……楓さんと加賀山さんは、別れないで済んだのかも、しれませんよね……?』
そういうことか、と楓はすぐに合点がいった。
思わず引き出しの中のチェーンを手に取ってしまった。これは昔、樹に買ってもらったものだ。よく家の鍵を失くしてしまうので、もう二度と落とさないようにチェーンを買って繋いでくれたもの。いつのまにか千切れてしまったが、捨てるに捨てられなくて引き出しの中にしまっておいた。
それ以外にも、どうしても捨てられなかったものがいくつも引き出しの中に入っていた。
「……そんな、気になさらないで下さい。確かにそういう見方も出来るかもしれませんが、もう過ぎた事ですから」
『……でも、楓さん……』
「……はい。今でも樹くんと別れたのは、後悔してます」
『っ……』
はっきりと言った。落ち込んでいる人に対して、遠回しにものを言うのは逆効果だ。
「でも、美優さんが気にすることでは無いです。私が子供だっただけですから」
もう少し、社会人一年目の新入社員のことを理解していれば、こうはならなかった。一度、フッてしまった以上は向こうも自分とやり直したいなんて思っていないだろう。
昨日の飲み会に来たのが良い証拠だ。
「ですから、気になさらないで下さい。ね?」
『……は、はい……』
「……」
‥……ダメそうだ。これは、美優はかなり気にしてしまっている。まぁ、自分が同じ立場でも気にするかもしれないが。
この様子では、自分が何を言ってもダメだろう。優し過ぎる人は、責任を感じ過ぎる節もある。
むしろ、本当に自分と樹が付き合うくらいの事が起こらないとダメそうなのだが……。
「……」
そうだ、それでいこう。いや、付き合うかどうかは置いておいても、とりあえずお友達くらいになっておけば、美優に変な罪悪感をもたらす事もないだろう。
さて、問題は……それを樹が承諾するが、だが。冷めるのが早い彼の事だ。もう自分の事を何とも思っていないだろう。彼と付き合うのには中々、労力が掛かったし、お友達になるというだけでも疲れそうだ。
とりあえず、美優には気を取り直して欲しい。
「じゃあ……分かりました。今度、居酒屋で奢ってくれれば許しちゃいます」
『もう……楓さん』
呆れ声が聞こえる。しかし、その後に遅れて「くすっ」と微笑む声も。
『では、また今度ですね』
「はい。失礼します」
そこで電話は切れた。スマホを机の上に置き、とりあえず次の居酒屋の奢りが楽しみになった所で「あっ」と声を漏らした。
そういえば、この前は樹に奢ってもらってしまったことを思い出した。それどころか、帰りのタクシー代まで出してもらってしまった。
実はその一万円、機会があれば返そうと思って取ってあるのだ。単純に借りを作りたくなくて。
ちょうど良いから、今日はその一万円を返すのを口実に遊びに誘ってみる事にした。
手に持ってるスマホで「加賀山樹」という名前のアカウントをタップする。アイコンが二次元のゲームのキャラなのは、何があったのだろうか?
「……」
元カレに電話するのって意外と勇気がいるかも……なんてひよってしまった。
いや……大丈夫のはず。昨日は自分と会いたくないわけではないと言っていたし、迷惑な顔はしないはず……や、そもそも電話じゃ顔は見えないが。
とにかく、頭の中で「大丈夫」と自分に言い聞かせ、半ばヤケクソでボタンを押した。
1コール、2コール、3コール……7コール。まだ寝てるのかもしれない、と思ったが、時刻ももう13時を回っている。自分はともかく、樹がその時間まで寝ていることは無かったはずだ。
もしかして、無視されてる? なんて不安に思った時だ。出た。
『……ふぁい』
寝ぼけたような声が聞こえた。どうやら今起きたようだ。自分の生活も差し置いて彼の生活が気になる所だったが、とりあえず話しをすることにした。
「……樹くんですか? おはようご」
ざいます……と、続けようとしたところでブツッと切れた。え? 切られた? と思ったのも束の間、切ったのは自分だった。スマホの充電切れだ。
そういえば昨日は知らない間に帰っていたし、スマホを充電器に挿した覚えはない。iPh○ne10以上ならもっていたかもしれないが、7の楓のスマホでは無理があった。
このままでは、いたずら電話みたいになってしまう。とりあえず、スマホを充電器に挿して、仕事用のスマホを手にした。
こっちには仕事用なのでL○NEは入っていない。スマホの電話番号も覚えているが、知らない番号からかけると切られるかもしれない。楓が346に所属したのは別れてからなので、このスマホの存在自体知らない。
そのため、樹が社会人になってからつけた家の電話の方に掛けた。
「……出ない」
どうやら、また眠ってしまったようだ。仕方ないので、久しぶりに自宅に行ってみることにした。
普段なら「後日で良いか」となる所だが、付き合っていた時は自分の介護をしてくれていた樹がだらしなくなっているのは、少し気になる。
住所が変わっているかどうかは正直、賭けだがそれならいっそのこと家電話に起きるまで永遠にコールしてやれば良い。
元々、住んでいたはずのマンションに来た。大学生の時はボロアパートだったけど、社会人になってからはこっちに住むようになったらしい。
「……」
今更になって、迷惑かも、なんて思ってしまった。何せ、さっきイタ電したばかりなのに、ノコノコと家に押し掛けるのは……いや、でもそれの訂正も用事の中に含まれているし、問題はないはず……。
小さく深呼吸をし、マンションの自動ドアの中に入った。なんて言って開けてもらおうか? ていうか、寝ているのなら呼び出しても無駄なのかもしれない。
「……」
……まぁ、なんでも良いか、とすぐに頭を切り替えた。なんだかんだ面倒見の良い人だ、追い返したりはしないだろう。
「……面倒見が良いのに人付き合いが苦手って……哲学みたいな人ですね……」
そんな感想を漏らしながら、部屋番号を押す。すると、1コールで眠たげな声が出てきた。
『……ふぁい……』
「こんにちは。楓です」
『……ああ、かえれ……』
「えっ……」
帰れ、と言われた気がして、一瞬頭が真っ白になったが、自動ドアが開いたので、寝起きだったから呂律が回っていなかったと判断できた。
マンションの中に入り、樹の部屋がある階までエレベーターで上がる。玄関の前に到着してインターホンを押そうとすると、その前に部屋からドタバタとした音が聞こえて来る。
大体、察した楓は遠慮なくインターホンを押した。
『うおっ、マジ……ちょっ、楓待った!』
「ふふ、待ちません」
玄関に手をかけると、やはり開いていた。玄関の横に、大量のペットボトルの袋が置いてあるから、大慌てで掃除しているのだろう。
勝手に中に入ると、ちょうど鍵を閉めようとしていた樹と遭遇した。
「あっ……」
「入っちゃいました」
「……入っちゃいました、じゃないから……」
部屋の中はそれなりに散乱している上に、樹の髪には何箇所か寝癖が見える。こんな姿で樹くんが楓の前に出てくるのは初めてだ。それこそ、泊まった日の翌日くらいだった。
「珍しいですね? 樹くんが部屋を汚すなんて。私がいなくなるとそうなるようじゃダメですよ?」
「……悪かったな」
「え、本当に?」
からかったつもりだったが、意外な返事に楓の方が目を丸くしてしまった。
「え……だって、私とお付き合いする前からきれい好きだったじゃないですか。部屋も片付いてましたし」
「楓はもう来ないって思ったら、なんか気が抜けたんだよ」
目を逸らしながらそんな事を言う樹を見て、楓は何処となく新鮮な気持ちになった。成績は人の面倒を見れる程度には優秀、性格もクールで優しいというよくわからない人、欠点といえば長身もやし体型(実際の運動能力もスペランカー)、人付き合いが不器用、割と子供っぽい事くらいの彼に、そんな一面があるのは知らなかった。
だから、どういうわけか嬉しくなってしまった。嬉しくなると口が軽くなるのは、楓の悲しい性であった。
「ふふ。私がいないと樹くんはダメ人間になっちゃうんですね」
「ダメ人間代表が何を抜かしてんだバーカ」
「私はちゃんと料理出来るようになりましたもーん」
「‥‥良いから何しに来たんだよ」
面倒になった樹がストレートに用件を聞いた。しかし、楓は玄関から部屋の中を覗き込むと、微笑みながら全く別の答えを告げた。
「そうですね……まずは、お掃除をお手伝いしますね?」
×××
楓の協力もあり、大掃除は早く終わった。ゴミの日に出すゴミ袋や巨乳物のエロ本は全て玄関に置かれ、一件落着となった。
肉体的にも精神的にもゴリゴリと削られた樹は、楓にコーヒーだけ淹れて寝癖を直すついでにシャワーを浴びに行った。
その間、楓は物珍しそうに部屋にあったゲーム機をいじっていた。ゲーム機が珍しいのではなく、樹の部屋にこの手のものがあるのが珍しかった。
ソファーに座った楓は、とりあえず電源をつけてコントローラを手に取り、どんなゲームがあるのか見てみる。A○EXとかいうゲームをやってみた。
「……銃で撃つゲームなんですね」
ビコピコといじりながら、とりあえずレイスというキャラを選んでみた。樹が使うなら、レイスかミラージュだろうと思ったから。
キル数723という文字とチャンピオン部隊に自分が選ばれたのが気になったが、とりあえずゲームを始めた。
スマホでやり方を調べつつ、仲間と共に島に落下して武器を拾う。ピースキーパーとやらを拾った直後、目の前に敵が現れた。
「こう、ですかね?」
撃とうとしたが、四角い照準から敵の姿が外れる。慌てて左スティックを動かすが、なかなか当たらない。すぐに殺されてしまった。
味方もやられてしまったので、リスタートとなる。悔しいのでもっかいやってみたが、同じ結果になってしまった。
なんかつまんないしやめようとした時だ。
「ヘタクソ」
後ろから無機質な声が聞こえ、少しムッとしてしまった。頭にタオルを載せた樹が自分の隣に座った。こうしてソファーに並んで座るのは久しぶりで少しドキッとしたが、さっさと手元からコントローラを取られてしまったのでさらにイラつきがました。
「そういうあなたは上手いんでしょうね?」
「楓よりは」
「言いましたね?」
リスタートし、場所は軍事施設のような場所の地下通路、一本道で武器と手裏剣を拾う。RE-45、ピストルだが連射が可能な武器だ。
敵を視認するなり壁に隠れてピストルを構え、目の前の敵に向ける。ヘッドショットを当てつつ、アーマーをつけていないので壁に隠れ、再び顔を出して射撃する。
1ノックすると、別の敵が援護に来てしまったため、爆発する手裏剣を投げた。敵が怯んだ隙に、間にある遮蔽物まで詰めて姿を隠す。
「よっ……と」
向こうも詰めてきたのが分かったようで顔を出してきたが、弾を全て頭に当てて2ノックした。
「……あ、弾切れ」
いつもう1人が来るのか分からないので、とどめを刺して武器と弾薬とアーマーだけ拾って逃げた。
落ち着いたのでドヤ顔で隣の元カノを見る。が、楓は少し引いたような顔で呟いた。
「……どこまでやりこんだんですか? この廃人レベルのゲームオタクが」
「ポイントはカメラをあまり動かさない事。キャラを動かして合わせろ」
「聞いてませんが」
「良いからやってみろよ。教えてやるから」
「……」
正直、あまりやりたくはなかった。しかし、こうして何かを樹から教わるのが久々だったため、拒否もしたくなかった。
そんなわけで、並んでゲームを始める事、約二時間が経過した。楓も徐々に没頭し、知らない間に夢中になっていた。
使っているのは、みんな大好きパスファインダー。再びピースキーパーを拾い、敵を視認した。
「ショットガンは連射じゃない上に一発ごとに隙が大きいから。絶対、壁に隠れることを忘れるな」
「……は、はい……!」
まだ楓にキルはない。弾を当てられるようにはなったが、それでもキルには達していなかった。
壁沿いに移動し、チラッと壁から顔を出す。敵は気付いていない。アイテム収集をしているようだ。
「今だ、撃て」
「せい!」
見事に動体を弾が貫く。当然、気付いて後ろを見ながら壁に隠れるが、楓も同じように隠れながら射撃の準備をする。
「今のでアーマー剥がれたから。もっかい撃てば勝てるよ」
「わ、分かりました……!」
さらに顔を出し、照準を敵に合わせる。しかし、敵も同じように銃口を向けていたため、慌てて隠れた。一発、もらってしまったがまだ生きている。
小さく深呼吸するように息を吐く。敵からの射撃が止んだため、恐らくやる気なのだろう。詰めてくるのを警戒してか、向こうから回復している時の音は聞こえない。
「……そい!」
勇気を振り絞った楓が顔を出し、一発撃ったことでようやく敵がダウンした。
それにより、思わず楓は嬉しくなって舞い上がってしまった。隣にいる樹に抱き着き、樹は思わず後ろに押し倒された。
「やったー!
「お、おういやまだ終わってないから今のダウンで敵が詰めて……」
直後、画面から射撃音が耳に響き、楓のキャラはダウンした。
それにより、冷静になった楓は慌てて樹から離れた。少し頬を赤らめ、後悔した。別れた彼氏に対し、とって良い行動ではなかった。
「……す、すみません……」
「いや、別に……」
二人して目を逸らす。楓のキャラはトドメを刺され、めでたく1キルは逃したが、二人ともそんなこと気にしている場合ではなかった。
気まずい空気が場を支配する。樹に抱きついたのは久しぶりだった。背が高く肩幅が広い割に、筋肉も脂肪もついていない‥……はっきり言って抱き心地はあまり良くないこの感触は、やはり嫌いではなかった。
でも、それ以上に相手への気遣いや配慮が足りずに後悔した。
流石に何も言えなくなっていると、樹の方から声をかけてきた。
「……そういや、結局、今日は何しにきたの?」
聞かれて、楓はポカンとしてしまった。そういえば、何しに来たんだっけ、的な。
美優に気を使わせてしまった事、二日前の1万円の事、イタ電みたいになってしまった電話の事、他にも色々と用はあったはずなのに、それらが全て頭から抜け落ちている。それほど前に、久し振りに樹と遊んだのが楽しかった。
しかし、その時間も長くは続かない。スマホにメールが届いた。確認すると、プロデューサーから急なお仕事による呼び出しだった。
「……すみません、樹くん。お仕事みたいです」
「あ、そう」
それにより、楓はソファーから立ち上がって小さく伸びをする。玄関まで歩き、靴を履くと、樹が見送りに来てくれた。
名残惜しい。とても名残惜しいが仕方ない。仕事が入ってしまった以上は、そちらを優先しないわけにはいかない。
去り際、扉を開ける前に樹の方を振り向いた。
「あの……樹くん」
「何?」
「また、遊びに来て良いですか?」
思わず出たその問いに、樹は思わず押し黙る。
……が、すぐに頷いてくれた。
「平日以外なら良いよ」
相変わらず不器用な返事だった。そこは「いつでもこい」と言うところだろうに。
しかし、そんな面がやはり嫌いだけど嫌いになれなかった。
とりあえず、その返事に納得した楓は、手を振って仕事へと向かった。
これでプロローグ終わりです。