ハーメルンバンドリ作家合同企画(テーマ交換・オリキャラ無し) 作:大里野上
私は今の日常を、愛しているのだと思う。ギターをストイックに、ただひたすらに求めていた頃にはそんなことを考えている余裕はなかった。ただあの子に全てを奪われて、それが悔しくて、苦しくて。だけどそれは湊さんに──Roseliaに出逢えたことで、その日々が苦しかっただけではないと、最近は思えるようになった。
「紗夜、日菜、二人とも起きなさい」
「……おはよう、お母さん」
「おはよ~……おねーちゃんも……」
「おはよう、日菜……」
「もう、揃いも揃って、先に顔洗ってきなさい、ひどい顔よ?」
娘に対してなんてひどい言葉を掛けるのかと鈍い思考をなんとか回しながら呻いた。朝はどうしても弱い。特にまだ春になり立てのこの涼やかというには少々寒すぎる空気感もそれを助長しているように感じる。それは隣にいる日菜も同じようで、やはり私たちは双子なのだなと実感させられた。
──ともあれ、眠い。寝ぼけ半分の頭をすっきりさせるために、顔に冷たい水を浴びせる。痛みに似たような感覚が、やがて温もりに似た眠気を振り払った。
「朝ご飯はパンでよかった?」
「大丈夫」
「あたしもー!」
すっかり目覚めた日菜と会話をしながら数分待ち、バターを塗られてこんがりとした匂いを放つパンを齧る。サラダを咀嚼しながらふと私は母の顔を見上げた。よく似ていると言われる顔をじっと見てほんの少しだけ首を傾げた。
「どうしたの?」
「……なんでもないわ」
違和感があったけど、そういえばお父さんがいないせいかと思い直した。単身赴任中でとても寂しがっていた。我が父ながらああも母や娘たちに甘えてくるのはどうなのだろうか。とはいえ、それを寂しいと思えてしまうのも、家族ゆえよね。
「え、おねーちゃんもう行っちゃうの?」
「朝練だと言ったでしょう?」
「そっかぁ」
「日菜も生徒会の仕事とかないの?」
「ないよー、昨日ぜーんぶ終わっちゃったもん」
ズキリと胸に痛みが走った。
日菜、妹は天才と呼ばれている。この間の模試の結果も日菜は全国トップだったらしいことをお母さんは近所の友人との井戸端会議で教えてもらったらしい。私だって、花咲川ではトップの成績だったのに、母はその話をして日菜を褒めた。
──いつもそうだった。運動でも、勉強でも、いつも日菜は私の真似をしてあっさりと私を追い抜いていった。
「日菜はすごいわねぇ」
「えへへ」
「……っ!」
それでも以前よりはずっとこの衝動は落ち着いた。日菜ともまっすぐ話せるようになった。昔のように仲良くなったと自負できる。けれどこういう細かいところで、私は日菜に劣っていると感じてしまう。
日菜は今や芸能人であり、芸能活動と生徒会長の仕事を両立させながら、それは私なんかよりもずっと多忙なのに。勉強もほとんどできていないはずの日菜が褒められるという事実が、もうそうはならないと決めたはずの心を黒く塗りつぶしていく。
「……行ってくるわ」
この残酷な気持ちを振り払うように冷たい朝の風を浴びていく。しかし私は、この気持ちと向き合っていくと決めたのに……ふとした時に鎌首をもたげてしまう。
──日菜が、妹がいなければどうなっていたのだろうと。私はいつでも夢を見る。一番で誰からも褒められるであろう自分を。
「醜いわね……我ながら」
大切で愛おしいと思える日菜のことを、時折邪魔だと感じてしまう自分が醜い。醜いと思いながらもそれを日菜のせいにしたくなる気持ちをぐっとこらえた。
──神様は残酷だ。普段はヒトの願いなんて全く叶えようとすらしないのに、この時はその願いを叶えてしまった。私の願いが歪んだ願いが氷川日菜という存在をこの世から消した。
いや、私だけではない。
「ちょ、ヒナ~、さすがにやばいって……」
「あはは~」
「か、会長、日菜せんぱいっ!」
日菜に振り回された不満を持つヒト。あの子のことを認めつつも心のどこかで関わることに疲れてしまうことは仕方のないことだった。それはあの子の責任でもあるのだから。消えてほしいとまではいかなくとも、存在することに対する不満はあった。
「副会長さんは大変そうですか?」
「そーなんですよね~、つぐは二年のわたしが指名されたならってめっちゃ張り切って色々するからもうホントに、
日菜に友人との時間を奪われたヒト。良くも悪くもあの子は台風だ。パスパレ、丸山さんたちもそれには巻き込まれ続けていたのだろう。本気で消えてほしいとは思わなくても、彼女がいなかった現在を想像してしまう気持ちも、少しはあったように感じる。
──そんなものもひっくるめて、私はふと考えてしまった。
それが、日菜のいた日常にいた最後の記憶。自分では気づかない間に、私は何度目かの、四月頭の金曜日を迎えていた。
「……おはよう、ございます、氷川さん……」
「おはようございます、白金さん」
しかし、私の違和感はいつまでも抜けない。絶対に金曜の夜に部屋に気づき中を調べる。そうして土曜に解読を始め、日曜に全てを思い出して、また金曜へと眠りにつく。
その間日菜は全てを覚えているのだろうか、そんなことすらもわからないまま、何度も何度も繰り返した後だった。
ただ一つ違ったのは、その日は最初から新しい部屋があることを知っていたこと。そんな話を白金さんにした。
「……知らない、部屋……ですか」
「はい……気付いたらそこで寝ていて」
「不思議な……お話ですね……」
廊下で夕方の明かりを見つめながらの他愛のない雑談に、すれ違ったとある人物が反応した。
──不満や妬み、日菜に対してそんな感情を一切抱くことがない人物がこの学校には、いやそれどこかおそらく日菜を知る人を全世界で探しても彼女とウチの父くらいしかいないだろう。
「その部屋、見せてもらえるかしらっ?」
「──弦巻、さん?」
「どうして?」
「あたしの知り合いの部屋かもしれないもの! 皆が忘れてしまっている大切な友達の!」
──弦巻こころさん。彼女は瞳をまるで燃える金色の太陽のようにキラキラ輝かせて私を見上げた。
夕陽に照らされた彼女の表情に、何も知らない私は違和感を拭ってくれそうな存在に、謎と不思議を解いてくれる存在に縋りつくことにした。
──家にある知らない部屋を知っているヒトの存在、弦巻こころさんを家に上げた。お邪魔しますと普段の立ち振る舞いからは想像もできない程丁寧に、母に挨拶をした彼女は、案内した部屋にやっぱりそうねと頷いた。
「……あの、弦巻さん?」
「日菜のこと、忘れてしまったのね……紗夜も、みんなと同じように」
「ひ……な?」
口に馴染む、けれど聞いたことのない名前が弦巻さんの口から飛び出してきた。部屋を開けて、弦巻さんは水色のギターに触れた。
机にあったピックにはギターと同じ色と、かわいらしい花があり、裏には謎の文字列が並んでいた。それを眺めていると、弦巻さんはもう一度、その名前を……今度は少しゆっくり呼んだ。
「氷川日菜……紗夜の妹だわ」
「私に……妹?」
「ええそうよ。紗夜は双子なの」
「ま、待ってください……突然そんなこと言われても──」
そう言った瞬間に、記憶がひび割れた。いつも一緒にいた存在、とあるきっかけで崩れた関係、繋いだ音楽という絆、氷川日菜という存在が私の記憶にあった違和感という隙間を満たしていく。
「……日菜、日菜……私、どうして?」
「そうよ、どうして日菜を忘れたりするの──」
「──やめてよ、こころちゃん」
今まで忘れていたという驚きを鋭利なナイフのような声が切り裂いていった。
さっきまで誰もいなかったはずなのに、いつの間にかベッドの上にはヒトが座っていた。私にそっくりな顔立ち、普段は明るく見開かれる顔と口が今は怒りと悲しみに歪んでいた。
「なんでそういうことするの? なんでおねーちゃんを苦しめるの?」
「……日菜、ここに、いたのね」
「うん、ずーっといたよ」
全部を思い出してしまった。私が愚かしい願いをしてしまったことを。それを叶えてしまったナニカの存在を。
なにより日菜がいいよ、おねーちゃんがそういうなら、と悲しそうに笑ったこと。忘れたことへの後悔があふれ出してくる。
──同時に、思い出してしまったことへ、忘れていたかったという思いを抱いた。
「おねーちゃんはさ、あたしのせいで苦しんできたんだ。あたしがなんでもできちゃうから、それでお母さんは私ばっかり褒めるから」
全然わかってなかったけどと後ろに付け加えながら、日菜は下を向いた。下を向いたまま、私に声を掛ける。聞きなれたおねーちゃんという言葉を、双子の妹の存在を抹消しようとした姉に向けて。
「どうしていつもいつも思い出しちゃうの……? あたしのせいで苦しむのに、どうして……?」
「それは……」
「あたしなんてどうなってもいいよ。おねーちゃんが幸せなら、あたしのこと忘れたままでいていいのに」
言葉が続けられない。どんなに違うと口先を良くしても私の腹の底は黒いままだ。嫉妬と怒りと、負の感情で満たされている。忘れた頃にはない胸をかきむしりたくなるような痛い感情が、私を苦しめてくるのは事実だった。
「──ダメよ!」
けれど、弦巻さんは毅然と否定する。忘れるなんてダメよと日菜に対して怒りのまなざしを向けた。
そして、引き出しから短冊とピック、日記から写真を取り出して並べた。数字とアルファベットの文字列が三つ、意味はわからないけれど日菜が残したものだということは私にもわかった。
「これ……きっと日菜の名前よね?」
「うん、これがHでこれがIなんだ。それでこれがNだよ。後は天文部の部室の日誌に最後のAの文字があるんだ」
「どうして……そんなものを?」
それは今の日菜の言葉とはまるっきり矛盾するものだ。それは日菜にたどり着くヒントだ。名前が暗号化されているだけでなく四つのアイテムは全て私と日菜にかかわるものだから。幼い頃のツーショット、私を追いかける形で始めたギター、偶然会って少し歩み寄れた七夕の短冊、二人で星を見て、日菜のことを知るきっかけでもある一緒に考えた活動記録。
これは私に思い出してくれというメッセージとも受け取れる。何も知らずにこのいずれかを発見すれば、私は確実に今井さんや白金さん、羽沢さんと言ったメンバーを頼るだろう。そして、すぐに日菜の存在にたどり着く。
「日菜だって、一人じゃ生きていけないのよ」
「……そうよね」
「忘れられて、誰からも見えないなんて……紗夜は考えられるかしら?」
無理だ。自分が最初に納得したとしてもすぐに音を上げることになるだろう。わざわざ複数人を巻き込む形で少しづつヒントを出して、なるべくたくさんのヒトに思い出してもらえるように。
──日菜だってそうに決まってる、愚問だわ。誰からも忘れられている、存在していることすらわかってもらえないなんて、死んでいるのと変わらない。人間が本当に死ぬのは忘れられた時だと言うけれど、逆に全ての人間から忘れられたら……それはこの世にいても生きているとは言えないわ。
「……ごめんね、おねーちゃん」
「いいのよ、日菜……」
日菜がいなくなった世界は、私にとって幸せだったかもしれない。けれど
──その満たされない隙間という違和感が日菜がいないという喪失感を気付かせていた。
「結局、日菜がいないとダメなのよ……私は」
「おねーちゃん」
「一番になっても、お母さんから褒められ続けても、日菜がいないということはそれだけで……不幸なのよ」
身勝手だ。私は本当に身勝手だと認識した。自分で消えてほしいと願ったのに、日菜がいなくては幸せになれないという矛盾が、日菜の言葉通り繰り返して三日間を送っていた結果なんだろう。
「失って初めて気づくことがある……私は、日菜のいない日々が耐え切れないのよ」
「でも……あたしはずっと」
そう、ずっと日菜は私を苦しめてきた。私が欲しい物を全て持っていた。才能も愛情も、羨望も。けれど私がそれを背負うには重すぎた。その立場は日菜だから、日菜でなくてはいけないのだと思い知らされた。
身勝手でもなんでもいい、私が本当に欲しい物は日菜が持っているものなんかじゃないことに気づいたのだから。
「私は日菜のいる日常がほしいのよ……だから、帰ってきて、日菜」
「おねーちゃんっ!」
結局、そうなんだ。私には日菜が必要で、日菜は他の誰から見られなくても、私が見てくれないことには耐えきれなかった。
たったそれだけのことだった。抱きしめ合って、お互いの存在を確かめ合って……そして世界は崩れていく。
「紗夜、日菜、土曜だからっていつまでも寝てないで、ご飯よ」
「……日菜?」
「おはよ、おねーちゃん」
──そして目が覚めた。朝の光が灯る部屋を出るといつも通り眠そうに欠伸をする妹が丁度部屋から出てきた。
今日は何故だかとっても意識がはっきりしているから私は妹の頭を撫でる。するとおねーちゃんと甘えた声を出してじゃれついてくるのを、私はしっかりと受け止めるのだった。
「……あれは、夢だったのかしら?」
「なにがー?」
「……なんでもないわ」
日菜が記憶から消えて何回も金曜から日曜を往復するなんて、夢以外のなにものでもない。そう結論づけて私はパンを齧った。今日は今井さんと羽沢珈琲店で待ち合わせをしているのだから少しだけサラダは抑えめにして、支度をしていく。
するとピックが服から滑り落ちた。ダークブルーでバラが描かれたピック。ふと、夢のことが頭を過って、私はその裏を見た。
「……これは」
──自分の名前の時よりすごく凝っていたけれど、すぐにわかった。紙に順番にアルファベットを書き、そして私は微笑むのだった。
「私もよ、日菜」
I remember you even if it fade from someone's memory.
The END.