ハーメルンバンドリ作家合同企画(テーマ交換・オリキャラ無し) 作:大里野上
テーマ「笑顔だけけれど元気のないこころ」
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10月15日
公園のベンチ。私の影。
弦巻の令嬢として、ハロー、ハッピーワールド!の一員として、誰かの友人として。私の心は裏表なく常に彼女たちと共にあり、私の行動は彼女たちを思っての事だった。
嘘じゃない。決してこれは嘘ではない。私は本気だった。赤子や聖者、神様にしか希うことが許されないような願望を実現させようとした。恵まれた環境に身を置き、優れた能力を持った私は、客観的に見て自分よりも弱い誰かの為に砕け散るまで走らなければならないのだと。
傲慢だと自覚している。誰よりも罪深いのだと心の底から理解している。されど止まらない。止まらない。恵まれている己がここで立ち止まるのは、共に走ってくれた彼女達への侮辱故。
私を通して誰かが笑顔になって。その誰かの笑顔が他の誰かの笑顔を産んで。また他の誰かの笑顔が……。
喜ばしい連鎖。世界で最も美しい伝染病。広まる笑顔の波紋は、私たちがやってきたやってきた事が決して無駄ではなかった事の証明となった。
皆が笑顔になって、私も笑う。人生で一番、と迷いなく言えるほどの笑顔を浮かべていたと思う。
『きっと、私たちなら』……そう、思った。
けれども。
そんな自分を冷めた目で見つめる弦巻こころが、私の側にいた。
思い出すだけでも凍えそうな瞳だった。絶対零度の炎で焼かれているように、震えが止まらなかった。あの目は道端に落ちている石ころを見つめるものだった。つまり、無価値。無駄で、無意味で。
この日記を付け始めたのは、証明のためだ。私が駆け抜けた、そしてこれから駆け抜ける日々が間違いではないという証明。何よりも難しいが、私は。私達はこれを踏破する。
10月19日
生きる活力……一般的に元気と呼称されるもの。私のそれは減少してきているようだ。クラスメイトに心配されてしまった。
明日からはもっと笑顔にならないと。
10月23日
海岸。境界線。
私達には恐らく境界線がある。自己と他者を分けるラインと言い換えてもいい。この境界線は物質、概念を問わず様々ある。
例えば、肉体。これがある限り、私たちは他者と同一の存在になることは不可能に近い。だが、この肉体というものは物質的なものだ。つまり、この肉体という枷をいずれ人類は克服する可能性もまた、ある。
そうして人間が生身の肉体を持たず、魂などの曖昧な概念で固定される存在となれば、人類は『ひとつ』になることができるのか。
それは、きっと否だ。人間には『心』という境界線がある。そしてこの境界線は概念的……つまり、人間の科学がどれほど進歩しても、この心の境界線は保たれる。人間が人間を真に理解する日は訪れないし、心の尊さや価値が損なわれる日もまた、訪れない。
私の心に、果たして意味はあるのか。
10月31日
今日は上手く笑えた。
11月5日
見抜かれない。上手く笑えている。
でも、薫には少し怪しまれた。お願い、気づかないで。気づいたら、私は。
11月10日
教会。言葉。
言葉とは心の劣化品だ。言葉は心の一部を、彩度を落として映す鏡だと思う。
しかし、言葉は喉を通り、声として外界に作用する時、独自の色を持つ。心の色ではなく、きっと言葉それ自体の色。響きやトーンといったものから、言葉では表現できないものまで。言葉には、言葉で表現できない無数の要素を持つ。それはきっと矛盾なのだろう。
だが、私はこれを美しいと思った。言葉でいい表せないものの1つや2つ、言葉それ自体が孕んでいてもいいはずだ。全てが0と1で表される世界だなんて、単調すぎる。そんな世界はコンピュータにでも任せればいい。私たちは0と1の余剰を味わう為には生きている。その余剰を積み上げ、重ね、誰かの記憶に残るものこそが人生だ。
私の生も、いつか誰かの記憶に残り、誰かの言葉で以って語られる日が来るのだろうか。私の愚かしくも、きっと美しいはずの理想とともに。
11月12日
噴水前。神さま。
神さまとはなんだろうか。最近よくそのことを考える。教会に行って、神父の言葉を聞いて。私は神さまというものがよく分からなくなった。
私達の父たる主。私達を天上の国へと導く主。この世界を作り上げた主。私達の罪悪を裁く主。唯一にして無二の主。
救いと罰を人の子に与える、たった一柱の超越者。その超越者に、果たして理解者はいるのだろうか。いや、きっといない。主は1人で完結しているからこその主だ。完結しているから、人間の救済という途轍もない重荷を背負うことができる。
私の願いは、それこそ神さまでしか叶えられないようなものだ。有史以来、人類全員が笑顔になれた瞬間なんてない。誰かの笑顔は誰かの涙の裏返し。カードの表裏みたいに簡単にひっくり返る可逆変化。70億のカード全てが表にするなんて億劫な作業だ。叶うはずのない理想に焦がされた私は、イカロスの如く失墜している。
それに。
全人類が笑顔になる世界は。完全で、完璧で、全員が幸せで。
でも、どうしようもないほど行き止まりで。先がない世界なんだと思う。
11月14日
窓辺。音楽。
私達にとって、音楽とはなんだろうか。
Roseliaのライブに行ったあの日から、ずっと考えている。Roseliaにとっての音楽は繋がりそのもの……人と人を繋ぐ架け橋のようなものだと思う。個々人で見ればもう少し違う回答が出るとは思うが、五人というグループ単位で見たときの回答は恐らくこれだと思う。だが、所詮私のような部外者が見て感じたものだ。間違っている可能性は大いにある。
音楽は芸術だ。人生が芸術を模倣する。誰か昔の人が言った言葉だが、その通りだと思う。Roseliaの芸術は情熱的で、激しく……まるで一瞬一瞬を全力で生きている花のようで美しかった。
私の体がなければ、私は音楽は作れない。私のこの生活がなければ、作品は生まれない。私が作る音楽というものは、私の経験や心、生活に由来している。私と音楽が、全てイコールで繋がれてしまう。まるで、鏡のように。
だけど、私の人生は私の音楽ほど美しくない。私の人生は私の芸術を模倣できていない。私は、私の音楽に理想を落とし込んでいる。つまるところ、音楽で妄想している。誰もが笑顔になった世界という曖昧で漠然としたものを、音楽で表している。いつか、私の人生がそれを模倣してくれるように。
だから、私の音楽は軽い。表現や語彙に厚さがない。私は音楽に理想を見出した。私は私の理想ほど綺麗じゃない。私は傲慢さを振りまく化け物で、私の理想はガラス細工のように綺麗で。
この矛盾が、ずっと苦しかった。
音楽が楽しくなくなってきた。
11月19日
何か、大切なものを。
11月24日
石畳。逃避。
私は逃げ出したかった。社会や人間関係、学校、友人、人生とか。要するに、私という人間を構成する全部から逃げ出したかった。
逃避とは唾棄されるべきものだ。問題から背けて、何処か遠いところへ逃げ出す。それは弱さであり、罪悪だ。今目を背け、逃げ出しても。必ず何処かのタイミングでまた直面しなければならないのに、逃げ出すのは時間の無駄だと。私はそう思っていた。だが、これは強者や第三者の意見だ。
立ち向かいたい、向き合いたい、乗り越えたい。しかし出来ない。だから逃げる。
そんな当たり前の思考プロセスを、過去の私は知らずただ自己の理想論を振りかざしてきた。
彼らの目に、私はどう映っていたのだろうか。正しさの化け物だろうか。恐ろしい悪魔だろうか。それとも、背中を押す天使か。
どちらでもいい。等しく恐怖の対象という点では変わらない。
私も、何もかも捨てて逃げれば。どこか遠くに行って、思い出の外に座れば。ここまで落ちぶれることはなかったのかもしれない。
いや、違う。違う。違う。私は逃げれるほど強くない。私が逃げるには、暗闇の中手を引いてくれる優しい誰かが必要だ。主体性すらないなんて、本当に人形みたいだ。
12月3日
心の中に、ぽっかりと穴が空いたような感覚。埋まらない、埋めれない穴。私の中の何かが崩れ落ちて空いた穴は、私の心を虚で埋め尽くす。何をやっても楽しくない。毎日が褪せて見える。私だけ昨日に取り残されている感覚さえ覚える。
前が見えない。前を向かない。過去が愛おしい。昨日が惜しい。言い訳ばかりだ。足を前に出せない。
12月10日
私にだって信念があった。それに向けて全力を尽くしてきた。だけど、今では。それはゴミ箱に捨てることができるような重さになってしまった。
12月13日
ベランダ。涙。
久し振りに涙を流した。泣かないように努めてきたつもりだったが、心を抉られた痛みには無力だった。
涙は遅延性の毒だ。感情に色づいた涙は全て毒だ。悲しさの涙も、嬉しさからの涙も。感涙さえも。毒ではない涙なんて、欠伸の時に出る涙だけだ。
感情は欠落で、不完全で、弱さだ。その弱さを正当化する麻酔が涙だ。自己陶酔と言い換えてもいい。そんなものは慰めにすらならない、真性の毒だ。しかも、誰もが涙にある程度の価値を見出している。ヒ素よりも面倒で、厄介だ。
涙なんて、ただの液体なのに。強い感情を外部に伝え、自分を正しいと思い込ませる毒なのに。誰もがそれを認めようとしない。
そう思うと、周りの人が途端に化け物に見えてきた。誰もが自己正当化の毒を隠し持っている、自尊心の塊に見えてきた。
私が子供に向けて歌っていた、その隣で。通りすがりの人がポツリと呟いた。「くだらない歌だ」って。
12月19日
どうでもいい。
12月21日
もう、どうでもいいんだ。
1月19日
笑えている。笑えているのに、どこか空虚に感じてしまう。心の底から笑えていない。表情を取り繕うことしかできない。こんな笑顔は、笑顔じゃない。私じゃない。
2月28日
何も書けない。
3月1日
何もなくなってしまった。それこそ、浜辺の砂の城のように。いっそのこと、私も崩れてしまえばいいのに。
5月11日
何も書けない。
6月1日
この町に雨は降らない。梅雨時だというのに、ひどく乾いている。
7月30日
何も書けない。
8月1日
眼が邪魔だ。
10月1日
今日は
何も書けない。
12月31日
書斎。停止。
この日記を書くのを止めようと思う。誰に見せるつもりもない日記に、こんなことを認めるのは自分でも少しおかしいと思う。
おそらく、私にとってこの日記というものは自己を戒めるための鎖であり、どうにもならない傷そのものだ。そして、日記を読み返す行為は傷口の切開を指す。
要するに、私は耐えられなかった。傷口が生む痛みに。日記が見せる、どうしようもないほど醜い自分に。
7月6日
もう戻れない。
7月13日
バス停。ピリオド。
1週間前、私は音楽をやめた。受験だから、と適当に理由をつけてハロー、ハッピーワールド!を解散させた。
勿論、本当の理由は違う。恥ずかしかった。ただ、自分の心が恥ずかしかった。私の影が皆んなを見下している事実が、ただただ苦しかった。
だからやめた。何もかもを捨てて、逃げ出した。逃げ出したら、穴が空いた。その空いた穴には何もない。なにも埋めたくない。私達の思い出は唯一無二だから。今更別の思い出を注いだ所で、この穴が塞がる訳がない。
この穴が感情の源泉だ。この痛みこそが正しさだ。正当性のある痛覚は欠落を刺激するが、決して麻酔は出ない。
誰よりも身勝手だった私が、今更毒に縋るわけにはいかない。
8月4日
四畳半。歩く。
あの屋敷を、私は出た。あの場所にいると、私は何者にもならないような気がしたから。
いや、それすら嘘だ。何者にもなれないことが怖くて、逃げ出した。毒を流して。最低限のお金と、この日記帳と、ペンを持って。
家事を覚えて、なんとか一人で暮らせるようになった。洗濯機すらまともに使うことができなかった私が。少しは以前の私よりも進歩したと思うが、根本的な問題はまだ残っている。
何もかもが満ち足りたあの場所から逃げ出したのは、自分を見つめ直すためだ。音楽と、私の夢と、私自身を。
音楽について。音楽をやめてもう1ヶ月近く経つけど、なにも変わっていない。そう、なにも変わっていない。音楽をやっていた私と、音楽をやっていない私の差が一切ない。その事実が只々苦しかった。
私の夢について。神さまや赤子、聖人にしか願うことが許されないようなもの。抱き、願い、叶えようとすると生まれる痛み。それはきっと高潔でなければ耐えられない。痛みの中でも自己を見失わない、とても正しい羅針盤を持たなければならない。高潔な精神とはコンパスなのかもしれない。
私自身について。私の影とは私だ。そんな当たり前のことすら忘れていた。認めなかった。認めたら、私の完全性にヒビが入るみたいで。私はただ傷つきたくなかっただけの臆病者だ。
でも見つめることはできない。逃げだして、2日目に気づいたことだ。私は眼が邪魔だと思ってしまったから。私はあの時からすでに盲目で、白痴だ。
全部。全部が無駄だった。そんな当たり前のことを、今になってやっと気づいた。
8月6日
随分遠くに来た。
8月8日
教会。人間らしく。
結局、人間らしさというものが私には分からない。
こうやって自分の影と対峙し、乗り越えていくのが『人間らしさ』なのか。
それとも自分の影から逃げ続けることこそが『人間らしい』のか。
正解がどうであれ、もう私には関係がない。私は負けたのだ。自分の闇に。もう、私には笑うことすらできない。表情筋を動かし、『相手の警戒心を解き、安心感を与える表情』を作る事はできるが、それは笑顔とは呼ばない。呼べない。呼ばせない。セピア色の私の過去がそれを拒絶する。
私はこれから死んだようになる。朽ち果てた理想の上を歩く。過去の痛みが断頭台の刃となり、今の私へ向けて振り下ろされる。
理想に裏切られたわけではない。初めからあの理念は輝かしい。そして今もきっと。
だが、私は違う。私の生命の輝きというものはもう褪せてしまった。ひび割れ、継ぎ接ぎだらけになってしまった。それこそ、死んだ人のように。
こんな理想を抱くのは全くもって人間らしくない。本当に神様にでもなったつもりだったのか。子供らしく、有りがちな全能感に酔い。嘔吐して。あぁ、なんて愚かしく罪深い。
最後まで私はこれだ。
どこまでいっても自分の夢ばかりで。理想論と性善説だけを振りかざして。目の前で泣いてる誰かを見て見ぬ振りをしてきた。
利己的で理想ばかりを見る、夢狂いの醜い化け物。
私には、結局笑顔しかなった。それを自覚することもせず、ただ傲慢にも走り続けた。今ではその笑顔というアイデンティティすら闇に溶けて、消えた。
私は誰かを演じる貴女に光を見た。
私は誰よりも真っ直ぐに走る貴女に道を見た。
私は誰よりも思慮深い貴女に優しさを見た。
私は着ぐるみ姿の君に神様を見た。
私達5人で過ごした時間は、全てに勝る宝だ。だから、その宝物はせめて。
せめて、美しいままに。
8がつ8にち
Last will.
あかいがいがたりない。あかいがいがたりない。あかいがいがたりない。あかいがいがたりない。あかいがいがたりない。あかいがいがたりない。アカイガイガタリナイ。akaigaigatarinai。aaaaaaaakkkkkAaaaaaKaaaたりないたりないたりないたりナイタリナイtarinaiたりtatatatatatatatannnnnnnaaaaaaaiiiiii___________________。けいもうケイモウヲkeimouwo。わたしはzinnruiの収kakuヲ。reimeikihasugisatta.imakoso
何かが崩れ落ちる感覚だけが、私を繋ぎとめていた。私の命よりも大切な何かが音を立てて崩れていく。この日記ですら惰性で書いてる。私が書いた覚えがない文章がいくつも混ざっている。もう私は正気ではないのかもしれない。
だが、これでほうきぼしがめぐり、じんるいはあらたなるしんわをきりひらく。いまこそまびきをじんるいのまびきを。いいと思った。
無意識のうちに自分以外の誰かを見下していたこの愚かさには丁度いい報いだ。発狂する感覚や、自我が別の何かに塗りつぶされていく感覚というものは中々に得難いものだ。未知を見せてくれた私の影にも、少しは感謝しなければいけないかもしれない。
だが、もうどうでもいいことだ。そう、どうでもいい。なにもかもが、些事だ。私が欠陥を抱え、欠落を認めず、故障を否定した生命であるという事実の前では。何もかもがちっぽけだ。認めない。認めない。
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8月9日
さようなら。