ハーメルンバンドリ作家合同企画(テーマ交換・オリキャラ無し) 作:大里野上
テーマ「休日の過ごし方」
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タクシーの中から雨の降る街を眺めていた。
灰色の空がコンクリートの街を覆う。薄暗い単色で染められた世界。それらを目視しながら冷たいガラスに頭を預けると、都会の人工的な音に雨音が混ざり、ある種の気持ち悪さを感じずにはいられなかった。
9月の中旬のある日の土曜日。私は朝からある場所へと向かっている。
赤信号で車が止まると目の前の交差点が人で覆い尽くされた。中には私と同じくらいの歳の人たちもいる。やはり高校1年生となると、雨の日でも休日は遊びに出かけるものなのだろうか。
「着いたよ。お嬢ちゃん」
「ありがとうございます」
他人事のように窓の外をぼうっと見ていると、タクシーはいつの間にか目的地に着いて停車した。
白い髭を生やした初老の運転手が朗らかに微笑みかけてくる。私は彼に軽く会釈をして運賃を支払い、ビニール傘をさしながらタクシーから降りた。
「…………」
私は無言で
私は都内の大きな病院に来ていた。規模で言えば国内ではかなり大きな部類に入る大学病院。
占める土地も巨大で、振り返ると緩やかに曲がった車道を挟んで広大な駐車場が広がっている。
「……ぼーっとしてる暇はないわね」
正直な話、気分はあまりよくない。ここに来るといつも気鬱な気分になる。
しかしいつまでも尻込みしてる訳にもいかないので連絡橋とエレベーターを使って目的の病棟へと移動する。別棟の最上階である6階で降りると、仄かな薬品の臭いが鼻の奥をツンと突き刺した。
そのまま廊下を渡って1番奥の病室……613号室の前に立ち、1度大きく深呼吸をする。
早鐘をうつ心臓を落ち着かせ、重たいクリーム色の扉に手を掛けた。
「──日菜」
「あっ。おねーちゃん」
部屋に入ると眩い乳白色の照明と共に、明るい快活な声が私を出迎えた。
お世辞にも広いとは言えない個室の病室。その窓際に備えられたベッドの上で、私の妹“氷川日菜”は、自分と同じ浅葱色の髪色を振りながら爛漫とした笑顔を見せてきた。
「調子はどうかしら?」
「うん。今は全然大丈夫」
「無理は、しないでいいのよ……?」
「無理なんてしてないよ」
彼女が見せる普段通りの陽気な表情。日菜は気丈に振舞ってはいるが、身体の様子は一般的なそれとは明らかに違っている。
日菜から聞こえる普通とは違う呼吸音。そして布団で意図的に隠されたであろう右脚を見て、私は表情を曇らせるた。
日菜は今、非常にタチの悪い病に苛まれている。
彼女がこの大学病院に入院して1年半、私は週末になるといつも此処を訪れる。
車で約30分。いつもはお父さんの車に揺られながら。仕事でいない日は、今日のようにタクシーを使って。
炎暑な盛夏の季節でも、今日のような粘っこい霖雨の日でも。私は欠かさず彼女の病室を訪れる。訪れた。
それが私の、休日の過ごし方である。
骨肉腫。主に思春期の頃に多い症例で、日本全体では1年に約150人程度の稀有な病気。
日菜は1年半前、その骨肉腫を患った。
そんな病気がどうして日菜に……今ではそう思わないではいられなかった。日菜本人の話によると発端は15歳の初夏の事だったそうだ。受験を控えた夏休みなのにも関わらず、彼女は運動部の助っ人をいくつも引き受けていた。
そんなある日、日菜は突然右膝に違和感に襲われた。
最初は大したことないから放置していけれど、その違和感は次第に大きくなり、やがては激しい痛みに変わっていったという。
それでも日菜は、痛みを表に出すことはなかった。流石に数は減らしたらしいが、その後も運動部の頼みを引き受け続けたらしい。もしかすると1度引き受けた頼みに彼女なりの責任感を感じていたのかもしれない。
最初はそれでもまだもっていたらしいが、遂に痛みに耐え切れなくなり日菜は倒れてしまった。
休日の昼下がりのリビングでのこと。突然だった。あの時の痛みに苦しむ彼女の悲痛な表情は今でも鮮明に思い出される。
整形外科へ赴き、患部のX線写真を見た時には愕然とした。大腿骨は腫れ上がり、骨膜が異常な程に盛り上がっていた。骨肉腫が疑われたその症状の詳しい検査をする為に当院を受診すると、それは案の定だった。
『骨肉腫、ですか……?』
『はい。 いわゆる、骨のがんですね』
それから1年。薬剤による化学療法と手術による治療が始まったのだが、その道はあまり好ましいものとは言えなかった。
念の為上半身のMRIを撮った時、肺に転移巣が見つかったのだ。
医者の話によると膝の周囲、大腿骨に出来た骨肉腫は血液へと入り、静脈を通って心臓に到達。その後骨肉腫の細胞は肺にひっかかり、ガス交換がされた際に肺に定着、転移したらしい。
「日菜、大丈夫?本当に痛くない?」
「大丈夫大丈夫。今は呼吸も安定してるから」
「そう……なら、よかったわ……」
つまり日菜は今、右足と肺の両方のがんで苦しんでいる。
「足も、きっと大丈夫よ」
「ほんとかなぁ。こんなに腫れてるのに」
「それは……」
日菜はあははと苦笑しながらを裾を捲る。すると赤黒く腫れ上がった痛々しい患部が目に入った。
こんな時……私はなんて声をかけてあげればいいのか、分からない。
「……骨肉腫については今では治療法も多いし、5年生存率は7割を超えてるって言うわ」
私は下手に、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「広範切除をしても足りなくなった骨は人工関節とかで補えるし……」
「おねーちゃん、調べてくれたの?ありがとう」
「あ、当たり前じゃない」
「おねーちゃん、あたしのこと嫌ってるって思ったから」
「……っ、そんなこと……」
そんなことない……そう言おうとして、言葉につまる。今更どの口がそんなことを言うのか。烏滸がましいにも程がある。
こんな時どんな言葉をかけてあげればいいのか分からない?それはそうだ。今の今まで、姉らしい接し方など、ロクにしてこなかったくせに。
「やっぱり、問題は肺だよね」
「…………」
「転移性肺がん、もうかなり進行が進んでるんだって」
勝手に悪いように意識し、勝手に疎んでいたくせに。
「肺がんってさ、早期に見つかると治療できる確率が高いんだけど、進行するのがすっごく早いんだって」
「…………」
「あたしが無理して言わなかったからだね……あはは……」
「日菜……」
苦笑する日菜。悲愴さを漂わせながらもどこか無理をしたその笑顔に、私は表情を歪める。
他所から転移してきたがん……転移性肺がんは今日菜の言っている原発性の肺がんとまた違うものではあるが、今はそれを訂正する気にもなれなかった。
ほら見た事か。こんな状況なのに、私は日菜に気の利いた言葉も他愛のない一言すらかけることが出来ない。
「雨、だね」
「……そうね」
「雨が降るとね、お花にはいいんだよ?」
「……そうね」
日菜につられ窓を見る。そこにはタクシーの中で嫌という程見た曇り空が広がっていた。
重々しい灰色は、まるでこれからの暗い現実を、そして今までの姉妹の在り方を示しているようだった。
「あたしが育ててたゼラニウム、咲いたかな」
「……ええ。赤い綺麗な花が咲いてるわ」
「そうなんだ」
実の妹と真っ直ぐに言葉も、それどころか目すら合わせることも出来ない。
「明日、また来るわ」
「来てくれるの?」
「ええ。日曜日だから」
そんな今の私にできるのはたったこれだけ。
毎週の週末の休日に、ぎこちない笑みを浮かべることだけだった。
「日菜」
「あっ。おねーちゃん」
「調子はどう?」
翌日、私は昨日と同じ時間に病室を訪れた。引き戸を開けて声をかけると、外を見ていた日菜はくるりと此方に視線を変える。
窓の外は昨日と同じ雨模様。清らかな群青など広がるべくもなく、暗い灰色の空だけが街を覆っている。
日菜はそんな曇り空をひたすらに見つめていた。
「外に、何かあるの?」
「んー特に何も無いよー。見てただけ」
「そ、そう……」
「それよりもおねーちゃんの方がつらそうだよ?」
「ちょっと寝不足なだけよ……」
そう言えばこの子は、昔から何気なく外の景色を見ているような気がする。
金色の瞳を爛々と輝かせて、まるで猫のように空の1点を見詰める。私はそんな日菜の行動が理解出来なかった。
「…………」
以前はこうじゃなかったのに。最初は私たちも、ちゃんとした姉妹だったのに。無意識に拳をにぎりしめる。何処と無く全身にも力が篭り小さく震えてしまっていた。
以前と言っても、それはもう何年前の話だろうか。正確にはわからない。少なくとも小学校の高学年の歳には、彼女を忌避していたと思う。
今更に思うと、なんて酷い話だろうか。
いくら双子とはいえ、あの子は『おねーちゃん』と慕ってくれているのに。あの子にはなんの悪気もなかったと言うのに。
「それで、日菜?身体の痛みは何とも無い?」
「え、えっと……」
「!どこか痛いの?」
「えっとね?その、違くて……」
日菜は照れたような表情でどもる。それはどこか嬉しそうで、ほんのり頬を染めてもじもじとなんども此方に目配せしていた。
「嬉しくて。おねーちゃんがあたしに構ってくれるのが」
「!……そ、そう」
「ありがとう。おねーちゃん」
日菜は心の底から嬉しそうにはにかんだ。それはいつも以上にも眩しい笑顔だった。
「…………」
私はそれを見て、大愚な錯覚をしてしまいそうになる。
本来なら……妹にこんなことを言わせている段階で姉失格である。今まで自分がしてきたこと。それを考えれば、いつ嫌われてもおかしくない。
「…………」
それなのに……それなのに、日菜は今でも私に純粋な好意を寄せてくれる。
「──……いいのよ、日菜」
だから私は……
私は、その日菜の好意を受け止める。
「私は、お姉ちゃんだもの──」
信じられないくらい平坦な声が出た。まばたきも少なくなり、眼球がどんどん乾いていく。
好意を受け止めたなんて言うが、そんな高尚なものではない。
客観的に見ると、私は“ただ都合のいい状況に乗っかっただけ”に過ぎなかった。
彼女を騙して自分も騙す。私は日菜の病にかこつけて、過去の行いの精算をしようとしているのだ。今からでもお姉ちゃんらしいことをして彼女に懺悔し、押し売りのような免罪符を貼り付ける。
「だから……もっと、頼っていいのよ?」
「お、おねーちゃん?」
本当はこんなことやりたくない?でも、だからってここでも日菜に避け続けるの?
こんな自分に吐き気がする。一体今どんな顔で笑っているのだろうか。自分の中の姑息で利己的な葛藤がぐちゃぐちゃに混ざり合う。
「どうしたの?日菜」
「う、ううん。なんでもないよ……」
これからは日菜の為に。違和感のある決意が私の頭の中を席巻する。が、そんなこと言っても結局は今までの自分を許したいだけ……。
そんな感覚が、思考が、自分自身がたまらなく気持ち悪かった。
「日菜。おはよう」
「おねーちゃん……おはよう」
そしてそれから、毎週の週末。
「日菜、はい。買ってきたわよ」
「あ、ありがとう……」
私は日菜の病室を訪れた。
「ねえ……おねーちゃん」
「なに?どうしたの?」
「最近、ちょっと変じゃない……?」
「そんなことないわ」
自分を騙して、彼女を騙し続けた。そんな生活を続けているうちに、以前までにあった彼女への嫌悪感は霧散していた。
正確には、ただ麻痺していただけなのかもしれないけれど。
だけど、それでも私はこれ以上、『姉』を全うしないことに対しての自分への呵責に耐えることは出来なかった。