ハーメルンバンドリ作家合同企画(テーマ交換・オリキャラ無し) 作:大里野上
『ねえ。氷川さん』
はい。なんですか?
『今度の休みなんだけどさ、一緒に──』
ごめんなさい。その日は私用があって。
『そ、そうなんだ。ごめんね……』
いえ、ではまたの機会ということで。それでは。
『……氷川さん、また?』
『うん……1回でいいから、遊びに行きたいんだけどね』
…………。
『やめときなよ。あの人、めちゃくちゃ付き合い悪いから』
『うーん。それもそっか』
……仕方ないじゃない。休みの日は、日菜の所へいかなくちゃいけないの。
『堅いひとだけどさ。趣味とかないのかな』
『ね。あの人、いっつも何してんだろね』
そんなの、私の勝手でしょう。
『紗夜……毎週無理にお見舞いに行かなくてもいいのよ?』
無理なんてしてないわ母さん。普段行けてない分、休みの日ぐらい日菜の所へいかないと。
『すまない紗夜。また仕事なんだ。今日も送ってはいけない……』
気にしないで父さん。電車とタクシーで行くわ。
『氷川さん……氷川さん!』
……はい?なんですか先生?
『なんですかって……もう放課ですよ?』
あ……そうだったんですね。
『寝不足ですか?勉強熱心なのもいいですけど、程々にしておいてくださいね』
はい。気をつけます。
『そう言えば氷川さんは最近、医学の教本を読んでいますね』
そうですね。
『将来は医学部に?』
ええ。まあ。そんなところです。
『おねーちゃん』
日菜。
『あたしね、こんな形だけど、今すっごく幸せなんだよ?』
そうなの?
『うん。おねーちゃんと、一緒にいれて……』
それは、よかったわ。
『これが、ずっと続けばよかったのになぁ……』
続くわよ。
『…………』
……?
『もし……もしもだけどさ……』
日菜?
『もしも……100年後の医学なら、あたしは助かったのかな……?』
何を言っているの?
『おねーちゃん……あのね……?』
『もう、私は──』
『正直、かなり危険な状態です』
…………。
『今後、抗がん剤の副作用にも耐えられるとは……』
…………。
『御家族と、よく話し合って──』
…………。
『紗夜……』
なに?お母さん。
『紗夜……日菜はもう……』
日菜……そうだったわ。今日も、お見舞いに行かないと。
『もう、やめましょう……?』
今日はあの子な好きな、アロマを持って行きましょう。
『紗夜……!』
じゃあ、行ってきます。
『ね、ぇ……おね……ちゃん』
日菜。どうしたの?
『あたし……ごめ……黙ってて』
どうしたの?日菜?
『ギター、始……めて』
ぎ、ギター?
『でも、最後……セッ、ション……』
日菜?
『…………』
あら……寝ちゃったのね。
「昨夜の夜遅くに、亡くなられました」
そう言って白衣の男は、同伴していた看護婦と共に深く頭を下げた。
あと1週間で春休みが始まろうとした矢先。3月半ばの日のことだった。
「日菜さんは、最後まで頑張りました」
「はい……先生、ありがとうございました……」
彼の口からつがれた言葉は冷たい廊下に無機質に反響した。それはやけに耳に残り、何度も頭の中に響いてくる。
普段から逐一
時折母の途切れ途切れの嗚咽が耳に届く。父が母の肩を抱き、母は医師の言葉を噛むように受け入れ、泣いていた。
「────」
そんな2人に対して私は、抜け殻のように棒立ちをしていた。
今にも倒れそうな身体をなんとか支え、焦点が合わず狭くなる視界を必死で保つ。
今日の深夜、日菜の臨終が伝えられた。
中学3年生の夏から始まった闘病生活。それは最悪の形で終わりを迎えた。
最初の肺転移巣摘出の際に増大した転移巣と、新たなる転移巣の出現が確認されたのだ。そしてその転移巣摘出後さらに早期に病変が見つかり右膝にも種脹が再出現した。
一時は退院も出来たのに、結局は新たながんが再発し呼吸苦が繰り返される。
症状はそれだけでは収まらず大量の血痰に反回神経の損傷、そして大静脈を圧迫したことで起こる上大静脈症候群も患った。
しわがれた声。腫れ上がる首と顔。食欲減退による過度な体重減少。
日に日に痩せていき、変化し、精神を摩耗させていく日菜はついに抗がん剤の治療に耐えられなくなり……。
「日菜──」
そして余命宣告を受け、今日、日菜は……。
無慈悲で残酷な宣告だった。思えば約1年9ヶ月前にがんが発覚した時に、この未来は想定できていたのかもしれない。
手術をしても、化学治療をしても、がんは再発する。その進行の速度と追加治療の後に現れる新たながんは、まるで死神が鎌を擡げていつまでも日菜の首にかけているようだった。
秒数の見えないカウントダウン。
終末期へと昇華した絶望は幽暗と時を隠す。決してそれ見えないが、しかして確実に終わりを運ぶ。
「ごめんなさい……私、トイレに……」
ぼそりと声をかけて、ふらつきながらその場を離れる。誰へとなく言ったその言葉。周りに聞こえてるかは分からない。
じわり、じわりと視界が淀む。黒く暗澹とした大きな塊が私の内側を侵食し、呑み込んでいく。
覚束無い足取りは次第に速度を増していく。
日菜が入院していた最上階の病棟。その廊下を、私は亡者のような足取りで歩いていた。
「あ──……」
両親とは違い、目を背けていた……逃避し、拒否していた現実が、今になってようやくこの身に降りかかる。
視界が。思考が。こころが。全てが黒に染まっていく。
嘘だ。嘘に決まってる。だって……だって……。
そう思いたかった。いや、正しくはそう思わずにはいられなかった。だって、せっかくまた繋がれたと思ったのに……。
それが心の麻痺だったとしても。都合のいい免罪符だとしても。私はあの子に、今までの行為の全てを謝罪したかった。
そしてまた、昔のような姉妹に戻りたかった。
だけど現実は無情で無慈悲。これは、抗いようもない真実。
私は結局、あの子に何もしてあげられなかった。
「あ……あ、あぁ……!」
私はいつのまにか廊下を抜け、連絡橋まで来ていた。最上階の連絡橋はふきさらしで屋根がなく屋上のようになっている。
雨が降っていた。いつぞやのように、鉛色の曇天が世界を覆っている。
「あああ……!」
まとわりつくような霖雨の中、私は震えながら呻く。
「うっ……ぇぐっ……あぅぅ……!」
連絡橋の上で脚が濡れるのも厭わずに、私は膝を着いた。最初は小さかった呻き声は次第に凄絶さを増していく。
頭を抱え髪を毟り、私は人目も気にすることなく叫び声を上げた。
「あぅ……あ、……うあぁぁぁぁぁぁ!!!!」
放たれた悲痛な慟哭は周囲の音をかき消した。分厚い雲から降る冷雨は、容赦なく身体に突き刺さる。
胃酸が逆流してくるような、身体の中から何かが飛び出してきそうな感覚に襲われる。えづぎ上げたせいで呼吸が上手く出来ない。悶えるほどに苦しくなった。
暗い絶望と深い後悔の念に襲われる。なんで、もっと優しくしてあげられなかったのだろう。なんで……なんで……。
ぎしり、ぎしりとナニカが音を立てて壊れていく。精神を黒い蝕まれていくような感覚に目を見開かせ、眼球が乾く。
「日菜ぁ……日菜ぁ!」
本当にもっと、あなたといたかった。
「……ごめん、なさい……」
けれど私は、何年もつまらない意地を張って。
「ごめん、なさい……!」
あなたを蔑ろにし続けた。
「ごめんなさい……!ごめんなさい……日菜……!」
今いくら謝ったとしても、それが彼女に届くことは無い。彼女はもう、死んだのだ。
夜になったら寝て、次の日の朝に起きるのとは違う。彼女はもう二度と目を覚まさない。意識も記憶も、四肢の些細な動きすら全て。人の形成する全ての時間がブツリと切れる。
それが『死』なのだと、今更に理解する。
思春期であれば、誰しも『死』を意識したことはあるだろう。
『果たして、死んだらどうなるのか』
中学生の頃のとある夜。唐突にそんなことを思いつき、それを本当の意味で自覚した。私は今でも怖くて怖くて仕方がない。
死にたくない?けれど、いずれは──。
日菜が言っていた、100年後の科学。そんなもの、私たちは見ることすら出来ない。そろそも死ねば、
そんなことを意識したら、私は怖くて怖くて仕方なかった。
『あたしは大丈夫だよ。おねーちゃん』
それでも日菜は最後まで笑っていた。
盲目とした私の手を、優しく握り返してくれた。
「日菜……は……!」
だけど、それももう叶わない。
「日菜は言ってたのよ……!」
雨と涙、風と声がぐちゃぐちゃに混ざる。
「今がずっと続いて欲しいって……!あの子は言ってたのよ!」
喚き、叫び、呻き、嘆き、慟哭する。
何度も何度も、コンクリートで出来た連絡橋の床面を殴りつけた。拳がぼろぼろになって、水溜まりに赤い色が絵の具のように広がった。
爪は割れ、指尖はぐちゅりと裂けた。皮の薄いところはもれなく削れ、見るに堪えないものになっている。
「今が……幸せだって……」
痛い。ものすごく、痛い。
春の冷たい雨に濡れ、その手に鋭い痛みが走る。
だけど日菜の痛みは、こんなものじゃなかったはずだ。
「そう言って……!」
『いい加減、現実を受け入れたらどうなんです』
「───!?」
ずっと闘病の苦痛でもがいていたあの子に、私は何をしてあげたられただろうか。否。何もしていない。出来てない。
そんな自分が許せなくて、私は再度拳を振り上げた。その時だった。
『私は私ですから。あなたの事は全て分かります』
「なん、これ……なにが……」
突然に耳の奥から直接頭に声が聞こえてきた。
気持ちが悪い。脳がぐらりと揺れる。何が起こっているのか分からなかった。
その声に聞き覚えはもちろんあった。というより、自分がいつも発している声がそのまま形となって頭に響いてきている。
「…………!」
悪い夢でも見ているのか。はたまた、寝不足が見せる幻影か。常識ではありえない物理現象を目撃し、思考停止気味にそう思った。
膝をつき両手も地面についていることで、目の前には水溜まりが見える。私はそれを覗き込む。
その水面映っていたのは間違いなく私。けれどそれはどこかおかしくて、私はとても受け入れることは出来なかった。
『私は、日菜のことなんてなんとも思ってないでしょう』
その奥に映っていたのは怪しく、そして凄絶に微笑む『私』の姿だった。
『先程は随分と感傷的になっていましたが、内心はどうでしょうね』
水溜まりの奥に現れた『私』は間髪入れずに話しかけてくる。気味の悪い笑みを貼り付け、嘲笑し、明らかに下にいるのにも関わらず此方を見下しているようだった。
今では己の奥底に隠していた感情を内側から刺激される。
『あなたも深層心理では、そう思ってはいるはずよ』
……なにがいいたいの。
『日菜の部屋の“アレ”、見たでしょう?』
…………。
『本当はラッキーって思ってるんじゃないの?』
違う。
『よかったですね』
……違う。
『日菜が死ねば、ギターも、もう真似させることもないですからね』
「違うっ!」
目の前いるもう1人の私を殴りつけた。鋭い痛みと共に、右手がさらにぬめりと赤く濡れる。
また何度も何度も拳を振り下ろす。そんなことない。そんなはずない。何度も反芻し、何度も叫び続けた。
「…………」
雨の音だけが聞こえる。けれどそれはどこか遠くで降っているようだった。雨に打たれ、身体が冷えたせいだろうか。感覚が鈍くなっている。
屈んでいる体勢から立ち上がり、首を垂直に折り、天を見上げる。
「違う……」
雨はまだ止む気配はない。放射状に見える雨が、思考を洗い流す。
「私は、日菜と一緒にいたくて……」
確かに『私』が言っていたことは一理あるのかもしれない。入院した日菜と親密に接しようとしとことが贖罪のつもりだったことも本当だ。
けれどそれでも私は、日菜のことが好きだった。
院内であの子の車椅子を押していた時、少しだけ昔に戻れた気がした。才能だとか努力だとか、余分なことを考えずにただ姉と妹として接していた時間はなによりも至福だった。
「日菜も、私と一緒にいたいって……」
彼女を避けていた頃には味わう事などできなかった、家族の触れ合い。今思えば、日菜もこれが欲しかったんだろう。
なのに私はあの子を意図的に避け、八つ当たりし、疎んできた。
「…………」
気づくのが遅すぎたのだ。日菜に、本当に悪いことをしていたのだと。
「…………」
だからこそ……だからこそ私は、少しでも日菜の願いを──。
「……あぁ、そうか……」
その時、空っぽになった頭にぽつりとひとつの灯火がともる。あの子の願いを叶えてあげたい。その一心が生み出した、陋劣な一手。
何も出来なかった私が今できること。
姉として日菜にできること。
おねーちゃんと一緒にいたい。あの子の最後の願いを叶える方法。
「こうすれば、よかったのね……」
私は首だけを動かし、視点を移す。漠然とした視界で見る世界を変えると、
そうだ。最初から、こうすれば良かったんだ。
無意識に口角が上がる。動き出した足はもう止まらない。
贖罪というのなら、それは私の全てをもって償おう。
こうすれば、日菜はひとりじゃない。
私も、ひとりじゃない。
「……日菜」
そして私は、ついにそこに着いた。
移動距離はほんの5メートルもない。
目の前にそびえる胸元程度の高さの薄い障害は、特有の光沢を持っていた。
「私も──」
全ての罪を道連れにして。
怖いものなんて、何もない。
「今、あなたのところに──」
私は連絡橋の鉄柵に、手をかけた。
「ねぇ。友希那」
「なに?」
「知ってる?隣町の高校の生徒がさ……」
「えぇ。知ってるわ」
「なんかさ……怖いよね……」
「そうね」
「なんで、なんだろうね。その子、アタシ達と同い年らしいし……」
「理解は、できないわね。私にはやらなくちゃいけないことがあるから」
「それって……」
「頂点を目指せる、最高のバンドを組まなくちゃならないの」
「……そっか」
「私は今日も、ギタリストを探すわ。リサはどうするの?」
「……うん!もちろん、あたしも着いてくよ〜」
ふわりとした浮遊感に誘われる。暗灰色の1面は、見つめていると不思議と吸い込まれそうだった。
スローモーションに流れる世界の中で自分の五感が消えていく。
あと1週間で春休みが始まろうとした、3月半ばのことだった。
雨の日に、深紅の花が一輪咲いた。