進撃の巨人 IF -TITAN OF RECORD- 作:ケリュケイオンの蛇
それでは、どうぞ。
巨人。それは天災だ。抗うことのできない災厄。干ばつや洪水のように、避けようがなく人の力ではどうにもならない脅威。
人は常に、巨人に屈してきた。多くの人が死に、必死の抵抗も無駄に終わる。どれほどの対策を講じたところで、結局すべてが無に帰した。
だが、人は知恵を持つ。失敗を顧み、次へと繋ぐ進歩という名の成長を遂げる。昨日よりも今日、今日よりも明日。いずれは巨人に勝てると信じて、人類はあらゆる対策を講じてきた。
そして今日、その成果が試される。
ヴァン・トランスもまた、巨人に勝てると信じてこの日、剣を取った。
進撃の巨人 IF
-TITAN OF RECORD-
episode:1 『変革の風』後編
「なんて数だ…」
民家の屋根に立ち、ヴァンは表情を固まらせた。遠目からでも確認できる壁。その周囲の民家に混じり、人の頭部らしき影が見える。それも複数だ。中には頭部だけでなく、胸辺りまで見えるものもあった。
巨人だ。先刻見た超大型巨人よりインパクトは薄いが、人を殺す化物には違いない。
既に身体が恐怖に怯え、自然と操作装置を握る手に力が入る。少しでも気を抜けば震えが出そうだった。
「なんだよヴァン。もしかして、びびってんのか?」
震えを堪えられてるのは、隣に居る友人、ミハエルの存在だ。
ミハエルはいつものように軽薄な笑みを浮かべて、ヴァンにからかうような言葉をかける。だがミハエルも恐怖を感じているのか、手の震えが触れている肩から伝わってきて、ヴァンは自然と表情を緩めた。
「ミハエルこそ、手が震えてるじゃないか」
「おまっ、馬鹿これはだな……そう、武者震いって奴だ、武者震い」
相手の言葉に、ミカサからの教えじゃないか、とヴァンは呆れてみせる。武者震いとは元々東洋の言葉のようで、訓練時代のエレンやアルミンがやたらと使っていたのを思い出す。
不思議に思ったヴァンが理由を聞いたところ、ミカサからそういう言い訳の仕方がある、と言って細かい経緯と一緒に教えてくれた。本来の用途は違うはずだが、ミハエルはエレンたちと同様に怯えを隠すための言い訳として使用しているのは明白だった。
恐怖を感じているのは誰もが同じ。だが、ヴァンは5年前と違い、訓練兵時の3年間で力をつけた。
そのことが、以前と違って自信となって余裕を生み出している。
少なくとも、軽口を軽口で返せる程度にはヴァンもミハエルも成長したと言えるだろう。
「だったらお前先頭な。戦いたくて仕方ないんだろ?」
「おっ、いいねそれ。ミハエルさんさすがっすわ」
「い゛っ!?」
ヴァンの言葉に、他の仲間が便乗した。武者震いなんだろ、と人の悪い笑みを浮かべれば、ミハエルの表情に焦りが浮かぶ。
他の班員たちと同時にはやし立てれば、自棄になったようにミハエルが叫んだ。
「わぁーったよ! 俺が先頭行ってやるよ。それでお前たちより早く巨人を倒して出世コースだ!」
ミハエルの言葉に班員たちの表情も既に明るくなっていた。成績的にはヴァンの方が上であったが、人をまとめる点においてはミハエルに指揮を任せたキースの判断は正しかったと言えるだろう。
ヴァンは訓練時代の教官に敬意を示しつつ、ミハエルの後ろに立った。
「総員、続け!」
『了解!』
ミハエルの号令と共に、全員が声を揃えた。ヴァンは先に地面を蹴ったミハエルに続き、立体起動に移る。
「クッ…!」
後ろ腰についた噴射口から圧縮空気が押し出され、固定ベルトを通して身体全体に圧力が掛かる。腰の運動エネルギーに無理に逆らわず、身を任せると、腰から押し出されるようにして『飛んだ』。
巨人を倒せる唯一の手段、『立体機動』。アンカーを障害物に突き立て、ガスを噴射することで縦軸上の移動を可能とし、巨人に勝る機動力でもって奴らの弱点たるうなじ部分を正確かつ迅速に攻撃することを可能とした人類の反撃手段。
この装置のおかげで人類が巨人に挑んで殺される確率は激減した。そして巨人を倒せる可能性は飛躍的に向上したのである。
訓練兵期の3年間は、ほぼこの装備を使いこなすためのものだったと言っても良い。
ヴァンを含め、ミハエル指揮下の迎撃班全員が、慣れた動作で装置を操っていた。
「前方に巨人だ! 総員構えろ!」
ミハエルの言葉にヴァンは前方を見据える。周囲よりも一段高い民家の屋根を抜けて、巨人が姿を見せた。
愉快なほど満面の笑みを浮かべた顔。不気味なほど生気のない肌。そしてとても生物とは思えない、無機質な瞳。
――これが、巨人。
身体の奥から冷たい感覚が湧き上がる。それを堪えるように、ヴァンは咆哮した。
「うおぉォォォッ!」
右手に持った操作装置のグリップの内側、二つあるトリガーのうち一つを指で引く。
あらかじめ巻き戻しておいたアンカーを巨人の左目に向けて突き立て、ガスを噴射。
――まずは目を潰す。
瞬く間に距離を縮め、横薙に剣を一閃した。
アンカーをすぐさま回収し、左目を、そして右目を削ぐ。その差は一瞬の連続だった。
剣を突き立てたとき、肉を切った感触が確かに手に伝わる。だがそれに嫌悪感を示す前に、斬り終わるのだから、無駄な思考をすることはない。
《イ゛アァァァァァアアアア゛ッッッ》
切られた巨人は視界を塞がれたからか、痛みを感じるのか両手で目を覆った。満面の笑みで悲鳴を上げているのが不気味さを際立てている。
「ナイスだヴァン! まずはこいつを仕留める」
巨人を通り過ぎて正面の建物に着地したヴァンに、頭上から声がかかった。仰ぎ見れば既に巨人に向かってガスを噴射し、ミハエルが身を躍らせていた。
だがそのミハエルの左後ろから、黒い影が見えてヴァンは凍りつく。
「ミハエルあぶねぇッ!」
「うぉっ」
ヴァンと同様に、その影に気づいた仲間の一人が無理やりミハエルにぶつかった。仲間に押し出される形で吹っ飛んだミハエルは、アンカーを民家の屋根に張り替えて、なんとか態勢を立て直す。
「アッシュ!」
ミハエルと入れ替わる形となった仲間の名を呼ぶ。アッシュと呼ばれた少年は、黒い影の正体―巨人の手―に捕まっていた。
横目には未だ目を覆う巨人。つまり、アッシュを掴んで離さないのは別の個体だということだ。
――二体目ッ!?
どこに潜んでいたのか、二体目がいつの間にか近寄っていたということだ。
他の仲間がアッシュを助けようと飛びかかるが、目を覆って体をくねらせる巨人が邪魔で思うように動けない。
「があぁぁぁぁぁ、痛い! 骨が、骨が砕けるうぅぅッ」
「アッシュ! 待ってろ、今助ける!」
巨人は加減というものを知らないのか、握り締める力が強すぎてアッシュが悲鳴を上げる。
その声に、反射的にヴァンの手が動いていた。指先をトリガーに引っ掛け、アッシュを握る巨人めがけて突撃する。
しかし、ヴァンの技量は上位陣には及ばない。立体起動や剣の扱いにおいても同様で、仮に巨人の指を狙ってもアッシュを傷つけない保証はなかった。
――腕を何度でも削いで、握力を落とす!
人体構造と基本が同じならば、前腕の筋肉や手の筋肉を切り落とすことで握力が弱まるはず。そう考え、ヴァンは剣を振るう。
一太刀浴びせ、身を翻して浅く一閃。一度の立体起動ではそれが限界だ。言うまでもなく、主席卒業のミカサはこの倍は振るえる。彼女も大概人知を超えているよな、とヴァンは思いながら再び立体起動に入った。
だが、もう一度浴びせようと剣を振り上げた瞬間、巨人はアッシュを口に運ぶ。
その光景を見て、ヴァンの中を巡る血液が冷えた、ように感じた。
「おい、待てよ」
――何してるんだ、お前。
巨人は平然とした様子でアッシュを飲み込もうとした。
腕でかろうじて抵抗するアッシュが、こちらを見る。悲痛なほど涙を流している表情を見て、ヴァンの気持ちに焦りが芽生えた。
「待ってろアッシュ、すぐに――」
「ヴァン! お前たちは……」
アッシュの言葉が紡がれる瞬間、硬いものが砕かれる音と肉の千切れる音が辺りに響きわたった。
目の前で、アッシュだったものが落ちていく。肩から上の部位だ。最後に見たアッシュの顔は、泣きながらも笑っていた。
生きろ……アッシュの口は、そうヴァンに伝えていた。たとえ声を聞けなくても、ヴァンにはそれが分かった。
「バカだよ、お前…ホントに、大馬鹿だ」
最後に言う言葉かよ、と悪態をつく。ミハエルのようにいつも一緒にいる、というほどではなかったが、対人格闘などでよくペアを組んでいた。話してみれば口は悪いが意外と良い奴で、特にミハエルとはすぐに打ち解けていたのを思い出す。
「テンメェェェェッッ!」
ヴァンと同様にその光景を見ていたミハエルの怒号が響いた。ミハエルもヴァンも、考えていることは同じだろう。
顔を上げれば目の前にはアッシュを噛み殺した巨人。満面の笑みの巨人ではなく、何か今にも泣き出しそうな表情だ。
「お前にその表情をする資格はないよ」
ヴァンの感情に、ふつふつと昏い感情が湧き上がる。
「テメェだけは生かしちゃおけねぇ」
ミハエルが刃を付け替える。カラン、と瓦に当たり、金属の乾いた音が響き渡った。
「お前だけは…」
ヴァンが剣を頭上に振り掲げ、それを一気に振り下ろす。左右の剣がそれぞれ巨人の目に突き立てられた。素早く刃を外し、替え刃をつける。
「テメェだけは」
ミハエルが噴射装置を起動させ、ガスを噴射して宙に躍り出た。目標を当然、アッシュを噛み砕いた巨人のうなじだ。
『ぶっ殺す!』
二人の殺意が、重なった。
「ハァ、ハァ……」
ヴァンは疲労をこらえきれない様子で、息を整える。手に持っていた剣は刃に血がベットリと付き、既に刃物としての機能を果たしていない。
切り方が悪かったのか、所々刃こぼれを起こした刃が散らばっている。だいぶ刃を消耗したのだろう、太もも部に着けた替え刃ホルダーは、最初と比べて随分と軽くなっていた。
「ヴァン……お前、何体倒したよ?」
「一体と半分。ミハエルは?」
「なら俺は、二体半……でも、俺たち以外、ッ全滅だ」
ミハエルは軽い口調で言うが、その言葉は重い。臨時迎撃班として再編された壁内警護7班は、ヴァンとミハエルを除き全滅した。
カルトは先に別の班に組み込まれたためこの場にいないが、彼女と共に壁内警護に当たっていたのがたった数時間前とは思えない悲惨さだ。彼女が知ったら、ますます巨人に対する憎しみを深めることは容易に想像できる。
ヴァンとミハエルが泣き顔の巨人を討伐している間、他の仲間たちが笑顔の巨人を足止めしていた。
足止めの間にも班員が一人死んだがそれ以外に目立った負傷を受けることなく、班員たちは粘りを見せていく。そして、二人がかりで泣き顔の巨人を駆逐することに成功したヴァンたちが支援に入り、笑顔の巨人を倒そうとした時、状況は一変した。
周囲に巨人が集まっており、数の上でも不利に立たされたのである。
最初に気づいたのはヴァンだ。笑顔の巨人の叫びが続いたと思えば、異常なほど巨人の姿が見えることに驚愕し、すぐさま状況を確認。
そして、撤退を考えたとき、その判断が手遅れだと悟った。
その時には既に囲まれており、撤退は困難だった。何とか道を開けようと巨人に挑んだものの、複数の巨人を同時に相手取ることはできず、一人ずつ食われていく光景を見せられる。
死と隣り合わせになりながらも仲間を助け、一体ずつ確実に巨人を駆逐していく。
ようやく逃げ道を確保できたかと思えば、残ったのはヴァンとミハエルの二人だけだ。
巨人は残り3体。ここまでヴァンたちが倒したのは4体。上位成績者でもない訓練兵上がりとは思えないほどの快挙だろう。
生きて帰れば注目されることは間違いない。
「後三体。十分倒せる」
自分に言い聞かせるように、ヴァンが呟く。周囲の民家の中で最も高い位置にいるため、巨人の手は届いてこない。
まだ小型だからいいものの、10mを越える巨人が来る前になんとかしなければジリ貧だ。
巨人の血が着いた刃を取り替え、再び構えたヴァンの肩をミハエルが掴む。
「ヴァン、お前は逃げろ」
「は、何言ってんだよ。ミハエル」
お前らしくない冗談だ、とヴァンは笑った。が、肩を掴むミハエルの手は力を増していく。
まるで、ヴァンが巨人の群れに突っ込んでいくのを止めるように。
「いや。もうだいぶガスを使った。うなじを削いでた俺と違って、お前は班員のために目やら足やら切ってたよな。ガスの残量も少ないはずだぜ?」
「…だから、さっさと倒して補給に行くしかないだろ」
ミハエルの言葉に、ヴァンは分からない振りをした。
ミハエルが何を言いたいのか、それくらい分かる。
ミハエルはヴァンを逃がそうとしているのだ。3体のみならば、逃げきれる可能性はある。このまま巨人を相手にして、ガス切れという自体になれば抵抗することすらできず食われるだけだ。
それを免れるために、ガスを補給してこいと言ってるのだ。だからこそ、あえて敵を倒すような言葉で返した。
行くなら二人で、と思っての言葉だったがミハエルの目を見て、息を呑む。
「良いか。お前がここで戦っても、すぐガス切れだ。そうなったら足手まといにしかならねぇ。ぶっちゃけ、邪魔だ」
「ミハエル、お前……」
ミハエルの表情は真剣そのものだった。
いつも軽薄そうな笑みを浮かべて、冗談みたいなことばかり言う人間とは思えないほど、言葉に重みがある。
ヴァンの肩を掴んでいた手が離れた。
それに驚いていると、いつものようにミハエルは軽薄な笑みでヴァンの胸を軽く小突く。
「俺ひとりなら何とでもなる。最悪、お前が行ったあとに逃げられる」
「だったら一緒に――」
「一緒だと迷惑だっつってんだろ!」
ミハエルの荒々しい言葉が、ヴァンに叩きつけられた。至近距離での一喝に思わず言い返そうとして、ヴァンは固まる。
「いいから行けよ。ヴァン」
剣を握った手で、ガスのある補給所を指し示した。
その姿に、ヴァンは圧倒されたかのようにそちらへと身体の向きを変える。
成績順ではミハエルより上のはずなのに、逆らうことができなかった。それほど、ミハエルの言葉はヴァンの心に重くのしかかっていた。
ここで置いていけば、きっとミハエルは死ぬ。
たとえ10m未満とはいえ、巨人3体を一人で相手にするには状況が厳しすぎた。
おそらく、ミハエルも死ぬ覚悟をしている。だからこそ、さっさとヴァンを逃がそうとしているのだろう。
でも、救える可能性もないわけではない。すぐに本部に戻ってヴァンがガスを補給した後、増援を連れて戻ってくれば助けられる。
ヴァンはそう思い、ミハエルの言葉に従った。
「すぐ戻る。それまで、死ぬな」
「おうおう、カティでも連れて戻ってこい」
ふっと笑みを浮かべたミハエルを一瞥し、ヴァンはその場を後にした。
ヴァンが立体機動に移って離れていくのを見たミハエルは、その場に座り込む。
もう、ミハエルも限界だった。
恐怖を抑えきれなくなり、足に溜まった疲労と一緒に身体を重くさせている。
ヴァンがいたことで、なんとか保っていたようなものだ。意地を張るべき相手がいなくなった以上、無理をするべきではない。
下を見れば醜悪な巨人たちが、餌を待つ雛鳥のごとく、口を開けているのが見えた。
「ははっ。こえーよなぁ。怖すぎんだろ」
ミハエルは一人になって感じる恐怖に、押しつぶされるように膝を抱えてうずくまる。
もう、人間としての精神は限界を超えていた。
ミハエルを置いてきた形となったヴァンは、焦る気持ちを抑えて街中を疾駆していく。その速さは今までの彼からしてみても早いほどだが、ガスの残りを計算しているからかその動きのほとんどはアンカーの巻き取りによる牽引力を利用していた。
彼独自の動きだが、アンカーのケーブル部分が強靭であることを利用して、少ないガス量でも移動できるように研究した結果可能となったものだ。
立体機動のメリットである空間上での機動力で言えば、直線に制限されたこの動きは巨人戦で有効とは言えない。
ただ、巨人戦から帰還することを考えた際には、帰還の可能性が高まることでキースからも注目されていた。
「あれは…カティ? それに…」
民家の屋根を飛び移ることを繰り返していると、前方に見慣れた人影が見えてくる。小柄な身体に、見慣れた黒髪。ミカサとはまた違う華奢なシルエットは、ヴァンのよく知った人物のものだ。
距離を縮めると、カルト以外にも人影があることに気づく。
「ヴァン…?」
「カティ、どうしたんだ一体?」
ヴァンのことに気づいたのか、カルトが声を上げる。普段のヴァンであれば高揚したかもしれないが、あいにくヴァンにそんな余裕はなかった。カルト自身、表情が暗かったのも理由の一つだ。
カルトの他にも、周りに見慣れた人物がいることにヴァンは驚く。
「クリスタに、ユミル? それにハンクまで…」
カルトは事前にクリスタたちの班に合流したため、一緒にいることに対して違和感はない。むしろ、見慣れた人間の無事を確認できたことで安堵したくらいだ。
ただ、ハンクはライナーたちの班だったはずだ。クリスタたちと共にいて、ライナーたちの姿が見えないのがヴァンの不安を掻き立てる。
「ライナーたちはどうした? まさか、あいつらまで――」
「いや、俺があいつらとはぐれて孤立したところを、クリスタたちに拾ってもらった。あいつらが死んだわけじゃない」
「そうか……よかった」
ヴァンの不安は、ハンクが否定したことで解消された。
嫌な予感が当たらなくてよかった、とヴァンは安堵の息をつく。
もう、仲間の死を見るだけでたくさんだった。あんな思いは、したくない。
「よく、ない…」
ヴァンがハンクに状況確認しようとしたとき、背後から声が上がった。
声が上がった方向を見れば、クリスタが俯いて震えているのが見える。
「よくないよ! 全然っ……もう嫌だ」
「おい、クリスタ。自分を責めるのはやめろ」
ユミルが苛立ったようにクリスタを見るが、怒鳴ろうとはしなかった。代わりに、頭に手を置くだけだ。
状況が飲み込めず、ヴァンは別の人物へと説明を求める。カルトとハンクを見れば、二人も深刻そうな顔だ。
もっとも、ハンクに関しては元々生気のない目のおかげで暗く見えているだけだろうが。
「…ボクたちの班も、全員無事っていうわけじゃないんだ。イセルが、クリスタを庇って」
イセル・リーゼ。最終卒業成績12位という評価を持ち、上位陣に匹敵するほどの能力を持った少年。ユミルと共に、上位外のツートップと言われ、ヴァン自身目標の一人にしていたほどの存在だった。
ヴァンは動揺を押し隠して話を細かく聞く。ほとんどカルトからだったが、どうやらイセルが死んだのを見た、というわけではないようだ。
イセルはクリスタたちと共に、後方から圧縮ガスの入ったボンベを前線の兵士に送る任務を行っていたらしい。
その道中巨人に囲まれ、やむなく交戦に入った。
ただ、補給用のボンベを余分に持っていたため立体機動に大幅な制約を受け、姿勢を崩したクリスタを巨人が襲撃。それに気づいたイセルがクリスタを救出するも、避けきれずに負傷した。そして、本人の希望によって彼を置いて撤退した、ということのようだ。
状況は、ヴァンとミハエルのそれによく似ていた。
誰かを生かすために、自らの命をも賭ける。確かに、訓練時代にはそういうことも教わってきた。だが、実際に巨人に遭ってしまったら、果たしてそれを行える人間が何人いるだろうか。
あの巨人に食われる覚悟。それは、訓練された兵士ですら持つことは難しい。
少なくとも、ヴァンには無理だ。まず先に、どうすれば自分が助かるかを考える。
それを、ミハエルやイセルは実行した。今もまだ、たった一人で押し寄せる死の恐怖と戦っているかもしれない。
カルトたちの話を聞いて、ヴァンは拳を握り締める。
ヴァンが口を閉ざしたことで沈黙が下りた。
その沈黙を破るように、カルトがヴァンの袖を引っ張る。視線を移せば、不安そうな顔をしたカルトが見えた。
「ヴァン、ミハエル…は?」
「アイツも、イセルと同じだよ……俺は、一緒に戦う覚悟もなかった」
えっ、と引きつったような声が上がる。発したのはカルトか、それともクリスタなのかははっきりしない。
ただ、カルトは袖を握る力を強め、クリスタは再び俯いてしまっていた。彼女たちは優しいから、きっと本気で悲しんでいるのだろう。
それに対して、ユミルは何かに苛立つようにそっぽを向き、ハンクはただただ無表情だった。
言葉が出ないだけ、全員が何かしらの思いを抱いているということだろうと、ヴァンは思うことにした。
ただ、ここで時間を無駄にするわけにはいかない。そう考え、ヴァンは口を開く。
「ミハエルはきっと生きている。イセルだって同じだ……凌ぐだけなら、あいつらならできる」
ヴァンの言葉に、クリスタたちが顔を向けた。特に、クリスタはヴァンの意図に気づいたようで、目を見開いている。
同期たちの視線を受けながらも、ヴァンははっきりとした口調で言葉を放った。
「幸い、クリスタ達が予備のガスを持ってる。それを使えば、ミハエルやイセルを助けにいけるはずだ」
剣を握りしめていた拳は、強く握り締めたせいか白色化している。だが、それも気にならなかった。
今はただ、ミハエルを助けたいという気持ちが勝る。偶然の要素が強かったものの、短時間でガスを補給できて共通の目的意識を持てるだろう仲間を目にしているのだ。
もしかしたら、という希望が芽生える。
「だから、今から助けに行くんだ」
静かに、だが決意を込めてヴァンが言葉を言う。
少なくとも、クリスタやカルトが賛成してくれれば、残り二人も同意するだろうと思って。
「本気か…?」
だが、ヴァンの言葉に、真っ先に反応したのはハンクだ。
相変わらず生気の見えない目でヴァンを見ている。
射抜かれるような視線に、思わずヴァンはたじろぎかけた。ハンクが向けてくる視線は鋭く、まるで殺気だ。
「…もう生きているかもどうかも分からない。生存してる確証もない。そんな曖昧な事のために、俺たちに死ぬリスクを背負え、とでも言うのか。お前は」
ハンクが唐突に近づき、ヴァンに蹴りを入れる。不意の一撃に、ヴァンは身を守ることすらできなかった。
「ぐっ!?」
脇腹を貫くような痛みに、ヴァンは蹲るように倒れこむ。無理やり肺から空気を押し出されたためか、何度も咳き込んでは外の空気を取り入れようと荒い呼吸を繰り返した。
「ヴァンッ!」
慌てたようにカルトがヴァンに駆け寄った。心配しているのが俯いているヴァンですら分かるほどだったが、返事を返す余裕がない。
痛みに喘ぎ、苦しげに呻くことしかできないでいる。
それを見ていたクリスタが、咎めるようにハンクを睨んだ。
「ハンクッ! 何でこんな酷いこと」
「クリスタ、お前は良いから大人しくしてろ」
「ユミルッ!?」
ハンクを止めようと前に出たクリスタを、ユミルが引き戻す。ユミルとハンクはお互い目を合わせただけで、特に会話することもなかった。
ただ、クリスタはそのことに納得がいかないようで、必死にユミルの拘束を解こうとする。
「何でっ!? 私はイセルを助けに行きたい! ミハエルだってッ……ユミル達は違うの?」
「あぁ。私にはクリスタが生きてればそれで十分だ」
クリスタとユミルが言い争っている中、ハンクはヴァンに近づいていった。
カルトが威嚇するように睨みつけるが、ハンクは気にもとめない。
ヴァンがハンクに気づいて顔を上げるのを見て、彼は口を開く。
「痛かったか? まぁ当然だろうな、そのつもりで蹴ったんだから。だがな――巨人に食われる痛みはその何百倍だ」
淡々と語るハンクに、ヴァンは黙って聞く他なかった。それ程親しい、という間柄でもなかったが、ヴァンにはハンクの感情を察する。
ハンクは怒っていた。ヴァン個人の感情に巻き込もうとしたから当然だろう。
だが、何を伝えたいのかはまだヴァンには分からない。
説得が失敗に終わったことだけを知り、今はただハンクの意見を聞くことを選んだ。
「俺の聞いた限りイセルは自分よりクリスタを優先した。お前の知り合いとやらもそうだろう。自分が助かるよりも、助けたいものを優先した。そのためなら巨人に食われる覚悟をしてまでな。だが、お前は違う」
ハンクの言葉に、ヴァンは固まる。
話に上がったクリスタはぴたりと動きを止め、ハンクの言葉に大人しく耳を傾けていた。イセルの名に対して、思うところがあったのかもしれない。
ハンクはクリスタを一瞥し、ヴァンに見下すような視線を向けた。
「お前はただ自分の自己満足のために俺たちを巻き込もうとした。つまり俺たちの命より友人の命を優先した」
ハンクの言葉に抑揚はない。ただ事実を突きつけているだけのように聞こえる。
それが返って、ヴァンには自身の言動を責めているように聞こえていた。
「お前の感情は最もだ。だが忘れるな。大切なものを守りたいなら、その他全てを捨てる覚悟をしなければ守れない場合もある。その際賭けるべきものは自分であって他人じゃない。俺たちの命を勝手に賭けるな。お前の勝手な自己満足で――」
一旦ハンクが言葉を切る。そして、見上げているヴァンを否定するかのようにはっきりと言い放った。
「そいつらの覚悟や、クリスタの命を粗末にするな……」
ハンクの言葉が終わり、その場がシ…ン、と静まり返る。ハンクはヴァンに興味を失ったように背を向け、クリスタとユミルのもとへと向かう。
それを見て、今度はヴァンが言葉を放った。
「分かった。もういい」
ヴァンの言葉にハンクの足が止まる。ゆっくりと起き上がりながら、ヴァンはハンクに言葉を続けた。
「俺一人で行くよ。力は借りない」
確かに、ヴァンの行動は危険極まりない。結局、ヴァンの行動は自己満足でしかないのだ。そのことを、ハンクから言われたことで頭が冷えた。
先ほどヴァン自身が思ったことだ。本当に巨人を目の前にして、命を賭けることができる人間は少数だと。
そして、ヴァンはミハエルの救出を諦めてはいなかった。ハンクやユミルがいる以上、ここで揉めても話は平行線にしかならず、悪戯に時間が過ぎていくだけだ。
ハンクやユミルにどれほど意見を言っても、揺らがないことを理解できたことも、ヴァンが説得を諦めた要因の一つだ。
クリスタの希望は押しつぶされ、自分たちの都合を優先させている。
目の前の二人も、結局自分の自己満足をしてるだけだ、とヴァンは判断した。ヴァンからしてみれば、救援要請を自分の意見のみで切り捨てた時点で、兵士には向いていないと思わざるを得なかったが、頼んだ相手が悪い。
教官をして性格に難ありと評価された人物に頼んだのは、ヴァンにとって運が悪いとしか思えなかった。
もっとも、諦めたとは言え、やられっぱなしはしょうに合わないのか、ハンクに向かって言葉を放つ。
「ただし、俺が無事戻ったら土下座させてやる」
「……黙って死ね」
ハンクがどうでもよさそうに返答する中、ヴァンは背を向ける。カルトが付いてこようとするが、それを制した。
あそこまでハンクに言われては、付いてこさせるわけには行かない。半ば意地のようなものだったが、何よりカルトを危険な目に合わせたくないというヴァンの思いもあったからだ。
代わりに、予備のボンベを貰う。これに関してはカルトたちの役目が前線兵士への補給である点から、ハンクも文句は言わなかった。
巨人戦で唯一の生命線であるガスを補給し、ヴァンはその場を飛び立っていった。
それがどれほど、死の危険を伴っていたとしても…。
結局ガスの補給しか受けられなかったヴァンは、立体機動を行いながら周囲に気を配っていた。
今のところ、他に兵の姿は見られない。道中で出逢えば合流という手段も取れるが、巨人が複数壁の中に入ってきてる現状では期待できないだろう。同期であれば協力してくれる可能性は高いが、結局はハンクの言葉が引っかかって躊躇する。
落ち着いて考えれば、一人で救出に行く選択肢は、愚かでしかない。
ヴァンは訓練兵を卒業したばかりであり、経験もなにもこれが初めてだ。巨人を倒したといっても、それは複数人で一体に挑んだ時の話で、複数の巨人が出たあとは手も足もでなかった。
ミハエルと共に、あの状況で生きていられたほうが奇跡だったのだ。
命の無駄遣い――そうとしか思えない行動だったが、ヴァンはそれを後悔はしない。
少なくとも、友人が助かる可能性があるのに、それを見捨ててまで自分が生き残りたいとは思わなかった。
どうせこれからも、死ぬ危険性は変わらない。ヴァンが調査兵団に入れば、もっと死ぬ可能性は高くなる。
それならば、後悔して死ぬよりも満足して死にたい。そして死ぬ時までは、友人を守りたいとも。
「最善を尽くすんだ。きっと、ミハエルは生きてる……」
救出できる希望はまだある。そう思い、ヴァンは前方へと目を向けた。
ヴァンの移動先には周囲の民家より一段高い建物が見える。先ほどミハエルと別れた場所だ。
すぐさまその周囲に目を走らせる。屋根より高い位置に影はない。どうやら、10mを超えるほどの大型巨人はいないようだ。
ミハエルは凌ぎきれただろうか――そう思い、民家の屋根に飛び移る。
ただ、そこから見渡す限り、ミハエルの姿は見当たらない。
「ミハエル、どこだ!?」
焦る気持ちを抑え、親友の名を呼ぶ。当然、返事はない。
民家の中にでも隠れたのだろうか。姿勢を傾け、民家の中を調べようとアンカーをすぐ下に打ち込む。
アンカーが屋根に固定されたのを確認し、乗っていた屋根から徐々に降りていった。
すぐに二階の屋根へとたどり着き、打ち込んでいたアンカーを回収。窓から様子を伺うが、その場に人がいる様子はない。
「ミハエル! 居るなら返事をしてくれ」
ためしに呼ぶものの、返答はない。あまり長居すると危険なため、早々にその場から離れることにする。
おそらく巨人を避けるために移動したのだろうと考え、ヴァンは一度地表へと降りた。
周囲にはまだ、巨人によって殺された仲間たちの遺体がある。それがあるということは、場所が違うことはないようだ。
「すまない、アッシュ…皆。俺が、俺がもっとよく動けていれば!」
皆、綺麗な死に方ではなかった。アッシュを初めとして、巨人に食われた跡があるものもいれば、握りつぶされて事切れた者もいる。
中には女の子もいたが、きっとこんな姿を見られたくはないだろう。
周囲から被せられるものでも持ってこようとして、ヴァンは目を見開いた。
見えてはいけないものが、視界に映りこんでいる。普段見慣れたものが、見慣れない形でそこにあった。
「ミハ、エル……?」
視線の先には、ミハエルの姿がある。
ただ、それがミハエルなのかどうか、一瞬見ただけでは判別もできなかった。
身体はひしゃげ、左腕がありえない方向に曲がっている。足はどちらとも潰れ、原型も残っていない。
ただ判別できたのは顔だけだ。血に濡れて自慢の金髪は見る影もなかったが、生前と変わらない顔で事切れていた。
「何で、お前……勝手に死んでるんだよ」
眠っているように目を閉じているからか、遺体の状態が違えば死んでいるようには見えない。だが、見るも無残になった身体を見れば、生存を望む方が無理な話だ。
「ちく、しょう…お前も、バカだろっ!」
見れば手に剣を持っていない。きっと、生きることを諦めてしまったのだろう。
ミハエルがヴァンを逃がそうと必死だったのも、あれ以上の戦闘ができないと悟ったからだ。状況的に見ても、巨人3体が相手では生存の望みは薄い。
ヴァンを優先して逃がしたのも、ミハエル自身が巨人との戦闘を放棄したことと関連付けられる。
生き残っている限り、巨人から逃げることはできない。
唯一巨人と人類を隔てていた壁が破られた以上、戦って死ぬか、逃げ惑って死ぬか。どちらかひとつしか選択肢はないのだから。
そっとミハエルの遺体に触れる。死んで間もないのか、冷たくはなかった。ただ、少しだけ硬かったのが、死後硬直が開始している事を告げている。
――あぁ…ようやく分かった。
「これが、エレンたちの見た地獄なんだな。よく、分かったよ」
――この世界は、残酷なんだ。
ゆっくりとヴァンは立ち上がった。遠くから地響きが近づいてくる。そちらに視線を移せば、明らかにスケールのおかしい人影が見えた。
般若とでも形容すべき、憤怒の形相をした巨人がヴァンに向かって歩いてくる。その怒りは人間に怒る神のようでも、人に同胞を殺されて復讐に駆られているようにも見えた。
だが、もうヴァンは知っている。
巨人に感情はない。
巨人に心はない。
人のようで、人ではない。奴らにとって、表情は一つの顔だ。その表情から変化することはなく、表情が内面を表すことは有り得ない。
「俺が、間違っていたよ」
一つでも共感できることがあれば。巨人に意志があれば。希望はあるはず、そう思っていたヴァンだったが、もうその思いはなくなっていた。
巨人と分かり合えることはできない。巨人はただ人を喰らい、破壊するだけの兵器であって、生物なのではないとヴァンは悟る。
「上等だよ。お前たちが人を殺すなら――」
距離を詰めてくる巨人を見据え、剣を抜いた。強靭さとしなやかさを持った刃が、ヒュンと風を切って巨人に向けられる。
後悔しないための選択を選ぼう、そう思ったヴァンが選んだ選択は。
「――俺が巨人(お前)を殺してやるよ」
能面のように表情が抜け落ち、淡々と宣言する。
人を殺す巨人は殺す。その理が変わらない限り、巨人を殺そうとヴァンは思った。
巨人があと数mまで迫ったのを確認して、ヴァンは左側のアンカーを射出した。
憤怒の巨人が手を伸ばしてくる。それを避けるように、ヴァンはワイヤーの牽引力によってその場を離れた。
ガスを噴射し、踊るように巨人の背後を取る。巨人がヴァンを追って姿勢を変えるが、巨人の顔がこちらを向いた瞬間、ヴァンは既に巨人の鼻先にまで迫っていた。
「俺も、お前と同じ表情(カオ)だよ。きっと」
まずは視界を潰す。左右の目を切りつけながら、巨人を通り抜けた。
通り抜けざまに、巨人の首元にアンカーを打ち込む。
「こん、のぉぉぉぉぉ!」
噴射ガスを右だけにし、弧を描くような動きで反転。遠心力によって身体が軋むような音を立てるが、歯を食いしばって耐える。
――このまま、うなじを削ぎ落とす!
剣を握る力を強め、二本の剣先を合わせた。交差させるように重ねた剣を振り上げ、確実にうなじを削ぎ落とすことのみを考える。
しかし、剣先が届くかどうかという瞬間、巨人の身体が大きく翻った。
「ッ!?」
横殴りされたかのような衝撃とともに、巨人の右手がヴァンを捉える。子供が玩具を扱うような乱雑さで握られ、身体全体が圧迫された。
「グ、ア……ガッ!?」
肋骨が軋みを上げ、肺が押しつぶされそうになる。咄嗟に手の力を強め、剣を手放さないように握り締めた。
そのまま柄を持ち替え、逆手に持った刃で親指を切り落とす。もう片方の剣を突き刺し、強引に隙間を作って這い出ると、勢いのままガス噴射によって民家の屋根に飛び移った。
「くっ…痛っ」
巨人に向けて構えるが、脇腹からの激痛に顔が歪む。思いのほか、強く握られすぎた。熱を持ち始めたら骨折。よくてヒビが入っているものだと考える。
逃げる際に剣を一本失ってしまったのは、致命的だった
目の前の巨人は相変わらず憤怒の形相だ。先ほど切った手からは煙が出ており、指の辺りを覆い隠している。
巨人特有の再生現象だ。巨人の発する煙は熱を持つため、下手に触れると火傷の恐れもある。アレでは突き刺した剣の回収は無理だろう。
次にその手に掴まれれば、そのまま口の中だ。先ほど切った目は既に元に戻っていた。
「一人は、きついよ……ミハエル」
二人以上でようやく倒せていたことを、今になって実感する。大きさもアッシュを食らった巨人より大したことはないはずなのに、一人ではその敵があまりにも強大すぎた。
横で戦っていた友人の存在が、どれほど心強かったことか。一人は、孤独とは、簡単に人の心を脆くする。
支えられてこそ、人は人足り得るのだ。
視線を落としたとき、目に映るものを見て、ヴァンは笑った。
「あぁ……諦めるにはまだ早いな」
視線の先に、都合よくミハエルの剣が落ちていたりはしない。ただ、刃の予備がまだ残っていた。
柄がなくとも、剣がなくとも、削ぐための刃があれば巨人は倒せる。諦めようと視線をおとした先に活路が見えたのだから。笑ってしまっても仕方がない。
まるで、下にいる死んでいった仲間たちに、諦めるなと言われているようだった。
ここでヴァンが心を折ってしまえば、死んだミハエル達にも、挑発したハンクにも顔が合わせられないだろう。
――それだけは、ごめんだ。
「なぁ、巨人のクソ野郎」
柄から、刃を外した。外れた刃を、手に握る。
既に巨人の血が付いているとは言え、むき出しの刃だ。強く握り締めた先から、刃が肉を裂き鮮血が滴る。
「お前は空を見たことがあるか?」
刃が外れた柄を、刀身ボックスにある予備の刃に噛ませる。柄と刃が固定されたのを感覚で確かめ、柄を抜くと新たな刀身を持った剣へと生まれ変わっていた。
「一回でもいいからゆっくり見てみろよ。きっと、気にいるから」
一つの剣と、一つの拳。そこから伸びた刃が、ヴァンの最後の攻撃手段だ。
身体の痛みが、全身に響く。装置の固定と立体機動の高負荷に耐えるための対Gベルトによって体を締め付けられている分、痛みが増しているように感じた。
痛みを無視してヴァンが屋根を蹴り、空中に身を投げ出す。
憤怒に顔が歪んだ巨人がヴァンに向けて手を伸ばすが、ヴァンは咄嗟に体を捻り、ガスを噴射。横向きに吹き出したガスがヴァンの身体を押し出し、巨人の伸ばした手がその身を掠めていく。
掠めた際にも身体が持って行かれそうな衝撃が走るが、その感覚を無視して使用できるたった一本のアンカーを射出。巨人の額に打ち込み、その額めがけてガスを吹かせる。
「これが空だよ、巨人野郎」
額に着地したヴァンを見ようとしたのか、巨人が顔を上げる。
片手を伸ばし、天を仰ぐ巨人の姿は、見方によっては神々しく見えただろう。
ただ、この巨人は人類にとって驚異でしかない。ただの、悪魔だ。
「その汚い目に、よく映しておけ」
そのまま額を蹴り、頭頂部から跳躍する。落下に身を任せながら、巨人の首筋を捉える。既に血まみれの右腕は感覚もなくなってきていたが、構わず巨人のうなじに突き立てた。
巨人が首に張り付く虫を払うように手を伸ばす。だが、怯まずもう一方の腕で剣を突き立て、一気に振り抜いた。
二つの刃が肉を切り裂き、巨人のうなじを削ぎ落とす。
その瞬間、巨人の腕がヴァンを捉え、巨大な質量によってヴァンの身体は吹き飛ばされた。
咄嗟にヴァンは宙を浮いた身体を立て直そうとアンカーを射出しようとして、できないことに気づく。
おそらく吹き飛ばされた時に射出装置が歪んだか、破損したのだろう。
すぐさまガスを噴射するが、巨人に吹き飛ばされた勢いを全て殺しきることができず、地面に叩きつけられた。
元々巨人の力で軋んでいた骨が悲鳴を上げる。肉が擦れ、体全体を電気が走ったかのような激痛に声にならない悲鳴を上げた。
数回転がり、民家の壁に身体をぶつけたことで勢いが止まる。
倒れた身体はしびれ、痛みが徐々になくなっていく。感覚が麻痺してきていることを感じ取って、ヴァンは弱々しく笑みを浮かべた。
「ハハッ……結局、誰も守れなかったな」
ハンクの言葉が正しかったことは気に入らないが、これで良かったのだろうとヴァンは思う。
もし、ハンクたちが納得してついてきてもミハエルは死んでいた。ただ、巨人と遭遇する確率が増えるだけだ。
自分が一番救いたかった命が救えなかった時点で、ここでの戦闘は無駄なものだった。
――あぁ、でも。
「カティは、守れたかな…」
ヴァン一人で来たことで、カルトたちは救えたのかもしれない。それどころか、単身で巨人を一体倒したのだから、兵全体の損失も少なく済むだろう。
誤差の範囲かもしれないが、そのことはきっと、無駄にはならない。
「……やっぱ、空はいつ見ても綺麗だよなぁ」
もうほとんど霞んでいたが、それでも空は綺麗な青色をしていた。ヴァンはこんな時も変わらずに在り続ける空を見て、手を伸ばしてみる。
手は宙を掠めただけで、何も掴めない。
ただ、握った拳の中に、人類の希望があったような気がして、ヴァンは満足そうに目を閉じた。
いつか、人類が巨人に怯えることなく、壁の向こう側にまで広がる空を見れる事を夢見て。
宙に浮いたヴァンの手が、ゆっくりと地に落ちた……。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。ケリュケイオンの蛇です。
進撃の巨人 IF -TITAN OF RECORD- 『変革の風』は、これにて一旦の完結となります。一話とかつけましたが、長編を書く際の保険みたいなものです。どうか、気になさらないでください。
タイトル名は主人公の名前の由来にもなっています。ヴァン・トランスを分解するとフランス語のVent(風)+英語のTrans(変化)で変革の風。強引ですが小ネタでした。好きなんです、こういうの。
さて、今作は最初から二分割型の短編のつもりでしたが、なんというか色々と盛りすぎた感があります。改めて自分の力量不足を痛感しました。もう少し構成力を養いたい…。
なお、キャラクターを貸してくださったカムカム@もぐもぐさんにはここで感謝を。
今回の短編は、あまり巨人の世界観に合ってないかと思います。絶望感とか、自己中加減とか、巨人に対する恐怖心とか…。
そんな拙作ですが、少しでも楽しく読んでもらえたなら幸いです。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。