アドルフ、入ってる?   作:王子の犬

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11.elf. ――弱気――支払い――歴史――嘲笑――

 

 

 ありがたいことに、店内の商品の配置に詳しい学生がいた。水色の髪をした少女のあとについて進みながら、物珍しさからか陳列棚に並ぶ色とりどりの袋に目を奪われた。

 艶々とした薄い袋。銀白色の薄膜へ精細なイラストを多色刷りする技術。樹脂の光沢などは宝石の断面のように煌めいている。

 少女は足を止め、怯えた様子で一番奥の棚を指さした。

 

「あの辺……」

 

 そう言うと、少女は横へ一歩ずれた。

 

「こっちが書くもの……」

 

 今度は目線の高さにある棚を示した。

 

「ふむ」

 

 一番手前にある細身のペンを指でつまみ、もう片方の指でつつく。硬い樹脂製だ。キャップを外し、先端を穴が空くほど見た。ボールペン。試し書き用の上質紙に向けて線を引く。筆記体で『F』を何度か書き、その後フラクトゥーア(ドイツ文字)を書こうと試み、強弱がつけられなくてペンを置いた。次に簡易万年筆。鉛筆のように硬質で均一な線だった。

 元の棚に戻してからしゃがんで、A4版のレポート用紙をいくつか手に取った。すべて上質紙でできている。手書きのつもりでいたから、罫線の幅がもっとも広い横書きものを選んだ。

 レポート用紙のうえにボールペン、簡易万年筆を置いて持ち上げる。

 さらに一歩退いて、様子を見守っていた少女が口を開いた。

 

「て、……手で書くの……?」

「もちろん」

「……今時……そんな人、……いないんじゃ……」

 

 妙なことを言う、と思った。

 いつの時代でも、こちらの行動を理解しがたい、不可思議なものだとして見る者がいる。

 水色の髪の少女は手書きで課題を作るような者は存在しないという。今、この場で驚いてしまえば、少女がこの場の主導権を握ってしまうだろう。

 真の総統たる者、そのような徴候はほんの小さなものであっても絶対に見逃さない。焦るように誘導され、落とし穴にはまらないよう、用心しながらゆっくりと行動するものだ。

 感情に支配されて軽率な行動をとってしまう、普通の人間とは異なるのだ。

 

「買う者がいなければ、商人は店先に品物を並べたりはしないものだ」

 

 動じず、落ちついた態度で臨む。

 少女は期待した答えが返ってこなかったためか、それとも病的な弱気から絶えずあれこれ迷っているためか、こちらを直視できず、さらに一歩退いて柱に背中をぶつけていた。

 カウンターを顧みた。『STAFF ONLY』と書かれた扉の向こうに、店員が控えている気配すらない。

 顔を戻して、少女に聞いた。

 

「品物を購入したい。私は、この地に、……この施設に来たばかりで買い方がわからない」

 

 実際、店内は閑散としていて他に客がいない。次の授業のこともある。彼女に聞く以外に術がなかった。

 

「教えてもらえないだろうか、お嬢さん?」

「……う、……あ……」

 

 少女は視線が定まらぬ様子だった。誰かに代わってもらおうと、首を右へ左へと曲げたが、無駄に終わる。

 怯えながら早足で脇を通り過ぎる。後をつけると、カウンターの前で止まって振り返り、白色光が点滅する台座を震えた指先で示した。

 

「か、カード(学生証)……」

 

 少女が、異常なほどうわずった様子で繰り返した。

 

「食堂と同じ要領、というわけだな」

 

 樹脂板(カード)を取り出して光にかざした。

 『ピ!』と電子音が鳴り、文字盤に『ご利用ありがとうございました』と表示された。微かに唸るような音がして、印字されたロール紙が送り出され、ひとりでに切断されてトレーに落下した。

 紙片をつまんで眺める。頭に『一律15%オフ』と書かれている。

 少女が台座の横のフタを開け、茶色の紙袋を取り出した。

 

「これに……」

 

 受け取り、購入した文具を袋に入れた。

 小脇に挟んで歩き出し、購買を出てすぐに改めて礼を言った。

 

「あなたがいなければ、私はこれを手に入れることができなかった。ありがとう。とても感謝している」

「……ひ、……べ、別に……」

 

 少女は怯えた眼差しのまま口ごもり、背を丸めて逃げ出してしまった。

 走り去る姿にどう反応すべきか躊躇した。何かしらの失礼があったのではなかろうか。

 やりとりを振り返っているうちに予鈴が鳴った。自分も足早に教室へと戻った。

 午後の授業はすべて一般教養である。日本国籍の生徒向けの英語の授業だ。文法的な講義と会話、そして言語技術(ランゲージアーツ)

 篠ノ之などは難しい顔をしている。対して、留学生たちは物足りない様子でいた。

 授業終了を知らせる本鈴が鳴った。教師が去ると、教室中が弛緩した雰囲気に包まれる。

 頬杖を突いて外を眺めていると、女子学生が視界を遮った。

 身を起こして背筋を伸ばし、顔を上げる。

 

「篠ノ之か」

 

 彼女にしては珍しく、にんまりとした表情だった。考えを言いたくてうずうずしている様子だ。

 

「……授業後、時間はあるか?」

 

 予定を即答せず、一度視線を外して、男子学生たちを見やった。

 もう一度篠ノ之の顔を見た。

 

「部活は決めたか?」

「……いいや、決めていない」

 

 言って、首を振った。

 実を言えば、部活動という発想がなかった。

 若者であった頃、学校の勉強は滑稽なほど退屈だった。暇を持てあまして、たびたび戸外へ出た。戦場――当時は近所の野原と森がそういう場であった――へ出向き、自然発生する口論を解決させてきた。実科学校でもそうだった。

 

「篠ノ之の申し出は大変ありがたい。しかし、今日は予定を立ててしまってな。また誘ってくれ」

「そうか。急かしてもよくないからな。先約を優先してくれ」

「助かる」

 

 篠ノ之は席へ戻ろうと一歩を踏み出した状態で固まった。

 視線を追った先には男子学生たちの姿があった。織斑一夏とシャルル・デュノアだ。

 寄宿舎や食堂、アリーナを見て回ったかぎりだと、この施設は著しく女性の比率が高い。一組から四組まであって男子学生はたったの二人だ。二人の若者が揉め事を起こすことなくうまくやっているとすれば、若者たちは互いに親睦を深め、同盟を組むのは当然だ。真の友情とはそれ自体が気高いものだ……。

 

「篠ノ之? どうした?」

「いや……」

 

 男子学生たちを見まいと、再びこちらへ向き直った。

 机に手を突いて前のめりになって、言った。

 

「授業後の予定とはどんな予定なんだ」

「アリーナでISに乗る。その後、図書館に向かう」

「アリーナ、はわかる。しかし……図書館? 図書館で何を?」

 

 篠ノ之は首をひねり、要領を得ない様子だ。

 立ち上がり、篠ノ之と向かい合うように立った。

 手を前に組んで両方の瞳を閉じ、意識を虚空にゆだねる。沈黙し、息を整えてから、目蓋を開けて黒真珠のような瞳を捉えた。

 

()()()

「……は?」

 

 篠ノ之が二の句を継ごうとしたとき、軍靴の踵を打ち鳴らした。独特の調べが教室内に轟き、次の瞬間、篠ノ之だけでなく、他の学生たちも一斉にこちらへと注意を向けた。

 

「歴史を学ぶということは、知性を獲得するための最良の手段である。

 ――われわれは自国の歴史をたくさん学んでいる。

 しかし、今日の歴史教育は、九割九分までが嘆かわしいものである。

 年号、日付の洪水。人名、人物の生年月日。たくさんの事件、出来事を暗記する。歴史をただ、漫然と文字列を暗記することとして捉えている人々がなんと多いことか!

 それはなぜか? 試験で良い点を取るためだ!

 だが、このような教育では、本質的なものを、すべて学び取ることができない。事件が起こり、そこに携わった人々の内面的な動因を見つけ出すことは甚だ難しいと言えよう。

 そのような教育を受けた彼等は全く歴史を学ばず、健全な歴史を捉えることなく、生涯を終えるのだ。文明において、これほど大きな損失はない。

 最も重要なことは、我ら人類の大きな発展の流れを認識することにある!

 歴史を集約して学ぶことは、各人の行動において、先人の失敗と同じ轍を踏むことなく、自らの知識を活用して賢明な判断を下して利益を享受する。国民全体において、役に立つことが期待できるのだ。

 であるからこそ、私は親愛なる祖国、ドイツの政治! 外交! 戦争! の三点を危急速やかに知らねばならない。ドイツ国民として、軍人(指導者)として、私には義務がある!

 

 教室のなかには重苦しい静寂の気韻が伝播していた。

 ――皆の心に私の思いが伝わったに違いない……。

 篠ノ之は衝撃のあまり唖然としていたが、すぐに我に返って、戸惑いながら口を開いた。

 

「……その、なんだ。インパクトが」

「忌憚のない意見を聞かせてほしい」

 

 篠ノ之が一歩下がりながら咳払いをした。

 

「……そういうの、いつも考えているのか?」

「考えている。

 準備なくして電撃戦など不可能だからな。いつでも戦場へ馳せ参じられるよう練習することもあるが、今みたいに即興でもよくやる」

 

 大真面目に答えると、篠ノ之以外の者がクスクスと忍び笑いを漏らした。そのうちに、小さな波がいくつも重なって伝染し(うつり)、大声を立てて笑い出した。

 指で自分の頭を小突くものが何名かいた。『芸風が……』『頭が……』『まともに話してる、篠ノ之さんがすごいわ……』などと呟きながら口を手で蓋をして震えている者さえいた。

 ――笑われるような話をしたつもりはない!

 篠ノ之は頬をかいてから、こう言った。

 

「……授業後、私もアリーナに行こう。せっかくだから練習に付き合わせてくれ」

「うむ。そうしてくれるか。ありがたい」

 

 真面目な会話をする最中であっても笑い声に包まれている。

 嘲笑的な響きが多分に含まれていたが、少なくとも篠ノ之には届いたはずだ。

 騒がしさは途切れることなく、山田参謀が終礼をすべく教室に姿を現すまで続いた。

 

 

 

 




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