アドルフ、入ってる?   作:王子の犬

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3日目
13.dreizehn. ――禁忌――URL――屋上――才能――


 

 

 目覚めると、ベッド脇に積み上げた書物の山が崩れていた。

 丸めていた身体を伸ばし、仰向けになって天井をぼんやりと眺める。

 昨日アリーナで基本動作を確かめたあと、図書室で書籍を入手した。ペーパーバックにハードカバー、合計十冊。篠ノ之に手伝ってもらいながら自室に運び込んだ。食事を摂り、入浴を済ませ、ベッドに書物を載せて眠くなるまで空白の数十年間を埋める作業に没頭した。

 新しく知ることは大変有益だ。

 時空転移したあげく、少女の身体で目覚めるなどという非現実的な状況を嘆くことなく、事実を受けいれ前向きに知の探求に勤しむ。思索を継続していけば、いずれ順応し、この世界が置かれている状況を理解するだろう。

 書物の概要を紐解いていき、まず理解した事実があった。

 アドルフ・ヒトラーは事実上死んだことになっている。

 自殺だという。

 しかし、書物に書かれていた、自殺の時間までの数時間の記憶がすっぽり抜け落ちている。確かに信頼がおける人間を相手にそういった可能性を討議した気もする。

 手のひらを天井に向けた。小さな手だ。

 我が手はこのように小さくはなかった。この少女の身体こそが自分自身が死亡した事実を如実に証明している。だが、なぜ自分は、ラウラ・ボーデヴィッヒなる少女ではなく、アドルフ・ヒトラーだと認識しているのだろうか?

 運命の歯車が噛み合っている限り、絶対にあり得ない出来事だ。

 もしや自分は、自分をヒトラーだと思い込んでいる、頭のおかしな少女なのか。あるいは、何らかの手段で保存した脳を、この少女の身体へと移植したのではないか。

 

「私は」

 

 二つの仮定を検証するのに、最も最適な方法がある。

 アドルフ・ヒトラーになりきっているのであれば、音として言葉を発するはずなのだ。『私はヒトラーだ』と繰り返し音にすることで、自らを洗脳するのだ。また、脳を移植したとしても、正しく発音するはずだった。

 

ラウラ・ボーデヴィッヒ(アドルフ・ヒトラー)だ」

 

 どういうわけか、ヒトラーという言葉を発することができない。

 少女の潜在意識が、頑なにアドルフ・ヒトラーと口にするのを阻止しているようだ。ナチスやハーケンクロイツといった言葉も発せられない。これらの言葉を発することは、おそらく、少女の自我における最大の禁忌なのだろう。

 同時に、禁忌ほど美味なものはない。若いラウラ・ボーデヴィッヒは何らかの理由で、禁忌を犯していたのではないか? 自らを依代とし、ドイツ帝国の総統の意識を時空転移させたと考えられまいか。

 

「――」

 

 腹が鳴った。身体を起こし、顔を洗い、服を着た。空腹感を和らげるべく食堂へ向かった。

 皿に朝食を盛りつけ、手近なテーブルへと着席する。

 

「うむ。うまい」

 

 美味い食事。砲弾の弾着を気にせず、天井が崩落するのではないかと考えなくとも良い。ぜいたくな時間だった。

 ひとつ気になるのは、周囲の少女たちがしきりにこちらを気にしている点だ。チラチラとこちらを見ては、俯いては何かを弄っている。

 誰も話しかけてこなかったため、怪訝に思いながらも特にこちらから何かすべきとも思わなかった。

 部屋へ引き返して背嚢に入るだけの書物を押しこむ。早めに教室へ向かい、読書に勤しむためだ。

 道行く人々がこちらを見ては、コソコソと噂しあっている。笑っている者もいた。それ以外は相変わらず、四角い機械に目を落として歩いている。

 ――もしもルストが教育相ならば即座に罷免だ。

 一年一組の自席に座った。先に到着している生徒がいて、四角い機械とこちらとを見比べ、口を押さえながら顔を背け、肩をふるわせて笑い転げそうになるのをこらえていた。

 背嚢から書物を取り出す。第三帝国の終焉と占領統治からの脱却、という内容だ。ページをめくるうちに、登校してきた学生の数も増えていく。

 男の声がした。視線だけを出入り口へ向け、織斑一夏とシャルル・デュノアが連れだって現れ、すぐ後ろに篠ノ之やセシリア・オルコット、隣のクラスの中国娘も教室内に入ってきた。

 彼等を取り囲むように他の生徒が集まってくる。彼女たちも他の者と同様に四角い画面を見て笑っている。

 セシリア・オルコットと篠ノ之だけは笑っていなかった。前者は首を傾げて、笑いどころを理解しようと試みているが、うまくいっていない様子だ。後者は……こちらの視線に気づいて、メモを書き付けていた。

 輪から抜け出して席の前に立つや先ほどのメモを差し出した。

 開くと、『https://』から始まる英数字が書かれている。見たこともない単語を奇異に思いつつ、篠ノ之を見上げた。

 

「これは?」

「今すぐこのURLを開いてみるんだ」

「……どうやって?」

 

 暗号か? 暗号ならば解読するための鍵が必要だ。

 篠ノ之はポケットから四角い機械を取り出して掲げて見せた。

 

「持ってるだろ」

 

 同じような四角い機械は自室にあった。

 昨晩、突然電話と思しき鈴の音が鳴った。音源を発見し、機械の画面に『着信:Clarissa(クラリッサ) Harfouch(ハルフォーフ)』という文字が出現したのだ。続いて出現したメッセージには『連絡を』とドイツ語で記されていた。

 しかし、自分にはどうしようもなかった。

 機械の扱い方がわからなかったのも一つだが、それ以上に大きな問題がある。

 

「暗証番号がわからない」

「……なんだって?」

 

 求めにしたがって、自分の生年月日を試しに押してみたが、ダメだった。少女の記憶を引き出すことができないのだ。きれいさっぱりと!

 

「今見せる」

 

 篠ノ之が四角い機械を片手で弄ってみせた。

 機械を差し出し、画面を見るよう促した。

 見慣れぬ表示が映し出された。白い背景の上段にタイトルと思しき文字列が記されていた。

 

『衝撃映像!!例のあの人がwww』

 

 顔を上げて目が合うと、篠ノ之が言った。

 

「学内専用SNSの動画投稿ページだ」

 

 画面の中央で円形の矢印が回っている。じっと見つめて待っていたが、いつまで経ってもクルクル回り続けている。

 

「なんだか回線が混んでるな。……少し待ってくれ」

 

 もたついているうちに山田参謀が姿を見せた。時計を一瞥する。予鈴まで一、二分ほどあった。

 山田参謀がわざと音を立てて、教卓の上で書類を整えてみせる。

 中国娘が振り返るのを確かめ、微笑みを浮かべた。

 

「凰さん。そろそろ予鈴が鳴りますよ」

 

 凰と呼ばれた中国娘が振り返った。横顔からでも目を丸くしたのがわかる。扉まで駆けていき、思い出したように足を止めた。

 

「一夏! あとで付き合いなさいよ!!」

 

 捨て台詞の最中に予鈴が鳴り、中国娘を追い立てていく。

 鳴り終えるまでの数秒のうちに篠ノ之へ伝える。

 

「篠ノ之。後でも良いか?」

「……あぁ。急ぎはしないが……」

「では昼休み。昼食をとりながら見ようではないか」

 

 一限目の休憩時間としなかったのは、二限目と三限目に教室移動があるからだ。施設のなかは広い。知らない場所が多く、遊びにかまけて遅れるわけにはいかないのだ。民間の学校ならばどうにでもなろうが、ここは軍事研究施設である。時間に厳しいはずだ。

 篠ノ之は煮え切らない様子でいた。山田参謀の微笑みで覆い隠された鋭い視線に耐えきれず、自席へと戻っていった。

 一年一組の教室で四限目を終えた。昼休みを知らせる鈴の音を耳にして、すぐさま篠ノ之が席を立つ。

 

「昼だ。一緒にどう……」

 

 すべてを覆い隠すように、教室内が黄色い声で沸き立つ。

 篠ノ之に呼応して席を立ったものの、気になって音が集中している場所を探した。

 すばやく問題を捉え選別するためだ。加えて長時間の頭脳労働のあとである。英気を保つには休息が必要だった。

 騒ぎ立てている連中の中心に彼女はいた。

 更識簪は昨日と同じく顔を真っ赤にして肩を震わせている。囃し立てる声を聞いているのか、いないのか。意を決して一組の教室へと立ち入り、こちらへ向けて真っ直ぐ歩いてくる。

 

「こんにちは。お嬢さん(フロイライン)

 

 和やかな微笑みとともに挨拶を口にした途端、なぜだかわからないが、笑い声が混じりだした。『フロイラインっ……!!』『ガチじゃんっ!!』などだ。

 

「……こんにちは」

 

 更識簪が小声で挨拶を返し、不機嫌な眼差しを向ける。今日は落ち度はなかったはず……と心の中で呟いた。

 

「……来て」

 

 彼女は突然こちらの手首をつかみとり、背を向けて早足で歩き出した。娯楽に飢えた少女たちの黄色い声が沿道から沸き起こる。

 

「目的地はどこなのか」

「……屋上」

 

 なるほど、今ここで振りほどくのは簡単だ。二度までも背を向けて遠ざかった彼女が、今日は立ち向かい、自らの意思にしたがって前進している。無知や悪意から生じた誤った認識のまま、虚言妄言を並べる連中は無視するにかぎる。

 若者の熱意ある行動。

 屋上に行ってみれば、何かわかるだろう。

 屋上へと連なる鉄扉。把手を握り、体重をかけて押し開ける。自分と同じくらい小さな彼女に、一方的に労役を負わせるのは忍びないと思い、手伝うことにした。

 

「……ありがとう」

 

 屋上へ立つと、溢れんばかりの光に驚いた。目が慣れたとき、更識簪の水色の髪が色めき立って艶々と輝きを放つ。彼女は風に弄ばれまいと髪を抑えた。

 金網越しには、ずっと向こうの岬を抜けようとする船がいた。じっと目を凝らすうちに、小さな軍艦……駆逐艦の群れのようにも思えてくる。大日本帝国海軍らしき軍旗(旭日旗)をたなびかせていた。

 悲壮さとは無縁な、おだやかな時の流れに触れている。自覚した途端、自分自身の悲劇的運命、数日前まで総統地下壕で過ごしてきた苦難の夜を思いだし、自然とうめき声が漏れた。かつての自分は悪意の世界と格闘し続けたあまり、やつれて、落ちくぼんだ目をしていた。膨大な犠牲者の数。骸の山を重ねてもなお、戦い続けなければならなかった。悲しみで胸が痛み、目尻から一筋の涙がこぼれ落ちていた。

 更識簪が振り返ったのを見て、気づかれまいと目蓋をこする。大衆の無分別な好奇の視線を阻止すべく、扉を閉じようと把手へ手をかけた。

 

「待て! ボーデヴィッヒ、待て!」

 

 忍者もかくやという体捌き。勢いを殺すことなく、半ば閉じかけた扉の隙間へと滑りこむ。一陣の風が身を切るように吹き過ぎていった。

 ……ガタン、という音。

 扉が閉じた。

 再び金網の方角へと向き直る。制服が汚れていないか気にする篠ノ之と更識簪が対峙している。後者の視線は闖入者への警戒だった。

  

「あなたは……篠ノ之箒。……篠ノ之博士の妹」

「更識簪……? 国家代表・更識楯無の妹」

 

 お互いに誰と目を合わせているのか認識しているようだった。

 

「篠ノ之。なぜ?」後を追いかけてきた理由。

「昼食の約束を忘れられては困るからな。……それに、二人の名誉のためにも、第三者はいたほうがよいと思ったからだ」

 

 『な』と更識簪に向けて念押ししていた。

 ――屋上へ連れてこられたからには、聞かれたくない話のはずだ。

 篠ノ之の申し出を断ろうかと口にしかけたとき、水色の髪の少女が首を縦に振った。

 そして日陰へ移動してから四角い機械を取り出して操作して見せた。

 先ほどの『衝撃映像!!例のあの人がwww』の画面を表示させた。

 黒い長方形の中心に触れる。動画とともに音声が聞こえてきて、驚いてしまった。

 

「こんなものが!」

 

 携帯ツーゼではないか!

 

「この映像はどうやって再生している?」

「……インターネットだが」と篠ノ之。

「学内専用のクローズドネットワークだけど……」

「インターネッツ。とても素晴らしい発明だ!」

 

 図書室のパソコンだけでなく、手のひら程度の機械でも閲覧できる。世界中のありとあらゆる情報が昼夜問わず手中におさめることができる。

 再び画面に目を落とす。映像は縦長の画面で、中心には更識簪と自分が映っている。赤いIS。篠ノ之が見切れていた。

 

「……手の甲にキス」

 

 更識簪と篠ノ之が互いに目を見合わせた。互いに頷きあって意識を共有している。

 特に笑いを誘うような場面は映っていなかった。『wwwwwww』『ガチレズwww』『留学目的はガールハントですか??』などとコメント欄に不可解な記載が並んでいたくらいだ。

 

「みんなこの映像を見て楽しんでいた、と」

 

 セシリア・オルコットの困惑する顔を思いだした。教室のなかで意図を理解していたのは彼女だけだったろう。

 

「……ここを見て」

「うん?」

 

 数字が書かれている。この映像の再生回数だ。

 五■■■回。

 

「この施設には五千人も働いているのか?」更識簪に聞いた。

「……そこまではいない。学生とか全部ひっくるめても千人と少し」

 

 昨日、あの場にいた何者かが四角い機械を使って、更識簪に挨拶をした映像を『インターネッツ』に取り込んだ。学内専用SNSなる場所に展示すると、学生ならびに従業員はだれでも好きに映像を見ることができるという。

 人々は見たい映像を見たいときに見る。

 つまり、挨拶の場面を何度も繰り返し見ていたのだ。

 

「……この映像のせいで私まで噂されて困ってる。どうして、あんなところで、こんなこと……」

「昨日、つまりこの映像で口にしたことがすべてだ」

 

 再び彼女の手を取り、甲へ口づけしてみせた。なぜか篠ノ之までもが顔を赤くする。言いにくそうに口を開いた。

 

「あのな、ボーデヴィッヒ……。更識さん、この映像が学園内に広まって困ってるんだ。悪い意味で有名になってしまって」

「あの映像を見たくらいで?」

「更識さんが悪目立ちしたくない気持ちはすごくわかる」

「私にどうしてほしいのだ? 訂正したところで、大衆は自分たちに都合良く面白おかしくねじ曲げるだけだ!」

 

 否定すれば火に油を注ぐことになる。

 

「投稿した者をゲシュタポに捕まえさせるか? この施設に彼ら構成員がいればの話だが」

「それは……したくない……」

 

 更識簪が青い顔で俯きがちに答えた。

 彼女の真剣味を帯びた反応から、軍事研究施設内にゲシュタポに準じた組織の構成員がいるのは明らかだった。

 

「大衆は熱しやすく冷めやすい。飽きて次の話題まで静観しているのがよかろう。もしくは、こちらから次の話題を提供するのはどうか」

「次の話題? 例えば学年別トーナメントとか」

 

 篠ノ之の答えに応じた。

 

「そうトーナメント。スポーツでもある。大衆を取り込む最強の手段だ。刺激的な話題を提供すれば興味がうつるだろう。篠ノ之、何か思いつくか」

「たとえば……更識さんは代表候補生だ。スポーツで言うところのオリンピック強化選手。近い将来、日の丸を背負うかもしれない」

「ふむ。つまりはエリートだと。ならば、大衆に私はエリートだと見せつけてやれば良いではないか。牙を研いだ純血の獣は、無節制な交配によって生じた雑種とは格が異なるのだと」

 

 事もなげに言い放った。高潔な獣は、卑屈な性質の雑種に媚びたりしない。

 更識簪は小さな身体をさらに小さくみせようと、背を丸めて呟いた。

 

「……純血……専用機がない」

「専用機?」

 

 問いかけてみたが更識簪は彫像のように固まって反応を見せない。

 仕方なく、篠ノ之に視線を向ける。

 

「代表候補生ならば必ず専用機なる機械が支給されるのかね? あの赤いのは?」

「ISコアは四六七個しかないんだ。コア無しでも動く、機動ジャケットならいくらでもあるが、ISは貴重なんだ。もちろん、それが量産機であっても。赤いの……高機動型は上級者向けのカスタマイズ機だが、所詮は量産機なんだ」

 

 専用機は崇拝、憧れの対象であり、量産機は格が数段劣る。それでも機動ジャケットなる装備と比べたら遙かに高位にあるという認識を得た。

 

「私は……ガンダムが良かった! ……赤ザクじゃなくて……」

 

 更識簪は震えるほど強く握りしめた拳を振り下ろす。

 彼女が用いた比喩表現に目を瞬かせたが、言わんとするところは同じだった。

 気位の高い少女は品格を汚されたと怒りを感じていたからだ。

 だが、さらなる怒りを発露するのではなく、さらに背を丸めて下を向いてしまった。

 

「でも、ガンダムは……本当は……専用機はある」

「そちらを使えばよいのでは?」

「……その専用機は動かない。いつまで経っても、ずっと作業が遅延している。……だから……ひとりで……いちから自分でやろうと思った」

 

 あの複雑な機械をひとりで扱いきれるものだろうか。赤い機械を組み上げた技師ですら、巧緻を極めた芸術品を、さらなる慎重を期しながら配下に指示を与えていた。

 しばし考えを巡らせたあと、沈黙を破るように、彼女へ確かめる。

 

ご自分で? あなたは天才なのか? 無から有を創る天才であると?」

 

 更識簪は一歩退いて弱々しく首を振る。

 機械は大きくなればなるほど、一人では動かせなくなる。数十年間の技術的進歩によって、いくらかの無人化ができていたとしても、動作にたる条件を満たしているか、監視する人員が必要だ。まして、兵器開発となれば叡智と洞察に優れた者が、実現までの労役を監督し、構成員ひとりひとりの作業量を細かく分割しなければ成立しない。

 一人で何もかも、というのは傲慢である。

 だが、若者の野心的な試みを否定してはならなかった。膠着した状況を打破すべく、闇雲に手を打っているにすぎないのだ。

 青年期の苦悩が後の人生に多大な影響を及ぼす。ひとりで閉じこもって学問に打ち込み、書物を唯一の友とするのもよいだろう。

 とはいえ、挫折のまま打ちひしがれ、卑屈になって、他人の顔色をうかがい、他人を罠に陥れるような人間にはなってはならないのだ。

 

「先人を模倣してみるのも一つの手段だ。斬新な手法を編み出すには、まず基本を知らねばならない」

「……マネ?」

「昔話をしよう」

 

 そう告げて目蓋を閉じて、深く息を吸って半ばで止める。背筋を正してから、再びを目を開け、歩き出す。

 

「私は子供のころ、画家になりたかったのだ。父は断固反対だった。母も初めは反対していたが、ついに承知した。自分の溢れんばかりの才能に確信を抱きながら美術学校を受験したのだ。そして、……いろいろ不首尾があって不合格になった。

 美術……すなわち、芸術において重要なことは何か、あなたにはわかるかね?」

「……才能」

「確かに才能は必要だ。天才は往々にして才能を発揮する。

 才能を発揮するためにはおびただしい模倣が必要なのだ。あなたに限らず、皆が好きなこと、好きなものには繰り返し接している。接する時間が増えれば増えるほど、ひるがえって長じる。

 つまりは、研鑽に次ぐ研鑽。

 それらを重ね続け、死して尚、他人に響くことが無ければ、その人は本当に才能がなかったといえるだろう。

 しかし、大衆は、好きなものに繰り返し接することなく、根拠なく自分に才能があると思い込む。絵を描くために手を動かすことなく、見てきたからといって、自分には才能があるに違いないと。そのような者に限ってただ一度の失敗で才能がないと嘆く。

 研鑽……すなわち、努力を一切積み重ねることなく、また現実を直視したくないという稚拙な心情を守りたいがために、安易な手段をもてはやし、努力を軽んずる連中が、才能がない! と声高に嘆くことほど愚かなことは無い。

 あなたはどうだ。研鑽し、評価を受けている。

 ならば、誇りなさい! 愚かな群衆の言うがままになる謂われはないのである!!

 

 更識簪の背後に回り込み、両肩に手を置いた。ビクリと身体がはねる。そっと親指に力をこめて、肩を広げる。骨格の動きにつられて肺が広がり、数多の空気をとりこむ。背筋が伸びた。

 囁きかけるべく、彼女の耳許へ顔を寄せる。

 

「フロイライン」

 

 身体が再び硬さを取り戻そうとする。背中が丸まっていくのを押しとどめようと指の力をこめた。

 

「大衆を驚かせようではないか。

 前代未聞の実績があればよいのだ。あなたには、それができる」

「……驚かせる……?」

「手始めに、トーナメントを征服するのだ。戦力を集中し、単騎でもって優勝を成し遂げる。さすれば、誰もがあなたに一目置かざるを得ない。誰も過去のことを気にせず、目先の刺激を追い求め、欲するようになるだろう」

「単騎……ひとりで? 必ず二人一組に……」

「お忘れか。一組のみ人数が奇数である。三〇名の女子学生、一人の男子学生。新たに男女ひとりずつ。他の組は偶数。よって必ず単独の組が生じる。

 あなたは、率先してその一人になる。

 しかし、他の者は必ず戦線を組む。防御すべき線が伸びたとき、柔軟に、弾力に富んだ対応が容易であるか? 否である。急造の戦線。一見硬いが脆い。

 ならば電撃戦だ! 戦力を一点に集中し、縦深へ浸透し、敵の脆弱点を痛打するのだ。それができるのは……」

 

 問題は闇雲に突撃しても包囲殲滅されてしまうという点だ。

 国家を背負って立つと期待されるほどの人材ならば、攻撃目標の選定も容易いだろう。物量という軍事的劣勢を速さで補うのだ。

 

「赤い機体で得たドクトリンを、あなたの専用機に反映させる。あなたの専用機は、あなたの思想で満たされるだろう」

 

 身体を離してから、自分の制服のポケットをまさぐった。

 紙片を取り出した。携帯していたペンを走らせる。新・総統官邸。部屋番号も。

 更識簪の手を取ってにぎらせる。

 

「連絡先はここにある。

 私は逃げも隠れもしない。

 直接話がしたければいつでも聞こう」

 

 言い終えて、篠ノ之へと向き直る。

 

「食事に行くぞ。英気を保つには、まずは腹を満たさねばならない。

 更識も来い。食事をしながら討議しよう。篠ノ之も一緒だぞ」

「えぇ……私も、か。約束はしたが……えぇ……」

 

 なぜか篠ノ之はばつが悪そうにして、虚空を見上げながら頬をかいていた。

 

 

 




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