アドルフ、入ってる?   作:王子の犬

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14.vierzehn. ――誘い――おんな――おもちゃ箱――依頼――

 一日の授業が終わった。終礼のあと、潮が引くように学生たちは教室から消えていく。

 持参した書物を背嚢に押しこむ。今日もアリーナへ向かうべく席を立ち、背嚢を背負ったところで足を教卓へ向け、止めた。

 彼女たちはこちらを見てはいなかった。

 二人の男子学生を中心に据え、周りを囲む女子学生たちが騒いでいる。

 左からセシリア・オルコット、中国娘――凰鈴音――、篠ノ之。その外周には鷹月静寐、四十院神楽、岸原理子、相川清香。

 背嚢を背負い直して聞き耳を立てる。

 黒髪の男子学生――織斑一夏――に対する篠ノ之の言葉遣いが、総統に話しかけるときの調子よりもうわずっているようだ。

 表情もどことなく緊張している。織斑一夏の目線が凰鈴音やセシリア・オルコット、シャルル・デュノアに向けられたとき、焦るあまり強ばってしまっていた。剣士といえど、男女の駆け引きは苦手と見える。

 ――なるほど、篠ノ之が崇拝するのは彼か。

 見つめるうちに、デュノア少年がこちらに気づいた。織斑一夏の肩を突いた。

 織斑一夏は振り返るなりにっこりと微笑んだ。

 

「ボーデヴィッヒさん。これからみんなで食堂に行くんだけど、一緒に来ないか?」

 

 彼の誘いは、周りの女子学生にとって意外だった。『例のあの人』という声が口々に聞こえる。

 『一緒に行く』と答えれば、織斑一夏はおそらく快く受け入れるだろう。彼は女子学生たちが抱く感情を一切気取っていないように振る舞っている。

 教室の出入り口から足音が聞こえた。視界の端に水色の髪を捉えた。

 小柄な身体にしては不釣り合いなほど大きな背嚢を背負っている。決意を秘めた表情に、口の端を緩めざるを得なかった。

 外周の女子学生も気づいた。岸原が四十院と相川を小突き、相川が鷹月の肩に触れ、廊下へと注意を向けさせる。篠ノ之が鷹月の動きに気づいて、視線を向けて姿を認めるや、織斑一夏の脇腹へ肘を突き入れた。

 

「あいたっ」脇腹を押さえる少年の耳許へ、篠ノ之が顔を寄せる。

「一夏。二人きりにさせてやれ。いいな」

 

 セシリア・オルコット、中国娘も気づいた。デュノア少年がなぜか下を向いて頬を染める。初心(うぶ)な表情に岸原が目を輝かせて声をあげた。

 息を深く吸い込み、可能な限り失礼に当たらないように言った。

 

「申し出はありがたい。しかし、先約がある」

「残念。また誘うからさ」

「その時はよろしく頼む」

 

 視線とともに身体を廊下へ向けた。

 教室を出て更識簪と横並びに歩き出そうとした。だが、水色の髪をした少女は上衣の裾をつまんだまま動かなかった。足を止め、顧みるや意図を掴むべく正面から見据えた。

 

「行くのではないのか?」

「……ホラ吹きの責任……」

 

 胸を張って付け足した。

 

「逃げも隠れもしない。そう言った」

「確かに言った」

 

 更識簪の表情の動きからは、半信半疑と言った雰囲気を拭いきれない。少なくとも、彼女は丸めていた背中を伸ばすように努めている。大衆の揶揄する声に耳を貸さない程度ではあったが、誇りのような気持ちがにじみ出ていた。

 

「一分一秒が惜しいと。こうでなくてはいけない。ましてや君は、いずれ国家を背負う人材だ」

 

 言葉を切って手を差し伸べる。少女が裾から指を離し、たどたどしく、緊張で震えていながらも、それでいて視線だけはまっすぐだ。

 うら若き乙女の小さな手が重なる。

 しかと感触を確かめる。互いに手を取り合ったまま階段を降りた。

 出入り口を視界におさめたとき、不意に聞き覚えのない楽曲が響き出した。

 ――勇壮な行進曲(マーチ)のようだが、これは、ただの信号音の重なりなのでは……。

 今、通過しようとしている部屋のなかに、トーキー映画の効果音係が働いているのではないか?

 だが、音源はすぐ隣にいた。

 

「私……」

 

 更識簪が四角い機械を取り出す。その機械こそ、昼間、インターネッツの世界を縦横に旅した夢の機械だった。まさに、アーリア人の創造性の結晶である。

 彼女は片手で器用に操り、画面に浮かび上がった文字を一瞥してから耳に宛がった。

 

『――――カンチャーン。どこぉ~~~~??』

 

 小さな機械からは想像できないほどの大音量だった。

 

「ッ……今向かってる……」

 

 思わず肩を震わせてしまったが、彼女は通話に集中していて気づいた様子はない。

 

『一緒に帰るってぇ~~~~昨日、約束したのにぃ~~~~』

「……もうすぐ着く。それから今日は」

 

 彼女は大音量に負けまいと少しだけ声を張っている。

 かすかに顔をしかめつつ、出入り口のガラス扉と相対した。外は晴れていてやや蒸し暑い。締め切った扉は外気を遮断しつつ、日光がさんさんと降り注いでいる。施設内は冷房完備とはいえ、出入り口の気温は高い。

 少女は長すぎる袖をまくりもせず、全身から大量の汗を流していた。四角い機械を耳に宛がっていた。

 

『ずっと待ってたんだよ~~』

 

 言い終えるやいなや更識簪に向けて突進する。回避は難しいと思い、繋いでいた手を離す。されるがままに抱きつかれ、更識簪はあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。

 

「……暑い……離して……」

「えへへ~~。もう少しこーさせてよ――。じゃないと、カンチャンすぐ邪険にするんだもんっ」

「……だから……暑い……」

 

 ……。

 …………。

 ………………チラ

 

 少女がこちらを一瞥する。

 何と戦っているのか知らないが、勝ち誇った笑みだ。更識簪を上目遣いを向けながらも、しきりに流し目を送ってきた。

 

「一緒に帰ろーよー。楽しみにしてたんだよー」

「……今日は……この人とアリーナに行く……」

「え――……」

 

 少女は黙った。更識簪の腰に回していた手を緩め、こちらを見やって信じられないという顔つきになる。

 

「昼休みに更識と約束をした。すまないが、君の大切なご友人をしばしの間借りさせてもらう」

「……例のあの人と……? 何で?」

 

 こちらの声が耳に入っていないのか。少女――布仏本音――は、呆けた視線で友人を捉えた。

 更識簪はゆっくりとした仕草でうなずき返す。

 

……彼女とアリーナに行く

 

 布仏本音が立ち上がり、ふらついた足取りで外に出た。

 目尻に涙を浮かべている。子供が癇癪を起こすように頬を膨らませ、両足をドタドタと踏み鳴らす。

 

「いーもんっ。いーもんっ! ひとりで帰るっ!!

 私って情人(おんな)がいるのに……カンチャンのバカーッ!!!

 浮気もの――――ッ!!!

 

 理解不能な捨て台詞に呆気にとられ、後ろ姿を見送る。

 小さくなった背中が消えた。ようやく更識簪がため息をつく。

 

「良いのか?」

 

 布仏本音は大好きな友人を取られ、拗ねていたように見て取れた。

 女同士といえば、冷静な熟慮よりもむしろ感情的な感じで行動を決めるものだ。更識簪と布仏本音の間に感情的な対立が出現してしまった。友情はかけがえのないものだ。即座に修復するのが望ましい。

 布仏本音が抱いた感情は単純だ。繊細さは存在せず、ただ、肯定か否定かがあるにすぎない。

 

「……別に……明日になったら忘れてるから……」

 

 予想に反して反応は素っ気なかった。

 深く息を吸い、眼鏡の奥の瞳を見つめた。これ以上詮索するなという。

 少女の望み通り、こう言った。

 

「アリーナへ向かおう。今、優先すべきは行動だ」

 

 眼前の少女は力強く首肯した。運動場脇にあるバス停にたどり着くと、シャトルバスが待機していた。後から乗った更識簪の顔を見るや、初老の女性運転手は行き先を理解したようだ。

 ほどなくして目的地へたどり着く。降車し、格納庫へ直行する。

 他の者なら右へ向かうところを左へ曲がったためか、ずっと無言だった更識簪が口を開いた。

 

「……着替えないの……?」

 

 ふたつ理由があった。

 ひとつはISスーツを持参していないことだ。災厄の雨(Schwärzer Regen)付きの整備員に洗濯もろもろを任せていた。ブラウナウではすべてが手作業だった。とはいえ、最先端の軍事研究施設ならば自動洗濯機があるはずだ。探して使おうとしないのは、総統にとって歴史の空隙を埋める作業のほうが有意義だからだ。

 二つ目は。

 

「技師に用がある」

「岩戸技師に?」

 

 災厄の雨(Schwärzer Regen)の整備をしていた技師のことだ。

 更識簪の顔が曇った。岩戸は打鉄を赤く塗らせた人物でもあった。

 格納庫へ続く扉を開けた。仄かに薬剤の匂いが漂っている。災厄の雨(Schwärzer Regen)へ向かう途中、白く泡立つ駆逐型の横から同じ匂いがした。

 ISスーツを身に着けた学生とすれ違うたびに奇異と賞賛の目が向けられる。「やだ、本当に……?」「あれが例の……」「……一周回ってすごい」という呟きも聞こえた。

 足を止め、後に続く彼女を見た。

 

「更識」

 

 彼女も足を止めていた。視線を左右にさまよわせている。

 横へ立ち、背中を優しくたたいた。

 

「……っ!?」

 

 表情の動きからは、驚きの気持ちがあきらかに見て取れた。

 

「背筋を伸ばしなさい」

 

 何度も目を瞬かせ、凝視してくるのがわかって続けた。

 

「あなたは王様だ。ここにいる誰よりも強い、最強の存在だ」

「……でも……」

 

 彼女はそう口にして俯こうとする。

 すぐさま彼女のあごに指先を添えて動きを封じる。わずかに力を込め、顔を瞳へと向けさせる。

 

「好奇の視線は私に向けられている。あなたではない」

 

 時として、総統は国民の好奇の視線に晒される。

 もちろん、自分のほかにドイツ国民がいなくとも、総統は総統である。

 国民がいなくては総統だと知る術はないにも拘わらず、学生たちは総統の名を口にすることを憚っている。例のあの人としなければ精神の均衡を保っていられないほどに。

 

「良いか。

 良い演説を成功に導くのは姿勢だ。内容如何ではなく、民衆は断固たる姿勢、強い言葉に安心する。民衆はあなたの一挙一動に敏感だ。だからこそ、あなたは簡単に弱気を見せてはならない」

「……弱気……」

 

 不安げな瞳だ。安心させるべく、対処方法を告げる。

 

「弱気を隠すのは難しいことだ。しかし、民衆は得てして、見たものを信じる。

 信じさせるのはとても簡単だ」

「……どうやって?」

「あなたは背筋を正し、ゆっくりと、穏やかに笑みをたたえる。言葉を発することを求められたら、明解な言葉を発する。

 そうすれば、民衆はひとりでに、信じたいものを信じるようになる。

 だが、あなたがどうしようもなく、弱気に支配されそうになったときは、私は、あなたの背中を押し、共に手を携えて歩むでしょう」

 

 顎から手を離し、彼女の手を取る。彼女の温もりを感じながら歩みを再開する。

 災厄の雨(Schwärzer Regen)までの距離はわずかだった。範となるべく柔和な表情を向ける。彼女の面食らったような顔つきも一瞬のこと。すぐさま真似をした。

 五十歩ほど歩く間、整備兵たちがドイツ式敬礼を行う姿を夢想した。

 彼女たちの多くは日本人だ。日本国と名を変えた大日本帝国の、国家統制を免れた扇動新聞が、梅毒に冒され、白痴化した言動に煽られたまま、軍国主義への忌避感と偏見を募らせている。その割に、マルクス主義者や国民の財産に寄食する政党もまた野放しになっていた。日本国において、国家社会主義を標榜することは、法を犯さない限りは自由であった。

 しかし、敗戦後のドイツ帝国――連邦共和国はナチスの活動を著しく制限している。国家社会主義は悪だという先入観さえ植えつけているのだ。

 見覚えのある整備兵がこちらに気づいた。振り返って何事か口にしている。進むうちに岩戸技師の姿があった。

 

「少佐! 簪嬢!」

 

 彼女は大きく手を振っている。相変わらず上衣だけ作業服だった。

 脇に控えた整備兵から無地の紙袋を受け取る。ISスーツが折りたたまれて入っていた。

 用件を手短に伝えた。

 

「本番までに機体の改修は可能か」

「もちろんです」

 

 即答だ。横へ向き、先ほど紙袋を差し出した整備兵に指示を出す。

 簡単な仕切りのついた部屋に招き入れ、座った。程なくして先ほどの整備兵が大きな紙箱を両手で抱えて現れた。

 

「……これ……」

「ご希望は?」

 

 岩戸技師が机に置かれた箱を傾けた。整備兵が支えるなか、無造作に手を突っ込む。ガサゴソ、という音が部屋を満たす。

 樹脂製の安っぽい子どもの玩具がいくつも現れた。

 

「銃? 刀剣? おっしゃってください。できる限り再現します」

 

 玩具ひとつずつに目を移していく。途中で、更識簪が耳打ちしてきた。

 

「……この人……すぐ曲解する……気をつけて……」

「……そうか」

 

 真っ赤に塗られた件を根に持っていた。

 立ち上がっておもちゃの銃を手に取る。

 

「依頼とは」

 

 おもちゃの銃は前装式だ。先端が赤い吸盤になった弾を押しこむ。手元でカチリと鳴ったのを確かめ、壁に向けて片手で銃を構えた。

 

「ブレードを別の装備へ換装したい」

 

 引き金を引く。

 …………仕切りに当たって吸盤が吸いつく。

 

「おおー。さすが現役軍人。撃ち方が様になっていますね」

 

 岩戸技師と整備兵が一緒になって拍手する。

 更識簪のほうを見る。なぜ? と言わんばかりの視線が返ってきた。

 説明に使えそうな玩具がないか、箱を漁る。底のほうに何冊か本や薄い箱があった。引き出すと、誰が見ても主題とわかるよう、表紙に大きな文字が記されていた。

 『HELLSING』『にょたいか!! 世界の独裁者列伝』『Mein Waifu is the Fuhrer(総統は俺の嫁)

 ……確かに、文字の大きさは重要だ。

 もう一度玩具をかき回し、引き出したものを覆い隠す。

 

「――――先ほどのように、武器ならぬものを打ち出すことは可能か」

「どのような」

 

 岩戸技師の横へ立ち、彼女にだけ聞こえるように耳打ちする。

 

「希望に沿うのだろう? いつまでに使えるようにできる」

 

 肯定を前提に告げる。

 彼女から怯んだ様子は微塵も感じられない。

 

「すべてお任せくださるのであれば、一週間以内に動作試験までは」

「……自信があるのだな」

「ここには、篠ノ之博士が寄贈した、大陸に一台あるかないかの工作機械があるのです。篠ノ之インスティチュート謹製。外部に委託するよりも……遙かに速い。見学希望なら織斑先生に申し込んでください」

「……早速手配してほしい」

 

 申し出にほっとした。現場の支援を取り付けなければ、上手く回らないとわかっていたからだ。

 

 

 




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