アドルフ、入ってる?   作:王子の犬

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4日目
16.sechzehn. ――挨拶――中間――押しつけ――確認――


 翌朝、食堂の前で富裕層のイギリス娘――セシリア・オルコット――とすれ違った。

 

「おはようございます。ボーデヴィッヒさん」

「おはよう」

 

 声を掛けられて立ち止まり、ゆっくりと振り返る。早い時間のせいか、美しい金髪を後ろで縛って、ひとつにまとめていた。

 

「いつもこんな時間に?」

「そうだ」

 

 和やかに笑みを浮かべながら立ち姿を観察した。薄手の部屋着なのだが、お姫様のような可憐さだ。

 思い返せば、目を覚まして以来、彼女とは初めて言葉を交わしたような気がする。

 

「まさか、貴女から声をかけて来るとは」

 

 素直な気持ちを口にする。つい先日までイギリスと戦争をしていたのだ。驚かないはずがなかった。

 

「クラスメイトでしょう? それに、私としたことが、挨拶をするのを忘れていたのです」

 

 確かに、篠ノ之や更識、織斑、山田参謀とばかり話していた気がする。時空を超えてしまったがために混乱し、狼狽え、知己を求めることなど思いつきもしなかったのだ。

 

「先日の……災難でしたわね」

「……彼女たちはすぐに興味を失うだろう」

 

 昨日アリーナから帰るまでの道のりで篠ノ之に聞いたのだ。大日本帝国には手の甲に口づけする風習はないのだという。それどころか抱擁すらしない。しかも、多くの人々は大っぴらに口にするのを恥だと捉えるようだ。

 

「あら、どうしてそう思うのかしら?」

「どこへ行こうとも面白おかしく囃し立てる連中がいる。

 しかし、彼あるいは彼女たちは常に移り気だ。より熱中できる話題を前にすれば、炎のそばに燃料を投ずるように、おのずとそちらへ燃え移る。

 移り気な者たちが、深く考えず、感情に流されるまま、ただ、目先の快楽のみを追求しようとするのはわかりきったことである」

「同意見ですわね」

「……あなたもか」

「ええ。私、部屋に戻ります。ごきげんよう」

「ああ」

 

 セシリア・オルコットと別れ、食堂に進み入った。席は十分に空いている。

 パンとスープ、野菜を乗せたトレイを食卓へ置き、椅子の背に寄りかかった。勉学に熱中する生徒を除けば、皆、総統に注目して(ゴシップ)に勤しんでいる。

 朝食を咀嚼しながら、今日の計画を立てる。

 授業を受けるのは当然だが、山田参謀の課題のために調べ物をせねばならない。岩戸技師への依頼についても、仕様のすり合わせが必要だった。もちろん、ドイツの現状についても調べる。結局のところ、昼食後に図書室へ行かねばならないだろう。

 朝食を食べ終え、部屋に戻った。ベッド下から荷物を引きずりだし、背負って宿舎の出入り口へ向かう。珍しく人影があった。

 あいにく誰かと示し合わせたわけではなかった。

 篠ノ之の登校時間よりも少し早い。彼女が織斑との登校を選べば、より遅くなるだろう。実のところ、起床時間をもっと遅く、十一時くらいにしたいのだが、今のところラウラ・ボーデヴィッヒの生活習慣を崩せずにいる。夜遅くなるとあまりの眠さで堪えきれず眠ってしまい、早朝に覚醒してしまうのだ。総統は八時間労働制信奉者ではない。起きたい時間に起き、人並み以上に働き、成果を残せば良い。

 近づくにつれ、制服をだらしなく着崩した少女だとわかった。普段授業で見せるような眠そうな眼差しではなく、思い詰めるあまり、青ざめながらも敵軍への怒りを糧に生きているかのような表情だった。

 自分と少女のあいだに会話はなかった。徒歩で通り過ぎるまでの時間がとても長く感じ、ずっと睨まれ続けていた。

 変化が生じたのは、外に出ようと扉に手をかけたときだった。

 

「…………いた」

 

 聞き漏らしてしまいそうなか細い声音。振り返って、二、三歩引き返した。

 水色の髪。身体の幅よりも大きな背嚢(バックパック)を背負っている。眼鏡の奥から垣間見える瞳は、朝らしく細まっていた。

 

「おはよう。更識にしては早いのだな」

「…………おはよう」

 

 そして軽く会釈した。次に、こちらを親の敵のような目でみていた少女へ身体を向け、同じように挨拶をした。

 

「…………おはよう」

「おはよ~~……」

 

 二人の少女のやりとりを眺める。

 だらしなく着崩した少女、つまりは布仏本音はすかさず更識簪に抱擁をした。大日本帝国国民は頻繁に抱擁などしない、と言っていた篠ノ之の言葉とは矛盾した行動だ。

 更識簪は昨日見たとおり嫌そうな顔をして、布仏を引き剥がそうとしている。

 

「仲が良いな」

「……そうでもない。暑苦しいだけ」

「そうやってすぐ邪険にする~~」

 

 更識の答えに満足しつつ、何度もうなずいた。昨日、布仏は気分を害していたように見えたが、杞憂のようだ。これならば、友人関係に亀裂を生じさせてしまったと気に病む必要はないだろう。

 踵を返して宿舎を出た。施設の入口へ続く小径(こみち)を進む。街路樹の剪定が隅々まで行き渡っている。だが、車を回すには、少々道が狭い気もした。考え事をしていると、更識簪と布仏本音が追いつき、横に並んだ。

 左側に自分、中央に布仏、右側に更識簪という配置だ。更識簪は自分と話がしたいらしく、声が小さいこともあって、幅寄せしようと試みる。

 だが、どうやっても布仏が間に割って入ってきた。

 

「乗機を乗りこなせそうか?」

 

 主な話題はこれだ。想定通りに事が運べば、彼女は華々しい実績を得る。前人未踏の単独勝利。総統ですら勝利の踏み台にすぎない。第二級か第三級の人種にできる程度の成果ではなかった。

 

「…………やってみせる」

「その意気だ」

 

 和やかに微笑みかけ、勇気づける。こちらの表情につられたのか、更識簪の表情が和やかになった。明るい未来を思い浮かんだ証拠でもあった。

 

「………………ぅ~~」

 

 歩きながら横を向き、互いに視線を交わし合っていたのもつかの間、布仏は仲間外れにされていると思ったらしい。更識簪の腕に自分の腕を絡める。胸部が変形するほど、強く身体を腕に押しつけている。押しつけられた方は少し戸惑った様子だった。

 布仏が勝ち誇った笑みを、こちらにだけわかるように向けてきた。

 

 ……。

 …………。

 ………………自分や更識簪にもできない芸当である。

 

 親友だと思っていた友人が、別の誰かに夢中になっている。語り合えないことに寂しさを感じ、彼、あるいは彼女が笑みを向ける先にいるのは自分ではないのだと。妬ましさを感じるのは、人間として当然のことだ。

 もちろん、嫉妬に狂って他者を害するのはもってのほかであるが……。

 布仏は更識簪との仲睦まじさを主張するだけで、害意を抱いてはいないように見える。

 一組の教室まで来た。別れ際、布仏が友人に向かって訊ねた。

 

「カンちゃん。あのね~~今度の対抗戦なんだけど~~」

 

 一拍おいて言葉を継ぐ。

 

「もちろん私と一緒だよね?」

「………………」

 

 更識簪が沈黙した。一瞬うつむいて、総統に不安げな視線を送ってきた。

 運命が計画を生み出す。こちらの表情を一切崩すこと無く頷いてみせた。更識簪は具体的な目標を定めていて、努力の最中にある。同様に努力している者がいるがために、できるかぎり近道をし、最後の瞬間まで緊張を解くことなく、より早く高みに達しようとしている。

 彼女の行動は目標とは何か、意識を共有していると確かめたに過ぎない。既に腹は決まっている。

 

「………………一緒じゃない」

 

 この間、布仏はずっと視線の動きを観察していた。答えを予測していたにも拘わらず、信じたくないのか肩を震わせた。

 

「…………()()()()()

「そのうちわかる…………」

 

 頬を膨らませ、目で抗議してきたが、更識簪は頑なに口を割ろうとはしなかった。

 授業後の約束をして教室へ入った。

 自席に腰を下ろし、背嚢から書物を取り出す。

 しおりを挟んだ場所を開きながら、ヴィーン(Wien)にいたあの頃を思い出した。貧困と悲惨のときを過ごし、日常の空腹に悩まされた。日々のパンを得るためには、肉体労働をこなし、ちゃちな画工に甘んじなければならなかったのだ。

 だが、重要な時代だった。むやみと多く、徹底的に本を読んだ。仕事の合間の暇な時間を、休み無く知識の吸収に努めた。

 建築物において、基礎こそ大きな役割を果たす。総統が持つ知識の基礎は、この時代の勉学によって固められたのである。

 騒がしくなってきたので、しおりを挟んで本を閉じた。顔を上げると、布仏と目が合った。何度か瞬きするうちに、布仏のほうが先に視線を外した。

 セシリア・オルコットと目礼を交わしたあと、登校したばかりの篠ノ之が、自席へと向かう前にわざと遠回りして話しかけてきた。

 

「ボーデヴィッヒ。布仏と何かあったのか?」

「いいや。そもそも彼女と話したことがない」

「でも、じっとボーデヴィッヒのことを見てたぞ」

 

 布仏は他の生徒と談笑している。眠そうに目蓋を擦り、欠伸をしてみせている。

 

「大丈夫だ」

「……ならいい。だが、もし、トラブルになりそうな気配があれば相談するんだぞ」

「私とて面倒ごとは望んでいない。もしそうなったときは、相談しよう」

 

 その後、雑談を交わしていたが、山田参謀の立ち姿を見つけるにいたって、篠ノ之に席へ着くように助言した。

 いくつかの授業を経て昼休みになった。昼食をとったあと、計画通りに図書室へ向かう。

 道中、妙な心持ちになった。昼休みに()()()()()()()に触れてしまうのだ。ツーゼの箱の意匠こそ箱形で面白みに欠けるのだが、実現する独創性と言ったら!

 休みになったとたん、クラスの皆が携帯ツーゼをもてあそび、インターネッツに熱中する。自分ですら、図書室の扉をくぐった瞬間も楽しみでしかたなかった。

 司書に一言断っておくのを忘れない。

 

「今日もお借りします」

「ええ、どうぞ」

 

 図書室の中央へと向かう。目的地にたどり着いたとき、愕然としてしまった。

 いつもの席には先客がいて、機敏なしぐさでマウスを操っていたのである。

 

「あなたは……」

 

 その少女は首をこちらへ向け、目を細めてから立ち上がった。

 

 

 




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