18.achtzehn. ――枯渇――洗濯機――外出届――警告――
翌朝、硬筆を握りしめた状態でうつ伏せになっていた。
どうやら気を失っていたようだ。
昨晩は確か、黛からもらった質問票を記入し終えたあと、総統本来の姿である夜型生活に戻るべく、夜更かしを存分に楽しみながら課題に取り組んだ。
とはいえ、この様子では、夜更かしの試みは頓挫してしまったのだろう。
顔だけ持ち上げ、レポート用紙の在処を探す。思索を書き留めたメモ帳があたりに四散している。白湯を淹れた飲みかけのマグカップは、ベッド脇のダッシュボードに置かれたままだった。
気だるげに太ももを引き寄せ、両腕に力を込める。上体を起こして周囲に視線を巡らせた。
レポート用紙、そして質問に対する答えを書き留めた紙に目を留めた。いずれも折り目がついていたが、中身は無事だ。
まとめて茶封筒に入れ、おぼつかない動きでベッドから下りる。壁際に立てかけておいた背嚢のなかへ差し込んだ。
ベッドのそばに引き返し、頭を絨毯へ押しあてるようにしゃがんで手を伸ばす。
何度か空振りをしたのち、ようやくカバンに手が届いた。
「まだあったはずだ……」
ここ数日におよぶ生活で実感したことがある。
ラウラ・ボーデヴィッヒなる少女は必要最小限の物資しか所持していなかった。
彼女は軍人であった。軍務を遂行するにあたり、必要な物資は常に供給されねばならない。しかし、兵站能力には限りがあり、もっとも必要とすべきところに物資は回るものだ。戦況が悪化するにつれ、必要な場所へ必要な物資を送ることさえままならなくなる。軍人は劣勢下におかれ、物資が欠乏していたとしても、職務を遂行するよう教育される。
戦場の、特に前線に立ったとき、兵士は性別に依らず、軍事的な目的を達成しようと躍起になる。もちろん、たった一発の銃弾によって命を失うとなれば、おのずと必死になるであろう。
ラウラ・ボーデヴィッヒは、真面目な性分であったらしく、平時にあっても職務を全うしようとしていたようだ。――空挺降下訓練修了証を有すほどの、ドイツ少女団の鑑である――。
だが、そんな華美さから無縁の生活をしていた少女であっても、性別はついて回った。
この軍事研究施設では、年端のゆかぬ少女たちに対して、男どもの性欲を掻き立てるような姿があたかも一般的であるかのように扱っている。
特に、ISスーツなる装束は、同性である女性に対して競争意識をかきたてるものだ。女性が自らの美しさを誇るのは自然なことである。しかし、
他者の優位に立つことにのみ注力し、今の立場、あるいは美しさ、権威への執着を生む。美しさとは実におそろしく、
その点、この貧相な少女は、職務を全うすることを最優先としている。着用する衣服は質素である。
総統が母から生まれ落ちたとき、まぎれもない男子であった。
女性の衣服を身に着けるといった、倒錯した性的嗜好の持ち主ではないと断言する。
この少女の衣服は、先週まで健全なる男子であった総統が身につけても、ほぼ、比較的……いや、百歩……千歩譲ればどうにか違和感がないものであった。
――中を引っかき回すだけでは
カバンをひっくり返す。
絨毯の上とはいえ、硬質な音であった。
膝頭の側に、篠ノ之が持っている携帯ツーゼと似た金属板が転がっている。
黒い画面に気をとられたことが結果的には良かった。
探していた物資を見つけたのである。
……おお……。
…………なんということだ。
………………
総統地下壕ですら物資不足と無縁ではいられなかった。
平時においても、戦略物資の欠乏は大問題である。総統は慣れぬ――決して慣れることのない――少女の身体を清潔に保つことがままならなくなる。
環境を変え、考えを整理すべく、シャワーを浴びた。
シャワー室で垢を落とす間、思索を続けた。残り一枚は消耗品である。使いきる前に洗濯が必要だ。もちろん、総統とて前近代的な方法で自身の下着や衣服を洗濯したことくらいはある。
問題は、この身が少女であることだ。客観的に見て、外見上は典型的なアーリア人なのだ。
――ボルマンがいれば……
この場に善良なボルマンがいれば、総統が何を欲するか、察知したに違いない。しかるべき能力を有した人材を手配したはずだ。
だが、ボルマンが時空を飛び越えたという話を聞かない。アドルフ・ヒトラーが時空を飛び越えた事実を認識しているのは、少なくとも私個人しか知らなかった。
湯を止め、身体を拭く。
タオルは毎朝新品のように肌触りが良かった。
この軍事研究施設は、学生を国賓であるかのように扱っている。脱衣かごに放置したタオルは、校舎で授業を受ける間に回収され、クリーニング済のものに交換される。
――ついでにこちらも新しいものに交換してくれたらよかったのだ!
最後の一枚を穿き、制服を身に着ける。
朝食を摂るべく部屋の外に出る。食堂までの道のりを注意深く観察したが、洗濯機の類いを見つけられなかった。
登校の準備をすべく部屋へ戻る途中、すれちがった少女たちの誰もが清潔さを保っていた。水好きの民族であることは間違いなく、年齢のことを踏まえても驚くほど肌艶が良かった。朝から風呂――しかも集団浴場!――に入る輩すらいる。
部屋で荷物をまとめる。室内に散らばった筆記用具と書物を拾い集める。ついでに金属板も背嚢に入れた。
部屋を後にし、寄宿舎の出入り口の手前まで来て、思うところがあって窓口へ向かう。エプロン姿の寮母がいて、こちらの姿に気づくや不思議そうな表情を浮かべた。
「おはようございます、ボーデヴィッヒさん。制服が戻ってくるのは明日ですよ?」
「おはよう。そのことは承知しているのだが、一つ聞きたいことがあったのだ。笑わないで聞いてほしい」
「どんなことです?」
「下着をクリーニングに出せないか」
こちらが予想したとおり、寮母が何度も目を瞬かせた。思案顔になり、手のひらを合わせた。
「下着のクリーニングは断られるのではないかと。
……もしかして、洗濯機の場所をご存じでない?」
もちろんこのとき、総統の無知を咎めるような雰囲気ではなかった。
「……まあ、そうだ」
「ごめんなさい。てっきり知っているものと思って説明しそびれていました。
……ちなみに、ボーデヴィッヒさんは、一度でも大浴場へ行かれたことはおありですか?」
「ない」
即答する。
少女のあられもない姿を覗く趣味を持ちあわせていない。
だいたい、日本国における風呂は、たとえ集団浴場であっても、等しく肌を晒す。
文化の違いを認めざるを得ないが、国家社会主義の顔たる総統が、
「やっぱり……。
洗濯室は大浴場の隣にあります。脱衣室から行けますが、使いたいときに私を呼ぶか、誰かに聞いてください」
「わかった。近々世話になると思う」
「私から一点質問してもいいですか?」
寮母が口の端をつり上げて笑みを作った。時間に余裕があったこともあり、断りはしなかった。
「明日から転入して初めての土日ですよね。ボーデヴィッヒさんは、誰かと街へ行ったりはしないのですか?」
「街……」
正直に言えば、この軍事研究施設にも外の世界が存在することを失念していた。ここに告白しよう。一九四五年の、ありとあらゆる地獄の真っ最中から遙か未来へと跳躍してしまったがために、混乱して頭からすっかり零れ落ちていたのだ。
「はるばるドイツから日本に来たのですから、美味しいものを食べて、買い物をしたり、たくさん見聞を広めたりするといいと思いますよ」
「確かに。仰ることは正しい……」
ではあるが、今まで歴史を知ることと現状把握に注力していたばかりに、外界の生活様式がいかなるものか、まったく知らなかった。
考えを巡らせるうちに、寮母がこちらから視線を外して廊下を見やった。
「ボーデヴィッヒ?」
寮母とこちらの背中に気づいたらしく、生徒が近づいてきた。
「篠ノ之か。おはよう」
「おはよう」
彼女も制服姿だ。
「篠ノ之さん、聞いて。この子、大浴場に入ったことないんだって」
「は?」
篠ノ之は唐突に寮母との会話に巻き込まれて、反応できずにいた。
じろじろとこちらを見、鼻をスンスン鳴らす。
「え?」
「毎朝、シャワーを浴びている」
不潔というだけで、人々を惹きつけることは甚だ困難となる。
「大浴場とやらは……身に着けるのものをすべて取り払わねばならないのだろう。私には、まず、そこがいただけない」
「……ですって」と寮母。
「はあ……」
篠ノ之は返答に困っているようだ。
「篠ノ之さん。無理にとは言わないけど、私からのお願いを聞いてくれない? 三つくらいあるんだけど」
「……? 無茶なものでなければ」
「ひとつは洗濯機の使い方を教えること」
「でしたら簡単だ。ひとつ目は引き受けましょう」
「ふたつ目は、大浴場の利用方法を教えること」
「……それぐらいなら」
「三つ目は、外出のついでにこの子も連れていってあげて」
寮母が外出届のとりまとめを行う。当然、休日における生徒の予定をある程度把握していた。
寮母は篠ノ之に向かって、顔を近づけるよう手招きした。
篠ノ之が中腰になって耳を寄せる。
「でね……。三つ目のついでに……ショップへ連れていってあげて欲しいの」
篠ノ之が無言で振り向いた。こちらを凝視して頭の天辺からつま先へと視線を動かす。
「…………でしょう?」
寮母の問いかけに篠ノ之がうなずく。
「まあ……構いませんが」
「よかった。じゃあ、これ、渡しておくからボーデヴィッヒさんに書いてもらって。担任の先生か、私にちょうだい」
「外出届」と書かれた用紙を受け取る。
氏名と主な行き先、帰宅時間が夜の八時を超える場合は、理由を書くようにとあった。
「ひとつ、言っておかないとならないことがあります」寮母が咳払いをした。
「篠ノ之さんやボーデヴィッヒさんは未成年なので、条例で夜の十一時から朝四時までは外出させてはいけないことになっています。夜八時までなら特に何も言われないけど、そこを超えると色々面倒になるから心に留めておいてください」
寮母の元を辞し、寄宿舎を後にした。
軍事研究施設までの道すがら、前を行く少女たちを見つけた。ひとりは巨大な背嚢を背負っているので、すぐに更識とわかった。
基本的に、総統と篠ノ之は早足である。対して、明らかに重量過多な荷物を背負った少女が素早く動くとは考えにくい。
軍事研究施設まであとわずかというところで追いついた。
「おはよう」
「……おはよう」「おはよう!!」
更識の隣にいた布仏が放った大声に一瞬、どう反応すべきか躊躇した。更識に挨拶するついでに、伝えたいことがあったのだが……。
布仏は警戒心を露わにしつつ更識と腕を絡めてみせる。
「本音、暑い……」
更識が腕を振ったが、布仏は離すまいと必死だ。
篠ノ之を一瞥する。だが、彼女はべつに驚いた様子ではなかった。
布仏の反応は一般的によく見られるものなのだろう。おそらくふたりには、塹壕でともにたたかった兵士が抱くのに似た、強い絆で結ばれているのだ。篠ノ之もそう感じているに違いない。
「更識。今日の訓練だが……」
更識が、話に割って入ろうとした布仏の口をふさぐ。
「ングー! ンガググッー! ンガッンガッンガァ――!!」「おいおい……」
篠ノ之が止めさせようと近づくが、更識は気にしない。
こちらの目を正面からのぞき込んでくる。互いに見つめ合ったまま口を開いた。
「……続けて」
「授業後、新聞のインタビューを受けることになった。よって、アリーナへの到着が遅れる」
「取材者は?」
「黛記者。二年の先輩だ。もうひとり助手が立ち会うようだ」
更識が目を細める。
「気をつけて」
大衆新聞の編集局にはとんでもない大馬鹿がよくいる。記者という人種が昔も今も変わらないことを知っているつもりだ。
更識はそのことを気にしているのだろうか。
「どんな取材になるかはわからないが、新聞が何を言おうと興味などない」
「あなたはそうかもしれないけど……」
奥歯に物が挟まったような口ぶりだった。
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