アドルフ、入ってる?   作:王子の犬

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2.zwei. ――技術――教官――災厄――認識――

 親切な少女の案内で歩き出した。

 空き地の縁にたどり着く。振り返ると、低木の向こうに、もう一つの三角屋根が見えた。

 壁が開いて、中から、少女と同じ胴衣を来た女が姿を現す。

 長弓を構えて放つ。……的中を見届けてから、篠ノ之と呼ばれた少女のあとを追う。

 小径(こみち)の向こうから猫が飛び出した。黒と灰でくすんだ、汚い毛並みの猫。こちらを見て、総毛立てて警戒する。

 一歩近づくと、猫が一歩退く。睨みつけながら前進するうちに、開けた空間に出た。

 光の奔流。見たこともない意匠の建築物。目を見張るような色彩。

 呆然と立ち尽くす。

 ――ベルリン、では、ない?

 記憶にあるベルリンの風景と著しく異なっている。埃、残骸と瓦礫。たくさんの軍服。

 しかし、きめ細かく整備され、まるで砲火を忘れてしまっているかのようだ。

 ゴミは見当たらない。手入れが行き届いた低木。

 開けた空間はグラウンドだった。健康な少女たちが走っている。

 半袖の上着、半ズボン。しなやかな肢体。

 ドイツ女子同盟の一員にふさわしい。ならば、別の場所にユーゲントがいるのではなかろうか。

 

「ここだ」

 

 思索にふけるうちに、先導する篠ノ之が足を止め、振り返った。

 三階建ての建築物の入口。脇には色とりどりの乗用車と、単車があった。

 洗練された姿形。リベットを一切使用していない。溶接痕すら見当たらなかった。一枚の金属板をしなやかに、自在に形を生み出している。技術の進歩。あたかも砂糖細工のような繊細さ。

 軽い目眩。息をするのも、空腹すらも忘れてしまうほど。再び入口へと目線をやる。

 篠ノ之が不思議そうに見つめていた。

 彼女の誘われるまま靴を履き替える。廊下を伝って、『職員室』へとたどり着いた。

 篠ノ之は思案顔で戸に手をかける。把手を覆う加工ですら、見たこともないものだ。高度な、進歩した技術に足下が覚束なくなった。

 視線をさまよわせる。

 ――研究施設、か?

 

「ん? 顔色が悪い。先に保健の先生に診て……」

「いや、いい。頼む」

 

 正しい情報が必要だ。

 篠ノ之が扉を開けた。そこには、少なからず、見慣れた光景があった。

 大量の机。大量の書類。机に据え付けられた電話。

 おびただしい情報と戦う光景。せわしなく、飛び交う怒号。

 長机におかれた、分解された銃。長大なものは対戦車銃だろうか? 別の長机には中世の騎士が使っていたような馬上槍。敵の攻撃を受け、著しく損壊している。

 ――ここもまた、戦時中なのだ。

 後方の、超近代的な軍事研究施設に違いない。

 

「先生、いますか? できれば、織斑先生か、山田先生」

 

 篠ノ之が手近な女性に、胸元が大きく開けた服を身につけた、長い金髪のフロイライン(お嬢さん)に声をかけた。

 

「織斑先生? ああ」

 

 彼女はこちらを一瞥したあと、篠ノ之から視線を外す。後方の職員たちを見やって、頭を何度か揺らした。

 均整の取れた身体を黒いスーツに包みこみ、黒髪黒目の女性が湯飲み片手に現れた。

 こちらに気づいて、珍しげな顔でいる。

 

「ありがとうございます」

 

 篠ノ之は礼を言って、黒髪黒目の女へと近寄る。

 

「織斑先生」

「篠ノ之か」

 

 篠ノ之が織斑と呼んだ女性は、湯飲みを机に置いてから席につく。

 こちらを見つめ、誰であるかわかったような表情になった。

 ――外国人にしては、極めて健康的で魅力的な女性である。親しい間柄にあるように感じ、当然のことながら、ドイツ式敬礼が行われるだろうと期待した。

 が、やはり為されなかった。

 

「この子、道に迷ったみたいなんです。剣道場の近くで寝転がって」

「寝転がって?」

 

 織斑は怪訝な表情を浮かべた。そして、わずかに顔をしかめる。

 ガソリンのようなにおい。

 

「失礼。あなたは、道を知っているのですか。……ここから、総統官邸に」

「ボーデヴィッヒ?」

 

 こちらを見て、やはり、ボーデヴィッヒ、と口にした。

 確認をせねばならない。そう、直接。

 

教官殿(ご婦人)ラウラ・ボーデヴィッヒ(アドルフ・ヒトラー)について、知っていることをお聞きしたい」

 

 自分の名前を口にすると、やはり、別の氏名に変換されてしまう。

 ……しかし、おかしい。ご婦人、と言ったはずが、今度は『教官殿』になった。

 変換には、何か法則があるのでは?

 

「手続きの件か」

 

 織斑は机に置いた、本のような薄い樹脂を開いた。即座に画面が映る。

 ――息を呑んだ。後ずさり、そして、前のめりになって目を輝かせた。

 彼女は携帯式のテレビ端末に書類を収めていた。なぜか、左上に銀髪の小柄な、アーリア人的な少女の顔が写っている。

 ――これは、もしや、ツーゼ、というものではないか。眼鏡をかけた学者先生どもが語った、空想科学のような、性能の良い計算機。

 

「万全だ。すべて完了している。貴様の()()も搬入済みだ。整備も完璧。うちの最高のスタッフが仕上げた。明日から、いや、すぐにでも搭乗できる」

「……ISも?」

 

 ISとは?

 

(Regen)(Schwarz)、あるいは、災厄(Schwarz)の銘を冠した機体(IS)だ。シュヴァルツェア・レーゲン」

 

 多少なまりはあるが、ドイツ語だ。

 うれしさのあまり、口の端をあげる。

 隣にいた篠ノ之が後ずさっていた。よもや怖い顔でもしていたのではあるまいか。

 

「明日から私の生徒だ。一年一組だ。間違えるなよ。……あとは、宿舎について、か」

「失礼。食事も」

 

 腹が鳴った。空腹を思い出した。

 食べなければ戦争遂行はできない。明日を生き延びることすらできないのだ。

 織斑は視線を外し、隣へとずらした。

 

「ついでで悪いが、篠ノ之、寮まで連れていってやってくれ。子細は寮母に話しておく。クリーニングが必要なことも」

「構いませんが……一度、戻って、着替えなければなりません。それでも?」

「悪いな」

「わかりました。先生の頼みなら」

 

 篠ノ之が一礼して、職員室を辞す。

 見届けてから織斑が咳払いをした。心配するように言った。

 

「その、なんだ。ガソリンでもかぶったのか?」

「起きたらこうだったのだ。推測だが、エヴァが、あわててベンジンを(こぼ)してしまったのだと考えている」

「……エヴァ?」

 

 織斑が聞き返したので、どう説明したらよいものか、考える。

 外国人とはいえ、友好的な国民である。よって、話をしても差し支えないと判断した。

 

「エヴァ・()……。いいや、違うな」

 

 言い直そう。

 事実は正確に話すべきである。情報は正しく、確かでなければならない。

 織斑は湯飲みに口をつけながら、耳をこちらへ傾けている。

 

「エヴァ・ボーデヴィッヒ(ヒトラー)

 妻だ。

 長いこと交際をしていたのだが、先日結婚式を挙げた」

 

 ……。

 …………。

 …………ガタン! という音。

 椅子が勢いよく横倒しになった。

 織斑が唖然とした表情でこちらを見ている。衣服に珈琲色の染みができていたが、本人は衝撃のあまり気づいていない。

 

「おま……ボーデヴィッヒ。交際、結婚式……!? そんなの聞いてない! いやいや、待てよ、待てよ、ドイツの婚姻年齢、法律、おまえ、今、いくつだ!!?」

 

 彼女は激しく動揺していた。多少失礼な物言いがあったように思えたが、総統が結婚したのだ。取り乱してしまうのは致し方ない。

 しかも、後方の、戦火が及んでいない研究施設だからか、情報の伝達が多少遅れてしまっているのだろう。

 とにかく、年齢とは自らの認識、状態を規定するものだ。

 

十五歳(五十六歳)

 

 ――――何かが決定的に狂っている。

 

 

 

 




【補足】
ドイツの婚姻可能年齢は男女ともに18歳です。
2017年より以前は日本と同じでした。いずれにしろ、15歳での結婚は法的に認められません。
ちなみに同性婚は2017年より後ならば合法です。

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