のんびりしている暇はなかった。
外に出なければ。一刻も早く、総統地下壕へ戻らねばならない。
だが、山田参謀が進路を遮った。
「ボーデヴィッヒさんの席はあちらですよ」
にっこりと笑う。その表情は、有無を言わさぬ圧力があった。
眼鏡の奥で、誰一人傷つけることができないような、幼げな表情を浮かべながらも、計算高く、冷酷な腹の内を巧妙に隠している。
参謀とはかくあるべきだ。
名ばかりの未熟な参謀たちは、彼女を見習わねばならない。
そうでなければ、幼稚な感情という熱に浮かされ、国民の貴重な人命を無造作にすりつぶす。
まったくの犬死だ。誰も浮かばれることなく、ただ、死という事実が横たわっている。
……しかたなく、指し示された先へ進んだ。
椅子に座り、前を向く。教壇へと戻った山田参謀が朝礼終了を告げ、すぐさま授業開始を告げる。
授業? 授業とは何か。
何十年も前に学校を卒業している。社会に出て、国民を教え、よりよい道へと導いてきた。
「授業を始めますねー」
山田参謀は襟をいじって、豆粒のような塊へと話しかける。
先ほどとはうって変わって無機質な呟きだった。
「記録。二〇■■年六月×日。一時限目。担当、山田真耶」
少女たちは、山田参謀に驚いている様子はない。いつもの風景だと言わんばかりに、じっとなりゆきを見守っている。
彼女は壇上に手を置き、冊子と操作盤を交互に見ながら、指を踊らせる。
突如として机にテレビ映像が出現した。机に内蔵した映写機から着ぐるみを身につけた、小さな人間が姿を現したのだ。
開眼し、当惑した。
はじめ、あまりに形状が変わりすぎていてテレビだとは気づかなかった。
一九三六年に誕生してから、たった、十年に及ばぬうちに立体映像を投影するまでに発展したのだ。山田参謀の説明をそっちのけで、机上でクルクルと踊る人の姿に見入った。
映像に手をかざした。顔を近づけねばわからないほど、小さなレンズから光が漏れている。
しかも、レンズは曲面を非の打ち所なく保っている。説明がなくとも、恐ろしく高度な技術が使われている。
その事実に、恐怖感とも、焦燥感言えぬ気持ちが去来する。この軍事研究施設は、奥の手を秘匿しているのではないか。総統にすら秘匿するほどのとっておきを。
授業が進む。正直なところ、とてつもなく高度な物理学の話をしている。かのV2ロケットの原理について説明を受けたときよりも、複雑な計算式を扱っているのだ。
かの学者先生は、一棟まるごと計算機の配線で埋め尽くしたとしても、立体テレビジョンを実現できないと言った。それがどうだ。目の前にある。ただし、話の内容はぼんやりとしか……いいや、ほとんどわからなかった。
あまりに高度な内容に愕然としたが、決して、諦めたわけではなかった。
少女たち――――ん?
顔をあげると、学生たちの後ろ姿があった。
山田参謀の背後にある黒板。右手奥に大きな文字で日付が書かれている。
漢数字の書体を目で追う。一度も日本語を学んでいなかったにも拘わらず、意味するところが理解できた。
六月、と書かれている。
そして――――。
二〇■■年。
その数字を信じられない思いで見つめた。立体テレビジョンへと視線を落とす。映像の右下に、古いドイツ文字の書体を見つけた。
二〇■■年。
何度も瞬きした。再び顔を上げた。先ほどと変わらない、二〇■■年。
視界が左回りに転げ回る。踊りながら、こちらを見て、あざ笑った。
目の前が揺れている。数字が回転している。
耳の奥で銃声が鳴ったような気分に陥った。小さな身体を丸めて、うつむき、頭を抱え、小刻みに震えながら時が過ぎるのを待つ。
終了の予鈴が鳴った時、再び顔を上げる。
二〇■■年…………数字は変わらなかった。
呆然とするあまり、頭のなかが真っ白になっていった。
何度目かの授業終了を告げる予鈴。
みなが一斉に席を立ち始める。空腹を感じて、ようやく衝撃以外の感情が湧き出すのを知った。
後悔という感情も。
手ぶらで来てしまったばかりに食料を持ち合わせていなかった。
ポケットをまさぐり、やはり何もない。困惑した。そうかと言って、金を手に入れる以外に食料を得る術がないこともわかっていた。
途方に暮れて窓の外を眺める。
「おい」
はじめ、呼ばれているのだとは気づかなかった。
「おい。ボーデヴィッヒ」
他人の名を呼んでいる。
「ボーデヴィッヒ」
誰かが視界を遮る。ぼんやりと目線をあげると、篠ノ之の顔があった。
「ぼうっとしてるんじゃない。廊下だ。廊下を見ろ」
篠ノ之は後ろを向くよう促した。
示された先へと失意の眼差しを向ける。織斑が立っていた。
――朝礼以来の再会であった。
空腹故にふらついた足取りで織斑のもとへ向かう。机にぶつかりかけて、篠ノ之が身体を気遣ってくれた。
織斑は貧相な身体を頭の天辺から指先まで一瞥する。あごをしゃくって「ついてこい」と告げた。
後を追うと、おびただしい人々が集まる空間に出た。それぞれがおしゃべりに興じており、とにかく賑わっている。
この、軍事研究施設の大食堂であることは、鼻先をかすめた匂いによって、口中で唾液が大量分泌されるや、すぐ理解した。
「好きなものを選んでいい」
「……今は持ち合わせが……」
事実を認めた。
「おごりだ。ついでに、食堂の利用方法を教えておく」
織斑が名刺を差し出した。受け取ると、名刺ではなく、『Laura Bodewig』と書かれた
「そいつを肌身離さず持っておけ。ここでの身分を証明し、支払いにも使える」
電子証明書、と織斑は言った。
「
「もちろんだ。ほら」
『織斑千冬』という名前。年齢。生年月日。
織斑は樹脂板をしまい、共に列へ並ぶよう促した。
「とりあえず、迷ったら定食だ」
織斑が山からお盆を二枚とって、一枚をこちらへ寄越した。
白服の給仕係へ料理を注文する。すぐさま出来合いの料理が差し出され、続いて、銀色の大きな容器のフタをあけて、黒色の椀にスープを、白色の椀に米をよそった。
彼女がやったように、見よう見まねで注文し、スープをよそった。米かパンかで迷い、パンを選ぶ。
支払いの列に並ぶ。
「
織斑は先ほど見せた樹脂板を懐から取り出し、淡く光る板の上においた。
「やってみろ」織斑が自分の樹脂板を手渡す。
「はい……」
恐る恐る、促されるままに樹脂板を置く。短い笛の音を聞こえた。
『決済完了』という文字。
「お金は……」
「ここでは、あまり出番がないな」
その一言にさえ驚いてしまう。他の者も同じように樹脂板を宛がっていた。
周囲に目配せしながら、二人がけの席にする。
向かい合う織斑は箸を、こちらはナイフとフォーク。
「調子はどうだ?」
織斑が心配そうに言った。
……意を決して訊ねた。
「今年は何年なんだ」
「二〇■■年」
織斑は箸を置いて、言葉を続けた。
「何年だと思ったんだ」
一九四五年という言葉を口にせぬまま、コップに注いだ水と一緒に飲み下す。
「あわてなくていい。ゆっくり食せ。時間はたっぷりある」
織斑も食事を口に運ぶ。
お互いにしばらく無言のまま食事に集中する。
スープを飲み干す。フォークを置くのを待ってから織斑が口を開いた。
「……クラリッサから聞いた」
「クラリッサ……?」
クラリッサとは誰のことだ?
「ずっと塞ぎ込んでいた、と。私が去ってから、無理を続けて、思い詰めていた、とも」
「……確かに、無理は、していた。ずっと」
劣勢に立たされ、安全な場所はどこにもなかった。
すべての国民が無理をせねばならなかった。一丸となって、国難に立ち向かわねばならなかった。
そのためには、何もかもを、破壊せねばならなかったのだ。
「やはり……」
織斑は何か考え込んでいる。
「もし、何かあったら、困ったことがあったら、言ってくれ」
「……ああ」
「それはそうと、次の授業についてなんだが」
「次?
「そう。IS実習だ」
先ほどまで暗かった織斑の声が明るくなる。
IS……確か、昨日も同じような言葉を口にしていなかったか。
「場所はわかるか? ISスーツが必要なんだが、その、なんだ、見たところ、思いっきり忘れていただろう」
「ISスーツ?」
「パイロットスーツだ。……確か、搬入したISと一緒に予備があったはずなんだ」
航空機の搭乗訓練を行った記憶はない。その必要がなかったからだ。
ISスーツとは何ぞや。疑問に思いながらも、ISが航空機の一種であるならば、しかるべき服装を身につけねばならない。
生存率を高めるというのなら、必ず着用するべきだ。
「申し訳ないが、案内をしてほしい」
「ああ、もちろんそのつもりだ」
織斑は快諾し、その足で少し離れた闘技場へ向かった。
太陽の光に明るく照らし出された、その建物を見上げたとき、軽い衝撃を覚えた。
ローマの闘技場を源流とする、その建物は、知識のなかにある、どのような建物よりも巨大だった。
「……すごいな」
平静を保つだけでやっとだった。
『東京ドーム何個分』と、織斑が基準のよくわからない喩えを口ずさんだ。
「こっちだ!」
織斑は元気だった。子供たちを引率する大人のように、明るい表情を浮かべて立ち回っている。
複雑な迷路のような道を経て、格納庫と思しき場所へ出た。
巨大な、金属の着ぐるみの周りに何人もの整備員が張り付いてる。
先ほどの食堂とは雰囲気が異なるものの、この場にいる全員がせわしない。
安心感を覚えた。作業服を着こなす少女たちは、みんな目的を以て行動しているのだ。強い気持ちが沸き起こる。新しい状況に適応する必要に迫られていた。
織斑は黒い着ぐるみの前に立つと、そばにいた整備員に事情を話した。二、三分を姿を消したかと思えば、荷物を抱えてひょっこり戻ってきた。
「予備のISスーツだ」
受け取り、折りたたんだISスーツをその場で広げてみた。
「……
織斑は不思議そうな顔で見つめかえしてきた。
「何が?」織斑は言う。
はっきり聞かれてしまい、言うか言うまいか逡巡した。
ずっと、迷っていても仕方ないので周囲の騒音に負けまいと腹に力をこめる。
「その……制服が、問題が」
「問題はないはずだが?」
話が通じていない。
軽い怒りで身体が震えた。
「せ、制服は、身につけねばならない。だが、しかし、これは……」
「他の生徒も着ているぞ? 別に、変な服装ではないはずだが。言ってみれば、これは軍服なんだぞ。必ず着るものだ」
本当にそうだろうか?
その、知識として認識している水着よりも、明らかに、股の辺りが扇情的な角度になっている……これが軍服と同義だと……。
「せ、戦場、では、着替えなどできない。
しかし、へ、兵士を、着の身着のまま戦地へ送り出すわけにもいかない。必ず、制服を、所属を表す制服を身につけさせるものだ。
し、しかるに、わ、私が、先導を切って突撃さえすれば、か、彼らは熱狂するだろう……するだろう……」
「大げさだな。女子更衣室で着替えてこい。外で待ってるぞ」
送り出されてからどうやって歩いてきたのかわからないが、ISスーツなる衣装を抱えながら、恐ろしげに『女子更衣室』という札を見上げていた。
あまりにも破廉恥な衣装。総統にこんな、こんな、衣装を着ろという。羞恥心で頭が爆発しそうだった。
――――そうだ。何もかも。何もかも、チャーチルのやつが悪い!
とにかく誰かのせいにしなければ、平静を保てないほどだった。
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