アドルフ、入ってる?   作:王子の犬

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5.fünf. ――忍耐――密室――視線――大砲――

 最初の一歩から、もうくじけそうになった。

 少なからずチャーチルへの、織斑への怒りがあったとか、そんな問題ではない。

 部屋の奥から仄かに漂う、その香りから、どうしようもなく場違いであると、思い知らされたからだ。

 借り物の衣服を抱えた自分が、部屋へ半身を入れたまま、次の一歩を踏み出せずにいる。塹壕のなかで、地下壕のなかで、飛び交う砲弾に対して勇気を奮い立たせてきた自分が、まるで道化のように思えた。

 制服を着るのは構わない。むしろ、喜んで身につけたい。

 織斑から手渡されたISスーツは、かつて触れたことのない、とてつもなく、上質な肌触りであった。清潔そのもので、薄絹よりも柔らかい。

 だが、てっきり、スーツというからには、上下をすっぽり覆い隠してしまうものとばかり思っていたのだ。今にして思えば、この身が、貧相な十五歳(フロイライン)に過ぎないという事実を前提とすれば、すぐわかることだった。

 

「……ちょっと、後が詰まってますわよ」

 

 ……非難めいた物言いだった。

 後ろを顧みると、金髪碧眼の少女を先頭にして、何人もの学生が待っている。

 不本意ではあったが、言われるがまま二歩目、三歩目を繰り出していく。

 だんだん匂いが強くなった。

 もちろん、香水のような人工的なものではない。

 これは、そう、人が人であることを証明する香りだ。

 生命の香りであった。

 妖精のような未完成の少女たちが、徐々に、女へと、母へと変わりゆく過程に、強く発せられる香りでもある。

 ――この匂いを知っている。

 妻だ。妻であるエヴァの身体から発せられた匂いだ。

 顔を両方の乳房に埋め、腰を抱き寄せたとき、甘酸っぱい香りが鼻腔を満たしたものだ。

 彼女は……彼女はいないのか……エヴァよ……。

 室内を見回す。ロッカーの数よりも明らかに少女たちのほうが多かった。彼女たちから逃げるように、人気のない隅へと歩いて行く。

 奥の、いくつかの扉に手を掛けたが、鍵がかかっていた。

 目線の高さにある扉はすべて埋まっている。しかたなく、一番下の空いてそうな扉を探す。

 ……あった。全開にしようとしたが、すのこに当たって最後まで開かなかった。

 握りこぶしを入れられるだけの隙間を確保してから、再びISスーツを広げてみた。

 

 ……やはり、切れ込みが……。

 

 明らかに肌の面積よりも布地のほうが少ない、扇情的な格好など言語道断である。まだ、タンク(戦車)・スーツのほうがよかった。

 唇を噛みしめ、屈辱を耐え忍んで、制服に手をかけた。上衣を脱いだところで、誰かの足音に気づく。

 息を殺しながら接近に備える。その気配が姿を露わにしたとき、安心感を覚え、同時に目を見張ってしまった。

 

「ボーデヴィッヒ。来ていたか」

 

 明るい声。篠ノ之だった。

 彼女は既に着替えを終え、紺色のタンク(戦車)・スーツのような衣服を着用している。さらに膝の半ばまであるニーソックスも同じく紺色だった。

 だが……眼前の光景をどう表現すればよいものか。

 事実、困惑していた。

 制服の上では分からなかった、篠(・)ノ(・)之(・)の(・)豊(・)満(・)極(・)ま(・)り(・)な(・)い(・)身(・)体(・)。

 

「すまない。前を隠してくれないか……」

 

 俯きがちに言うその言葉は、いつもの鋭さを欠いていた。

 

「ん?」

 

 篠ノ之は僅かに首を傾げ、疑問の意を呈する。

 

「どうした? 早く着替えればいいじゃないか」

「――待て……」

 

 衆人環視のなかで?

 

「こ(・)こ(・)で(・)見(・)て(・)い(・)る(・)か(・)ら(・)。早く」

 

 彼女の提案に絶句する。

 ものすごく恥ずかしい。

 ひとりで着替えるのならまだしも、他人に、しかも顔見知りに素肌を見られる。

 しかし、渋りながらも同意しないわけにはいかなかった。

 授業が始まるまでの時間が限られているのだ。

 勇気を振り絞り、軍靴を脱ぎ、ベルトに手をかけた。下を向くと、膨らみのない股間が目に入る。心を無にして、上下の下着を脱ぎ捨てて裸になる。

 ここに鏡があれば、顔から火が噴く様子を確かめられるだろう。

 篠ノ之の視線が、アーリア人少女の肌を貫いた。

 犯されているのだと思うと、自分がひどく矮小な命に他ならないと実感する。

 ――屈辱だった。

 ISスーツを身につけるしかない自分への怒りでいっぱいだ。

 もし、考案者に会う機会があるならば怒鳴りつけてやりたい!

 婦女子の肌は男どもの性欲のためにあるわけではない! と。

 

「……こ、これで、よい、のか」

「ニーソックスを忘れていないか?」

 

 ほら、と荷物の一部を指さす。

 促されるまま銀色の靴下を膝まで伸ばした。肌触りこそ快適だったが、裸同然の格好に落ち着かなかった。

 

「よし。着替え終わったな。集合場所がわかっているか?」

「それは、その」

 

 うつむいてから首を振る。

 

「分からないんだな?」

「何というか、そう、なんだ……」

「わかった。私が案内しよう」

 

 篠ノ之が横の壁を見て時計を確かめる。着替えに手間取ったためか、予鈴まで十分もなかった。

 

「急ぐぞ」

 

 篠ノ之がこちらの手を取った。

 迅速に行動すべきときだ。通路を足早に進みながら、彼女はギュッと手を離さない。

 その温もりと柔らかさを懐かしく感じてしまったがために、頬を赤らめてしまった。

 

 私にはエヴァがいる!

 

 結婚したばかりだ。彼女への愛はいささかも揺らいでいない!

 外に出ると、山田参謀が遠くに立っている。近づくにつれ、彼女が奇矯な暗緑色の金属の着ぐるみを身につけていることがわかった。

 篠ノ之と手を繋いだまま集合場所へたどり着く。

 予鈴まで三分ほど残っており、数十人もの少女たちが、みなあられもない姿で肌をさらけ出していた。

 やはり騒がしく、それぞれ仲良し同士で花を咲かせている。

 彼女たちを観察するうちに、中心に対して、やや距離を置いているのがわかった。

 不意に手が強く握りしめられた。肩越しに篠ノ之の顔を見やると、ひどく思い詰めた様子だった。

 目線の先を追う。中心にいる男女たち。

 

「あれは、さっきの……」

 

 入口で躊躇していたとき、声をかけてきた少女が輪の中にいる。

 青色のISスーツ。いかにも富裕層の雰囲気である。自己紹介のとき一緒だったデュノア少年。それと、知らない男子。中国系の少女。

 あの中の誰かを見て、篠ノ之が動揺していることまでは察した。

 

「そろそろ……」

 

 だんだん手が痛くなってきた。篠ノ之が剣をたしなむことを思い出す。

 握りつぶされるのではないか。

 そう思ったとき、篠ノ之がビックリした様子で手を離した。

 

「すまない」

「私は大丈夫だ。気にするな」

 

 そう言うと、織斑が冗談を口にして騒いでいた少年を注意して黙らせる。

 彼が反省したのを見計らって、山田参謀が笛を鳴らした。

 

「はーい。集合。授業をはじめますねー」

 

 後を追うように予鈴が鳴った。山田参謀は手際よく指示を出していく。

 篠ノ之と同じ列に並ぼうとしたとき、山田参謀の隣で学生を見守っていた織斑が呼び止めた。

 

「ボーデヴィッヒはこっちだ」

「了解した、教官殿(フロイライン)」

 

 先ほどの男子たちの列。その最後尾に並んだ。

 『気をつけ』踵を揃えて直立不動の姿勢を取る。

 ――これでも軍隊にいたのだ。姿勢には自信があった。

 視線を一点に保ちながら、織斑が口を開くまで微動だにしなかった。

 

「本日から格闘および射撃を含む実戦訓練を開始する!」

 

 格闘、射撃。そして実戦。

 ――――それでこその軍事研修施設だ。

 一九四五年にこの風景と出会っていたら!

 胸に去来する寂しさ。

 軍事教練において、寂しいばかりに弱気を見せてはいけない。弱気は死に直結する。塹壕においては、弱気のあまりめそめそする者は、バタバタと機関銃に打ち倒されていくものだ。悠々と前線を行く者のみが、たいていは生き残る。

 かといって、驕り高ぶるのもいけない。慢心は注意を散漫にさせ、用心を怠らせる。力が強いからと言って生き残れる保証はないのだ。

 コソコソと無駄口を叩く学生たちの後ろ姿を見ながら、そんなことをつらつら考える。

 そして、直立したまま目玉を左右に動かした。

 実戦訓練というからには、あるべきものがあるはずだ。超近代的な軍事研究施設の秘密兵器というものが。

 

 銃はどこだ? 機関銃は? 大砲は?

 突撃砲は? 戦車は? 戦闘機は? 爆撃機は?

 

 ……どこにも見当たらない!!

 

 織斑は確か、『IS実習』と言っていた。

 ISスーツなる破廉恥な衣装を身につけさせたからには、度肝を抜くような、何かが欲しい。その何かが、屈辱に耐えた理由になるからだ。

 『凰(ファン)』『オルコット』という声が聞こえた。どうやら演習を行うらしい。

 

「それからボーデヴィッヒ!」

「……ハ(ya)!」

 

 鋭い口調に対して、つい応じてしまった。

 

「演習のあいだボーデヴィッヒには専用機の着用を行ってもらう。細部を調整したのち、問題なければ訓練に参加してくれ」

 

 手招きされ、織斑がある場所を注視するよう促す。

 ほどなくして、黒い金属の着ぐるみを牽引する装甲車が姿を見せた。

 

「あれが……」装甲車の荷台に、巨体が腰を降ろしている。

「IS。ボーデヴィッヒの武器、選ばれた力。雨(レーゲン)だ」

 

 だが、前もって準備をしていない。電撃戦を準備なしに行うのは不可能だ。

 

「……気がすすまないならいいんだぞ」

 

 織斑が心配そうに言った。

 

「銃を撃つことくらい造作も無い」

「そうか」

「で、銃は」

「好きなのを選ぶといい。気晴らしになる」

 

 おもむろに山田参謀を仰ぎ見た。

 装甲に覆われた手。その手中に収められるのはせいぜい機関銃程度だろう。

 

「十分だ」

「たとえば8ー8(アハト・アハト)、ジークフリート、V3。

 めぼしいものはす(・)べ(・)て(・)拡張領域(バス・スロット)に突っ込んでおいた」

「え?」

 

 ――聞き捨てならない単語を聞いた。

 

「いや、たいしたことじゃないぞ」

 

 織斑がニヤリと笑った。

 

「昔から好きだったろう? 大(・)き(・)け(・)れ(・)ば(・)、(・)よ(・)り(・)大(・)き(・)い(・)の(・)が(・)」

 




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※2019.10.18 予想外の好評につき短編から連載中へ変更いたしました。更新頻度につきましては、短期集中で行います。
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