予鈴を聞きながら、織斑と技師たちに
またしても女子更衣室へ向かわねばならないことに気づいて、視線をさまよわせながら歩んだ。
今度は入口で躊躇しなかった。
終礼開始が近づいていることもあったが、徒に時間を浪費すれば、恥辱の時間が増加すると考えたからだ。
「……だから、篠ノ之。前を隠せ、前を」
目のやり場に困り果てた。
仕方なく、更衣室の隅で少女たちに背を向けながら、うつむきがちに制服への着替えを終えなければならなかった。
教室の自席に戻ると、先回りしていたのか山田参謀の姿があった。
「ボーデヴィッヒさんで最後ですね」
どうやら着替えに時間をかけすぎていたらしい。
半ば目を瞑りながら、恥辱に耐え忍び、慣れぬ女物の衣服を身につけたのだから、咎められる言われはないだろう。
実際、山田参謀が気にした様子はなかった。
少女たちはこちらの姿を見るや、特に囃し立てる様子もなく、じっと見つめてくるだけだ。
とはいえ、篠ノ之だけは、わずかに表情を緩めてくる。
自席に腰掛けて、山田参謀の目線を追いかけた。
織斑の到着を待っていたようだ。
彼女が黒い冊子を片手に姿を見せると、補助教員用の椅子に座る。
「では、終礼を始めますね」
起立。礼。
少女たちの動きに合わせる。
全員が腰掛け終えるのを見届けたのち、山田参謀が連絡事項を伝え始めた。
簡潔かつ明瞭。
織斑の参謀を務めるだけあって、淡々と進む。
途中、幼さの残る外見ゆえに少女たちがからかう場面もあるにはあったが、終礼に与えられた一〇分という時間を、一秒も超えることなく解散となった。
他の少女たちは談笑に興じ、ひとり、またひとりと教室から去って行く。男子学生もデュノア少年を誘って室外へと消えた。
しばしの間、ぼんやりとしながら彼女たちの後ろ姿を見送る。
「ボーデヴィッヒ」
篠ノ之だ。
肩に木剣を担いでいて、軍人というよりは、戦士のような雰囲気を漂わせている。
椅子に座ったまま応じた。
「これから戦闘訓練か?」
「そんなところだ」
篠ノ之が楽しげに続けた。
「ボーデヴィッヒはどうするんだ」
「私は、もう少しこの場にいる」
「わかった。またあとでな」
彼女が教室からいなくなると、騒がしさが消えて、静けさだけが残った。
頬肘を突いて、愛おしげに上唇を撫でる。
確かに若い肌は瑞々しかったが、それでもやはり、寂しさが募って嘆息が漏れてしまった。
そのまま窓の外を眺めながら、思索に
一日のあいだに、あまりに多くの出来事があった。頭のなかを整理したくなったのだ。
消えてしまった大切な口髭。男子が男子たる象徴。二〇■■年。失われたドイツ式敬礼。秘密兵器と、それに付随する魔術。
――新しい状況である。
速やかなる適応が求められるが、やはり、情報が不足している。
ドイツ式敬礼については、歴史観において、致命的な歪みが存在するためだろう。もちろん、労働者や農民たち、一市民に罪はない。学者や政治家を自称する連中が、今の状況を作り上げたに違いなかった。
情報を得る手段といえば、まず思い浮かぶのは、雑誌や書物だ。
ここは二〇■■年の軍事研究施設である。
しかも多数の学生が在籍している。
かつて在籍していた寄宿舎がそうであったように、書物を一カ所に集約しているはずだ。
「図書室だ」
行動しなければならない。
席を立ち、誰かに図書室の場所を聞き出すべく、廊下に出たとき、見知った顔を目にした。
「
「良かったぁー。ボーデヴィッヒさん、まだいてよかったぁー」
よほど慌てていたに違いない。しばらく肩で息をしたあと、背筋をピンと伸ばして手を前に組んだ。
「実はですね。ボーデヴィッヒさんに、伝えなければいけないことがあって……さっき、言うのをすっかり忘れていました」
山田参謀はにっこり微笑んだ。
――つまり、その伝達事項は、皆の前では口にできない、ということか。
しばし考え込み、言葉を選んだ。
「私にはこれから図書室に向かうという目的がある。伝達事項は手短に願う」
「図書室! それは良い考えです!」
山田参謀は笑みを浮かべたまま手を叩いた。
「ボーデヴィッヒさんは図書室の場所をご存じですか? わからないのであれば案内しますよ」
「……ありがたい」
「では、ついてきてください」
山田参謀に付き従って歩き出す。
図書室は別棟にあった。
山田参謀は入館するなり、閲覧席に向かった。
「ここです」
六人掛けの机には、椅子一脚につき一台のタイプライターが置かれている。
しかし、タイプライターにあるべきローラーやアームがない。紙も用意されていなかった。
そして、すぐ後ろに、どういうわけかテレビジョンのような板が据え付けてある。
記憶のなかにあるテレビジョンよりも物足りない気がして、机の横に回り、裏側を確かめた。
不自然なくらい平べったく、裏に手を差し込んで上下に振った。
……ブラウンの大発明はどこへ?
再び山田参謀の隣へ戻って首をひねった。
「ここで何を?」
「伝えなければならないのは、連絡先の設定なんです。デュノアくんとは昼休みのうちに済ませちゃいましたが、そのとき、ボーデヴィッヒさんの姿が見当たらなくて」
昼休みといえば、織斑と共に行動していたのを思い出す。
「……連絡先」
そう、連絡先。
二〇■■年となってしまっては、総統地下壕へ連絡する術がない。
強いて挙げるなら寄宿舎だったが、室内で電話を見た覚えがない。
一瞬エヴァのことが頭に浮かんだ。エヴァに連絡する術がないことも。
山田参謀に促されてタイプライターの前に座る。
じっとキーへと視線を落とし、次にテレビジョンを見やる。
連絡先……頭の痛い話だ。
「
「簡単にお話ししますね。生徒ひとりひとりにメールアドレスが与えられています。@の前が実名になっていて、どうしても使いたくない、とか、支障を来すことがあるんですね。そこで、別名を設定してあげる必要があるんです」
「私の場合は?」
「Laura_Bodewigアット……になります」
山田参謀がアルファベット表記を口にしながら、印刷された紙を差し出した。
「他人の名前みたいだな」
紙を受け取り、そこに書かれた文字を見つめる。
深く息をした。
椅子の背にもたれて、背後を見上げる。
主導権を握られて腹立たしいことであったが、山田参謀の言葉を待つしか無かった。
待つ間、テレビジョンのようなものを使おうとした。点灯装置を探したものの見当たらなかった。
「設定作業をやってしまいましょう」
「わかった。タイプライターに紙を」
山田参謀が不思議そうにこちらを見つめ返してきた。
「書体は
「……タイプライター?」
彼女は小首をかしげて一瞬だけ考え込む。すぐさま言わんとしていることを察したようだ。
「ドイツではパソコンのことをタイプライターって言うんですね。ボーデヴィッヒさん、目の前にあるパソコンを使うんですよー」
――パソコン?
パソコンなるものがタイプライターと同義であると、山田参謀は、参謀たる者が考えている。
彼女は横からのぞき込むようにして、テレビジョンの裏に手を伸ばす。
指で押しこむ仕草をしてから、タイプライターの横にあった卵形の塊に手を添えた。
「まずは設定画面を出しますね。ちょっと待っててください」
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