9.neun. ――子狼――冊子――地球儀――極東――
またしてもうつ伏せになったままベッドで眠ってしまっていた。
手を突いて上体を起こし、目元をこすりながら体の状態を確かめた。
――なぜ、裸に、バスタオルを巻いただけなのか……。
昨晩の出来事を思い返す。
図書室で
山田参謀にパソコンの操作に覚えたい、と告げたところ、
その後、寮に戻ってからは、机で居眠りをしてしまった。六時頃だろうか。篠ノ之が部屋を訪ねてきた。夕食の誘いだ。もちろん快諾し、篠ノ之以外にも三名の学生――鷹月、夜竹、四十院――と食事を共にした。
その後、風呂に誘われたが、まさかの集団入浴であった。皆の前で裸をさらけ出すなど敵わぬと思い、風呂だけは、と固辞して部屋に戻った。シャワーを浴び、身体を乾かすうちに力尽きてしまったようだ。
身だしなみを整えるべく洗面室に向かった。
コップに溜めた水で顔を洗い、タオルで吸水したあと、鏡に映った自分の顔を凝視する。
――非の打ち所のない美少女だ。
瞳に力を込めてみた。顔立ちが整っているだけあって、鋭い眼差しだ。『
――せめて少年であったなら……。
この器が男であったなら。成長すれば再び口髭を生やすこともできただろう。
不条理を悔やんでも悔やみきれない。
だが、この身が、男でないことを受け入れざるを得なかった。
神の采配でもあるのだ。不本意ではあったが、シンボルが失われてしまったからには事実を認めるしかないのだ。
若く瑞々しい身体となって良かった点もある。身体が羽のように軽くなったことだ。数日前まで愛用の杖がなければ歩けぬほどだったが、今はどうだ。一昨日、昨日と、精神的な疲れこそあったが、身体のほうはほとんど疲れていない。それどころか活力がみなぎり、杖の必要もなかった。
さらに老眼が是正されたのはとても素晴らしい。
元々書物を読むのに喜びを感じていた。戦時であっても、ボルマンが苦労して本を入手してくれていたのだ。彼の尽力に答えるべく、その本はすべて読み通し、己の血肉とした。老眼鏡を用いずとも活字が読める。これほど嬉しいことはない。
『ラウラ・ボーデヴィッヒ』は学生の身分を持つ。学生が書に耽溺するのは、精神の修養にもなり、とても好ましいと言える。活字が読めるとなれば情報収集も容易となるだろう。
洗面室を後にし、ベッド下のカバンから衣服を取り出す。
ベッドの上に並べてから、じっくりと眺める。制服と体育着、下着以外を持ちあわせていなかったのだ。ISスーツは織斑に預け、ISなる機械のなかへと戻してあった。
腕組みしながら、昨日の山田参謀の衣服を思い浮かべてみた。
――――絶望的闘争を行うに等しい。
じっくり考えるまでもなく、無益な闘争であると言えた。冷徹無比な内心を押し隠し、母性すらまとわせる存在を念頭に置くならば、限りない屈辱、無限のみじめさを受け止めながらも、むしろ、味方につけるのが得策だろう。加えて未婚だと思われ、女子同盟の代表としても申し分のない人材である。
「服を着よう」
下着を身に着けながら思索にふけった。
――今が『いつ』なのかはわかった
次は、この施設が『どこ』にあるか知る必要がある。未だ旧・総統官邸への帰路がわかっていないからだ。
制服のボタンを留め終え、懐中時計を胸ポケットにしまう。
部屋を後にしようと机の前を通りかかったとき、一枚の紙片を見つけてつまみ上げた。受渡日の隣に、仮名で『クリーニング』と書かれている。
――受け渡し日は五日後。
確かは織斑がクリーニングを手配すると言っていたか。
少し考えてから紙片を戻して、踵を返した。図書室から本を借りるために入れ物が必要だった。ベッドの下に
軍靴を履いて寄宿舎の食堂に向かい、朝食を摂る。ハムエッグ、パン、スープ。まだ早いのか、学生の姿は少ない。
「ご婦人。朝食はとても美味でしたよ」
食膳を返却するとき、奥に見えた調理係の女性に向けて礼を言った。
もちろん、和やかに振る舞うのも忘れなかった。
出入り口の手前に寮母の部屋がある。寄宿舎の窓口を兼ねており、早朝から開いていた。
窓口に近づくと、エプロン姿の寮母の表情がパッと明るくなって手招きしてきた。
「ラウラ・ボーデヴィッヒさん。制服のクリーニングの伝票、机に置いておいたけど、気づいた?」
寮母は窓口のカウンターに肘をつき、こちらを見上げていた。
伝票……先ほどの紙片のことだ。
「部屋で確かめました。受け渡しは五日後でしたね。ありがとうございます」
「昨日直接渡せばよかったんだけどね。ごめんねー」
「適切な判断です。私も昨日は初日で忙しかったものですから」
「そお?」
明るい笑顔が特徴的だった。
微笑みながら、視線を外してあたりを見回した。
探しものを思い浮かべながら、寮母に向き直った。
「すみません。新聞はありませんか?」
新聞はしばしば偏向的になる。虚言妄言を並べた情報媒体だが、大衆が知識欲を満たしたという気分を与える、という点では優れていた。
少なくとも、この地や敷地の外の情勢を伝えているはずだ。
寮母は人差し指を顎にあて、考え込むような素振りをしてみせる。
「新聞? そうねー、昔取ってたみたいだけど、今は取ってないわねー」
「……なぜです?」
「今どき、新聞なんかより、インターネット見るでしょ? 私の家も昔は取ってたけど、一人暮らし始めたら取らなかったし、なくてもネットがあればねえ。ここでも最初の頃は取ってたけど、誰も読まないからやめちゃった。どうしても読みたいなら図書館ね。入手可能なものは全部そろってるから」
「……そうでしたか。教えてくれてありがとう。……そうだ、チラシのようなものはありませんか?」
「学園のパンフレット……去年のだったらあるけど?」
「それで大丈夫です。荷物の受け取り先をどう書いて良いものかわからなかったのです」
とっさに理由をでっちあげた。
戦時であれば住所を知らせること自体が命取りになりかねない。
しかし、寮母は意に介すことなくカウンターの下から『学校案内』なる冊子を取り出した。
「日本語版と英語版だけど、いい? ドイツ語版は見当たらなかったから使い切ったみたい」
「助かります」
「いいのよ。また何かあったら言ってねっ」
冊子を受け取り、
寄宿舎を後にしてから、しばらく歩いた。施設へ向かう途中にあるベンチがちょうど木陰になっていた。
両方を裏返して住所を確かめる。住所のそばに、地図があった。
国外向けに軍事研究施設の場所が描かれていたのだ。島の形に見覚えがあった。
頭のなかの地球儀が回る。ベルリンからグルリと半周近く回した。
日本列島、すなわち大日本帝国。
――極東の、あの、同盟国だと!!?
ISなる魔術めいた機械を扱う、軍事研究施設の場所を堂々と冊子に掲載している。丁寧に英語版まで作っているのだから、つまり、戦時ではない、ということだ。
懐中時計で朝礼開始までに三十分以上の余裕があることを確かめた。
木陰で涼みつつ、思い出したように冊子をしまった。頭がぼうっとしてしまい、心もとない気持ちになる。
――総統地下壕は、地球の裏側、か。
意識だけが、時空を、海を渡ってしまったのだ。なるほど、ボルマンが存在しないわけだ。
全身に虚脱感が広がっていく。
「ボーデヴィッヒじゃないか」
「……ん、ああ」
彼女をチラリと一瞥した。
「篠ノ之か」
呟きを聞くなり、篠ノ之は棒状の包みを持ったまま、正面で中腰になった。
「どうした? 一人で黄昏れて」
篠ノ之は答えるだろうか?
「ここは、
「IS学園……日本だが」
「日本? ただの日本か? 大日本帝国では……」
「大日本なんとかは数十年も前の名前だぞ。遠い昔、大きな戦争があって、日本は負けたんだ」
篠ノ之は事もなげに口にした。
「……アメリカに?」
声が震えていることを認めざるを得なかった。
感情的な思考停止に陥ろうとしていた。とにかく事実を確認して、冷静な熟慮が何よりも優先されなければならなかった。
だが、篠ノ之の言葉は、空隙を埋める歴史的事実として突き立ったのだ。
「そうだ。この学校の近くにも、米軍基地があるな。戦艦も来てたし、空母も来てた。原子力潜水艦も来てるって、この前一夏が言ってたな。……大丈夫か? 顔色が悪いぞ?」
――この軍事研究施設はアメリカ合衆国の影響下にあり、この身は、彼の国に囚われた、罪人と、同類か。
「大丈夫だ。立てるから」
脂汗をぬぐって、笑みを浮かべるよう努めた。
――早急に知らねばならない。一九四五年から二〇■■年までのあいだ、『何が』起こったか、を。
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