蝶の影   作:木材

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拾壱

どこまでも広がる青空の下に遠夜はいた。床は鏡のような水面であり、自分自身と青空を写し出して広がっている。足を動かすと波紋が広がった。

 

 

何もない場所から声が聞こえる。

 

 

『その憧れ(呪い)はもういらないって?』

 

 

ああ、俺はもう一人で歩ける。

 

 

『そうかい。だがな、人の心ってのはそう簡単には変わらないさ』

 

 

だろうな。

 

 

『それはお前とて例外じゃねぇ。心の闇(それ)と向き合った程度で乗り越えたつもりか?』

 

 

……。

 

 

『馬鹿言え、その程度で乗り換えられるようなもんじゃねぇよ。特にお前みたいに闇が深い奴はなぁ』

 

 

そうか。

 

 

『俺はもう一人で歩いていける。自分のこの言葉を忘れんな。いつでも闇はお前を飲み込みにいくぞ』

 

 

…善処しよう。

 

 

『ははは!この後に及んでそんな弱気かてめぇ!あーあー、先が思いやられるなぁ!』

 

 

うるせえ。もう消えろや。

 

 

『ところでよ』

 

 

まだなんかあんのか。そもそもお前誰だ。

 

 

『んなことは知らなくていい。些末な問題だ』

 

 

割と重要だろ。なんで意識無い中で知らねー奴と話したんだ俺は。

 

 

『はっ!知るかよ。ところで、そろそろ起きなくていいのか?』

 

 

あ?

 

 

 

 

『怖〜い奴が、待ちくたびれそうだぜ?』

 

 

 

 

世界が暗転した。

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

目を開けると、割と見覚えのある天井だった。

 

「…蝶、屋敷……か?」

 

多分そうだろう。ベッドや物の配置が見覚えがあるし、なにより藤の花の匂いがする。

 

「……」

 

視線を巡らせ周囲を見渡す。自分以外に人間は見られない。どうやら個室で寝かされていたらしい。

 

左目に痛みや違和感も特に無い。とりあえず月詠の眼球は存外ちゃんと眼球として機能しているようだ。

だが元は鬼の肉体。故に必ず障害は出てくるはず。今は包帯が巻かれているため視界に関してはまだわからないが、何にしても詳しく聞かなければならないだろう。

 

「ふー…」

 

息を吐き出す。脇腹の傷は縫われて塞がってはいるが、包帯が巻かれている以上完治はしてない。

 

「…そんな時間経ってない、よな」

 

最後の記憶は月詠が消えた映像。

 

「あれから、どんくらい時間経ってる」

 

眠っていたため、日付感覚が完全に失われている。時計はあるため時刻はわかるが、日付に関しては全くわからない。少なくとも、眠っていたのは一日二日ではないだろう。関節が固まり身体が動かしづらいのがそれを物語っている。

 

時計に目をやると時刻は深夜の四時。まだ日も登っていない時刻だった。この時刻では恐らくアオイや三人娘達も眠っている。下手に起こすのは忍びないため物音を立てずに起き上がる。

傍らに置いてあった水差しで湯呑みに水を注ぎ、一気に飲む。冷たい水が食道を通り胃に到達するのがわかる。

 

ゆっくりとベッドから降り、吊るされている点滴を取り、病室を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁側に座り、まだ日が登っていない空を見上げた。

 

音がしない。静かな夜だった。

 

こんなに静かな夜でも、今もどこかで鬼は人を襲い、食らっている。

 

「………」

 

月慈の最後の顔を思い出す。いつも無表情でなにを考えているのかはわからない兄の顔。その顔は頸を切られた時、驚愕に歪みながらもどこか晴れやかだった。感情がないものだと思っていたが、やはり兄も人間だったというとこだろう。

 

しかし、なぜ最後に晴れやかな表情をしていたのか。それがわからない。散々凡才だと見下してきた弟に負けたとなると、自尊心の強い月慈のことだ。屈辱を覚えると思っていたのだが。

 

「……最後まで、あいつのことはわからなかったな」

 

そう呟いたところで背後に気配を感じた。

 

「起きたんですね」

「よぉ、仕事終わりか?しのぶ」

 

そこには蝶屋敷の主人、胡蝶しのぶがいた。

 

「身体はどうですか?」

「病み上がりだ。違和感だらけだが、特段痛みはねえ」

「そうですか」

「俺、どんくらい寝てた?」

「二週間ほどでしょうか」

「随分と寝坊したものだ」

 

あれから二週間も寝ていたらしい。ここまで長く昏睡したことは初だったため少々変な感覚がする。

 

「俺の身体、どうなってる?」

 

一番気になることを聞いた。なにしろ鬼の肉体を埋め込まれたのだ。通常のままであるはずがない。

 

「…そうですね、色々検査はしなくてはなりませんが」

 

そこでしのぶは一度言葉を切る。

 

「結果から言うと、貴方は人間です」

「…ま、そうよな」

 

なにしろ人間であるしのぶを目の前にしても食欲は沸かない。それに鬼ならば、この腹の傷はもう癒えてるはずだ。

 

「左眼そのものは鬼の細胞だと思われるものです。人間のものとは異なります」

「あー…ま、そうよな」

 

元はといえば鬼の肉体。人間のものとは異なるのは自明。

 

「左眼の周辺の痣ですが…」

「痣?」

「はい。その左眼、周辺が青白い痣のようになってます。まるで鬼の肌のような色になってます」

「はぁ」

 

起きてから数分しか経っていないため鏡を見ていない。故に左眼がどうなっているのかを確認する手段がないためそうなっていることがわからなかった。

 

「見た目に関してはあとで自分でどうなっているか確認してください。目蓋の傷はほとんど塞がっていますが、あまり弄らないようにした方がいいです。傷が開くので」

「りょーかい」

 

渡された手鏡を受け取り、左眼の包帯を取る。視界に不調はなさそうだが、違和感はある。鏡を見ると、目蓋は抉れたような傷がある。月慈に刺された時のものだろう。

そして目蓋を開くと、鬼のような紅い瞳が見えた。だが獣のような瞳の形はしておらず、形状は人間のそれだった。

 

「へえ、色は鬼そのものじゃん」

「明日以降、検査を行います。鬼の肉体を埋め込まれた人間なんて前例がありません。どんな後遺症がでるかわかりません」

「だろうな。多分、日光浴びたら崩れ落ちるだろうよ」

 

なんとなく、そんな気がしている。この目は元はと言えば鬼のもの。ならば人間の肉体に癒着したからといって日光に耐性を得るわけではない。

 

「やはり、ですか」

「確証はない。でもそんな気がする」

 

一度珠世に見てもらった方がいいかもしれない。人間はともかく、鬼については珠世の方が遥かに詳しいだろう。

 

「とりあえず、異常ナシってことで良いんだな?」

「はい。怪我が治れば普段通りでしょう。運動できるようになり次第、機能回復訓練です」

「はいはい」

 

そう言って遠夜は立ち上がり、草履を履いて庭に出る。

しのぶは上手く隠しているようだが、声色が若干低い。悲しみを孕んでいるような声をしている。

 

「……俺が寝ている間になんか変わったことは?」

「…そうですね。無限列車にて、煉獄さん、炭治郎くん、善逸くん、伊之助くんが下弦の一を撃破。列車は脱線するほどの事態になりましたが、煉獄さんの機転で乗客は無事でした」

「さすが。で?まだあんだろ、その様子だと」

 

しのぶは内心でこういう時の遠夜は素直に凄いと思えた。なにしろこちらが意図せず出てきた感情の僅かな機微を読み取ることができるのだ。多分、これは対象が自分でなくともわかるのだろうなとしのぶは内心で考えた。

 

「こういう時は、他人の気持ちがわかるのですね」

「はっ、まるで俺が人の気持ちがわからないとでも言いたいような言い草だなオイ」

「違うんですか?」

「んなことはどーでもいい。で?」

「…その後、上弦の参が襲撃。煉獄さんが対抗しましたが……」

「……そうか」

「上弦の参は日の出と共に逃亡。三人はかなり重傷を負いましたが、無事です。煉獄さんは……亡くなられました」

「………なるほど、な」

 

遠夜は空を見上げた。

 

煉獄とは、それほど長い付き合いではない。そもそも遠夜自身が柱の中では甘露寺とほぼ同時期になったため、柱としては新参者になる。加えて柱はいつも忙しい。他の柱と関わるのは基本合同任務の時や柱合会議の時くらいである。そのくせ遠夜は柱合会議をすっぽかしたりするため他の柱との関係はかなり薄い。

煉獄は、その熱い精神と面倒見の良さから遠夜を度々稽古や鍛錬に誘うことをしていた。故に、比較的関係は良好ではあった。

 

「…そうか」

「………」

「暑苦しい人だったが、いい人だったよ。惜しい人を亡くした」

 

普段は飄々として他人を小馬鹿にしたような態度を取ることが多い遠夜だが、今はそんな態度を少しも見せず、空を見上げる瞳は悲しみの光を宿していた。

 

「…もう一度、話したかった」

「……そうですね」

 

暫しの沈默が流れる。

 

「そういや、俺の目隠しは?」

 

普段視界を封じている手拭いがないことに遠夜は気がついた。手拭いを外す時もあるためそこまで違和感はないが、この左眼のことを考えると今後日中に外すことはできない。抉れた目蓋を隠す上でも目隠しは必要となってくる。

 

「戦闘でボロボロになってしまいました。その旨を伝えたら雲海さんが新しく染めた手拭いを下さりましたよ」

「へえ」

 

渡された手拭いを受け取ると、その手拭いは僅かに加工されているのがわかった。留め金が付いている。

 

「なんか加工されてね?」

「鳴海さんからです。貴方の頭の大きさに合わせて好きなようにきつさを調節できるようにしてあります」

「ふーん…」

 

試しに付けてみると、結んで視界を塞いでいた時よりも楽な上に取り外しも解くより簡単であるため遠夜としては嬉しい加工だった。

 

「いいね、使いやすい。どーも」

「感謝は鳴海さんに。私は渡しただけですから」

「へぇ?」

 

含みのある笑いにしのぶは顔をしかめる。

 

「なんですか?」

「いやぁ?別にぃ?」

「……言いたいことがあるならはっきり言ったらどうです?」

 

いつもの笑顔だが、額には青筋が浮かんでいる。これはかなり苛立っている証拠だろう。

 

「いくら鳴海さんでも、俺の頭の大きさなんてわからんだろ」

「…だからなんですか」

「多分、目隠しの案を出したのは鳴海さんだろう。でも実際に作ったのはお前だろ」

「なぜそう思うのですか?」

「まーさっきも言ったが、鳴海さんでも俺の頭の大きさなんぞ覚えてないだろうということ。それと、指に藍色が僅かに残ってる。確かに無道家の藍色は指につきやすいくらい濃い色だが、あくまでそれは製作されて一週間程度のもの。それに、ちょいと触ってただけで染みつくものでも無い。それこそ、その布に手を加えるようなことでもしない限りはな」

 

実際、しのぶの指には僅かに藍色が残っていた。よく見なければわからないほどのものだが、普段からよく見ていた遠夜には一目瞭然なのだろう。

 

「あと、この留め金を縫い付けた時の縫い方。お前のクセが出てるぞ」

「あら、まさかそんなわかりやすいクセがあるなんて思いもしませんでした」

「まー嘘なんだが」

 

その言葉にしのぶは再び青筋を浮かべる。それを見て遠夜は楽しげに笑った。

 

「おー怖」

「そろそろ寝てください。私も休息に入ります。貴方の検査等で明日以降は忙しくなります。それに怪我だって全く治っていないのですから」

「わーったよ。大人しくしてる」

 

遠夜とて、この怪我で下手に動く気はない。さすがにそこはしのぶの言うことを素直に聞くことにした。

 

「では」

「しのぶ」

 

立ち去ろうとしたところで呼び止められ、遠夜に視線を向ける。遠夜は縁側に座り、目隠しをした顔を庭に向けたまま話始めた。

 

「前に、お前のことをつまらないと言ったな」

「……ええ」

 

姉が好きだと言っていた笑顔を、姉のように貼り付けた顔。本心を押さえ込み、姉の夢を背負って歩く覚悟と己の怒りで板挟みになった成れの果ての笑顔を、遠夜はかつてつまらないと言った。

 

「また悪口でも言うんですか?」

「いや。お前、凄いわ」

「…は?」

 

予想外の言葉にその後の言葉が出てこない。

 

「凄い生き方してるよ、お前。俺にはできん。仮に間違っていたとしても、その生き方はやろうと思っても俺にはできない。それができるお前が羨ましくて、俺はつまらないって言った。悪かった」

「………」

 

きっと、しのぶの今の生き方を誰しもが『間違っている』と言うだろう。姉も、日永も、悲鳴嶋も、甘露寺も、両親も。でもしのぶはこう生きることを望んだ。自分を殺してでも、姉の意思を継ぎ、鬼を滅ぼす道を選んだ。鬼を滅ぼす道は間違っていない。だがその過程で姉の意思のために己を殺すことは正しいと言えるのか。恐らく大体が否と答えるだろう。そんなのは亡霊に等しい行いだ。

今の言葉から遠夜はそれが間違いであるとは思っている。だが、それを選ぶことのできた自分のことを、認めてくれた。さらには過去の自分の言葉が嫉妬からくるものだと打ち明け、そして謝罪した。これらの事実を受けきれず、しのぶは数瞬硬直する。

 

「…なにか、ありましたか?」

 

本当は凄く嬉しいことなのに、己を殺し続けたしのぶはそれを伝えることはできなかった。

 

「ああ、あった。だから俺は言うべきだと思った。俺のためにも」

 

なにがあったかは語らないが、きっと遠夜にとってとても大事なことが起こったのだろう。この場で語らないということはまだ語りたくないのか、それとも語る気が最初から無いのかのどちらかだろう。

 

「そうですか。ではこれからは素直に生きてくださいね」

「保証しかねる。んな簡単に変わるわけねーだろ」

「問題児ですねぇ。では、お休みなさい」

「ん」

 

顔を庭にむけたまま手をひらひらと振る遠夜を尻目に、しのぶは自室へと足をむけた。

 

 

 

そして自室に入ると同時に、しのぶは静かに涙を一筋流した。

 

 

 

これまで、しのぶの功績を認める人間は多々いたが、生き方について認めてくれた人はいなかった。しのぶとて、今の生き方は誰も望まないことだとわかっている。だがそれでも辞めるわけにはいかない。そう言い聞かせてきた。

だが遠夜は生き方を認めてくれた。その事実に感情が抑えきれず、僅かに溢れた感情が一筋の涙となり、しのぶの頬を伝った。

 

「……普段からもう少し素直になればいいのに」

 

それは遠夜に向けられた言葉か、それとも己へと向けた言葉か。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日から検査続きだった。

肉体のあらゆる反射を確認したり、左眼周辺で異常が無いかを調べたりした。純粋に傷の治療も行っていたため、検査のみで二週間ほどが経過した。

 

その間に炭治郎、善逸、伊之助の三人は退院し任務に戻っていった。太陽のように暖かい性格の炭治郎は、恩人である煉獄が亡くなり少々落ち込んでいるように見えたが、煉獄の意思を継ぐためにも前を向いて歩くことを決意したらしい。

 

この一週間は検査があり、三人が中々騒がしかったのもあり、蝶屋敷は賑やかだった。しかし三人が先日退院したため蝶屋敷はどこか静かだった。

 

「機能回復訓練はまだできんか」

「もう少しですね。傷は塞がってますが、完治はしてないので。軽い運動程度なら大丈夫だとは思いますが、そこはしのぶ様に確認してください」

 

遠夜の腕に巻かれた包帯を取りながらアオイはそう答えた。

腕の傷は完治したようで、傷痕は薄らと残っているが違和感はない。問題は左眼と腹の傷だろう。目に関しては珠世に見てもらうまではなにもわからないだろうと踏んでいるが、腹の傷は結構深いものだった。塞がってはいるが、やはり完治するまではあまり無理はできないだろう。

 

「これくらいなら自宅療養でもよくね?」

「駄目です」

「あっはい」

 

鋭い目つきでアオイに睨まれ、目隠しをした顔を逸らしながら僅かに冷や汗をかく。

 

(そーいうとこだけしのぶに似てきやがって…)

「あと、無道様の刀ですが」

「ん、ああ。作り直してもらってんだろ?」

「はい。刃こぼれが酷く、鍔も壊れてしまったので」

 

刃こぼれに関しては月慈の血鬼術を無理矢理受けたり、異なる呼吸を使ったりしたからだろう。鍔は気がつかなかった。

 

「明日、こちらに届けられるそうです」

「そうかい。連絡どーも」

「ではこれから新たに怪我人が来るので、失礼します」

 

蝶屋敷は医療施設故に多数の隊員が怪我をすると訪れる。鬼殺隊員は常に死と隣り合わせの日常を送っているため蝶屋敷に怪我人がいないことはあまりない。だが今は遠夜以外に入院している人間はいない。

 

「ほー、なんて名前だ?」

 

遠夜の言葉を聞いたアオイは目を丸くする。

 

「え」

「んだよ」

「そんなことを気にするなんて珍しいですね」

「暇なんでな。手伝えることがあれば言え」

「柱にそんな雑用は…」

「まともに鍛錬もできねーならせめて少しは身体動かさせろや。暇で死ぬぞ俺」

 

基本遠夜はじっとしていることができない。隠密行動等の静かにすることが必要な場面ならともかく、日常では基本何かしているため暇なこの状況は遠夜にとってはかなり退屈だった。

 

「なるほど、そういう方でしたね」

「含みのある言い方だなオイ」

「ところで名前ですが」

「無視か」

「確か、獪岳…という名前だったと思います」

「へえ、呼吸は?」

「そこまでは」

「ふーん」

「なにを企んでいるんですか」

「なにも?」

 

悪い笑顔をしていたからこれはなにかするなとアオイは確信したが、さすがに怪我人相手に無茶なことはしないだろうと踏んで呆れたようなため息をついて病室を後にした。

 

 

ーーー

 

 

治療を一通り終えた獪岳は病室に通された。清潔感があり、綺麗にされている病室だった。他にもベッドがあるが、今は獪岳以外に人はいない。

 

「では、こちらのベッドをお使いください。なにかあればお申し付けくださればこちらで対処します」

「ああ」

 

アオイの言葉に素っ気なく返すが、アオイは嫌な顔一つせずに頭を下げて作業に戻っていった。

獪岳は与えられたベッドに腰掛けると、大きく息を吐いた。今回の任務で相手した鬼は強かったが、獪岳の実力があれば特に大きな怪我をすることなく倒せる相手だった。しかしその鬼が最後に自爆したことにより無駄な怪我を負わされ結果として蝶屋敷で診て貰うことになった。

 

「ちっ」

 

その事実に苛々した。

雷の呼吸の継承権を持っている獪岳ならば、あの程度の鬼ならばここまでにはならない。そうわかっていたのにここまでの傷を負わされた事実に納得がいかなかった。特別であるはずの自分が、こんな醜態を晒したという事実が、獪岳にとっては耐えがたいものだった。

 

「くそっ」

「苛ついてんな」

「っ⁈」

 

先ほどまで誰もいなかったはずの扉に目隠しをした男が立っていた。

 

「誰だお前」

「なんだなんだ、やけに刺々しいなぁ。なんか、嫌なことでもあったか?」

「誰だと聞いてんだよ」

「仮にも俺上官なんだがなぁ。ま、いいか」

 

目隠しをした男は病室に入ると獪岳に近づいていく。

 

「俺は無道遠夜。影柱だ」

「は、柱…?」

「そ。お前の、お前らの上司」

「…す、すみませんでした」

「いーよ。知らなかっただけみたいだし」

 

そう言うと遠夜は獪岳の前に椅子を持ってきて座った。

 

「ん、『見た感じ』そんな怪我は酷くなさそうだな」

「…見えるのか?」

「いや?お前の言う『見える』ではない。まー言うならば感じる?」

「……?」

「わかんなくていい。どーせ理解しようとしても無理だから」

 

その言葉に、獪岳は苛立ちを募らせる。特別な自分が『できない』と言われることに、獪岳は納得ができない質だからだ。

 

「ちっ」

「お、また舌打ち?不満だらけかお前」

「で、なんだよ。何の用だ」

「上司にその口調かよ。いいけどさ、どーせ末席者だし」

 

そもそもつい最近負けたばかりの未熟者だからなと内心で苦笑しつつ、遠夜は言葉を繋げる。

 

「お前、なんの呼吸使ってんの?」

「は?なんでそんな…」

「いいから」

「…雷」

「ほー!珍しいな。雷の呼吸って使ってるやつあんま見たことないんだ。丁度いい。ちょっと付き合え」

「はぁ?」

「見たところ、動けないほどの重傷ってわけでもないんだろ?テキトーでいいから型見せてくれや」

「なんで俺が…」

「いーから」

 

獪岳としては面倒なことこの上ないが、仮にも相手は柱。今まで見てきた柱と比較して覇気も威厳もないが、今の自分よりは強いことがわかる。それに遠夜も言ったが、仮にも上司。下手に騒ぎを起こすよりもとりあえず従う方が得策だと獪岳は考えた。

 

「…仮にも怪我してるんで、無理はできない」

「いいよ、見たいだけだから。手合わせは今度な」

 

 

ーーー

 

 

道場に獪岳を連れて行き、木刀を渡して雷の呼吸の型を見せてもらった。

 

弐ノ型 稲魂

参ノ型 聚蚊成雷

肆ノ型 遠雷

伍ノ型 熱界雷

陸ノ型 電轟雷轟

 

雷の呼吸の使い手は善逸しか会ったことがなかったためこうして間近で型を見られるのはありがたかった。左目は目隠ししたまま右目のみで型を目に焼き付ける。腕の角度、息遣い、足運びを記憶し、頭の中で反芻する。

 

(へえ、いい腕じゃん。なにが不満なのかねぇ)

 

かなりいい腕を持っているのにも関わらず、獪岳からは常に不機嫌な気配がする。初めは遠夜に嫌々型を見せられているからだと思っていたが、どうも違う。

 

(もっとこう、根本的な問題な感じするな)

 

具体的なことはわからない。だが、獪岳という人間の根本的な所に問題があるような気がする。

 

「おい、全部見せたぞ」

「ん」

「あんたが見せろって言ったんだろ」

「まだ一つ見せてなくね?」

「っ」

「壱ノ型、やってないだろ」

 

そう言い放つと獪岳は殺気とも思えるほど鋭い視線を遠夜に向けた。

 

(あれ、これ触れちゃいけないやつだったか)

「ちっ」

「できないのか」

 

本来、この獪岳の雰囲気からこの話題にはこれ以上触れないようにするのが通常だろう。だが遠夜は基本他人の心を知った上でそこに触れて行く性格の悪さがある。

 

「なるほど」

「………」

「じゃあ、雷の呼吸の継承権はどーなってんだ?」

「……俺と、もう一人の二人で継承していくように言われた」

 

どう見ても全く獪岳は納得していないし、不満しか無さそうな態度を見せる。かなり苛立っているようだ。

 

「不満そうだな」

「当たり前だろ!この俺が、あんなカスと共同で後継だと⁈納得できるか!」

「でもできないんだろ?」

「うるせえ!」

「呼吸を途絶えさせないためにも、できないことはできる奴に任せりゃいいじゃん」

「黙れ!あんなカスと同列に俺を評価するな!あの爺!俺があれだけ尽くしてやった」

 

 

空気が揺れる。

 

 

次の瞬間、獪岳の喉は遠夜によって掴まれていた。

遠夜の発する圧力に獪岳は口を閉じる。

 

「それ以上、自分を育ててくれた恩人を悪く言うな。見苦しいぞ」

「っ……」

「お前の師も色々考えた結果そうなったんだろ。お前がどう考えてるのなんか知らんが、そういう結果にならざるを得ない状況にさせた自分を恨め」

 

その言葉に獪岳は我を忘れた。相手が柱であることも忘れて掴みかかり、激昂した。

 

「てめぇ、もう一回言ってみろ!」

「なんだ、難聴か?その歳で耳が遠くなるのは中々だな」

 

掴みかかられてもなお、飄々とした態度を崩さない遠夜を見て更に獪岳は頭に血を昇らせる。

 

「ああ⁈」

「だって、できなかったんだろ?なら二人で継承させるしかないじゃん?それにさ、お前こそ努力したの?」

「は?」

「だからさ、壱ノ型が使えるようになるための努力はしたのかって」

 

無論遠夜とて獪岳が努力していないなどとかけらも思っていない。今見せてもらった型は洗練されていた。そこから獪岳が努力を怠っていないことくらいはわかる。

獪岳自身も努力している自覚はあったし、その努力の甲斐もあり力が付いていってる自覚もあった。だがそれでも壱ノ型だけは使えなかった。

 

「舐めてんのか⁈」

「いいや」

「努力したに決まってんだろ!」

「死ぬ直前までしたか?」

 

遠夜の言葉がわからず獪岳は呆けた声をだした。

 

「は?」

「死ぬ直前まで、それのみをできるようになるまで没頭したのか?生活の全てをそれをできるようになるために費やしたか?できる奴から教えを乞うたか?できるようになるために、できることは全てやったと断言しきれるか?」

「っ……」

「お前が努力してることは今の型見りゃわかる。だがな、継承権に関して不満があるなら、それを覆せるようにするために最善かつ最大限の努力をしたとお前言い切れるのか?」

 

獪岳は目を伏せる。

獪岳は、修行時代に努力は惜しまなかった。壱ノ型ができるようになるために師匠に教えを乞い、付き合ってもらったりもした。それでもできなかった型は、弟弟子の善逸はあっさりできるようになった。尤も、善逸はそれ以外の型はできずに壱ノ型のみを極める道を選んだ。

雷の呼吸は壱ノ型が基本であり、そして真髄となる型である。故に善逸の壱ノ型を極めるという道はある意味本当の意味で雷の呼吸を極める道だと言える。壱ノ型の完成度に関しては、善逸は師匠を超えている。そのため獪岳の師匠は善逸にも話を聞くことを勧めてきた。

 

だが獪岳はそれをしなかった。

 

獪岳は善逸を見下していた。修行中も泣きべそをかき、直ぐに逃げ出すような弟弟子を下に見て、そして馬鹿にしていた。そして常に自分の方が上であり、特別だと思っていた。元々高慢かつ傲慢な性格は善逸を下に見ることでさらに膨れ上り、高すぎる自尊心が善逸から教えを乞うという選択肢を許さなかった。だから遠夜の『できる奴から教えを乞うたか』という言葉に獪岳は反論できなかった。

 

遠夜はそれを見抜いていた。だからこそ教えを乞うたかどうか聞き、そしてそれが図星だとすぐにわかった。

 

「逆に、お前はその弟弟子に自分ができる型についてなにか教えたか?」

「この俺がなんであんなカスの面倒を見なきゃなんねぇ!俺は特別だ!あんなカスにやるもんなんかねぇよ!」

 

なおも激昂する獪岳に遠夜は声をわずかに低くする。

 

「お前、なんでも自分が特別じゃないと気が済まねえのか」

「俺は特別だ!俺は、俺のことを正当に評価できない奴なんぞに恩義は感じない!」

 

なおも激昂し捲し立てる獪岳を遠夜はつまらなさそうに見る。

 

(こいつは、人から貰うことしか知らないのか)

 

恐らく、この獪岳という青年は育ってきた環境が劣悪なものだったのだろう。自らで生み出し、そして他人に与えるという余裕がない生活を送ってきたのだろうと遠夜は考えた。故に他人に与えるという行為そのものの意味を理解しておらず、貰うことのみに執着している。

 

「で、正当な評価って?」

 

それを聴くと獪岳の言葉が止まる。

 

「ほら、言えよ。お前の言う正当な評価ってどんなんだ?」

「何が言いたい」

「正当に評価して欲しいとか言ってんだ。どう評価されれば満足だったんだ?」

 

道場の壁に立て掛けてある木刀を手に取り、くるくると手で弄びながらつまらなさそうに遠夜は問いかける。

 

「…俺は」

「………」

「俺は、雷の呼吸唯一の正当な後継者だ!特別な俺が、あんなに尽くしてやったんだ!当然だろうが!」

「なるほど。だが実際は二人か」

「あんなカスと同列に組み込むんじゃねぇ!」

 

激昂した獪岳はそのまま遠夜に木刀で切り掛かってきた。

 

「やれやれ、運動の許可は出てないんだがなぁ」

 

次の瞬間、獪岳の視界から遠夜が消えた。

 

「は?」

 

呆けた声を出した直後、獪岳の視界に影が落ちる。

咄嗟に上へ視線を動かしたが、次の瞬間背後からの衝撃に耐えられず前に倒れ込む。

 

 

影の呼吸 漆ノ型 影落とし

 

 

先日、兄の月慈を屠った型であり、遠夜が過去と決別するきっかけを作った型。

 

「まー落ち着け」

 

気がつけば獪岳の手から木刀が取られていた。

その事実に獪岳は遠夜が柱であることが本当であると確信した。獪岳は遠夜のことを舐めていた。なにしろ今まで会ってきた実力者と比べて覇気も威厳も一切感じられなかったからだ。獪岳は自身が力をつければつけるほど他者との力量差がよりはっきりわかるようになっていたが、遠夜は明らかに自分よりも下に思えた。だから礼節を欠いた態度を取っていたが、今の動きで遠夜が自分よりも遥かに強いことを認識した。

 

「気持ちはわかるよ。できないってのは、きついよな」

「柱のあんたに…」

「わかるよ」

 

獪岳の言葉は遮られた。

 

「俺も、型のうち一つが使えない」

「え…柱なのに?」

「柱なのにだ。どーしてもできん。いやな、俺の育手は俺の兄だったんだが……その兄が天才でなぁ。あの人が創り出した型だけどーしてもできなかった。今も、な」

 

それに準ずるものはできるが、日永の完成度と比較するとできないに等しい程度のものだ。

 

「それでもまぁ、なんとかやっていけるし、柱にもなれる。だからさ、できないことをそんなに重く考えんな。できることでやっていこうや」

 

遠夜と獪岳は、どこか似ていた。

 

 

両者とも、『己から生み出すことができない』者達だった。

 

 

遠夜は兄の真似し、ひたすら兄のできたことをできるようになることを行い、獪岳は己が特別であると信じ、他者からあらゆるものを欲しがった。

 

だが遠夜は月慈との戦いで己はどこまでいっても二人の兄にはなれないことを悟り、そしてこれからは兄という幻影を追うのではなく自分の身一つで歩いて行くことを誓った。そして自分が与えられるものが、兄の真似ではなく、己から生み出したものとなれるように努力していくのだと、自らの肝に銘じた。

 

真似したものを他者に与えることしかできない者は、自身が自身であるといえる確固たるものがないのに等しいのだ。

 

獪岳は遠夜同様かなり根深いところに問題がある。生まれ育った環境がそうしたため、一概に獪岳の性格だけの問題では無いが、このまま行けばどこかで道を踏み外す。遠夜にはそう思えた。

だがこういうものは自分で気が付かねば意味がない。他人が諭すことも効果はあるが、所詮一過性のもの。心には届かない。だから遠夜は獪岳に気づいて欲しかった。

 

 

人に与えられない者はいずれ人から何も貰えなくなる。

 

 

欲しがるだけの奴は結局、己が何も持っていないのと同じだということに。

 

 

「人はよ、同じ人間なんて一人としていねーんだ。誰もが特別なんだよ。誰かの特別であったとしても、他の大多数の人間からしたら、お前もお前が忌避した有象無象だ。それに、人は一人じゃいきていけん。必ず誰かの力を借りて生きてんだ。だからさ、その面倒くせぇ拘りなんぞ捨てちまえ。疲れるだけだぞ」

「………」

「もー少し、他人に目を向けて見ろ。その上で自分を見つめ直せ。人は一人じゃ生きていけない。だから近くにいる奴に何かしら返すなりしておけ。欲しがるばっかじゃ、いつかなにも貰えなくなる。それがわからないうちは、お前はいつまで経ってもそのままだ」

 

遠夜は目隠しに覆われた目を獪岳に向けてそう言った。その言葉には重みと真剣さが含まれており、先程までの飄々とした態度とは打って変わっていた。

 

「…黙れ。俺は特別だ。あんなカスとは違う」

 

そう言い放ち獪岳は道場を去った。

残された遠夜は木刀を道場の壁に立て掛け、そして寝転んだ。

 

「…特別、ねえ」

 

あそこまで頑なだと、獪岳を変えられるのは彼に近しい人間だけだろう。例の師匠か、または彼の弟弟子か。

 

「そもそも、俺みたいな出来損ないに『導く』なんて烏滸がましいか」

 

塞がれた視界はなにも映さない。

日永のように、他人を理解し、そして導くなど誰でもできることではない。少なくとも遠夜には向いていない。

 

 

 

『一人で歩いていけるんじゃなかったのか?』

 

 

 

声が聞こえた気がした。

染み付いた劣等感(呪い)は簡単には消えてくれないらしい。これからも向き合いながら少しずつ解いていくしか無いのだろう。

 

獪岳のことについても、日永ならどうにかできたのだろうか。

 

そう考えても意味など無い。だが、たくさんの人を導き変えてきた日永になら、とどうしても考えてしまう。

あそこまで膨れ上がり、生きているだけで他人を傷付けかねない程の危うさを持つ獪岳が今後道を踏み外すようなこともあり得る。過去に鬼狩りでありながら鬼となった剣士がいたということを黒雨に聞いたことがある。獪岳が圧倒的強者に対してどういう態度を取るかわからないが、もし獪岳が敵わない程の鬼と遭遇し、そして逃亡すらも叶わないとなった時、彼がどういう行動を起こすかはわからない。だが、跪き、助けを乞い、結果として鬼になるという可能性もあの性格では大いにあり得る。

獪岳の実力は決して低く無い。寧ろ現存する隊員の中ではかなり高い方だろう。それが鬼と化した場合…

 

「いや、やめよ」

 

このようなことを考えるのは獪岳の名誉を毀損するのと同義だ。彼がどんなに高慢な性格だとしても、今の彼は立派な鬼殺隊員として鬼を狩り、市民を守っている。そんなこと考えてはいけないと遠夜はその考えを振り払った。

 

 

 

 

 

 

しかし遠夜の予感は的中した。

遠夜がそのことを知るのは、ずっと先の話である。

 

 

 

 

 

 

『お前が見捨てたんだぜ?後悔すんなよ?』

 

 

 

 

 

 

声が脳裏で嗤った気がした。

 

 

 

 

 

 




どうにか獪岳を生存ルートを作りたかったけど、正直遠夜の性格で獪岳を変えられるビジョンが見えなくてこうなってしまった。どうすれば獪岳を救えたんだろうか。

分岐ルートどちらから?(最終的にはどちらもやります)

  • 鬼化ルート(2〜3話で完結)
  • 通常ルート
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