蝶の影   作:木材

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拾弐

遠夜が目覚めて一月近くが経過した。

 

 

機能回復訓練も可能となり、鈍った身体を叩き直しながらも左目の検査が続けられ、ようやく退院の許可が出て明日には退院することになった。

 

深夜、誰もが寝静まった時間を見計らい遠夜は庭に出て目隠しを外す。

紅く染まった瞳が月を映し出す。

 

「………」

 

目蓋の傷は痛々しく残っているが、もう痛みはない。目を開く際に若干違和感があったが、その違和感も既に慣れた。

 

存外この鬼の左目はちゃんと眼球として機能しているようで特別視覚に違和感はない。それどころか左目は視力が非常によく、正常な視覚を持つ人間よりもよくものが見えた。やはり鬼の肉体故に人よりも能力は高いらしい。

 

うまく使え(・・・・・)

 

だが月慈が最後に言った『うまく使う』とはこのことではないだろう。動体視力も上がっているため、見切りの能力は上がっているだろうが恐らくあの男はただあるものを『使う』とは言わない。自らの意思で動かして初めて『使う』と表現するだろう。仮にも共に暮らした兄。現在生きている存在の中では月慈のことを最も理解していると言っても過言ではない。

 

「…使う、ね」

 

確証はない。だがあの兄が言うことだ。可能性はある。

月慈は確信があることでなければ命令口調では言わないだろうと判断した。

 

全身の氣を整え、そして左目に集める。やり方がこれで合っているかはわからないが、残念ながら今の遠夜にはこれ以外やり方を思いつかない。

 

 

頭に思い浮かべるのは、あの空間を抉るような歪み。

 

 

この術がなんという名前かは知っている。

 

 

あとは言霊と共にそれを実現するのみ。

 

 

「っ…」

 

 

左目がなにかを吸い上げる感覚がする。

氣だけではない。恐らく今この目は血液を吸い上げている。本来なら鬼の血を吸い上げ、そこから血鬼術を発しているのだろうが今は遠夜の人間の血を吸い上げている。人の血から術が出るわけがないが、恐らくそれは氣を吸い上げることで代用しているのだろうと結論付けた。

 

「ぐっ、う」

 

鋭い痛みと共に眼前の焦点が合った部分が歪み始める。

これを進めていけば月慈の血鬼術ができるのだろう。だが痛みは更に増していき、ビキビキと嫌な音を立て始める。

 

それを耐え切り、空間が完全に収束し弾けたようになる。

 

「っ!」

 

術が完了したとわかった瞬間、今までとは比べ物にならないほどの痛みが走り思わず目を閉じる。そして生暖かい液体が頬を伝うのを感じる。それを拭うと手のひらが赤く染まっていた。負担をかけ過ぎた故か、血涙が流れていた。

 

「当たり前だが、そんな都合のいいもんじゃねぇな」

 

想像以上に氣を吸われたのもあるが、それ以上に血液を持っていかれることが厳しい。鬼ならば体内の血液程度すぐに補充できるだろうが、人間ではそうはいかない。下手に使い過ぎれば傷を負っていなくとも失血死しかねない。

慣れてないことも要因の一つではあるだろうが、慣れないうちに乱発すれば間違いなく遠夜は命を削る。削るにとどまれればまだマシだろう。最悪、負担が大き過ぎて命に関わる可能性すらある。

 

「慣れ云々で済めばいいがなぁ」

 

元はといえば鬼の肉体。人間が扱うには過ぎた産物だろう。そもそも慣れることができる代物なのかどうかすらわからない。

なんにしても明日には退院できる。その後早めに珠世の場所に伺うべきだろうと遠夜は判断した。愈史郎が色々と嫌な顔しそうだが、こちらとしてもいくら面倒だとしても愈史郎の顔色を気にしている場合ではない。

 

「あーくそ、面倒だ」

 

流れ出た血を拭い、目隠しを着ける。

痛みは徐々に引いていくのがわかるが、肉体にかかる倦怠感は寧ろ少しずつ増えていくのがわかる。

 

血鬼術。人の身で扱うには些か重すぎる代物。

 

扱えれば、遠夜は鬼殺隊にとって非常に強力な武器となるだろう。

だがその反面、それを十全に扱えるか、扱えたとしてどの程度の危険性が潜んでいるか、さらにはそれを克服できたとしても、それをよく思わない者達との衝突の可能性もある。

現状ではただ眼球として作用する程度の認識だが、せっかくあるものを無下にする気は遠夜には無い。例え命を削るとしても、やれる可能性があるのなら、必ずモノにする。

 

そして、あの鬼を殺す。日永とカナエを殺した鬼を、必ず。

 

「寝よ」

 

過去に誓った思いを再確認したところで、これ以上ここにいてしのぶに見つかったりしたら面倒だと判断し、肉体の倦怠感も相まって寝ることにした。

草履を脱ぎ、廊下に上がったところでこちらを見る人物に気がつく。

 

栗花落カナヲ。しのぶの継子であり、胡蝶カナエと同じ花の呼吸を使う少女。

 

「…よお」

「………今の」

「ちっ…見てたのかよ」

 

遠夜が気配を探ることを怠ったのもあるが、それ以上にカナヲが気配を消すことが上手くなっていたため、遠夜は術を使う場面をカナヲに見られていた。術に集中していたのもあるだろうが、遠夜が想像していた以上にカナヲが成長している証拠だろう。

 

「師範には…」

「言うな。言ったところでどうにもならん。止められて終わりだ」

「………」

「不服か?」

「…わかりません」

 

カナヲは素直に言った。

本当にわからなかった。遠夜とカナヲの関係はそれほど深くない。昔は遠夜はよく蝶屋敷にいたが、日永とカナエが亡くなってからは用事がある時以外は寄り付かなくなった。元々そんなに関わっていたわけでもないため、日永の死後はどことなく疎遠になっていた。時々稽古や手合わせはしていたが、逆に言えばその程度しか関わりがない。

簡単な話、どう接していけばいいかわからないのだ。

しのぶを心配させないで欲しいという思いはあるが、それを自分が言っても聞かないだろうし、これで下手に口出しして二人の関係が悪くなるのは見たくなかった。

 

だから、どう言えばいいのか迷った結果、カナヲはわからないと答えた。

 

「お前がどう思うか、思っているかは知らん。だがどうしたいかわかんねーなら、黙ってろ」

「……はい」

 

遠夜の言葉は冷たく、そして淡々としたものだった。そんな遠夜の言葉にカナヲは素直に頷くことしかできなかった。

そしてそれだけ言うと遠夜は足早に去っていった。

 

「………」

 

その後ろ姿を見て、カナヲはどう言うべきだったのかを考えたが、一晩考えてもその答えは出なかった。

 

 

 

 

 

 

「…ふむ」

 

翌朝、昨日負担をかけた左目の調子を見ていたが、特段変化はないように思える。一晩休んだためか、最後に感じていた倦怠感も抜けている。

 

「とりあえず、問題ないか」

 

身体の調子が悪くないことを確認し、遠夜は起き上がり身支度を整える。シャツとズボンを身につけ、詰襟は畳まれたままにして羽織を肩にかける。

身支度を一通り整えたところでアオイが病室に入ってきた。

 

「無道様」

「ん、なに?」

「お客様です。刀鍛冶の里から」

「お、漸くか。通せ」

 

それだけ言うとアオイが背後の人物に病室に入るよう促した。アオイはそのまま仕事へと戻っていき、病室にはひょっとこのお面を付けた遠夜と同程度の身体の男が残された。

 

「どーも、鉄俵さん」

 

男は、鉄俵鋼桜。遠夜の担当の刀鍛冶の男である。日永の担当もしていた男であり、刀鍛冶としての腕は高いが、どうにもクセのある刀を造る傾向にあったため、現在では遠夜以外は担当していない。

 

「………」

 

そしてクセがあるのは刀だけでなく性格もだった。とにかく無口でなにが言いたいのかわからない時がある。

相変わらずか、と遠夜が内心で苦笑したところで鉄俵は背負った箱を下ろし、その箱を開けて遠夜に差し出した。中には刀が入っており、その刀は前の刀と同じ濃紺の鞘と同じ色の柄をしていた。唯一前の刀と異なるのは鍔が無い点だった。

 

「………」

「はいはい抜けばいいんだろ」

 

ひょっとこのお面をしているため表情はわからないが、目線をじっと向けてくる鉄俵の意思を汲み取り刀を手にした。

刀を抜くと、鋼色が深い藍色へと変わっていく。何度見てもどういう仕組みなのかわからないが、遠夜はこの色が気に入っているため特に気にはならない。

 

遠夜の日輪刀は水や風、炎の呼吸を使う剣士の刀と比べて若干刃が分厚い。理由としては影の呼吸は他の呼吸と比較して防御に回るのが多いことが挙げられる。元より防御寄りの型故に刀としての耐久性も高いにこしたことはない。だが分厚すぎて速度が落ちるのも良くないため、色々と試行錯誤を重ねた結果現在の厚さになった。

 

「………」

「ん、不満は無いですよ。今回もどーも」

 

無言で刀の調子を伺ってくる鉄俵に苦笑しながら刀を鞘にしまう。

 

「そーいや鍔はどーしたんすか?前のは割れたんですけど」

 

遠夜は疑問を口にした。

本来、鬼殺隊の刀は皆それぞれ異なる形と鍔を刀につける。だが遠夜の刀には今鍔がない。この理由を鉄俵に聞いた。

 

「……この刀は、私の打った刀の中で最高と断言できるほどの出来だ」

 

この場に来て初めて発した言葉はとても低く、威厳のある声だった。数度しか聞いたことないが、この声を聴くとどことなく背筋が伸びる思いになるのはなぜだろうか。

 

「そいつは、随分と良いものを」 

 

確かに出来は非常に良いものだった。普段からいい出来ではあるが、普段以上に見た目も感触もいい。

 

「……お前の兄、日永の刀も含めて、私の生涯で最高の刀だ。今の私にこれ以上の刀は造れぬ」

「へえ」

 

確かに、刀そのものから感じる気配のようなものは前に使っていた刀と比較しても遥かに良いものであるとわかる。刀匠全盛期の戦国時代であってもこの刀は業物として扱われるだろう。それほどまでの刀に何故鍔を造らなかったのか。遠夜はそれが気になった。

 

「……最高の刀である以上、鍔も私の満足がいくものにしたかった。だが、できなかった。それだけだ」

「…なるほど」

 

鍔は刀同士の戦いで鍔迫り合いになった際、手を守るための役割があるため、剣士同士の戦いでは比較的重要になる。しかし鬼殺隊が相手にするのはあくまで鬼。刀を使う鬼がいないとは限らないが、だがそれでも鍔としての重要度は下がるだろう。

 

「じゃ、いいっすわ。もしできたら持ってきてくれれば」

「………」

 

無言の鉄俵に若干呆れながらも、最後に遠夜は聞いた。

 

「この刀、銘は?」

 

鬼殺隊の刀に基本銘はない。しかしこの鉄俵は毎回刀に銘を打っていた。理由としては、先祖代々彼の家族は売った刀に銘を付けることで一本一本の刀と正面から向き合うためだとかなんとか。

ちなみに日永の最後の刀の銘は『白夜』、遠夜の前の刀の銘は『日陰』。

 

「……『鏡影(きょうえい)』」

「鏡影、ね。いいじゃん。どーも」

 

どういう意図で付けたのかは毎回聞いても語らないため聞かないが、響きが悪くないため遠夜はその銘を心に刻んだ。

 

話が済むとすぐに支度を整えて、風のような速さで鉄俵は去っていった。

 

「…鏡の影、ね」

 

刀をわずかに抜き、『悪鬼滅殺』の文字を見ながら遠夜は呟いた。

 

鉄俵は知ってか知らぬか、今の遠夜にとって必要である『向き合う』ことを彷彿とさせる『鏡』の文字を刀の銘に入れた。

 

「…先見の明ってか?鬼殺隊には化け物みたいな年寄りしかいねぇのかよ」

 

苦笑と共に言葉を吐くと、刀を収めた。

 

 

日光を受けて『鏡影』は鈍く輝いた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

ベッドの掃除も済ませ、詰襟を適当に羽織った遠夜は退院の準備を済ませた。しのぶは任務でいないが、退院の許可は得ているためアオイに挨拶を済ませれば問題ないだろうと考えた。

 

「さて、アオイは…」

 

気配からアオイを探そうとしたところ、存外近くに気配があったためそちらに足を向ける。

 

部屋を覗くと、アオイは洗濯カゴを抱えて庭に向かうところだった。

 

「アオイ」

「無道様。退院なされるのですね」

「世話になったな」

「いえ。仕事ですので。あまり無茶なさらないようにしてくださいね」

「善処はする。保証はせん」

 

相変わらず素直な物言いのできない遠夜に若干呆れつつ、アオイは頭を下げて庭に歩を向けた。

だがそこで三人娘の一人のなほが近寄ってきた。

 

「アオイ様!」

「なほ、どうしました?」

「えっと、お客様なのですが」

「お客様?しのぶ様は今は…」

「いえ、無道様に」

 

突如呼ばれた自分の名に僅かに驚愕しつつもなほに塞がれた目を向ける。

 

「俺?」

「はい」

 

遠夜は顎に手を当てる。

誰かが見舞いに来るとは思えない。仮に雲海や鳴海が来るとしたら必ず連絡を入れるだろうし、夕霧が来るとしてもなにかしらの形でやはり連絡が来るだろう。

他の柱の面々が来るとは思えない。柱は基本忙しく常に任務に出ている状態に近い。仮に暇があったとしても、遠夜は他の柱との関係は良くない。故に見舞いに来るとは考えづらい。

刀鍛冶の鉄俵は先程帰った。何か忘れ物がありもう一度訪ねて来るのなら、なほが客と表現することはないだろう。

 

「誰だ?」

 

誰も思い当たる人物が居らず、遠夜はなほにその人物を聞いた。

そしてその答えは、意外な人物だった。

 

 

「不死川玄弥様です」

 

 

ーーー

 

 

「よお、また会えたな」

 

蝶屋敷の縁側に玄弥を通し、なほに淹れてもらった茶をすする。

玄弥は俯きがちで落ち着かない様子だった。

 

「で、なんか用か?わざわざ訪ねて来るってことは、なんかあんだろ?」

 

遠夜がそう切り出すが、玄弥は口をもごもごさせるだけで話し始めない。一向に話し始めない玄弥に痺れを切らし、遠夜は湯呑みを盆の上に置き、話し始める。

 

「大方、俺の傷に責任を感じてってところか」

「…!」

「図星か?わっかりやすいなぁ」

 

くつくつと笑う遠夜に目を向けて玄弥は話し始める。

 

「…すみません、無道さん。俺が、俺が弱いばっかりに…無道さんがいらない怪我を…」

「いいって。そもそもあの闘いは、俺が読み逃したのが悪い」

「でも…」

「だから」

 

遠夜は玄弥の頭を乱暴に撫でる。

 

「いいって。鬼殺隊が怪我するなんて常だし、そもそも俺が悪いんだから」

 

そして苦い表情をしながら視線を逸らした。

 

「…まぁ、白状するとなだな……あの時、動揺してたんだ」

「え?」

 

玄弥の中で遠夜は、常に飄々としており、現にあの下弦の弐を前にしてもその態度を崩したようには見えなかった。だからその独白に少なからず驚いた。

 

「仮にもさ、血を分けた兄貴だ。しかも俺があの家から捨てられて十年以上経ってるとはいえさ、そんな簡単に十二鬼月になれるとは思わないじゃん?だからさ、その…処理しきれなかった」

 

遠夜が玄弥、巌鉄と分かれて調べていたのは従業員全員の身辺調査と間取りの調査だった。黒条総合病院は遠夜が月久としていた時と比べてかなり大きくなっていたため間取りを調べる必要があった。

だがそれ以上に月慈が鬼かどうかを真っ先に調べたいという思いがあった。かつて憧れ、そして心底妬んだ兄が鬼なのか否か。それだけは知りたかったのだ。

 

結果として、月慈が鬼だとわかったのは突入前日だった。尤も、それも半信半疑だったため、遠夜としては心の中では月慈が鬼であって欲しくないという思いがあった。

 

どんなに妬ましくとも、憧れた存在だった。

 

だから、本音を言えば殺したくなかったのだ。

 

だが殺さねばならない存在と成り果てた兄を目の前に、遠夜の思考は鈍り、そして一度敗れた。

 

「ほんと、俺が柱でいいのかねぇ。こーんな間抜けが」

「…無道さんは、間抜けじゃないです」

 

玄弥の言葉に遠夜は僅かに驚く。玄弥がそんなことを言うとは思いもしなかったからだ。

 

「へえ」

「俺も、兄貴が鬼になったりして、それを目の前にしたら…多分なにもできなくなる。炭治郎みたいに、あそこまですぐに身体を張れるようなことをできる自信はありません」

「……」

「大事な人が鬼になる……どんな形でもそれはきっと、すごく辛いことです」

 

言葉は拙い。だがそれでも精一杯伝えようとしているのがよくわかる。そんな玄弥の背中を軽く叩き、遠夜は立ち上がる。

 

「そういうもんか」

「はい、きっと」

「……ありがとうな」

「い、いえ」

 

笑う玄弥の顔は、年相応の少年の笑顔だった。塞がれた視界で遠夜がそれを見ることは叶わなかったが、つられて遠夜も笑った。

 

「じゃ、いくわ。見舞いありがとさん。死なない程度に頑張れよ」

「あ、はい」

「黒磐にもよろしくな〜」

 

そう言って遠夜は去っていった。

その背中はどこか小さく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アオイさん!」

 

任務帰り、遠夜の見舞いをしようと炭治郎は蝶屋敷に立ち寄った。

 

「炭治郎さん、どうなさいましたか」

「無道さんは、今どこにいますか?お見舞いに来たんです」

「無道様なら先程退院されて帰られました」

「ええ⁈」

 

炭治郎は間が悪く、遠夜が去った数時間後に蝶屋敷に訪れていた。

 

「そっか…間が悪かったか……でも、元気になってくれてよかった」

「なにか言伝があればお聴きしますが」

「大丈夫。自分で伝えますから」

 

目的の人物がいないのならば仕方ない。せっかくきたが、特に用事はないため拠点に戻ろうと炭治郎は踵を返そうとした。

 

「ごめんください」

 

その瞬間、声が響く。

炭治郎が振り返ると、そこには帽子を深く被り、羽織を羽織った甚平姿の男がいた。

そして炭治郎はこの男に見覚えがあった。産屋敷亭で情報屋と名乗っていた男だ。

 

「陽明様、どうなさいました」

「神崎サン、しのぶサンから頼まれていた薬剤の資料を取り寄せたのでお届けしに来ました」

「ありがとうございます。生憎、しのぶ様は留守ですので私が渡しておきます」

「お願いしますね〜」

 

陽明が懐から冊子を取り出してアオイに渡すと、陽明は炭治郎に目を向けた。

 

「竈門炭治郎サン、ですね?」

「あ、はい」

 

目の前の若干胡散臭い話し方をする男に声をかけられ、若干警戒する。

 

「柱合会議以来ッスね。ほとんどはじめましてかな?」

「あの時、鱗滝さんの手紙を読んでくれた…」

「はい。おっと、まだ名乗ってませんでしたね。あっしは陽明黒雨。しがない情報屋ッス」

「情報屋?」

「情報ってのは、時に命に関わるほど重要になる。だから色々な情報を集めて売り捌くのがあっしの仕事です。今はお館様専属といった形にさせてもらってます。今後お見知りおきを」

 

陽明からは悪意の匂いは感じない。そもそもこの前助けてくれた人をよく知りもしないのに警戒するのは失礼だと判断して炭治郎は警戒を解く。

 

「俺は、竈門炭治郎です。この前は助けていただきありがとうございました」

「いえいえ、仕事ですから」

「それでも俺と禰豆子は助かりました。本当にありがとうございました」

「…君は心が綺麗ッスね」

 

陽明は炭治郎の頭を撫でながらそう言った。

 

「俺にできることがあればなんでも言ってください!力になります!」

 

アオイはその言葉を聞くとギョッとした。

なにせ陽明は『できるけど、相当しんどいこと』か『有益な情報を聞き出す』意外で人にものを頼むことはしないことで有名だったからだ。現にしのぶも陽明に頼まれごとをして珍しく昔のしのぶが表に出てくるほど消耗して帰還した事例がある。それだけでなくカナエが生きていた時、陽明の頼み事はきついくせにこちらに見返りがほとんどないと日永にぼやいていたことがしのぶの口から語られていた。無論きついだけあり、見返りはあるのだが、それは個人としてではなく陽明本人、または鬼殺隊としての益が大きい。鬼殺隊としての益ならば文句は何もないがさすがに陽明本人のみの益のために無駄にきつい頼み事をされるのはたまったものではない。

それがわかった上で断ることはできるのだが、この男は巧妙に恩を着せてくるため断りづらくなる。なまじ頭の回る偏屈者ほど厄介な者はいないのかもしれない。

 

「おや、いいんスか?」

「はい!助けてもらった恩を返したいんです!」

 

こういう時、炭治郎の真っ直ぐな部分が短所に思えてしまう。陽明のように巧妙な手口を使うほぼ詐欺師紛いの男からしたらこんな真っ直ぐな少年などいいカモなのだから。

炭治郎は頭が固い。故にアオイがなにを言っても多分聞かないだろう。

 

だが次に陽明から出た言葉は意外なものだった。

 

 

「じゃあ、君の話を聞かせてください。それでチャラにしましょう」

 

 

 

 

 

 

 

「なにを企んでいるんですか?」

 

たまたま屋敷にいたカナヲと炭治郎が話しているのを遠くから見ている陽明にアオイはそう問いかけた。

 

「いいえ?なにも?」

「………」

 

ジト目で睨んでくるアオイに陽明は苦笑いした。

 

「アオイサン、あっしをなんだと思ってるんスか」

「詐欺師紛いの情報屋」

「はは……こいつは手厳しい」

 

まるで心外だとでもいうように帽子を被り直しながら陽明は炭治郎に目を向けた。

 

「日頃の行いからしたらそう見えても仕方ないかもしれないッスね」

「腕は確かだそうですけど、しのぶ様や無道様から出る貴方の話はロクなものがありませんから」

「やれやれ…酷いなぁ」

 

くつくつと笑う陽明をジト目で睨むアオイの視線に耐えきれなくなったのか、陽明は真剣な顔をする。

 

「鬼舞辻は、炭治郎サン『個人』に対して追手を出すようなことをした。つまり、奴と炭治郎サンの間には何かしらの因縁があります。今まで奴は個人に対して追手を出すようなことはしてきませんでした。その因縁を解き明かせばきっと奴に近づける」

「…本人が気付くものなんじゃないんですか?本人がわからないなら…」

「炭治郎サン本人ではなく、『鬼舞辻』側の因縁だと思います。奴個人として、炭治郎サンに何かあるのでしょう」

 

アオイとしてはよくわからなかったが、陽明は無意味なことはしない。別段理不尽なことをさせられているわけでもないし、ここはやりたいようにやらせればいいだろうとアオイは考えた。

 

「よくわかりませんが、お好きにどうぞ」

「ええ。では」

 

陽明はアオイに頭を下げると駆け寄ってきた炭治郎の下は足を向けた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

場所は変わって、陽明が行きつけの茶屋へと炭治郎はやってきた。

 

「お好きなものを頼んでいいっスよ。ここはあっしの奢りです」

 

茶を啜りながら陽明は炭治郎にそう言った。

 

「いえ、お構いなく」

「んーあっしがいいって言ってるから頼めばいいのに。ま、そこはお好きどうぞ」

 

陽明はそのまま店員に団子を頼んだ。

そしてその団子が届いたところで話を切り出した。

 

「じゃあ、君のお話を聞かせてほしいんスけど」

「俺の話、って言われましても…」

「まー、これだけ言われても困りますよね。とりあえず、君の家族について教えてくれますか」

「はい!俺の家族は……」

 

嬉しそうに、そして時折寂しそうに家族のことを語る炭治郎の言葉を陽明は最後まで真剣に聞いた。

この少年は、この年若い年齢でありながら様々な苦行を乗り越えてきた。だがそれでもまだ戦う事を選んだ。その決意は、きっと簡単にはできない。加えて彼は妹を人間に戻すための手掛かりも見つけなければならない。

 

「……頑張ってきたんですね」

「いえ、まだまだです。俺が強ければきっと煉獄さんは…」

「かもしれません。でも、君が繋いでもらったその命を無駄だとは思ってはいけませんよ」

「…はい。わかってます」

「よろしい」

 

一区切りがついたところで、陽明は団子を頬張る。

 

「…そういえば、一つ気になる事があったんスけど」

「なんですか?」

「その下弦の伍と戦った時の呼吸…水の呼吸ではないんスか」

「あ、はい。うちの家に代々伝わる神楽でして」

「神楽…」

「はい。ヒノカミ神楽ってご存知ですか?」

「ヒノカミ神楽……いえ、すいませんが」

「そうですか…」

 

あからさまに落ち込む炭治郎に対して陽明は顎に手を当てて真剣な顔をしている。

 

「その神楽についてもう少し教えてもらえますか」

「はい」

 

ヒノカミ神楽は、竈門家の長男が代々受け継いでいく神楽だという。その舞は年の始まりにその一年の安全と健康を願い、ヒノカミ様に日没から日の出まで繰り返し舞を捧げるといったものらしい。

 

(ヒノカミ……炭治郎サンの家は炭焼きの家。ならこのヒノカミは火の神?いや、彼の耳飾りから察するにこの場合は『日の神』と考えるのが妥当か)

 

この神楽は耳飾りと共に受け継いでいくものらしい。見たところ、随分古いが手入れがされており未だに清潔感が保たれている。

 

「炭治郎サンの話ですと、『耳飾りと神楽を受け継ぐのは、ヒノカミ様との約束』ということですね?」

「はい。父にそう教えられました」

「約束、ね」

 

携帯している筆と情報をまとめる冊子で炭治郎の言葉を纏めていく。

 

(約束……神として崇める存在相手に約束というのもなにか違和感がある。どちらかといえば神が相手だと『捧げる』が一般的だ。なのにそこであえて『約束だから受け継ぐ』という形で伝えてきている。もしかしたら…このヒノカミ様とやらは…)

「あ、あの…陽明さん?」

「ああすいません。考え込んでしまった」

 

そこで陽明は一度筆を置き、炭治郎に向き直る。

 

「炭治郎サン、まだなんとも言えませんけど…このヒノカミ神楽は多分全集中の呼吸を使ったものだと思われます」

「そ、そうなんですか?」

「断言はできません。しかし炭治郎サンの話を聞く限りその可能性は大いにあるかと」

 

そもそも神楽という名目の舞であるのにも関わらず剣を振るうことを想定したような型である時点でおかしいのだ。神楽自体は舞という名目であるため基本は『舞踊』、つまりは踊りに起因するものだ。剣を持って舞う舞踊も存在するが、ここまで『戦う事』を想定して作られる舞踊などそうないだろう。

加えて炭治郎はこのヒノカミ神楽で水の呼吸以上の威力の攻撃を出したという。つまり単純に考えれば炭治郎は水の呼吸以上にヒノカミ神楽の適正が高いという事だろう。どんなに威力の高い型であっても適正がなければその力は十全に発揮できない。

 

「…炭治郎サン、確か貴方の刀の色は」

「黒、ですね」

「黒い刀の持ち主がなんで出世できないと言われてるかわかりますか?」

「え……不吉な色だから、とか?」

「黒い刀の持ち主の身体に合った呼吸が存在しないからっス」

 

日輪刀の色は不思議なことに持ち主に合わせて色が変わる。その色は持ち主に合う呼吸の色へと変化する。

 

「それくらいは知ってますよね?」

「はい。日輪刀をもらう時に教わりました」

「例えば炭治郎サンの兄弟子、冨岡サン。彼は水の呼吸が最も適した呼吸であることを示す『水色』。煉獄サンなら炎の呼吸が適した色の『赤色』などですね」

「その中でも、黒は…」

「基礎となる呼吸以外の派生した呼吸を含めた全ての呼吸が適した身体ではない、という指標っスね」

「……じゃあ、俺に」

 

適した呼吸はないのか、と言おうとした炭治郎の言葉を陽明が指を立てて遮る。

 

「ですが炭治郎サンは、ヒノカミ神楽の呼吸で下弦の鬼を追い詰めた。水の呼吸ではできなかったことが、ヒノカミ神楽ではできた。これは大きなことっス」

「でも、俺はヒノカミ神楽を使った後全然動けなくて……それに、あの時は禰豆子の力もあったから」

「おそらく動けなくなったのは単純に体力の問題でしょう。仮に適した身体だったとしても、それを扱うための身体ができていなければ十全に扱うことはできませんから」

「水の呼吸は使えたのに……そうなんですね」

「この後ちょいと用事があるんで無理っスけど、近いうちに型を見せてもらえます?水の呼吸とヒノカミ神楽の呼吸で比べて見ればどちらが適しているかわかると思いますんで」

「見ただけでわかるんですか?」

「これでもかつて柱だったんでね。見る目はあるかと」

 

怪我して引退したんスけどね、と陽明は付け加えて皮肉げに笑った。

 

「それに、君はいい情報(もの)をくれた。ちょっと返してもらいすぎなんでお釣りっス」

「そんな!俺は、父が残してくれたこの神楽に興味を持っていただいてすごく嬉しかったです」

 

煉獄だけでなくしのぶにもヒノカミ神楽のことを聞いたが、誰も知らないと答えた。陽明自身も知りはしなかったが、それでも炭治郎としては家族の絆であるヒノカミ神楽に興味を持ってもらったのは嬉しかったのだ。

 

「君のそのヒノカミ神楽、あっしの方で少し調べてみます。少し、心当たりがあるんで」

「なにか知ってる人に心当たりがあるんですか?」

「人の縁ってのは、大事なんスよ。人は皆、何を知っていて、何を知らないか結構わかってないんス。それに、当人にとっては価値のない情報でも自分にとっては有益な情報だったりもする。そういうもんス」

 

炭治郎はよくわからない顔をしているが、陽明はそんな炭治郎を見て笑いながら言った。

 

「何かわかったらお伝えします。君は目の前のことに集中してください」

 

帽子を被り直し、会計を済ませて陽明は茶屋から去っていった。

 

「不思議な人だったなぁ」

 

残された炭治郎は一人そう呟いた。

陽明からは常に楽しそうな匂いがしていた。そしてその楽しそうな匂いは炭治郎のヒノカミ神楽の話を聞く時、より一層強くなった。きっと彼は未知との遭遇を楽しいと思える人なのだろう。

 

「でも、なんでだろう」

 

その楽しそうな匂いの中に、本当に微かではあるのだが、悲しみの匂いがしていたのだ。それは炭治郎と出会った時からずっとしていた。

 

「今度、会ったら聞いてみよう」

 

そう考えて炭治郎は残りの茶を飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、茶屋から出た陽明は鎹烏を呼び出した。

 

「いやぁ、思いの外いい話が聞けました」

「カァー!お前ガ楽しそうナ顔ヲしてる時ハ大体ロクでもナイ事ばかりダ!」

「酷いっスね〜…間違ってないんスけど」

 

陽明の帽子に止まる烏は他の隊員の持つ烏よりも若干流暢に喋りながら陽明のことを貶す。それに対して陽明は苦笑しながらも筆を走らせた。

 

「ダガ、今回ハ本当にいい事ガ聞けたようダナ」

「お、わかります?」

「フン!何年ノ付き合いダト思っていル」

 

自慢げに胸を張る烏の足首に書き終えた文を結びつけ、陽明は行先を伝える。

 

「御館様に直接渡してください。返事は……まぁ言わなくてもすぐ返ってくるか」

「カァー!任せロ!」

 

そう言って烏は飛び去った。

帽子を押さえながら陽明は仕込み杖を肩に担ぐ。

 

「さて、あっしも忙しくなるな」

 

烏の飛び去った空を見上げながら陽明は呟く。

陽明が書いた文にはこう書かれていた。

 

 

 

 

『鬼殺隊が呼吸を使い始めた時期と、その後壊滅させられるくらい弱くなった時期の記録を拝見したいです。理由はお会いした際にお話しいたします。何卒、よろしくお願い申し上げます。』

 

 

 

 

「あっしよりも、炭治郎サンの方が忙しくなりそうですねぇ。きっと彼はこれから鬼殺隊にとって歴史的瞬間に立ち会う。頑張ってほしいっスね」

 

 

 

 

帽子を深く被り直し、陽明は雑踏の中に姿を消した。

 

 

 




鉄俵鋼桜(こうおう)
49歳
刀鍛冶の里の中でもかなり年長者。基本無口。妻も息子も無口。
打った刀には必ず銘をつける変わり者。無口だが人をよく見ており、その人に合った銘を付ける。以外と涙もろい。

分岐ルートどちらから?(最終的にはどちらもやります)

  • 鬼化ルート(2〜3話で完結)
  • 通常ルート
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